2016年09月26日

秋は夕暮れウォーキング

彼岸花の紅が鮮やかな盛りもそろそろ終わりか。
夜気は甘く、霧雨は優しくなってきました。
時折激しくも降るけれど、昨日は少し晴れて暑かった。
池の周りを歩いて夕景色を楽しみました。
ウォーキング7キロ。

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鬼の9月も終わり。
私は先週で一区切り。

しんどかった最後の山場で、私と同じ名前の土地を通りかかった人から写真が送られてきた。
全国あちらとかこちらとか幾つかある地名なのね、真弓。
古い由来の地名が多いみたい。

よその土地からのリアルタイムの写真を見たら旅したくなった。
目の前のことにキリキリ舞いしている視野をリセット。
目の前のことも切実で、決して小さくはないけれど全てじゃないさ。

我が家の私以外の真弓…盆栽は、花咲か爺さんから戻ってきたらまた少し元気をなくしていたので、外に出したら元気になった。
室内の人工的環境よりも外の自然ですね。
盆栽と言わず大きく育てたくなってきた。


目標に向かって直進する人もいれば、直進したいのに螺旋を描く人もいる。
いずれにせよ、立ち止まっても同じ場所に居続けることはできないんだなー と思った9月でした。
後何日かあるけれど、私はもう9月はおしまいにしようと思う。

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oiharamumay at 08:45|Permalink

2016年09月20日

霧雨の道

先週は無理した結果、胃痛や目眩でダウンしたりしてました。
原因も自覚があるし、すぐ病院で薬をもらい、あとはひたすら眠り姫。

しかし眠っても悪夢ばかりで両手握りこぶしでの目覚め、肩はこりすぎの痛み。
とにかく今の自分には良質の睡眠とリラックス、そして血行を良くすることが大事なのだ!と思い、今日は少しジョギングの真似事をしてみました。

歩いていても車酔いみたいでだるかったのですが、ゆっくり走り出してみたら歩くより楽なことを発見。
テンポというのもあるかもしれない。
早歩きは出来ないのに、早歩き位の速度で走ることは出来る。

どこまでもいつまでも進める速度が良いみたい。
秋の涼しさも良いのでしょう。
途中から霧雨の中、川沿いをゆっくり、肩の力をぬくことを一番に考えながら走りました。

川には鷺、ゴイサギ、カルガモ、ハクセキレイ、咲いているのは紫の菖蒲?
美しくて楽しくて、池に着いたら蓮がまだ少し咲き残り。
そんな景色も効果的。

池の弁天様は大好きな江ノ島の弁天様由来だと今ごろ知りました。
女神でしかも琵琶を持つ音楽神の弁天様ですもの。
何か気持ちもしゃきっとします。
以前何度も企画をさせてもらったライブハウスの名前も弁天だったし…。

帰路の川に、鮮やかな瑠璃色が閃き羽ばたきました。
翡翠。


歩くよりゆっくり走ることが出来るなんて知らなかった。
嬉しい。
速度はその時にふさわしければ良いと思う。

自分を痛めつけるような走り方だけはしてはいけないんだと…痛感。
それは自分と闘いながら頑張って走ることとは違う。
むしろ逆のことだと思う。
「自分のために走る」ということを、いつでも見失わなければ大丈夫。

走ることっていうのはもちろん、全てについての走ること。

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oiharamumay at 00:44|Permalink

2016年09月12日

またね

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余裕。ゆとり。
ありすぎてもいけないけれど、無いと本当にだめだ。
ろくなことを考えない。
発する言葉もろくでもない。
とても人にはお聞かせできない。
話さない方がいい。

それでも、行きたい方向を言葉にすることは、ただの悪あがきでも、しないよりマシ。
遠い昔、言葉に出したからこそ動き出して実現できた頃があったから。
今はもう言葉の力を失ってしまったかもしれないけれど、別の使い道もあるし。
言ったからにはやらねばならぬというやつね。

真実だけを紡いで出来るだけ澄んだ言葉で。
大切なのはそれだけだ。

それが苦しみや嘆きに満ちた言葉でも、いつの時代もそこから詩が生まれ、歌が生まれてきたのだから。


そんなことを考えながら、ビアンキカフェに行った。
なかなか行けないでいる内に、今日で食事のメニューはおしまいになってしまった。
改装後は飲み物とデザートだけの小さなカフェになるとのこと。

時間はまだあると思っていても、本当は無いのよね。

それでもまだ
「またね。」
と言える。

言えるうちにしっかりしたいね。
じゃあまたね。



oiharamumay at 00:59|Permalink

2016年09月04日

ストレスをありがとう

人間的、社会的な猛烈なストレスを受けた夜、1日中ダークサイドの感情の津波に溺れたその後で。
ようやく。
限界と思えた後、ようやく。
またあの「最後のスイッチ」が入りました。

人はこれを開き直りと呼ぶのでしょうか?
それってあまりにも明暗激しい。
本来開き直るってこれほどギリギリで激しいことなのかしら。

気力を使い切った後、別の場所から段違いに大きな気力が湧き上がり、全く関係ないのに大きな創作意欲まで湧き上がる。

今までも何度もこのスイッチに助けられた。
自分はそれを持っていると思うことが、自信になるのかしらね。

神様?
あの最低な登場人物による最低なストレスをありがとう。

私は強くよみがえっちゃったよ(笑)

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oiharamumay at 15:26|Permalink

2016年08月19日

花火と流星

猪苗代3日目の夜。
初めて夜空の雲が晴れた。
ちょうどその日はペルセウス座流星群の極大日だった。

天の川の見える空に、明るい大きな流星がいくつも飛んだ。
痕が残るものもいくつも。

高校時代から見ているけれど、こんな空に恵まれる日は滅多にない。


星を身近に見ていると、天気に恵まれなくてもめげなくなる。
晴れると自然の巡り合わせに心から感動する。
空気、温度、地形。風。
天気を作る諸々と、流星を見せる天体の諸々とを想いまくるので、想像力も鍛えられる。

4日目の夜は猪苗代の花火大会だった。
会場にはさほど近づかなくても、あたりは田畑しかないのでどこからでも見える。
むかしむかし喜多方のはとこ達に連れられてそうしたように、適当な田んぼ道に車を停めて見た。
みんなそうしていた。
喜多方で見たのと同じ、派手さや迫力とは違う、果てしなく趣深いお盆の花火だ。
秋の虫が鳴く道に、時々花火の音が響くのだった。


流星群と花火は対照的でいて少し似ていた。
それらは非日常のようでいて、こちらが「本来の世界」なんだなって。思い出した。

今回、流星の写真は撮ってない。

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oiharamumay at 20:51|Permalink

2016年08月18日

17000歩

猪苗代3日目。
湖を目指して歩いた。
この辺りの人は歩かないらしい。
みんな車なので歩道を独り占めした。

いつも通る真っ直ぐな広い道から
斜めに伸びる小さな道を進んだ。
道の入り口に道祖神。
こちらが古い道だ。
道沿いに古い祠や石碑が時々ある。
用水路にたくさんハグロトンボが飛んでいた。
歩くだけで歌のような美しい道だった。
畑にいたおばあさんとこんにちはを交わした。

道を抜けると突然観光地。
リニューアルしてグッドデザイン賞を取ったという野口記念館は、親子連れで賑わっていた。
人気は野口博士のロボット。
まばたきまでリアル。
展示は梅毒スピロヘータと黄熱病をポップに紹介している。

私の好きな、隣の民族資料館にはお客さんがいなかった。
ひとりで江戸時代の建物に入ると、建物のあちこちで説明の録音が響いているのが映画インターステラーを思い出す。
村の掟にそむいた人をかくまった小部屋とか、外から槍で襲われないように作った廊下とか、都内では見られないものばかりで当時を想像できてぞくぞくする。
何故こんな面白いものを見ないで梅毒スピロヘータに観光客が集中するのか不思議としか言えない。
そりゃ向こうの方が建物が新しくて綺麗だけどさ…そりゃ古いよね。江戸時代だもん。

ペンションのオーナー夫妻にあとで話したら、リニューアル後の野口記念館には行ったことがない、スカイツリーにはもう2度も行った、と言われた。
私はスカイツリーは行ったことありません、そんなもんですよね〜と笑った。

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oiharamumay at 09:03|Permalink

2016年08月17日

青空に汽笛

この迫力。
汽笛と蒸気、
ドッドッドッドッ と走り出す音
煙…

これだけのものに鳥肌。
心底痺れる。
心の震えはしばらく止まらない。

蒸気機関車を最初に走らせようとした人は凄いな…
なんて美しいんだろう。

喜多方でC57 180を見た。
今スマホの壁紙はこの写真です(笑)

圧倒的なものを見る幸せ。

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惚れすぎて帰る日にまた見に行ってしまった。

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oiharamumay at 22:41|Permalink

ブロンプトンで1日中

2日目はブロンプトンで1日中
喜多方から熱塩加納村へ、また喜多方へ、
あっちへこっちへ走り回っておりました。

行くたびに桐の下駄を買っていたお店が無くなっていたのは残念でしたが。
いつも行くラーメン屋は長蛇の列で断念。
適当に入ったお店が素朴に喜多方ラーメンだったので満足。

それにしても自分の力でペダルを回して進むという単純なことが、これほど自分を元気にするとは。

人の元気は照らされるよりも自家発電
という言葉がやたら頭に浮かぶ。
正しい表現かわからないけれど。

だからみんな走るのね〜
だからみんな歌うのね〜
いつか友達と、人には太陽のように発光する人と、太陽に照らされる月のような人がいる、という話した。
太陽はほんの一握りの人。
殆どの人が、あなたも私も月。

その時はそうねと思ったけれど、生きるという現象は、ほんの僅かでもやはり自ら発光するようなものかもね、と今は思う。



シンクロニシティ。シンパシィ。
人は踊り続け、走り続け、歌い続け。

走らなければどこへも行けず
辿り着かず。
辿り着いた場所が最初に描いたものと違っても。
走ることや歌うことは生きることなので
生きることをやめるわけにはいきませぬ。
明日もいっそう走りましょう。
歌いましょう。

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oiharamumay at 08:40|Permalink

2016年08月16日

蛙の時間

山の日が出来たおかげで休みがとれて、猪苗代でのんびり過ごして来ました。
猪苗代湖も会津喜多方も8年ぶり。
いつもお世話になるペンションのオーナー夫妻と積もる話などしながら、親戚の家みたいな気分の夏休み。
朝晩は自炊でおひるは毎日喜多方ラーメン。

久しぶりのペンションの西の窓には、8年前と同じようにちゃんと蛙がはりついていた。
壁にも蛙。

世界は変わって行くんだな
あったものはなくなっていくんだな
そんなことばかり最近見ていた。

蛙くんたちに会えて嬉しい。

過ぎた時間や諦める勇気とやらを
拡大して美化する風潮はないかい?
ケロ?



1日目。
猪苗代湖を眺めてそれから天鏡閣。
静かに美しい有栖川宮威仁親王別邸。

美しく存在する場所では、自分なりにふさわしくありたいと憧れる。
内面的なこと、フィジカルなこと、それに身支度なんかもふさわしく。
表参道での身支度よりも、湖や山のある町の身支度の方が自分には気持ちがいいみたい。
仕事用ワンピースより、本来Tシャツにカーゴだったんだなあと。
懐かしい自分に会った気持ちよ。

今年は熊が多いらしく、猪苗代に着いて初めに買ったのは熊鈴でした。
音はさほど大きくなくて、鞄の内側につけていると風鈴みたい。
可愛いリリン…リーンという音と一緒の旅。

今、日常に戻って通勤電車だけれど、鞄の中で熊鈴の音がしないのが、なんだか物足りない(笑)

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oiharamumay at 08:54|Permalink

2016年08月08日

音の粒を撫でたい

先日、11ヶ月ぶりにアミリンさんに会えた。
アミリンさんは本を2冊貸してくれた。
その内の一冊が「羊と鋼の森」だった。
「メイちゃんが絶対自分で買わない本」
とアミリンさんが言った通り、
もし貸してもらわなかったら読まなかった。
心から感謝です!
読めて本当によかった。

主人公は駆け出しのピアノ調律師。
音を調律すること、プロの奏者を目指すこと、音楽そのもの、人それぞれの問題などが、彼の見える範囲で静かに丁寧に物語りされるので、音楽に愛される人達も音楽に片思いする私のような者も、心地よく読める本だと思います。

読み始めは少し村上春樹を思い出しすぎて気になったけど(双子登場を含め)読み進める内に気にしなくなった。
音楽を語ったり音楽家の登場する小説は大体好きになってしまうから贔屓目もあるかしら。
(しかしなぜかロードレースの物語は共感できないのが多いわ)
若い調律師の目に見えている世界、というのがとても素敵。
初めて見るものへの新鮮さ、純粋さ、感動を一緒に味わえるし、まだ見えないものもあるし、見たものの意味をはかりかねることもあるし。

どこにでもいそうな嫌な先輩が読み終わる頃にはちょっとお気に入りになってた。
それだけでも面白い本の証拠よね。
感想、レビュー、うまく書けない。

読書はとても個人的なものだから人にはなかなか本はすすめられないのだけれど、さすがアミリンさん。
ぴたりとはまりました。
やる気の出る本でした。

このところちょっと痛いところがあって検査することになり、この本は土曜日の病院の待ち時間で殆ど読めた。
読書はやっぱり旅ですね。
病院へ行く以外大したこと出来なかった週末なのに、遠くへ旅した気がします。


たとえ形が変わっても
少しでも魂が触れた人や物事とは
大切に繋がり続けようと思う。
想いは変わらず、全力で。

形。

関係、の形。
あなたや私の形。

形を持たなくなっても。

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oiharamumay at 00:07|Permalink