2018年05月19日

これも5月病というのか

風邪をひいて高熱を出して、入社して初めて病欠しました。

たかが風邪なのですがついでにめまいが始まり、そうしたらやたらと気弱になって、後から考えると可笑しいほど悲観的なことばかり考えて数日を過ごしました。


ところで今週は気候が厳しかったらしく、体調を崩している友達が何人もいることがSNSでわかりました。

うち一人は重大な病気で入院。


やっとめまいが治った今日、ベッドでごはんを食べながら、入院中の友達とLINEで話しました。

病院食の画像が送られてきて、

「左端のは何?」

「なめこおろし」

なんて会話。


自宅で病気療養中の他の友人とも、近況報告のやりとりをしたり。


ツイッターを使い始めたばかりの頃、海外の友人たちと

「これからの老人は、家から出られなくなってもSNSがあるから孤独じゃなくなるね」

と話したのをふと思い出しました。

まだ老人じゃないけど。


友人が早く回復しますように。


まだ本調子じゃないので、今夜のジロはゾンコラン・ゴールなのにもう眠くて起きて入られません。


さっき懐かしい夢を見た。

夢の中では大抵、目的地にたどり着けないものだ。

目的地を目指して彷徨うあの街並み。

知っている町なのに出くわす知らない道。

その道が、そしてその心細さが、強烈に懐かしかった。


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oiharamumay at 23:00|Permalink 日記帳 

2018年05月14日

努力してます

ジロ・デ・イタリアの季節ですね。

土曜日は恒例の友人宅TV観戦会でした。


観戦会と言っても久し振りに会ったおしゃべりと飲み食いがメインになります。

話題はレース観戦旅、選手、新しく買った自転車の話などなど。

レースの動かない序盤はTV解説も余談になるわけで、これはロードレース中継の大変正しい見方ではないかと思います。

現地観戦ならレースが来るまで飲んだり食べたり盛り上がって待つし、TVなら店に集まって飲みながら見る。


毎日はそうもいかないので、日常の何かをしながらテレビを見ています。

それだけで物足りなければ友達とSNSやチャットで話しながら見る。


いかに自分なりの楽しみ方、盛り上がり方が出来るか勝負かなあ。

などと近頃初心に戻って見てます。


最初に興味が湧いた時、意識的に「好きになろう」「気持ちを盛り上げよう」と、結構努力していました。

自転車を理解するためにコンポの絵を描いてみたり、素材の特色を調べたり、選手の情報を得ようと英語だけでなく読めないのに各国語サイトを探し回ったり。


その頃色々あって気持ちが沈みがちで、カラ元気でも出さなきゃ!と見始めたのがきっかけでしたから。

パンターニやシモーニやガルゼッリの走る姿を見て、「これなら元気を引っ張り出せるかも」と思えたことは、当時一筋の光でした。

今はそんな深刻な状況ではありませんが、自然体?では心が冷えきっているので、元気を出す努力はしっかりやろうと思います。


というわけで、TV観戦会も「ドレスコードはピンクだよ〜」と声をかけたら、ちゃんと応じてくれた友達がいました。

しかもお茶目なチーバ君のハート柄ピンクTシャツ!


私は気持ちの上げるため、昔のミスターチクラミーノをリスペクトなTシャツ。

みんなにはスルーされましたが古くてごめん(笑) 

下の写真モノクロですが、一応バラ色とシクラメン色のあいのこみたいなシャツもこの上に羽織って。

5月は毎年、スマホの待ち受けはペタッキです!

パンターニは思い入れが切なすぎて待ち受けには出来ないんだ。


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oiharamumay at 12:49|Permalink 日記帳 

2018年05月11日

江戸東京たてもの園 看板建築展

ゴールデンウィーク、江戸東京たてもの園の看板建築展に出かけた。

展示室に入ったらちょうど学芸員によるミュージアムトークが始まったところで、聴いて行こうか迷う間も無く話に引きこまれてしまった。


関東大震災の話から展示は始まる。

地震後の火災を描いた絵、焼け野原となった東京。

その焼け跡にバラック建築が立ち並ぶようになる。


バラックの町の様子、考現学の話、そして区画整理から銅板貼りの看板建築まで、写真、絵、模型の展示となるが、ミュージアムトークはまるでドラマティックな物語のように生き生きと語られ、感動的でありました。


銅板の看板建築は江戸東京たてもの園の見どころであり、いつでも青銅色の姿をうっとりと眺め、写真もブログなどによく投稿しています。

しかしできた時には青ではなく銅色だったんだね!

考えてみれば当たり前のことなのに、気がつかなかったわ。

たてもの園の景色から想いをはせる世界が、また広く大きくなったようです。


また、前の仕事から金属加工の職人技にはまった自分には、銅の細工自体にも魅せられ、関東大震災後、東京復興のために集まった職人さんたちが、地元に戻り看板建築の技を伝え残した話にも身を乗り出してしまいました。


展示中にまた見に来よう。

できればミュージアムトークのある時に!


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oiharamumay at 19:43|Permalink 日記帳 

2018年05月10日

ブルーの理由

褒められてのびる人とか、怒られて頑張る人とか、けなされてそれをバネに奮起するとか、色々あるとは思いますが、それらを人のタイプとして分けるのは賛成できません。

怒られてためになることもあれば、褒められて頑張れることもある。

場面ごとの適切さがあるはずですわ。


人は毎日けなされ続けると、それが真実だと心のどこかで思い始めてしまうんだなー。

案外些細に思えることでも、積み重なって、自己否定やら鬱が始まる。

繰り返されることで、誰か1人の言葉が世界の真実みたいに思えてきたりして。


日々容姿をけなされるうちに、鬱に傾いてきた自分に驚いているところです。

子供の頃から背が高くて、人一倍姿をあれこれ言われ慣れててきたので耐性は普通よりあるはず。

それに頭では、別に問題なしとわかっているのに!

なのに動きが萎縮しはじめます。

もしこれが10代女子だったりしたら、拒食症になる子がいるのも当然だろうな。


意地悪なことを言う人はどこにでもいるのだから気にするな、と言うのは正しいけれど、それとは別の問題があります。

世の中、言う側を批判する風潮がもっともっと当たり前になるべきではないか。


勝手に傷つくな、強くなれ。


これは、生きるための自分の意識としては正しい。


けれど世の中のありようとして、


言いたいことを言え。

傷つく方が悪い。


これが全てではあまりにも偏っている。


いささか愚痴です。

問題に立ち向かい反論すべきことなのですが、多くの人と同じく、反論しても上との関係が悪くなるだけで利がなく、静かに立ち去る用意をするのみなのであります。


明日からは、楽しい話をしよう。


(強い猫のようにありたい)


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oiharamumay at 18:04|Permalink 鞄からこぼれたもの 

2018年05月08日

薫る花にはなれませぬ

それぞれの自己主張について、近頃やたら考えてしまう。


生きるための赤ちゃんの主張、社会性に一歩を踏み出した幼児の主張、青年の主張、勘違いした恋愛の恋人たちの主張、とある組織での権力の主張、夜明けの猫の主張、静かだけれど強く薫る花の主張

生存や繁殖のための本能的・科学的なものから、理不尽な人間ぽいものまでさまざま。


聞く耳どころか息継ぎすらせず自己主張し続ける人間は、本人の欲求とは逆に孤独な道をまっしぐら。

自分の素晴らしさを絶えず全方向に主張し続けるあの人。


耳を塞ぎたくなる。


黙れ。と言いたくなる。


そして自分は薫る花を理想と思い始めてしまう。

言葉やそのための道具をしまいこみ、つつましさ、無口さを美徳とし、俯いて黙り込む。


でもやっぱり、言葉から逃げてはいけないなあ。


沈黙がすべて美しいと思いこむことは、食べずに贅肉なく痩せていることが美のすべてと信じることに似ている気がする。



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oiharamumay at 19:13|Permalink 鞄からこぼれたもの 

2018年01月22日

澄みわたり凍りつく

年末、日光、中禅寺湖に旅行した。


中禅寺湖の草木は雪と氷に覆われていた。

それはふわふわ真っ白な世界ではなく、鋭く澄んでいて異世界のようだった。

木の枝が凍る場所とは知らず普通の雪の湖を思い描いて出かけたので、思いもかけない凄みある美しさに心から驚いてしまった。

無知が良かった珍しい例(笑)


東照宮は大晦日の前々日だったせいか人が少なくて、雪景色と合わせてのんびり楽しめた。

小学生以来の鳴き龍は、拍子木の神秘的な反響に心が洗われた。

どれもこれも記憶の中より、思ったよりずっと面白くてときめいた。


この小旅行で、「思った以上に」心動かされたことがたくさんあった。

近頃の私の想像は、全然現実に届いていない。

「行けば楽しいのはわかっているけど」という表現を人は時々使うけれど、どんなに楽しいかなんて全然わかっちゃいないのね。

何かに出会うためには動かなければ

ということが言いたいわけではなくて。


とにかく中禅寺湖の草木はひたすら冷たく美しかった!

それが一番言いたいこと。


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oiharamumay at 23:54|Permalink 日記帳 

2017年12月17日

映画「希望のかなた」アキ・カウリスマキ

アキ・カウリスマキ監督の「希望のかなた」を見た。

まだ観ていない人になるべくまっさらな状態で観て欲しいので思い切りおおざっぱに言うとしたら、シリアから逃れてきた難民の青年の物語だ。

小さなものの善意
大きなものの無情さ

ユーモア、音楽

朝一番で観に行って、そのあと一日中、じわじわじわじわとあたたかく心がゆさぶられ続けた。

登場人物の口数は少ないし愛想もないし、笑顔は殆ど見た記憶がない。
けれどみんな真剣で親身だ。

とても好きな映画です。

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oiharamumay at 23:20|Permalink 映画的要素 

2017年12月12日

カッコウ

猛烈に混雑している地下鉄の中で、目を閉じて心を無にしていたら、かっこうの鳴き声が聞こえた。

「カッコウ」
と聞こえた瞬間、頭の中に静かな濃い緑の森が見えた。
なんて強烈な存在感の鳴き声だろう。
空間を作り出す力がある。
だからこそ「閑古鳥が鳴く」なんて表現があるんだね。

もちろんそれは、停車駅から聞こえた階段位置を示す盲導鈴だったのだけれど。

見えた森にぴったりの写真を探したけれど見当たらない…

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oiharamumay at 23:44|Permalink

2017年12月11日

アヴェ・マリアに溶けた

週末、初めて入ったカフェの時間が美しくて楽しかった。
カフェに流れていたアヴェ・マリアには、凍りがちだった気持ちが溶かされたなあ。
ウインナ・コーヒーのクリームも純粋で優しかった。

共感から何かが動き出したり感じ入ることなんて、もうないかと思っていたし、過去のそれも勘違いで本当はただの勢いだったのかも、なんて思い始めていたけれど、その店ではそんな共感がありました。
気持ちが動いた時、それを勘違いにするのも、しっかり掴んできっかけとして育てるのもきっと本人次第なのね。

この夜掴んだものを育てよう。

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oiharamumay at 18:25|Permalink

2017年12月10日

映画 IT 恐怖と対決する物語が好きだ

映画 IT を観ました。

今回の映画は原作とは時代やその他色々違っているのですが、にもかかわらず、本で読んだ世界が雰囲気良くそのまんま映像化された感じでした。

むしろ時代設定が変わったとも感じないので、変えなくてもよかったのでは?
自転車好きとしてはシルバー号は少し気になった。
この子随分ビンテージに乗っているなあなんて。

ITの描写だけが自分のイメージと違った。
恐怖は人それぞれだもんね。
誰のイメージにもつながる恐怖の表現だと思えば、納得出来る。

キャスティングは完璧。
特に15歳のヒロイン、ベヴァリーは少年たちの懐かしい風景の中で輝いていて絵になっていた。

ラストシーン近くで随分泣いた。
とにかくキングのファンとして満足。

恐怖は見つめれば見つめるほど大きくなって襲いかかるよね。
子供の頃のどうにもならない恐怖や憂鬱と、人は大人になる過程で向き合って対決し乗り越えたりやり過ごしたりする。
ところが実は、そんな少年の日の恐怖と、大人になってからまた対決すべき時がやってきたりもする。

恐怖や絶望と対決し闘う姿には、共感し、感動する。
自分も雄々しく闘わねばとも思う。
そんな風に思えるホラーって、ありそうでいてなかなかないのだ。
やっぱりキングが好き。

写真は道端の可愛い落し物。
持主に見つけてもらえたかな。

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oiharamumay at 23:42|Permalink 映画的要素