栗山茂裁判長名判決 刑訴の伝聞の意義 最高裁昭和30年 強姦致死等被告事件
判例ノート登載 百選は3版まで
最高裁判所第2小法廷判決/昭和29年(あ)第2784号
昭和30年12月9日
【判示事項】 刑訴第411条に当る一事令―事実誤認の場合―
【掲載誌】 最高裁判所刑事判例集9巻13号2699頁
最高裁判所裁判集刑事111号207頁
判例タイムズ56号61頁
【評釈論文】 警察研究31巻8号119頁
別冊ジュリスト1号104頁
別冊ジュリスト32号150頁
別冊ジュリスト51号164頁
別冊ジュリスト74号164頁
別冊ジュリスト89号178頁
主 文
原判決及び第一審判決を破棄する。
本件を鳥取地方裁判所に差戻す。
理 由
被告人の上告趣意、弁護人佐藤哲郎、同小野孝徳の上告趣意、同寺坂銀之輔の上告趣意は、末尾添附の同人らの「上告趣意」と各題する書面記載のとおりである。
被告人の上告趣意は事実誤認、量刑不当の主張であり、弁護人佐藤哲郎、同小野孝徳の上告趣意第一点は判例違反をいうけれども、原審において主張せられず、その判断を経ない第一審の訴訟法違反を主張するに帰し、その余は憲法違反をいう点もあるが、実質は事実誤認、単なる訴訟法違反の主張であつて刑訴四〇五条の上告理由に当らない。
また、弁護人寺坂銀之輔の上告趣意第一点は判例違反を主張するにあるところ、原判決は被告人の性格が婦女に対して異常であることを窺わせるような事跡を掲げ、これにより本件強姦致死の刑責が被告人にあることを推断する一資料としているのであるから、(かような証拠の証明力の程度の問題はとにかく)論旨引用の判例が、犯人の性行経歴が犯罪行為と交渉を有する場合には、その交渉する限度においてこれを当該犯罪事実認定の資料とすることを妨げないとするところと、なんら抵触するところはない。同第二点は刑訴三二一条、三二四条は憲法三七条二項に違反すると主張するけれども、原審において主張せられず、その判断を経ないところであり(刑訴三二一条の合憲性については昭和二六年(あ)第二三五七号、同二七年四月九日大法廷判決、集六巻四号五八四頁参照)、同第三点(但し、撤回部分を除く)は事実誤認の主張であつて、いずれも刑訴四〇五条の上告理由に当らない。
職権により調査すると、第一審判決は罪となるべき事実として「被告人は最初の妻に小供を置いて死なれ、その後二度も妻を娶つたがいずれも生別し、数年来鰥暮をしているものであるが、第一、かねて米子市a番地未亡人AことB(当時数へ年三五才)と情を通じたいとの野心を持つていたところ、昭和二三年五月一日午後七時三〇分頃鳥取県西伯郡b町から自宅への帰途、米子市c地内米川堤防道路上において右Bに出会うや同女を姦淫すべく決意し、同女を道路下の畑や田等のある所に連れ込み同所のC所有の田地(米子市c字d番地)において何かの拍子で倒れた(或は格闘の結果倒れたかも知れない)同女の頸部を手で扼して強いて同女を姦淫しようとして右頸部扼圧の結果同女を間もなくその場で窒息死亡させ(強姦既遂の点についてはその証明が十分でない)」たとの強姦致死の事実を認定し、その証拠として幾多の証拠の標目を挙示しこれを綜合して右事実を認める旨判示している。そして第二審判決は右第一審判決を支持する理由を詳細に説示しているのであるが、「(二)被告人が原判示、日時、場所において、原判示の如く、Bを殺害したとの点」について、「1Bが殺害された当日、被告人がb町に赴いたことは、諸般の証拠によつて明らかである。さて、被告人が、いずれの列車でb町から米子市に帰つたとしても、前叙の如くBが帰途に就き米川堤防道路上に差蒐つた際、偶被告人もBの前方を同一方向に向つて歩行していたことは、原審証人D、E、F、Gの各証言、原裁判所が昭和二七年二月二五日行つた検証の結果、米子鉄道管理局長名義の列車発着時刻に関する回答及び原審裁判官の証人Fに対する尋問調書によつて認められる諸般の事実を通じて容易に窺われる。」と説示している。しかるところ第一審証人Hの証言並びに第一審裁判所が昭和二七年三月一日行つた検証の結果によると、Bが皆生温泉からの帰途、Hと新開橋附近で別れ、そこから一人で同c寺地内米川堤防道路上を、観音寺部落、戸上部落方面に向つて歩行しはじめたのは昭和二三年五月一日午後七時頃であり、同所から徒歩で本件現場附近の道路上にいたる所要時間は約二七分であるから、Bが現場附近に達した時刻は同七時二七分頃となる。一方、被告人が当日午後境駅から乗車し後藤駅で下車したとして、米子鉄道管理局長名義の列車発着時刻に関する回答によれば、右後藤駅着時刻は午後五時三五分頃若しくは同七時九分頃であり、且つ昭和二八年五月一日原審が行つた現場検証の結果によれば後藤駅から本件現場附近の道路上までの徒歩所要時間は約五〇分であるから、被告人が午後七時九分着の列車で後藤駅に到着したとすれば、被告人が現場附近に達する時刻は同八時一分頃となる。従つて、被告人が午後七時九分着の列車で後藤駅に到着したとすれば、右現場附近においてBと出会することは不可能である。されば、原判示のように、被告人がいずれの列車でb町から米子市に帰つたとしても、Bが帰途につき米川堤防道路上に差蒐つた際、偶被告人もBの前方を同一方向に向つて歩行していたことが認められるとすることはできない。しかも第一審証人Fの公判廷の供述並びに第一審裁判官の同証人に対する尋問調書中の供述記載によつては、同証人が米川堤防上で出会つた男が被告人Iによく似ていたと思うというにとどまり、その男が被告人であつたことは同人の確認しないところというのほかなく、その他原判決挙示の証拠をもつては未だ右事実を確認するに足りない。さらに、原判決が理由中(二)の2(イ)ないし(チ)において認定した各事実並びに3、4、5、において認定した各事実がすべて真実であるとしても、かような事実をもつては未だ、Bが米川堤防上に差蒐つた際、被告人も同人の前方を同一方向に向つて歩行していたとの認定事実を肯認するに足りない。
次に、鑑定人J作成の鑑定書によれば、Bの「死後の経過時間は死後強直発現程度、体温等よりして十時間以上経過せるものと推定さる」とあり、解剖に着手した昭和二三年五月二日午後一一時三〇分より逆算して十時間以上とは二日午後一時三〇分より以前ということであり、また、同鑑定人の第一審公判廷における証言によれば、「被害者が死の転帰を取つたのは二日に入つてからと思いますか」との問に対し「私の頭に残つているのは二日の前日の遅くではないかと思う程度ではなかつたかと思います」とあつて、二日の前日の遅くではないかと思うとは、即ち五月一日午後一〇時以後を指すものと解するのが相当である。されば、他により確実な証拠の存しない限り、Bの死亡時は少くとも五月一日午後一〇時以後と推認するを相当とせざるをえない。従つて、第一審判決認定の死亡時間との間に数時間の齟齬あるものというべきである。
さらに、第一審判決は、被告人は「かねてBと情を通じたいとの野心を持つていた」ことを本件犯行の動機として掲げ、その証拠として証人Kの証言を対応させていることは明らかである。そして原判決は、同証言は「Bが、同女に対する被告人の野心にもとずく異常な言動に対し、嫌悪の感情を有する旨告白した事実に関するものであり、これを目して伝聞証拠であるとするのは当らない」と説示するけれども、同証言が右要証事実(犯行自体の間接事実たる動機の認定)との関係において伝聞証拠であることは明らかである。従つて右供述に証拠能力を認めるためには刑訴三二四条二項、三二一条一項三号に則り、その必要性並びに信用性の情況保障について調査するを要する。殊に本件にあつては、証人KはBの死の前日まで情交関係があり且つ本件犯罪の被疑者として取調べを受けた事実あるにかんがみ、右供述の信用性については慎重な調査を期すべきもので、これを伝聞証拠でないとして当然証拠能力を認める原判決は伝聞証拠法則を誤り、引いて事実認定に影響を及ぼすものといわなければならない。
以上要するに、第一審判決が、被告人に本件強姦致死の犯行を認めたことが正当であるかどうかは疑問であり、第一審判決にはその判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認を疑うに足る顕著な事由があつて、同判決及びこれを維持した原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものといわなければならない。よつて刑訴四一一条三号、四一三条に則り原判決及び第一審判決を破棄し、本件を第一審裁判所である鳥取地方裁判所に差戻すべきものとし、主文のとおり判決する。
この判決は全裁判官全員一致の意見である。
検察官大津民蔵出席
昭和三〇年一二月九日
最高裁判所第二小法廷
裁判長裁判官 栗 山 茂
裁判官 小 谷 勝 重
裁判官 藤 田 八 郎
裁判官 谷 村 唯 一 郎
裁判官 池 田 克