岩崎宏美における親権・養育権・面会交流

  もとは2018年の5月にアップしたものです。妹さんの離婚報道があったのでついてにおもいだしました。

 

                 弁護士 岡本 哲

 

 

1 岩崎宏美の私生活

2 親権に関する1966年以降の一般的な日本の家族法実務

3 面会交流に関する現在の実務                                                                                                                                                         

4 ドイツだと?

 

 

1 岩崎宏美の私生活

 岩崎宏美は1970年代のアイドル歌手であり、現在も歌唱力に定評ある歌手として知られている。

 親権・養育権・面会交流に関連しそうな結婚歴・病歴は以下のとおりである。

歌手岩崎宏美は、1988年、商社勤務のサラリーマン(実業家・益田孝の玄孫にあたる)と結婚し、横浜市港北区に新居を構えた。芸名も夫の姓に合わせ益田宏美に改名した。

1989年に長男を1992年に次男を出産した。その間ドイツに住む時期があったが、その頃、既に夫婦仲が悪かった。1995年に協議離婚が成立し、子どもの親権は夫側が、監護権は岩崎宏美側が得た。1996年に前夫が再婚した後、監護権も前夫が得て、前夫の後妻と二男が養子縁組する形で二男を引き取った。(※ウィキペディアのままであるので子供を夫と妻のどちらが育てているのか、夫がドイツにいるのかどうか明らかでない。面会交流がある程度できていることからは、夫側にふたりともいて日本にいるようではある)。それに対し、前夫を提訴することを考えたが、「公判中は子供に一切面会させない」と通告を受け、提訴を断念した。その後、芸名を岩崎宏美に戻し歌手活動を本格的に再開した。子どもに対する面会権を行使し、子どもとはその後も2か月に1回のペースで会っていた。

 

2001年、テイチクのレーベル・インペリアルレコードに移籍する。同年声帯ポリープができ、手術を受けた。

2001年からバセドー病、橋本病を患っていることを明らかにした。

2009429日、俳優・今拓哉と結婚した。

子どもが成年に達したあとは、自由に会えるようになった。

 

wikipedeia 2018年4月17日段階から抜粋

 

2 親権に関する1966年以降の一般的な日本の家族法実務

1966年以降の一般的な日本の家族法実務では、離婚の際の未成年者の親権指定については、幼少期の未成年者については親権者に母がなることが原則化していた。

1966年以前は、母親優先ということはなく、男の子は男親、女の子は女親、となるか、父方が親権者となることが多かった。男尊女卑のなごり、女性の就業環境がととのっていなかったこと、三世代同居が当たり前で父子世帯・母子世帯の問題が顕在化しなかったことなどが、原因とされている。

 1995年の段階での協議離婚であり、親権者父、監護権者母となっているが審判までいけば親権者は母になっていたと予想される。夫側がいかに名門であったとしても、母子を切り離すことはそうそうは無理である。

1995年段階で長男は7歳であり、意思能力があって父か母かを選ぶことのできる年齢(だいたい12歳)にはなっていない。1996年段階でも、12歳になっていないので、二男について親権を父側にすることはなかったように思われる。子は夫側にいたようであるが、芸能活動再開との前後関係は明らかでない。病歴も親権に影響をするレベルではなさそうである。

 

面会の頻度も2カ月に1度はやや少ないようには思われる。

岩崎宏美側が家庭裁判所を利用していたら結果は違っていたのではなかろうか。

 

3 面会交流に関する現在の実務

 日本の家族法は昭和22年の改正段階では先進的であったが、その後の立法の停滞により、現在となってはG8のなかで唯一の遅れた特色を持っていることが多い。

「親権」という19世紀からの用語が、概念の変更にもかかわらず(現在は親の義務の側面が強い)、そのまま使われている唯一の国となっている。実際は親の子及び他の配偶者あるいはパートナー(同性婚を認めている場合や婚外子の場合)への配慮も含む権利義務であるので「親」のみの「権利」という親権は実態からもずれている。親権者が気儘(きまま)に非親権者への面接交流を拒み、非親権者の悪口をいうことが放置されている。二男を養子にしたときに物心ついていないとしても、義母を実母として育てることは先進国では許容されるものではない。

 

 日本法は、離婚前に裁判所その他の公的機関が離婚後のもと夫婦・親子の交流について関与しない、離婚時の親権者確定(そもそも単独親権者に確定する必要の疑問もあるのだが)、その後の面会交流の具体的内容の規定を欠く時代遅れなものとなっている。

      単独親権であり、運用として親権者について幼児について母親優先が機械的になされていること、

      離婚前に離婚後のもと夫婦・親子間の交流についての教育や指導がなされておらず。親権者への非親権者への罵詈雑言等を未成熟子へ聞かせない等の配慮がなされていないこと、

      離婚後の居所指定権について親権者が無制限なこと、

      離婚後の非親権者と未成熟子との面会交流について離婚時に適切な取り決めがなされなくてもよいことになっていること、

の特徴が放置されている。

比較法的に非親権者(日本の場合ほとんどが父親)と未成熟子の交流が十分な状態でないこと(平等の観点からは50対50であるべきだが、例えば月1回の面会交流だと29対1を許容することになる)ことが問題でなっており、すでに1970年代以降指摘されていたものであるが、漫然と放置されていた。国際的な子の奪取や面会交流権侵害については、2013年の日本のハーグ条約実施・国内法の整備によりハーグ条約加入国間ではある程度守られるようになったが、純粋な日本の校区内の問題については、むしろ放置状態となっている。

児童の権利に関する条約は1989年に国際連合が採択し、日本では平成6年に発効した。同条約では子が父母によりより養育される権利を明示し(7条1項)、定期的に父母のいずれとも人的な関係及び直接の接触を維持する権利)9条3項)を明示している。子の引き渡し後の、非親権者と子の面会交流について放置状態となる現行実務はこの規定に反している。2010年に国際連合・子どもの権利委員会が日本政府に対してだした「最終見解」では、委員会は、締約国が、児童の権利を含む人権について、児童と共に及び児童のために働くすべての人々(教師、裁判官、弁護士、法執行官、報道関係者、全てのレベルの国家及び地方公務員を含む)に対し、系統だった継続的な研修プログラムを作成することを要請する。」としている。平成23年民法改正においては、子どもの実の両親に対するアクセス権確保は抜け落ちている。

 

4 ドイツだと?

いまとなってはなくなった可能性であるが、岩崎宏美の離婚事件ではドイツで裁判がなされる可能性があり、並行原則でドイツ法的処理がなされる可能性もあった。そのときには、どのような処理がなされたのであろうか。

現行ドイツ法の特徴としては

  1. 共同親権を認めていること、単独親権になる場合でも単純に母親優先ではなくきめ細かい手続がおかれたうえで決定されている、

  2.          協議離婚を認めない裁判離婚主義であり、離婚前に離婚後のもと夫婦・親子間の交流についての教育や指導がなされる、

  3.  親と子の結びつきに対する寛容性が双方に要求される、

  4.  離婚後の居所指定権について共同親権では双方の同意が必要であること、単独親権でも非親権者の同意が必要である、

  5.  離婚後の非親権者と未成熟子との面会交流について離婚時に適切な取り決めがなされなければならないこと、妨害してはならないことが法定されていること、

といった日本法と対照的なものとなっている。

 

 歴史的には封建主義・男性優位といった共通項があった日本とドイツが現在なぜこのように異なっているのか。また、ドイツの法改正の歴史において日本の現在はどの段階にあるのかを概略的に検討してみる

 ドイツ民法典(BGB)は1900年1月1日施行であるが、elterliche Gewaltと規定されていたため親権という訳がなじむが、1979年の「親としての配慮に関する法の新規整に関する法律」によりelterliche Sorgeとなった。「親としての配慮」と日本で扱われている。BGBにおいては父母の婚姻中の親権の行使者は父であり、母は身上監護権を有するのみであった。1953年以降ボン基本法により男女同権に反する法律は失効する(ボン基本法117条)ため1953年以降は失効状態となり、父母の共同親権となった。1958年施行の男女同権法により民法も改正された。

 離婚後の親権については単独親権が原則とされていた。この際にも婚姻破綻の有責性が考慮されていた。(現在の日本の実務では考慮しないものである。)ドイツでは1976年に離婚の有責主義から破綻主義に移行するに伴い婚姻破綻の有責性は考慮されなくなった。

 ドイツ連邦憲法裁判所は1982年11月3日に単独親権のみを認める法律について違憲と判断した。その後から共同親権による実務がなされ、1997年の親子法改正で明文化された。離婚後の共同親権についてドイツは憲法裁判所がリードしたのである。

1997年改正により共同配慮が原則となった。父母は親としての配慮を自己の責任において、かつ、双方合意のうえ、子の福祉のために行使しなければならない(BGB1927条1項本文)ことが原則とされた。共同配慮は2000年から2011年までの統計では94パーセントがこれにあたるようになった。ドイツでは裁判離婚が強制され(BGB1564条)、区裁判所の特別部である家庭裁判所へ書面で申立をおこなう。2008年9月の家事事件・非訟事件手続法により、申立書には未成年の子に対する配慮権や面会交流・養育費に関しては夫婦間の諸権利義務とともに取り決めをしたかどうかを記載しなければならない。離婚の諸効果(年金調整・子に対する扶養義務・離婚後扶養、婚姻住居・家財・夫婦財産制)も原則として離婚手続に結合されてなされる。

日本の家庭裁判所調査官に相当する制度は直接には存在しないが、少年局や少年鑑定人が同様の役割を担っている。

 共同配慮への支援体制としては相談所・少年局の専門担当部署・家庭裁判所が連携して援助を提供し、父母教育がなされる。

その際には他方の親と子の結びつきに対する寛容性が双方の親に求められる。違犯がある場合には居所指定顕や健康・学校教育に関する配慮権を他方に移譲することもおこなわれる。子や他方の親に対する悪口のほか新しいパートナーに子をなつかせようとその者が父や母であると教え込んだり、そうよばせることは問題とされる。日本のように親権者が非親権者に対する悪口をこどもにいうことや再婚した場合に実際の父母と呼ばせることが放置されることはない。

 

参考文献

床谷文雄・本山敦編「親権法の比較研究」日本評論社・2014年

一般財団法人 比較法研究センター「各国の離婚後の親権制度に関する調査研究業務報告書」2014年