河上元康裁判長名判決 誤想防衛 大阪高裁平成14年 前田総論7版267頁318頁
刑法判例百選 第7版28事件 8版 28事件 山口厚『新判例から見た刑法 第2版』有斐閣。2008年第4章
厳格責任説はいまではどれくらい有力なんでしょうか。厳格責任説以外は無罪になる事案です。暴行・傷害致死被告事件
大阪高等裁判所判決/平成13年(う)第1155号
平成14年9月4日
【判示事項】 被告人が、相手方グループ員から危害を加えられている実兄を助け出して一緒に逃げるために、正当防衛として、暴行の故意をもって、相手方グループ員付近に普通乗用自動車を急後退させて同人らを追い払おうとした際、誤って実兄に車両を衝突、轢過して死亡させた行為は誤想防衛の一種であり、故意責任を認めることはできないとされた事例
【参照条文】 刑法36-1
刑法38-2
刑法20-5
【掲載誌】 判例タイムズ1114号293頁
【評釈論文】 金沢法学47巻1号333頁
札幌学院法学20巻1号75頁
法学セミナー48巻12号120頁
法政論集(名古屋大)205号283頁
主 文
原判決を破棄する。
被告人は無罪。
理 由
本件控訴の趣意は弁護人後藤貞人(主任)及び同安保智勇作成の控訴趣意書及び弁論要旨に、控訴趣意書に対する答弁は検察官岡本誠二作成の答弁書に、それぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。なお、以下の記述では原判決が用いた略称を使用する。
第1 控訴趣意中、事実誤認の主張について
論旨は、要するに、原判決は被告人の春野に対する暴行の故意を認定して有罪としたが、被告人に暴行の故意はなく無罪であるから、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある、というのである。そこで、所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果もあわせて検討する。
1 前提事項
(1) 事実関係
まず、原判決が、事実認定の補足説明第二において、被告人が本件に至った経緯、犯行状況及び現場の状況等につき認定する事実関係は、関係証拠に照らして相当である。
(2) 春野に対して本件車両を衝突させる故意が認定できないこと
次に、原判決が、被告人が春野に対し本件車両を衝突させるという暴行の故意があったとする検察官の主張(訴因)を排斥している点も、原判決が挙げる根拠(被告人が太郎の「ひけー。」との叫び声に呼応して本件車両を後退させたとは断じ難いこと、被告人が太郎を一一度轢きしたとは認められないこと、後退の理由が太郎を助けるためであり、春野のすぐ近くに太郎もいることを十分に認識ないし予見していかこと。)は、相手方グループの者らの供述が全体として自己らの罪責を軽減しようという傾向が顕著に感じられ、現に口裏合わせがあったことも自認しており、多くの者が一致した供述をしているからといって信用性が高いとはいえないことに照らして相当であることに加え、後退のカーブ走行によって、車両の動きを見て体をかわすことができる人間に、車両を衝突させることはかなり困難であり、しかも夜間にサイドミラーで見ただけの対象物は距離関係も不明確であるから、それに衝突させるが如きは通常の運転者では極めて困難であると考えられ、被告人が特に後退運転技能に秀でていた証拠は全くないことをも総合すれば、優に肯認することができる。
2 被告人の公判供述の信用性
そこで、被告人が、原審及び当審公判において、車両を後退させる際は、春野はもちろん太郎のことも念頭になく、とにかく攻撃から逃げようという気持ちであり、春野に衝突させる故意はもとより同人目掛けて自車を後退させたわけでもないなどと供述している点の信用性を検討する。
(1) 走行状況
所論が指摘するとおり、確かに、被告人は木刀やバールで車両を攻撃され、助手席側の窓ガラスが割られ、フロントガラスも一部損傷し、さらに運転席側にも一撃を受けたのであるから、自分自身、身の危険を感じるほどの相当追い詰められた心理状況にあったと考えられ、逃走のため後退しようとしたアクセルの踏み込みが思わず強く入ってしまうということも、それ自体あり得ない話ではない。特に、一旦シフトレバーを誤って前進に入れてしまい、車両が前のめり状態になったことで、動揺が深まったとすればなおさらである。さらに、上記のとおり後退運転の方向設定が難しいことをも合わせ考えると、本件の走行状況がおよそ意図的なものでなく、いわば反射的なものとみる余地がないではない。
しかし、一方、被告人車両は、本件交差点の東詰横断歩道付近の停車位置から、同交差点の北詰横断歩道上の南向き第二ないし三車線付近にまで後退走行したにすぎず、その走行経路の曲線も道路の弧に沿ったといえるほど巧みな走行ではなく、おおよそ左後方を目がけた走行とみる余地もあり、後退走行であっても、その程度の概括的な方向設定が不可能とまではいえない。また、右方からの攻撃を避けるために身体が左下方向に傾きハンドルが左転把されたという点も、通常、運転者は身体が傾いても、走行に際してはハンドルを保持しようとするのが自然と考えられるから、ただちに納得し難いところである。
したがって、走行状況が公判供述を裏付けているとまでは認められない。
(2) 太郎の存在についての認識
この点に関しても、上記のとおり激しい攻撃にさらされた被告人の心理的動揺が著しく、冷静に物事を考える余裕に乏しかったことは所論指摘のとおりである。
しかし、被告人にとって太郎は血を分けた兄であり、しかも自分が招いたトラブルのために太郎がわざわざ同行してくれた際のことであること、被告人は、太郎から「逃げるぞ。車回せ。」などと言われたことに応じて本件車両に乗ったのであり、その後相手方から受けた攻撃もごく短時間であったこと(所論自体が、被告人が逃げ出してから車を後退させるまでは一瞬といってもいいくらい短時間であると主張している。)を合わせ考えると、たとえ激しい攻撃を受けたにせよ、太郎のことが念頭から失われたというのは余りに不自然である。これに対し所論は、被告人が最後に見たとき太郎は走っており、捕まった姿は見ていないから、自分が現に攻撃を受けているときに、そのような太郎を救出しようと考える方が不自然であると主張する。しかし被告人は、太郎が道路に立てられたポールにぶつかって転倒し、相手方から棒状の物で二発殴打されるところを見ていたのであるから、太郎がかなりのダメージを受けたと認識していたというべきであり、相手方の襲撃の勢いも考えると、太郎が本件車両の左後方付近で相手方に追い付かれ、さらなる攻撃を受けている危惧を感じなかったとは解されない。さらに自分が逃げてしまったら、木刀やバールを持って車両を襲った連中までもが太郎を襲い、その場合にはまさに太郎が半殺しの目に遭うか、さらには生命の危険さえ生ずることになることは容易に想定されることである。そのような状況の下で兄を放置したまま自分だけが逃げようと考えたとみることはいささか不自然であるといわなければならない。所論が指摘するとおり、確かに被告人の車両も激しい襲撃にさらされていたことは事実であるが、何といっても車の中にいるのであるから、身体に対する攻撃はそれだけで間接的になるし、車を動かすことによって車自体を反撃のための有力な武器に転化することも可能である(現に急発進した車両を見て、相手方が逃げた事実がある。)。いずれにしても、凶器を持った多数の相手方の中に丸腰で取り残された太郎に比べれば、はるかに安全な状況にあったことは多言を要しない。また被告人は、後退を止めてアイドリング状態で前進している時に太郎のことを思い出したと供述するが、太郎のことを全く忘れていたのであれば、後退を止めた後すぐに急発進して逃走しようとするのが自然と考えられる。さらに、被告人自身、原審公判第二回においては、後退しようと思った理由として、「後ろに兄貴が逃げていったから、兄貴を乗せてそのまま逃げようと思った」旨、明確に供述している(速記録31丁)。
したがって、太郎の存在の認識がなかったと述べる点は、公判供述の信用性を大きく損ねているといわざるを得ない。
(3) タイヤ痕について
所論は、本件タイヤ痕が制動痕であり、知覚反応時間、ぺダル踏み換え及び踏み込み時間を考えると、被告人は、轢過前の後退走行開始直後にブレーキを踏もうとしていたといえるから、これは、後退したことにあわててブレーキを踏んだとの公判供述を裏付けていると主張する。
原判決は、タイヤ痕Aの幅が被告人車両の縦滑り痕(制動痕)の幅より広いこと及び上記縦滑り痕は五条であるのにタイヤ痕Aはそれと異なることを根拠とする山口意見(及びこれを補足する佐藤意見)に基づき、これが横滑り痕であると説示する。しかし、所論が指摘するとおり、上記意見の前提となる幅の算定や条数の判定は必ずしも正確とは認められない。また、これが右前輪の横滑り痕であるとすると、前輪の可動範囲(証拠上、三〇ないし四○度と認められる。)を考慮しても、被告人車両は停止時に一八〇度近く反転して頭を交差点西側方向に向けたことになるが、これは本件車両の動きを目撃していた者の供述に全く整合しない。したがって、タイヤ痕Aの後半部分は制動痕とみる余地が多分にあり、原判決のこの点の認定は維持し得ない。
もっとも、意図的な急発進により後退した場合であっても、もともと若干の後退をする意図しかなく、大きく後退することによって予期せぬ衝突を回避するために、すぐにブレーキを踏むことは十分にあり得るから、本件タイヤ痕が制動痕であると認められることが、直ちに公判供述を裏付けるということにはならないというべきである。
(4) 小括
その他目撃者らの原審公判証言は、本件車両が激しい攻撃を受けたために動転して急後退したように見えたなどと述べるものが多く、目撃者らはいずれも利害関係のない中立な第三者であり、少し距離はあるものの怒声や攻撃の音がしたため注視していたのであり、被告人の公判供述を裏付けているとみることもできる。しかし、それらの証言をみると、あくまで目撃者らの受けた印象という限度で証言していると認められるからその証拠価値を過大視することはできない。
一方、被告人の公判供述は、太郎との衝突の衝撃、轢過による上下動、引きずりの感覚を全く感じなかったというのであるが、これらはいずれも相当強い感触をもたらしたはずであり、これらをいずれも認識しなかったというのは、心理的動揺が激しかったとしても、かなり不自然である。この点をみると、被告人には、自ら兄を轢いて死に至らしめてしまったという自責の念なども影響し、本件が相手からの攻撃を免れるためになされた咄嗟の本能的、反射的行動の結果であったと思いたいとの念が、供述内容や供述態度に反映しているとみるのが相当である。以上を総合すると、被告人の公判供述の信用性が高いということはできない。
3 被告人の捜査段階の供述について
(1) 問題点
上記1(2)のとおり、春野に車両を衝突させる故意は認定できないから、この故意の存在を自認し、さらには未必の殺意すら認める内容を含む被告人の捜査段階の供述の信用性に疑いが生ずること、また、原審における検証の結果によれば、サイドミラーに映った春野の姿を見たと述べる点についても疑間が残ることは所論が指摘するとおりである。
(2) 相手を追い払おうとしたとの供述の信用性について
もっとも、捜査段階の供述の中には、「相手をびびらせて追い払い、太郎を助けるつもりで行った」と、衝突させる故意に至らない意図を述べる部分がある(原審検148)ところ、この供述は、上記の各観点からの考察にも矛盾がない。むしろ、逃げるためには、多勢に無勢の中で自己及び太郎を守る手段が本件車両しかなく、その車両の持つ威力を利用しようとするのが本能的な感覚であると思われるし、まして、相手方から襲撃されている太郎を本件車両に乗せて逃げるためには、若干の余裕を作り出すことが必要であることからすれば、この供述が述べる内容は、その場の状況に照らし、極めて自然で合理的な思考というべきである。
このような解釈はいわゆるつまみ食い的な証拠評価との非難を受けかねないが、原判決(三一~三二頁)も説示するとおり、被告人は、捜査官の追及に対して自己の言い分を通している重要部分が少なからずあり、すべて捜査官に迎合して自白をしたともいえないことなどを総合すると、本件ではこのような証拠評価も十分理由があるというべきである。
4 被告人が有した故意の内容
上記2及び3を総合すると、被告人の有した主観は、本件車両の左後方付近で相手方グループ員から危害を加えられている太郎を助け出して一緒に逃げるため、相手方グループ員付近に本件車両を急後退させて、同人らを追い払おうとしたというものであり、これは暴行の故意に当たると認定するのが相当であり、原判決もほぼ同旨の認定をしていると解されるから、この点に事実誤認はないというべきである。
5 上記認定に基づく被告人の罪責
(1) 原判決の擬律
上記の認定事実に基づき、原判決は、被告人が本件現場に赴いかのが喧嘩する意図があったことを認定して、特段の理由を示すことなく、春野に対する暴行罪の成立を認め、また、暴行の結果、意図していなかったとしても、太郎に本件車両を衝突させ轢過して死亡させたのであるから、太郎に対し傷害致死罪が成立すると判断している。
(2) 春野に対する暴行について
確かに、本件現場に至るまでの被告人の言動等によれば、被告人においても喧嘩になることを予想して本件現場に赴いたことは明らかであり、喧嘩をしに行ったのではなく単に話し合いをするつもりであったとの被告人の公判供述が信用できないことは原判決(二三~二四頁一が説示するとおりである。
しかし、所論が指摘するとおり、被告人らは、喧嘩の手順や役割分担などを打ち合わせておらず、また武器を準備した形跡もない(甲野の車内に木刀などがあったが、使用が検討された形跡もない。)から、喧嘩の意思といっても、いきなり相手方に攻撃を加えるような強固ないし積極的な意思までは認められない。そして、本件現場に到着した後、相手方から太郎と被告人だけが来るように言われ、はるかに多数(女性を除いても七人対二人)で、しかも木刀などを持ち今にも襲いかかろうとする気勢を示している相手方に囲まれた時点においては、たとえ後方には仲間四名が居たとしても、もはや現実に暴力を振るっての喧嘩をする意思を喪失したと解することは不自然ではない。そのような状況下でも、太郎がなお強気な態度を取ったことは被告人自身が認めている(当審第三回・速記録二八頁)が、彼我の勢力を考えると、乱闘になったら負けることが必至であるから、太郎の強気な態度は、あくまで話し合いを有利に決着させるためのポーズであって、これが相手に先に手を出させるための挑発であったとは解されない。その上、相手方が襲撃を開始した後は、一方的に相手方が被告人方を攻撃し、味方四名はどこかに逃げ去ってしまい、残された被告人と太郎は逃げることに急で、反撃に出た様子はない(上記認定のとおり、被告人が、相手方に本件車両を衝突させようとするまでの意図は認められず、これがあらかじめ予定していた攻撃行為とみることもできない。)。その中で、太郎は木刀で二発殴打された上に、さらに春野に木刀で襲いかかられており、被告人も、本件車両の中に居たものの、二、三名から木刀やバールで攻撃を受け、助手席側ガラスやフロントガラスが割られ、運転席側にも一撃を受けており、両名の生命・身体の危険は相当高まっていたと認められる。以上の状況に照らせば、被告人らが現場に赴くまで有していた喧嘩闘争の意図が、本件現場における正当防衛の適用を排除するものとはいえず、また、被告人らがこの機会を利用して相手方に加害行為を加えようとしていたとも認められないから、不正の浸害の「急迫性」の要件も具備していると解するのが相当である。防衛意思が認められることも明らかである。
そして、この急迫不正の侵害に対し、加害者に車両の威力を示して追い払うため、加害者がいる付近を目がけて車両を発進する行為は、車両の動きを見ている者は当然これを避けようとする行動をとるであろうことをも加味すると、後退走行による急発進であって的確な操作が前進に比べはるかに難しく、現に春野が避け切れず自らの手に本件車両を衝突させたという事情を考慮しても、これが防衛行為としての相当性を逸脱しているとまではいえない。
したがって、春野に対する暴行については、暴行の構成要件に該当するものの、正当防衛が成立し違法性が阻却されるというべきである。
(3) 太郎に対する傷害致死罪について
上記のとおり、被告人が本件車両を急後退させる行為は正当防衛であると認められることを前提とすると、その防衛行為の結果、全く意図していなかった太郎に本件車両を衝突・轢過させてしまった行為について、どのように考えるべきか問題になる。不正の侵害を全く行っていない太郎に対する侵害を客観的に正当防衛だとするのは妥当でなく、また、たまたま意外な太郎に衝突し轢過した行為は客観的に緊急行為性を欠く行為であり、しかも避難に向けられたとはいえないから緊急避難だとするのも相当でないが、被告人が主観的には正当防衛だと認識して行為している以上、太郎に本件車両を衝突させ轢過してしまった行為については、故意非難を向け得る主観的事情は存在しないというべきであるから、いわゆる誤想防衛の一種として、過失責任を問い得ることは格別、故意責任を肯定することはできないというべきである。
ところで、原判決は、前記のように特段の理由を示していないが、被告人に春野に対する暴行の故意があったことを認め、いわゆる方法の錯誤により誤って太郎を轢過したととらえ、法定的符合説にしたがって太郎に対する傷害致死の刑責を問うもののようである。本件においては、上記のように被告人の春野に対する行為は正当防衛行為であり太郎に対する行為は誤想防衛の一種として刑事責任を考えるべきであるが、錯誤論の観点から考察しても、太郎に対する傷害致死の刑責を問うことはできないと解するのが相当である。すなわち、一般に、人(A)に対して暴行行為を行ったが、予期せぬ別人(B)に傷害ないし死亡の結果が発生した場合は、いわゆる方法の錯誤の場面であるとして法定的符合説を適用し、Aに対する暴行の(構成要件的)故意が、同じ「人」であるBにも及ぶとされている。これは、犯人にとって、AとBは同じ「人」であり、構成要件的評価の観点からみて法的に同価値であることを根拠にしていると解される。しかしこれを本件についてみると、被告人にとって太郎は兄であり、共に相手方の襲撃から逃げようとしていた味方同士であって、暴行の故意を向けた相手方グループ員とでは構成要件的評価の観点からみて法的に人として同価値であるとはいえず、暴行の故意を向ける相手方グループ員とは正反対の、むしろ相手方グループから救助すべき「人」であるから、自分がこの場合の「人」に含まれないのと同様に、およそ故意の符合を認める根拠に欠けると解するのが相当である。この観点からみても、本件の場合は、たとえ春野に対する暴行の故意が認められても、太郎に対する故意犯の成立を認めることはできないというべきである。
したがって、太郎に対する傷害致死罪の成立を認めることはできない。
6 結論
以上のとおり、春野に対する暴行罪は正当防衛が認められることにより、また太郎に対する傷害致死罪は暴行の故意を欠くことにより、いずれも成立しないから、これらの成立を認めた原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があり、論旨は理由がある。
よって、その余の控訴趣意を検討するまでもなく、刑訴法三九七条一項、三八二条を適用して原判決を破棄し、さらに同法四〇〇条ただし書に従って判決する。
第2 自判
本件公訴事実は、「被告人は、平成一○年七月四日午前零時二〇分ころ、大阪府堺市戎島町〈番地略〉先路上において、実兄の乙野太郎(当時二一年)ほか四名と共に、春野(当時一七年)ら一〇名の男女とけんかをすべく対じしたところ、同人らから木刀等で攻撃を加えられ、その場に停車させていた被告人の普通乗用自動車の運転席に逃げ込んだ際、同車後方付近で、右乙野が右春野と木刀を取り合っているのを認め、同車を同人に衝突させる暴行を加えようと決意し、直ちに同車を運転し、同人及び右乙野の方向を目がけて時速約二〇キロメートルで約一五・五メートル後退進行させ、右春野の右手に同車左後部を衝突させるとともに、右乙野に同車後部を衝突させた上、その場に転倒させてれき過する各暴行を加え、よって、同人に肝臓挫滅等の傷害を負わせ、同日午前一時五一分ころ、大阪市住吉区万代東〈番地略〉所在の大阪府立病院において、同人をして肝臓挫滅に起因する出血性ショックにより死亡させたものである。」というものであるが、上記検討のとおり、本件公訴事実については、犯罪の証明がないことに帰し、また縮小認定により故意犯の成立を認める余地もない。
なお、本件においては、上記のとおり故意犯が成立しないとしても、過失犯の成否が問題となり得る。しかし、被告人は激しい攻撃を受けて心理的動揺が激しかったと認められ、被告人の過失責任の根拠となる注意義務を的確に構成することも困難であり、その他本件審理の状況をあわせ考えても、当裁判所において、検察官に対する訴因変更命令ないし釈明義務が発生するとはいえない。
よって、刑訴法三三六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官・河上元康、裁判官・細井正弘、裁判官・水野智幸)
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