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2025年06月

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高輪グリーンマンション事件控訴審判決

                 東京高等裁判所判決/昭和54年(う)第490号

             昭和57年1月21日

【掲載誌】         最高裁判所刑事判例集38巻3号1270頁

 

       主   文

 

 本件控訴を棄却する。

 当審における未決勾留日数中九〇〇日を原判決の刑に算入する。

 当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

 

       理   由

 

本件控訴の趣意は、弁護人加藤満生、同猪狩庸祐、同沼尾雅徳連名提出の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官提出の答弁書に、それぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

一 控訴趣意第一について

所論は、原判決は理由を付さず又はその理由にくい違いがあり、刑訴法三七八条四号の事由があるから、破棄されるべきであるとし、原判決挙示の証拠によつては原判決記載の犯罪事実を認定することができず、被告人の自白は矛盾、不合理に満ちたものであつて信用することができないし、補強証拠の存在も肯定できないと述べ、犯行の動機、犯行現場到着時刻とアリバイ、犯行時刻ないし被害者の死亡推定時刻、殺害の手段等の諸点につき、原判示事実自体、あるいは原判決の認定事実と挙示する証拠との間、又はその証拠相互の間に各種の矛盾、不合理が存在し、理由不備又は理由のくいちがいがあるとして、種々詳論するのである。

そこで、原審記録ならびに証拠物を調査検討すると、原判決が掲げている各証拠を総合すれば原判示どおりの「犯行に至る経緯等」および「罪となるべき事実」を十分に認定することができるのであり、原判決に刑訴法三七八条四号前段又は後段所定の事由があるとは決して考えられない。証拠の評価や事実認定に関する当裁判所の判断の詳細は、控訴趣意第三の事実誤認の主張に対する判断として後述するとおりであるが、理由不備ないし理由そごをいう所論の諸点についての判断を示せば以下のとおりである。

1 先ず、所論は、被告人が犯行当時まで被害者に対し未練の情を絶ち切れないでいたとする原判決の認定は、なんら証拠に基づかないものであり、犯行の動機に関する原判決の判示事実自体にも矛盾が内包されているとする。しかし、被告人が本件犯行当時まで被害者A1に対し未練の情を絶ち切れないでいたことは、被告人の司法警察員に対する昭和五二年八月二七日付、同月二九日付各供述調書、検察官に対する同年九月六日付供述調書、被告人の原審第一五回公判における供述、B1の検察官に対する供述調書、原審第五回公判における証人C1の証言などの各証拠から優に認め得られるところであり、原判決が「嫉妬の念を煽られるとともに同女に対する怒りが昂じて逆上し」殺意をもつて被害者を死亡させたと認定している点も、なんら不自然、不合理なものではなく、説明に欠けているとみることはできないから、動機の点についてなんら理由不備、理由そごはない。

2 次に、所論は、被告人の現場到着時刻とアリバイに関し、原判決の掲げる各証拠相互間には重大な矛盾があり、右各証拠を総合しても、原判示の事実を認定することはできず、被告人のアリバイ主張を排斥することはできないとする。しかし、原審における証人D1、同E1の各証言、証人F1に対する尋問調書、E1の検察官に対する供述調書等の各証拠によれば、原判示事実(罪となるべき事実ないしアリバイについての判断)のとおり、被告人は昭和五二年五月一八日午前一時三〇分ころ原判示□□荘付近で同僚のE1らと別れたこと、被告人がその後□□荘に帰つたのは同日午前四時三〇分ころであることを優に認定することができるのであり、右各証拠相互間に重大な矛盾があるとは考えられない。右D1、E1らの証言や供述調書は、詳細かつ具体的であり、同人らは当夜一緒に調理師試験の勉強をしていて、しかも、その間に友人のG1からの電話を受けたり、勉強を終えてから始発電車に乗るため出かけたりしていることなどの供述内容からしても、十分に信用できるものと認められる。また、所論は、原判決の認定によればA1が帰宅したのは当夜の午前二時一〇分ころになるところ、前記E1証言からすれば被告人がA1方に着いたのは午前二時前になるのであり、この点も証拠間に重大な矛盾があるとする。しかし、原判決の認定(有罪と認定した理由の一)は、A1が午前二時五、六分ころ自宅のマンシヨン近くの路上でタクシーから下車したというのであり、その時刻はおおよそのものといわなければならず、また、被告人の右マンシヨン到着時刻については、前記のとおり、午前一時三〇分ころ□□荘付近で同僚と別れたのであるが、その後タクシーをつかまえて乗車するまでの時間、タクシーの走行時間(この点につき司法警察員作成の昭和五二年九月五日付実況見分調書-原審記録第四冊669丁、以下数字だけ示す-がある。)、下車してからマンシヨンに入るまでの時間等を考えれば、所論のように午前二時前になるということはできず(被告人の捜査官に対する自白調書では、午前二時すぎあるいは午前二時ころと述べられている。)、証拠間に重大な矛盾があるとはいえない。なお、所論は、A1の死亡前における飲酒のことを問題にするのであるが、所論指摘のH1作成の昭和五二年九月八日付鑑定書からすれば、A1が死亡前に相当量飲酒したもののようにみられるけれども、同女の死体を解剖し、血液中のアルコールを検査したが、その存在は証明されなかつたというI1作成の鑑定書、A1はアルコール類をほとんどたしなまなかつたとする証人J1、同K1、同C1の各証言等からすれば、前記H1鑑定書の記載内容はなんらかの誤りによるものと認められるのであり、この点についても証拠上特に問題があるとは考えられない。

3 また、所論は、原判決が本件の犯行時刻および被害者の死亡推定時刻を五月一八日午前三時ないし四時ころと認定している点につき、被告人の公判廷外の自白以外には右認定を裏づける証拠がなく、原判決挙示の各証拠によれば右死亡推定時刻は同日午前五時ころと認められるから、原判決には理由のくいちがいがあるというのである。しかし、所論の指摘する鑑定書、検視立会報告書、検視調書、死体検案調書等に記載されている死亡推定時刻はいずれもおおよその推定によるものであり、精確なものではないのであるから、原判決の認定した犯行時刻が右の各証拠と矛盾するということはできない。原判決が被告人の捜査段階における供述やその他の各証拠を総合して犯行時刻を午前三時ないし四時ころと認定したのは、証拠に照らし是認できるところであり、原判決に所論のような理由のくいちがいはない。

4 さらに、所論は、原判決が「頸部を両手で力一杯絞めつけ、よつて……同女を頸部圧迫による窒息により死亡させて殺害した」と認定している点につき、被告人の公判廷外の自白を除けば、右事実を認定するに足りる証拠がなく、かえつて、各証拠を総合すれば、被害者の死因は幅広い布様のものによつて絞殺されたものと認められるのであるから、原判決には理由不備ないし理由そごがあるというのである。しかし、被告人の捜査段階における供述、I1作成の鑑定書その他の各証拠によれば、原判示の右事実を十分に認定することができるのであり、原判決に理由不備や理由そごがあるということはできない。

以上のとおりであるから、原判決に刑訴法三七八条四号前段又は後段所定の事由があるとは考えられず、論旨は理由がない(なお、所論は、控訴趣意第一の三において、原審証人L1の供述が信用できないことや同人のポリグラフ検査に関する証言は証拠能力がないことなどをいうのであるが、独立の控訴趣意には該当しないので、ここでは判断を加えない。)。

二 控訴趣意第二について

1 所論は、原判決には訴訟手続に関する法令違反があり、その違反が判決に影響を及ぼすことは明らかであるとし、その理由として、先ず、被告人は昭和五二年六月七日から一一日までの間令状なしに実質上身柄を拘束されていたものであり、右は憲法や刑訴法の定める令状主義を潜脱した違法な拘束であるから、その拘束中に得られた自白は証拠能力を有しないものというべきところ、原判決は右拘束期間中に得られた被告人作成の答申書や被告人の各供述調書を事実認定の証拠としているのであつて、右は判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反にあたる、というのである。

そこで、原審記録を調査検討し、当審における事実取調の結果をも合わせて判断すると、原審証人L1、同M1の各証言、被告人作成の昭和五二年六月七日付答申書二通(五-1006、1333)、被告人の司法警察員に対する同月八日付供述調書、被告人作成の同月同日付答申書ならびに同月九日付書面、被告人の司法警察員に対する同月一〇日付、一一日付各供述調書(六-1571、1623)、被告人の原審第一六回公判における供述、当審で取調べたN1作成の身柄請書等の各証拠によれば、本件の捜査に当つていた警視庁捜査一課ならびに高輪警察署の司法警察員らは、昭和五二年六月七日任意同行の形式で被告人を高輪警察署に出頭させ、同日から同月一一日までの間、同署で任意捜査として被告人の取調を行なつたこと、六月七日の夜取調が終つた際、被告人から「寮には帰りたくないから警察かどこかに泊めてくれ」との申出があつたので、前記警察員らは、高輪署の近くにあるO1の宿泊所に依頼して被告人を同所に宿泊させたが、自殺防止等の配慮から四、五名の警察官を同宿させたこと、翌日以後も被告人は寮に帰りたくないということなので、警察員らは、八日夜はホテルメイツに、九日と一〇日の夜は東京観光ホテルにそれぞれ被告人を宿泊させたが、警察官を同宿させてはいないこと(ただしホテルの周辺に警察官を張り込ませていた)、右各宿泊の代金は、一〇日の分を除いて、警察が支払つていること、警察署と宿泊所、ホテルとの往復には連日警察の車が用いられたが、最後の一一日の朝だけは被告人が自分で署に出頭したこと、右七日から一一日までの取調の間において、被告人は、初めは犯行を否認し、七日の夜から一〇日までは自白していたが、一一日に再び否認するに至つたこと、前記警察員らにおいては、被告人が右のようにおおむね自白していたものの、捜査に慎重を期し、逮捕には踏み切らず、一一日に被告人の母や兄を高輪署に呼び、被告人を一緒に帰郷させたこと、以上のような事実を認めることができる。被告人は、原審第一六回公判において、取調の刑事から警察の用意するところに泊れと言われ、仕方がなくそれに応じた旨供述するが、前掲の各証拠に照らし措信することができない。右の認定事実によつてみれば、被告人は前記六月七日から一一日にかけて警察の庇護ないしはゆるやかな監視のもとに置かれていたものとみることができるけれども、実質上その身柄が拘束されていたものということはできず、その間になされた取調は任意捜査の範囲を超えるものとは認められないから、違法な身柄の拘束が行われたとする所論は、前提において失当といわなければならない。従つて、原判決に所論のような訴訟手続の法令違反はなく、論旨は理由がない。

2 次に、所論は、被告人の警察官に対する自白は暴行、脅迫、誘導の結果によるものであつて任意性がなく、検察官に対する自白も、警察における暴行、脅迫の影響から脱し切れない状況下でなされたものであるから、やはり任意性がないというべきであり、原判決がこれらの自白を内容とする各供述調書や被告人作成の答申書、上申書を事実認定の証拠として採用したのは、証拠能力のない証拠を証拠としたものであり、訴訟手続の法令違反にあたる、というのである。

そこで、原審記録を調査検討し、当審における事実取調の結果をも考え合わせて判断すると、原判決が事実認定の証拠として掲げている被告人作成の各答申書ならびに上申書、被告人の捜査官に対する各供述調書(ただし、司法警察員に対する昭和五二年六月九日付供述調書は存在しないし、同年八月二三日付供述調書は犯行を否認する内容のものであるから、これらを除く。)は、いずれも被告人の捜査段階における自白を内容とするものであるところ、右各書証の形式、記載内容、関係各証拠との対比、原審証人L1、同M1、同P1、同Q1の各証言によつて認められる取調状況等の諸点からして、右の各自白の任意性はこれを十分に肯定することができるものというべきである。被告人は、原審ならびに当審公判廷において、取調をした警察官から種々暴行、脅迫をうけた旨供述しているのであるが、前記L1、M1らの各証言に照らし信用することができない。そのほか、被告人の捜査段階における自白が任意になされたものと認められる理由は、原判決が「有罪と認定した理由」の二(二)において「自白の任意性について」と題し説示しているとおりであり、原判決が被告人の各供述調書や答申書、上申書を事実認定の証拠とした点になんら訴訟手続の法令違反はなく、論旨は理由がない。

3 また、所論は、原審が弁護人からなされた被告人の自白の任意性、信用性に関する証人R1、同加藤満生、同N1、同S1の各取調請求を却下し、同じく弁護人からなされた本件被害者の死因、兇器等に関する鑑定申請を却下した点につき、それらは訴訟手続の法令違反にあたり、その法令違反が判決に影響を及ぼすことは明らかであるとする。しかしながら、原審記録を調査検討しても、原審が所論の各証人取調請求や鑑定の請求を却下した点に違法のかどがあるとは決して考えられず、論旨は理由がない。

三 控訴趣意第三について

所論は、原判決には種々の点において事実誤認があり、その誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかであるとする。

そこで、原審記録ならびに証拠物を調査検討し、当審における事実取調の結果をも考え合わせたうえ、所論の諸点につき順次判断を加える。

1 所論は、先ず、原判決が、被告人は昭和五一年一二月三一日にA1と離別することを決意しその後T1と交際していたが、依然としてA1に対する未練の情を絶つことができず、本件の当夜A1方に赴いた旨の事実を認定している点につき、各証拠からは右のようにA1に未練を残していたことを認めることはできず、右の認定は矛盾と疑問に満ちたものであるというのである。

そこで、所論について判断すると、原判決が掲げる各証拠を総合すれば、原判示どおりの「犯行に至る経緯等」および「罪となるべき事実」を十分に認定することができるのであり、原審で取調べたその余の証拠ならびに当審における事実取調の結果を考え合わせても、原判決の事実認定に誤りがあるとは考えられない。もつとも、各証拠によれば、被告人が原判示のようにU1方を訪ねて同人やその妻に会つたりしたのは昭和五二年一月上旬のことであり、A1に手紙を出したり電話をするなどしたのも同月ころのことであつて、原判示のT1を伴つて原判示「△△」を訪れたのは同年二月上旬ころおよび同年五月一〇日であると認められるから、右二月から五月までの約三か月間は、所論指摘のように、被告人はA1と特に親密な接触をしていなかつたことが明らかである。しかしながら、右三か月の間においても、被告人はA1のことを忘れ去ることができず、原判示のように五月一〇日夜「△△」でA1から話を聞き、同女のことが一層気にかかるようになつたものであることは、被告人が司法警察員に対する昭和五二年八月二七日付(その第二項の2)、八月二九日付(第一項の1)、九月二日付(一〇枚綴りのもの、第二項)、同年六月一〇日付(第一一項)、検察官に対する同年九月六日付(第一二項)各供述調書、被告人の原審第一五回公判における「(昭和五二年五月ころ)A1のことを完全に忘れ去ることはできませんでした」との供述、B1の検察官に対する供述調書(第九項)等の各証拠から十分に認め得られるところである。右の二月から五月にかけての期間被告人がT1と親密な交際を続けていたことや本件発生当時被告人が淋病に罹患していたことなどによつても、右の事実認定を左右することはできない。また、B1の前記供述調書は、右事実認定に添うものとしてその証明力を十分に認めることができるのであり、その証拠価値を否定すべきものとする所論は採用することができない。

以上のとおりであるから、原判決の事実認定が所論のように矛盾と疑問に満ちたものということはできず、論旨は理由がない。

2 次に、所論は、原判決が、本件当夜被告人はA1方に赴き、同女に話をしたところ、同女から原判示のようにすげなく言い返されたことに憤慨し、同女の左頬を殴打し、さらに寝室に逃げ込んだ同女の後を追つたが、寝室のベツドが新しくなつていることに気づいて同女とU1との生活が脳裡をかすめ、嫉妬の念を煽られると共に同女に対する怒りが昂じて逆上し、本件犯行に及んだ旨認定している点について、右認定事実自体矛盾に満ちたものであり、原審で取調べた各証拠からは右のような事実を認定することができず、事実誤認であるという。

しかしながら、原判決の事実認定に誤りがあるとは認められないことは前述のとおりであり、犯行の直接の動機に関する原判決の認定事実が、それ自体矛盾に満ち納得できないものであるということはできない。原判決の認定するような動機、経緯によつて被告人が本件犯行に及んだことは、被告人の司法警察員に対する昭和五二年八月二七日付(第二項の9、10)、同月二九日付(第一項の6、7)、九月二日付(二三枚綴りのもの、第九項)、検察官に対する八月三一日付(第六項)、九月六日付(第一四、一五項)各供述調書、被告人作成の同年九月一一日付上申書によつて明らかに認められるところである。右被告人の各供述調書や上申書に記載された自白の任意性を肯定すべきであることは前述のとおりであり、また、右自白は、本件犯行当時A1が原判示のU1と親密な関係にあつたこと(U1の捜査官に対する各供述調書、C1の原審における証言、B1の検察官に対する供述調書等から明らかである。)、右U1は昭和五二年一月五日セミダブルベツドを家具店から購入し、それが同月一二日A1方に搬入されたこと(U1の前掲各供述調書、V1方の司法警察員に対する供述調書により明らかである。)、A1が本件当夜頸部圧迫による窒息により死亡していること(原審証人J1、同I1の各証言、右I1作成の鑑定書等から明らかである。)など、証拠により客観的に認められる諸事実とも符合し、十分に信用することができる。被告人は、原審第一五回公判において、捜査官に対する自白は、以前にA1と同棲していた時のことや昭和五一年一二月三一日に同女と喧嘩別れをした際のこと、あるいはその後△△で同女と会い話をした時のことなどをつなぎ合わせたり、創作を加えたりして話をまとめ上げたものであつて、真実ではない旨供述する。しかし、右公判における供述は、先に挙げた被告人の捜査段階における各供述調書、上申書その他の各証拠に照らし、到底信用することができない。所論の指摘するC1の証言を考え合わせても同様である。原審において検察官が論告の際に「被告人が被害者を殺害しなければならないような状況は認められず……」と述べているのは、被告人が被害者を殺害するのもやむを得ないとみられるなど特段の事情が認められず、それにも拘らず本件犯行に及んだことからして、犯行の動機、経緯に同情の余地はないことを述べたものであつて、被告人の本件犯行自体に疑問を抱くべきものとする趣旨ではない。また、所論の指摘するQ1検事の証言も、取調の際において、被告人の犯行動機に関する供述には首肯し難い点があつたという趣旨を述べているにすぎず、犯行自体に疑問が持たれたという趣旨では決してない。

なお、所論は、H1作成の昭和五二年九月八日付鑑定書によれば、A1の血液中に相当量のアルコールが含有されていたことが認められ、他の各証拠によれば本件当夜A1は勤務先では飲酒していないとみられるから、五月一八日午前二時すぎ以降において相当量のアルコールを摂取したものと考えられるところ、被告人の自白にはA1の飲酒のことが全く述べられていないのであるから、右自白は事実に合致せず信用できないものであるとする。しかしながら、I1作成の鑑定書によれば、本件犯行の翌日である昭和五二年五月一九日A1の死体解剖をし、同日その心臓血液についてエチルアルコールの存否を化学的に検査したところ、その成績は陰性を示し、エチルアルコールの存在は証明されなかつたというのであり、また、原審における証人J1、同K1、同C1の各証言によれば、A1はアルコール類をほとんど口にしなかつたというのであるから、本件の当夜もA1は特に飲酒することはなかつたものと認められる。もつとも、所論指摘のH1作成の鑑定書によれば、前記解剖の際採取したA1の血液を検査したところ、アルコールの含有が認められ、その含有量は血液一ミリリツトルにつき一・三五ミリグラムであつたというのであるが、右鑑定書の記載からは、当該血液を昭和五二年五月二六日に受領したというだけで、検査をした日時が明確でなく、鑑定書の日付は同年九月八日となつており、前記のI1鑑定書やJ1、K1らの各証言と対比し、また、当審で取調べたW1作成の昭和五六年七月一日付鑑定書によれば、死後の経過時間が長くなるにつれてむしろ生前の飲酒量を上廻るアルコール量が検出されることがあるとされていることをも考え合わせれば、右H1作成の鑑定書に記載された数値は、被害者の生前の飲酒量を正確に示すものではなく、なんらかの誤りによるものと認めるのが相当である。従つて、被告人の捜査段階における自白にA1の飲酒のことが述べられていなくとも、別段奇異とすべきではなく、右自白が不合理であり事実に反するものということはできない。

以上のとおりであるから、犯行の直接の動機や経過に関する原判決の事実認定になんら誤りはなく、論旨は理由がない。

3 さらに、所論は、原判決は本件犯行の手段を両手による頸部圧迫による窒息死、即ち扼殺と認定しているが、各証拠によれば被害者の死亡は紐様のものによる絞殺と認められるのであり、この点においても原判決には事実誤認がある、という。

そこで、判断すると、被告人作成の昭和五二年六月七日付(二枚綴りのもの)、同月八日付各答申書、被告人の司法警察員に対する昭和五二年六月八日付、同月一〇日付、同年八月二六日付、同月二七日付、同月二九日付、同年九月二日付(二三枚綴りのもの)、検察官に対する同年八月三一日付、九月六日付、同月八日付各供述調書、被告人作成の同年九月一一日付上申書、司法警察員作成の検視立会報告書、昭和五二年五月二八日付実況見分調書、原審における証人I1の証言、同人作成の鑑定書(以下、右証言と鑑定書とを合わせて単にI1鑑定という。)等の各証拠によれば、被告人が原判示のとおりA1の頸部を両手で力一杯絞めつけ、そのためA1が頸部圧迫による窒息によつて死亡したものであることを明らかに認めることができる。被告人作成の各答申書や上申書、被告人の各供述調書に記載された自白の任意性が認められることは、前述したとおりであり、前記I1鑑定や検視立会報告書等は右被告人の自白の信用性を十分に裏づけるものということができる。特に、被告人の検察官に対する昭和五二年九月八日付供述調書には、両手で首を絞めた際の状況が詳しく記載されており、「その時の指の感じは何か柔らかいものをつぶしているようでした」との供述が記載されているのであるが、右の供述は、前記鑑定書に記載されている頸部内景の甲状軟骨左上角骨折という創傷に符合するものとみられるのであり、そのことは被告人の自白の信用性を肯定すべき強い理由になるものといわなければならない。もつとも、所論指摘のように、I1鑑定は、手による扼殺であることを断定しておらず、布片様のものないしは手のようなものによる頸部の圧迫が死因であるとしており、検視立会報告書や死体検案調書等には、検視立会や死体検案をした医師らが被害者の死因を絞頸による窒息死と推定した旨の記載がなされているが、これらによつても被害者の頸部に索溝があつたかどうかは不明瞭であるとされており、本件が絞頸であるとまで認定することはできず、前記被告人の自白その他の各証拠による事実認定を左右することができない。また、当審における証人Z1の証言も、原審で取調べた証拠の域を超える新たな見解を示すものではなく、原判決の事実認定を左右するものではない。

以上に対し、当審で取調べたW1作成の昭和五六年四月二一日付鑑定書、同人に対する証人尋問調書(以下、右鑑定書ならびに証人尋問の結果とを合わせてW1第一鑑定という。)によれば、右W1鑑定人は、本件被害者の死因につき、細長い布片様のものにより絞頸されたことによる窒息死であると鑑定していることが明らかである。そして、右W1第一鑑定は、前記昭和五二年九月五日付実況見分調書添付写真13のような方法(被告人の実演によるもの)によつては、被害者の頸部にみられるような細長い圧痕は形成されないとするのである。そこで、右W1第一鑑定と前記I1鑑定、Z1証言などを対比させ、関係各証拠を総合して検討すると、(イ)先ず、I1鑑定は被害者の死体を直接観察し、解剖をも行ない、それらに基づく判断の結果を示したものであるのに対し、W1第一鑑定は本件の記録や写真を資料とし、それに基づく判断を示したものであり、両鑑定の評価についてはそのことを第一に考慮しなければならない。(ロ)W1第一鑑定は、記録中の関係各写真によれば、被害者の頸部には、右側頸部の項部付近からはじまり、前頸部の上界を通り左側頸部に至る蒼白帯があり、また、左側頸部から前頸部にかけて前記蒼白帯の下部に別個の蒼白帯があり、これらの蒼白帯がいずれも索溝と判断されるとしているのであるが、I1鑑定はそのような索溝の存在について全く言及しておらず、前記Z1証言や検視立会報告書によれば、Z1証人が死体の検視に立会つた際、被害者の左右側頸部から前頸部にかけて紫色がかつた褐色のような変色部分が認められたとはされているものの、索溝らしいものの存在は非常に不明瞭であつたというのであり、W1鑑定人自身も、本件の死体の場合索溝を認めるかどうかは非常に難かしい問題であると証言していることなどの諸点からすれば、W1第一鑑定が前記のように索溝の存在を肯定している点は、にわかに採用することができないものというべきである。(ハ)また、W1第一鑑定は、記録中の各写真によれば、被害者の後頸部に頭髪の束による圧迫痕とみられるものがあり、これは索条が頭髪の上から後頸部を圧迫したために生じたものと推定されるとし、そのことを索条物が被害者の首を一周し絞頸したものと判断される大きな理由としているのであるが、I1鑑定やZ1証言も被害者の後頸部に髪の毛の圧痕のようなものがあることを認めていながら、W1第一鑑定のような推定はしていないこと、Z1証言にもみられるように、後頸部に頭髪の圧痕が生ずることは種々の原因によつて起り得るものであることなどの諸点からして、右W1第一鑑定の推論も容易に採用することはできないものと考えられる。以上のように、W1第一鑑定について種々考察すれば、本件被害者の死因を布片様のものによる絞頸であるとする同鑑定を直ちに採用することはできず、同鑑定によつても、原判決の事実認定に疑いを抱くべきものとは考えられない。

以上のとおりであるから、本件の犯行態様、被害者の死因に関する原判決の事実認定に誤りがあるとする論旨は理由がないものというべきである。

4 所論は、また、「被告人の自白の信用性について」と題し、種々詳論する。

しかし、所論のうち、先ず捜査の違法、不当をいう点は、事実誤認の主張に直接結びつくものではなく、被告人に対する当初の任意取調が違法なものといえないことは、控訴趣意第二についての判断の1において述べたとおりである。次に、所論は、被告人の自白が信用できないものであるとし、その理由として、自白の重要な内容について多くの不自然な変遷があるとか、自白内容が必ずしも詳細、具体的とはいえないとか、客観的事実と矛盾するとか、供述内容が不自然であるなどと主張する。しかしながら、先にも述べたように、被告人の捜査段階における自白は、原判決の認定事実に添うかぎりにおいて十分に信用できるものというべきであり、所論指摘の諸点を考慮しても(本件当日における被害者の帰宅時間および被告人の同女宅訪問時刻の点については、控訴趣意第一に対する判断の2において検討したとおりである。)、右自白とその他の各証拠とを総合して本件が被告人の犯行であるとした原判決の事実認定に誤りがあるとは考えられない。原判決が「有罪と認定した理由」と題し、その二の(三)において被告人の自白の信用性を認めるべき理由につき説示している諸点は、ずべて証拠に照らし相当として是認しうるところである。若干付言すると、犯行後の偽装工作に関する自供の点に関し、所論は、被告人が煙草のラークをベツドの棚に置いたというのは、ラークは被告人が好んで喫つていた煙草であるから自己を犯人と示すようなものであつて偽装工作としては不合理である、というのであるが、被告人の各供述調書によれば、被告人はむしろセブンスターを多く喫つていたのであり、本件の犯行当夜もA1方でそれを七、八本喫つたというのであるから、ラークが直ちに被告人に結びつくことにはならず、従つて、ラークが現場に置かれていたという事実は所論のように被告人が犯人でないことを示すものであるということはできない。

また、所論のテイツシユペーパーの関係についていえば、原審で取調べた鑑識課長作成の指紋確認通知書、原審証人L1の証言、当審で取調べた右L1作成の「××マンシヨン内女性殺人事件現場のカトレヤテイツシユペーパー付着の掌紋について」と題する報告書、A2作成の鑑定書、W1作成の掌紋検出の可能性についての鑑定書、右W1に対する証人尋問調書(以下、右鑑定書と証人尋問の結果とを合わせてW1第二鑑定という。)等の各証拠によれば、本件A1の死体発見後、同女方居間の本棚にあつたカトレヤ・テイツシユペーパー入りのビニール様の小袋(材質はポリプロピレン)に被告人の左手小指球部の掌紋が検出されたこと、右のようなビニール様の袋に付着した掌紋が識別されるのは、通常付着してから一か月くらいが限度であり、約六か月も経過した後においてはその識別が不可能とみられることなどの諸点が一応認められ、右の諸点がそのとおりであるとすれば、証拠上右の掌紋付着は本件犯行当夜生じたものではないかと推測され、被告人を犯人と認定すべき有力な証拠になるものと考えられる。しかし、前掲各証拠のうち、L1作成の報告書やA2作成の鑑定書は、いずれも原判決後の昭和五四年一〇月に作成されたものであり、何故もつと早い時期に作成されなかつたのかについて若干疑問が持たれること、本件発生当時、A1方居室内には、前記のような小袋入りのもののほかに、通常の箱入りのテイツシユペーパーが、容易に使用できる状態でいくつか置かれてあつたことが明らかであり(昭和五二年五月二八日付実況見分調書添付の写真27、79、88参照)、被告人の捜査官に対する各供述調書ならびに昭和五二年九月五日付実況見分調書によれば、被告人が本件犯行後煙草のすいがらをまとめて捨てるためにテイツシユペーパーを用いたことは明らかであるけれども、前記小袋入りのものを用いたのか箱入りのものを用いたのかについては被告人の供述が明確でないこと、前記A2作成の鑑定書に添付された拡大写真(第二図)によれば、前記小袋に検出された掌紋はかなり明瞭に識別できるのであり、右写真とW1第二鑑定とを合わせてみると、右掌紋付着の際その掌には汗や脂などが特に多く付いていたのではないかと考えられ、その理由としては、本件当夜被告人が被害者の頸部を両手で強く絞めたためであることが考えられると共に、被告人が昭和五一年中にA1方を訪れた際、男性用化粧品などを手に取つて用いたりしたことなども想定できる(そのために通常よりも長期間掌紋が消失しなかつたとも考えられる。)こと、以上の諸点を総合すれば、前掲の掌紋に関する各証拠によつて、右掌紋が本件犯行当夜被告人によつて付着せしめられたものと断定することはいささか疑問というべきである。しかし、前記のとおり、被告人は小袋入りのテイツシユペーパーを用いたのか箱入りのものを用いたのかについて明確な供述をしていないのであるから、ビニール小袋入りのものをわざわざ用いそれに掌紋を遺留したのは不合理であるとして被告人の自白の信用性を否定すべきものとする所論は、前提において失当であり、採用することができない。

また、所論は、犯行後自殺しようと考えているうち牛丼を食べたという被告人の自白を不合理なものであるというが、被告人は、自殺しようと考えながら牛丼を食べたと述べているのではなく、「自殺を考えて相当時間さまよい歩いたが、死ぬ勇気もなく、昼近くに喫茶店に入り新聞を見て記事が載つていなかつたことから、まだ発見されていないと思い、安心から空腹を感じ、牛丼を注文して食べた」旨供述しているのであるから(五-1174以下)、右所論も前提において失当といわなければならない。

次に、ポリグラフ検査とネグリジエの色の点に関する所論について判断を加えると、原判決はその判示のとおり、L1の証言によつて、被告人がポリグラフ検査をうけた際、被害者の着用していたネグリジエの色が黄色であると答えたことを認定し、これをもつて被告人が犯行当日被害者方を訪れたことを推測させる言動であるとしているのであるが、右原判決の認定ないし判断に別段違法、不当な点はないというべきであり(伝聞供述あるいは再伝聞供述であつても、当事者が異議を申立てたりしない場合には、その供述を事実認定の資料として差支えないと解される。)、当審における事実取調の結果によつても、原判決の右認定ないし判断に誤りがあるとすることはできない(当審における証人B2の証言と同C2の証言との間に若干のくい違いはみられるものの、被告人がポリグラフ検査をうけた際、あるいは同検査をうけようとした際、被害者の着用していたネグリジエの色が黄色かそれに近い色であることを知つていると述べたため、その点に関する個別的な質問検査が行なわれなかつたという点では、両証言が一致しているのである。)。

また、原判決が説示している赤いタオルの件についても、原判決の認定ないし判断に別段誤りがあるとは考えられない。被疑者が犯行の大要を自白しながらも細部については供述を拒みあるいは事実を隠蔽するという例はままみられることであり、「ちよつと口をすべらして尻の下に赤いタオルを敷いたというので、赤いタオルについて話を始めたらすぐに供述をひるがえしちやつた……」という所論指摘のL1証言が不合理なものであるとは考えられない。

以上のとおり、所論の諸点によつても、原判決が被告人の捜査段階における自白の信用性を認め、原判示の事実を認定した点になんら誤りはなく、論旨は理由がない。

5 所論は、原判決が、被告人は虚偽のアリバイ工作をしたうえ、警察に出頭して虚偽のアリバイ主張をことさら真実であるかのように述べたものであると認定している点につき、事実誤認であるとし、また、原判決が被告人のアリバイは成立しないとしている点も誤りであるとする。

しかしながら、所論の指摘する原判決の事実認定ないし証拠上の判断は、その掲げる各証拠に照らし正当というべきであり、それが誤りであるとは決して考えられない(所論のE1の検察官に対する供述調書は、日時の明確化という立証趣旨に限つて取調べられているものであるが、原判決もその立証趣旨の範囲内で右供述調書を事実認定に用いているものとみることができる。)。被告人の原審公判廷における供述中、所論に添う部分は、原判決の掲げる各証拠に照らし信用することができない。被告人のアリバイ主張が認められないことは原判示のとおりである。

6 そのほか、所論は、「被告人は真犯人ではない」と題し、本件発生直後被告人の身体になんら外見的異常がなかつたことは、被告人が犯人でないことを明らかに物語るものであるとか、警察に被告人が犯人であることを密告した電話がなされているから、他に真犯人がいるとか、本件発生後の被告人の行動からみても、被告人が真犯人であるとは考えられないなどと種々主張するのであるが、所論の諸点を考慮し記録を検討しても、原判決の事実認定に誤りがあるとは考えられない。

以上要するに、原判決の掲げる各証拠を総合すれば原判示どおりの「犯行に至る経緯」ならびに「罪となるべき事実」を十分に認定することがでぎるのであり、原審で取調べたその余の証拠ならびに当審における事実取調の結果を考え合わせても、原判決の事実認定に誤りがあるとは考えられず、事実誤認をいう論旨はすべて理由がない。

よつて刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における未決勾留日数中九〇〇日を刑法二一条により原判決の刑に算入し、当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項本文によりその全部を被告人に負担させることとして、主文のとおり判決する。

(昭和五七年一月二一日 東京高等裁判所第八刑事部)

高輪グリーンマンション事件一審判決

 

                 東京地方裁判所判決/昭和52年(合わ)第424号

                 昭和54年1月31日

【掲載誌】         最高裁判所刑事判例集38巻3号1255頁

 

       主   文

 

 被告人を懲役一二年に処する。

 未決勾留日数中四〇〇日を右刑に算入する。

 訴訟費用は被告人の負担とする。

 

       理   由

 

(犯行に至る経緯等)

被告人は、昭和三七年三月山梨県立××高等学校を卒業して上京し、都内中央区(以下略)の株式会社A1に就職したが二年程で解雇され、その後、山梨県、東京都、静岡県などでキヤバレーやホテルのボーイ、縫製工、製本工など転々と職を変え、昭和五〇年夏ころから東京都新宿区(以下略)の焼肉店「△△」に住込み店員として働いていたが、昭和五〇年一一月末ころ、同都中央区(以下略)のクラブ「□□」へ行つた際同クラブでホステスをしていたB1(昭和二四年○月○○日生。以下、「B1」という。)と知合い、やがて肉体関係を結ぶまでの仲となり、同女が居住していた同都品川区(以下略)の●●マンシヨンで同棲生活を始めた。その後、被告人は、翌五一年一月無断欠勤を理由に前記「△△」を解雇されたため、B1の収入で生活する身となり、同年七月ころ同女が同都港区(以下略)☆☆マンシヨン○○○号室に転居した後も同所で同様の生活を続けていたが、同年九月ころ、同女と諍いをして同女の許を去り新宿区(以下略)の焼肉店「◇◇」に勤め、同店の独身寮である同都大田区(以下略)**荘に起居することとなつた。しかし被告人は、B1と別れた後も同女に対する未練を捨て切れず、同年一一月末ころからは毎日のように前記☆☆マンシヨンの同女方居室を訪れ宿泊していたが、同年一二月三一日、同女に歯科医師のC1という愛人ができており、同人との間には肉体関係まであることを知り、憤慨して同女との離別を決意した。そして、その後間もなく前記「◇◇」に客として来ていたD1と交際を始め、同女を伴つてB1が勤めていた同都中央区(以下略)のレストランクラブ「◎◎」を訪れ、B1の前でD1との親しげな様子をみせつけたりしていたが、依然としてB1に対する未練の情を断つことができず、前記C1方を訪ねて同人の妻に会いC1とB1の関係を告げ口し、C1にも会つて同人とB1の関係を問いただし、B1とC1を別れさせようとしたりする一方、B1に手紙を出したり電話するなどして同女に近づき同女との仲をも保とうとした。

(罪となるべき事実)

そうした折、被告人は、昭和五二年五月一〇日夜、前記「◎◎」において、B1から「最近店の行き帰りに男の人につけられている。一〇〇万円脅しとられそうになつた。嫌がらせの電話がかかつてきてノイローゼ気味になつている。」などと打明けられ、また同女のやつれた感じから、同女がC1との関係がうまくいかず苦労しているものと考え、同女のことが一層気に懸るようになつたが、同月一八日午前一時三〇分ころ、前記「◇◇」での仕事を終え同僚のE1、F1と共にタクシーで前記**荘付近まで戻つた際、B1のもとを訪ねようという気になり、同所でE1らと別れタクシーで前記☆☆マンシヨン○○○号室の同女方へ赴き、居間のソフアに腰をおろし、同女に対し、「お金や地位のあるC1と一緒になつても幸せでないんだな。」「もう一度一緒になつてやり直そう。」等と話したところ、同女から「C1先生とは愛し合つている。あんたに関係ないじやない。よけいなことは言わないで。」等とすげなく言い返されたことに憤慨し、同女の左頬を殴打し、さらに寝室へ逃げ込んだ同女の後を追つたが、そのとき寝室のベツドが自分と同棲していたころのものと違い新しくなつていることに気づいて同女とC1との生活が脳裡をかすめ、嫉妬の念を煽られるとともに同女に対する怒りが昂じて逆上し、同日午前三時ないし四時ころ、咄嗟に殺意をもつて、ベツドの上で仰向けになつていた同女の上から馬乗りになつて同女を押えつけ、その頸部を両手で力一杯絞めつけ、よつて、そのころその場で同女を頸部圧迫による窒息により死亡させて殺害したものである。

(証拠の標目)(省略)

(有罪と認定した理由)

一 被害者の屍体発見の経過及び屍体の状況等

証人G1、同H1、同I1の公判調書中の各供述部分(以下、証人某の当公判廷における供述及び公判調書中の供述部分並びに証人某に対する当裁判所の尋問調書中の供述部分をいずれも「証人某の供述」という。)、J1、K1の司法警察員に対する各供述調書、司法警察員作成の実況見分調書(昭和五二年五月二八日付)、司法警察員作成の検証調書、司法警察員作成の検視立会報告書、I1作成の鑑定書によれば、B1は前記☆☆マンシヨン○○○号室に居住し、前記レストランクラブ「◎◎」でホステスとして働いていたが、昭和五二年五月一七日午後一一時三〇分ころ勤めを終え、店内で上司や同僚等と雑談した後、翌一八日午前二時前ころ、同店管理部長H1が鎌倉市の自宅へ帰宅するため乗つたタクシーに便乗し、同二時五、六分ころ前記☆☆マンシヨン近くの◆◆寺前路上で下車したが、同日夕方B1がいつも出勤してくる時刻を過ぎても出勤せず、何の連絡もないうえ同日午後七時ころ前記「◎◎」の営業課長J1が同女宅へかけた電話も通じなかつたことから、同九時四〇分ころ、「◎◎」の支配人G1が前記☆☆マンシヨン○○○号室の同女宅を訪れたところ、玄関ドアの新聞受には朝日新聞の同日付朝刊と夕刊が差込まれ、ドアは閉められていたが施錠されておらず、室内に入つてみると、寝室のベツド上でB1が死亡しているのを発見したこと、同女の屍体はベツドの上に仰臥位の状態で左顔面を下にし、黄色半袖のネグリジエをまとい、左手掌には一万円札四枚が二つ折にしてはさみ込まれ、下半身は裸でネグリジエの裾が臍部付近までまくりあげられ、臀部下には赤色のタオルが、頭部下には男物パジヤマのズボンが、それぞれ二つ折にして敷かれており、屍体の上には毛布と上掛布団が顔面を覆うように掛けられ、頭部付近には男物パジヤマの上衣が無造作に置かれていたこと、同女の屍体頸部には、右側頸部から左方に向い前頸部ほぼ中央に至る幅一・三ないし一・六センチメートルの圧迫痕と認められる一条の痕跡があり、また前頸部右側に二個の、右側頸部下半部に一個の小表皮剥脱があつて、解剖の結果甲状軟骨左上角が骨折しており、同女の死因は頸部圧迫による窒息死であり、死後、解剖着手時(同月一九日午前一一時五分)までに約二五ないし三〇時間内外経過したものと推定される旨の鑑定結果が得られたこと、右○○○号室内は物色された様子はなく、また同女が何者かと争つた形跡もみうけられなかつたが、同室の浴室入口南西角床面に女性用パンテイ一枚が脱ぎ捨られていたこと、以上の各事実を認めることができる。そして、右被害状況等に照らすと、何者かが同月一八日午前二時過ぎころから同一〇時ころまでの間○○○号室で被害者を殺害したことが明らかである。そして、右室内の状況や屍体に抵抗痕がないこと等からみて、犯人は深夜以降の時刻にB1から室内に招き入れられ同女から警戒を持たれていなかつた者と認められ、しかもB1の素行からして同女が行きずりの男を連込むことは考えられないばかりか、犯人は、B1の屍体に、同女が売春にからむ争いにより殺害されたもののように装つた偽装工作をなし、ことさら行きずりの者の犯行に見せかけようとしていることか明らかであつて、このような諸点からみると、本件は被害者と親密な関係にある者の犯行と考えるのが合理的である。そして、被告人がB1と同棲生活まで送つた仲であることは、判示認定のとおりである。

ところで、被告人は捜査段階で、当初本件犯行を否定していたが、その後自白し、また否認に転じ再度自白するなど種々その供述内容を変遷させたうえ、最終的には判示認定事実に符合する自白をしたこと、しかしながら、当公判廷においては終始本件犯行を否認していることが明らかである。そして、本件において、まず留意を要するのは、後述するように、任意捜査の段階における被告人の言動に犯人であることを窺わせるものが二、三あるとはいえ、被告人の右捜査段階における自白をはなれ犯行と被告人との結びつきを示す客観的証拠は乏しいということである。すなわち、鑑識課長作成の指紋等確認通知書、証人L1、同M1の各供述によれば、被害者方居間の本立て二段目にあったカトレアテイツシユペーパーに被告人の左手掌紋が残つていたことが認められ、証人L1は、右掌紋はまだ新しいものであり、同じ材質での実験結果によると普通は七日間位で消失し長く残つているとしても大体三〇日ないし三五日位のものであると述べ、もしそのとおりだとすると、昭和五二年に入つてからは全くB1方を訪ねたことがないとの被告人の公判廷の主張はその根拠を失い、被告人が犯人であることの有力な手がかりを提供することになるが、検察官による釈明によれば右L1供述を裏付けるに足りる鑑定書ないし実験結果書は作成されていないということであり、そうすると、右掌紋は被告人がB1と同棲していた当時或は頻繁に同女を訪ねていた当時のものである可能性を全く否定することはできないから、右L1供述をとつて本件当日被告人が被害者方を訪れたことを証明する証拠とすることはできない。また、証人N1の供述によれば、同人は犯行当日の午前一時一五分過ぎから同三〇分ころの間に前記**荘に近い■■界隈で被告人に似た男性を乗車させ犯行場所近辺の◆◆寺付近で下車させた旨供述するが、その供述を仔細に検討するならば、これをもつてその男性が被告人であつたと断定することは困難である。このように、いわば決め手と目すべき客観的証拠ないし情況証拠に乏しい以上、本件において被告人を有罪と認定しうるか否かについては、被告人の捜査当時の自白の任意性及び信用性をいかに判断するかということがきわめて重要であるといわなければならない。そこで、以下にこの点について順次慎重に検討を加えることとする。

二 自白の任意性、信用性についての判断

(一) 被告人に対する捜査の経過等

まず、前述したとおり、被告人の本件犯行についての捜査当時の供述には種々変遷があるので、被告人に対する捜査の経過と被告人の供述の内容について考察する。

証人L1、同O1、同P1、同M1の各供述によれば、以下の事実を認めることができる。すなわち前記のとおり、昭和五二年五月一九日午後九時四〇分ころ「◎◎」の支配人G1によつて☆☆マンシヨン○○○号室の寝室のベツド上でB1が殺害されているのが発見されたことにより、ただちに捜査が開始され、警視庁捜査一課強行犯二係を中心として捜査本部が高輪警察署に設置されたが、前記被害状況等から本件は被害者と面識のある者が犯人であるとの見透しを立て被害者の生前の交友関係を中心に捜査がすすめられ、かつて被害者と同棲したことのある被告人もその対象になつた。ところが、被告人は、同月二〇日本件捜査本部の高輪警察署に出頭し、捜査官に対し、同月一八日午前三時ころは前記**荘の近くのスナツク「##」で食事をしていた旨のアリバイを主張したが、その後の捜査の結果、被告人が「##」で食事をしたのは右一八日ではなく翌一九日の午前二時か同三時ころであつたことが判明し、右被告人のアリバイの主張が虚偽であることが明らかとなり、同年六月七日被告人を有力容疑者として任意同行を求め、同日被告人に対しポリグラフ検査を実施し、「##」で食事をしたのは同年五月一九日午前三時ころではないかと追及したところ、被告人は、前記アリバイの主張を撤回し、本件犯行を自白し、自ら「答申書」と題する犯行を認める書面を作成し、その後ひきつづき同年六月一一日まで取調がなされたが、その間被告人は右自白は週刊誌等の記事を読んでいたのでそのとおり供述したものであると主張して犯行を否認し、アリバイについては新たに前記**荘で寝ていたと述べたが、右アリバイの真偽について追及されるやこれを撤回して自白したが、その後さらに犯行を否認し**荘で寝ていた旨のアリバイの主張を繰り返した。そこで、捜査本部では、同年六月一一日、被告人の弁解の当否及びアリバイの成否を検討することとして被告人の取調を一旦中断し、その後各種週刊誌の記事の内容や右アリバイの裏付等を検討した結果、被告人の供述内容には週刊誌の記事には書かれておらず後記(三)のとおり真犯人であることを推測させる事実が述べられており、また被告人のアリバイの主張についても虚偽の疑いが生じ、さらに犯行前の五月一八日午前一時半ころ、被告人らしい男を☆☆マンシヨンの近くで降したというタクシーの運転手N1が現われたことから、被告人を本件の犯人と判断し、同年八月二三日被告人を本件殺人の容疑で逮捕した。被告人は、否認をつづけ、同月二四日には勾留されひきつづき身柄を拘束されたまま取調をうけたが、同月二六日午後に至り自白を始め、以後一貫して自白をつづけ、同年九月一二日起訴されるに至つたが、当公判廷においては、本件当日は**荘で寝ていたとの前記アリバイを主張し犯行を否認しているものである。

(二) 自白の任意性について

弁護人らは、被告人の自白は捜査官の暴行、脅迫、誘導或は長時間にわたる取調により得られたもので任意性を欠き証拠能力を有しない旨主張する。

よつて検討すると、証人L1、同O1、同P1、同M1の各供述によれば、捜査官は、本件が重大事犯であり物証等客観的証拠に乏しい事件であるため、被告人の捜査段階における供述が重要な意味をもつことを十分意識して、その任意性に疑いをもたせるような取調方法はとらないよう留意のうえ、あくまで被告人の自発的な供述により自白を得るという方針をとつたものであり、しかも、被告人が自白を維持しつづけていた捜査の最終段階においてもこのような方針をもつて臨んでいたこと、特に、六月七日から同月一一日までの任意取調に際しては、捜査官は、被告人の供述するがままの弁解を聞いたうえその内容を検討して裏付け捜査をなし、被告人が一旦自供するに至つたあとにおいても、捜査官が主観を押しつけたり、ただちに強制捜査に踏切ることはせずに被告人の取調を打ち切り、自白の真偽を確かめるための裏付捜査をするなど極めて慎重を期していたこと(なお、弁護人らは、六月七日から同月一一日までの間の被告人の取調は、取調終了後も帰宅することを許されず警察の用意した宿泊所やホテルに泊めてその監視の下におき、被告人の身柄を拘束して行なつたもので任意捜査に名を仮りた強制捜査であり違法のものである旨主張するが、前掲証人L1の供述によれば、右被告人の取調期間中の宿泊所やホテルへの宿泊は、被告人の希望により警察が斡旋したものと認められ、このことは被告人が作成した昭和五二年六月七日付答申書と題する書面によつても明らかであり、警察がその宿泊料金の一部を支払い、かつ被告人の身辺に警察官がついていたことなどその妥当性につき問題となりうる点が存するとはいえ、それが被告人の身柄を実質的に拘束して自白をさせようとの意図に基づくものとは認められず、違法な捜査であるとはいえない。)、被告人は昭和五二年六月七日初めて本件犯行を自白したものであるが、それまでの事情聴取の段階で述べていたアリバイの主張がその後の捜査によつて虚偽であることが明らかになり、捜査官の取調で右の点を追及されて犯行を自白したものであり、同年八月二三日逮捕されてからも数日間否認していたが、捜査官が被告人の良心に訴えて反省を促すとともに、供述の不合理な点を指摘してあくまで真実を述べるよう説得した結果、同月二六日に至り自供を始め、以後起訴まで一貫して自白したこと、捜査官は、被告人が裏付けのない虚偽のアリバイを主張したり現場の状況等客観的事実に反する供述をした場合にはこれを追及し長時間にわたり厳しい口調で取調したことがうかがわれるが、結局、動かしがたい捜査の結果をつきつけて被告人に真相を糺したものであつて、被告人の供述の任意性を疑わせるような利益誘導や脅迫、暴行等を加えた事実はないこと(なお、被告人は、当公判廷において、被告人が犯行を否認すると、捜査官から、被告人の頭髪をつかんでひきまわし、壁に頭をぶつつけ、被告人の襟をつかみ、肩をゆすり、椅子をふりあげる等の暴行を加えられた旨供述しているが、前掲各証人の供述に照らし信用できない。)、被告人は、捜査段階において供述の内容を種々変転させているが、これは捜査官により無理な取調べがなされたというよりはむしろ被告人において様々に供述を変え、前述したような捜査方針からそれがそのまま調書に記載されるに至つたものと考えられること等の諸事実が認められるのであり、その他弁護人らの主張するような違法不当な取調があつたことを疑わしめるような事情は認められず、被告人の検察官及び司法警察員に対する自白は、いずれも任意になされたものというべきである。

(三) 自白の信用性について

前記(一)で述べたとおり、被告人の本件犯行についての供述は変転しているが、単に自白と否認という供述の変転があるだけでなく、各自白の具体的内容においても、犯行の具体的態様、犯行現場の状況等について供述の変転があり、このことは被告人の自白の信用性に一応疑問を投げかけるものといわざるを得ないし、また、被告人は判示認定のとおり被害者と本件現場である被害者の居室で同棲したことのある者であつたため被害者に関する事柄や現場の事情に明るい立場にあり、さらに、被告人の当公判廷における供述、証人E1、同F1、同Q1、同R1の各供述、S1の検察官に対する供述調書によれば、被告人は、捜査官より取調をうける前から本件事件に関心をもち、本件に関する新聞及び雑誌の記事やテレビ等の報道により現場の状況、被害者の屍体の状態等について相当の予備知識を得ていたことが認められ、これらの経験にもとづいて捜査官に対し供述をしたことも考えられるので、被告人の自白の信用性を肯認するにあたつては特に慎重な検討をなすことを要するものと考えられるが、以下に述べる諸点を考え合せると、被告人が判示のとおり本件犯行をなしたことについての捜査段階における一連の自白調書の内容は、十分信用できるものと認められる。

(1) まず、前記(二)で述べたとおり、捜査官は、捜査の最終段階にいたるまで本件が犯人を特定する客観的証拠に乏しい事案であることに鑑み、被告人の捜査段階における供述が重要な意味をもつことを十分意識し、特に捜査官による誘導の疑いの生ずることのないよう慎重に配慮し、被告人の良心に訴えて反省を促すとともに客観的状況に反する等供述の不合理な点について捜査官の主観を押しつけたり、捜査官においてすでに把握していた現場の写真等を示したり、説明を加えることを避け、あくまで被告人の自発的な供述を待つという態度をとつたものである。そして、被告人は、昭和五二年六月七日初めて犯行を自白したものであり、また身柄を拘束され数日間否認していたところ同年八月二六日犯行を自白するに至つたものであるが、その契機はアリバイの主張が捜査官によつて全くの虚偽であることが明らかにされ、或は捜査官により被告人の供述の不合理な点が指摘され真実を述べるよう説得された結果、いわば観念した心の状態で犯行を認めたものであり、このような経緯ないし状況の下に自白が得られ、かつ逮捕後の自白についてはそれが最後まで維持されているということは、そのこと自体自白の信用性を強めるものである。なお、被告人の任意取調段階での供述が自白と否認を繰り返していることは前述したとおりであるけれども、その段階では捜査資料も乏しく、捜査官としては、強制捜査をさしひかえ、被告人の供述するがままを聞きその真偽を確認するという態度をとつていたことを考えると、このことは必ずしも被告人の自白調書(特に、逮捕後作成されたもの)の信用性を弱めるものとは考えられない。

(2) 被告人の自白調書(なお、司法警察員作成の昭和五二年九月五日付実況見分調書中の被告人の指示説明をも参照。)の内容は、犯行現場の状況、犯行態様、犯行後の犯跡隠蔽の状況等にわたり極めて詳細かつ具体的であるのみならず、多くの点において前掲各証拠から認められる客観的状況と符合し(例えば、殺害方法について被告人は任意捜査の当初から殺害者の首を両手で絞めたと一貫して供述し、前掲I1作成の鑑定書記載の内容と符合し、また殺害後ベツド上でB1の屍体を移動させ偽装工作をなしたとする点も、実況見分調書等で明らかな現場の客観的状況と良く符合する。さらに、B1方のベツドが、被告人が同女と別れた以降に持ち込まれた新しいものであつたとする点は、T1の司法警察員に対する供述調書によつて認められる、同ベツドが昭和五三年一月五日購入され同月一二日B1方へ搬入された事実に符合する。)、またかつて同棲したまでの仲であるB1に対する心情が良く現われている部分もあり(例えば、B1方のベツドが新しくなつているのを見て逆上したとする点とか殺害後B1のパンテイを脱がせその尻の下にタオルを敷いた動機に関する点)、このような自白が捜査官の誘導に基づかずになされていることからみて、右自白の信用性は極めて高いというべきである。被告人は、公判廷において、捜査官から誘導はされなかつたが、時に暗示を受けその顔色をうかがいながら自己の想像を語つた旨述べているけれども、このような自白が暗示や想像によつてなされたと考えることは困難であり、むしろ犯人なればこそその内容を語り得たとの印象を強く抱かせるものである。なお、任意取調の段階での自白と逮捕後の自白とでは、被害者が立つていた状態で首を絞めたのかあるいはベツドの上で横になつていた状態でそれをなしたのかという重要な点で相違しており、また逮捕後の自白だけについても、部屋の家具の配置等についてくい違いがあることは、弁護人の指摘するとおりであるけれども、まず前者の点については、任意取調の段階での自白は、前述したように、被告人の供述するがままを調書にしたものであつて、その際細部についてのきめ細かな質問・供述はなされなかつたものと認められ、このような自白と、その後期間を置き身柄拘束下の取調によつて得られた詳細な自白との間に部分的に相違があることをもつて自白調書全体の信用性を否定することは相当でないというべきである(ちなみに、殺害の態様等に関しては、判示のとおり、逮捕後の自白が事実に合致するものと認められる。)。また後者の点は、記憶違い等もありうる事項に関するものであつて、自白の信用性を否定するほど重大なものとは認められず、むしろ、逮捕後の自白は、このようなくい違いはあるけれども、全体として矛盾する点は少なく、一貫性を保つているものというべきである。

(3) さらに、被告人の自白の信用性を高めるものとして、被告人については本件当日被害者方を訪れ犯行を行なつたことを推測させる次のような言動が存する。

① まず、前記のとおり、被害者は黄色のネグリジエを着て殺害されていたのであるが、前掲L1の供述によれば、被告人は、昭和五二年六月七日、捜査官の取調に先立ち、したがつて、捜査官による暗示、誘導等が全く考えられない段階でポリグラフ検査をうけた際、その質問事項に「被害者が殺害されたとき着ていたネグリジエの色が何色であつたか。」との質問があり、これについて「はい」あるいは「いいえ」と答えるように指示されていたところ、右質問をうけるや「黄色いネグリジエです。」と答えたことが認められる。しかるに、被告人が判示のとおり昭和五一年一二月三一日本件現場である被害者方で被害者と別れて以後本件当日まで被害者方を訪れたことがないことについては、被告人自身捜査及び公判を通じて一貫して述べるところであり、証拠上もこれに疑いを持たせるものはないが、証人U1の供述、司法警察員作成の「ネグリジエについて」と題する捜査報告書によれば、右ネグリジエは昭和五二年四月一九日以降同人が被害者に売却したものであり、それ以前に被害者が黄色いネグリジエを持つていた形跡もなく(司法警察員V1外一名作成の「被害者方の黄色のネグリジエについて」と題する捜査報告書)、また本件事件当時被害者が身につけていたネグリジエの色が報道された形跡もないことを考えると、被告人が右のとおり被害者が殺害されていたとき着ていたネグリジエの色を供述したことは、被告人が本件当日被害者方を訪れなければ知り得ない事実を言葉にしたものというべきである。また、前記のとおり、被害者が着用していたパンテイは被害者方の風呂場に置かれていたものであるが、前掲L1の供述によれば、被告人は前記ポリグラフ検査をうけた際、右パンテイのあつた位置を質問され、「週刊誌を読んだから」あるいは「W1社のS1記者から聞いたから」知つているなどと答えたことが認められる。しかし、前掲L1の供述及びS1の検察官に対する供述調書によれば、被害者が殺害されたとき同女が着用していたパンテイの位置は報道されておらず、S1記者もこの点につき被告人に話したことはなかつたものと認められるから、右の点に関する被告人の発言も、被告人が犯人であることを推測させるものである。

② 前記のとおり、殺害された被害者の背部の下には赤色のタオルが敷かれていたが、前掲L1の供述によれば、被告人が昭和五二年六月八日の取調の際、被害者の「尻の下に赤いタオルを敷いた。」ともらしたので、捜査官が右タオルの話を始めたところ、被告人は「タオルの色については週刊W1のS1記者に聞いた話である。」と返答しその場をつくろつたことが認められる。しかし、S1の検察官に対する供述調書によれば、同人が被告人に右タオルの色について話をした事実は認められないのであつて、被告人はこの点でも犯人でなければ知り得ない事実を供述したものというべきである。

③ 前記二(一)のとおり、被告人は、本件事件発生の二日後の昭和五二年五月二〇日午前、事件の捜査本部が設置された警視庁高輪警察署に出頭し、同本部の捜査官に対し五月一八日の午前三時ころ**荘近くの東京都大田区(以下略)所在スナツク「##」で食事をしていた旨アリバイの主張をしたものであるが、その後の捜査の結果、被告人が右「##」で食事をしたのは同月一九日の午前二時ころから同三時ころの間であつたことが明らかとなり(証人Z1の供述、押収してある伝票一枚(一八日付のもの、同号の3)参照。)、被告人は右の点を追及されるや日付の思い違いであつたと弁解したものである。しかしながら、被告人がたとえ当日午後から翌日午前にかけて勤務する職業に就いているからといつて、わずか二日前の自己の行動についての日時を取違えるということは考えられず(次に述べるように、被告人は右警察への出頭の前日においても、本件当日の自己の行動について発言しているのである。)、自ら警察署まで赴きことさら翌一九日の行動を一八日の行動の如く説明したものと言わざるをえず、しかも、証人E1の供述及び同人の検察官に対する供述調書によれば、被告人は、右警察への出頭の前日、判示のように本件当日帰途を共にした同僚のE1及びF1に対し、被告人がタクシーを下車後「##」に食事に行つたと思い込ませるような発言をしていることが明らかであり、このような虚偽のアリバイ工作をなしていることは、もし被告人が犯人でないとするならば、理解に苦しむ行動といわなければならない。むしろ、この行動は、被告人が後に捜査官に供述しているとおり、自己に嫌疑がかけられることを十分に予期したうえ、犯人であるが故に当然知つている犯行時刻に合わせて自己の顔を人目にさらさせ、後にそれが事件発生の日であるとしてアリバイを主張するという一連の計画のもとになされたものとみてはじめて無理なく理解できるのであり、この点も被告人が犯人であることを推測させる根拠となるものである。

以上の各検討の結果によれば、被告人が本件犯行をなした犯人であつて判示の犯行をなしたことの捜査段階における自供調書の内容は、いずれも被告人が自発的に述べたものであり客観的事実と良く符合するうえ、具体性に富みかつ詳細であつて特に問題とすべき矛盾もないから、十分信用できるものというべきである。

三 アリバイについての供述とその不成立

弁護人は、被告人は本件当日の犯行時刻ころには犯行現場である被害者方から離れた**荘の自室で就寝していたという明白なアリバイがある旨主張する。

しかしながら、前述したとおり、被告人は本件当日のアリバイにつき当初はスナツク「##」で食事していたと主張していたところその後右弁護人主張のアリバイに変転したものであり、それ自体信用性に疑問を投げかけるのみならず、前掲Q1、E1、F1の各供述及びE1の検察官に対する供述調書によれば、五月一八日午前一時三〇分ころから同午前四時三〇分ころまでの間被告人は**荘にいなかつたことが明らかである。すなわち、E1は「被告人とE1、F1の三名は五月一八日午前零時三〇分か一時ころ仕事を終えタクシーで**荘へ帰寮し、被告人一人が『食事をしてくる』と言つて寮近くの路上で別れた。E1、F1の二名は寮へ入りQ1の指導のもとに調理師試験の受験勉強をしていた。午前二時ころ四谷店のA2から遊びに来て欲しいとの勧誘の電話があり一時間位三名で交互に話したあと始発電車運転開始後、E1、F1の両名がA2の許を訪れる約束をした。午前四時二〇分ころ出掛ける準備をしていたところ、階段を昇る足音が聞え隣室に入る様子があり、やがて被告人が下着姿でE1らの部屋に現われた。」と述べ(日時の点は、公判供述では必ずしも明瞭でないが、検察官調書における供述は明確であり、信用できると認められる。)、F1は日時の点は明確でないとはいえ右E1の供述を裏付ける供述をしており、Q1も「五月一七日は早番で、午後一〇時三〇分ころ仕事を終えて**荘に帰つていたところ、翌一八日午前一時三〇分ころE1、F1の両名が帰寮し、調理師試験の受験勉強を始めたのでその手伝をした。午前三時過ぎころ自室にノートをとりに戻つたがその際被告人は部屋にいなかつた。A2から電話がきて、E1、F1の両名は右A2の許へ行くことになり、準備をして出掛けるころの午前四時三〇分ころ、階段を昇る足音が聞え間もなく被告人が下着姿で現われた。」と述べ、Q1、E1の両名は、このようなことがあつた後出勤した日は美容師の宴会があつたという結びつきにより日時を記憶していると述べるなどその内容が具体的かつ詳細であつて十分信用できるものである(なお、司法警察員作成の昭和五二年八月二五日付実況見分調書によれば、**荘は木造二階建で幅六七センチメートルの階段をはさんでE1らの部屋と被告人らの部屋が向い合い、入口の戸を閉めきつた状態でも階段を昇降する足音や隣室の引戸を開閉する音は十分聞える状況であることが認められ、被告人が実際に帰寮したとすれば右Q1ら三名がこれに気づかないということは考えられない。)。そうすると、弁護人の主張する被告人のアリバイは成立しないといわざるをえない。

四 結論

以上検討したとおり、本件については判示認定の事実につき真実性の高い詳細な内容をもつ被告人の自白があり、かつこの自白の真実性を担保するに足りる補強証拠も存在し、他方、被告人にはアリバイが成立しないから、本件犯行が余人にあらず被告人によつてなされたことの証明は十分である。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法一九九条に該当するところ、所定刑中有期懲役刑を選択し、その刑期の範囲内で被告人を懲役一二年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中四〇〇日を右刑に算入し、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項本文により全部被告人の負担とする。

(量刑の理由)

本件は、被告人が、判示認定のとおり、かつて同棲までした仲である被害者に対する未練の情を断ち切れず、同女の身を案じて深夜同女方を訪れ話しを交わすうち自分の意のままにならない同女の態度に憤慨し、その首を絞めて殺害したというものであつて、被告人を信頼し気を許していた同女の生命を即死に近い状態で奪つた行為は冷酷無残というほかなく、その動機においても同情すべき余地はない。

また、被告人は、殺害後自己の犯行であることを隠蔽するため屍体や現場に手の込んだ偽装工作を施し、指紋をふきとり、さらにアリバイ工作までしたうえ捜査本部に自ら出頭して捜査官に対し虚偽のアリバイを主張したものであつて、その間自己の行為に対する反省の念は認められない。

一方、被害者は、結婚に失敗し二児を相手に委ねて離婚したあと、ホステスとして真面目に働いていた未だ二八歳の女性であつたが、かつて同棲したこともある被告人に生命を奪われるというようなことは夢想だにしていなかつたものと認められ、同女の遺族も被告人に厳罰を求めておりその受けた悲嘆の念は同情に耐えないものがある。

以上のとおり、被告人の刑事責任は極めて重大であつて、本件が衝動的になされた偶発的犯行というべきものであり、また被告人にはこれまで道路交通法違反による罰金刑のほか前科がないこと等有利な事情を考慮しても主文掲記の刑は免れないところである(求刑懲役一三年)。

よつて、主文のとおり判決する。

(昭和五四年一月三一日 東京地方裁判所刑事第一五部)

 

宮崎悟一裁判長不当決定 高輪グリーンマンション事件 最高裁昭和59

刑事訴訟法判例百選 第10版 9事件 11版6事件

              殺人被告事件

最高裁判所第2小法廷決定/昭和57年(あ)第301号

昭和59年2月29日

【判示事項】      1、被疑者を所轄警察署近辺のホテル等に宿泊させて取調べを続行したことが任意捜査の方法として違法とまではいえないとされた事例

            2、伝聞証言につき異議の申立てがなかった場合の証拠能力

【判決要旨】      1 被疑者につき帰宅できない特段の事情もないのに、同人を4夜にわたり所轄警察署近辺のホテル等に宿泊させるなどした上、連日、同警察署に出頭させ、午前中から夜間に至るまで長時間取調べをすることは、任意捜査の方法として必ずしも妥当とはいい難いが、同人が右のような宿泊を伴う取調べに任意に応じており、事案の性質上速やかに同人から詳細な事情及び弁解を聴取する必要性があるなど本件の具体的状況のもとにおいては(判文参照)、任意捜査の限界を越えた違法なものとまでいうことはできない。

            2 いわゆる伝聞証言であっても、異議の申立がないまま当該証人に対する尋問が終了した場合には、直ちに異議の申立ができないなどの特段の事情がない限り、黙示の同意があったものとして、証拠能力を有する。

            (1につき意見がある)

【参照条文】      刑事訴訟法197-1

            刑事訴訟法198-1

            刑事訴訟法309

            刑事訴訟法320-1

            刑事訴訟法324

            刑事訴訟法326-1

            刑事訴訟規則205

            刑事訴訟規則205の2

【掲載誌】       最高裁判所刑事判例集38巻3号479頁

            最高裁判所裁判集刑事235号643頁

            裁判所時報885号2頁

            判例タイムズ524号93頁

            判例時報1112号31頁

【評釈論文】      警察時報39巻9号102頁

            ジュリスト臨時増刊838号192頁

            別冊ジュリスト89号16頁

            別冊ジュリスト119号16頁

            捜査研究40巻2号129頁

            別冊判例タイムズ11号39頁

            判例評論310号226頁

            法学新報92巻3~4号253頁

            法曹時報39巻9号125頁

 

       主   文

 

 本件上告を棄却する。

 当審における未決勾留日数中六〇〇日を本刑に算入する。

 

       理   由

 

一 弁護人加藤満生、同猪狩庸祐、同沼尾雅徳(以下「弁護人ら」という。)の上告趣意第一点の一のうち、判例違反をいう点は、所論引用の判例は非供述証拠に関するものであつて事案を異にし本件に適切でなく、その余は、憲法三一条、三三条、三四条、三八条違反をいう点を含め、また、被告人本人の上告趣意第一章第一ないし第五の、被告人に対する取調手続の違法を理由として憲法一三条、一八条、三一条、三三条、三四条違反をいう点は、いずれも実質は単なる法令違反の主張であつて、すべて適法な上告理由にあたらない。(職権判断)

 1 第一審判決及び原判決の認定するところに記録を併せると、被告人に対する本件取調べの経過及び状況は、おおむね次のとおりである。

  (1) 昭和五二年五月一八日、東京都港区ab丁目c番d号eマンシヨンf号室の本件被害者A方において、被害者が何者かによつて殺害されているのが被害者の勤め先の者によつて発見され、同人の通報により殺人事件として直ちに捜査が開始され、警視庁捜査一課強行犯二係を中心とする捜査本部が所轄の高輪警察署に設置された。犯行現場の状況等から犯人は被害者と面識のある者との見通しのもとに被害者の生前の交友関係を中心に捜査が進められ、かつて被害者と同棲したことのある被告人もその対象となつていたところ、同月二〇日、被告人は自ら高輪警察署に出頭し、本件犯行当時アリバイがある旨の弁明をしたが、裏付捜査の結果右アリバイの主張が虚偽であることが判明し、被告人に対する容疑が強まつたところから、同年六月七日早朝、捜査官四名が東京都大田区gh丁目i番j号所在のB荘(被告人の勤め先の独身寮)の被告人の居室に赴き、本件の有力容疑者として被告人に任意同行を求め、被告人がこれに応じたので、右捜査官らは、被告人を同署の自動車に同乗させて同署に同行した。

  (2) 捜査官らは、被告人の承諾のもとに被告人を警視庁に同道した上、同日午前九時半ころから二時間余にわたつてポリグラフ検査を受けさせた後、高輪警察署に連れ戻り、同署四階の三・三平方メートルくらいの広さの調べ室において、一名(巡査部長)が主になり、同室入口付近等に一ないし二名の捜査官を立ち会わせて被告人を取り調べ、右アリバイの点などを追及したところ、同日午後一〇時ころに至つて被告人は本件犯行を認めるに至つた。

  (3) そこで、捜査官らは、被告人に本件犯行についての自白を内容とする答申書を作成させ、同日午後一一時すぎには一応の取調べを終えたが、被告人からの申出もあつて、高輪警察署長宛の「私は高輪警察署でAさんをころした事について申し上げましたが、明日、さらにくわしく説明致します。今日は私としても寮に帰るのはいやなのでどこかの旅館に泊めて致だきたいと思います。」と記載した答申書を作成提出させて、同署近くのCの宿泊施設に被告人を宿泊させ、捜査官四、五名も同宿し、うち一名は被告人の室の隣室に泊り込むなどして被告人の挙動を監視した。

  (4) 翌六月八日朝、捜査官らは、自動車で被告人を迎えに行き、朝から午後一一時ころに至るまで高輪警察署の前記調べ室で被告人を取り調べ、同夜も被告人が帰宅を望まないということで、捜査官らが手配して自動車で被告人を同署からほど近いホテルDに送り届けて同所に宿泊させ、翌九日以降も同様の取調べをし、同夜及び同月一〇日の夜はEホテルに宿泊させ、右各夜ともホテルの周辺に捜査官が張り込み被告人の動静を監視した。なお、右宿泊代金については、同月七日から九日までの分は警察において支払い、同月一〇日の分のみ被告人に支払わせた。

  (5) このようにして、同月一一日まで被告人に対する取調べを続行し、この間、前記二通の答申書のほか、同月八日付で自白を内容とする供述調書及び答申書、同月九日付で心境等を内容とする答申書、同月一〇日付で犯行状況についての自白を内容とする供述調書が作成され、同月一一日には、否認の供述調書(参考人調書)が作成された。

  (6) 捜査官らは、被告人から右のような本件犯行についての自白を得たものの、決め手となる証拠が十分でなかつたことなどから、被告人を逮捕することなく、同月一一日午後三時ころ、山梨市から被告人を迎えに来た被告人の実母らと帰郷させたが、その際、右実母から「右の者御署に於て殺人被疑事件につき御取調中のところ今回私に対して身柄引渡下され正に申しうけました」旨記載した高輪警察署長宛の身柄請書を徴した。

  (7) 捜査本部ではその後も被告人の自白を裏付けるべき捜査を続け、同年八月二三日に至つて、本件殺人の容疑により前記山梨市の実母方で被告人を逮捕した。被告人は、身柄を拘束された後、当初は新たなアリバイの主張をするなどして本件犯行を否認していたが、同月二六日に犯行を自白して以降捜査段階においては自白を維持し、自白を内容とする司法警察員及び検察官に対する各供述調書が作成され、同年九月一二日、本件につき殺人の罪名で勾留中起訴された。

 2 右のような事実関係のもとにおいて、昭和五二年六月七日に被告人を高輪警察署に任意同行して以降同月一一日に至る間の被告人に対する取調べは、刑訴法一九八条に基づき、任意捜査としてなされたものと認められるところ、任意捜査においては、強制手段、すなわち、「個人の意思を抑圧し、身体、住居、財産等に制約を加えて強制的に捜査目的を実現する行為など、特別の根拠規定がなければ許容することが相当でない手段」(最高裁昭和五〇年(あ)第一四六号同五一年三月一六日第三小法廷決定・刑集三〇巻二号一八七頁参照)を用いることが許されないということはいうまでもないが、任意捜査の一環としての被疑者に対する取調べは、右のような強制手段によることができないというだけでなく、さらに、事案の性質、被疑者に対する容疑の程度、被疑者の態度等諸般の事情を勘案して、社会通念上相当と認められる方法ないし態様及び限度において、許容されるものと解すべきである。

 3 これを本件についてみるに、まず、被告人に対する当初の任意同行については、捜査の進展状況からみて被告人に対する容疑が強まつており、事案の性質、重大性等にもかんがみると、その段階で直接被告人から事情を聴き弁解を徴する必要性があつたことは明らかであり、任意同行の手段・方法等の点において相当性を欠くところがあつたものとは認め難く、また、右任意同行に引き続くその後の被告人に対する取調べ自体については、その際に暴行、脅迫等被告人の供述の任意性に影響を及ぼすべき事跡があつたものとは認め難い。

 4 しかし、被告人を四夜にわたり捜査官の手配した宿泊施設に宿泊させた上、前後五日間にわたつて被疑者としての取調べを続行した点については、原判示のように、右の間被告人が単に「警察の庇護ないしはゆるやかな監視のもとに置かれていたものとみることができる」というような状況にあつたにすぎないものといえるか、疑問の余地がある。

   すなわち、被告人を右のように宿泊させたことについては、被告人の住居たるB荘は高輪警察署からさほど遠くはなく、深夜であつても帰宅できない特段の事情も見当たらない上、第一日目の夜は、捜査官が同宿し被告人の挙動を直接監視し、第二日目以降も、捜査官らが前記ホテルに同宿こそしなかつたもののその周辺に張り込んで被告人の動静を監視しており、高輪警察署との往復には、警察の自動車が使用され、捜査官が同乗して送り迎えがなされているほか、最初の三晩については警察において宿泊費用を支払つており、しかもこの間午前中から深夜に至るまでの長時間、連日にわたつて本件についての追及、取調べが続けられたものであつて、これらの諸事情に徴すると、被告人は、捜査官の意向にそうように、右のような宿泊を伴う連日にわたる長時間の取調べに応じざるを得ない状況に置かれていたものとみられる一面もあり、その期間も長く、任意取調べの方法として必ずしも妥当なものであつたとはいい難い。

   しかしながら、他面、被告人は、右初日の宿泊については前記のような答申書を差し出しており、また、記録上、右の間に被告人が取調べや宿泊を拒否し、調べ室あるいは宿泊施設から退去し帰宅することを申し出たり、そのような行動に出た証跡はなく、捜査官らが、取調べを強行し、被告人の退去、帰宅を拒絶したり制止したというような事実も窺われないのであつて、これらの諸事情を総合すると、右取調べにせよ宿泊にせよ、結局、被告人がその意思によりこれを容認し応じていたものと認められるのである。

 5 被告人に対する右のような取調べは、宿泊の点など任意捜査の方法として必ずしも妥当とはいい難いところがあるものの、被告人が任意に応じていたものと認められるばかりでなく、事案の性質上、速やかに被告人から詳細な事情及び弁解を聴取する必要性があつたものと認められることなどの本件における具体的状況を総合すると、結局、社会通念上やむを得なかつたものというべく、任意捜査として許容される限界を越えた違法なものであつたとまでは断じ難いというべきである。

 6 したがつて、右任意取調べの過程で作成された被告人の答申書、司法警察員に対する供述調書中の自白については、記録上他に特段の任意性を疑うべき事情も認め難いのであるから、その任意性を肯定し、証拠能力があるものとした第一審判決を是認した原判断は、結論において相当である。

二(一) 弁護人らの上告趣意第一点の二及び被告人本人の上告趣意第一章第七、第九の一、二の、被告人の自白は警察官らの強制、拷問、脅迫、誘導等に基づくか、その影響下におけるものであるとして憲法三六条、三八条一項、二項違反をいう点は、記録を調べても、所論のように供述の任意性に影響を及ぼすような違法な取調べがなされたものとまでは認められないから、所論はいずれも前提を欠き、適法な上告理由にあたらない。

 (二) 被告人本人の上告趣意第二章第一の、被告人の勾留中の自白は警察官の偽計に基づくものであるとして判例違反をいう点は、記録を調べても、被告人の右自白が警察官の偽計に基づくものとは認められないから、所論は前提を欠き、適法な上告理由にあたらない。

三 被告人本人の上告趣意第一章第六の、被告人の所有物に対し違法な押収がなされたとして憲法三五条違反をいう点は、違憲をいう点をも含め、実質はすべて単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

四 弁護人らの上告趣意第一点の四(上告趣意書に「三」とあるのは誤記と認められる。)のうち、判例違反をいう点は、記録を調べても、原審が所論の証人申請を却下したのが合理的な裁量の範囲を逸脱したものとは認められないから、所論は前提を欠き、その余の点及び被告人本人の上告趣意第一章第八の二は、憲法三七条違反をいう点をも含め、いずれも実質は証拠の採否に関する単なる法令違反の主張であつて、すべて適法な上告理由にあたらない。

五 被告人本人の上告趣意第一章第九の三の憲法三八条三項違反をいう点は、原判決及びその是認する第一審判決が被告人の自白のみを証拠として被告人を有罪と認定したものでないことは各判文上明らかであるから、所論は前提を欠き、適法な上告理由にあたらない。

六 弁護人らの上告趣意第一点の三(上告趣意書に「二」とあるのは誤記と認められる。)及び被告人本人の上告趣意第二章第二の判例違反をいう点並びに被告人本人の上告趣意第一章第一、第八の一、第一〇の憲法一一条、一三条あるいは三七条一項違反をいう点は、いずれもその実質は審理不尽をいう単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、すべて適法な上告理由にあたらない。

七 弁護人らの上告趣意第一点の三(前記六参照)の(五)及び被告人本人の上告趣意第二章第二の二のいわゆる伝聞証言を証拠としたとして違法をいう点は、単なる法令違反の主張であつて、いずれも適法な上告理由にあたらない。

  (職権判断)

  記録によれば、F警部は、第一審において、ポリグラフ検査の際、被告人に本件被害者の着用していたネグリジエの色等、本件の真犯人でなければ知り得ない事項についての言動があつた旨証言し、第一審判決及びこれを是認した原判決は、右証言を採用して右言動を認定し、これをもつて被告人を本件の真犯人と断定する一つの情況証拠としていることが明らかである。右証言は伝聞ないし再伝聞を内容とするものであるが、右証言の際、被告人及び弁護人らは、その機会がありながら異議の申立てをすることなく、右証人に対する反対尋問をし、証人尋問を終えていることが認められる。

 このように、いわゆる伝聞ないし再伝聞証言について、異議の申立てがされることなく当該証人に対する尋問が終了した場合には、直ちに異議の申立てができないなどの特段の事情がない限り、黙示の同意があつたものとしてその証拠能力を認めるのが相当である(最高裁昭和二六年(あ)第四二四八号同二八年五月一二日第三小法廷判決・刑集七巻五号一〇二三頁、同二七年(あ)第六五四七号同二九年五月一一日第三小法廷判決・刑集八巻五号六六四頁、同三一年(あ)第七四〇号同三三年一〇月二四日第二小法廷判決・刑集一二巻一四号三三六八頁等参照。これらの判決は、伝聞証言の証拠能力を認めるについて、異議の申立てがなかつたことのほか、証人に対し尋ねることはない旨述べられた場合であること等の要件を必要とするかのような判示をしているが、後者の点は当該事案に即して判示されたにすぎず、ことに右のような陳述の点は、その有無によつて、伝聞証言の証拠能力に特段の差異を来すものではないと解される。)。

八 弁護人らの上告趣意第二点及び被告人本人の上告趣意のその余の点(第二章第二など)は、事実誤認の主張であつて、いずれも適法な上告理由にあたらない。

  なお、記録及び証拠物によれば、被告人の捜査段階における自白の信用性を肯定し、右自白とその余の関係各証拠とを総合して、被告人のアリバイ主張を排斥し、本件殺人が被告人の犯行によるものと認めた第一審判決を是認した原判断は、相当として肯認することができる。

 よつて、刑訴法四一四条、三八六条一項三号、刑法二一条により、主文のとおり決定する。

 この決定は、裁判官木下忠良、同大橋進の意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

 裁判官木下忠良、同大橋進の意見は、次のとおりである。

 われわれは、多数意見一の(職権判断)の項につき、同項1に判示されている事実関係のもとにおいて、被告人を四夜にわたり捜査官の手配した宿泊施設に宿泊させた上、前後五日間にわたつて被疑者としての取調べを続行した点に関して、第一審判決が、単に右宿泊の「妥当性につき問題となりうる点が存する」とし、原判決が、右の間被告人は「警察の庇護ないしゆるやかな監視のもとに置かれていたものとみることができる」としているのは的確な判断とはいい難いと考えるものであり、多数意見が、被告人に対する右のような取調べも、任意捜査の方法として必ずしも妥当とはいい難いとしながら、結局、社会通念上やむをえなかつたものというべく、任意捜査として許容される限界を越えた違法なものであつたとまでは断じ難いとし、右取調べの過程で作成された被告人の答申書、司法警察員に対する供述調書中の自白につき任意性を肯定し証拠能力があるとした第一審判決を肯認した原判断を是認している点については、同調することができない。その理由は次のとおりである。

 まず、多数意見が、任意捜査においては、強制手段を用いることが許されず、また、任意捜査の一環としての被疑者に対する取調べについては、なお、社会通念上相当と認められる方法ないし態様及び限度において許容されるとする点には、異論をはさむものではない。

 しかしながら、右のような観点から、本件の任意捜査段階における被告人に対する取調べについてみるに、本件の記録上、被告人が捜査官らによる取調べあるいは捜査官の手配した宿泊施設への宿泊を明示的に拒否した事実は認められず、右宿泊については、むしろ被告人から申し出たものであることを示す答申書すら作成提出していることが認められることは、多数意見の指摘するとおりであるが、これらの点から、右取調べが任意のものであり、宿泊も被告人の自由な意思に基づくものと速断することはできないと考えられる。すなわち、被告人は、任意同行後、先に自ら高輪警察署に出頭して無実を弁明するためにしたアリバイの主張が虚偽のものと決めつけられ、本件の犯人ではないかとの強い疑いをかけられて厳しい追及を受け、場合によつては逮捕されかねない状況に追い込まれていたものと認められる上、多数意見も指摘しているとおり、被告人の住居たるB荘は高輪警察署からさほど遠くはなく、深夜であつても帰宅できない特段の事情も見当たらず、被告人から進んで捜査官に対し宿泊先の斡旋を求めなければならない合理的な事由があつたものとも認め難いのみならず、捜査官が手配したのはいずれも高輪警察署に近い宿泊施設であつて、第一日目は捜査官らが同室したも同然の状態で同宿し被告人の身近かにあつてその挙動を監視し、その後も同宿こそしなかつたもののホテルの周辺等に張り込み被告人の動静を監視していたほか、同警察署との往復には警察の自動車が使用され、捜査官が同乗して送り迎えがなされており、昼夜を問わず捜査官らの監視下に置かれていたばかりでなく、この間午前中から夜間に至るまでの長時間、連日にわたつて本件についての追及、取調べが続けられ、加えて最初の三日間については宿泊代金を警察が負担している(記録によれば、被告人は宿泊代金を負担するだけの所持金を有していたことが窺われる。)のであつて、このような状況のもとにおいては、被告人の自由な意思決定は著しく困難であり、捜査官らの有形無形の圧力が強く影響し、その事実上の強制下に右のような宿泊を伴う連日にわたる長時間の取調べに応じざるを得なかつたものとみるほかはない。捜査官が被告人を実母に引き渡すにあたつて身柄請書なるものを徴しているのも、被告人が右のような状態に置かれていたことを端的に示すものといえよう。

 このような取調方法は、いかに被告人に対する容疑事実が重大で、容疑の程度も強く、捜査官としては速やかに被告人から詳細な事情及び弁解を聴取し、事案の真相に迫る必要性があつたとしても、また、これが被告人を実質的に逮捕し身柄を拘束した状態に置いてなされたものとまでは直ちにいい難いとしても、任意捜査としてその手段・方法が著しく不当で、許容限度を越える違法なものというべきであり、この間の被告人の供述については、その任意性に当然に影響があるものとみるべきである。

 さらに、われわれは、被告人に対する本件のような取調方法も任意捜査として違法とまではいえないことになると、捜査官が、事実の性質等により、そのような取調方法も一般的に許容されるものと解し、常態化させることを深く危惧するものであり、このような捜査方法を抑止する見地からも、本件任意捜査段階における被告人の供述は、違法な取調べに基づく、任意性に疑いがあるものとして、その証拠能力を否定すべきであり、これが憲法三一条等の精神にそうゆえんのものであると考えるものである。

 してみると、被告人に対する右のような取調方法につき違法はないとして、その間の被告人の自白の証拠能力を肯定した第一審判決及びこれを是認する原判決は、右取調状況に関する事実の認定、評価を誤りひいては法令の解釈適用を誤つた違法があるものといわなければならない。しかしながら、記録に徴すると、右のような状態の解消した後、二か月余を経て被告人が逮捕されて以後の勾留中の自白については、多数意見1の(7)に掲記のような自白の経過にも照らし、右任意捜査段階での違法状態の影響下においてなされたものとは認められず、他に特段の任意性を疑うべき証跡も認め難く、その証拠能力を肯定することができるものというべきところ、右強制捜査段階の自白及びその余の関係証拠のみによつても、第一審判決の判示する罪となるべき事実を肯認することができるものと認められるから、前記違法は、結局、判決に影響を及ぼさず、原判決及びその是認する第一審判決を破棄しなければ著しく正義に反するものとはいえない。

  昭和五九年二月二九日

    最高裁判所第二小法廷

        裁判長裁判官  宮崎梧一

           裁判官  木下忠良

           裁判官  鹽野宜慶

           裁判官  大橋 進

           裁判官  牧 圭次

6月30日の岡山市の予想気温は24度から36度。

梅雨晴間焼むすびなど匂はせて 星野麥丘人

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