大分市議のぶろぐ

大分市議会議員 無所属会派 小野仁志(31)の日記

2010年01月

小野仁志とは?(3)  そしてキム ボギョン選手 加入決定!   

皆さんこんばんは。

突然ですが 
ついに、大分トリニータの背番号10が決まりましたね!
韓国代表のキム ボギョン選手。
なんと1989年生まれ(若っ!) 
いやぁ、信じられないくらい大活躍してほしいですね。

現在、韓国代表チームに召集されてるみたいで
日付で言うと今日から、チームを離れるみたいです。
ケガだけはしないで、帰ってきてほしいですねー。

キム選手、こんなコメントしてくれてます。
「何よりも大分は、
 Jリーグの中でも屈指の熱烈なサポータがいると聞いているので、
 サポーターの皆さんと一緒に
 素晴らしいサッカーができるように頑張りますので、応援お願いします。」

もちろんもちろん! 応援するよぉ!
ガッカリさせないためにも、めちゃくちゃ応援しますよねぇ!


一人で盛り上がっちゃってますが、
サッカーにあんまり興味無いなぁ・・・。という皆さん、
2010年は、ぜひスタジアムに足を運んでみてください。
よろしくお願いします。


さて次です。

今日も、やってきました。
シリーズ 小野仁志とは? の時間です。(3回目です)

八戸の部隊で勤務しはじめて、サイコーの親友と出会い、
どちらからともなく
「海外で、なにかやらかしたいね」
という話になり
めちゃくちゃ ワクワクしたとこまでが
前回の話でした。

僕たちは、まず先輩に相談しようということで
何人かの先輩に、僕たちの若き情熱を伝えました。

すると、先輩たちの反応は
「おれも昔は、同じ気持ちだった。わかるよ。」
といった感じ。
良き先輩に、感謝です。

ただ、もったいないぞということも言われたんです。

たしかに、やっとつらい3年間を耐え抜いてから
千葉、八戸という楽園にたどり着いたのも事実。

そして、少年工科学校の卒業生ということで
19歳やそこらで、一人前の階級をもらい(そういうコースなんです)
僕も、もったいないのは分かってました。

ただ
何年かして、いちばん下っ端の僕たちにも後輩ができて
「先輩、辞めたいんです」って相談されたときに
「おれもな、昔はな・・・」っていうのは、すごく嫌でした。

あの時、なんで自分は辞めなかったんだろう? 
と、後になって後悔することだけは嫌でした。
あの時の自分が、もし辞めていなかったら
きっと勇気が無かっただけだと思います。

もちろん、
辞めて後悔する結果になるかもしれないのも、わかってました。
「そうならないように、自衛隊で5年間鍛えられたんだ。 
 がむしゃらに、なんだってやってやる!」
と考えることにして、不安な気持ちを吹き飛ばしました。

とめてくれる先輩もいましたが
二人の決意は固く、依願退職の道を選びました。

ただ、
同じ部隊から、二人同時に辞めるのはイカンということで
僕が何ヶ月か先に退職しました。

ツチムラ君は、過去にタイに行ったり、
海外経験アリだったけども
僕は、一度も日本を出たことがありませんでした。

勇気を持って一歩踏み出したら、なにか良いことあるかな?

そんなことを考えながら、
僕は初めての海外生活にドキドキワクワクしていました。



そして僕は、ワーキングホリデーで
ニュージーランドに行くことに決めました。


それでは今日は このへんで。




ワーキングホリデー
(ウィキペディア)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%AA%E3%83%87%E3%83%BC

僕たちの国

皆さんこんばんは。
おのひとしです。

先日、こんなニュースを目にしました。
昨年の自殺者が、3万2753人で過去5番目に多かったということです。


僕は、パプアニューギニア(PNG)という国で
ボランティアをやっていました。
PNGは 日本のように便利でも、豊かでもありません。
そんな国で生活して、帰国すると日本のすごさに驚きます。

とても、戦争に負けてボロボロになった国とは思えないほど
今、僕たちが生活しているこの日本という国は
恵まれた環境であるといえます。

PNGの人は、僕たちに
「日本に行きたい。日本は素晴らしい国だ。」と言ってきます。

僕も、日本が好きだし、
良い国だよなー 日本に生まれてよかったなー
と思います。

でも、そんな国で生活してる国民が
毎年毎年、3万人以上自殺していきます。(いまのところ12年連続)

なんなんですかね・・・。
僕も、日本に帰国した時
日本のすごさを再確認する一方で
なんだか息苦しさみたいなものを、感じたのも事実です。

この毎年3万人という数字は
はっきり言って異常です。
自殺未遂を含めると、さらに数は跳ね上がります。
他の先進国と自殺率を比べても
異常な数値です。

自殺者を減らすことができない社会。
多くの人が便利に、豊かに、快適に生活する一方で
追い込まれた人間を、助けられない社会なのかもしれません。

これは、政治が解決に向けて動くべき問題だと思います。

PNGの友人にも
「そんなにいいことばかりじゃないし 
 PNGでのんびり楽しく暮らした方が賢いんじゃないかな。」
と言わなくていいように、
そして
胸を張って、日本サイコーと言えるように
がんばっていこうと思います。

それでは。

小野仁志とは?(2)

こんばんは。小野仁志です。
今日も前回に引き続き 
もう少し 僕のことを知っていただきたいと思います。
よろしくお願いします。

さて前回
自衛隊に入隊したとこまで
話は進んでいたと思いますが。

その少年工科学校っていうのが
かなり ハードだったんですよ。

みんな 
めっちゃ短いスポーツ刈りの頭で
てっぺんに なんか のっかってるみたいな感じで
お寿司 みたいな頭で

先輩とかも 筋肉モリモリで
めちゃめちゃ怖くて

先輩には「ごくろうさまです!」と
敬礼を忘れることを 許されず

男だらけの10人部屋で プライベートまったくなしの 青春時代。
とにかく厳しい厳しい 3年間・・・。

なんだか 苦しい思い出もたくさんありますが
それでも その苦しさが
自分自身を 成長させてくれたんだと思います。
大好きな母校です。

卒業のときの なんともいえない達成感と 開放感。
そして 苦しさをともに乗り越えた仲間との別れ。

もっと この学校について
詳しく知りたい人は こちらをどうぞ。
(ホームページ)
http://www.mod.go.jp/gsdf/yt_sch/index.html

(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%91%E5%B9%B4%E5%B7%A5%E7%A7%91%E5%AD%A6%E6%A0%A1


少年工科学校を 卒業すると
いくつかの 学校に分かれて 
部隊で勤務するための 
専門的な知識を 1年間勉強します。

僕が進んだコースは
千葉にある高射学校というところです。

地上から 
空のミサイルや飛行機を攻撃するような
簡単に言うと そんな部隊で仕事するための
勉強をするんです。

そしてその後
第五高射特科群という
青森県の 八戸市にある部隊に勤務します。

ここで僕は
最高の親友と 出会うことになります。
ツチムラ君という男です。

実は 彼とは
少年工科学校の同期で
ずっと一緒に 部隊まであがってきたのに
あまり話すきっかけが なかった感じでした。

ところが
八戸の部隊に配属された日に
二人部屋の おんなじ部屋に
たまたま 入るように決まってたんです。

大体みんな
先輩とかと同じ部屋で
どきどきしながら 生活するんでしょうが
僕たちの部屋は
お互い同期ということで
かなり開放的でした。

音楽かけようが
夜中に酒飲もうが
みんなで映画みようが
タバコ 吸おうが
ヘンなポスター 貼ろうが
天井からなんか つるそうが
モー娘どんじゃら やろうが

なんでもOKで
同期のメンバーの たまり場的な感じになってて。

とにかく
仕事は仕事として
一生懸命やりながら
遊ぶときは めちゃめちゃ遊んでました。

とはいいながら
なんだか
仕事のほうは
僕の担当の装置は
あまり 修理いらずみたいな感じで
エラーを 感知したら 
自分で反応して きちんと正常に戻るみたいな感じで
かなり性能がよくできており

整備士の僕としては
仕事に関しては
アイデンティティを
見出すことができずにいたわけです。
ー僕は何のために? となるわけです。

その反動からか
僕たちは 自衛隊以外の部分で
自己表現や 自己主張というものを繰り返して

二人で
ヒッチハイクしたり
路上ライブやったり
バイクで日本縦断したり
映画を撮ってみたり
ラジオを録ったり

なんというか
若者の衝動です。
なんかやりたい!
やらかしてみたいんだ!
みたいな感じだったんでしょうかね。

そんなことして
いろいろ遊びました。

そして
ふたりで
よく話をすることもありました。

いつかは
はっきり覚えてないんですが
こんな話になりました。

「二人で 外国に行きたいね。」
「いいねそれ。」





さて
ここからまた
僕の人生が 大きく動いていきます。

長くなってきたので
それでは今日は
このへんで。



小野仁志とは?(1)

2






みなさん、こんにちは。
この写真ですが。

昨日、天国をつくる男、
「てんつくマン」が大分にやってきました。
(もし知らない人は、調べてみてください。)

映画とトークの、二本立てのイベントでしたが
すごく、「よしっ、俺もやってやるぜ!」
という気にさせられる内容でした。


GetAttachment

こっちは、「あなたをみてインスピレーションで言葉を書きます」
という、書き下ろし。

僕も、書いてもらいました。
これで二回目です。

てんつくマンに もらった言葉は
僕に勇気をくれ
そして、僕をやる気にさせてくれます。

次に 会うときには
もっともっと、良い状態の自分でいたいです。

そしてどんな言葉を書いてもらえるか
もっともっと楽しみにしてみたいと思います。




さて。
時間のたつのも
あっという間で。

僕が初当選して
もうすぐ 一年になります。(2月22日で)

この一年、
ほんとうにまったく知らない世界に飛び込んだもので
慣れるのにも時間がかかりましたし
勉強しないといけないことも たくさんありました。

ただ、
「自分のことを知ってもらう」という意味で
もっと積極的に なってよかったのかなと
感じているところです。

そ・こ・で!

このブログで
大分市議会議員 小野仁志(28) ってのは
こんな 男なんですっていうのも
発信していきたいと常々思っていまして。

ということで
ちょっと 大げさにしてみましたが
シリーズ 「小野仁志とは?」の始まりです。 
(はるさん おまたせしました。)

この日記を読んでくれている方も
大分市議会議員 小野仁志(無所属)を
ドンドン いろんな人に伝えていただきたいと思います。
よろしくおねがいしまーす!

まずはじめに

みなさん 少年工科学校ってしってますか?
僕は、もともと陸上自衛隊に勤務していました。
中学校を卒業してすぐ入隊したので
15歳から 入隊したことになります。

15歳? と思うかもしれませんが、
さっきの少年工科学校というのが
神奈川県の 横須賀市にありまして

「自衛官になろう」と 
はやくも決断した中学校卒業したての若人が
日本全国から集まってきます。

まぁ 実際は
自衛官うんぬんよりも

都会に出てみたかったとか
勉強しながら お金がもらえるとか
親が 自衛官だからとか
軍事マニアだとか
高校を自主退学させられたとか(15歳と16歳に受験資格あり)

いろんな理由で
みんな進路を決めてきてるんですが。

僕の場合は
ただ楽しそうだったから ということになります。

ほんとは 
皆さんご存知
大分上野丘高校を受験したいと思ってたんですが、
三者面談で 見事に却下され
受験することすら 許されない状況であり

しまいには
「姉ちゃんも オギノ(雄城台高校)なんやけん
 あんたも オギノうけなさい」
みたいなこと 言われる始末。

なんだか
受けたい高校も 受けることすらできないという
なんともいえない 悔しさ歯がゆさを
今でも 覚えています。

そんな時 
中学生から自衛隊へのコースを知り
パンフレットを見て
なんか 全国各地の同い年の仲間が集まってくるの
めっちゃ楽しそうやな と思い
進路変更をしたところです。
(実際はパンフレットみたいな感じとちょっと違いましたが・・・)

一次試験 二次試験と無事クリアし
意気揚々と 横須賀に旅立った僕でしたが

待ち受けていたのは
とんでもない世界でした・・・。




さて
長くなってきたので
今日はこれくらいにしておきます。

次回の 「小野仁志とは?」 もお楽しみに。

それでは。







すごい雪の日。。

jpg210日の
消防出初め式にて
パチリ。






いやぁ、雪
かなりヤバかったですねー。
皆さんけがはありませんか?

つるっと すべったりしますからね。
気をつけましょう。


こんばんは。
大分市議会議員 小野仁志 (無所属)です。
実は、生まれは北海道です。
それでは今日も よろしくお願いします。


さて皆さん、
千代大海関が ついに引退を決めましたね・・・

僕自身、
自衛隊で横須賀にいたころ

千代大海関が、
初優勝した時のパレードがテレビに映ってて、

すごい人が集まってて
めちゃくちゃ 盛り上がってて
おどろいたのを
鮮明に覚えています。

感動させていただきました。
ありがとうございました。


さてさて
次に、トリニータの話。

みなさん チェックしてますか?
トリニータ応援募金の最新情報ですよ!

なんと、一か月たたないうちに
1,000万円を超えてきましたよ!

あわわ・・・
すごいことになってきやした。

選手の契約更新も
徐々に進んできているし

さらに盛り上がっていきたいところですね!



さて次に、
9日には 県の選管主催の
「若い世代による明るい選挙推進フォーラム」に
参加しました。

大学生が たくさん参加してて
いろいろ話す機会もあったんですが

やっぱり20歳とか 21歳とかって
やろうと思えば 何でもできる年齢というか

なにかに打ち込んで
チャレンジして 失敗して
それでもまだ やりなおせる余裕がありますよ
みたいな年齢だと思うんですよ。
だから うらやましくなっちゃいますよね。

それに
やっぱり若い人は
発想もちょっと違いますよね。
アイデアがどんどん出てきますもんね。

とはいっても僕自身 28歳なので
まだまだ踏ん張っていこうと思ってます。


さて次に

昨日は議会活性化推進会議がありました。

11月の
大分市議会 市民意見交換会のまとめとして
出てきた意見や アンケートを
1月中に公開できるようです。

気になってたけど
いけなかったんだよなぁ。という人 (いないかぁ)
もう少し 待っててくださいね。


さいごに

以前、いただいたコメントの中に
「議員になるまでのエピソードを
 日記に書いてほしい」

みたいなのがあったので

そういうのも
つぎから やっていきたいと思います!

2010年
新しい10年がここから始まるということで

自分自身
いち地方議員として
さらに充実していこうと
思います。

それでは


今年もよろしくお願いします。

みなさんこんにちは。
大分市議会議員 28歳 無所属の小野仁志です。

遅くなりましたが
あけましておめでとうございます。
今年もおろしくお願いします。

さて、2010年。
初当選してから、もうすぐ1年になります。
3月になれば、議員として2年目になり、
さらに進化した自分を表現していかなくてはいけないと
意気込んでいるところです。

前回の日記で
12月の議会での質問を
少し紹介させていただきましたが
長くなったので、途中までになってましたね?

今日は、続きを・・・
と、いいたいとこなんですが
市議会のホームページで 
録画中継が、ついにアップされたので
こっちで、ぜひ確認してみてください。
(下から7番目の 小野仁志 のとこクリックしてくださーい)

http://www.city.oita.oita.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AC020000&WIT_oid=icityv2::Contents::36242

ちなみに

1 大分市の将来について
 (1)市民協働のまちづくりについて
 (2)大分市自治基本条例について
 (3)情報公開について

2 大分市政とスポーツについて
 (1)大分トリニータについて

という構成で、
一問一答方式で 質問しました。

感想なんかがあれば、
ぜひ聞かせていただきたいと思ってます。


さて次に。
年も明けて
新年互礼会や、初せりといった行事に
出席していますが
1月9日(土) には
「若い世代による明るい選挙推進フォーラム」が
コンパルホール 3階 大会議室で開催されます。

1 選挙PRや政治に関わってみて思うこと
2 若い世代に求められていること

というテーマで
20代によるパネル座談会に参加することになってます。 

メンバーは
大分大学 B−net 代表 河野玄亮さん
APU BEPPoo! 代表 田村真理子さん
大分合同新聞政治部 記者 宇都宮祥恵さん
そして、自分の4人です。

13:00から15:30で
前半が パネル座談会
後半は ワークショップ となってます。

主催は大分県明るい選挙推進協議会です。
あまり硬く考えずに
この日記を読んでくれた方も
ぜひ足を運んでみてください。 
よろしくおねがいしまーす。


最後に
皆さんが気になっているであろう、
トリニータの話です。

前回の日記で書きましたが
12月23日に
大分市長をはじめ
市職員の皆さんとともに
トリニータ応援募金活動をやりましたが、
集まった金額を皆さんご存知ですか?

3箇所でやったんですが
あわせて 約80万円ですよ!
すごくないですか!

そしてさらに
サポーターの有志の方々も
同じ日に
街頭募金活動を実施していただきまして
そちらの金額が 約75万円!

1日で、これだけお金が集まるというのは
それだけ、トリニータが愛されているからだと
はっきり言うことができます!

また、サポーターの有志の皆さん
かなり、熱心に街頭募金活動されているようで
12月26日、 27日で
あわせて 約58万円もの金額になったようです。

さらに!
12月30日、 1月1日、 2日、 3日にも
サポーター有志の皆さんの街頭募金活動で
あわせて、約117万円も! 集まったようです!!

12月15日にはじまった
ホームタウン推進協議会による
トリニータ応援募金は
1カ月もたたないうちに
1,000万円を超えそうです!
(1月5日現在で 約914万円まできてますっ!) 

僕たちが 最初たった3人で始めた街頭募金活動が
もっと大きな波になるように
今また、個人的にいろいろ考えてます。

大分トリニータを
大分市民、大分県民が守る。
そのために みんなで助け合う。

この助け合う「チカラ」は
なにも、トリニータだけのことじゃなく
今、大分市がテーマにしている
「市民協働の待ちづくり」にも、
良い意味で、つながっていくんじゃないかと
僕は考えています。

そして、
大分市って いい街だね。
と、いわれる日が来るのを
僕は楽しみにしています。


それではまた。





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