(2) 本件人事発令を人事権の濫用とみるべき事情の有無

  ア 業務上の必要性の有無

  Gチームの解散により,原告がそれまで就いていたGチームのチームリーダーの職務,役職自体はなくなったものであるから,原告を同チームリーダーの地位からはずすことについては業務上の必要性が認められる。また,原告が本件人事発令により就いた臨床開発部医薬スタッフという職務は,医薬情報部が原告をチームリーダーとして受け入れられなくなって,急きょ原告に割り当てるポストを探したところ,臨床開発部の人員が足りないので,原告の配置先となったという経過(〈証拠略〉)からすると,原告をそこに配置する業務上の必要性自体は認められるというべきである。

  なお,本件人事発令により,原告にマネジメント職「E1」から医療職「医療1」へのグレードの格下げが生じているところ,原告を臨床開発部内の「E1」に対応する職務に配転し,グレードの変更を生じさせない措置をとることも考えられるが,同部内に原告を配転することが可能なグレード「E1」の職務,ポストが存在したことを認めるに足りる証拠はなく,管理職に相当するマネジメント職のポストを新設するかどうかは,使用者の人員配置,人事施策に係る裁量的な経営判断に委ねられた事項というべきであるから,被告においてそうしたポストを新設し,原告をそこに就けて処遇すべき義務があるともいえない。原告は,被告社内において管理職のグレードを維持するために,調査役等の名称で部下を持たない管理職として処遇することが慣例化している旨供述するが(〈証拠略〉),本件人事発令のような事例においてポストを新設して処遇することまで慣例化していたことの裏付けはない。したがって,グレードの格下げが生じることを考慮に入れても,原告をグレード「医療1」の職務に配転する事業上の必要性が否定されることはないというべきである。

  イ 不当な動機・目的の有無

  原告は,原告がGチームに異動した際の申し合わせをH部長が恣意的に反故にした事実を指摘しており,この点は,本件人事発令における不当な動機・目的の有無と関連する事情とみることができる。

  この間の経緯は,前記認定事実(2)ア,イのとおりであって,確かに,上記異動時にはH部長から原告に医薬情報部の元のポストに戻ることを念頭に置いた説明があったにもかかわらず,Gチーム解散時には専らH部長の反対によって原告の上記ポストへの復帰が実現せず,本件人事発令に至ったとの経過が認められ,前言を翻したかのような配転,処遇を強いられた原告において,期待・信頼を裏切られたと考えても無理からぬところがあったといえる。

  とはいえ,Gチームの解散時期すら当初は未確定であり,H部長の説明にしても,その間に事情変更が生じかねないことも織り込んだ上で,将来にわたる人事異動・配置の見とおしを述べた程度のものとみるべきであり,被告において原告に対する何らかの義務を負うような合意が成立したとみることはできない。本件人事発令と同時期にJを医薬情報部チームリーダーに充てたことについても,原告とJのいずれが適任であるかについては人事上の裁量判断に属し,原告がかつて同じポストに就いていたことや,原告がGチームグループへ異動する際に上記のとおりの経緯,H部長の説明があったことだけでは人事上の裁量権の範囲の逸脱を基礎付けるに足りるものとはいえない。他に本件人事発令において不当な動機・目的があったことをうかがわせる証拠は見当たらない。

  ウ 原告に生じる不利益の程度

   (ア) 基本給の減額

  本件人事発令の前後で原告に生じた基本給の減額は13万8950円であり,減額の割合は22.0%(≒[632,750-493,800]÷632,750)であって相当程度に大幅な減額であることに疑いはない。一方で,原告には新たに地域手当A5万9098円及び1年間に限って基本給調整額1万3550円が支給されている。これらと基本給とを合計した場合の減額とその割合は,基本給調整額支給中6万6302円,10.5%(≒66,302÷632,750),基本給調整額支給終了後7万9852円,12.6%(≒79,852÷632,750)となるが,いずれも1割以上の減額となってなお相当程度の減額であるといえる。

   (イ) 賞与の算定方法の比較

  まず,マネジメント職のグレード「E1」の賞与の算定方法についてみると,上記賞与は,① 「全社業績賞与」部分,② 「部門業績賞与」部分,及び,③ 「個人業績賞与」部分から成り,①は,グレード区分別基準額69万円を基礎としつつ,これに「別に定める割合」及び在籍期間の区分(「1か月未満」から「6か月」までの6区分)に応じて定められた0から100%までの割合を乗じて得た額,②は,「別に定める部門ごとの配分原資」を基に部門長の判断により配分される額,③は,上記①と同様グレード区分別基準額69万円を基礎としつつ,これに個人の業績評価区分に応じて定められた165%から325%までの「評価判定区分別支払割合」(例えば,評価判定区分が「A」の場合は245%),及び,上記①の在籍期間の区分に応じて定められた0から100%までの割合を乗じて得た額とされている。

  次に,医療職のグレード「医療1」の賞与の算定方法についてみると,上記賞与は,④ 「全社業績賞与」部分,及び,⑤(ママ)「個人業績賞与」部分から成り,④は,基本給及び地域手当Aの合計額を基準額とし,これに「別に定める割合」及び上記①の在籍期間の区分に応じて定められた0から100%までの割合を乗じて得た額,⑤は,上記④と同じ基準額に,個人の業績評価区分に応じて定められた180%から370%までの「評価判定区分別支払割合」(例えば,評価判定区分が「A」の場合は275%),及び,上記①の在籍期間の区分に応じて定められた0から100%までの割合を乗じて得た額とされている。

  なお,上記①,④の「別に定める割合」及び上記②の「別に定める部門ごとの配分原資」の具体的内容は証拠上明らかではない。

 (〈証拠略〉)

   (ウ) 被告が試算した原告の収入減

  本件人事発令に際し,被告は,これに伴うグレード変更の結果生じ得る原告の収入減について,マネジメント職のグレード「E1」が維持された場合と対比するなどして試算した計算表(〈証拠略〉)を作成し,原告に交付している。これによれば,平成24年度(平成24年4月1日から平成25年3月31日まで。

  他の年度も同じ。)の収入が1153万5800円であるところ,評価「A」であり賞与が「グレード区分別基準額」の3倍になるという前提の下で,グレードが医療職の「医療1」となった場合,平成25年度の収入は1110万7282円,対前年度比3.75(ママ)%減,平成26年度の収入は999万2814円,対前年度比10.03%減,平成27年度の収入は995万2164円,対前年度比0.41%減になるとしている。一方で,毎月20時間分の超過勤務手当が支払われると仮定しこれを加算した場合について,平成25年度の収入は1197万9922円,対前年度比3.85%増,平成26年度の収入は1113万5454円,対前年度比7.05%減,平成27年度の収入は1108万7844円,対前年度比0.43%減になるとしている。

   (エ) 超過勤務手当の位置付け

 原告は,本件人事発令の前後における原告の収入を対比する上で,超過勤務手当は時間外労働に対する対価であり基本給を填補する性質を有しないから,これを考慮すべきではない旨主張する。なるほど,超過勤務手当と時間外労働の有無にかかわらず定額が支払われる基本給等とを同列に扱うことはできず,直接比較の対象とすることに妥当性はない。

  しかし,本件人事発令が人事権の濫用に当たるか否かの判断要素となるのは原告に生じた不利益の程度・内容であるから,本件人事発令の前後を比較して,原告の労働時間に大きな格差があり,その労働実態に顕著な差異があるのであればともかく,そこに大差がないとすれば,労働の対価として支払われる賃金収入全般として超過勤務手当を加味したものを比較した方が,原告に生じた不利益をより実質に即して評価できるというべきである。原告は,本件発令前後で時間外労働が増加した旨供述する(〈証拠略〉)が,その客観的な裏付けはなく,他方で,月20時間の時間外労働を行った場合を例にとって上記ウの試算を行っており従前と大差のない労働実態を想定して試算をしたと考えるのが自然であること,本件人事発令後の23か月間の超過勤務手当の支払実績は月24.3時間分であること(前記前提事実(5)イ)からすると,本件人事発令の前後で労働時間に大きな差異は生じていないものと認めるのが相当である。そうすると,本件事案の下でも,原告に生じた不利益を判断する上で超過勤務手当の支払を考慮すべきである。

  この点について,原告は,本件人事発令前においても,原告は労働基準法41条2号にいう「監督若しくは管理の地位にある者」に該当しなかったから,本来支払われるべき超過勤務手当が支払われていない状態であったことを意味し,これを加算しないままの本件人事発令前の収入を超過勤務手当を加味した本件人事発令後の収入と比較するのは不当であるように主張する。しかし,従前マネジメント職のグレード「E1」に格付けされていた原告に対して,給与規則Ⅱ上超過勤務手当が支払われることは予定されておらず(前記認定事実(1)ウ),原告が被告にその支払を求めた事実があったこともうかがえず,今後その権利を行使するのも困難であると考えられることからすると,原告が本件人事発令前に超過勤務手当の支払を受けられる地位にあったか否かは,本件人事発令前に原告が実際に享受していた経済的利益と無関係な事柄というほかなく,原告に生じた不利益を実質に即して評価する上で,この点を考慮すべき事情は見いだし難いというべきである。

   (オ) 原告に生じた不利益の評価

  上記(ア)から(エ)までを踏まえて,原告に生じた不利益についてみるのに,超過勤務手当を含めて考えると,原告の毎月の収入は,平成25年7月から平成27年6月までの間,月額3万6683円から5万0232円程度増額している(前記前提事実(5)イの超過勤務手当の平均月額と,同ウ(ア)表1の「差額」からベースアップ分を控除したものとの比較)。他方,賞与の額を,平成19年夏季から平成25年冬季までの原告主張平均額と対比すると,平成26年度夏季及び冬季において,それぞれ56万1304円という大幅な減額となっており,平成27年度夏季は15万7688円と減額幅が縮小しているが,その理由は定かではなく,原告が「医療1」のグレードにとどまる限り,前記(イ)のとおり,賞与の額が基本給の額を基礎として算定されている以上,今後も原告の賞与が平成26年度夏季及び冬季の水準にとどまる蓋然性は高いといえ,上記(ウ)の被告の試算もそのような内容となっている。

  以上を要約すると,原告の月額収入は年間合計で44万円から60万円程度増額する一方,賞与は年間合計で112万円程度減額することになるから,これを通算すると,年間合計で52万円から68万円程度の減収が生じていることになり,平成24年度の年間収入1153万5800円(上記(ウ))との対比において4.5%から5.9%程度の減収が生じたことになる。もとより,ここで生じた減収を少額ということはできず,超過勤務手当の支払額は労働実態に呼応して変動し得る不確定なものであるとの事情も無視はできないが,本件人事発令により管理職に相当するマネジメント職の地位からはずれ,その職務内容・職責に変動が生じていることも勘案すれば,原告に生じた上記減収程度の不利益をもって通常甘受すべき程度を超えているとみることはできない。

  なお,原告は,グレードの変更により退職一時金の算定基準の上でも不利益を被っている旨主張するが,退職一時金の支払請求権は原告が退職して初めて発生するものである上,原告が退職時まで現在の医療職のグレード「医療1」にそのままとどまる蓋然性が高いともいえないから,この点を原告に生じた不利益として斟酌するのは相当ではない。

  エ 小括

  以上のとおりであるから,本件人事発令には業務上の必要性が認められ,他の不当な動機・目的を持ってされたものであると認められない一方,これに伴うグレードの変更と基本給及び賞与の減額等を勘案しても,原告に生じた不利益が通常甘受すべき程度を超えるものとはいい難いから,本件人事発令及びこれに伴う原告のグレードの変更を人事権の濫用として無効とみることもできない。

 3 不法行為・慰謝料請求の成否について

 上記2のとおり,本件人事発令及びこれに伴う原告のグレード変更は有効であり,使用者である被告に認められた人事権の行使であって,そこに違法があったということもできないから,原告の主張には理由がない。

  第4 結論

  以上によれば,原告の被告に対する請求は,いずれも理由がないので棄却することとし,主文のとおり判決する。

   東京地方裁判所民事第36部

               裁判官 吉田  徹