木谷裁判官の覚せい剤取締法違反での無罪判決 平成3年浦和

平成4年判決と同様捜査遂行上の問題点が指摘されています。

【事件番号】 浦和地方裁判所判決/平成3年(わ)第136号

【判決日付】 平成3年12月10日

【判示事項】 一 被告人の尿に警察官が他人の尿を混入した疑いがあるとして、尿鑑定書の証拠価値を疑問とし、無罪を言い渡した事例(①事件)

【参照条文】 刑事訴訟法336

       刑事訴訟法318

       覚せい剤取締法41の2-1

       覚せい剤取締法19

【掲載誌】  判例タイムズ778号99頁

       主   文

  被告人は、無罪。

     理由目次

 第一 公訴事実

 第二 証拠関係及び証拠上の問題点

 第三 覚せい剤自己使用事件の特徴及び同事件に対する当裁判所の基本的姿勢

 第四 証拠上明らかな事実

 第五 採尿状況に関する警察官及び被告人の各供述の要旨

 第六 採尿状況に関する両供述の信用性の比較

  一 被告人の供述に対する疑問

  二 警察官の証占に対する疑問

  三 一応の結論

 第七 本件捜査遂行上の問題点

  一 採尿にまつわるその余の問題点

  二 注射痕に関する捜査の不備

  三 その余の捜査上の問題点第八 他人の尿の混人の可能性について

 一 緒節

  二 他の被疑者の尿の入手可能性について

 三 動機の存否について

第九 被告人の供述の再検討

  一 緒節

  二 採尿報告書添付写真固との抵触について

 三 被告人の捜査官調書に弁解の記載がないことについて

 四 鑑定対象物たる尿の覚せい剤濃度について

 五 計画性と稚拙性について

 六 被告人の供述のその余の特徴について

第一〇 総括

 第一一 結論

 

        理   由

 

 第一 公訴事実

  本件公訴事実は、「被告人は、法定の除外事由がないのに、平成三年二月上旬ころ、東京都内またはその周辺において、覚せい剤であるフエニルメチルアミノプロパンを含有するもの若干量を自己の身体に施用し、もって、覚せい剤を使用したものである。」というのである。

 第二 証拠関係及び証拠上の問題点

  本件においては、平成三年二月一〇日、被告人が、覚せい剤取締法違反罪(譲受け)の容疑で通常逮捕され、即日、埼玉県警察浦和西警察署一以下、「浦和西署」という。一で尿の任意提出に応じたこと、当日、被告人から提出されたとされる尿は、その二日後の二月一二日付けで埼玉県警察本部刑事部科学捜査研究所一以下、「科捜研」という。)へ鑑定嘱託され、科捜研からは、同月一四日付けで作成された「右尿から覚せい剤が検出された」旨の鑑定書が提出されたことなどの事実が極めて明らかであるが、被告人は、「前前刑の事件で身柄を拘束された昭和六二年五月以来、覚せい剤を自己使用したことは一切なく、公訴事実記載の覚せい剤自己使用の事実は、全く身に覚えのないことである。」とした上、浦和西署での尿の提出時に、警察官から、採尿容器に他人の尿を混入されたとの趣旨の供述をし、弁護人も、右採尿に携わった警察官の行動や証言の各不審点を總總指摘し、本件については、警察官による他人の尿の混人等の違法行為の介在の疑いがあると主張している。

  従って、本件における最大の争点は、被告人からの採尿手続に携わった警察官が、被告人から提出を受けた尿に、他人の尿等を混人することなく、そのまま科捜研へ鑑定嘱託したと認められるかという点であり、かりに右の点に証拠上合理的疑いが生じた場合には、鑑定嘱託された尿につき、科捜研から前記のような鑑定書が提出されているにしても、そのことから、被告人が公訴事実記載の覚せい剤自己使用罪を犯したとは直ちに断定することができなくなり、右公訴事実については、合理的な疑いを容れる余地がないほどの立証があったとはいえないことになる。第三 覚せい剤自己使用事件の特徴及び同事件に対する当裁判所の基本的姿勢

   1 一般に、覚せい剤事件、特にその自己使用事件は、目撃者がいないことが多く、通常その捜査が極めて困難であるとされている。確かに、そのような側面がないとはいえないであろう。しかし、判例は、覚せい剤 犯の右のような特質に配慮して、訴追側の証拠収集及び立証の負担を大幅に軽減している。すなわち、覚せい剤自己使用事件における訴追側の立証は、主として被疑者から採取される尿及びその鑑定書に依存するわけであるが、判例は、被疑者が尿の任意提出に応じない場合で一定の要件があるときには、被疑者の陰部にカテーテルを挿入して行う、いわゆる強制採尿という最終的手段を認め(最一決昭和五五・一〇・二三刑集三四巻五号三〇〇頁。なお、右判旨は、最近、被疑者が精神錯乱の状態にあって、その意思を明示できない場合に拡大された。最二決平成三・七・一六判例時報一三九六号一五七頁一、また、起訴状における使用の目時・場所・方法の特定についても厳密なものを要求せず、尿の鑑定書から推認される程度のゆるやかな特定をもって足りるとし(最一決昭和五六・四・二五刑集三五巻三号一一六頁)、更に近時は、身柄不拘束の被疑者を、強制採尿令状に基づき、令状記載の採尿場所へ強制連行することすら適法であるとするに至っでいる(東京高判平成三・三・一二判例時 一三八五号一二九頁)。このような判例理論の下においては、覚せい剤自己使用 件に関する捜査機関の負担は、著しく軽減され、その捜査は、むしろ、他の一般事件と比べても容易な部類に属するとすらいえると思われる。なぜなら、捜査機関から、覚せい剤自己使用の嫌疑をかけられて尿の提出を求められた者は、これを拒否すれば強制採尿という屈辱的な処分を余儀なくされることを考えて、結局は、印己の意思に基づいて尿の提出に応ずる場合がほとんどであり、あくまでこれを拒否するごく少数の被疑者についても、多くの場合、採尿場所へ強制的に連行した上、医師の手により強制採尿を行わせることによって、その尿を採取することが可能である。そして、捜査・訴追機関は、かくして採取された尿から覚せい剤が検出されたとの鑑定結果が得られる限り、右鑑定書以外に何らの証拠がない場合でも、右鑑定書を唯一の証拠として公訴を提起することができるのであり、このようにして起訴された被告人が公訴事実を争っても、その反証に成功することは、通常、まず考えられない。逆にいえば、捜査機関としては、いかに被疑者が自己使用の事実を否認したとしても、また、自白や目撃供述等他の一般事件の捜査において通常収集される証拠の収集に成功しなくても、右採尿の手続を適正に行い、その証拠保全に遺漏なきを期しておきさえすれば、公判段階において、確実に有罪判決を獲得し得るのであるから、ある意味では、これ程捜査が容易な犯罪は、他に類例がないともいえるであろう。

   2 ところが、それにもかかわらず、覚せい剤自已使用事犯をめぐっては、実務上争いを生ずることが多い。その理由が奈辺にあるかを考えてみるのに、右のとおり、尿鑑定書というほぼ絶対的ともいえる強力な証拠を突きつけられた被告人が、なんとかして罪を免れたいと考えて、採尿手続等に不当に難癖をつけている場合も、ないとはいえないと思われる。しかし、他方、犯罪捜査も人間の手によって行われるものである以上、その間に、捜査官の違法・不当な行為が絶対に介在しないという保障はないのであるから(むしろ、捜査に違法・不当な行為が介在した疑いがあるとされた過去の裁判例は枚挙にいとまがない程である。公刊物に登載されたものの中では、例えば、最一判昭和五七・一・二八刑集三六巻一号六七頁、最大判昭和三四・八・一〇刑集一三巻九号一四一九頁、仙台高判昭和五二・二・一五判例時報八四九号四九頁、大阪高判昭和六二・六・五判例タイムズ六五四号二六五頁、豊島簡判平成元・七・一四判例タイムズ七一一号二八一頁などが有名であるが、当裁判所が比較的最近判決した覚せい剤事件の中にも、当裁判所の管轄区域内の警察署の警察官による証拠の破棄・隠匿等違法・不当な行為の介在が強く疑われた 例があった。浦和地判平成三・三・二五判例タイムズ七六〇号二六一頁参照一、この種事犯について被告人が採尿手続等を疑問として公訴事実を争う場合に、かかる弁解を、全て、不当に刑責を免れ、あるいはこれを軽減しようとする、いわゆる「ためにする弁解」であるとして切り捨て、警察官の証言を常に全面的に信用して事実を認定していくのは、正しい採証の態度ではないというべきてあろう。そして、覚せい剤自己使用事件に関する警察官の捜査は、前記のとおり、被疑者からの尿採取の手続がその全てであるといっても過言ではない位であり、捜査の中に占める採尿手続の比重が極めて大きいこと、捜査官側が右手続を適切に行って、客観的証拠により、その証拠を保全しておきさえすれば、確実に有罪判決を得ることが可能となること、採尿手続は密室内で行われるため、その適法性を被疑者(被告人)側から争うことは容易でないが、他方、右手続を適切に行い、その過程を明らかにする客観的証拠を保全しておくことは、警察官にとっては、決して困難なことではないことなどの諸点に照らすと、採尿手続をめぐる紛争に関する被告人の供述には十分に耳を傾ける必要があり、これと対立する警察官の証言の信用性の判断は、慎重にされなければならないと考える。

   3 当裁判所は、以上のような間題意識のもとに、被告人の提起した問題点につき慎重に審理を尽くし、種種の観点から多角的に検討した結果、以下のような結論に到達した。すなわち、確かに、本件採尿手続をめぐる被告人の供述中に、一部客観的事実に反する部分や、必ずしも 面的には納得し難い部分の存することは、これを否定し難い。しかし、他方、これと対立する警察官らの証言中にも、明らかに事実に反する部分や、覚せい剤事犯の捜査に従事する警察官のそれとして、常識的にみて到底納得し難い不合理な内容が多多存在するのであり、結局、これらの証言は、当裁判所をして、本件採尿手続に関し、異物の混入等被告人が問題とする捜査官の違法・不当な行為が介在しなかったとの確たる心証を形成させるに足りる証拠価値を有するものではない。以上のとおりてある。以下、問題の重要性にかんがみ、その理由をできる限り詳細に説明することとする。

 第四 証拠上明らかな事実

  以下の事実は、証拠上極めて明らかなところであり、被告人・弁護人も、これを争っていない。

   1 被告人は、日本大学農獣医学部を二年で中途退学後、窃盗未遂罪及び窃盗罪を犯して服役したが、その後暴力団に身を投じ、現在は、○○組○○一家○○連合○○会の会長補佐の地位にある者であること

  2 浦和西署は、平成二年八月に覚せい剤取締法違反の容疑で逮捕したHから得た「被告人に対し覚せい剤を譲り渡した。」との供述等を資料として被告人の逮捕状を請求し、同年九月二七日その発付を受けたが、被告人の所在が不明であるとして全国に指名手配していたところ、平成三年二月一〇目(日曜日)午前四時ころ、警視庁蒲田警察署一以下、「蒲田署」という。)から、「挙動不審のため任意同行した男(被告人)が指名手配中の覚せい剤被疑者であることが判明したので逮捕した。」旨の連絡を受け、直ちに同署へ出向いて身柄の引渡しを受けたのち、同日午前七時三〇分ころ、浦和西署へ被告人を連行したこと

  3 浦和西署では、当直の高橋警部補が被告人から弁解を聴取し、引き続いて、防犯課会議室内の一角にある補導室で取調べを行った。そして、被告人の顔つきや挙動から、覚せい剤自己使用の嫌疑を抱いたという同署のA巡査(以下、「Aし又は「A巡査」という。)が、被告人を取調べたところ、譲受けの事実を否認し、警察官に対し、挑発的・揶揄的な言動に及んでいた被告人も、尿の提出についてはこれに応ずることとしたため、同日午前八時半ころ、右A巡査(採尿係)及びB巡査(写真係。以下、「B」又は「B巡査しという。)の両名が被告人から尿の任意提出を受けるため、被告人を同道して同署便所へ赴いたこと(なお、右補導室と便所とは、廊下で接続しており、距離的に近い。以下、この際の採尿を「第一回目の採尿」という。)

   4 右採尿の際、被告人は、Aから渡された採尿容器を水洗いした上、小便器の前に立って放尿し、その尿を採取して提出した。しかし、Aは、右提出された尿の量が少ないという理由で、被告人にもう一回出すように説得した上、一旦会議室へ戻って被告人に水分を補給させたのち、同日午前一〇時三〇分ないし五〇分ころ、再び採尿のため、被告人を伴って便所へ赴いたこと(以下、この際の採尿を「第二回目の採尿」という。)

   5 便所内において、被告人は、便意を催したとして、容器を持ったまま大便室内に入り、大便器にしゃがんだ姿勢で容器に放尿し、右容器を大便室の外にいるAに渡したこと(なお、被告人が、尿の入った容器を大便室の外にいるAに直接手渡したのか〈A証言〉、被告人が大便室の外の床に置いた右容器を、Aが拾い上げて入手したのか〈被告人の供述〉については、両供述は相互に対立している。)

   6 Aは、便所内において、右容器中の尿を一部予試験用の紙コップに移したのち、被告人に容器の蓋をさせ、ラベルを貼って被告人に指印させたが、その直前に、紙コップに入った尿を右容器に注入しており、かつ、右尿の取り分け及び注入の作業を、被告人に背を向ける形で、しかも、何らの注意を喚起することなく行ったこと(なお、Aが右容器に注入した尿が、単に、予試験用の尿を取り分けたのが多すぎたから一部戻したにすぎないのか〈A証言〉、あるいは、同人が、他人の尿を不法に注入したのか〈被告人の供述〉については、両供述が対立している。)

   7 その後、A巡査らは、被告人とともに再び会議室へ戻り、同室内で被告人に前記採尿容器のラベルに署名させ、指印の追加をさせたこと

  8 浦和西署は、その二日後である二月一二目、科捜研に対し右尿の鑑定嘱託をし(嘱託番号一一〇号)、科捜研からは、同月一四日付けで、前記鑑定書の送付を受けており、右鑑定書を作成した科捜研技術吏員関根均の証言によれば、右尿から検出した覚せい剤は、体内代謝物としての特徴を示すとされていること

  9 捜査当局は、被告人が、逮捕事実(覚せい剤の譲受け)については終始犯行を否認したため、右事実についての公訴提起をあきらめ、同月二〇日、右事実について被告人を釈放するとともに、右鑑定書等の証拠に基づき前日発付を受けていた逮捕状により、本件公訴事実につき被告人を再逮捕したこと

  10 被告人は、右事実についての取調べにおいて、終始犯行を否認する供述をしたが、検察官は、同年三月一二日、本件公訴事実につき、否認のまま、被告人に対し公訴を提起したこと

 以上のとおりである。