2009年01月30日

苦しくても首切りせずガンバった「昭和の経営者」たち

財政が逼迫(ひっぱく)しても決して“家臣”のクビを切らなかったのは、直江兼続だけではない。昭和の経営者たちも、業績が悪いときでも雇用を守ろうと頑張った。たとえば、どんな経営者がいたのか――。経営評論家の針木康雄氏は、意外にも、派遣切りを真っ先にやったキヤノンにいたという。

「創業者の御手洗毅さんは実力主義と家族主義を旨として、社員を本当に大切にしました。週休2日制をいち早く導入したり、GHQという運動も進めた。これは“ ゴー・ホーム・クイック”ということで、残業しないで早く家に帰り、家族だんらんの時間を持とうと呼びかけたのです。家庭あっての仕事という考え方でしたから、一家を路頭に迷わせる人員整理を一番嫌った。息子の御手洗肇さんも遺志を継いで社長になりましたが、急死してしまう。その後釜がキヤノンUSAにいた、肇さんのいとこの御手洗冨士夫さん(日本経団連会長)。アメリカ流の利益第一主義、成果主義で、キヤノンの家族的な企業風土をズタズタにしてしまった」

 トヨタもかつて首切りは“禁じ手”だった。敗戦後、トヨタは銀行から融資を断られ、給与支払いもままならなくなり、さらに人員整理などもあって大争議になった。そんな中で経営を引き継いだ2代目社長の石田退三は「労使協調」を打ち出し、雇用と給与を保証、以後は一方的な人員整理も行わないことを基本方針としたのだ。

「古い話になりますが、松下幸之助も世界恐慌のとき、従業員の半減を進言する幹部たちを退け、“ひとりも解雇してはならない”“生産は半減させるが給料は全額払う”と宣言。従業員たちはこれに応えるため休日返上で在庫販売にあたり、フル生産に戻しました。

 リコーの創業者・市村清は“利益三分主義”を唱え、利益は社員と資本と事業改善のために三分して使うという経営をしたし、出光興産の創業者・出光佐三も多くの企業が人員整理するのを尻目に、決して社員の首を切ろうとしませんでした」(経済ジャーナリスト・松崎隆司氏)

 ところがいまはどうか!必要なときだけ派遣を使って儲け、苦しくなると派遣も正社員も切ってしまう。

「名経営者たちも毀誉褒貶(きよほうへん)はあったが、“会社は利益を出すだけでなく、社員の生活を守らなければならない”という帝王学を学んでいて、だから従業員も懸命に働いた。それを支えたのが終身雇用ですよ。たとえ業績が悪くなっても首を切らず、“社内失業”という形ではあったが雇い続けました」(針木康雄氏=前出)

 昭和の名経営者たちは「情けなや 後世の社長ども」と、さぞかし嘆いているに違いない。

oiuneuy at 12:02│Comments(0)TrackBack(0)clip!

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