2017年05月20日

雨の日だから 晴れだから

今日の午前中は心ゆくまで眠るぞ!と思っていたのに、いつもの時間に目が覚めて雨戸を開けたら眠くなくなってしまった。

青空がいけない。
青空は怠けたい者の敵だ。
動きたくなって困る。

とか言いながら雨の日も。
晴れたら気持ちがそわそわするが、雨の日だから落ち着いて出来ることや行ける場所がある。

先週の雨の日、気まぐれに見たソール・ライター展がとても心地よくて、写真を撮ることが苦手という長年の思い込みが溶けました。
雨じゃければ、全然知らない写真展にポスターの印象だけで行ったりはしない。

ずっとその時々の自分の気持ちに素直な写真がうまく撮れない気がしていたけれど、ソール・ライターの写真を見たら存分にやればいいって気がしてきた。
素人がプライベートに楽しむ写真撮るだけなんだから当たり前なんだけれど、素人で凡人であればこそ「写真はこうあるべき」みたいな気持ちに縛られがちなのかも知れない。

写真は発見
絵は創造

という言葉も、彼の写真を見てから読むとすんなり気持ちにしみこむ。

ソール・ライターはファッション・カメラマンとして大成功しながら商業写真の世界から退き、個人的に撮り続けた作品集で再び脚光を浴びたという人。
商業写真もその後の写真も私の目にはどちらも心地よかったけれど、彼にとって商業写真はあまり意味がなかったようです。
そして彼はボナールが好きで、彼自身も絵を残している。
彼の描いた絵や、撮った写真に加筆した作品が、私にはこの上なく魅力的で刺激的でした。

ところで、モノクロからカラー移行期の作品展を見ながら考えたのは、フイルム時代とデジカメ時代の写真の違いです。
それから、子供の頃、限りあるフイルム数で何を撮るのか迷い考えていた時のことを思い出しました。

あの頃、遠足のスナップ写真を見る時、どきどきわくわくしたこと。
1枚1枚の写真の持つ存在感、重みが今とは違っていた。
今が軽いとは言わないが、質の違いは強く感じる。
一瞬ぼんやりと、フィルムのカメラが欲しいなあと思ったりした。一瞬ね。

傘好きなソール・ライター。
Bunkamuraを出たらまだ雨模様だったので、自分も傘を撮ってみた(笑)
今日からやってる映画も観たいな。

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oiharamumay at 10:08|Permalink

2017年05月04日

あの日のつづきの今、今のつづきのいつか

2011年7月14日、ライブカフェ弁天で私は大変みっともないライブをした。
みっともないのはいつものことだとしても、この日は史上最悪。
歌っている途中で曲を忘れ、ついに思い出せなかった。
その日はしかも私の企画ライブイベント第一弾だった。
その上アルバムを引っさげて出演してくれた阿部珠美さんのサポートで、ショーロクラブの沢田ジョージさんもいらした。
その時全く自覚していなかったけれど、かなり緊張していたのかもしれない。

ステージの上で、曲が思い出せなくてもうダメだと諦めた時、イベント企画者としてはとにかくお客さんに今この瞬間を含め楽しんでもらうことだ!と思い、その曲の代わりにじぶんが音楽以外に愛しているもの…サイクルロードレースについて話した。
ちょうどその日は自転車仲間も見に来てくれていたので。

その日終演後、ジョージさんに声をかけられた。
なんと!
ジョージさんもロードレーサーに乗っていた。
彼も自転車を愛する人だったのだ。

さらに私の音楽のふるさと中野ちむ屋の常連であることもわかり、後日ちむ屋で会うことになった。
何がどう繋がるかわからないなあ。
ひたすら感動してしまった。

ちむ屋でジョージさんとお会いした時、ジョージさんは同じく常連のロードレース・ファンの二人に引き合わせてくれた。
その後ずっとその二人は最高のレース観戦仲間。
グランツールTV観戦も彼らの家に押しかけて、ワイワイやるのが楽しみ。

昨日、誕生日の母の家にいたら二人から連絡があった。
何かと思えば、今日これから婚姻届けを出すって。
光栄なことにそれについてちょっとたのまれごとをした。
二人は母の家に来てお茶を飲んで行った。
そこに二人がいることは、とても不思議な光景だった。
母の誕生日と二人の結婚の日。
すごく地味な台所で、静かに祝いの日の幸せが輝いていた。

みんな2011年のあの日、私が曲を途中で忘れなかったら起きなかった、出会えなかったことなんだなあ。
だから曲を忘れてもいいってことではないけれど。
失敗をできる限りの最良のものに変えることはできるのね。

これからも失敗したら、最後まで未来につなぐ努力をしよう。
今のつづきのいつかの日に向けて。


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oiharamumay at 14:00|Permalink

2017年05月01日

なぜか笑ってしまう

筋肉痛でおはようございます。
ゴスペルシンガーのHalさんのマネをして、プランクチャレンジを始めました。
以前体幹トレーニングの本を買って始めた時はメニューを色々あって面倒で続かなかったけれど、プランクだけなら単純で続けられそうな気がする。

そう思っていざチャレンジしたら、ものすごくきつかった。
そして筋肉プルプルしながらストップウオッチを見ていたら、なんだかやたら笑いがこみ上げてきた。
体が鈍りすぎていることが可笑しかったのか、負荷をかけることで脳内に何か出てきたのか、とにかくすっかり陽気な気分。
筋トレハイ?
アドレナリン?
理由はわからないけどやたら楽しい。
これなら続けられそう。

体に負荷をかけた時の反応や結果が興味深いように、心に負荷をかけた時のそれらも悪いことばかりじゃないのかもしれない。

なんて考えながら、午後は藤の花を見に出かけた。
美しい季節だ。

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oiharamumay at 07:34|Permalink

2017年04月23日

からげんきに見えますか

このところ文のトーンが暗いでしょうか。
音に例えるとマイナーコード。
世界は新緑、空は青。
色合いは曇天にソメイヨシノより明るく鮮やか。
なのにいまひとつ元気が出ない。
自然体がいいねと言うなら、しおれた菜っ葉のように過ごせばいいのだろうけど。
本当にそれがいいねと思えるか。

無理しないのもよし、するもよし。
正解は時により人により。
とにかく今は走りたい。

スカルポーニが交通事故で亡くなってしまいました。
驚いて言葉も出ない。ショックです。
自分で意外なほど色々思いが尽きない。

言葉に出来るのはただ、走り続ける全てのみんなの道が無事でありますように。

好きな選手が、かの人があの人が、君があなたが今走っていると思うと痛い体も動くだろう。
痛い心もあたたまるだろう。
大好きな演奏をする音楽仲間からラインがきて、曲を作っていると書いてあったのを見て少し元気が出たよ。

うまく元気がでなくても、無理しても不格好でも空元気でも、元気にやりたい時がある。
やりたいことを。

去年まで通勤したこの街の風景が、さらに前の記憶のようにはかない甘さを取り戻して見える。
けれど通勤した頃お昼休みを過ごしたカフェの、ほっとする空気は今でも変わらない。

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oiharamumay at 18:38|Permalink

2017年04月20日

かくれが

癒しの隠れ家だったお店が来月閉店すると知り動揺を隠せない。

常連という程通えなくても、自分の中では特別な場所。
そこで会える人たちも特別だし、お店自身も人みたいに感じている。

人間みたいに思えるお店は、今までいくつか出会った。
そこで出会えた人たちとはその後も会うことがあるけれど、その店でなければおそらく全員集まっても1人足りないような気がしてしまう。
座敷わらしみたいだね。

店が私を人と繋いでくれていたことを、後から気づくこともあった。
店がなくなって切れてしまう縁もある。

何かに繋がれた縁が、何かが不在になった後も続けばいいなあ。

閉店前になるべくたくさんあのお店に会いに行きたい。

(何かと擬人化したがるのは感傷的な人間の悪い癖かもしれないけれど…)

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2017年04月19日

せめて野に咲く花のように

毎朝の謎。
ラッシュの通勤電車にて。

私は本にはさまったしおりみたいに身動き出来ないというのに、どうして私の周りの人たちはスマホでゲームをしているのだろう。

私が植物なら押し花になりそうよ。
もしみんながスマホ見るのやめてくれたら、道端の野草ぐらいにはなれるのに。
踏まれたりひしゃげたりしつつつも、もう少し楽になるはず。

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oiharamumay at 08:47|Permalink

2017年04月16日

春の夢


あの子が欲しい
あの子じゃわからん
この子が欲しい
この子じゃわからん

「35歳位までをイメージしています。経験者歓迎。」

「若くない」女性向けな話題。
それでもって別にキラキラしない、ただのおしゃべりです。
誕生日過ぎたばかりでふさわしい話題。
まずは就活の話からスタート。

就活中は、求人票を見ると年齢不問と書いてあっても応募したいと電話をすると「35歳位まで」という答えが多くてエントリーすらなかなか叶わなかった。
企業の言い分は色々。
こちらの反論も色々。
建前と本音は語り尽くされているし退屈だから省略。

断られ続ける内にどうしても煮詰まる。
煮詰まって疲れると負の言葉を己の胸の内に見つけてしまう。
見つけたら見つめちゃって、見越し入道現る。
(私の好きな妖怪のお話ね。見上げれば見上げるほど大きくなる妖怪。なんてうまい比喩のお化けなんだろう。昔の人もこんな比喩で自分の感情とつきあったのかなーと思うとなごむ。)

誕生日がくるほど、社会から「いらない」って言われるみたいな被害妄想に陥る。
いやいや歳を気にした時点で負けてる…
なんてぐるぐる考える就活中の「若くない女性」は多いはず。
女として見られるのも35歳までとか、よく見ますが就活の方が深刻よね。

ニュースでも見ようかとつけたCATVのCMは延々と若返り化粧品やサプリのオンパレード。
そんなに誰もが若さを求めてますか。
若さが好きですか。

ところで女性の皆さん。
理想の女性像は自分より年下?年上?
無茶で雑なたとえだけど、ガッキーに似てるって言われるのとモニカ・ベルッチっぽいねと言われるのと、どっちが嬉しい?

つまり。
自分より若い人が理想って人はいるのかな。
私の理想や憧れに近い女性は自分よりも年上なんだけど。

若さでなく美しさに憧れる。

長文書くまでもなく、美と若さはイコールじゃない。
美はどんなものにも見つけ得る。
枯れた花にも朽ちた建物にも、ふとした目線で美を見つけかねないのが人間。
美しさはありようだったり、動きだったり、あらゆるものであり得る。

そして若返りサプリのCMに醜さを感じたりもする。

美の価値観、年齢の価値観。

もっと歳をとると、高齢者は部屋を借りるのも断られることがあるって知ってた?
人間は歳をとった人間になんと残酷なのだろう。
自分も毎日歳をとっていくのに。

歳をとることをやたらポジティブに「楽しみ」とか言うのも好きではない。
ただ、美と若さは分けて考えたい派です。

就活はその後良い会社と出会えました。
クリエイターでアーティストである会社の大ボスが書いた本を読んだら、50歳を少し過ぎた頃、やっとその仕事が見えてきたと書いてあった。
創造する者に歳は関係ないと…もちろんだ。

「若く見える」が唯一の褒められ言葉なんて人間にはなりたくないものね。
歳の話なんか思い出させない位の生き方をしたいわね。

なんて書いてたら、シューベルトの「春の夢」が頭の中に流れてきた…。

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oiharamumay at 00:06|Permalink

2017年04月12日

水の中を走る夢を見ますか

毎日が新しいことの連続で、時間の感覚がなくなってる。
プールの中を走っているみたいに速度も重力も距離もおかしい。

特別なものではなくとも、新しい気持ちで出会うと心によく響くものですね。
国立競技場駅前の風景も、永田町で見た白い鹿も、やけに鮮やかでした。

鹿は後で調べたら剥製を3Dスキャンして作ったものらしい。
3Dスキャンのアートの受け止め方はまだ慣れない。
鹿を無機質な材料で生き生きと表現するアートには慣れている。
それが剥製という「死」をスキャンした作品だと知ると、何が表現されるのかなとかややこしく考え始めてしまう。

考えちゃいけないんだよね。
何も知らずに見たままの印象で、感じよう。

スタートを間違えたくなくて何かと慎重に考えすぎてしまう。
昨日はちょうどよく頭を空っぽに楽しめました。
思いがけず野球を観に東京ドームへ。

突然仕事場で「行く?」と聞かれて、好きなカープの試合だったから「行きます!」と即答。
初めてのひとり野球観戦。
だがしかし座席は一塁側。敵地。
緊張する…かな?

結局ひとりでも全然問題なかった。
楽しかった。
シンプルになれた。
リフレッシュしてまた、今日も明日も新生活という液体の中を頑張って走ろー。

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oiharamumay at 22:20|Permalink

2017年04月06日

険しい道

新しい仕事場に通うようになって、最初無意識だったけれど大きく変わったことがふたつあります。

ひとつ。
緊張のせいで花粉症がピタリと止まった。
週末リラックスすると思い出したように始まるのね。

ふたつめ。
iPhoneの示す1日の「上った階数」が前の通勤の頃の4〜5倍になった。
これは職場が5階にあることと、地下鉄の中でも最深と言われる大江戸線を使っているせい。
それぞれエレベーターやエスカレーターはあるのですが、待ったりそこまで歩いたりするのが面倒なことが多くて。

軽い気持ちで上るけれど、案外5階まではきつかったり、1日の終わりには脚が筋肉痛気味。
上りだけでなくヒールだと下りもわりと脚力使うよね。
これを積み重ねたら何かが少し変わるかも。

しかし、もし自分が足腰にトラブルを抱えたら?と思うと、都心の高低差、上り下りは随分険しいものだなと痛感します。
今朝は何の塩梅か左膝が痛いわ…

新しい風景と毎日出会えます。


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oiharamumay at 07:49|Permalink

2017年02月10日

まだまだ真っ白なページ

80パーセント比喩的な話。

コートを脱いだ時の軽さが最近心地良い。
これは春の気配のせい。
真冬なら服を脱ぐと一瞬心細い。
「動けるぞ!」と強気になれたら春のはじまり。

重たい服、持ち物、重い体(脂肪?)。
脱ぎ捨てたいと人は言う。
手放せば心も動きも軽くなるからと。

言葉もそうかもしれない。
美しく適量の言葉は、大切な場面である程残念ながら難しい。
言葉が多すぎて自ら重苦しくなり、打ち消したくてさらに言葉を重ねて…自爆。

捨てろ、減らせ、軽くしろ。

けれど削って捨ててからっぽにしただけの部屋や白紙のノートは、望ましいとは言えませぬ。
それはただの通過点。

身につけたことのある1番重い服は日本舞踊の藤娘の衣装だった。
裾の長い早変わりのある二重構造の衣装で、かつらもひたすら重かった。
けれどもそれを身につけて、たおやかにふわり軽やかに踊ることは出来るはずなのよね。
当時の私には重過ぎたけれど。

結局軽快さはそれぞれの体力である。
己に見合った量以上を持たないことも大事だけれど、目指す道のりを歩く(走る)ために「体力」をつけることはいつも考えていたいな。
走りながら鍛えられることもあろうよ。

言葉もまた。
清らかに口をつぐみつづけても世界は変わらない。
言葉を精一杯探して。
届け、伝われと思う時には、自己満足と伝えるべきことを間違わずに。

今手元には白いノート。
そして日々、言葉を重ね過ぎて失敗の気配。
美しく黙るべきか。
口を開くべきか。

白いノートを文字で埋めろ。
それが人生よね。

雇用問題について口を開いたら止まりそう…。


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oiharamumay at 01:30|Permalink