岡本法律事務所のブログ

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2022年05月

山王川事件最高裁 昭和43年

環境判例百選第2版17事件

損害賠償請求事件

最高裁判所第3小法廷判決/昭和39年(オ)第902号

昭和43年4月23日

【判示事項】    共同行為者の流水汚染により惹起された損害と各行為者の賠償すべき損害の範囲

【判決要旨】    共同行為者各自の行為が客観的に関連し共同して流水を汚染し違法に損害を加えた場合において、各自の行為がそれぞれ独立に不法行為の要件を備えるときは、各自が、右違法な加害行為と相当因果関係にある全損害について、その賠償の責に任ずべきである。

【参照条文】    民法709

          民法719

          国家賠償法2-1

【掲載誌】     最高裁判所民事判例集22巻4号964頁

          訟務月報14巻6号627頁

          最高裁判所裁判集民事90号1065頁

          判例タイムズ222号102頁

          金融・商事判例113号11頁

          判例時報519号17頁

【評釈論文】    経営法学ジャーナル5号126頁

          ジュリスト404号66頁

          ジュリスト臨時増刊433号61頁

          ジュリスト増刊(民法の判例第2版)184頁

          別冊ジュリスト43号42頁

          別冊ジュリスト65号34頁

          別冊ジュリスト126号48頁

          別冊ジュリスト240号34頁

          時の法令646号53頁

          判例タイムズ224号51頁

          判例評論120号38頁

          法曹時報20巻10号119頁

          法律論叢42巻1号99頁

          補償研究68号72頁

          民事研修596号23頁

          民商法雑誌60巻3号126頁

 

       主   文

 

 本件上告を棄却する。

 上告費用は上告人の負担とする。

 

       理   由

 

 上告指定代理人武藤英一、同古館清吾の上告理由第一点について。

 共同行為者各自の行為が客観的に関連し共同して違法に損害を加えた場合において、各自の行為がそれぞれ独立に不法行為の要件を備えるときは、各自が右違法な加害行為と相当因果関係にある損害についてその賠償の責に任ずべきであり、この理は、本件のごとき流水汚染により惹起された損害の賠償についても、同様であると解するのが相当である。これを本件についていえば、原判示の本件工場廃水を山王川に放出した上告人は、右廃水放出により惹起された損害のうち、右廃水放出と相当因果関係の範囲内にある全損害について、その賠償の責に任ずべきである。ところで、原審の確定するところによれば、山王川には自然の湧水も流入し水がとだえたことはなく、昭和三三年の旱害対策として多くの井戸が掘られたが、山王川の流域においてはその数が極めて少ないことが認められるから、上告人の放出した本件工場廃水がなくても山王川から灌漑用水をとることができなかつたわけではないというのであり、また、山王川の流水が本件廃水のみならず所論の都市下水等によつても汚染されていたことは推測されるが、原判示の曝気槽設備のなかつた昭和三三年までは、山王川の流水により稀釈される直前の本件工場廃水は、右流水の約一五倍の全窒素を含有していたと推測され、山王川の流水は右廃水のために水稲耕作の最大許容量をはるかに超過する窒素濃度を帯びていたというのである。そして、原審は、右の事実および原審認定の本件における事実関係のもとにおいては、本件工場廃水の山王川への放出がなければ、原判示の減収(損害)は発生しなかつた筈であり、右減収の直接の原因は本件廃水の放出にあるとして、右廃水放出と損害発生との間に相当因果関係が存する旨判断しているのであつて、原審の拳示する証拠によれば、原審の右認定および判断は、これを是認することができる。所論は、ひつきよう、原審の前記認定を非難し、右認定にそわない事実を前提として原判決を非難するに帰し、採用することができない。

 同第二点について。

 原審の確定するところによれば、原判示の本件工場廃水は多量の窒素を含み、これが水量の少ない山王川に排出されるときは、右山王川の流水は水稲耕作の窒素許容量をはるかに超える窒素濃度を有することになり、ために右流水を水稲耕作の灌漑用水として利用するにつき有害かつ不適当になるというのである。そして、原審は、右の事実および原審認定の本件における事実関係のもとにおいては、本件工場廃水の放出は、少なくとも本件の昭和三三年のように降雨量の少ない年においては、違法性を帯びるにいたる旨判断しているのであつて、原審の右認定および判断は、挙示の証拠により、これを是認することができる。所論は、原判決を正解せず、原審の前記認定にそわない事実を前提として原判決を非難するに帰し、採用することができない。

 同第三点(1)について。

 記録によれば、甲四二号証として原審に提出された書証が、井戸掘負担金を証明する資料でないことは、論旨指摘のとおりである。しかし、記録によれば、原審は、所論の井戸掘負担金の額を認定する証拠として、被上告人□□A本人尋問の結果を引用しているところ、右によれば、井戸掘負担金額の内訳が原判決添付目録井戸掘負担金欄記載のとおりであるとする原審の認定を是認することができる。それ故、所論は、原判決の結論に影響を及ぼすものではなく、採用のかぎりではない。

 同第三点(2)について。

 原審の確定するところによれば、本件工場廃水の流入する直前の山王川の流水は通常の窒素施肥量にやや近い窒素を含有していたにすぎないが、活性汚泥法による曝気槽の設置された昭和三四年以降においても、右廃水の流入後における流水は、水稲耕作における窒素の最大許容量をはるかにこえる窒素濃度を帯びていたというのであり、また、同三四年頃、上告人と被上告人らとの間で、本件工場廃水の排出方法について原判示の約定が成立したが、その後においても山王川の窒素濃度が減少せず、灌漑用水として十分に利用することができない状態にあつたので、被上告人らは、同三四年七月から同三六年五月までの間に、原判示の深井戸四本を掘つたというのであつて、原審の挙示する証拠によれば、右の認定は、これを是認することができる。そして、原審は、右の事実によれば、山王川の流水を水稲耕作に使用するためには、被上告人らとしては、本件工場廃水により汚染された流水を稀釈する等してこれを浄化し、流水の窒素含有量を水稲耕作に支障のない量にまで引き下げる必要があつたのであり、前記深井戸四本による井戸水注入は汚染された流水の水質浄化のための一方法であるから、右深井戸四本の井戸掘に要した費用と、本件工場廃水放出との間には相当因果関係が存する旨、判断しているものと解せられ、原審の右判断は、前記の事実関係のもとにおいては、正当としてこれを是認することができる。所論の実質は、ひつきよう、原審の前記認定を非難し、右認定にそわない事実を前提として、原判決を非難するに帰するものであつて、採用することができない。

 よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 横田正俊 裁判官 田中二郎 裁判官 下村三郎 裁判官 松本正雄 裁判官 飯村義美)

 

安中事件 前橋地裁昭和57年

環境判例百選第2版6

損害賠償請求事件

前橋地方裁判所判決/昭和47年(ワ)第76号

昭和57年3月30日

【判示事項】    1、亜鉛製錬所排出物を原因とする大気汚染、水質汚濁、土壌汚染による農業損害につき加害企業の故意責任を認めた事例

          2、右農業損害の賠償請求につきいわゆる包括請求方式の可否

          3、農業損害に関する損害額の算定

          4、加害企業の損害賠償債務消滅時効の援用を権利の濫用と認めた事例

【参照条文】    民法709

          民法1-3

          民法724

【掲載誌】     判例タイムズ469号58頁

          判例時報1034号3頁

【評釈論文】    ジュリスト臨時増刊792号85頁

          別冊ジュリスト126号22頁

 

       主   文

 

 一 被告は、主文別表記載の各原告に対し、それぞれ同表の当該原告分の金額欄に記載する金員及びこれに対する昭和四七年三月三一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

 二 同表記載の各原告のその余の請求及びその余の原告らの各請求を棄却する。

 三 訴訟費用のうち主文別表に記載がない原告らと被告との間において生じた分は召原告らの負担とし、その余の訴訟費用は、これを二分し、その一を同表記載の原告らの、その余を被告の各負担とする。

 四 第一項に限り仮に執行することができる。

 

       事   実《省略》

 

       理   由

 

第一 安中公害

 最初に、この判決理由において用いる安中公害の意義を説明する。次いで、安中製錬所の歴史及び同製錬所と周辺の状況について述べ、被害の概略を明らかにする。更に、関係住民運動及び汚染農地指定と土壌改良事業について判示する。

 この判決において当裁判所が認定に用い理由中に掲記する書証のうち、別紙「証拠目録」記載第一及び第二の各一の(一)に含まれるものの成立(又は原本の存在及び成立、以下同じ)は当事者間に争いがなく、同(二)及び(三)に含まれるものは、本件口頭弁論の全趣旨(別紙「書証目録-証言により成立を認定するもの」記載の書証については、加えて当該証言)により成立を認めろ。

 一 安中公害

 この判決理由においては、被告経営の安中製錬所の操業に伴つて同製錬所周辺の相当範囲にわたり大気の汚染、水質の汚濁及び土壌の汚染による生活環境に係わる被害が生じたことを指して「安中公害」という。

 本訴請求の原因として原告らが主張する生活環境に係わる被害は、主として農作物の減収・有毒化被害及び養蚕被害である。

 原告らは、安中公害は安中製錬所の排煙排水に含まれる有害物質、主としてカドミウム、亜鉛及び鉛の重金属並びに硫黄酸化物が原因であると主張し、被告は、安中製錬所の排煙排水にカドミウム、亜鉛等の重金属及び亜硫酸ガスが含まれていたこと、その排出が原因となつて同製錬所周辺に土壌汚染が生じたこと及び同製錬所周辺の鉱害対策委員会の補償要求の対象とされた地域において程度はともかく農作物、養蚕の減収被害が生じていたことを認めるものである。

 二 安中製錬所の歴史

  1 〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

 安中製錬所の沿革は、昭和一二年被告(昭和一六年二月変更前の商号日本亜鉛製錬株式会社)が水利(柳瀬川)及び傾斜地の立地条件を満たす群馬県碓氷郡安中町中宿一四四三番地に建設した亜鉛電解工場から発し、同製錬所は同年六月から輸入焙焼鉱石を原料として電気亜鉛の製錬を開始した。

 しかし、満州事変が拡大するにつれて輸入鉱石に依存することができなくなつたので、被告は、昭和一四年に子会社として設立した日本亜鉛株式会社により、当時長崎県下県郡佐須村(対馬島)にあつた対州鉱山を買収し、昭和一八年から亜鉛鉱石の採掘を始めたが、まもなく第二次世界大戦の影響により採掘が不可能となつた。

 安中製錬所は、その間、昭和一七年二月から黄銅屑を原料として電気銅及び電気亜鉛の再製作業に転換していたが、終戦後昭和二二年に対州鉱山が再開されるに及び、昭和二三年からその鉱石を訴外三井鉱山株式会社彦島製錬所や同東北亜鉛鉱業株式会社茨島工場に委託して焙焼し、その焙焼鉱石を原料として電気亜鉛等の製錬を開始した。

 被告は、その後、対州鉱山での採掘が本格化すると、採掘-焙焼-製錬の一貫作業によつて亜鉛の生産を能率化するとともに電気亜鉛の製錬に必要な大量の硫酸を自家生産して経費節約を図るため、自社で亜鉛鉱石を焙焼し、その焙焼工程から生ずる亜硫酸ガスを回収して硫酸を製造することとし、昭和二六年八月頃安中製錬所に焙焼炉と硫酸工場を増設して設備を大幅に拡充し操業を開始した。(以下右増設を「大増設」という。)

 右大増設は、安中製錬所の生産内容及び生産量をみるうえで同製錬所の歴史を画するものである。その後、安中製錬所は、昭和二九年に亜鉛華の製造を、昭和三一年にダイカスト用亜鉛基合金の生産をそれぞれ開始し、昭和三二年には後記のとおり北野殿地区農民の反対運動にもかかわらず銅電解工場を増設して電気銅の製錬を再開し、昭和三六年に亜鉛製錬設備を増設するとともに鉄電解設備を新設し、昭和四〇年に亜鉛製錬設備を増設するなどして次々と生産を拡大してきたが、後記のとおり違法増設が問題となつてからは生産は拡大されていない。

  2 〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

 安中製錬所は、大増設以前は電気亜鉛のほか電気銅、電気鉛、硫酸銅、硫酸亜鉛、亜鉛末、カドミウム等を生産していた。そして、大増設以降、硫酸をはじめとして逐次生産品目を増加し、昭和三八年頃には電気亜鉛、電気鉛、電気銅、亜鉛合金、亜鉛末、稀硫酸、濃硫酸、発煙硫酸、硫酸亜鉛、カドミウム、亜鉛華、インジウム、銑鉄、電解鉄、金、銀、ビスマス、アンチモン、硫酸銅を製造していたが、その後、一部品目の生産を中止し、昭和四五年頃からは電気亜鉛、亜鉛合金、亜鉛末、亜鉛華、カドミウム、インジウム、薄硫酸、濃硫酸、発煙硫酸を生産している。

 右生産品中の電気亜鉛、亜鉛華、カドミウム、硫酸の生産量の推移は次のとおりである。

  (一) 電気亜鉛

 昭和一二年六月製錬開始の頃は月産四〇〇トンであつた。その後、市鉛鉱石の輸入が困難となつて減少し、昭和二三年対州鉱山の亜鉛鉱石を原料とするようになつてから増加のきざしをみせたが、昭和二五年四月には未だ月産二九一トンであつた。

 そして、

昭和二六年四月 月産   四一四トン

昭和二七年九月 月産  一〇〇〇トン

昭和三二年七月 月産  一三〇〇トン

昭和三四年八月 月産  一六〇〇トン

昭和三六年四月 月産  二四〇〇トン

昭和三八年三月 月産  四六〇〇トン

昭和四〇年三月 月産  五四〇〇トン

昭和四二年三月 月産一万〇七五〇トン

昭和四四年三月 月産一万四五〇〇トン

昭和四五年三月 月産一万七〇〇〇トン

と生産量は増大したが、昭和四五年頃を境に減少し、昭和四六年三月には月産一万一六〇〇トンとなり、昭和五四年三月も同量である。

  (二) 亜鉛華

 昭和二九年六月に生産が開始され、その頃月産四五〇トンであつた。

 そして、

昭和三八年三月 月産   七五〇トン

昭和四〇年三月 月産   九五〇トン

昭和四二年三月 月産  一二〇〇トン

昭和四四年三月 月産  一八〇〇トン

昭和四五年三月 月産  二六七五トン

と生産量は増大したが、昭和四五年頃を境に減少し、昭和四六年三月には月産一五七五トンとなり、昭和五四年三月も同量である。

  (三) カドミウム

 昭和一四年に生産が開始され、第二次世界大戦の影響で一時生産が中止されていたが、昭和二三年九月から再会され、昭和二五年四月には月産一・六一トンであつた。

 そして、

昭和三八年三月 月産    二五トン

昭和四〇年三月 月産    四二トン

昭和四二年三月 月産    七五トン

昭和四五年三月 月産   一〇〇トン

と生産量は増大したが、昭和四五年から昭和四七年まで横這い状態で、昭和四八年三月には月産五五トンに減少し、昭和五四年三月も同量である。

  (四) 硫酸

 昭和二六年九月に薄硫酸の生産が開始され、その頃月産一五〇〇トンであつたが、昭和三七年二月から濃硫酸の生産が加わり、その頃月産三五〇〇トンであつた。そして、濃硫酸の生産量は

昭和四〇年三月 月産  三〇〇〇トン

昭和四二年三月 月産  三五〇〇トン

昭和四三年三月 月産一万一〇〇〇トン

と増大したが、昭和四三年から昭和四六年まで横這い状態で、昭和四七年三月には月産一万〇五〇〇トンに、昭和四八年三月には月産六三七〇トンに減少し、昭和五四年三月は月産六四〇〇トンである。

 三 安中製錬所と周辺の状況

  1 地勢、風

  (一) 地形、水系

 〈証拠〉を総合すれば、以下の事実が認められる。

 安中製錬所は、国鉄信越本線安中駅南方にある丘陵の北側の広範な傾斜地及びその裾の平地を敷地とし、工場等多くの建物が建てられている。安中製錬所の敷地は、その南西隅の一部が安中市大字野殿、南東隅の一部が大字岩井にそれぞれ属するほかは、大字中宿の地内にある。安中製錬所の敷地の南側は、丘陵の上部で、台地となつており、この一帯は野殿の地内である。野殿の西縁部は丘陵の下り傾斜地となつていて、その裾には天神川が南から北に走り中宿地内で他川と合流して柳瀬川となる。天神川の両側には僅かに平地があり、平地の西側は丘陵となり、その西側は大字安中地内の平地に続く。野殿の台地の東縁部は、下り傾斜地を経て水境川及びこれが合流する岩井川に至る。

 右両川は、おおむね南から北に向つて蛇行して岩井地内に入る。

 柳瀬川は、南西から北東に向つて中宿地区を縦断し、安中製錬所敷地の北西隅を横切つて走り、中宿地内北東隅で碓氷川に流れ込んでいる。

 柳瀬川の両側は、安中製錬所敷地付近を除き、平地が広がつており、その北部は碓氷川に至る。

 岩井川は、岩井地内を南西から北東に向つて走り、これも碓氷川に流れ込んでいる。岩井川には南東から北西に向つて走る倉品川が流れ込んである。岩井川、倉品川の合流点までの上流両側には僅かに平地があり、合流点の下流地域には平地が広がつている。

 ところで、安中製錬所の周辺は大字野殿、中宿、岩井、安中、板鼻の五つの地区に別れており、野殿地区は、同製錬所敷地の南側台地で、東は岩井川を越えてその先の丘陵地を一部含み、西は天神川を越えて対岸川沿いの平地の部分を含んでいる。中宿地区は、野殿台地北側の傾斜地及び平地であり、平地の北側は碓氷川に至り、東側で後記岩井地区に、西側で安中地区に接している。岩井地区は、野殿地区の北東に接し、東部の丘陵地と西部の碓氷川以南の平地とを含む地域であり、西側で中宿地区と接している。安中地区は、野殿地区の西方にある丘陵地及び平地であり、平地は碓氷川をはさんで両側に広がるかなり広大な地域である。安中地区の東側は中宿地区及び板鼻地区とも接している。板鼻地区は、碓氷川の北側流域の平地及び山地であり、西側で安中地区と接している。

  (二) 風向、風速

 〈証拠〉を総合すれば、以下の事実が認められる。

 安中製錬所周辺地域に吹く風は、おおむね、寒候期(一〇月から三月)においては西ないし西北西の風が多くて、風は強く、暖候期(五月から八月)においては南東の風が多くて、風は弱い。寒暖両期の区分期にあたる四月及び九月は東の風と西の風が同程度に吹き、年間を通じて南の風あるいは北の風が吹くことは少ない。

 なお、群馬県が安中製錬所周辺において昭和四四年から公害に関し種々の調査を実施したことは後記のとおりであり、そのうち風向、風速調査の結果は年度によりさほどの差異はなく、従来の風向、風速の状況もほぼ同様と推測される。その昭和四六年度調査結果を参考までに掲げると別紙同年度月別風配図のとおりである。

  2 土地利用

  (一) 安中製錬所周辺の農地

 〈証拠〉を総合すれば、以下の事実が認められる。

 安中製錬所周辺には多くの農地があり、それはおおむね丘陵地と河川の周辺に広がる平地とに大別され、主に前者は畑、後者は水田として利用されてきた。

   (1) 畑作地帯

 野殿地区の台地及び傾斜地の農地としては、畑が多く、天水田も散在している。岩井地区の丘陵地(主として岩井川の東側)は畑作地帯であり、一部に水田もある。天神川西方の安中地区丘陵地は畑作地帯である。

 畑作地帯の土壌は、火山灰を主体とする土壌で、土性はおおむね壌土(粘土や砂が適度に混じる土)もに属し、関東ローム層の土壌とほぼ同質である。

   (2) 水田地帯

 碓氷川に沿つて広がる平地は、主として水田に利用されている。この地域のうち、安中製銖所敷地の北側柳瀬川下流域一帯は中宿田圃と俗称される水田地帯であり、その上流の碓氷川流域の水田地帯は安中田圃、碓氷川下流域岩井地区内の水田地帯は岩井田圃とそれぞれ呼ばれる。

 水田地帯の表土の土性は、主として壌土で、所により埴壌土、一部には埴土(粘土の多い土)もある。下層は大きな砂礫の層がある地域はほとんどない。碓氷川流域の水田地帯は、河岸段丘地であり、農林官庁の分類方式にいう灰褐色土壌で、表土は壌質から粘質のものが多く、下層は壌土型であり、減水深は一日約二五ミリメートルであつて、稲作における水の浸透量としては適量の地帯である。

  (二) 工場敷地の拡張

 〈証拠〉を総合すれば、以下の事実が認められる。

 安中製錬所の敷地は、前記のとおり野殿丘陵北側の傾斜地にあるが、製錬所敷地となる前は桑園や普通畑があり、被告は田園地帯に用地を買収して工場を建設したもので、その面積は昭和一五年頃までは三万七〇〇〇平方メートル余りであつて、傾斜地の一部を占めるにすぎなかつた。

 しかし、その後、被告は用地を追加買収して敷地を次第に拡張し、その面積は、昭和二六年七月には八万一〇〇〇平方メートル余り、昭和三八年三月には三〇万平方メートル余り、昭和四〇年三月には四〇万四〇〇〇平方メートル余り、昭和四二年三月には四一万五二一三平方メートル、昭和四四年三月には四三万五七五三平方メートル、昭和四六年三月には五〇万五九一五平方メートル、昭和四八年三月には五一万二三三一平方メートル、昭和五四年三月には五五万六七六一平方メートルとなり、当初の頃に比べると、四方に敷地が拡張され、特に東側への拡張の程度は大きく、野殿台地北側の傾斜地はほとんど敷地に取り込まれ、敷地は北側平地にまで及んでおり、その形状は、広大な東西に長いほぼ長方形をなしている。

徳島市ゴミ焼却場事件 高松高裁昭和61年

環境判例百選第2版 9事件

建物収去土地明渡等仮処分控訴事件

高松高等裁判所判決/昭和52年(ネ)第237号

昭和61年11月18日

【判示事項】    1 慣行水利権の存在する水路上にごみ焼却場設置反対の団結小屋を建てた団体に対して水路敷の使用権を有する市がした右団結小屋の収去を求める仮処分申請が認容された事例

          2 市のごみ焼却場建設につき、付近住民からの差止めを求める仮処分申請が却下された事例

【参照条文】    行政実体法通則2の2

          民法198

          法例2

          民事訴訟法760

          民事訴訟法756

          民事訴訟法740

          民法709

【掲載誌】     訟務月報33巻12号2871頁

【評釈論文】    別冊ジュリスト126号34頁

          別冊ジュリスト240号18頁

 

       主   文

 

 一 原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。

 二 被控訴人反対同盟は、控訴人に対し、徳島市国府町北岩延字桑添一番の一、一番の四地先土地のうち原判決別紙(三)図面(A)表示A、A′、B′、B、Aの各点を順次結んだ直線によつて囲まれた範囲内の部分を、その地上の木造トタン葺平家建仮設小屋及び木造櫓を収去して明け渡せ。

 三 被控訴人反対同盟は、控訴人が原判決別紙(二)物件目録記載の土地にごみ焼却場を建設することを妨害してはならない。

 四 被控訴人木村清らの建設工事禁止の仮処分申請を却下する。

 五 訴訟費用は、第一、二審を通じ、控訴人と被控訴人反対同盟との間に生じたものは被控訴人反対同盟の負担とし、控訴人と被控訴人木村清らとの間に生じたものは被控訴人木村清らの負担とする。

 

       事   実

 

第一 当事者の求めた裁判

 一 控訴の趣旨

 主文同旨。

 二 控訴の趣旨に対する答弁

 1 本件控訴を棄却する。

 2 控訴費用は控訴人の負担とする。

第二 当事者の主張、証拠

 次のとおり補正、付加するほか、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

 一 原判決三丁裏三行目(編注・判例時報八六四号(以下判例時報号数省略)四一ページ二段目二九行目)の「ごみ焼却場」の次に「、以下「本件施設」ともいう。」を加える。

 同五丁裏六行目と七行目(編注・四二ページ一段目一六行目と一七行目)との間に次のとおり挿入する。

 「9′. 仮に妨害排除請求が認められる権利が存在するとした場合にも、本件架橋は、本件水利に影響を及ぼさない。

 すなわち、本件架橋が直接に水の量や質に影響を与えるものではないことは明らかである。そこで、架橋により用水路からの取水、あるいはその通水に影響を与えることにならないかであるが、取水については、本件架橋地点から利水(取水)する農地は全くないのであるから、この点は問題にならない。

 次に、本件架橋の結果、右通水を阻害することにならないかであるが、北岩延区に隣接する井戸地区の用水路上には現在幅員一〇メートル以上の大規模な架橋が存在し、北岩延地区内においても幅員約九メートルの橋をはじめ多数の橋が存在し、また、本件水路上にも幅員約五~六メートルの橋が三本存在しており、これらはすべてコンクリート造りの永久橋であつて、本件架橋が、本件水利に何ら支障を来さないことを示しているのである。

 なお、控訴人は、本件架橋の構造について、本件施設の建設工事用の仮橋の場合はもちろん、永久橋にする場合にも、右泥さらえ等ができるように部分的に取りはずしの可能な鉄板状のもので架橋するなどの構造上の工夫を用意しているのであるが、既に建設し使用されている前記架橋は右のような工夫は一切されていない永久橋である。

 以上のとおり、本件架橋は本件水利に何らの影響を与えないのであるから、たとえ被控訴人反対同盟が前記権利を有する者であろうとも、本件架橋を阻むために、本件架橋予定地点に団結小屋を建造し妨害行為をなすことは許されないのである。

 よつて、被控訴人反対同盟において前記水利権の存在を理由に本件使用許可が無効であると主張するなどして、団結小屋を建築し、控訴人の架橋を妨害することは、本件施設の公共性の点等からいつても、権利の濫用として許されないというべきであるから、控訴人は、同被控訴人に対し、右収去、明渡しを求める。

 9′′. そもそも、控訴人は、本件使用許可を物権的効力を有するものと解しているわけであるが、仮にそれを有せず、許可者たる県知事(国)に対してのみ主張し得る債権的効力しか有しないとされる場合には、控訴人は債権者たる地位に基づき、土地賃借権又はそれに類似した権利を第三者の侵害から保護するために、土地所有者(本件の場合管理権者)が第三者に対して有する妨害排除請求権の代位行使として、被控訴人反対同盟に対し、前記収去、明渡しを求める。

 9′′′. 仮に権利濫用に基づく請求が認められないとしても、本件土地は、本件水路等に囲繞された袋地であるから、控訴人は、囲繞地通行権に基づく妨害排除請求権を有するものである。

 これについては、井原正行宅西横に幅員約二・一メートルの、細井正良宅西横に幅員約一・二メートルの各里道が設けられている。

 しかし、民法二一〇条において囲繞地通行権が認められている趣旨は、ある土地が他の土地に囲繞されて公路に通ずることができないときはもちろん、公路に通ずる道路がある場合であつても、土地(袋地)の用法に従つた利用に必要な通路を欠くときには、公益上の見地から土地の利用関係を調整するため、隣地の所有者にその欠缺の止むまで必要な通路の開設を認容させるにあるものである。したがつて、この囲繞地通行権は単に袋地の場合に止まらず、既に公路に通ずる道路がある場合で人の通行することそれ自体には妨げのない場合であつても、その道路が右土地の用法に従つた利用を図るためにはなお狭あいであつて、そのために土地の利用をすることができないときは、隣地の利用関係その他の相隣関係における諸般の事情を考慮して右通路を拡張し、あるいは新たに開設してそこに通行権を認めるものと解されるのである。

 そこで、右二本の里道が囲繞地の利用を全うするものであるかについてみてみると、その現状は道路とは到底いい難い状態にあるもので、このような場合には、もはや通路は存しないというべきであろうが、仮に百歩譲つて、このような状態のものであつても道路であるといえるとしても、反対同盟自らが主張するようにこの道路は最大幅員二・一メートルの里道にすぎず、清掃車の日常的な通行利用には狭あいかつ軟弱であり、また、この里道の両側は民家のブロツク塀及び水路に接しており、拡幅することも不可能である。

 右里道のこのような状況からする限り、この里道をもつてしては、本件土地の用法に従つた利用を図るために十分なものとは到底認められないわけである。そして、こういう場合にこそ囲繞地通行権が認められるのである。

 よつて、控訴人は、被控訴人反対同盟に対し、囲繞地通行権に基づく妨害排除請求権により、前記収去、明渡しを求める。」

 同八丁裏二行目(編注・四三ページ一段目二行目)の「兼ねる」の次に「とともに同4(三)(6)に対する再抗弁の主張」を加える。

 同一〇丁表一一行目から同裏五行目(編注・四三ページ三段目六行目から一八行目)までの記載を次のとおり改める。

 「(二)(1) 本件土地「北岩延」は徳島駅から約五キロメートル西方に位置する北岩延地区の中の鮎喰川左岸西約一キロメートルに位置する地にあるが、この地点を核に半径一キロメートルの範囲内(以下「本件区域」という。)について人口、土地利用の現況等は、次のようになつている。

 昭和五五年国勢調査人口による人口及び人口密度については、本市全域の人口密度は一三・二五人/haであるのに対し、本件区域においてはわずか四・七五人/haであり、また、人口の伸び率をみても昭和五〇年の国勢調査における数値と比較すると、本市全域の伸び率は四・二一パーセントであるのに対し、本件区域では二・五七パーセントとかなり低くなつている。

 本件区域の土地利用の現況は全体の約四分の三程度が農地であるという典型的な農村地帯であつて、地区内にある民家のほとんどは農村特有の集落形態をとつており、本件土地から三〇〇メートル程度以上離れた所に位置している。農地転用の状況については、昭和四八年度から同五八年度までの一一年間において本件区域内の農地が転用された面積は、田一万六六二一平方メートル、畑二万六八四三平方メートル計四万三四六四平方メートルであるが、この区域は市街化調整区域及び農業振興地域であるので、養魚場や資材置場等に転用されたにすぎず、今後においても、農地転用は住宅地化の要因となるような目的の場合には認められないので、住宅地化への進展は予想されない。

 本件区域内の昭和四五年から同五八年までの建築着工件数は年平均約一五件にすぎず、さらに前述したように本件区域一帯は農業振興地域及び市街化調整区域に指定されているので、都市化現象はこれ以上進むとは認められない。また、本件土地は北岩延地区の東北端部にあつて、同地区を二分することもないので同地区の地域社会の維持、形成等を阻害することもない。

 (2)イ 控訴人は、前述したように、西部地区に本件施設を建設する必要にせまられたために、昭和四四年ごろから用地の選定作業に着手し、徳島市西部地区内の候補地について各方面から情報と資料を収集しながら、立地条件の前記要件に配慮しつつ、現地調査も積み重ね、順次検討していつたものである。

 候補地として採り上げ検討した地区は、次の七か所である。

 一宮町僧都山(以下「僧都山」という。)

 入田町内の御田(以下「内の御田」という。)

 国府町早淵(以下「早淵」という。)

 国府町北岩延(以下「北岩延」という。)

 不動北町一丁目(以下「不動北町」という。)

 国府町花園(以下「花園」という。)

 国府町芝原字西沢(以下「西沢」という。)

 なお、被控訴人は、「行政の怠慢を重ねる徳島市に対して、適地の一例として浜高房という鮎喰川と吉野川の合流する地点で焼却場用地として申し分のないと思われる地を検討してみるように申し入れたことがあるが、徳島市はこの申し出を全く取り上げず検討もしていない」と主張する。

 しかし、この主張は全く誤つている。すなわち、「浜高房」というのは、徳島市の春日町若宮前、宝野の吉野川下流右岸、飯尾川(鮎喰川)の合流点に位置し、南は飯尾川を隔てて不動地区と隣接している沖積地を指すのであるが、当該用地のうち、清掃工場用地として利用できる平地部分、すなわち、河川区域及び河川保全区域を除いた平地部分は約二〇〇〇平方メートルしかなく、控訴人の清掃工場用地として必要としている面積一万平方メートル以上を確保するとなると、隣接する民家約七戸の移転措置を必要とするのである。当該用地の北東には吉野川の河川敷等が広がつているので、それも含めれば一万平方メートル以上の用地を確保することが可能であるようにみえるが、河川敷、すなわち、河川区域並びに堤防敷から二〇メートル以内の河川保全区域では、河川法二四条及び五五条に基づく占用許可を得て、公園、広場、運動場等は例外的に建設を許可されるが、それ以外の清掃工場のような大規模建設物の設置は一切認められていないので、いずれにしろ不可能なのである。

 なお、仮に河川敷のため大規模建設物の設置が禁止されているという問題がなかつたとしても、そもそも河川敷であるから正に浸水常襲地帯であるだけでなく、清掃車が通過できるような進入路がないため、このための整備を要するほか、さらに、幹線道路も付近に設置されていないために、対岸の春日町に向つて長大な架橋が必要となるなど関連付帯工事に膨大な経費の支出を要することとなり、このことからも到底適地とは言えない地なのである。

 ロ 第一段階

 候補地選定作業に着手した清掃事務当局では、まず前記候補地のうち、僧都山、内の御田、早淵の三か所の候補地をとり上げ、各候補地の状況等を現地調査を行いながら詳細に調査し、また、庁内の関係課長で構成する検討会にも諮りながら慎重に検討した結果、次のとおり早淵をまず第一候補地として決定した。

 検討結果

 僧都山は、鮎喰川右岸の県道広野鮎喰線沿いに位置する僧都山の山頂付近の山林、畑、果樹園用地を検討したものであり、面積的には十分であるものの、近くに眉山風致地区を控え、当該用地自体も鳥獣保護区に指定されていること、また、当時本件土地を含めて付近一帯は鉱業権が設定されていたという特殊事情もあり、さらに現状の平坦地部分だけでは面積が不足するため周辺の起伏部分の平坦化等が必要であり、このための造成経費を相当必要とするという問題点があつた。

 また、当該用地への進入路が狭あいなため、清掃車が通過するための道路の拡幅を必要とするが、当該道路沿いには約一五戸の集落が存するため、その拡幅作業の困難が予想され、かつ急傾斜面の山であるため清掃車が円滑に運行できるだけの道路構造にすることが困難であり、さらに北向のため冬期の道路凍結などの問題点が存したのである。加えて、取水方法がないという難点もあり、いずれにしろ不適当であるという結論になつた。

 内の御田については、民間砕石工場が砕石のために山を切りくずした跡地の平坦部及びその上の山腹を計画したものであるため、僧都山と同様山間部に位置しているが、市街地から当該地区への進入路は幅員三メートルないし四メートル程度の県道神山国府線一本しかないため国府町矢野付近における数箇所の狭あいな箇所で交通渋滞を起こす恐れがあると予測された。

 また、上下水道も設置されておらず、排水及び取水のための河川も近くに存しないため、相当な距離の排水、取水管の設置を要するし、取水について地下水を利用しようとしても当該土地の場合は山間部のかつ岩盤の固い地帯にあるので、相当大規模なボーリングをしても、清掃工場として必要なだけの水量の地下水を確保することは困難であろうという問題点も指摘され、さらに立地的にも石井町と隣接した遠隔地にあるため、ごみ収集効率の点からも問題があり、こうしたことから当該地区も清掃工場を立地するには問題点が多すぎるとの結論に達した。

 早淵については、鮎喰川左岸堤下に位置する全体としてほぼ四角形をした平坦な農地を計画したものであり、面積的には約二万平方メートル以上ある。

 人家との接近状況については、当該用地の南側は工場と接し、予定地の近くに民家一戸があるだけであり、また、近辺の人家数もさほど多くはなかつた。

 また、進入路としては、市道鮎喰堤上線と県道鬼籠野国府線をそのまま利用できるという利点があり、さらに、排水については、農業用水路の上流部分に排水するという問題はあるものの、汚水処理施設で農業用水に影響を与えないように対処できるというようなこともあり、こうした点を総合的に判断して早淵を第一候補地と決定したのである。

 ハ 第二段階

 以上のように、当初の段階では早淵を第一候補地として早速所有者等との地元交渉に入り、市関係者が精力的に折衝を重ねたものであるが、付近住民から反対の動きが起こり、かつ計画地の中央部の所有者がどうしても買収に応じないため、結局立地に当たつての必要条件である用地の取得が現実問題としてできないことから、当該地への立地を再検討せざるを得ない状況にたち至つたものである。

 なお、この場合適地であるからとして土地収用法に基づく強制収用により用地を取得する方法も法的には可能であつたが、迷惑施設を強制収用してまで設置するということは前述したように避けなければならないと判断されたので、早淵に立地するには強制収用を避けて通れないという大きなマイナス材料を考慮した場合には、早淵より適地であるといい得るような土地があるのではないか更に検討することになつたのである。

 こうしたことから、第一段階であげた他の候補地を再度検討し直すとともに、新たに、北岩延、不動北町、花園、西沢を候補地に挙げ、検討したものである。

 検討結果

 まず、不動北町については、吉野川右岸の旧新居村の避病舎跡地(昭和六年廃止)一帯を立地予定地と計画したものであるが、旧病舎当時も一メートル二、三〇センチメートル程度の石がきを築き地盤を高くしていたことにも示されるように、飯尾川左岸の本件土地一帯は遊水地帯であるという問題点があり、ここに清掃工場を立地しようとする場合には、こうした地盤高のかさ上げのための全面的な埋立てをすることが必要であり、経費面からの問題がある。

 なお、当該土地に民家がないのも同地が遊水地帯であり、交通が不便なためである。

 また、清掃工場への進入路は不動地区の各学校、食肉センターの前を通行する市道不動名田線しかないので、交通安全あるいは教育環境及び衛生上慎重な検討を要するという問題点がある。

 次に花園については、北岩延地区のほぼ真北に位置し、不動町角の瀬の辺りで飯尾川に面する水田又は畑地を候補地としてあげたものである。

 しかし、当該地域は交通の不便な位置にあり、県道東黒田府中線若しくは市道花園北岩延線、同不動袖畠線まで相当長い距離の取合い道路を設けるか、または飯尾川上に架橋しなければ進入路が確保できないという問題点がある。

 また、当該土地は、農用地地域に指定されており、かつ、控訴人において当該地域を中心にほ場整備事業を計画していたこともあり適地ではないという結論になつた。

 さらに、西沢については、神宮入江川の旧河川敷を候補地としてあげたものであり、徳島市の西端部、石井町に接する辺ぴな地に位置することもあり、広大な面積の用地が確保しやすいものの、逆にいえば、当然のように特に収集運搬効率の点に難点もあり、かつ隣接町村に対して無用の迷惑をかけてはいけないという配慮もしなければならない。加えて、周辺の道路事情が悪く、取付け道路はもとより途中の道路も不十分であること等から道路整備に相当大幅な費用を必要とする。また、当該用地は旧河川敷であるため、浸水対策をはじめ、河川改修等に膨大な経費が必要であるという難点を有するものであつた。

 最後に、北岩延については、昭和四六年九月のちようど早淵地区の立地を断念せざるを得なくなつたときに相前後して、国府町北岩延地区の住民から用地の提供の申出があつたものであるが、周辺の人家数は早淵より少なく(半径一キロメートル以内の人家数は、昭和五〇年国勢調査人家数で早淵が六九四戸、北岩延が四〇二戸である。)、付近の民家数もそれほど多くなかつたものである。

 また、当北岩延地区は、西部地区のほぼ中央部に当たるので、収集、運搬効率上も適しており、取水についても容易であるとともに排水も逆瀬川に接しているため可能であるというようなことで、特に問題となる点もなく、前述したように地元の方から用地の提供の申出があつたということで用地の確保という点での問題もなかつた。そこで、北岩延地区民の代表者及び用地提供者の理解を得るため、控訴人と同種の機械を用いている高松市清掃工場を見学してもらつた結果、この程度のものなら受忍できるとして、立地の同意も得られたものであり、当初は反対運動もなかつたので、最終的に同地を清掃工場用地として決定したものである。」

 同一〇丁裏一二行目(編注・四三ページ三段目二八行目)の「清掃工場に」を「清掃工場を」に改める。

 同一一丁表三行目から一一行目(編注・四三ページ四段目一行目から一三行目)までの記載を次のとおり改める。

 「(四)(1) ごみには、可燃ごみ、不燃ごみ、大型ごみ(家具や家庭用電気製品等)等種々雑多な物が含まれており、これの適切な処分を怠ると、都市の美観が損なわれるばかりか、悪臭やハエ・蚊等が発生し、病原微生物の成長を促すなど、環境衛生上由々しい事態となる。

 したがつて、市民の健康を守るためにも、ごみは適切に収集され、処分されることが必要であり、特に、可燃ごみは、できるだけ早く焼却処分されることが望ましい。

 しかして、控訴人は、地方公共団体として、地方自治法二条二項、三項六号及び廃棄物の処理及び清掃に関する法律六条二項により一般廃棄物を処理する義務がある。

 なお、一般廃棄物のうち事業系ごみについては、同法三条一項の規定により、事業者が自らの責任において処理する責務を負うが、控訴人においては、環境衛生等に対する配慮から、事業者が自ら処分しているものを除き、一般廃棄物処理計画において控訴人の焼却施設及び最終処分場で処理するように定めて、当該処理施設で処理しており、将来においてもこのような方針である。

 (2) 控訴人が処理した可燃ごみの量は、論田清掃工場が竣工した昭和五四年度から昭和五七年度までは年平均四・一パーセントずつ増加し、昭和五八年度は昭和五七年度とほぼ同じ量となつているが、昭和五九年度は四月から一月までの処理量が昭和五八年度の同時期に比べ五・一パーセント増加している。

 可燃ごみは、論田清掃工場で焼却処理しているが、最近、夏季、焼却炉の定期補修時及び年末年始は、ごみ処理が特に困難となつており、昭和五九年度は一〇、一一月の定期補修時及び年末年始にごみ処理が搬入ごみに対応しきれず、一部のごみを埋立処分した。

 このように、既に搬入ごみを論田清掃工場で全量処理することができない状況となつているが、今後、更にごみ量が増加することが予想され、また焼却炉を駆使したことによる施設の疲労、摩耗による補修箇所の増加のため、ごみ処理はますます困難になつて来ることが予想される。加えて、可燃ごみを緊急に埋立するための用地の確保が困難な状況にある。

 以上に述べたことから、本件施設の建設が至急に実現されねばならないところであるが、さらに、本市東部地区にある論田清掃工場のほかに本市西部地区に本件施設を建設しなければならない理由について述べると次のとおりである。

 控訴人が本件施設を本市西部地区に建設しようとする理由は、まず、控訴人のごみ収集量の増大及び収集地区の拡大に対してごみ処理のための埋立地が不足していること並びに東部地区にある既設論田清掃工場と合わせて西部地区に高能力の近代的焼却施設を新設し、控訴人の合理的かつ長期的なごみ収集処理体制を確立することにある。

 現在、西部地区のごみは、東部地区にある論田清掃工場から市内中心部を通つて収集に行き、持ち帰つて処理しているが、西部地区に本件施設を新設することにより、東部地区にある既設論田清掃工場と合わせて分散処理方式をとることができるので、収集車による収集、運搬が効率化され、しかも国道の交通渋滞の一原因でもあつた収集車の右通行がなくなるため、渋滞緩和の一助ともなるのである。そして、それはごみ処理費用の高騰化の抑制及び焼却施設等の充実整備を図ることができるのである。

 すなわち、本市の人口は、昭和四二年から四六年にかけて、規模は小さいながらも大都市と同様、次第にドーナツ化現象を呈しはじめ、市中心部のうちでも特に内町、新町、東富田等の中枢部が減少の傾向を示し、加茂名、加茂、渭北、渭東、昭和等隣接地区は加茂名を除いて昭和四八年ごろから減少の傾向にあり、応神、川内、津田等その外周部の増加が著しい。

泉南アスベスト事件大阪地裁平成22年

環境判例百選第2版16事件

損害賠償請求事件

大阪地方裁判所判決/平成18年(ワ)第5235号、平成18年(ワ)第10633号、平成19年(ワ)第4423号、平成19年(ワ)第8279号、平成19年(ワ)第16301号、平成20年(ワ)第6162号、平成20年(ワ)第11001号

平成22年5月19日

大阪泉南地域の石綿工場の労働者が石綿肺,肺がん又は中皮腫等に罹患したことについて,国の規制権限不行使に基づく国賠法上の責任が肯定された事例

【参照条文】    国家賠償法1-1

【掲載誌】     判例時報2093号3頁

          LLI/DB 判例秘書登載

【評釈論文】    労働法律旬報1731号25頁

 

       主   文

 

 1 被告は,別紙「認容額等一覧表」の「原告氏名」欄記載の各原告に対し,各原告に係る同一覧表の「認容額」欄記載の金員及びこれに対する同一覧表の「遅延損害金起算日」欄記載の各日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

 2 同一覧表記載の各原告のその余の各請求並びに原告3,原告4及び原告8の各請求をいずれも棄却する。

 3 訴訟費用は以下のとおりとする。

  (1) 原告3,原告4及び原告8に生じた費用と被告に生じた費用の10分の1を同原告らの負担とする。

  (2) その余の原告らに生じた費用と被告に生じた費用の10分の9について,これを2分し,その1を同原告らの,その余を被告の各負担とする。

 4 この判決は,第1項に限り,本判決が被告に送達された日から14日を経過したときは,仮に執行することができる。

 

       事実及び理由

 

第1章 請求

    被告は,別紙「請求額等一覧表」の「原告氏名」欄記載の各原告に対し,各原告に係る同一覧表の「請求額」欄記載の金員及びこれに対する同一覧表の「遅延損害金起算日」欄の各日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2章 事案の概要

    本件は,大阪泉南地域のアスベスト(石綿)工場の労働者であった者及びその家族並びにアスベスト工場の近隣で農業を営んでいた住民(相続人を含む。)である原告らが,被告に対し,アスベスト(石綿)粉じんにばく露したことによって健康被害を被ったのは,被告が規制権限を行使しなかったためであり,国家賠償法1条1項の適用上違法であるとして,同項に基づき,健康被害あるいは死亡による損害の賠償を求める事案である。

第3章 前提事実(争いのない事実並びに括弧内の証拠及び弁論の全趣旨により容易に認定することのできる事実)

 第1節 原告ら

     原告らは,大阪泉南地域のアスベスト(石綿)工場の元労働者ないしその相続人,労働者の家族(原告2)並びにアスベスト工場の近隣で長年農作業に従事していた亡Bの相続人である。

 第2節 石綿の物性及び工業的用途(甲ア5・13ないし42頁)(省略)

 第3節 大阪泉南地域における石綿製造業の概要と石綿紡織業疾病等の発生状況(省略)

 第4節 石綿関連疾患の特徴及び症状(現在の医学的知見等)(省略)

 第5節 石綿による業務上の疾病等に係る認定基準の概要(省略)

 第6節 労働関係法制における石綿粉じんばく露防止に関する法規及び行政の対応状況(省略)

第4章 争点

 第1 被告の国家賠償法上の責任の有無

  1 労働関係法における省令制定権限の不行使を理由とする国家賠償責任の有無(争点1)

  2 環境関係法における規制監督権限の不行使及び立法不作為を理由とする国家賠償責任の有無(争点2)

  3 毒劇法(毒物及び劇物取締法〔昭和25年法律第303号〕)における規制監督権限の不行使を理由とする国家賠償責任の有無(争点3)

  4 情報提供権限の不行使ないし情報提供義務違反を理由とする国家賠償責任の有無(争点4)

 第2 各原告との関係における被告の責任及び損害

  1 各原告との関係における被告の責任(争点5)

  2 損害(争点6)

第5章 当事者の主張の要旨(省略)

第6章 当裁判所の判断 その1(認定事実)(省略)

第7章 当裁判所の判断 その2(被告の国家賠償法上の責任の有無)

 第1節 規制権限不行使の違法

     国又は公共団体の公務員による規制権限の不行使は,その権限を定めた法令の趣旨,目的や,その権限の性質等に照らし,具体的事情の下において,その不行使が許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くと認められるときは,その不行使により被害を受けた者との関係において,国賠法1条1項の適用上違法となるものと解するのが相当である(最高裁昭和61年(オ)第1152号平成元年11月24日第二小法廷判決・民集43巻10号1169頁,最高裁平成元年(オ)第1260号同7年6月23日第二小法廷判決・民集49巻6号1600頁,最高裁平成13年(受)第1760号同16年4月27日第三小法廷判決・民集58巻4号1032頁参照)。

     原告らは,被告の規制権限として,労働関係法における省令制定権限,環境関係法における規制監督権限(立法を含む)及び毒劇法における規制監督権限を挙げ,被告のこれらの権限の不行使が原告ないし石綿粉じんばく露の被害者との関係において国賠法1条1項の適用上違法である旨主張するので,以下,労働関係法,環境関係法及び毒劇法の順に,各権限の根拠及び同権限不行使の違法の有無について検討する。

 第2節 労働関係法における省令制定権限の不行使を理由とする国家賠償責任の有無(争点1)

  第1 労働関係法における省令制定権限の根拠及び同権限行使の方法(省略)

  第2 石綿関連疾患についての医学的又は疫学的知見の集積時期並びに被告が石綿粉じんばく露による被害の実態及びそれへの対策の必要性を認識した時期(省略)

  第3 昭和35年の時点における石綿肺防止のための被告の省令制定権限不行使の違法性の有無(省略)

  第4 昭和47年の時点における被告の省令制定権限不行使の違法性の有無

   1 昭和47年までに新たに獲得された医学的又は疫学的及び工学的知見をまとめると以下のとおりである。

    (1) 前記第2のとおり,石綿粉じんばく露と肺がん及び中皮腫の発症との間に関連性があるという医学的又は疫学的知見(ただし,中皮腫が低濃度ばく露によっても発症するとする点は除く。)は,昭和47年におおむね集積されたということができる。

    (2) 粉じん測定機器については,デジタル粉じん計及びろ過材をグラスファイバーとするろ過捕集法のほか,メンブランフィルター法も実用化されており,研究者ないし測定の専門家により用いられる場合だけでなく,一般の事業場において日常的に用いられる場合においても,粉じん全体から石綿粉じんのみの濃度を計測できるだけの知見が成立していた。

    (3) 粉じん測定方法について,昭和40年に個人用のサンプラーが開発されて,ばく露濃度の測定についての知見が確立し,昭和46年の旧特化則の制定時において,環境濃度の測定方法についての知見も得られていた。

    (4) 粉じん濃度の評価指標について,昭和40年に日本産業衛生協会が定めた,じん肺(石綿肺)を対象とする許容濃度は,1立方メートル当たり2mgとされており,また,昭和43年のBOHSの勧告を受けた,英国のアスベスト産業規則は,クロシドライト以外の石綿粉じんの規制値を1立方センチメートル当たり2繊維又は1立方メートル当たり0.1mgとし,クロシドライトの規制値を1立方センチメートル当たり0.2繊維又は1立方メートル当たり0.01mgとしていた。

   2 このような状況のもとで,昭和46年5月1日に旧特化則が施行された。旧特化則は,肺がんや中皮腫の危険に着目したもので,石綿粉じんが発散する屋内作業場における当該発散源への局所排気装置の設置を義務付け(4条),またその性能要件として抑制濃度(1立方メートル当たり2mg)を採用するなど,具体的な規制措置を定めたものである。また,昭和47年10月1日に安衛法,安衛則及び特化則が施行され,上記の規定はおおむね引き継がれるとともに,定期自主検査や健康管理手帳制度の創設等新たな措置を定めた。

   3 原告らは,昭和47年の時点において省令制定権限を行使すべきであるのにしなかった点を以下のとおり列挙するので,逐次,検討する。

    (1) 石綿製品の禁止

      昭和47年の時点において,被告(労働大臣)が,石綿製品の使用又は製造を禁止することを正当化するに足りる医学的又は疫学的知見があったことを認めるに足りる証拠はなく,同時点において,被告が石綿製品の使用又は製造を禁止しなかったとしても,許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠いたものということはできない。

    (2) 局所排気装置の設置にかかる,密閉・機械化

      原告らは,工程ごとに,可能な限り機械化を進め,これを密閉した上,密閉が極めて困難な部位に局所排気装置のフードを設置するという方法をとるよう義務付けるべきであったと主張する。

      確かに,前記(第3,5)のとおり,昭和35年の時点で局所排気装置の代替措置として発散源の密閉化をも使用者に義務付けるべきであったというべきである。そして,原告らが指摘するように,可能な限り機械化してこれを密閉することが労働者の石綿粉じんばく露を回避できる効果的な措置であるということはできる。

      しかし,機械化や密閉を優先的かつ一律に事業者に義務付けることは現実的ではない(だからこそ原告らも「可能な限り」と主張している。)。したがって,「事業者は(中略)粉じんを発散する屋内作業場においては(中略)発散源を密閉する設備,局所排気装置又は全体換気装置を設ける等必要な措置を講じなければならない」(安衛則577条)という規定の仕方による義務付け以上の規定を設けることは困難であったというべきである。したがって,原告らの主張するような措置を義務付ける省令を制定しなかったことが許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠いたものとまではいえない。

    (3) 全体換気装置への除じん装置の設置

      全体換気装置への除じん装置の設置は,作業場外の一般環境への石綿粉じんの排出を防止する措置であり,これは,近隣住民の石綿粉じんばく露を避けるために必要な措置であることはいうまでもない(労働省も,旧特化則施行に当たり,通達〔昭和46年5月24日付け〕において,有害物質含じん気体の大気中への放出が公害をもたらす危険性があることに言及している。)。しかし,これは,労働者の健康,風紀及び生命の保持を行うことを目的とする安衛法に基づく省令制定権限の問題そのものではなく,この関係で違法性を論ずるのは適切ではない。

    (4) 防じんマスクの備え付け

      前記(第3,5(2)ウ)のとおり,防じんマスクは,粉じんばく露防止措置としては,補助的な手段に位置づけられるものである上,被告は,安衛則(593条,596条)及び特化則(43条,45条)において,呼吸用保護具等の保護具の備付けを義務付けているのであり,被告に省令制定権限の不行使があったとはいえない。

    (5) 保護作業着保管

      前記(第3,5(2)オ)のとおり,保護作業着の保管は,職業性ばく露の問題そのものとはいえないし,労働者の作業場外における石綿粉じんばく露の防止という観点においても,これを省令において義務付けることの必要性やその効果が明確とはいえないというべきであるから,これを省令で義務付けなかったことが違法となるとはいえない。

    (6) 基準値の法定と定期測定の結果報告

     ア 旧特化則においては,じん肺(石綿肺)を対象とする抑制濃度を,1立方メートル当たり2mgとしたが,この値は,前記1(4)の英国のアスベスト産業規則(クロシドライト以外の石綿粉じんの規制値を1立方センチメートル当たり2繊維又は1立方メートル当たり0.1mgとし,クロシドライトの規制値を1立方センチメートル当たり0.2繊維又は1立方メートル当たり0.01mgとする)と比較して大幅に高い。しかも,石綿粉じんへのばく露による肺がん及び中皮腫の発症に関する医学的又は疫学的知見が集積されており,特に中皮腫については,低濃度の石綿粉じんばく露によっても罹患するおそれのあることが指摘されていたのであるから,なおさら適切さを欠いたといわざるを得ない。しかし,従来より,このような基準値は,省令により定められてきたわけではなく,労働省の告示や通達によるものである。また,告示ないし通達による内容の違法性を検討するとしても,肺がんや中皮腫についての個人のばく露限界については統一的な基準や知見があるわけではないから,その数値の設定が他国の基準よりも緩和されていたとしても直ちに違法であると評価を下すことはできない。したがって,基準値を更に厳格に改定(法定)しなかったことが違法であったということはできない。

     イ 一方,特化則においては,石綿を製造し,又は取り扱う屋内作業場について,6か月以内ごとに1回,定期に,石綿粉じん濃度を測定し,記録を保存することが義務付けられたが(36条1項),その測定結果の報告は義務付けられなかった。しかし,石綿粉じん濃度を測定して労働環境のモニタリングをすることは,石綿粉じん被害を予防するための前提として,また,その後の労働安全行政に活用するために極めて重要であるから,そのような意義を有する測定が実行されることを担保する措置を講ずることもまた極めて重要である。そして,測定結果が抑制濃度を超える場合にはその改善を義務付ける措置を講ずることもまた重要である。前記のとおり,石綿粉じんばく露によって肺がんや中皮腫に罹患することが医学的又は疫学的に明らかになった時期であったから,なおさらである。したがって,測定結果の報告及び改善措置を義務付けることは測定を義務付けることとともに必要であり,また,そのような報告義務,改善義務を課することにさほどの障害があったとは認めがたいところである。そうすると,これらの措置を義務付けなかったことは,許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くものであったというべきである。

    (7) 特別教育の実施

      前記(第3,5(2)キ)のとおり,特別教育は,粉じんばく露防止措置としては,補助的な手段に位置づけられるものであり,これを義務付ける省令を制定しなかったことが,許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くものとはいえない。

    (8) その他,原告らは,粉じん測定法を定めなかったこと,石綿の危険性の表示及び危険性情報の開示を義務付けなかったこと,小規模零細事業への考慮を欠いていること等を理由として省令制定権限不行使の違法を主張するが,いずれも,その義務付けを省令において規定すべきであった根拠が明らかではなく,採用の限りではない。

   4 まとめ

     昭和47年において,前記3(6)イのとおり,屋内作業場の石綿粉じん濃度の測定結果の報告及び抑制濃度を超える場合の改善を義務付けなかったことは,石綿粉じんによる被害が石綿肺に止まらず,肺がんや中皮腫にも及ぶことが明らかになった段階にあっては,著しく合理性を欠いたもので違法であったというべきである。

 第3節 環境関係法における規制監督権限の不行使及び立法不作為を理由とする国家賠償責任の有無(争点2)(省略)

 第4節 毒劇法における規制監督権限の不行使を理由とする国家賠償責任の有無(争点3)(省略)

 第5節 情報提供権限不行使ないし情報提供義務違反を理由とする国家賠償責任の有無(争点4)(省略)

第8章 当裁判所の判断 その3(各原告との関係における被告の責任及び損害)

 第1節各原告との関係における被告の責任(争点5)

  第1 労働者以外の者との関係での違法性

     原告らは,亡Bが,石綿工場の近隣で農業を行っていて石綿粉じんにばく露したと主張し,また,原告14,原告23及び亡H(相続人原告18)は,経営者として石綿工場で稼働した際に,石綿粉じんにばく露したとして,被告に対し,省令規制権限の不行使を理由とする国家賠償の請求をする。

     しかし,石綿粉じんの規制権限を省令に委任した旧労基法42,43条等の安全衛生に関する規定及び安衛法22条等の健康障害防止措置に関する規定は,いずれも,職場における労働者の安全と健康を確保する趣旨の規定である。したがって,上記法令によって与えられた省令制定権限の不行使が違法とされるのは,旧労基法及び安衛法の保護の対象である労働者との関係においてであるといわざるを得ない。したがって,亡B並びに使用者としての原告14,原告23及び亡Hは,被告に対し,省令制定権限不行使の違法性を問うことはできないというべきである。

  第2 省令制定権限不行使の違法と石綿粉じんばく露による損害との間の因果関係

   1 前記(第7章,第2節,第3及び第4)のとおり,被告(労働大臣)が,旧じん肺法の成立した昭和35年(同法の施行日は同年4月1日)以降の時期において,省令制定権限を行使して局所排気装置等の設置を義務付けなかったために,また,昭和47年以降の時期に,屋内作業場の石綿粉じん濃度の測定結果の報告及び抑制濃度を超える場合の改善を義務付けなかったために,それぞれ,その後の石綿粉じんばく露による被害の拡大を招いたというべきである。

   2 被告の違法と原告8の石綿粉じんばく露との間の因果関係について

     証拠(甲(9)の4,原告8)によれば,原告8は,大正15(1926)年11月13日,現在の韓国の慶尚南道山清郡丹城面で出生し,昭和26年10月ころから昭和34年9月ころ,大林石綿,金沢石綿及びその他小規模の石綿事業所に勤務したこと,原告8は,平成18年12月27日,じん肺管理区分管理2・要療養との認定を受け,続発性気管支炎と診断されたことが認められる。

     そうすると,原告8は,被告の旧労基法又は安衛法に基づく省令制定権限不行使の違法が認められる昭和35年以降の時期に,石綿事業所に勤務しておらず,また,同年以降に石綿粉じんにばく露したことを認めるべき証拠もないというほかはないから,被告の上記省令制定権限不行使の違法と原告8の石綿粉じんばく露による健康被害との間に因果関係を認めることはできず,原告8の被告に対する国家賠償の請求は,理由がない。

   3 他方,上記の省令制定権限不行使の違法と,昭和35年以降の時期において石綿粉じんにばく露し石綿関連疾患に罹患した労働者である後記原告ら又はその被相続人ら(原告8のほか,原告2,亡Bを除く。)の損害との間には,相当因果関係があるものと認められる。なお,昭和35年から昭和47年までの時点では,石綿粉じんばく露と肺がん,中皮腫及びびまん性胸膜肥厚の発症との間に関連性があるという医学的又は疫学的知見は集積されておらず,また,昭和47年以降も,石綿粉じんばく露とびまん性胸膜肥厚との間に関連性があるという医学的又は疫学的知見は集積されていたと認めるに足りる証拠はないのであるが,各疾病が昭和35年以降の石綿粉じんばく露により生じたと認められる場合には,被告の省令制定権限不行使を理由とする違法と,これらの疾病との間の相当因果関係は肯定すべきものと解する。なぜならば,いずれの疾病も石綿粉じんの職業ばく露,すなわち長期又は多量のばく露によって生ずるものであり,量-反応関係にあって,その粉じんばく露防止対策は,ばく露抑制という点で共通であるから,その対策に対応する,被告における被害の予見の内容も,職業ばく露(長期又は多量のばく露)による健康被害というもので足りるのであり,病名,病態のそれぞれについて予見するには及ばないと解するからである。

  第3 原告らの石綿粉じんばく露と健康被害との因果関係

   1 原告2,亡Bを除く原告ら又はその被相続人らの健康被害は,後記(第2節,第2)のとおり,石綿粉じんのばく露により生じたものと認められる。

   2 原告2(省略)

   3 亡B(省略)

 第2節 損害(争点6)

  第1 請求の方式の適否及び損害額の算定方法

   1 包括一律請求について

     原告らは,各石綿関連疾患による被害を受けたと主張する者につき,生存している者と死亡した者のそれぞれにつき,その被害全てを総体として把握し,それに対する慰謝料及び弁護士費用として一律の請求をする(個々の損害項目を合算する方式による請求はしないとするものであって,他の損害項目の請求はしないという意味での全部請求であると解される。)。

     本件のように,石綿粉じんばく露による被害が相当広範な範囲に発生し,被害者,さらには訴訟当事者が多数に及ぶ訴訟においては,個々人の損害(積極損害,逸失利益等の消極損害)を個々に積み上げていく方式では,立証が困難である上に煩瑣であり,審理が長期化して紛争の解決が甚だしく遅延することとなるおそれが大きい。また,原告らは,石綿工場での石綿粉じんへのばく露という共通の原因により,石綿肺,肺がん,中皮腫又はびまん性胸膜肥厚という石綿関連疾患に罹患したものであり,被害内容をある程度類型化することが可能である。その上で,個別に損害額の増減をして(これ自体も類型的とならざるを得ないが)調整することとすれば,加害者側にとっても,類型化された損害の評価についてある程度の防御をすることも可能であるし,個別の減額要因の主張立証も可能である。以上の諸点を考慮すると,事案によっては,包括一律請求も許されるものと解する。そして,本件における原告らの請求方式は,前記のとおり,石綿工場等における石綿粉じん被害について,被害者一人ひとりの被害の全てをそれぞれ包括的に把握し,それを慰謝料及び弁護士費用として金銭評価し,全体請求として類型別に一律の額を請求するというものであるから,上記の点に照らし許されるものと解する。そして,当裁判所は,認定した原告ら又はその被相続人らの被害について,慰謝料額を算定するに当たり,類型別に一律評価をした上で,個別の減額事由の有無を考慮することとする。

     被告は,国家賠償法による損害賠償請求をする際には,個々具体的な損害の内容を摘示し,各損害項目ごとに損害額を明示すべきものであり,原告らは,請求原因事実として主張立証責任を負う事実について,その責任を果たせない旨の弁解をしているにすぎず,本件では,結局,具体的な損害の立証がないというべきであると主張するが,上記のとおりであって,被告の主張は採用することができない。

   2 石綿関連疾患による精神的苦痛及びその金銭評価

    (1) 石綿肺は,前記(第3章,第4節,第1,2)のとおり,一般に,最初に労作時の息切れ,咳,痰等の症状があらわれ,病状が進行すると,咳,痰が激しくなり,続発性気管支炎等の合併症を併発することもあるほか,拘束性の肺機能の低下が著明になると,換気障害を生じ,合併症や急性心不全により死に至ることもある。

      また,肺がんは,前記(第3章,第4節,第2,2(3))のとおり,浸潤性増殖を生じ,血痰,慢性的な激しい咳,喘鳴,胸痛,体重減少,食欲不振,息切れ等の症状を引き起こすほか,全身の臓器に転移をするおそれがあり,5年生存率を15%以下とする調査結果もあるなど,非常に予後の悪い疾患である。中皮腫も,前記(第3章,第4節,第3,2)のとおり,息切れ,胸痛及び咳のほか,胸膜浸潤による胸水の貯留を引き起こすおそれがあるが,標準的といえる治療法はなく,診断確定からの生存期間は7か月から17か月までとされ,やはり非常に予後の悪い疾患である。

      びまん性胸膜肥厚も,前記(第3章,第4節,第4,2)のとおり,咳と痰,喘鳴,胸痛及び反復性の呼吸器感染などの症状を引き起こし,進行すると,拘束性の換気障害を生じて著しい肺機能の低下を来すこともある。

    (2) そして,石綿関連疾患に罹患した者は,後記第2で認定する原告ら又は被相続人らの置かれた状況にもあるとおり,息切れ等の症状に始まり,次第に肺機能障害等が重篤化していき,そのため,ついには,仕事を断念せざるを得ず,また,家族の援助・看護がなければ日常生活を送ることができないようになり,さらには,酸素吸入を必要とするようになったり,安眠ができなくなったり,呼吸困難の発作が生じ,入退院を繰り返すようになるのであり,甚大な肉体的苦痛と精神的苦痛を被るようになることが認められる。また,石綿関連疾患に罹患した者は,不可逆的な進行性の疾患であることに一様に精神的衝撃を受けるだけでなく,周囲の親族・同僚等の罹患者が次々と悲惨な最期を遂げていく状況を目の当たりにして,更に将来に強い不安を抱き,また,家族にかける精神的,経済的,肉体的負担に対する深い負い目にも苛まれていると認められる。

    (3) このような,石綿関連疾患の罹患者の被る精神的苦痛を金銭評価するにあたっては,同疾患によって受ける精神的苦痛が,おおむね石綿肺等の疾患の亢進具合に相関すると考えられるから,じん肺法が定める管理区分に応じた基準慰謝料額を定めるのが相当と解する。なお,上記石綿関連疾患への罹患による精神的苦痛は,現実に療養を必要とする段階にならなくても,石綿関連疾患全体の進行性,不可逆性といった特質に照らせば,将来の不安自体であっても軽度のものとはいえないから,石綿肺が管理区分管理2で合併症がない場合であっても相応の慰謝料額を認めるのが相当である。

    (4) 肺がん及び中皮腫への罹患による精神的苦痛については,上記のとおり,肺がん及び中皮腫の予後が極めて悪く,発症後長年の生存が期待できない疾患であり,進展時の肉体的苦痛も又大きい者であることに照らせば,じん肺において,著しい肺機能の障害があると認められる場合である管理4と同等のものと認められる。

      びまん性胸膜肥厚により労災認定を受けた者の当該疾患への罹患による精神的苦痛についても,びまん性胸膜肥厚による認定の基準として,著しい肺機能障害が必要とされていることに照らせば,やはり,管理4と同等のものと認められる。

    (5) 以上の各事情にかんがみると,原告らあるいは被相続人らについて,基準慰謝料額を以下のとおりとするのが相当である(以下,この金額を「本件基準慰謝料額」という。)。

     ① 管理2で合併症なし             1000万円

     ② 管理2で合併症あり             1200万円

     ③ 管理3で合併症なし             1500万円

     ④ 管理3で合併症あり             1700万円

     ⑤ 管理4,肺がん,中皮腫又はびまん性胸膜肥厚 2000万円

     ⑥ 石綿関連疾患による死亡           2500万円

   3 損害賠償額の修正要素

    (1) 被告の賠償責任の範囲

      前記(第1節,第2)のとおり,省令制定権限行使しなかった違法(局所排気装置等設置の義務付けあるいは屋内作業場の石綿粉じん濃度の測定結果の報告等の義務付けを定めなかった違法)とと原告ら又はその被相続人ら(原告8,原告2及び亡Bを除く。)の石綿関連疾患に罹患したこととの間に相当因果関係があると認められる。

      ところで,被告は,労働環境における労働者の危害防止及び安全衛生に配慮すべき義務に関しては,使用者又は事業者(以下「使用者ら」という。)が第一次的かつ最終的責任を負担するものであり,仮に,本件において,被告が損害賠償責任を負うとしても,被告の責任は,当該石綿作業場を経営する企業が当該労働者に対して安全配慮義務違反に基づく損害賠償責任を負うことを前提として初めて認められる,二次的,補充的な責任にとどまるとして,賠償義務は,使用者等のそれに比して相対的に低い割合に限定されるべきである旨主張する。

      しかし,被告と使用者らとの責任は,いわゆる共同不法行為(民法719条)の関係にあるというべきであるから,被告の責任の範囲を減縮するには,同法719条1項後段を適用するか,類推適用して,被告の責任の範囲を減縮すべき事情を立証すべきであると解する。しかるに,被告の責任の範囲を減縮すべき具体的事情を認めるべき的確な証拠はないというほかはない(原告らの請求は,前記のとおり,包括一律請求として慰謝料の支払を求めているのであり,他の財産上の請求をしないことを前提とするものであるから,慰謝料額自体についてさらに補充的な責任を根拠とする減額をすることは,かえって公平に反する。)。したがって,被告の上記主張は採用することができない。

    (2) 慰謝料額を減額すべき個別的事由

     ア 労災保険法に基づく保険給付及び石綿健康被害救済法に基づく給付について

       被告は,原告らの一部は,労災保険法に基づく休業補償給付や遺族補償給付等,又は石綿健康被害救済法による救済給付や特別遺族給付金等(以下「労災保険給付等」という。)を受領しているところ,これらの原告については,慰謝料額を算定する当たり,労災保険給付等を受領していることが一要素として考慮されるべきであると主張する。

       確かに,一部の原告らに対して労災保険給付等が支給されたことが認められる(争いのない事実,甲(5)の7等)。しかし,前記(第1,1)のとおり,原告らの請求は,生存する者と死亡した者のそれぞれにつき,その被害全てを総体として把握し,それに対する慰謝料及び弁護士費用として一律の額の請求をするものであり,慰謝料以外の財産上の請求はしないというものである。そして,上記の受給分は,法律的には本件の損害の填補となるものではない。したがって,上記の受給分があるからといって,このことを慰謝料額の算定につき斟酌すべき事由とするのは相当でないというべきである。

     イ 肺がん罹患者で喫煙歴のある原告らについて

       被告は,肺がんを発症した原告らのうち,喫煙歴を有する者については,その肺がん発症につき,石綿粉じんばく露による影響よりも,当該原告の長年の喫煙の影響が相当強く及んでおり,損害額の算定に当たっては,上記事情が適切に考慮されるべきであると主張する。

       そして,喫煙は有意に肺がんの発症に影響し,喫煙歴も石綿粉じんばく露歴も無い人の発がんリスクを1とすると,喫煙歴があって石綿粉じんばく露歴がない人では10.85倍,喫煙歴が無く石綿粉じんばく露歴がある人では5.17倍,喫煙歴も石綿粉じんばく露歴もある人は53.24倍になる(乙132・4頁)。

       このように喫煙が肺がん発症のリスクを相当程度高めているという事情を考慮すると,被告に肺がんによる損害の全部を賠償させるのは公平を失するというべきであるから,喫煙歴のある肺がん患者の損害賠償額を定めるについては,民法722条2項の類推適用により,喫煙歴のあることをしん酌するのが相当である。ただし,喫煙量及び喫煙期間と肺がん発症との具体的な相関性までは認めることができないので,減額は控えめに,かつ,一律にするのが相当であり,損害額の10%を減額することとする。

     ウ 使用者らであった原告らについて

       前記(第1節,第1)のとおり,使用者(ないし事業者)として石綿粉じんばく露により健康被害を被ったことについて,被告に対し省令制定権限の不行使を理由とする国家賠償請求をすることはできないというべきであるが,労働者としても石綿粉じんにばく露した者については,その限りで,被告に対し上記を理由とする国家賠償請求をすることができる。この場合には,使用者として石綿粉じんにばく露した期間等を考慮して損害賠償額を定める(減額する)こととする。

  第2 各原告の損害(省略)

  第3 弁護士費用

     本件事案の内容,審理の経過その他一切の事情を考慮し,別紙「認容額等一覧表」の「原告氏名」欄記載の各原告が本件訴訟の提起・追行のために要した弁護士費用のうち,同一覧表「弁護士費用」欄記載の金額の限度で,被告に負担させるのが相当である。

第9章 結論

  以上によれば,別紙「認容額等一覧表」の「原告氏名」欄記載の各原告の請求は,同一覧表の「認容額」欄記載の金員及びこれに対する訴状送達の日の翌日である同一覧表の「遅延損害金起算日」欄記載の各日から各支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度でそれぞれ理由があるから認容し,同原告らのその余の請求並びに原告3,原告4及び原告8の各請求は,いずれも理由がないから棄却することとし,仮執行免脱宣言については,相当でないからこれを付さないこととして,主文のとおり判決する。

    大阪地方裁判所第22民事部

        裁判長裁判官  小西義博

           裁判官  井上善樹

 裁判官浅井隆彦は,転補につき,署名押印することができない。

        裁判長裁判官  小西義博

安楽死に関する平成7年横浜地裁判決

刑法判例百選Ⅰ 第7版 20事件       8版 20事件     松島先端刑法各論26頁 医事法判例百選第2版93事件
 
殺人被告事件

横浜地方裁判所判決/平成4年(わ)第1172号

平成7年3月28日

【判示事項】      一 末期患者に対する治療行為の中止及び安楽死の一般的許容要件

            ニ 右許容要件としての患者の意思表示

            三 家族の意思表示からの右患者の意志の推定

            四 医師による積極的安楽死の許容要件

            五 医師の末期患者に対する致死行為が積極的安楽死の許容要件を満たすものではないとされた事例

            六 末期患者に対する致死行為が殺人罪に問われた医師に対する量刑に当たって考慮された事情

【参照条文】      刑法199

【掲載誌】       判例タイムズ877号148頁

            判例時報1530号28頁

【評釈論文】      警察公論50巻11号39頁

            ジュリスト1072号81頁

            ジュリスト1072号106頁

            ジュリスト臨時増刊1091号134頁

            別冊ジュリスト140号130頁

            別冊ジュリスト142号44頁

            捜査研究44巻11号95頁

            法学教室178号37頁

            法律時報67巻7号43頁

            北陸法学3巻3号27頁

 

       主   文

 

 被告人を懲役二年に処する。

 この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

 訴訟費用は被告人の負担とする。

 

       理   由

 

(事実の経過)

一 被告人は、昭和五八年三月東海大学医学部を卒業し、翌五九年六月に医師国家試験に合格して医師免許を取得し、続いて東海大学医学部付属病院に研修医として勤め、平成元年三月研修医の勤めが終了すると、同大学医学部助手に採用されて、医学部内科学四教室に所属し、同時に神奈川県湯可原町の湯可原中央温泉病院に出向することとなり、同病院で二年間勤務した後、平成三年四月一日付で右内科学四教室に戻り、同大学付属病院で勤務することとなった。

二 B(昭和八年三月三〇日生)は、長年工場で旋盤工として働き、家族として妻C(昭和九年二月二六日生)及び長男D(昭和三三年五月一〇日生)がおり、Dは昭和六二年四月結婚して独立して生活していた。B(以下「患者」という。)は、平成二年三月東海大学医学部付属病院での人間ドックの検査で血液の異常が指摘され、同年四月二一日外来で同病院内科学四教室のE医師の診察を受けたところ、多発性骨髄腫の疑いを受け、病名確定のため同月二三日から同病院に入院し、E医師が主治医となり、同年五月九日多発性骨髄腫と確定診断された。多発性骨髄腫は、発症原因不明のがんの一種であり、現代医学では不治の病気とされており、根治的治療は不可能であり、病気の進行を遅らせるだけの治療しかできないものである。患者の主治医であるE医師は、右入院当日の四月二三日に妻のC(以下「妻」という。)に、白血病類似の多発性骨髄腫の疑いがある旨告げたが、妻はかなりのショックを受けた様子であり、さらに四月二七日には長男のD(以下「長男」という。)とその妻に対し、疑いのある多発性骨髄腫の病名と治療内容、予後の見通しなどを告げ、患者本人にも病名を告知することを相談したが、長男は患者に病名を告知しないことを強く希望し、また母親にも病気について詳しく話さないことを希望したので、患者には病名の告知がなされず、骨髄機能不全と告げられてそのまま経過し、一方長男はその後も病院へ通ってE医師と面談し、検査結果や治療内容について説明を受け、五月中旬ころにはE医師から長男とその妻に、確定診断された病名と今後の治療方針が告げられた。

 ところで、患者が治療を受けていた東海大学医学部内科学四教室は、教授二名、助教授一名、右E医師ら講師六名、被告人ら助手六名、その他研修医や大学院生らが所属し、大学医学部では講議、研究等を担当し、付属病院では医師として外来患者と入院患者の診療を担当し、内科関係のうち白血病、多発性骨髄腫、悪性リンパ腫などの血液疾患、甲状腺疾患などの内分泌疾患、リウマチ、膠原病などを扱っており、講師や助手は主治医として四人から一○人ほどの患者を受持ち、原則として一人の患者に二人以上の複数の主治医が付くことになっていた。

 患者は、東海大学医学部付属病院に入院し続け、主治医のE医師等から抗がん剤の投与等の治療を受けたが、病気の進行が抑えられたことから平成二年六月二三日退院し、その後通院治療を受けながら職場に復帰したが、汎血球の減少など病状が進み、他の大学付属病院で診察を受けたりしたが、治療内容は変らないと説明を受け、汎血球減少が顕著となり病状が一層進行したため、同年一二月四日東海大学医学部付属病院に再入院した。入院後検査の結果、血小板の減少が著しく骨髄腫細胞の異常増殖が進むなど、病状が急速に進行していることが判明し、担当医にE医師の他に研修医のF医師も加わり、長男には病状が説明されて余命の推測も告げられ、各種抗がん剤の投与等の治療が行われたが、効果はなく病状の悪化は止められなかった。同年一二月半ばころから患者には、骨髄腫細胞による骨破壊、腰椎の圧迫骨折に基づく腰痛が生じ、同月下旬には強い腰痛を訴えるようになり、鎮痛座薬が投与され、長男には白血球と血小板が非常に少なく感染症や脳出血等で死亡するおそれがあり、厳しい状況である旨告げられた。平成三年一月一〇日から副作用の少ないスミフェロンを筋肉注射するインターフェロン療法に変えられ、汎血球減少が少なくなり腰痛も抑えられるなど、一時病状が安定したこともあったが、病状の進行は止められずになお悪化し、同年三月一八日ころから腎機能障害が表れ、同月二〇日ころからは骨破壊による高カルシウム血症の症状が出て、全身倦怠感、嘔吐が見られ、同月二二日から生理食塩水に抗生物質等が加えられた持続的点滴が開始された。E医師は、四月一日付をもって同病院輸血センター室長代理に就任することになったため、三月末ころ長男に対し、感染症、脳出血、腎不全等で四月には亡くなる可能性が大きいと告げ、長男から「四月中旬に自分の二人目の子供が生まれる予定だが、それまで持つのか。」と尋ねられて、「どうでしょうか。」と答え、同時に新しい医師が患者を担当することになる旨話をした。

 患者の再入院後は、妻がほとんど毎日病院に赴いて患者の身辺の世話をし、長男は週二、三回病院を訪れて、患者に面会するとともに、週に一度はE医師やもう一人の担当医のF医師と面談し、患者の病状や治療内容等について詳しく説明を受け、血液検査の結果等をノートにメモし、あるいは医学関係の本を自分で読むなどして、薬の使用について医師に要望することもあった。妻は、長男から知らされないこともあって、患者の再入院後も患者の正確な病名や病気の内容を知らないまま過ごしていたが、平成三年三月下旬、知人から紹介されたアメリカの大学に勤める医師に、E医師の作成した患者の病状を記した書面で診断をしてもらったところ、初めて正確な病名と病状を知り、大きなショックを受けたりした。

三 被告人は平成三年四月一日付で東海大学医学部付属病院内科学四教室に戻ることとなったが、同日日中は前記湯河原中央温泉病院へ出向いて診療に当たり、夕方右付属病院へ赴くと、数名の患者の担当医を指示され、本件患者についてもE医師、F医師と共に担当を指示されたことから、医師記録等から患者の病状、治療経過等を把握し、病室へ行って担当医となったことの挨拶をし、さらに翌二日E医師から、患者の病状や治療経過、予後は一か月ほどと見込まれること、患者には家族の希望により病名を告知していないこと、家族の状況などの説明を受けた。被告人は、四月二日から四日にかけては、担当する他の重篤な患者の治療にほとんど当たり、本件患者の治療にはF医師が主に当たって、被告人は同医師から病状の報告を受けていた。

 患者の病状は、腎機能障害や高カルシウム血症に一時改善が見られ、持続的点滴が一旦中止されたものの、四月五日から嘔吐や全身倦怠感が強まり、うつらうつらと眠る状態となり、腎機能障害と高カルシウム血症が表れたため持続的点滴が再開されたが、病状は悪化し、長男が七日夜、患者が血を吐いたとしてE医師やF医師の自宅に電話することがあった。この間、被告人は四月五日、、六日と他の患者の治療に忙殺されて、本件患者の診療にはF医師が当たり、さらに被告人は四月七日の日曜日には、同僚の医師から頼まれて茅ケ崎の診療所の夜間当直に当たり、翌八日は湯河原中央温泉病院へ出向いた。

四 四月八日以降について、患者の病状と治療状況、被告人の対応、妻と長男(以下両名を「家族」という。)の被告人及び病院関係者に対する言動等は、以下のとおりである。

1 四月八日

 患者は、四月八日になると全身状態の悪化傾向が更に強まって、病室を大部屋から個室に移され、腎機能障害が悪化するとともに高カルシウム血症となり、点滴やフォーリーカテーテルを抜こうとする不穏行動や体動が出たため、手足を抑制帯で抑えられ、意識レべルは低下してぼんやりした状態となり、鎮静剤の投与が行われ、点滴によるカルシウムの洗い流しを試みても効果がないため、カルシウム値を下げるための血漿交換が行われた。

 被告人は、同日午後六時ころ、前記湯河原中央温泉病院から付属病院へ戻り、F医師から報告を受け、血漿交換を終えた患者の様子を診察し、その後患者の病状を伝えるため当直の医師に連絡をしたところ、逆に交代してくれるよう頼まれたため、当直をすることとなり、夜半に二回ほど患者の様子を診て回った。

 一方、E医師は、四月八日から一〇日まで学会出席のため不在であった。

2 四月九日

 患者は、意識レベルは前日と余り変らず、ぼんやりして簡単な命令にしか応じない状態であり、しきりにフォーリーカテーテルを外そうとする不穏行動を示し、血漿交換は、血小板が非常に減少して出血のおそれがあるため、見合わせられた。

 この日は教授回診の日であったが、F医師は、午前九時ころ妻と長男から、「患者は一晩中眠っていなかった。フォーリーカテーテルの痛みを訴えており、つらくて見ておれない。家族としては、血漿交換はもうしなくてよく、点滴とフォーリーカテーテルも抜いて、治療はやめてほしい。患者はみんな分かっているのです。治る病気ではないので治療する意味はなく、苦しめるようなことはしないで下さい。」と言われ、その直後に被告人もそれをF医師から聞き、また教授回診の際、F医師が家族から治療中止の申し出があったことを教授に伝えた。しかし、教授の説明もあって、教授回診後家族から、今朝の申し出は取り消したい旨F医師に話があり、被告人もそれを聞いて、家族の態度は変化するし、その動揺も激しいものと思った。

3 四月一〇日

 患者は、時折不穏行動を示すことがあったが、血圧、呼吸、脈拍が安定し、病状は悪いものの安定し、意識レベルは呼んでも答えないようなやや下がった状態となり、入眠状態にあることが多かった。

 午後六時半ころ妻と長男からF医師に、「治療を中止して欲しい。かわいそうなので、点滴もフォーリーカテーテルも外してほしい。」旨申し出があり、執ように中止を頼んで、説得してもなかなか納得せず、F医師が一時間ほど説得して、ようやく治療中止をしないことに落ち着いた。午後九時ころ妻からF医師の自宅に、睡眠薬の注射をしないことを約束したのにそれが破られたとして非常に感情的で怒っているような電話があり、F医師は家族への応対に困惑を感じ、自信が持てなくなった。

 被告人は、この日一日中専ら他の担当する重篤な患者の治療に当たり、本件患者を診察することはなかった。

4 四月一一日

 患者は、全体状況は前日と変わりなく、意識レベルはやや低くなって、東海大学付属病院の定める意識レベルで四(呼んでも答えないが、開眼や手を動かすなどの反応がみられる状態)あるいは四ないし三(呼べば返事をするが、簡単な命令にしか応じない状態)となり、被告人の診断では、予後は四、五日ないし一週間くらいであった。

 午前九時ころF医師から被告人に、前日家族から治療中止の申し出があったことが伝えられ、さらに同医師から、前夜妻が感情的で怒ったような電話をしてきた旨の話があり、病室へ行った際の妻の態度にも険悪な雰囲気が感じられたことから、E医師も加わって三人で相談した結果、F医師は家族との応対はせずに裏方に回り、被告人が前面に出て治療と家族への応対に当たることとなった。またその際、治療方針としても危険を伴う血漿交換は行わず、腎機能障害や高カルシウム血症等に対してその都度対症療法を行ってゆくことが確認された。そこで被告人は、家族の意向がしばしば変わることから話し合いをしておこうと思い、午前九時三〇分ころ妻に対し、「今は確かに厳しい状態です。しかし、医師というものは可能性があれば少しでも治療を続けるのが当然であり、私も可能性を信じて治療をしているのですから、家族の方も頑張って下さい。治療をすべて中止すれば後で後悔することになりますよ。一応治療については今までどおり続けます。」旨話したところ、妻は、筋肉注射など患者に苦痛を与えることをするのには抵抗を示しつつも、従前どおりの治療を続けることを承知した。一方長男は、午後F医師から、治療と家族への応対には被告人が当たることになった旨告げられ、その際患者はどのくらいもつのか尋ね、F医師から一週間かもしれないと教えられた。被告人は、他の重篤な患者の治療に従事し、午後六時ころ長男に対して、「状況は厳しいです。何時亡くなってもおかしくない状態にあります。しかし、医師は可能性があると信じて治療していますので、最後まで頑張ります。家族の方も頑張ってください。」と話したところ、長男は、最後は自然な姿で死を迎えさせてやりたいと考え、「いよいよという時には点滴やフォーリーカテーテルなどは全て抜いて下さい。」と、患者の死期が迫ったときには、全ての治療を中止することを申し入れた。被告人は、死期が迫ったときでも、全ての治療を中止することは医師として行うべきでないと考えていたので、長男の申し入れを断り、治療を最後まで継続することが医師の務めであることなどを説明した。しかし、長男はなおも、「それでは、父が苦しまないようにして下さい。」と言って、死期が迫ったときには無意味な治療をやめ、苦痛なく安らかに死を迎えられるようにしてほしい旨希望したため、被告人も、家族の希望を入れて心肺蘇生術を施さない例が以前にもあったため、「いよいよ死を迎えたときには心肺蘇生はやめましょう。」と答えた。しかし、被告人は、また家族から治療の中止を申し出てくるのではないかと考え、この家族にとって患者は何なのか、こんなことがあってよいのかと悲しく思ったりした。

5 四月一二日

 患者は、腎機能が悪化し、肺炎併発の疑いのため抗生物質の投与を始め、舌根沈下が見られるためエアウエイを装着し、意識レベルは低下して四ないし五(呼び掛けに全く反応しないが、疼痛刺激には反応する状態)であり、対光反射はあるが痛覚反応なしの状態となった。夜になり、患者の呼吸状態は悪くなり、深大性の呼吸となった。

 この日は助教授回診の日であったが、妻から看護婦に、「インターフェロンも効いていないからやめて下さい。」と申し出があったため、被告人がインターフェロンの効果について説明し、納得を得た。

 長男は、午後二時過ぎころ病院へ行き、患者に生れた長女の写真を見せたが、意識が全くなく、病状はますます悪くなっていると思い、夜には妻と長男が一緒に泊り込んで付添いに当たったが、患者は意識が全く無く、声を掛けても反応が無く、苦しそうな呼吸をして時々それが止まるようにも思われたため、長男は、患者に本当の病名を知らせず、治るからと嘘を言って闘病生活をさせてきたことが申し訳なく、患者に非常に気の毒なことをしてきたと思うようになった。

 被告人は、この日はほとんど他の危篤状態の患者の治療に当たり、その患者が死亡したので、夜その病理解剖のための書類作りをし、一旦結婚記念日のため妻と外で食事をした後病院に戻り、翌午前三時過ぎころ帰宅した。

6 四月一三日

(1)患者は、午前二時ころ意識レベルは五ないし四で、呼吸は深大性であり、午前八時ころ呼吸が深大性からビオ様(いびきのような呼吸)となり、一時チェーンストークス様も表れたが、午後二時ころ意識レベル五で、舌根沈下が見られ、午後三時過ぎころ意識レべル六(疼痛刺激に対しても全く反応しない状態)であり、午後四時ころも意識レベルで対光反射なしの状態となり、午後六時も同じく意識レベル六であり、手指にわずかの軽度チアノーゼが表れ、午後八時には、意識レベル六であり、手指に軽度のチアノーゼが表れていた。

(2)朝を迎えて、前夜来泊り込みで付添いに当たっていた長男は、患者が苦しそうにしているとみじめでかわいそうであり、見ているのが辛くて堪らなくなり、患者の命もあと僅かであろうし、まもなく死亡するのであれば、息子としてしてやれることは、嫌がっている点滴やフォーリーカテーテル等を全て外して治療をやめ、苦しそうな状態から解放して自然に楽に死亡させてやることであり、そのために死期が多少早まってもかまわないではないか、母も看病で疲れ切っており、このままでは体を壊してしまうおそれがあるので、母のためにもむしろ死が早まった方がよいのではないか、と考えた。妻もまた、患者の苦しむ姿はみじめでかわいそうであり、最後くらい嫌がっている点滴やフォーリーカテーテルを外して苦しさから解放させてやりたい、そのために死期が多少早くなってもかまわないと考えた。そこで、二人は、話し合った結果、患者から点滴やフォーリーカテーテル等を外して治療を全面的に中止し、そのため多少死期が早まっても、患者が自然に楽に死を迎えるようにしてもらおうと決心した。

 午前九時ころ、妻は、廊下で会ったE医師に思い詰めたように、「もう一週間も寝ずに付き添ってきたので疲れました。もう治らないのなら治療を全てやめてほしいのです。それをA(被告人)先生に話すつもりです。」旨話し、E医師は、「そうですか。」と答えた。

 午前一〇時ころ、長男と妻は病室に来たG看護婦に、「やるだけのことはやったからもうよいです。自然の状態で死なせてあげたいので、点滴もフォーリーカテーテルも全部抜いてほしい。」と頼んだ。午前一一時ころ、G看護婦から右依頼の件を聞いて病室にやって来た被告人に、二人は、「点滴やフォーリーカテーテルを抜いてほしい。もうやるだけのことはやったので早く家に連れて帰りたい。これ以上父の苦しむ姿を見ていられないので、苦しみから解放させてやりたい。楽にしてやってほしい、十分考えた上でのことですから。」と強く要請した。被告人はそれに対し、点滴をやめるのは、栄養や水分の補給等をやめて患者の死期を早めることにつながるため、「そんなことはできません。医師として最後まで頑張るつもりです。」と説得したが、二人はなおも、「家族としてこれ以上見ておれない。私たちも疲れたし、患者もみんな分かっているのです。もうやるだけのことはやったので、早く家に連れて帰りたい。楽にしてやって下さい。」と迫り、被告人が、「治療をやめてくれというのは、患者の命を自由にすることであり、勝手すぎるのではないか。医師としては最後まで頑張らなければならない。」と説得しても、二人は、「もう十分考え話し合って決めたことですから、早く家に連れて帰りたい。これ以上辛くて見ていられない。楽にしてやって下さい。」と言い張り 一向に被告人の説得を聞き入れようとはしなかった。こうした家族と話し合い、その強固な態度を目の前にして、被告人は、一方では医者としては治療の中止はできないことであると思いながらも、他方では家族が、患者は末期状態で命もあと一日か二日であり、死期が多少早まっても、最後くらい患者の嫌がる点滴やフォーリーカテーテルを外して楽な自然の状態で死なせてやりたいという気持ちになるのも十分にわかり、それに、看病にも熱心で患者をいたわる気持ちが強い家族の頼みなら、患者の気持ちにそぐわないこともないのではないかとの思いが心をかすめたりするのであった。こうして、被告人は、医師としての使命を思う考えと家族の熱心な気持ちを思う考えとの間であれこれ悩んだ末、患者の意思に考えを及ぼさないではなかったものの、ともかく家族の強い希望があることからそれを入れて、患者の嫌がっているという点滴やフォーリーカテーテルを外すなど治療を中止し、患者が自然の死を迎えられるようにしてやり、そのため患者の死期が多少早まってもよいのではないかと決意するに至り、家族に「分かりました。」と返事した。被告人は、ナースステーションに戻り、病棟の看護責任者であるH看護婦に、「家族から治療を全てやめて欲しいと言われ、何度も説得したが、どうしても聞き入れてくれないので、治療を中止して、点滴、フォーリーカテーテルを外すことにしたから。」と話した。それを聞いたH看護婦が、「私も家族と話をしてみますから。」と言って病室へ行ったが、しばらくして戻って来て、「やはり治療を中止して欲しいと言われた。」と言ったので、被告人は、午前一一時二○分ころG看護婦に、「Bさんの治療を全て中止する。点滴とフォーリーカテーテルを抜去し、痰引などもしなくてよい。」旨治療の全面的中止を指示し、与薬指示事項表に治療を全面的に中止する旨書き込み、看護婦のりーダーであるI看護婦にも、患者の治療を全て中止するので、点滴、フォーリーカテーテルを抜去し、除痰などもしないように指示した。G看護婦は、午後零時ころフォーリーカテーテルを、同零時半ころ点滴をそれぞれ患者から外した。

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