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2020年02月

秋山規雄裁判長名判決 ロス疑惑銃撃事件一部無罪

東京高裁平成10年 弁護団長は弘中先生ですね。

殺人、詐欺、銃砲刀剣類所持等取締法違反、火薬類取締法違反被告事件

ながいので途中を省略してあります。全貌は判例タイムズか判例時報がみやすい。

東京高等裁判所判決/平成6年(う)第1200号

平成10年7月1日

【判示事項】 一 銃撃の実行者である特定の者との殺人罪の共同正犯の訴因に対しその実行者を氏名不詳者と認定したことが違法とされた事例

       二 相被告人を銃撃の実行者とする殺人罪の共同正犯の事実も氏名不詳者を銃撃の実行者とする殺人罪の共同正犯の事実も認められないとされた事例

 

【判決要旨】 殺人者の訴因が銃撃の実行者である特定の者との共同正犯として構成され、検察官が銃撃の実行者はその者以外に見当たらないとしていたなどの事情のある本件においては(判文参照)、訴因変更の手続をとることなく、氏名不詳の実行者との共同正犯を認定した手続は、違法である。

 

【参照条文】 刑事訴訟法312    刑法199   刑法60 刑事訴訟法382

【掲載誌】  高等裁判所刑事判例集51巻2号129頁

       判例タイムズ999号102頁

       判例時報1655号3頁

 

【評釈論文】 現代刑事法1巻7号68頁

       ジュリスト臨時増刊1157号188頁

       判例評論481号64頁

 

       目   次

 

  主文

  理由

  第一部 控訴趣意とこれに対する判断の概要

   第一 控訴趣意

    一 検察官の控訴趣意

    二 被告人A1の弁護人の控訴趣意

    三 両控訴趣意の要旨

    四 控訴審での主な争点

   第二 当裁判所の判断の概要

  第二部 銃撃事件の銃撃実行者をA2と認めなかったのを不当とする検察官の控訴趣意(A2の犯人性)について

  第一 検察官の主張

   第二 原判決の判断の要旨

   第三 事件の発生とその前後の状況

    一 事件の発生

    二 事件発生後の事情聴取状況

    三 銃撃事件の証拠の構造と輪郭

    四 被害及び現場の客観的状況

   第四 共犯者に必要な条件について(検察官の控訴趣意中、「共犯者の条件とこれを満たす人物」の主張《同控訴趣意第二章第一節》

    一 検討された対象者の範囲について

   二 共犯者に必要な適格条件について

  第五 A2の犯行現場への臨場性(その一 レンタカー借り出しの関係《同第二節第一分節》)について

   一 原判決は検察官の主張を取り違えて判断しているとの主張について

   二 A2バンの使途に関する主張について

   1 原判決の判断及びこれに対する検察官の主張

   (一) 原判決の判断

   (二) 検察官の主張

    2 A2バンの使途に関するA2の供述経過

    3 (A)の説示を不当とする所論について

   4 (B)の説示を不当とする所論について

  (一) 第一関門(A2はK2号の入出航の遅れを知り得たか)

   (二) 第二関門(バン借り出し前の行動)

   (三) 第三関門(タイヤのパンクなど)

   (四) 第四関門(集荷中止後の行動)

   (五) 第五関門(現実の集荷と発送の遅れ)

   (六) 小括

    5 その他の集荷目的にバンが使用されたことはないとの主張について

   6 本件バンの走行距離について

   7 A2がF2レンタカーの存在を秘匿していたことについて

  第六 A2の犯行現場への臨場性(その二 いわゆるアンテナ問題《同第二節第二分節第一》)について

   一 問題の所在

    二 E10アンテナの原物性について

   1 検察官の主張

    2 E10マストが「純正品」であることとその原物性との関係に関する所論の主張について

   3 折損頻度に関する所論の主張について

   4 A2バン及びE10マスト自体に即した原物性の主張について

   5 レンタル契約書中の「G00D」の記載とアンテナの状態に関する所論の主張について

   6 本件貸出し当日のマストの折損可能性に関する所論の主張について

   三 車両の特徴による同一性の識別

   第七 犯行に加担する動機の有無《同第三節第二の一》について

  第八 A2とA1との謀議《同第三節第一の一》について

   一 謀議を要する事項と謀議の必要性

    二 謀議の機会と方法

    1 謀議の機会

    2 国際電話

    3 渡米時の共謀

    4 本件前日の共謀

   第九 殺人報酬の約束と支払い《同第三節第二の一》

    一 検察官の主張

    二 A2への一八三万円の入金

    三 A1の出金

  第一〇 A2とライフル銃との結びつきについて《同第三節第二の二》

  第一一 A2のアリバイについて《同第二節第二分節第二》

  第一二 A2バンがレンタカーであった事実の主張について《同第二節第二分節第三》

  第一三殴打事件に関するA2の言動について《同第三節第一の二》

    一 チャイナドレスの女のこと

   二 凶器のハンマーのこと

 第一四 A2を銃撃実行者とする殺人の訴因についての総合判断と結論について《同第四節》

    一 A2の銃撃行為への関与を疑わせる事実

    二 A2の銃撃行為への関与に疑問を感じさせる事実

    三 現実性の評価

  第三部 A1の弁護人の控訴趣意中、訴因問題(同控訴趣意第二及び第四)の主張について

  第一 手続経過

   第二 当裁判所の判断

  第四部 A1に関する自判(その一。主として、銃撃事件の銃撃実行者を氏名不詳者とする殺人の予備的訴因について)

   第一 主位的訴因について

  第二 予備的訴因の追加請求とその内容

    一 予備的訴因の要旨

    二 予備的訴因の追加を相当と判断した理由

    1 争点化の必要

    2 両当事者の意見

    三 予備的訴因における実質的争点

   第三 銃撃実行者が未解明である事実

   第四 犯行の動機について(検察官が主張する情況事実 一)

    一 夫婦関係の冷却とB1に対する愛情の喪失について

   二 C1の営業資金の必要性、保険契約締結の事情等について

   三 今回渡米時に締結した保険契約について

   四 小括

   第五 共犯者の物色について(検察官が主張する情況事実 二)

    一 D1に対する打診

    二 D2に対する打診

    三 D3に対する打診

    四 D4に対する打診

    五 A2に対する打診

    六 小括

   第六 殴打事件について(検察官が主張する情況事実 三)

    一 D5供述の信用性について

   二 D5供述を信用できないとする弁護人の主張について

   一 ハンマ―様凶器による殴打について

   2 D5の供述の変遷について

   3 小括

   第七 A1が本件と酷似する殺人方法を殴打事件当時に提案していたとされる事実について

     (検察官が主張する情況事実 四)

    一 D5供述がされた時期

    二 D5供述の特徴

    三 小括

   第八 謀議の成立に疑問を持たせる事情

    一 犯行態様と謀議の不可欠性

    二 A1にとっての謀議の機会

   第九 渡米経過と出発前後の事情について

 第一〇 銃撃現場の状況について(検察官が主張する情況事実 五)

    一 検察官がA1の犯人性を示すと主張する点

    二 目撃証言とA1の供述

    1 目撃証言の内容と証言評価に当たっての留意点

    2 A1の原審公判供述の概要

    三 白いバンの停車とその移動等

    1 白いバンの存在

    2 白いバンは先着していた

   3 バンは本件銃撃後に立ち去ったか

   四 白いバンで走り去った人物の現場での動静について

   五 銃撃の態様、銃撃位置等の関係

    六 強盗犯の存否

    1 強盗犯による銃撃の客観的可能性(銃撃の位置関係)

    2 強盗の動きは目撃されているか

   3 その他関連する情況事実の検討

    4 小括

  第一一 A1の供述の虚偽性について(検察官の主張する情況事実 六)

  第一二殺人の予備的訴因についての結論(情況事実を総合しての結論)

    一 A1の犯行関与を疑わせる事実

    二 A1の犯行関与に疑問を感じさせる事実

    三 結論

  第五部 A1に関する自判(その二。その他の事件について)

   第一 銃撃事件に関連する詐欺の訴因について

  第二 昭和六三年一二月一六日付け起訴状第二記載の詐欺の事実について

 第六部 本件全体の結論及びA1に関する自判

   (罪となるべき事実)

   (証拠の標目)省略

   (法令の適用)

   (一部無罪の理由)

   第一 起訴にかかる公訴事実の要旨

   第二 当裁判所の判断

 

        主   文

 

  一 原判決中被告人A1に関する部分を破棄する。

    同被告人を懲役一年に処する。

    同被告人に対し、この裁判確定の日から三年間その刑の執行を猶予する。

    原審訴訟費用中、証人D3(原審第六八回)、同E1(同第六九回)及び同E2(同第七〇回)に支給した分は同被告人の負担とする。

    本件公訴事実中、昭和六三年一一月一〇日付け起訴にかかる殺人、同月一九日付け起訴にかかる詐欺及び同年一二月一六日付け起訴にかかる公訴事実第一の詐欺の各事実については、同被告人は無罪。

  二 検察官の被告人A2に対する控訴を棄却する。

 

        理   由

 第一部 控訴趣意とこれに対する判断の概要

  第一 控訴趣意

  一 検察官の控訴趣意

  東京地方検察庁検察官甲斐中辰夫作成名義の控訴趣意書に記載のとおりであり、これに対する答弁は、被告人A1の関係では同被告人の弁護人弘中惇一郎、同鈴木淳二、同喜田村洋一、同渡辺務、同加城千波連名作成名義の答弁書に記載のとおりであり、被告人A2の関係では同被告人の弁護人伊藤卓藏、同安井桂之介、同加藤義樹、同濱涯廣子、同土赤弘子連名作成名義の答弁書に記載のとおりである。

  二 被告人A1の弁護人の控訴趣意

  弁護人弘中惇一郎、同鈴木淳二、同喜田村洋一、同渡辺務、同加城千波連名作成名義の控訴趣意書及び同補充書に記載のとおりであり(なお、同弁護人らは、控訴趣意中、殺人の事実に関する原判決の認定を審判の請求を受けない事件について判決したものと主張している中には、訴訟手続の法令違反の主張を含む趣旨であると釈明した。)、これに対する答弁は、東京高等検察庁検察官山田弘司作成名義の答弁書に記載のとおりである。

  これらをそれぞれ引用する。

  三 両控訴趣意の要旨

  両控訴趣意とも詳細、膨大であるが、その要旨は次のとおりである。すなわち、

  1 検察官の控訴趣意は、要するに、原審において、検察官は、「被告人A1と同A2は、共謀の上、生命保険金を取得する目的で、被告人A1の妻B1の殺害を企て、昭和五六年一一月一八日、a1市b1通りc1ブロックの路上で、同女の頭部に二二口径のライフル銃で撃った銃弾を命中させて、殺害した」事実を訴因として主張したところ、原判決は、被告人A2をB1銃撃の実行者と断定することにはなお合理的な疑いが残るとして、この訴因についてはA2を無罪とし、一方被告人A1については、前記訴因を変更しないまま、「A1は氏名不詳者と共謀の上」、その氏名不詳者に銃撃させ、B1を殺害したとの事実を認定した、しかし、原判決が銃撃の実行者をA2と認めなかったことは、A2の関係では勿論、A1についても、その共犯者が誰であったかに関して事実誤認であるというのであり、

  2 A1の弁護人の控訴趣意は、要するに、訴訟手続に関する主張と事実誤認に関する主張とに分かれるが、訴訟手続に関する主張としては、

  (一) 検察官が主張する「A1はA2と共謀の上」B1を殺害したとの殺人の訴因につき、原審裁判所が訴因変更の手続をとらないまま、判決中で突然「A1は氏名不詳者と共謀の上」同女を殺害したと認定したのは、訴因を逸脱した認定であって、これは、刑訴法上、審判の請求を受けない事件について判決をした違法(刑訴法三七八条三号)に当たるか、そうでなくても、判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反(同法三七九条)に当たり、また、このような原審の手続は憲法三一条に違反する、

  (二) 原判決は、「氏名不詳者と共謀の上」と判示するだけで、「罪となるべき事実」の判示に必要な具体的事実を記載せず、特に共謀共同正犯における共謀の相手方を特定していない、更に共謀の相手方及び共謀を構成する具体的事実について厳格な証明を行わせず、判決にその証拠を挙示してもいない、これらの点は、理由不備ないし理由齟齬に当たる、

  (三) 原判決は、原審審理を通じて、訴訟関係者のすべてがA1と「A2との共謀」の成否を争点と考え、そこに証拠調べを集中し、それ以外の主張・立証を行っていないときに、全く釈明権を行使することもないまま、率然としてA1は「氏名不詳者と共謀の上、その氏名不詳者が銃撃した」との事実を認定したが、その訴訟手続には、不意打ち、審理不尽の違法がある、

  (四) 原審裁判所は、殴打事件の犯人であり、銃撃事件にとっても重要証人とされるD5の証人尋問請求を一旦採用しながら、その後、同女が国外にいることを理由として同女の検察官調書を刑訴法三二一条一項該当の書面(国外滞在)として採用して取り調べ、以後同女を証人として尋問しなかった、しかしD5が国外にいたのは原審審理期間中の一時期だけのことであって、審理の途中には帰国していたのであるから、このような原審の審理手続は刑訴法三二一条一項の解釈を誤り、憲法三七条に違反する、その点で判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反に当たる、というのであり、

  事実誤認に関する主張としては、

  (五) 原判決は、A1が「氏名不詳者と共謀の上」B1を殺害したとの事実を認定し、殺人(昭和六三年一一月一〇日付け起訴状)及び生命保険金等詐欺の事実(同月一九日付け起訴状記載の公訴事実第一及び第二並びに同年一二月一六日付け起訴状記載の公訴事実第一)につき有罪としたが、原判決がいう「氏名不詳者」は客観的には存在せず、A1とこの「氏名不詳者」との間での殺人の共謀はあり得ないから、これらの罪の関係で、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある、

  (六) 原判決は、動産保険金詐欺の事実(同年一二月一六日付け起訴状記載の公訴事実第二)につきA1を有罪としたが、原判決が認定根拠としたE1及びE2の各証言は信用性に乏しく、A1か破損していない商品を故意に破損させて保険金請求をさせたとの事実を認定した点には重大な疑問があり、原判決にはその点で判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある、等というのである。

  四 以上によれば、当控訴審での主な争点は、

  1 本件銃撃事件の銃撃実行者をA2であると認めること及びそのA2とA1との共謀を認めることには合理的な疑いが残るとした原判決の認定の当否の問題(A1及びA2の両名の関係。後記第二部で判断する。)、

  2 検察官が、殺人の訴因として、「A1はA2と共謀の上」B1を殺害したという事実を掲げているときに、その訴因を変更することなく、判決中で、突然、「A1は氏名不詳者と共謀の上」同女を殺害したとの事実を認定することは訴因制度上許されるかという訴訟手続上の問題(A1関係。後記第三部で判断する。)

  3 原判決が、原審で取調済みの証拠に基づいて、銃撃実行者を氏名不詳者としたまま、その者とA1との共謀成立の事実を認定したことの当否の問題(A1関係。後記第四部で判断する。)、

  4 最後に、これと関連する保険金詐欺及びこれとは別の動産保険金詐欺の事実認定に関する問題(A1関係。第五部で判断する。)等である。

  第二 当裁判所の判断の概要

  一 当裁判所は、原審記録及び証拠物を調査するとともに、事案の重大性にかんがみ当審でも必要な証拠調べを尽くし、慎重な検討を続けた末に、頭書の結論に達した。その判断の概要は次に取りまとめて述べるとおりであり、詳細な理由はそれに引き続いて述べるとおりである。すなわち、

  1 本件証拠によれば、原判決が、本件殺人事件の銃撃実行者をA2と断定することにはなお合理的な疑いが残ると判断したのは相当であって、その点に事実誤認があるとはいえない。

  すなわち、検察官は、銃撃実行者をA2であると主張する主たる根拠として、犯行時に現場で目撃されたのと車種が同じで車体の塗色がよく似たカーゴバンを、A2が、事件前日から当日にかけて、レンタカー会社から借り出していた事実があることを指摘し(以下、A2が借り出していたこのバンをA2バンという。)、このバンは本件犯行に使用する以外に使途がなかったし、また本件発生時にバンを借り出していた事実とそのレンタカー会社名を、A2は忘れていたといって捜査機関に素直に述べず、レンタル契約書を突きつけられてようやく認めた供述経過は、このバンを本件犯行に使用した事実を最後まで隠そうとしたことを疑わせると主張する。この点に関する検察官の情況証拠の分析とこれに基づく推論は、極めて詳細、緻密であり、その点に限っていえばかなり説得的であって、検察官がA2に対して嫌疑を抱いたのももっともであったと一応首肯させる点がある。

  しかし、このことだけを根拠として、犯行現場で目撃されたバン(以下、現場バンという。)はA2バンであったと断定することは、本件ではまだできない。すなわち、証拠上、現場バンにはアンテナが装着されていなかったか、あるいは最初は装着されていたが破損して無装着状態になっていたことが明らかとなっているところ、関係証拠によれば、A2バンには、その当時、アンテナがついていた可能性がかなり高いと推認すべき根拠があり、そうなると、両車は、車種が同じで車体の塗色は似ているけれども、別個のバンであった疑いが生じるからである。その他、A2には犯行に加担する動機が全く見当たらないこと、本件前にA2とA1とが謀議をする機会が現実にはほとんどなく、かつ現実に謀議をした痕跡も全く見当たらないこと、犯行への加担に対する報酬授受の事実もないことなど、A2の犯行関与を打ち消しているとしか理解できない周辺事実を含めて総合考慮すると、検察官が主張するとおりの、銃撃実行者はA2であって、そのA2とA1との間に共謀が成立していたとの事実を認めるには、どうみても合理的な疑いが残ると判断せざるを得ない。

  2 A1に対する殺人の公訴事実について、検察官が訴因として、「A1とA2との共謀」を掲げ、かつ、A1の共謀の相手方としてはA2以外には考えられないとの立証を続けた原審での審理経過を前提として、原審裁判所が、訴因変更手続をとることなく、判決中で、突然これとは異なる「A1と氏名不詳者との共謀」を認定した訴訟手続には、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違反があり(刑訴法三七九条)、その点で原判決は破棄を免れない。

  3 原判決を破棄した上、「氏名不詳者との共謀」の事実等について、この上更に証拠を取り調べる余地があるのであれば、本件を原審に差し戻し、そこでより一層の真相解明を期待することも考えられなくはない。

  しかし、何といっても本件発生後すでに一六年以上(起訴後九年以上)の年月が経過しており、しかも事件の発生地が外国であるため証拠収集上の制約も多く、加えて、検察官は、原審で、A2以外に銃撃犯人がいるとは考えられない旨の立証を繰り広げてきた経過があって、今後その点について新たな証拠が現れることはほとんど望み得ない状況にある。そして、本件の核心は、主として取調済みの情況証拠に対する評価とこれに基づく推論過程にあることを勘案すれば、いまさら原審に差し戻すことは適切ではなく、この段階で当審において自判するのが相当と考えられる。

  4 そこで、自判することとするが、検察官がA1に対して掲げる殺人の主位的訴因の事実、すなわち銃撃実行者をA2とし、同人とA1が共謀してA2にB1を銃撃させたとの事実については、前記のとおり合理的な疑いが残るから、証明不十分としなければならない。

  次に、予備的訴因の事実、すなわち、直接の銃撃実行者を不明としたままで、その氏名不詳の銃撃実行者とA1が共謀して、その氏名不詳者にB1を銃撃させたとの事実について有罪の認定をするためには、本件ではその共謀がA1と本件とを結びつける中核的事実であることにかんがみ、その者からどのような弁明や供述等がなされても、A1がその氏名不詳者と共謀して銃撃させたことに間違いがないことを裏付けるに足りるだけの確かな証拠が必要だと考えられる。そこで、A1についてこれをみると、同人の場合には、例えば殴打事件前に共犯者探しともみえる一連の不可解な言動が認められ、その後に発生した殴打事件をめぐる行動には被害者B1の殺害とその保険金取得をねらったとしか思えない加害意思を読み取ることができ、その三か月後に起こった本件との間には犯行態様その他について何やら共通性も見え隠れし、しかも、銃撃事件発生時の現場の状況に関するA1の供述、中でも銃撃犯人をグリーンの車で来た二人組の強盗犯である、白いバンには気づかなかったと述べる点には虚偽供述との疑いが強く持たれるなど、A2の場合よりもはるかに強い嫌疑を抱かせる事情が認められることは否定できず、検察官が、少なくともA1の犯行関与は間違いがないと主張することにもかなりの程度理由があるといえる。

  しかし、他方、B1に引き続いてA1もライフル銃で銃撃・被弾している本件の犯行態様からみて、本件は、共犯者抜きには考えられない態様の犯行であることは明らかで、その点がまさに中核的な要証事実となっているところ、検察官がこの者以外には共犯者は考えられないと主張して立証に努めたA2について、原判決は証拠不十分の判断をし、この判断は、関係証拠に照らして、当審においても維持するほかなく、しかもそれ以外には共犯者とおぼしき者が全く見当たらない状況にある。証拠上、共犯者が単に特定されていないというだけではなく、全く解明されていないのである。加えて、日本にいたA1において、アメリカにいたと想定するほかない氏名不詳の共犯者を新たに見つけ、その者との間で特に殴打事件後本件発生までの間に銃撃事件について謀議をし、これを完了しておくまでの機会はほとんどなく、かつ、現実に謀議をした痕跡は全く見当たらないこと、B1を連れて渡米した経過にはむしろ犯行計画を否定しているかのような事情が認められること、犯行加担に対する報酬支払いの事実が全くないこと等々の、いずれも共犯者の存在を否定する趣旨の情況事実が多く認められる証拠関係にあること等の周辺事実を含めて総合考慮すると、検察官が主張するような、銃撃犯人は不明でもその氏名不詳者とA1との間に共謀が成立していたこと及びA1がその者にB1を銃撃させたことに間違いはないと推断するに足りるだけの確かな証拠は見当たらず、なお合理的な疑いが残るといわざるを得ない。

  5 そうすると、A1が関与したことを前提とする前記保険金詐欺の訴因についても、有罪の認定をすることはできない。

  二 本件の事実認定に関連して一言付言しておくこととする。

  1 本件は、情況証拠から諸々の間接事実を立証し、いわばモザイク状の間接事実を多数積み重ねて犯罪事実全体の立証をするという、微妙・困難な証拠関係にある事件である。ただ、このような場合、もし情況証拠から推認をする過程にいくらかの疑問が残ることを理由として、事実の認定に決断力を欠き、安易に疑いが残ると判断して証明不十分とするならば、情況証拠による犯罪立証の余地は、大幅に狭められ過ぎることになりかねない。もとより、刑事裁判における有罪認定には、「合理的な疑いを差し挟む余地のない程度」の立証が必要であり、また「疑わしきは被告人の利益に」が鉄則とされていて、そのこと自体に異論はないが、この際あえて言えば、ここに合理的な疑いを美し挟む余地がないとは、反対事実の疑いを全く残さない場合をいうのではなく、抽象的には反対事実の疑いを入れる余地がある場合であっても、社会経験上はその疑いに合理性がないと一般的に判断されるような場合は、有罪認定を可能とする趣旨であって、このことは、専ら情況証拠によって犯罪事実の立証を行うほかない本件のような事案の場合に強く認識しておく必要があると考、えられる。

  その意味では検察官の意見にも首肯できる点がある。しかし、反面、このことは、専ら情況証拠を積み重ねて立証するほかない事案の場合には立証の程度が低くてもよいという意味ではもとよりない。やはり、中核となる要証事実について、質の高い情況証拠による立証が不可欠とされることは、刑事責任の帰属に関するという事柄の性質上当然である。だから、もし、右に述べた観点からみても合理的な疑いを入れる余地のない立証がされたとはいえないと判断されるときには、その人物が第六感的感覚からはいかに疑わしいと感じられ、あるいは実際に証拠の一部に疑わしい点が認められても、それがまだ疑わしいとの域にとどまっている限り、刑事裁判の性質上、有罪の認定をすることはできないし、その旨判断することにはばかるところがあってはならない。

  2 保険金取得目的で、妻を銃撃させたとされる本件公訴事実の内容は、もしそれが真実であるとすればいかにもおぞましい犯行であって、社会的に放置できないことはいうまでもない。検察官は、銃撃実行者をA2であると判断し、そのA2とA1との間にかねての面識関係を基盤とする共謀が成立していたと認定して、両名を起訴した。銃撃実行者をA2とするこの認定は、A2に対する刑事責任追求の前提として必要であったことは勿論であるが、それのみにとどまらず、A1に対する関係でも、銃撃実行者を特定することによって同人に対する立証上の難点を切り抜けるねらいを持っていると理解される。銃撃実行者の立証を抜きにしてはA1に対する事実の立証も容易でないことを見通したもので、検察官のこの判断は、一般論としてはまさにそのとおりと考えられる(銃撃犯人不明のままで、A1だけを本件殺人の共犯者として起訴に踏み切ることができたかを考えてみれば明らかである。)。これに対して、原審裁判所は、銃撃行為へのA2の関与を証拠不十分と判断し、その結果銃撃実行者不明のまま、それでもA1は氏名不詳の誰かと共謀してB1を銃撃させたことに間違いはないと認定した。しかし、銃撃実行者は誰か、またその者との共謀成立経過という、まさにA1と本件犯行とを結びつけている中核的な要証事実の立証を欠いたままの状態で、更にいえば、A2以外にはこれに相当する共犯者は見当たらないと検察官が主張し、立証を尽くした状態のままで、なおA1を氏名不詳者との共謀共同正犯者と認定できるとする原審の判断には、やはり無理があると当裁判所は考える。

  3 本件は、a1疑惑銃撃事件として、激しい報道合戦が繰り広げられたいきさつのある事件である。マスコミの調査報道が先行して事件を掘り起こし、これが引き金になって警察の捜査に発展した経過があったことと、事件の謎めいた内容や、犯人と疑われたA1の言動の特異さ等が加わって、格別世間の注目をひいた。週刊誌や芸能誌、テレビのワイドショーなどを中心として激しい報道が繰り返されたが、こうした場面では、報道する側において、報道の根拠としている証拠が、反対尋問の批判に耐えて高い証明力を保持し続けることができるだけの確かさを持っているかどうかの検討が十分でないまま、総じて嫌疑をかける側に回る傾向を避け難い。

  ところが、その後公判廷での証拠調べを通じて、本件の証拠関係は極めて微妙であり、広く報道されているほど単純ではないことが明らかになっている。争点は極めて多岐にわたるのに、目撃者の供述内容には変遷が多く、事案の解明につながる物証はなく、A1の本件関係での捜査官に対する供述調書は一通もなく、またA2についても自白調書と呼べるものはない。結局、情況証拠を洗い出し、矛盾する証拠をも無視しないで、モザイク状の証拠と事実をつき合わせて全体像を推認してゆく以外には手がない証拠関係にあるところ、検察官からは、A1は、保険金取得のために、A2に指示してライフル銃で妻B1を銃撃させ、かつ、被害者を偽装する目的で自分の大腿部にも銃弾を撃ち込ませたとの主張がされ、弁護人らからは、そのように判断できる証拠はどこにもないではないかとの反論がされて、証拠の評価をめぐる対立は際立っている。この対立は、証拠を歪みなく評価しても当事者としての立場の違いによって避けられないものなのか、それともそれぞれが都合のよい証拠だけを強調し、そうでない証拠を無視する結果として生じているだけなのか、証拠に直に接する機会がない者には判断のしようがない状態にある。

  ところで、証拠調べの結果が右のとおり微妙であっても、報道に接した者が最初に抱いた印象は簡単に消えるものではない。それどころか、最初に抱いた印象を基準にして判断し、逆に公判廷で明らかにされた方が間違っているのではないかとの不信感を持つ者がいないとも限らない。そうした誤解や不信を避けるためには、まず公判廷での批判に耐えた確かな証拠によってはっきりした事実と、報道はされたが遂に証拠の裏付けがなく、いわば憶測でしかなかった事実とを区別して判示し、その結果、証拠に基づいた事実関係の見直しを可能にすることの重要性が痛感される。

 

 

 第二 当裁判所の判断

  被告人A1にかかる前記殺人の主位的訴因及び同予備的訴因、前記詐欺の主位的訴因及び予備的訴因については、いずれも以上に詳しく述べたとおりの理由により、合理的な疑いを差し挟む余地が残り、結局いずれも犯罪の証明がないことに帰するから、無罪を言い渡すべきものである。

  よって、右の各事実について、刑訴法三三六条により同被告人に対し無罪の言渡しをする。

  よって、主文のとおり判決する。

  検察官 山田弘司、三浦正晴各公判出席

  (裁判長裁判官 秋山規雄 裁判官 門野博 裁判官 福崎伸一郎)

 

加茂紀久男裁判長不当判決 引渡しの恣意的認定と法人税

法人税更正処分等取消請求控訴事件

東京高等裁判所判決/平成9年(行コ)第176号

平成10年7月1日

 

【判示事項】 不動産の売買において、売買代金のうち約27パーセントにすぎない中間金が支払われた時点で、その引渡しがあったとされた事例

 

【判決要旨】 (1) 不動産販売による売上げの計上時期については、実現主義によりその販売による収益が実現した時を基準とすべきであり、具体的には、右売上げは、当該不動産の引渡しがあった日の属する事業年度の益金の額に算入すべきである。そして、不動産の取引の場合、代金の支払と同時に不動産の引渡し、所有権移転登記が行われ、取引が一時に完了し、したがって、引渡しの時点が客観的に明白な場合がある一方、諸般の事情から各契約当事者の給付が段階的に複数回に分けて行われ、外見上は引渡しがいつ行われ収益がいつ実現したか必ずしも明らかでない場合も生ずるが、後者のような場合には、契約上買主に所有権がいつ移転するものとされているかということだけでなく、代金の支払に関する約定の内容及び実際の支払状況、登記関係書類や建物の鍵の引渡しの状況、危険負担の移転時期、当該不動産の売主から買主への移転時期、所有権の移転登記の時期等がいつ移転したかを判断し、右現実の支配が移転した時期をもって当該不動産の引渡しがあったものと判断するのが相当である。

 

       (2)・(3) 省略

 

       (4) 法律に根拠を有する課税権の行使が濫用として違法の評価を受ける場合があるかどうかは問題のあるところであるが、仮にそのような場合があるとしても、それは、税務職員が、自己の不当な要求を拒絶されたため、専ら納税者に対し報復をするためなど不当な目的をもって、ことさらに当該納税者をねらい打ちした調査を実施し、些細な課税理由をもって、税務署長をして課税処分を行わせたというような極めて特殊な場面に限定されるものと解される。

 

【参照条文】 法人税法22-4

       企業会計原則2の3B

       法人税基本通達2-1-1

       法人税基本通達2-1-2後段

       租税特別措置法63

       租税特別措置法63の2

 

【掲載誌】  判例タイムズ987号183頁

       税務訴訟資料237号1頁

 

【評釈論文】 判例タイムズ臨時増刊1036号316頁

 

       主   文

 

  一 本件控訴を棄却する。

  二 控訴費用は控訴人の負担とする。

 

        事   実

 

 第一 当事者が求めた裁判

  一 控訴人

   1 原判決を次のとおり変更する。

  被控訴人が控訴人に対し、平成二年二月二七日付でした昭和六二年七月一日から同六三年六月三〇日までの事業年度の法人税更正処分のうち、納付すべき税額三億六一五〇万五三〇〇円(所得金額四億七一二三万〇二〇八円、超短期所有の土地に係る土地譲渡利益金額一億二九七七万〇一四三円、短期所有の土地の譲渡に係る土地譲渡利益金額六億四八三四万一〇〇〇円として計算した税額から控除所得税額五〇一万〇四九五円を差し引いた金額)を超える部分及び過少申告加算税の賦課決定処分のうち二四一一万一〇〇〇円を超える部分を取り消す。

   2 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

  二 被控訴人

  主文同旨

 第二 当事者の主張

  当事者双方の主張は、被控訴人の事業税認定損の計算、短期土地譲渡利益金額、超短期土地譲渡利益金額、本件事業年度における納付すべき税額及び過少申告加算税額に関する主張を原判決理由中の判示のとおりに訂正するほか原判決の事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

  本件の争点は、本件不動産の販売に係る収益等の帰属事業年度と課税権の濫用の有無である。

 

        理   由

 

  一 当裁判所も控訴人の本訴請求は理由がなく、これを棄却すべきものと判断するが、その理由は、次のとおり補正するほかは、原判決理由説示のとおりであるから、これを引用する。

   1 原判決九〇頁二行目の「同日以降」から同五行目の「おり」、までを「同契約には前記2(一)(5)のとおり引渡完了時をもって危険負担の移転の基準時とする旨の定めがあるが、他方前記2(一)(2)のとおり、残代金支払並びにこれに伴う引渡し及び所有権移転登記実行の時期を昭和六四年末までの期間内において買主の選択に委ね、かつ、この場合前記危険負担の関係では引渡の日を昭和六二年九月一一日に設定する旨の定めも置かれていて、これらを総合すると、同契約は、買主に右選択権の行使を認める一方で、危険負担の移転の基準時については、現実の引渡の時期が昭和六二年九月一一日より遅れる場合にも、同日とする旨定めたものと解されるところ、」に改める。

   2 同九三頁一〇行目の「むしろ、」から同一一行目の「なるものであり、」までを削除する。

   3 同九五頁四行目の「明らかであるから、」を「明らかであるところ、それにも拘わらず控訴人自身も本件不動産の売買による収益を昭和六三年七月一日から平成元年六月三〇日までの事業年度の益金の額に算入して税務処理することが正しい旨主張しているのであって、」に改める。

   4 同一〇五頁一行目から二行目にかけての「後記のとおり被告の計算に誤りがあるので、計算し直した」を、同一一行目の冒頭から一〇六頁三行目末尾までをそれぞれ削除し、同七行目の「争いがなく、」から同九行目の末尾までを「争いがないので、これを考慮」に改め、同一一一頁八行目冒頭から一一二頁三行目末尾まで、同一一三頁三行目の「、右被告主張の金額を一部修正し」をそれぞれ削除する。

  二 以上によれば、控訴人の本訴請求は理由がないから棄却すべきである。

  よって、原判決は相当であり、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。

  (裁判長裁判官加茂紀久男 裁判官大喜多啓光 裁判官合田かつ子)

傷害の意義 意識傷害・数時間に及ぶ筋弛緩作用を伴う急性薬物中毒症状

最高裁平成24

傷害被告事件

刑法判例百銭第7版5事件

 

最高裁判所第3小法廷決定/平成22年(あ)第340号

平成24年1月30日

 

【判示事項】 睡眠薬等を摂取させて数時間にわたり意識障害及び筋弛緩作用を伴う急性薬物中毒の症状を生じさせた行為につき傷害罪の成立が認められた事例

 

【判決要旨】 病院で勤務中ないし研究中であった者に対し,睡眠薬等を摂取させたことによって,約6時間又は約2時間にわたり意識障害及び筋弛緩作用を伴う急性薬物中毒の症状を生じさせた行為は,傷害罪を構成する。

 

【参照条文】 刑法204

 

【掲載誌】  最高裁判所刑事判例集66巻1号36頁

       裁判所時報1549号71頁

       判例タイムズ1371号137頁

       判例時報2154号144頁

       LLI/DB 判例秘書登載

 

【評釈論文】 警察公論67巻11号88頁

       研修769号19頁

       論究ジュリスト10号194頁

       ジュリスト1448号100頁

       ジュリスト1453号155頁

       別冊ジュリスト221号12頁

       法学教室389号付録33頁

       法学新報119巻11~12号185頁

       法曹時報66巻11号3327頁

       刑事法ジャーナル33号116頁

 

       主   文

 

  本件上告を棄却する。

 

        理   由

 

  弁護人門馬博ほかの上告趣意のうち,判例違反をいう点は,事案を異にする判例を引用するものであって,本件に適切でなく,その余は,憲法違反をいう点を含め,実質は単なる法令違反,量刑不当の主張であって,刑訴法405条の上告理由に当たらない。

  なお,所論に鑑み,職権で判断する。

  原判決及びその是認する第1審判決の認定によれば,被告人は,大学病院内において,フルニトラゼパムを含有する睡眠薬の粉末を混入した洋菓子を同病院の休日当直医として勤務していた被害者に提供し,事情を知らない被害者に食させて,被害者に約6時間にわたる意識障害及び筋弛緩作用を伴う急性薬物中毒の症状を生じさせ,6日後に,同病院の研究室において,医学研究中であった被害者が机上に置いていた飲みかけの缶入り飲料に上記同様の睡眠薬の粉末及び麻酔薬を混入し,事情を知らない被害者に飲ませて,被害者に約2時間にわたる意識障害及び筋弛緩作用を伴う急性薬物中毒の症状を生じさせたものである。

  所論は,昏酔強盗や女子の心神を喪失させることを手段とする準強姦において刑法239条や刑法178条2項が予定する程度の昏酔を生じさせたにとどまる場合には強盗致傷罪や強姦致傷罪の成立を認めるべきでないから,その程度の昏酔は刑法204条の傷害にも当たらないと解すべきであり,本件の各結果は傷害に当たらない旨主張する。しかしながら,上記事実関係によれば,被告人は,病院で勤務中ないし研究中であった被害者に対し,睡眠薬等を摂取させたことによって,約6時間又は約2時間にわたり意識障害及び筋弛緩作用を伴う急性薬物中毒の症状を生じさせ,もって,被害者の健康状態を不良に変更し,その生活機能の障害を惹起したものであるから,いずれの事件についても傷害罪が成立すると解するのが相当である。所論指摘の昏酔強盗罪等と強盗致傷罪等との関係についての解釈が傷害罪の成否が問題となっている本件の帰すうに影響を及ぼすものではなく,所論のような理由により本件について傷害罪の成立が否定されることはないというべきである。

  したがって,本件につき傷害罪の成立を認めた第1審判決を維持した原判断は正当である。

  よって,刑訴法414条,386条1項3号により,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり決定する。

 (裁判長裁判官 田原睦夫 裁判官 那須弘平 裁判官 岡部喜代子 裁判官 大谷剛彦 裁判官 寺田逸郎)

 

田原睦夫裁判長不当判決 強制執行のさいでも源泉徴収義務あり

租税判例百選6版115 明確性に欠ける規定について国税庁を救済した不当判決と思料します。

求償金請求事件

最高裁判所第3小法廷判決/平成21年(受)第747号

平成23年3月22日

給与等の支払をする者が判決に基づく強制執行によりその回収を受ける場合における源泉徴収義務の有無

【判決要旨】 所得税法28条1項に規定する給与等の支払をする者が、その支払を命ずる判決に基づく強制執行によりその回収を受ける場合であっても、上記の者は、同法183条1項所定の源泉徴収義務を負う。

       (補足意見がある)

【参照条文】 所得税法6

       所得税法28-1

       所得税法183-1

       民事執行法25

【掲載誌】  最高裁判所民事判例集65巻2号735頁

       裁判所時報1528号69頁

       判例タイムズ1345号111頁

       金融・商事判例1368号15頁

       判例時報2111号33頁

       金融法務事情1947号113頁

       LLI/DB 判例秘書登載

 

【評釈論文】 ジュリスト1424号88頁

       ジュリスト1435号122頁

       ジュリスト1440号217頁

       別冊ジュリスト228号220頁 租税判例百選6版

       租税訴訟9号509頁

       法学協会雑誌130巻4号993頁

       法曹時報65巻12号3051頁

       民商法雑誌145巻3号309頁

 

       主   文

 

  本件上告を棄却する。

  上告費用は上告人らの負担とする。

 

        理   由

 

  上告代理人内野経一郎,同仁平志奈子の上告受理申立て理由(上告受理の申立理由4項〔上告受理申立理由2〕を除く。)について

 1 本件の主位的請求は,上告人らに対する賃金の支払を命ずる仮執行の宣言を付した判決に基づく強制執行において,民事執行法122条2項の規定により弁済を行った被上告人が,所得税法(以下「法」という。)183条1項所定の源泉徴収義務を負う者として,法221条の規定により税務署長から上記賃金に係る源泉徴収すべき所得税(以下「源泉所得税」という。)を徴収されたが,上告人らから上記源泉所得税の徴収をしていなかったと主張して,上告人らに対し,法222条に基づき,上記相当額の各支払を求めるものである。

  原審は,被上告人の主位的請求をいずれも認容すべきものとした。

  2 所論は,本件のように,賃金の支払をする者が,その支払を命ずる判決に基づく強制執行による取立てなどによりその回収を受ける場合には,上記の者は,当該賃金の支払の際に源泉所得税を徴収することができないから,法183条1項所定の源泉徴収義務を負わないと解すべきであるというのである。

  3 法28条1項に規定する給与等(以下「給与等」という。)の支払をする者が,その支払を命ずる判決に基づく強制執行によりその回収を受ける場合であっても,上記の者は,法183条1項所定の源泉徴収義務を負うと解するのが相当である。その理由は,次のとおりである。

  法183条1項は,給与等の支払をする者は,その支払の際,その給与等について所得税を徴収し,その徴収の日の属する月の翌月10日までに,これを国に納付しなければならない旨を定めるところ,給与等の支払をする者が,強制執行によりその回収を受ける場合であっても,それによって,上記の者の給与等の支払債務は消滅するのであるから,それが給与等の支払に当たると解するのが相当であることに加え,同項は,給与等の支払が任意弁済によるのか,強制執行によるのかによって何らの区別も設けていないことからすれば,給与等の支払をする者は,上記の場合であっても,源泉徴収義務を負うものというべきである。上記の場合に,給与等の支払をする者がこれを支払う際に源泉所得税を徴収することができないことは,所論の指摘するとおりであるが,上記の者は,源泉所得税を納付したときには,法222条に基づき,徴収をしていなかった源泉所得税に相当する金額を,その徴収をされるべき者に対して請求等することができるのであるから,所論の指摘するところは,上記解釈を左右するものではない。

  4 以上によれば,上告人らに対する賃金の支払を命ずる仮執行の宣言を付した判決に基づく強制執行において,民事執行法122条2項の規定により弁済を行った被上告人が上記賃金に係る源泉所得税の徴収義務を負うとした原審の判断は,正当として是認することができる。論旨は採用することができない。

  よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官田原睦夫の補足意見がある。

  裁判官田原睦夫の補足意見は,次のとおりである。

  法183条1項によれば,給与等の支払義務者は源泉徴収に係る所得税の徴収義務を負うが,それは,給与等を現実に支払うに当たり,「その支払の際」に生じるものである。それゆえ,給与等の支給を受ける者の請求権が確定していても,その支払義務者が実際にその支払をなすまでは,その徴収義務が生じることはない。また,支払義務者が給与等の一部を支払った場合には,給与等の請求権の総額に対する実際の支払額の割合に応じた所得税を源泉徴収した上で,その納税義務を負うことになると解される。

  その理は,法廷意見にて述べるとおり,給与等の支払が任意の手続ではなく,強制執行手続によってなされた場合であっても同様である。もっとも,強制執行手続においては,執行債務者が徴収すべき源泉所得税を徴収する手続は予定されていないから,本件のように給与等の債権者がその債務名義に基づいて民事執行法122条2項により弁済を受ける場合には,源泉徴収されるべき所得税相当額をも含めて強制執行をし,他方,源泉徴収義務者は,強制執行により支払った給与等につき源泉徴収すべき所得税を納付した上で,法222条に基づき求償することになる。

  なお,給与等の債権者による強制執行手続が複数回にわたって行われる場合には,給与等の支払義務者が第1回目の強制執行手続に基づいて支払った給与等に係る所得税の源泉徴収義務は,その支払によって具体的に発生することになるから,同税相当額は,それ以後に支払うべき金額から控除することができる。したがって,給与等の支払義務者は,第1回目の強制執行によって生じた源泉所得税相当額については,第2回目以降の強制執行に対して請求異議事由として主張することができることになる。

 (裁判長裁判官 田原睦夫 裁判官 那須弘平 裁判官 岡部喜代子 裁判官 大谷剛彦 裁判官 寺田逸郎)

島谷六郎裁判長名判決 新潟ひきにげ無罪 最高裁平成元年

業務上過失致死被告事件

 一審二審がめちゃくちゃな認定をしたうえ、その裁判長や裁判官が司法研修所教官になっていたこと、その後になることでも知られています。

 これは氷山の一角ではないかというのが、当時の弁護団の感覚でした。

 裁判集事件としてのは当時の最高裁の感覚では大きなできごとではなかったというこおtでしょうか。

 

最高裁判所第2小法廷判決/昭和59年(あ)第626号

平成元年4月21日

【判示事項】 業務上過失致死事件につき事実誤認があるとして一・二審判決を破棄し無罪を言い渡した事例

【参照条文】 刑法211

       刑事訴訟法317

       刑事訴訟法411

【掲載誌】  最高裁判所裁判集刑事251号697頁

       判例タイムズ702号90頁

       判例時報1319号39頁

 

【評釈論文】 法学雑誌37巻3号137頁

 

       主   文

 

  原判決及び第一審判決を破棄する。

  被告人は無罪。

 

        理   由

 

  弁護人阿部泰雄外二九名の上告趣意は、憲法三一条、三七条一項、二項、八二条違反をいう点を含め、その実質はすベて単なる法令違反、事実誤認の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

  しかしながら、所論にかんがみ職権で調査すると、原判決及び第一審判決は以下の理由により破棄を免れない。

 一 一、二審判決の概要

  原判決が是認した第一審判決の認定判示する犯罪事実の要旨は、「被告人は、昭和五○年一二月二○日午後九時二三分ころ、業務として普通貨物自動車を運転して、国道四九号線を新潟市方面から会津若松市方面に向かい時速約四〇キロメートルで走行中、新潟県東蒲原郡津川町大字津川三四四五番地先道路にさしかかったが、当時夜間であり、しかも現場付近には霧が発生していて必ずしも前方の見通しが良好ではなかったから、速度を調節し、一層前方の注視に努め、進路の安全を十分確認して進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、前方注視不十分のまま漫然前記速度で進行した過失により、折から酩酊してセンターライン付近の進路上に横たわっていたE(当時四〇歳)に気付かず、自車右側前・後輪で同人の頭部から胸部にかけての部分を轢過して、同人を即死させた。」というものであるところ、本件の争点は、被告人の運転する普通貨物自動車(最大積載量四・五トンのいわゆる平ボデーのトラック。以下「被告人車」という。)が被害者を轢過した車両(以下「轢過車両」という。)であるか否かである。

  第一審判決は、第一に、事故現場を通過した関係各車両の通過時間・擦れ違い地点等を中心とした検討によると被告人車を轢過車両と考えざるをえないこと、第二に、鑑定により被告人車の右後輪等には被害者と同じO型のOの血液と毛髪が付着していたと認められること、第三に、現場付近で異常走行を体験した旨の被告人の捜査官に対する供述は信用できることを、それぞれ詳細に説明して、被告人車が轢過車両であると認定し、被告人を禁錮六月、執行猶予二年に処し、原判決は、ややニュアンスを異にする理由説示を含むものの、第一審判決の事実認定を是認し、被告人の控訴を棄却した。これに対し、被告人及び弁護人は、第一審以来、被告人車は事故現場を無事に通過したのであり、轢過車両は後続車である旨主張している。

 二 捜査の経過等

  前記日時場所において、被害者が酩酊して道路のセンターライン付近に横たわっていたところを新潟市方面から会津若松市方面に向かう自動車に轢過されたこと、轢過車両は普通乗用自動車のような軽量級ではなく中量級のトラック・バス類であり、一台の車両だけが轢過に関与していると推定されること、被告人車も右時刻ころ同方向に向かって事故現場を通過していることは、関係証拠上明らかであり争いがない。被告人車が轢過車両として特定されるに至った捜査経過をみると、被告人車は、事故現場を通過後、そのまま国道四九号線を会津若松市方面に向かって走行し、同日午後九時五五分ころ、事故現場から約二六キロメートル余の地点にある福島県警察喜多方警察署西会津派出所前で本件事故の轢過車両発見のための交通検問を受けたが、異常なしということで通過を許され、宮城県志田郡松山町の自宅に返った。新潟県警察津川警察署が右検問の記録に基づいて関係警察署にいわゆる車当たり捜査を依頼したことから、本件事故の二日後の一二月二二日に宮城県警察岩沼警察署の警察官が、岩沼市内の○〇工業株式会社仙台工場(被告人の勤務先)及び岩沼警察署において被告人車を見分した結果、まずその右後輪タイヤ外側面に幅約二○センチメートル、長さ約一九センチメートルというかなり大きい血痕様付着物(以下「右後輪付着物」という。この付着物から、同日岩沼警察署巡査部長林長が白色木綿糸に採取したものが、原判決のいう資料(1)であり、翌二三日新潟県警察本部鑑識課技術吏員横山修一が白色木綿糸に採取したものが、原判決のいう資料(3)である。以下、本判決でもこの資料番号を用いることにする。)が発見され、その他にも右後輪付着物中に塗り込められた状態で付着していた毛髪様の物二本(原判決のいう資料(2))、右後輪後方の泥除板に付着していた血痕様付着物(以下「資料(5)」という。)、右前輪ショックアブソーバー下部ステーに付着の毛髪様の物(原判決のいう資料(4))等が発見された(他にも、若干の付着物や痕跡が発見されているが、一、二審判決とも本件事故との関連性を認めていない。)。被告人は、一二月二三日から司法警察員の取調べを受け、当初は被告人車が轢過車両であることを否定していたが、同日右後輪付着物が人血であると鑑定された旨告げられた後に、現場付近で異常走行を体験した記憶があり、自分が事故を起こしたのかもしれない旨の供述を始め、翌二四日には現場付近で指示説明し、自分が事故を起こしたことは間違いないと供述するに至った(以下、被告人のこの供述を「異常走行体験供述」という。)。その後、被告人は、昭和五一年一二月六日の検察官の取調べにおいては、異常走行体験供述は漠然と仮定の話として述べたにすぎないとしてこれを撤回しているが、専門家が被告人車に付いていた痕跡を人の血や毛に間違いないというのであれば、右後輪でひいているのかもしれない旨供述しており、資料(3)は被害者と同じO型の人血であり、資料(2)及び(4)は人の毛髪である旨の横山技術吏員による鑑定など、被告人車の痕跡と本件事故とを結び付けるような鑑定結果が出揃っていたため、検察官は被告人車を轢過車両と断定して本件起訴に及んだものと思われる(以上の捜査経過の概要は一、二審判決からもほぼ明らかであり、この限度では争いのないところといってよいであろう。)。

 三 被告人車の付着物とその鑑定以外の証拠について

 ところで、第一審判決は、被告人車の付着物及び被告人の異常走行体験供述以外の、A、B、C、D等の供述を中心としたその余の証拠関係を仔細に分析することにより、被告人車を轢過車両と特定しうる旨判示しており、原判決も程度の差はあれ、これらの証拠関係を相当重視している。また、一、二審判決とも、被告人の異常走行体験供述の信用性を肯定し、これを被告人車を轢過車両と認めるための有力な証拠の一つと評価している。しかしながら、右一、二審判決の証拠評価には、以下に述べるような疑問があるといわざるをえない。

 1 被告人車とバスの擦れ違い地点の問題

  被告人は、異常走行体験供述をしていた捜査段階から一貫して、事故現場から約一三〇メートル会津若松市寄りにある「阿賀の川タクシー」看板付近でバスと擦れ違ったと述べている。このバスはB運転の新潟交通の定期バスであり、Bは新潟市方向に運転中、事故現場で被害者が横臥している状況を目撃しているが、このときはまだ事故前であったことは一、二審判決がともに認定し、その認定は是認できるところであるから、被告人の右供述が正しいとすると、被告人車が轢過車両ではありえないことになる(Bは被告人車のようなトラックとの擦れ違いについては何も記憶していないと述ベている。)。第一審判決は、被告人の右供述はその根拠があいまいであるなどとして、その信用性を否定し、被告人車とB運転のバスとの擦れ違い地点を事故現場よりも新潟市寄りの地点であるとしているが、被告人の右供述は、かなりの根拠を伴っており、少なくとも、本件における被告人以外の者の同種供述よりもその根拠が薄弱であるとはいえないし(検察官も第一審の論告までは、被告人の右供述は信用できるとし、逆にBの目撃供述が不正確であり、同人は事故にあった後の被害者を目撃している旨主張しており、被告人の右供述の信用性については、全く争いがなかった。)、事故現場から新潟市寄りの新潟交通津川営業所(B運転のバスは事故現場通過後この営業所に入構した。)までの間に、「阿賀の川タクシー」の看板と見誤るようなものが存在していたという証拠はないところ、被告人は、右供述をする前に、バスの運転手のBがどのような供述をするかは知る由もなかったことが明らかである。原判決も、このような点を考慮したのか、第一審判決とは異なり、被告人車の右後輪付着物につきO型の人血であるとの鑑定がなされていること、及び被告人の異常走行体験供述が信用できることをも、被告人の右バスとの擦れ違い地点に関する供述の信用性を否定する理由としているのであって、やはり、被告人車の付着物及び被告人の異常走行体験供述の評価を抜きにしては、被告人の右バスとの擦れ違い地点に関する供述の信用性を否定することはできないというべきである。

 2 Cの擦れ違い車両に関する供述の正確性

  一、二審判決の論理を追っていくと、被告人車を轢過車両と推定するキーポイントは、被告人車とは逆方向から軽四輪乗用自動車を運転して事故現場にさしかかり本件事故を発見したCの供述から、同人の車が事故現場より約二キロメートル会津若松市寄りの国道四九号線沿いにある平堀の元ボーリング場付近から事故現場に至るまでの間に擦れ違ったトラックは、同人が記憶しているという宮川魚店(事故現場より約四五〇メートル会津若松市寄り)付近で擦れ違った一台だけであり、他にはなかったと認められるという点であろう。そして、一、二審判決はこのトラックが被告人車であるとしている。しかし、Cの供述によっても、同人は当時対向車線のトラックに特に注意を払っていたわけではなく、ごく普通に自動車を運転していたにすぎないのであり、同人に前記一台のトラックについての記憶しか残っていないからといって、二キロメートルもの区間において他に擦れ違ったトラックがなかったと断定することは、事柄の性質上無理というべきであろう。このように、Cの供述からは、当時C車が擦れ違ったトラックが宮川魚店付近の一台に限定できないとすると、一、二審判決(特に第一審判決)の精緻な推論にもかかわらず、轢過車両は被告人車に後続していた別のトラックであり、それが宮川魚店付近でC車と擦れ違ったのではないかという可能性を否定することはできないことになる。

 3 検問関係証拠の価値

  一、二審判決とも、Dの供述等により、前記西会津派出所前で約五分ほど停車して検問を受けてから発進した被告人車と入れ違いにD運転のトラックが右検問場所にさしかかったこと、Dは事故直後に新潟市方面から現場にさしかかり、そこで他の車両とともに事故処理を待った後、先頭となって会津若松市方面に向かって発進し、検問場所まで他の車両を追い越すことも、逆に他の車両に追い越されることもなく走行したこと、国道四九号線の事故現場から検問場所に至る間には、トラック等が通り抜けるようなめぼしい枝道は存在しないことなどの事実が認められ、これらの検問関係の証拠によっても被告人車が轢過車両であることを否定できない旨判示している。しかし、一、二審判決の右認定及び判断は、国道四九号線の事故現場から検問場所までの約二六キロメートルの区間を走行する車両の順序は国道上での追い越しや追い越されがない限り変わらず、事故現場を会津若松市方面に向かって通過した車両は必ず検問場所に行きつくはずであることを前提にしていることが明らかであるところ、関係証拠によると、右約二六キロメートルの区間には少なくとも四本の県道レベルの脇道があるほか、その他の小さな脇道や駐車スペースも多数あることが窺われ、轢過車両は、たとえ脇道から遠方へ通り抜けてしまうことが困難であったとしても、脇道等を利用して後続車との走行順序を変えることは容易であり、また、ユーターンして新潟市方面に戻ることも不可能ではないから(轢き逃げ車両の運転手が脇道に入りしばらく停車して事故の痕跡を払拭して元の道に戻るというようなことは通常予想されるところであるが、本件において、このような可能性を考慮しなくてよいような特段の事情があったとは、一、二審判決も説示していないし、記録によるもそのような事情があったことは全く窺われない。)、右の前提が成り立たないというベきである。

 4 被告人の異常走行体験供述の信用性

  被告人の異常走行体験供述についてみると、その内容は一、二審判決に要約されているとおりであって、被告人車の右後輪のみによる轢過を推定せしめるものである(検察官は起訴状において右後輪のみによる轢過を主張していた。)。しかし、仮に被告人車が轢過車両であるとすれば、右前輪及び右後輪がともに被害者の頭部等に乗り上げる形で轢過したと認めざるをえないことは、関係証拠上明らかであって、一、二審判決とも轢過態様をそのように認定しているところである。被告人が当時居眠り運転をしていたのでない限り、被害者を轢過したのであれば、相当強力な衝撃を二度にわたって感じたはずであり、特に前輪は運転席のほぼ真下にあって、右前輪による轢過の衝撃は強く感じられたはずであるから、被告人の異常走行体験供述は、他の客観的証拠から認められる轢過態様と矛盾するというほかない。被告人車の右後輪付着物は取調官及び被告人の双方に強烈な印象を残したものと思われるから、被告人の異常走行体験供述は、取調官の誘導と被告人の想像による産物ではないかという疑いを否定できないであろう。また、被告人は、異常走行体験供述においては、前記の地点でバスと擦れ違う前にそのような体験をした旨供述しているのであるところ、一、二審判決とも、前記のとおりバスとの擦れ違い地点及び時期に関する供述部分は信用できないとしているのであるから、異常走行体験を述べる部分の信用性についても慎重な検討が必要である。

  以上のような疑問点を考慮すると、被告人車の付着物とその鑑定の関係の証拠を抜きにしては、被告人車を轢過車両と断定することは不可能というべきである。

 四 被告人車の付着物及びその鑑定について

 そこで、被告人車の付着物及びその鑑定についての検討に移るが、この関係で最も重要なことは、右後輪付着物等にO型の人血が含まれていて、それが本件事故に由来するものと推定することに疑問の余地がないか否かということであろう。右の推定が動かないというのであれば、前記のようなその余の証拠の欠陥にもかかわらず、被告人車を轢過車両と認めざるをえないであろうし、逆に、右の推定に疑問が残るというのであれば、付着物の関係からも、被告人車を轢過車両とは断定できないことになる。したがって、以下、血痕鑑定をめぐる問題を中心に検討する。

 1 血痕鑑定等の結果

  主として一、二審判決によって、前記資料(1)(3)(5)についての血痕鑑定等の結果をみると、おおよそ次のとおりである。

  資料(3)は、捜査段階で鑑定されており、前記横山技術吏員が昭和五〇年一二月二三日宮城県警察本部鑑識課の設備を借りて、ロイコマカライト緑テストにより血痕の予備試験をした結果陽性であり、その際宮城県警察本部技術吏員富谷定儀が沈降素反応重層法による人血検査をしたところ、人血であるとの結果が出た。その後、横山技術吏員は新潟県警察本部鑑識課に帰って検査を実施し(以下「横山鑑定」という。)、フィブリン平板法及び解離試験法により、それぞれ人血であること及び血液型がO型であることの結果を得た。他方、資料(1)(5)は、捜査段階では鑑定されることなく、捜査報告書の末尾に袋に入れて添付され、後記桂鑑定に付されるまで、検察庁や裁判所の記録に綴じて保管されていた。なお、資料(5)は、林巡査部長が昭和五〇年一二月二二日に被告人車の右後輪泥除板付着の血痕様の物から採取したものであるが、横山技術吏員が翌二三日に被告人車から資料を採取する際にその同じ血痕様の物につきロイコマラカイト緑テストを実施したところ、陰性の結果が出ている。

  第一審においては、まず、昭和五三年七月から一○月にかけて船尾忠孝教授により鑑定(以下「船尾鑑定」という。)が行われ、資料(3)(横山らが検査していなかった部分)について、いわゆる輪環反応法(当時一般的に行われていた人血試験)により血痕鑑定をした結果、人血の証明が得られないとの結論が出された(予備試験では、べンチジン反応が陽性で、フェノールフタレン反応が陰性であった。)。次いで、昭和五四年五月から九月にかけて桂秀策教授により鑑定(以下「桂鑑定」という。)が行われ、資料(1)(5)について、顕微沈降反応法(桂教授によって開発された新しい人血試験)及び型的二重結合法により血痕鑑定をした結果、いずれも人血で血液型はO型であると推定されるという結論が出された(但し、O型判定につき抗H凝集素は用いていない。なお、事後的に行った予備試験のルミノール反応も陽性であった。)。

 2 血痕鑑定(特に桂鑑定)自体についての検討

  一、二審判決とも、桂鑑定を全面的に信用できるとし、船尾鑑定は、その検体が異なること、各検査法の鋭敏度が異なることなどから桂鑑定とは矛盾しないとみることができるし、それ自体に若干の疑問もあり、横山鑑定及び富谷技術吏員の検査結果をも考慮すると、桂鑑定の信用性に影響を及ぼすものとはいえない旨判断している。

  しかし、船尾鑑定については、一、二審判決が指摘する検体の陳旧度に対する配慮の点や検体からの浸出液の濁りをどのようにみるかという点は、船尾教授が第一審証言において明快に説明しているところであり、一、二審判決が具体的に何を疑問としているのか判然としないし、輪環反応法によっては人血の証明が得られなかったという結論を信頼できないとすべき理由はない。横山鑑定については、同技術吏員が資料(3)の鑑定と同時に、被告人車のショックアブソーバー下部から採取されたとされる肉片様の物についても鑑定し、人の肉片であり、血液型はO型であるとの結論を出しているところ、船尾鑑定では、これは人に由来する組織片ではないことが証明されたとされていることを看過してはならない。一、二審判決ともこの肉片様の物と本件事故との関連性を認めていないのであって(検察官は、第一審においては、この肉片様の物も本件事故に由来する旨主張したが、後述の推定される轢過態様との関係で、その付着部位からもこの肉片様の物と本件事故との関連性は疑問視される。一、二審判決とも、明言はしていないが、横山鑑定の右部分を排斥しているとみるほかないであろう。)、このことは、その資料(3)についての血痕鑑定にも疑問を投ずることになるであろう。富谷技術吏員による検査については、船尾鑑定の結果が出る以前には、そのような検査が行われたこと自体が血痕鑑定に関する横山技術吏員の証言等にも全く出ていなかったし、横山・富谷両技術吏員の各証言によって、検査の概要が述べられているだけであって、その詳細なデータは保存・提出されていないから、これを船尾鑑定を疑問視する材料にすることは相当とは思われない。

  次に、血痕予備試験の結果について検討すると、一、二審判決とも、予備試験は簡易なものであるなどとして、前記のような一部における陰性の結果を軽視しているし、原判決は、他方で予備試験の反応が陽性であるということだけで血液であるといえるかのような判示をもしている。しかし、前記の血痕予備試験の各検査法は、いずれも、血痕のように見える斑痕のうちから血痕らしいものを速やかに選び出すための簡単で極めて鋭敏な検査法であって、従来一般に、検体についていずれかの方法で陰性の結果が出た場合については、実際上は血痕の付着なしとみてもよく、それ以上の検査は省略してよいが(つまり、その斑痕を採取する必要はない。)、逆に陽性の結果が出た場合は、検体が血痕らしいということにすぎず(予備試験は血液以外の物質にも陽性反応を呈することがある。)、血痕であると断定するためには本試験(輪環反応法も顕微沈降反応法も本試験である。)を行なう必要があると説明されている(船尾教授の証言等参照)。したがって、本件において予備試験の一部において陰性の結果が出ていることは、重要な意味を有するのであって、一、二審判決には、予備試験の意義についての誤解があるといわなければならない(なお、予備試験の中でも、べンチジンテストは、鋭敏度の点では群を抜いて最高であるが、特異性は最低であり、血液以外の多くの物質に陽性反応を呈するので、船尾鑑定において、ベンチジン反応が陽性であり、フェノールフタレン反応が陰性であったことは十分理解できるのであり、前者の陽性反応を重視することは相当でない。また、原判決に「ベンジンテスト」とあるのはベンチジンテストの誤記と認められる。)。

  ところで、桂鑑定については、鑑定書に添付されている桂教授等の論文において、顕微沈降反応法は短時間で反応が起こるので実用化に向くということが強調されており、血痕化してから一週間程度のものは数分ないし十数分、二年以内のものは約三〇分、五年ないし一八年のものでも、四分の三は一時間以内、残りも殆ど数時間程度、二一年ないし二六年の保存状態が悪いものでも三分の一が一時間以内、残りで出るものについてはすベて一夜静置(一〇時間程度)で、それぞれ反応が出たという実験データが紹介されているところ、本件の検体(資料(1)(5))は約三年六月を経過しているにすぎないのに、陽性反応が出るまでに四八時間ないし七二時間という長時間を要したとされている点に、特に注意すべきであろう。桂教授は証言において、検体が古くて薄くて少量であるからであると説明しているが、前記論文における実験データと比較すると、この点の疑問はなお残るといわざるをえない。また、顕微沈降反応法と予備試験との関係についてみると、桂教授は、証言では別の説明をしているが、鑑定書添付の文献3の論文においては、顕微沈降反応法で陰性となった陳旧血痕検体一五例についてロイコマラカイト緑テストを行なったところ五例が陰性であった(すなわち一〇例が陽性であったということであろう。)という実験データを発表しているし、船尾教授も証言において、ロイコマラカイト緑テストで陽性に出なかったものについて顕微沈降反応法を試みても陽性に出ないと思うと述ベているのであって、前記予備試験の一部における陰性の結果からも、桂鑑定の結論には不安が残る(なお、桂鑑定については、その検体である資料(1)(5)の鑑定前の前記のような保管状況も気にかかるところである。)。このような疑問点を念頭に置きつつ、桂鑑定の意味するところを検討してみると、桂教授が証言において、しばしば本件検体が非常に薄まっていると述べているほか、検体に含まれている血痕は、ピコグラム(一兆分の一グラム)単位のごく微量なものにすぎないと推定すると述べていること(記録六冊五七六~五七七丁)に注目すべきであって、桂鑑定の結論を採用するとしても、船尾鑑定及び予備試験の陰性の結果をも考慮すると、それは、肉眼で血痕のように見えた右後輪付着物等の大部分は人血以外の物質であり、桂鑑定の時点では新開発の顕微沈降反応法以外の検査法では検出されえないほどの極めて微量の人血が非常に薄まった状態で右付着物に含まれていることを示しているにすぎないと理解すべきことになろう(資料(1)(3)の採取者である林巡査部長や横山技術吏員はこの種の作業に習熟していたということであるから、通常の血痕鑑定を予定してそれに十分な分量を相当な方法で採取したものと思われるし、木綿糸への転写の過程での希釈ということを考える必要がないことは、第一審判決が指摘しているとおりである。)。

 3 推定される轢過態様との関係における右後輪付着物及び桂鑑定の検討

  被告人車の右後輪付着物については、被告人車が轢過車両であるとした場合に推定される轢過態様との関係という問題があり、第一審において、この点に関連して、江守一郎教授、上山滋太郎教授及び井上剛教授による鑑定(以下、それぞれ「江守鑑定」、「上山鑑定」及び「井上鑑定」という。)が行われている。一、二審判決は、被告人車の右後輪付着物が本件事故により付着することはありえないとする江守鑑定があることを考慮してか、轢過態様についてかなり立ち入った判断を示している。

  第一に、桂鑑定との関係で重要なことは、一、二審判決が、轢過態様についてかなり異なる認定をしているにもかかわらず、ともに右後輪付着物は、被害者の出血部位が触れることによって形成されたと認定していることであろう。確かに、記録中の右後輪付着物の写真を検しても、飛散血が付着したものとは考えられない(江守鑑定参照)。しかし、桂鑑定によっても、右後輪付着物の大部分は人血以外の物質であって、極めて微量の人血が非常に薄まった状態で含まれているとしか認められないことは前述したとおりであって、被害者の出血部位が直接触れることによって右後輪付着物が形成されたのであれば、このように微妙な血痕鑑定の結果になるとは到底考えられない。このように、被告人車を轢過車両であるとした場合に推定される右後輪付着物の形成過程との関係を考慮すると、桂鑑定の結論を採用するとしても、右後輪付着物が本件事故に由来するものと認めるには疑問が残るといわざるをえない。

  第二に、一、二審判決が認定する轢過態様によって、被告人車の右後輪付着物が説明できるのかという点について検討する。井上鑑定は、被告人車の付着物や痕跡とされているもののほとんど全部が本件事故によるものであることを所与の前提とした結果、被害者は路上に横たわっているところを轢過されたのではないという結論を出している点で採用しがたいから(検察官もこれを支持していない。)、一、二審判決がこれを無視していることに問題はないが、上山鑑定には、そのように重大な疑問点はないと思われるのに(詳細な鑑定書が作成され、上山教授については当事者双方とも証人尋問の請求をしていない。)、一、二審判決ともその轢過態様の認定において、特に説明を付することなく、右鑑定に示されている専門的知見を無視している点で、疑問があるといわざるをえない。また、江守鑑定について、第一審判決は、右後輪のみによる轢過を前提としている点で本件に適切とはいえず、その分析手法もいささか機械工学的なものに偏りすぎているから採用できないとして簡単に排斥し、原判決は、疑問点を具体的に指摘することなく、結局、その認定にかかる独自の轢過態様と対比して採用できないとしている。しかし、江守鑑定は全体として極めて明快であって、右後輪による轢過以前に右前輪による轢過があるか否かによってその結論に影響があるわけでないことは、鑑定書自体からも明らかであるし、原審で提出された同教授の鑑定補充書に説明されているところでもある。その鑑定手法が機械工学的なものになっているのも、鑑定事項の性質上当然のことと思われるし、上山鑑定及び井上鑑定(井上教授の証言を含む。)は、江守鑑定の結論には批判的であるが、説得力のある論拠が示されているわけではない(上山鑑定は江守鑑定に同意すべき点が多いとも述べている。)。一、二審判決が、前記のような理由によって、江守鑑定を排斥したのは支持しがたいところである。江守鑑定の中で、特に注目される点は、轢過車両のタイヤの踏面等に付着した血液はタイヤの回転する毎に路上に残るはずであるが、現場付近には、現場保存は良好であったと窺われるのに、そのような痕跡が見当たらないという指摘であって(このことは原判決も承認しているところであり、記録に照らし疑問の余地がない。)、このことから、轢過車両のタイヤの踏面には血液は付着しなかった可能性が大きいところ、一、二審判決は、そのかなり技巧的な轢過態様の認定にもかかわらず、被害者の血液が被告人車の石後輪タイヤの踏面に付着せずその外側面のみに付着したということをよく説明しえているとは思われない。このようにみてくると、事故現場の痕跡、被害者の事故の直前直後の位置・姿勢、死体・着衣等の損傷の部位・程度及び被告人車の構造などから、被告人車を轢過車両と仮定した場合に推定される轢過態様の考察からも、被告人車の右後輪付着物を本件事故に由来する血痕であると認めるには疑問が残るといわざるをえない。

 4 右後輪付着物の発見過程における問題点

  被告人車の右後輪付着物については、さらに、その発見過程における問題点もある。

  第一に、前記西会津派出所前での轢過車両発見のための検問の際に、検問警察官は被告人車のタイヤも懐中電灯によって観察しているのに、右後輪付着物が発見されず、被告人車は容疑なしとして通過を許されていることをどのように考えるかという問題があるところ、一、二審判決とも、見過されることはありえないことではない旨判断している。しかし、右後輪付着物は、前述のとおり二○センチメートル×一九センチメートル位というかなり大きなものであって、これが血液であるとすれば検問当時の方が二日後に警察官により発見された時よりも目立つ色調を呈していたであろうし、その付着部位もタイヤの外側であって発見が困難というわけでもないから、一、二審判決が見過された可能性を認める理由として説示しているところ(それ自体としても首肯しがたい部分がないではない。)を考慮しても、検問時においては右後輪付着物は存在しなかったという可能性を全く否定し去ることはできない。

  第二に、被告人車の右後輪付着物等は、本件事故の二日後の一二月二二日に岩沼警察署の警察官によって発見されたことは前述したとおりであるが、〇〇工業株式会社仙台工場(以下「○○」という。)の時点で発見されているのかどうかという問題があるところ、原判決は「同日、まず岩沼署の二瓶速、斉藤養胤両巡査が、〇〇に赴き、工場内の責任者であるI及び被告人に対し轢き逃げ死亡事件の捜査であることを告げて、両名立合のもとに被告人車を見分し、右後輪付着物を現認したが、両巡査はそのまま岩沼署に戻り、文屋義隆巡査部長に右の現認状況の報告をしたところ、同巡査部長は、宇田川敏男巡査らに対し、被告人車をさらに見分して必要があれば車と共に運転者を同行するように指示した。宇田川巡査は〇〇において右後輪付着物を確認し、岩沼署まで四キロメートル位であるところからIの了解を得て、被告人の運転で宇田川巡査が助手席に同乗して被告人車を岩沼署構内まで運んだ。」旨の捜査経過に関する事実を認定している。確かに右警察官らは右認定に沿う証言をしているし、〇〇で付着物が発見された旨記載した捜査報告書もある。しかし、右捜査報告書は、第一審判決により毛髪の付着場所、本数について不正確な記載があるとされており、その正確性には問題があるうえ、この報告書にも警察官が二度にわたって○○に行ったとの記載はないし、被告人の異常走行体験供述を録取した司法警察員に対する供述調書にも、「岩沼市の○〇工業に積荷に行ったとき岩沼警察署から呼出しがあり、同じトラックを運転して岩沼警察署へ行った処津川町のひき逃げの件で車を見せてくれと言われ警察官立合の上車を見た処右後輪外側タイヤの処に血液ようのものがかなり多く(一○センチ四方位)付いており・・・」とか、「二二日の午前九時半ころ岩沼警察署の人が○〇工業まで来て私の車を見て行ったのです。・・・私が今回高岡市に行き帰ってから岩沼警察署に車をあずけるまでの間私以外に運転した人もありませんし洗車もやっておりません。」という記載があり、これによると、被告人が付着物を初めて確認したのは岩沼署においてであると解されるが、〇〇で付着物を確認したことを窺わせる記載は見当たらない。他方、I及び被告人は、○〇での付着物の発見はなかったと供述している。のみならず、原判決が認定する捜査経過は、それ自体不自然なところがあるといわざるをえない。すなわち、轢き逃げ死亡事件の捜査のために最初に出向いた二人の警察官が被告人車のタイヤに血痕様の付着物を発見しておきながら、二人ともそのまま放置して四キロメートル離れた警察署に帰ったというのも、また、二度目に〇〇を訪れた警察官がその場で証拠保全・採取しようとせず、被告人に運転させて被告人車を四キロメートルも離れた岩沼署まで運んだというのも、不可解というべきであろう。このようにみてくると、○○で右後輪付着物が発見されたという原判決の認定には疑問の余地がある。

 5 毛髪等について

 このように、被告人車の右後輪付着物等に本件事故に由来するO型の人血が含まれていると認めるには疑問が多いということになると、一、二審判決が本件事故との関連性を認めている被告人車の付着物で残るのは、資料(2)(4)の毛髪だけである。これに関する鑑定の内容は次のとおりである。

  横山鑑定では、資料(2)は引き抜かれたと思われる人頭毛髪と認められ、資料(4)は引き抜かれたか切断されたと推定される人の眉毛又はまつ毛と思われるが、いずれについても人の性別は不明であり、血液型検査は実施しなかったとされており、船尾鑑定(同教授の証言を含む。)では、いずれも毛髪で血液型はO型であるが(微量のため血液型検査が不能のものもある。血液型検査には抗H凝集素は用いていない。)、いずれについても、人のどの部分の毛であるか、自然脱毛かどうか、これらが同一人に由来するのかどうか、人の性別・年齢などについての判定はできないし、被害者の毛髪であるとして矛盾はないが断定はできないとされている。

  そこで検討すると、まず、資料(4)は右前輪ショックアブソーバー下部ステーに付着していたとされているものであるが、第一審判決が本件事故との関連性を認めていないのに対し、原判決は関連性を認めている。しかし、被害者が顔面を上にしているところを右前輪で轢過されたとしても、その眉毛など(前記横山鑑定の結果参照)が被告人車の前記部位に接触したと考えると、被害者の死体の損傷状況と矛盾してくるので、横山鑑定を前提にする限り、推定される轢過態様との関係から資料(4)の本件事故との関連性には疑問が残るといわざるをえない。次に、資料(2)については、一、二審判決とも本件事故との関連性を認めているが、これは右後輪付着物中に塗り込められた状態で付着していたというのであるから、前述したように右後輪付着物自体の本件事故との関連性に幾多の疑問があるというのであれば、これのみを取り出して関連性を認めるにはよほどの確たる根拠がなければならないであろう。

  ところで、血痕鑑定の関係については、一、二審判決も詳細な判示をしているが、この毛髪の鑑定結果のみでどの程度の証拠価値があるのかは全くといってよいくらい論じられていない。横山鑑定と船尾鑑定の相違点については、船尾鑑定を採用すべきであると思われ(前記2の血痕鑑定における両鑑定の評価参照)、これを前提に考えると、江守教授も第一審証言において述べるように、道路に毛髪らしいものは沢山落ちているし、整備員の毛髪が付くことも考えられるので(第一審判決も資料(4)についてはそのように考えたのであろう。)、毛髪の鑑定結果が、被告人車を轢過車両ではないかと推定させる力はさほど強くないというべきであろう。

  なお、被告人車には、一、二審判決が本件事故との関連性を認めた前記血痕様付着物や毛髪のほかにも、毛髪等の付着物や布目痕等があったとされており、とくに、ラジエータコアサポータやラジエータシュラウドにあったとされる布目痕については、被害者が着用していたポロシャツの布目痕と一致するという捜査段階でなされた鑑定があり、検察官は第一審においてはその本件事故との関連性を主張していたが、被害者が路上に横たわっているところを轢過されたと認められる以上は(この点はまず疑問の余地がないと思われる。)、被告人車のそのような部位に被害者のポロシャツ(被害者はポロシャツの上に防寒用ジャンパーを着用していた。)が接触するとは考えられないし(上山鑑定参照。なお井上鑑定でさえも、この布目痕まで本件事故と関係があると想定することはできないとしている。)、他に、本件事故との関連性の有無を論じなければならないと思われるものは存しない。

  結局被告人車の付着物及びその鑑定の関係の証拠によっても、被告人車を轢過車両であると断定することはできないことになる。

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