シャクティバット事件

刑法判例百選1 第7版 6事件 法学セミナー2022年6月号11頁以下

事件が報道された当時、ある評論家がヘッドバットをしながらシャクティバットといっていたのを記憶しています。語感が似ていますから。

 

殺人被告事件

【事件番号】 最高裁判所第2小法廷決定/平成15年(あ)第1468号

【判決日付】 平成17年7月4日

【判示事項】 重篤な患者の親族から患者に対する「シャクティ治療」(判文参照)を依頼された者が入院中の患者を病院から運び出させた上必要な医療措置を受けさせないまま放置して死亡させた場合につき未必的殺意に基づく不作為による殺人罪が成立するとされた事例

【判決要旨】 重篤な患者の親族から患者に対する「シャクティ治療」(判文参照)を依頼された者が,入院中の患者を病院から運び出させた上,未必的な殺意をもって,患者の生命を維持するために必要な医療措置を受けさせないまま放置して死亡させたなど判示の事実関係の下では,不作為による殺人罪が成立する。

【参照条文】 刑法(平16法156号改正前)199

【掲載誌】  最高裁判所刑事判例集59巻6号403頁

       裁判所時報1391号344頁

       判例タイムズ1188号239頁

       判例時報1906号174頁

 

【評釈論文】 ジュリスト1309号127頁

       法学セミナー50巻11号119頁

       法曹時報59巻2号733頁

       刑事法ジャーナル2号95頁

       専修ロージャーナル2号129頁

 

       主   文

 

  本件上告を棄却する。

  当審における未決勾留日数中250日を本刑に算入する。

  当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

 

        理   由

 

  弁護人西村正治及び被告人本人の各上告趣意のうち,憲法21条違反をいう点は,本件公訴の提起及び審理が被告人やその関係する団体に対する予断等に基づくものとは認められないから,前提を欠き,その余の弁護人西村正治の上告趣意は,憲法違反,判例違反をいう点を含め,実質は単なる法令違反,事実誤認の主張であり,その余の被告人本人の上告趣意のうち,判例違反をいう点は,引用の判例が事案を異にし,あるいは所論のような趣旨を判示したものではないから,前提を欠き,その余は,憲法違反をいう点を含め,実質は単なる法令違反,事実誤認の主張であって,いずれも適法な上告理由に当たらない。

  なお,所論にかんがみ,不作為による殺人罪の成否につき,職権で判断する。

  1 原判決の認定によれば,本件の事実関係は,以下のとおりである。

  (1) 被告人は,手の平で患者の患部をたたいてエネルギーを患者に通すことにより自己治癒力を高めるという「シャクティパット」と称する独自の治療(以下「シャクティ治療」という。)を施す特別の能力を持つなどとして信奉者を集めていた。

  (2) Aは,被告人の信奉者であったが,脳内出血で倒れて兵庫県内の病院に入院し,意識障害のため痰の除去や水分の点滴等を要する状態にあり,生命に危険はないものの,数週間の治療を要し,回復後も後遺症が見込まれた。Aの息子Bは,やはり被告人の信奉者であったが,後遺症を残さずに回復できることを期待して,Aに対するシャクティ治療を被告人に依頼した。

  (3) 被告人は,脳内出血等の重篤な患者につきシャクティ治療を施したことはなかったが,Bの依頼を受け,滞在中の千葉県内のホテルで同治療を行うとして,Aを退院させることはしばらく無理であるとする主治医の警告や,その許可を得てからAを被告人の下に運ぼうとするBら家族の意図を知りながら,「点滴治療は危険である。今日,明日が山場である。明日中にAを連れてくるように。」などとBらに指示して,なお点滴等の医療措置が必要な状態にあるAを入院中の病院から運び出させ,その生命に具体的な危険を生じさせた。

  (4) 被告人は,前記ホテルまで運び込まれたAに対するシャクティ治療をBらからゆだねられ,Aの容態を見て,そのままでは死亡する危険があることを認識したが,上記(3)の指示の誤りが露呈することを避ける必要などから,シャクティ治療をAに施すにとどまり,未必的な殺意をもって,痰の除去や水分の点滴等Aの生命維持のために必要な医療措置を受けさせないままAを約1日の間放置し,痰による気道閉塞に基づく窒息によりAを死亡させた。

  2 以上の事実関係によれば,被告人は,自己の責めに帰すべき事由により患者の生命に具体的な危険を生じさせた上,患者が運び込まれたホテルにおいて,被告人を信奉する患者の親族から,重篤な患者に対する手当てを全面的にゆだねられた立場にあったものと認められる。その際,被告人は,患者の重篤な状態を認識し,これを自らが救命できるとする根拠はなかったのであるから,直ちに患者の生命を維持するために必要な医療措置を受けさせる義務を負っていたものというべきである。それにもかかわらず,未必的な殺意をもって,上記医療措置を受けさせないまま放置して患者を死亡させた被告人には,不作為による殺人罪が成立し,殺意のない患者の親族との間では保護責任者遺棄致死罪の限度で共同正犯となると解するのが相当である。

  以上と同旨の原判断は正当である。

  よって,刑訴法414条,386条1項3号,181条1項本文,刑法21条により,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり決定する。

 (裁判長裁判官 中川了滋 裁判官 福田 博 裁判官 滝井繁男 裁判官 津野 修 裁判官 今井 功)

 

 弁護人西村正治の上告趣意

        目   次

 第1 憲法21条(結社の自由)侵害の本件の捜査・公判

  1 結社の自由について

 2 「特異集団」「特定集団」「カルト団体」規定と「事件」の捏造

  3 被告人は民間治療家として認め得るのかについて

 4 作られたイメージ、公共の危険をもたらすカルト団体

 第2 憲法31条違反

  1 被害者の死亡時期は確定されているか

 2 死因が確定されたと言えるか

 3 因果関係も特定されていない

第3 判例違反(刑訴法405条2号)。

  1 原判決の基調

  2 原判決の問題点

  (1)判例の示す作為義務認定の判断基準。

  (2)本件は作為義務認定の判断基準に該当するか。

  (3)保護義務に基づく作為義務は有るのか。

  (4)現代医学の治療を受けさせる作為義務は有るのか。

 第4 重大な事実誤認(刑訴法411条1号)

  1 殺意について

 (1) はじめに

 (2) 第1審の論告要旨

  (3) 第1審における弁護人の主張

  (4) 第1審の認定

  (5) 原審における弁護人の主張

  (6) 原判決が事件の前半につき、被告人の殺意を否定した根拠

  (7) 原判決が事件の後半につき、被告人の殺意を肯定した根拠

  (8) 原判決の陥った矛盾

  (9) 事件後半部分においても殺意認定はなしえない

 (10) 結語

  2 因果関係について

 (1) 呼吸停止時の状況

  (2) 弁護人の徴した内科医の意見

  (3) 鑑定医木内医師の証言

  (4) 藤本医師の証言

  (5) 死因に無頓着な原判決

  3 死体検案の問題点について

 4 作為義務について

 (1) 被告人はAを自らの支配領域内に置いていない

 (2) 藤本医師から家族への支配領域の移転

  (3) 藤本医師の責任と信頼の原則

  (4) 結語

 第3 判例違反

    本件に不真正不作為犯の成立を認めた原判決は、最高裁判所判例に違反する(刑訴法405条2号)。

  1 原判決の基調

    原判決は、1審判決が全過程を被告人の殺意に基づく行為と認定した判断とは異なり、BがAを病院から連れ出してホテルに連れて来るまでの過程と、Aがホテルに連れて来られて被告人にシャクティパット治療を受けたが死亡するまでの過程を分け、BがAを病院から連れ出してホテルに連れて来るまでの過程については、被告人の殺意に基づく行為とは認定しなかった。しかしながら、Aがホテルに連れて来られて被告人にシャクティパット治療を受けたが死亡するまでの過程については、先行行為により作為義務があり、被告人は作為義務に違反して作為をしないので殺意に基づく殺害行為が認められると認定した。

  2 原判決の問題点

  (1)判例の示す作為義務認定の判断基準。

     そこで原判決の判断について、被告人にはどのような先行行為が認められたのかということが問題となる。

     作為義務違反を殺人と認定するに足りる作為義務とは、犯人の先行行為により引き起こされた被害者の生命危機状態を作為により回避させて、被害者の安全を回復すべき義務というようなものである。

     一般事例としては、交通事故の被害者を放置する行為や、産み落とした嬰児を放置する行為などが典型とされる。しかし、判例上これらのすべての場合に作為義務が認められるわけではない。

     単に交通事故により重症を追わせただけで放置するというのではなくて、交通事故により重症を追った被害者を犯跡隠蔽の為に人目に触れないような所へ連れ去り放置するとか、単に産み落とした嬰児を放置するというのではなくて、水漕や便器などそのままでは当然死に至る事が予想されるような場所に産み落として放置するというような場合に適用されている。

     また、重病人に対して手当をしないで放置するという場合も、単なる重病人ではなくて、犯人の積極的な加害行為により病状がより酷く成って、放置すれば病人が死ぬというような具体的危険が生じたりしたのを放置した場合などについて作為義務違反が適用されている。

     民間治療により病人が死亡した場合も、単に民間治療によって病気を治せないことが問題にされるわけではなく、民間治療と称する病人に対する暴行・傷害行為が先行して、瀕死の病人と成った者を放置したような場合について適用されている。むしろ単なる民間治療行為が病人に対して全くの無害行為であった場合には、民間治療そのものも無害行為である。民間治療が全くの無害行為というよりは、気功のように有益である可能性を秘めている場合は、それは治療行為と認められるべきであろう。

     これらの場合の先行行為とはまさに犯人の作為そのものであり、犯人以外の者の意志・行為により為された作為ではないのである。不作為による殺人の犯人が殺人の犯人たる所以は、当該犯人が先行行為により被害者が死に瀕するような状況に置かれる原因を作出しているからである。

     勿論、先行行為が殺意を持って為されたものであるならば、それは殺害の着手であり、不作為による殺人ではなくて作為による殺人そのものである。

     先行行為の段階においては殺意が無かったが、そのまま放置すれば死に至る状態での放置の際には殺意が認められるという場合に、不作為による殺人が認められるというのが、これまで裁判所が採用している判断基準である。

  (2)本件は作為義務認定の判断基準に該当するか。

     本件に対する原判決の認定は、前記のようにBがAを病院から連れ出してホテルに連れて来るまでの過程については、被告人には殺意が無かったというものであり、またその過程におけるその時々の選択は被告人の認識や判断とは別に、B独自の認識や判断により為されたものであるというものである。

     被告人は、原判決が先行行為と認めたものと思われるAを病院から連れ出してホテルに連れて来る行為についても、Bに対して激励するとかその決断をうながすとかの心理的影響を及ぼした事実は有っても、Aに何らかの加害行為と成るような加担行為をしたという事実はない。

     そうすると前記の判例の考え方によれば、被告人には、作為義務を認めるべき先行行為はないものと言わなければならない。

  (3)保護義務に基づく作為義務は有るのか。

     もし被告人に何らかの作為義務があるとすれば、それは先行行為に基づくものではなく、被告人とAとの特殊な関係に基づく保護義務に求めるほかはない。しかし仮に、そのような保護義務があったとすれば、被告人に問いうるのは保護義務者遺棄致死の責任に限定されることになる。

     それでは、被告人にはAに対して保護義務が有ったのか。1審判決でも原判決でも、被告人とAとの間に民間治療家と患者の間に生ずる治療関係は否定されている。

     被告人とAとの関係が、民間治療家と患者との関係という保護義務であるならば、被告人には民間治療を施すべき義務があったことになる。そして被告人はAに民間治療家としての治療(シャクティパット治療)を行ったわけであるから、義務違反はなかったのである。

  (4)現代医学の治療を受けさせる作為義務は有るのか。

     原判決は民間治療家と患者との関係という保護義務を前提としていないのであるから、原判決の真意をそんたくすれば、民間治療家としての治療(シャクティパット治療)を施したのみでは保護義務を果たしたことにはならず、民間治療を回避して別の現代医学の治療を受けるように仕向けるべきであった、と考えていることになろう。

     一般論としては、優れた民間治療家にはなかなか出会うことが少ないという事情や、民間治療家として公認されているのは鍼灸マッサージであるが、鍼灸マッサージが治療できる疾病には限界があるなどがあって、重篤な疾病は現代設備の病院でなければと考えるのが通常であろう。

     日本の上層階級やインテリの中では、民間治療家の治療よりも現代医学の治療の方が遥かに優れているという神話が根強く生きている。原判決もそういう神話を当然の前提にしていることが強く窺われる。

     しかし、これは必ずしも絶対の真理ではない,民間治療家の治療と現代医学の治療は等価であり、必ずしもどちらかが優れているという客観的な判定はなされていないので、どちらの治療を選ぶかは患者が決めるものであるというのが、近時の国際的傾向である。

     原判決はAにはどちらの治療を選ぶかという患者の選択能力がなかったから、被害者の承諾は認められないとするが、Aが、伊丹病院の現代医学の治療に対しては受け入れ難い苦痛を感じており、被告人のシャクティパット治療に親和感を抱いていたことは疑いない。それゆえ、疾病の治癒という結果とは離れて、Aは、心安らかな死を迎えたものであると家族らは信じているのである。

     現代医学の治療の危険性を想定してAを病院から連れ出すことを受け入れた被告人には、ホテルに着いたAを目の当た当たりにした際に、仮に民間治療家として治療(シャクティパット治療)によってAを治癒する確信が持てなかったとしても、現代医学の治療の方が被告人の民間治療家としての治療(シャクティバット治療)よりもより効果があるであろうとの判断は有り得ないのである。被告人にそれを求めることは期待可能性がない。

     厳密に考察すれば、おそらく現代医学の治療が得意とする疾病の分野があり、反面現代医学の治療よりも民間治療家の治療の方が適切である分野もあろうと思われる。

     しかし、点滴一つについてすら現代医学の中でも賛否両論があるように、現代医学の治療方法について、何が正しいかについても原審裁判所が考えているほど明確なものでは無いのである。

     被告人には、Aを病院に入れ現代医学の治療を受けさせる作為義務というものがあったとするならば、被告人が作為義務を果たすことによりAを救命できた筈であるということでなければならない。

     しかし,Aの死因が明確ではないのであるから、仮に被告人がAを現代医学の設備のある病院に入れたとしても死を免れ得たかどうかは全く不明である。仮にAの死因が検察官の言うように窒息死であるとすると、伊丹病院での痰詰まりに対する予防措置でも判るように、Aの死の状況から現代医学の設備のある病院でも救命できたとは限らないのである。

  3 以上のとおり、原判決は不作為による殺人の判例に違反する。

 第4 重大な事実誤認(刑訴法411条1号)

  4 作為義務について

   被告人に作為義務を認めた原判決には、判決に影響を及ぼすべき事実誤認があり、破棄されなければ著しく正義に反する(刑訴法411条1号)。

  (1) 被告人はAを自らの支配領域内に置いていない

    原判決は、Aを市立伊丹病院から連れ出したこと、また自動車や飛行機を利用して被告人の宿泊するホテルへAを運び込んだこと、さらにその後生存に必要な措置を講じなかったこと、これらの行為の主語をすべて被告人としている。

     しかし、これはとんでもない事実誤認である。藤本医師から「一時帰宅」の許可を得たのはAおよびその家族であり、被告人ではない。Aを病院から連れ出したのは家族と友人であり、被告人ではない。ホテルへの移動については、家族(B)が友人らに移動の援助を依頼し、Aは、家族とその友人らによって運ばれたのであり、ホテルに到着後は、Aには常に家族や多数の介護者が付き添っていた。こうして、支配領域は、藤本医師から家族に移ったのであって、被告人に移ったわけではない。

     被告人がAを保護する立場にもなく、また、被告人の支配領域にAを置いたことは一度もないし、支配領域に置くことは不可能だった。

     被告人が関与したのは、民間治療家として被告人の意見を述べたということにおいて関与したにすぎないものである。しかもそれは、家族から質問されたから回答したのであって、聴きたくない相手に無理やり聞かせているわけでもない。

     自己の支配領域にいない者に対して、不作為による殺人の実行を認定しうることは到底容認できない。

     被告人の支配領域内にない者について作為義務を認定した原判決には重大な事実誤認があるのである。

  (2) 藤本医師から家族への支配領域の移転

     平成11年7月1日、Bが退院の許可を願い出た時の藤本医師の返答は、「例えば、今の日本で、安楽死というのは認められていないよね。死ぬのがわかっていて家に返す、というのは、日本では医師の責任になるんや。最後は自分の家にいたい、という患者の希望は認められないんや。欧米では当たり前のことでも、日本ではあかんことが多い。君の言う、どこかおかしい、というのは、凄くよくわかる。」というものであった。この発言はまさに患者の権利と現在の日本の法律との矛盾を示唆するものであるが、藤本医師は、それでも自分は患者の権利よりも医師の義務を優先する、ということをその後はっきりと述べている。そして、さらに「そういうことになると、まあ、あとは連れ出す、ということしかないやろう。」B「そうせざるを得ませんね。」藤本「実はそういうことになるんではないか、と思って、昨日病院長と理事長には、少し話をしたんだ。こういう患者がいる、ということを。病院長は何も言っていなかったが、理事長は、警察に連絡しといた方がいいな、と言っていたんや。気をつけて。お姉さんはそれでええんか。」と言っている。

     藤本医師が法律を守る限りにおいては、医師の許可なく連れ出すことは不可能であるから、Aが医師の支配領域を出ることは、家族らが実力で連れ出す以外、不可能なのである。

     このように、本件においては一時帰宅許可を得たのが事実であるにもかかわらず、医師によるインフォームド・コンセントが皆無であることや一時帰宅許可が書面化されていないことによって、藤本医師は、医師の注意義務違反等、自らの不作為に関して、後から何とでも言うことが可能になったのである。医師は、何も書かないことによって医師としての地位は守られるが、患者の権利は守られないのである。

     証人尋問において藤本医師は、「一時帰宅と言うしかなかった。事務処理上、そのように伝えるしかなかった。連れ出しを認めたわけではない。」と証言しているが、当時のやりとりからして家族らが一時帰宅が認められていないと理解したとは解し難いこと、医学的にみて当該患者の退院が可能であるという判断は、医師の専権的判断事項に属し医師の責任において確認されなければならず、医師は退院適応にない患者を退院させることはできないことから、一時帰宅を認めたわけではないというのは、自分の責任逃れの言い訳に過ぎないことは明らかである。

     いずれにしても、藤本医師が関与した結果として、被害者は、Bら家族によって病院から連れ出され、家族らの全面的管理のもとにおかれることになった。この場合、患者はどのような支配領域におかれているのかであるが、通常は一時帰宅であれば医師の支配領域も残したまま家族の支配領域にはいることになる。帰宅を許した医師の責任はその後も続くものであるからである。ところが、本件では、藤本医師は、「もう戻られても困る」と責任を投げ出すような発言をしている上、家族らは病院の治療に不信感を抱いていたという事情にあるから、連れ出し後の藤本医師の支配領域性は、通常よりも弱いものと考えられるが、医師の責任という観点からは、決してゼロではないといわなければならない。

  (3) 藤本医師の責任と信頼の原則

     藤本医師がその業務の性質に照らし、危険防止のために必要とされる最善の注意義務をはたし、保護者(家族)や民間治療家である被告人に、いわゆるインフォームド・コンセントまたは許可書面等で帰宅先、転医先での予後の注意点に関し、確実に告知し、その準備態勢についても重々の依頼をするなどの義務を尽くしさえすれば、通常、転医側においてこれを順守するものと信頼することが許されるのであり、それでもなお信頼することができない特別の事情があるときは、そもそも患者の一時帰宅自体を許さないということになる。最高裁判決に、退院させた医師が退院時における説明、指導等の措置が充分でないことについて過失を認めているものがある。

     被告人としては、Aに本件シャクティ治療を施すにあたり、先行医師の前記注意義務を前提として、帰宅や転医に際し、Aの予後等に特段の注意点や留意点があれば、当然に保護者である家族や被告人に告知されるはずであると考えるのが通常であるから、本件のように、先行医師から何らの告知もインフォームド・コンセント書面も受けていない事実からとすると、患者の一時帰宅、転医の予後に、健康管理上の特段の注意点・留意点がないと信頼することが許されるものといえる。一種の「信頼の原則」の法理である。

     藤本医師がAに「一時帰宅」を許可しており、帰宅、転医後のAの予後に起こりうる悪化について、痰の粘稠化に伴う気道閉塞の恐れをあげ、点滴や痰の除去等の措置をおこなうことが必要不可欠である旨を、インフォームド・コンセントまたは書面等によって、保護者や民間治療家である被告人に確実に告知するに至らなかった場合、Aを現代医学以外の方法で治療しようとする被告人としては、特段の事情がない限り、Aは掃宅先、転医先において、痰の除去などの現代医学による医療措置を取らなくとも、病状回復に支障をきたさないものと信頼してシャクティ治療を施せば足り、それ以上に、あえて藤本医師が注意義務に違反して、右注意点を告知する必要があるのにこれを怠り、Aの一時帰宅を許可した為、痰の粘稠化による気道閉塞の窒息があり得ることまで予想した周到な安全確認をなすべき業務上の注意義務を負うものでない。ましてや、さらに責任の重い、殺人罪の作為義務を負わせることなど論外である。

     一時帰宅の許可書面を発行するということは、病院の治療を打ち切ってもすぐに死亡する虞はないという証明であるから、病院を出たことが原因で死亡したということはあり得なくなる。かりに死亡したとしたら、医師としての誤診の責任が問われる。藤本医師は、一時帰宅を許可するに際し、インフォームド・コンセント及び許可書面を発行していないが、藤本医師には、インフォームド・コンセント及び許可書面を発行していないことにメリットがある。最大のメリットは、藤本医師の「一時帰宅と言うしかなかった。事務処理上、そのように伝えるしかなかった。連れ出しを認めたわけではない。」との証言に集約されている。Aの家族に対しては、患者の権利を優先した医師として存在でき、一方、Aの生命に支障をきたす何らかの事態が発生し、病院、警察、あるいは厚生労働省から調査が入った場合、自分の注意義務違反等の責任を家族とその友人に転嫁することが可能になるのである。患者の権利と医師としての注意義務のバッティングについて、医師として責任を取るのではなく、万一のことが起きた場合、その責任を自分の責任ではなく、家族に転嫁するためには、インフォームド・コンセントや一時帰宅許可書面は存在してはならなかったのである。

  (4) 結語

     以上のとおり、本件は、藤本医師が自らの責任を放棄して、正式の引継書面等を発行することなく、事実上帰宅を許可して患者を自らの支配領域から家族の支配領域に移したことから生じている。シャクティパットを施術する立場にすぎない民間治療家の被告人は、藤本医師から、患者の症状について引継を受けたわけでもなく、何らかの注意を受けたわけでもない。もともと医学上の高度の知識があることを前提に高度の注意義務を負うべき立場でもない被告人が、なぜ、被害者の死亡につき責任を負わなければならないのか。本来医師として責任を負うべき藤本医師の責任が被告人に転嫁されることは根本的な間違いである。

     被告人に作為義務を認めた原判決の認定は、極めて重大な事実誤認であり、破棄されなければ著しく正義に反するものといわなければならない。

                                 以上

 〔弁護人西村正治の上告趣意第3,4の4以外及び被告人本人の上告趣意省略〕