岡本法律事務所のブログ

2019年05月

軍法会議では捜査段階では必要的弁護ではなかったようである。精神障害を疑われた段階で弁護人がついていたら、あるいはつく、という制度であったら、進行はかなり異なっていたのではないだろうか。


ウィキペディアよるインパール作戦の抗命部分抜粋

日本陸軍内の抗命事件

現状を正確に認識して、部隊の自壊を危惧した第31師団長・佐藤幸徳陸軍中将は、「作戦継続困難」と判断して、度々撤退を進言する。しかし、牟田口はこれを拒絶し、作戦継続を厳命した。そのため双方の対立は次第に激化し、1944年5月末、ついに佐藤は部下を集めて次のように告げた。

  1. 余は第三十一師団の将兵を救わんとする。
  2. 余は第十五軍を救わんとする。
  3. 軍は兵隊の骨までしゃぶる鬼畜と化しつつあり、即刻余の身をもって矯正せんとす。

さらに司令部に対しては「善戦敢闘六十日におよび人間に許されたる最大の忍耐を経てしかも刀折れ矢尽きたり。いずれの日にか再び来たって英霊に託びん。これを見て泣かざるものは人にあらず」(原文のふり仮名はカタカナ)と返電し、6月1日、兵力を補給集積地とされたウクルルまで退却、そこにも弾薬・食糧が全く無かったため[39]、独断で更にフミネまで後退した。これは陸軍刑法第42条に反し、師団長と言う陸軍の要職にある者が、司令部の命に抗命した日本陸軍初の抗命事件である。これが牟田口の逆鱗に触れ師団長を更迭されたが、もとより佐藤は死刑を覚悟しており、軍法会議で第15軍司令部の作戦指導を糾弾するつもりであったと言う。また、第33師団長柳田元三陸軍中将が、同様の進言をするものの牟田口は拒絶。これもまた牟田口の逆鱗に触れ、第15師団長山内正文陸軍中将と共に、相次いで更迭される事態となった。天皇によって任命される親補職である師団長(中将)が、現場の一司令官(中将)によって罷免されることは、本来ならば有り得ない事であり、天皇の任免権を侵すものであったが、後日、この人事が問題となることは無かった。三師団長の更迭の結果、第15軍は最早組織としての体を成さない状況に陥った[40]

日本陸軍の作戦中止及び退却

パレル近郊の伊藤山。決死の斬り込みで奪取した陣地も、連合軍の火砲と爆撃機により瞬く間に焼き尽くされ、奪い返された。

この時期、中国軍のインド遠征軍にアメリカ軍の小部隊を加えた空挺部隊及び地上部隊がビルマ北部の日本軍の拠点であるミイトキーナ(現在のミッチーナー)郊外の飛行場を急襲し占領しており、守備隊の歩兵第114連隊や援軍として投入された第56師団と激戦を繰り広げていた他、ビルマ東部では中国軍雲南遠征軍が怒江を渡河して日本軍の守備隊のいる拉孟や騰越を包囲していた。このためインパール方面の戦線は突出していた。

6月5日、牟田口をビルマ方面軍司令官河辺正三中将がインタギーに訪ねて会談。二人は4月の攻勢失敗の時点で作戦の帰趨を悟っており[注釈 7]、作戦中止は不可避であると考えていた。しかし、それを言い出した方が責任を負わなければならなくなるのではないかと恐れ、互いに作戦中止を言い出せずに会談は終了した。この時の状況を牟田口は、「河辺中将の真の腹は作戦継続の能否に関する私の考えを打診するにありと推察した。私は最早インパール作戦は断念すべき時機であると咽喉まで出かかったが、どうしても言葉に出すことができなかった。私はただ私の顔色によって察してもらいたかったのである」と防衛庁防衛研修所戦史室に対して述べている。これに対して河辺は、「牟田口軍司令官の面上には、なほ言はんと欲して言ひ得ざる何物かの存する印象ありしも予亦露骨に之を窮めんとはせずして別る」と、翌日の日記に記している。こうして作戦中止を逡巡している間にも、弾薬や食糧の尽きた前線では飢餓や病による死者が急増した。

7月3日、作戦中止が正式に決定。投入兵力8万6千人に対して、帰還時の兵力は僅か1万2千人に減少していた。しかし、実情は傷病者の撤収作業にあたると言え、戦闘部隊を消耗し実質的な戦力は皆無で、事実上の壊走だった。杖を突き、飯盒ひとつで歩く兵士たちは、「軍司令官たる自分に最敬礼せよ」という、撤退の視察に乗馬姿で現れた牟田口の怒号にも虚ろな目を向けるだけで、ただ黙々と歩き続けた。だれも自分を省みないことを悟った牟田口は、泥まみれで悪臭を放つ兵たちを避けながら帰っていった。

7月10日、司令官であった牟田口は、自らが建立させた遥拝所に幹部を集め、泣きながら次のように訓示した。

「諸君、佐藤烈兵団長は、軍命に背きコヒマ方面の戦線を放棄した。食う物がないから戦争は出来んと言って勝手に退りよった。これが皇軍か。皇軍は食う物がなくても戦いをしなければならないのだ。兵器がない、やれ弾丸がない、食う物がないなどは戦いを放棄する理由にならぬ。弾丸がなかったら銃剣があるじゃないか。銃剣がなくなれば、腕でいくんじゃ。腕もなくなったら足で蹴れ。足もやられたら口で噛みついて行け。日本男子には大和魂があるということを忘れちゃいかん。日本は神州である。神々が守って下さる…」[42]

退却戦に入っても日本軍兵士達は飢えに苦しみ、陸と空からイギリス軍の攻撃を受け、衰弱してマラリア赤痢に罹患した者は、次々と脱落していった。退却路に沿って延々と続く、の湧いた餓死者の腐乱死体や、風雨に洗われた白骨が横たわるむごたらしい有様から「'白骨街道」と呼ばれた[35]。イギリス軍の機動兵力で後退路はしばしば寸断される中、力尽きた戦友の白骨が後続部隊の道しるべになることすらあった。伝染病に罹患した餓死者の遺体や動けなくなった敗残兵は、集団感染を恐れたイギリス軍が、生死を問わずガソリンをかけて焼却した他、日本軍も動けなくなった兵士を安楽死させる“後尾収容班”が編成された。また負傷者の野戦収容所では治療が困難となっており、助かる見込みのない者に乾パンと手榴弾や小銃弾を渡し自決を迫り、出来ない者は射殺するなどしている[35]

悲惨な退却戦の中で、第31歩兵団長宮崎繁三郎少将は、佐藤の命令で配下の歩兵第58連隊を率いて殿軍を務め、少ない野砲をせわしなく移動し、優勢な火砲があるかのように見せかけるなど、巧みな後退戦術でイギリス軍の追撃を抑え続け、味方に撤退する時間をいくらか与えることに成功した。また、宮崎は脱落した負傷者を見捨てず収容に努め多くの将兵の命を救った。

牟田口ら第15軍司令部は、指揮下の部隊の撤退に先行する形でチンドウィン川を渡って、シュエジンへと移動した。さらに牟田口は、7月28日ころに副官のみを伴って司令部を離れ、さらに後方のシュエボへと向かった。牟田口によれば、シュエボへの先行は同地にいた方面軍兵站監の高田清秀少将との撤退中の食糧補給に関する打ち合わせのためであった。しかし、部下よりも先に後退するこの行為は将兵の強い不満を招き、河辺方面軍司令官も牟田口らを非難した。牟田口は、その後、8月4日頃にシュエボ北西で軍主力の退路に予定されたピンレブ付近を視察、シュエジンに戻る途中でシュエボまで後退中の第15軍司令部に出会い合流した[43]

一方、イギリス軍は、第33軍団を投入して追撃戦を行った。雨期に入っていたため、イギリス軍もマラリアなどの戦病者が多発する結果となった。イギリス側は、追撃を強行したからこそ日本軍の再建を有効に阻止することができたと自己評価している。

8月12日に大本営はコヒマ及びインパール周辺の日本軍部隊は“戦線を整理した”と発表した[44]

8月30日に牟田口軍司令官と河辺方面軍司令官はそろって解任され、東京へ呼び戻された。


ウィキペディアよりインパール作戦 2018年7月23日段階

インパール作戦(インパールさくせん、日本側作戦名:ウ号作戦(ウごうさくせん))とは、1944年(昭和19年)3月[3]日本陸軍により開始され7月初旬まで継続された、援蒋ルートの遮断を戦略目的としてインド北東部の都市インパール攻略を目指した作戦のことである。

当初より軍内部でも慎重な意見があったものの、牟田口廉也中将の強硬な主張により作戦は決行された。補給線を軽視した杜撰(ずさん)な作戦により、多くの犠牲を出して歴史的敗北を喫し、無謀な作戦代名詞として現代でもしばしば引用される

コトバンクでは
レセプツム責任とは

運送人または旅店の主人は,荷送人や客から受取った運送品や携帯品につき,レセプツム (受領) という事実が証明されれば絶対にこれを返還すべき義務があり,不可抗力によったとしてもその滅失,毀損についてその責任を免れえないという結果責任。ローマ法で認められたものである。

となっている。

日本法では商法594条にうけつがれている。

レセプツム責任を認めて約款によるホテルの免責をみとめなかった平成12年の大阪高裁判決がある。


【事件番号】 大阪高等裁判所判決/平成12年(ネ)第631号

 

【判決日付】 平成12年9月28日

 

【判示事項】 ホテル利用者がホテル従業員の指示によりホテル玄関前に駐車しホテルフロント従業員に車両の鍵を預けていたところ車両が盗まれた場合に、車両所有者(車両内の動産類の所有者)及び同人に車両保険金を支払った損害保険会社のホテルに対する損害賠償請求が認容された事例

 

【参照条文】 商法593

 

       商法594

 

       商法595

 

【掲載誌】  判例時報1746号139頁

 

【評釈論文】 損害保険研究64巻3号169頁

 

       主   文

 

  一 原判決を次のとおり変更する。

   1 被控訴人は、控訴人甲野太郎に対し、一二万二〇〇〇円及びこれに対する平成一一年三月一〇日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

   2 被控訴人は、控訴人大東京火災海上保険株式会社に対し、四〇五万円及びこれに対する平成一一年三月一〇日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

   3 控訴人らのその余の請求をいずれも棄却する。

  二 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

  三 この判決は、第一項1及び2に限り、仮に執行することができる。

 

        事実及び理由

 

 第一 申立て

 一 控訴人ら

 1 原判決を取り消す。

  2 被控訴人は、控訴人甲野太郎に対し、一七万二〇〇〇円及び内金一二万二〇〇〇円に対する平成一一年三月一〇日から、内金五万円に対する同年四月九日から各支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

  3 被控訴人は、控訴人大東京火災海上保険株式会社に対し、四五五万円及び内金四〇五万円に対する平成一一年三月一〇日から、内金五〇万円に対する同年四月九日から各支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

  4 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

  5 仮執行宣言

  二 被控訴人

  1 本件控訴を棄却する。

  2 控訴費用は控訴人らの負担とする。

 第二 主張

  原判決記載のとおりであるから、これを引用する(ただし、二丁裏九行目の「原告所有」を「同控訴人所有」と、三丁裏八行目の「盗難された」を「盗難にあった」と、それぞれ改める)。

 第三 証拠《略》

 第四 判断

  一 原判決八丁裏四行目から九丁裏四行目まで〈編注・本号一四三頁三段二四行目~四段三〇行目〉を次のとおり改めるほか、原判決理由説示のとおりであるから、これを引用する(ただし、七丁表七行目の「ユニオン会員」を「ユニオンクラブ会員」と改める)。

  「2 右事実によると、控訴人甲野は、自らはホテルの自室に戻ることから、被控訴人において本件自動車をホテルの敷地内で移動させることを了承し、その鍵を従業員に交付することにより、被控訴人に対してその保管を委託し、被控訴人はこれを承諾したのであるから、被控訴人は、ホテルの営業の範囲内において、無償で同控訴人から本件自動車の寄託を受けたというべきであり、同控訴人が被控訴人(フロント係の田所)に対して交付した鍵がスペアキーであり、同控訴人がマスターキーは自己のもとに所持していたこと、被控訴人(田所)において短時間だけ鍵を預かる意図であったことは、いずれも右認定を左右するものではない。

 そして、被控訴人は、本件自動車の滅失(盗難)について、不可抗力を主張・立証しないから、被控訴人は、商法五九三条、五九四条により、同控訴人に対して右盗難により生じた損害を賠償する責に任じるというべきである。

 なお、本件自動車が商法五九五条にいう高価品に該当するとしても、田所は、控訴人甲野の運転する本件自動車を駐車場からホテルの正面まで誘導したのであり、被控訴人は本件自動車の車種や概ねの価額を知ったというべきであるから、被控訴人は同条によりその責を免れることはできないというべきである。

  3 《証拠略》によると、請求原因4(控訴人甲野の損害)及び同5(控訴人大東京火災海上保険株式会社の求償債権)の各事業を認めることができ、同6の事実(催告)は、当事者間に争いがない(請求原因4の(2)記載の動産は、その種類・価額からみて、通常自動車に積載されていると考えられる物品であるから、その滅失についても被控訴人は前記責任を負う)。

  控訴人らの本訴請求は商法五九四条に基づくものであるところ、控訴人らが本件訴訟の提起及び遂行のために支弁した弁護士費用は、同条が場屋の経営者に特に課した責任に基づく損害ということはできない。

  また、被控訴人において、駐車場に前記の「免責の告示」を掲示してあったとしても、これにより本件自動車の盗難について免責を主張することはできず(商法五九四条三項)、右掲示の事実をもって、過失相殺の法理を適用して本件の損害の一部を控訴人甲野に負担させる事由とはなり得ない。

  4 右の次第で、控訴人らの本訴請求は、控訴人甲野について右損害のうち一二万二〇〇〇円、同大東京火災海上保険株式会社について同じく四〇五万円並びにこれらに対する前記催告期限の翌日である平成一一年三月一〇日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の各支払を求める限度において理由があり、これを認容すべきであるが、その余は失当として棄却すべきものである。」

  二 よって、右結論を異にする原判決を変更することとし、主文のとおり判決する。

 (裁判長裁判官 妹尾圭策 裁判官 渡邊雅文 菊池 徹)

 

 

 

 

 

法学>民事法>商法>コンメンタール商法>第2 商行為 (コンメンタール商法)>商法第594

594

1. 旅店、飲食店、浴場其他客ノ来集ヲ目的トスル場屋ノ主人ハ客ヨリ:寄託ヲ受ケタル物品ノ滅失又ハ毀損ニ付キ其不可抗力ニ因リタルコトヲ証明スルニ非サレハ損害賠償ノ責ヲ免ルルコトヲ得ス

旅店、飲食店、浴場その他客の来集を目的とする場屋の主人は客より寄託を受けた物品の滅失又は毀損につきその不可抗力によったことを証明しなければ損害賠償の責任を免れることができない。

2. 客カ特ニ寄託セサル物品ト雖モ場屋中ニ携帯シタル物品カ場屋ノ主人又ハ其使用人ノ不注意ニ因リテ滅失又ハ毀損シタルトキハ場屋ノ主人ハ損害賠償ノ責ニ任ス

客が特に寄託しない物品であっても場屋中に携帯した物品が場屋の主人又はその使用人の不注意によって滅失又は毀損したときは、場屋の主人は損害賠償の責任を負う。

3. 客ノ携帯品ニ付キ責任ヲ負ハサル旨ヲ告示シタルトキト雖モ場屋ノ主人ハ前二項ノ責任ヲ免ルルコトヲ得ス

客の携帯品につき責任を負わない旨を告示したときであっても、場屋の主人は第一項と第二項の責任を免れることができない。

   



https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/201905300000393.html?fbclid=IwAR2wAX0iPWeCRurJ-RV1zCA-vVYOKXssz6llEZ0afE6a7pPP_UjSwRXO-BM

平成になってからの山本リンダは甲子園の野球大会のブラスバンドの定番『狙い撃ち』の歌い手としてしられています。『ちびまる子ちゃん』が昭和49年の設定で、平成になってから放送が開始して、まるちゃんが『狙い撃ち』をくちずだんでいたことがおおきかったのではないかと推測しています。国民的アニメで国民全員がしっているわけですから、定番としてつかいやすい。
山本リンダは初期の仮面ライダーにレギュラー出演しています。こちらのほうは当時の小学生男子しか知らないことでしょう。

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