植村稔裁判長名判決 鑑定書の証拠能力否定 東京高裁平成28年

窃盗,建造物侵入被告事件

東京高等裁判所判決/平成27年(う)第1872号

平成28年8月23日

 

【判示事項】 警察官らが,身柄を拘束されておらず,相手が警察官であることを認識していない被告人に対し,そのDNA型検査の資料を得るため,紙コップを手渡してお茶を飲むように勧め,そのまま廃棄されるものと考えた被告人から同コップを回収し,唾液を採取した本件行為は,合理的に推認される被告人の黙示の意思に反して個人識別情報をむやみに捜査機関によって認識されないという重要な利益を侵害しており,強制処分に該当し,令状によることなくされた本件行為は違法である上,本件行為及びこれに引き続く一連の手続には,令状主義の精神を没却する重大な違法があり,逮捕後に任意提出された口腔内細胞のDNA型に関する鑑定書を証拠として許容することは将来における違法捜査の抑制の見地から相当でないとして,上記鑑定書は違法収集証拠として証拠能力を否定すべきであるとされた事例

 

【判決要旨】 警察官らが,身柄を拘束されておらず,相手が警察官であることを認識していない被告人に対し,そのDNA型検査の資料を得るため,紙コップを手渡してお茶を飲むように勧め,そのまま廃棄されるものと考えた被告人から同コップを回収し,唾液を採取した本件行為は,合理的に推認される被告人の黙示の意思に反して個人識別情報をむやみに捜査機関によって認識されないという重要な利益を侵害しており,強制処分に該当し,令状によることなくされた本件行為は違法である上,本件行為及びこれに引き続く一連の手続(判文参照)には,令状主義の精神を没却する重大な違法があり,逮捕後に任意提出された口腔内細胞のDNA型に関する本件鑑定書を証拠として許容することは将来における違法捜査の抑制の見地から相当でなく,本件鑑定書は違法収集証拠として証拠能力を否定すべきである。

 

【参照条文】 刑法130前段

       刑法235

       刑事訴訟法197-1

       刑事訴訟法218-1

       刑事訴訟法317

       刑事訴訟法379

       刑事訴訟法397-1

       刑事訴訟法400ただし書

 

【掲載誌】  高等裁判所刑事判例集69巻1号16頁

       東京高等裁判所判決時報刑事67巻1~12号124頁

       判例タイムズ1441号77頁

       LLI/DB 判例秘書登載

 

【評釈論文】 海保大研究報告 法文学系63巻1号89頁

       捜査研究66巻10号25頁

       法学教室438号139頁

       北大法学論集68巻4号852頁

       立命館法学378号947頁

       刑事法ジャーナル53号164頁

 

       主   文

 

  原判決を破棄する。

  被告人を懲役1年10月に処する。

  原審における未決勾留日数中120日をその刑に算入する。

  本件公訴事実中,平成27年3月4日付起訴に係る窃盗の事実については,被告人は無罪。

 

        理   由

 

  本件控訴の趣意は,弁護人大西秀範作成の控訴趣意書及び弁論要旨に,これに対する答弁は,検察官小峯尚士作成の答弁書及び同岡崎真尚作成の弁論要旨に,それぞれ記載されたとおりであるから,これらを引用する。

  論旨は,訴訟手続の法令違反,事実誤認及び量刑不当の各主張である。

 第1 原判示第1の事実に関する訴訟手続の法令違反の主張について

 1 論旨は,要するに,原判決は,鑑定書(原審甲13,以下「本件鑑定書」という。)を原判示第1の窃盗の事実の証拠として挙示して,被告人に原判示第1の事実を認定したが,本件鑑定書は,違法収集証拠であり証拠能力がないから,その証拠能力を認めた原判決には,訴訟手続の法令違反があり,原判決が挙示するその余の証拠によっては,被告人に原判示第1の事実を認めることはできず,被告人は無罪であるから,原審の訴訟手続には,判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反がある,というものと解される。

  2 そこで,原審記録を調査し,当審における事実取調べの結果を併せて検討すると,本件鑑定書の証拠能力を認めて証拠として採用し,事実認定の用に供した原審の訴訟手続には,判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反があるといわざるを得ない。以下,その理由を説明する。

  3 原判決の認定判断

  (1) 原判決は,まず,当事者間に実質的に争いがなく,証拠上も明らかな事実として,次の事実が認められる旨説示する。原判決のこの説示に誤りはない。

  平成27年1月28日,荒川河川敷沿いの彩湖の曝気施設付近にテントを張って生活していた被告人のところに,埼玉県警察本部所属の警察官であるA(以下「A」という。)及び同B(以下「B」という。)が赴き,被告人から話を聞きたいと述べた上,荒川河川事務所から入手した資料を見せるなどしながら,周辺のホームレスについての話をし,その際,被告人に持参した紙コップで温かいお茶を勧め,被告人が飲んだ後,DNA採取目的を秘し,そのコップを廃棄するとしてAが回収したこと,その様子をBが撮影していたこと,被告人が使用した上記紙コップからDNAを採取し,その資料を基に原判示第1の事実にかかる被告人の逮捕状が請求されたこと,その逮捕後の平成27年2月12日に被告人が口腔内細胞を任意提出し,それについてDNA鑑定をした鑑定書が本件鑑定書である。

  (2) 次いで,原判決は,原審公判におけるAの供述を,以下のとおり要約摘示する。

  ア 平成27年1月28日の段階で,原判示第1の事実についての犯人が遺留したと思われるDNAが採取されており,DNAデータベースに一致するものがなかったことから,埼玉県警察本部第3課の手口係が,平成17年のDNAデータベース化後にDNAの鑑定対象になっていない者で,埼玉県の南部方面を中心に建設中の仮設事務所から現金やお菓子等を盗み,現場で食べ物を食べるといった犯行の手口等を基に犯人を絞り込んだ結果,原判示第1の犯行につき,その犯人が被告人であろうという目星はついていた。

  イ 被告人からDNAを採取する方法を検討するに当たり,被告人が河川敷の曝気施設にホームレスとして住んでおり,被告人に気付かれず被告人のテント付近に近づくことは困難であること,猫を多数飼っていたため,本人と猫が使用したものの区別がつかず,特定できないことから,ごみ等からDNAを採取することは断念した,長年偽名でホームレスとして生活していることから,任意でのサンプル提出の了承を得ることも困難であろうと判断し,令状による場合には,鑑定結果が出るまでの数日の間に本人がいなくなる可能性があるため不相当であると判断した,一方で,当時窃盗現場に遺留された飲食物からDNAが採取されている同じような犯行が次々と時効にかかっており,時効が切迫していたという時間的な事情もあった,そこで,上司とも相談の上,被告人に直接接触し,DNAの採取目的を秘して,紙コップでお茶を飲むよう勧め,飲んだ紙コップを回収し,DNAを採取することにした。同行したBに対し,被告人と接触している状況,お茶を飲むための紙コップを被告人が使っている状況,そしてその紙コップを回収する状況に加えて,付近の居住状況,テントの様子や曝気施設の周りのごみの様子などを写真に収めるようにと話した。

  ウ 警察官であることは,曝気施設付近にいる被告人に近づく段階で,警察手帳を見せながら説明した,Bが写真撮影するに当たり,被告人には,住んでいる様子,周りの様子,今話している様子も写真に撮ると説明した。そして,被告人と接触している間,被告人の生活状況や気候の話,食事の話,生活費や猫の世話の話など生活実態の話や,周辺に居住するホームレスの話などを河川事務所から入手した資料を見せるなどしながらした。両警察官はいずれも黒っぽい帽子,ジャンパー,ズボンをそれぞれ着用していた。

  (3) 続いて,原判決は,原審公判における被告人の供述を,以下のとおり要約摘示する。

  相手は警察官だと名乗らなかった,名乗っていたらお茶を飲んだりはしていなかった,自分が河川敷でホームレスとして生活していることから,従前2月と6月の年に2回,国交省から警告書を渡されており,本件のやりとりは,その事前調査のようなものだと思っていた,実際にその後の2月5日には警告書が置かれていた,ホームレスの話しかしなかったので,相手は国交省の人間だと思った,写真を撮られていたことは知らなかった。

  (4) その上で,原判決は,Aの原審公判供述の信用性について検討し,以下のとおり説示する。

  ア 平成27年1月28日のDNAサンプル採取に至るまでの捜査の状況や経緯については,Aの供述に不合理な点はなく,その供述するとおり,当時の被告人の生活状況等に照らせば,DNAサンプルの任意の提供,令状による場合,ごみ等による採取のいずれの手段においても難点があったことが認められ,時間的にも時効切迫しつつあるという状況にあったと認められる。

  イ 一方で,上記のとおりA及びBが目的を秘してDNAのサンプル採取をする必要があったこと,当日の服装が警察官と一見明白なものでなかったこと,被告人とのやりとりが,国土交通省が例年警告書を発する時期に,河川事務所から入手した資料を示しながらなされ,話題も他のホームレスについての話などであったこと,被告人が前科等の存在から警察官に対して強い警戒心を有していたことがうかがわれ,Aらも当然これを予測していたからこそ採取目的を秘すという手段を選択したものであることからすれば,むしろ警察官と名乗らなかったという被告人の供述の方が当時の客観的状況と符合して自然であり,Aらが被告人に対して警察官であると名乗ったという点及び写真撮影の同意を得たという点については認めることができない。原審甲24号証の写真も特段Aらが警察官であると名乗ったことをうかがわせるような状況が撮影されているとはいえない。

  (5) そして,原判決は,結論として,次のとおり説示する。

  ア DNA採取目的を秘して被告人に使用したコップの管理を放棄させ,そこからDNAサンプル採取をすること自体は,なんら被告人の身体に傷害を負わせるようなものではなく,強制力を用いたりしたわけではないのであるから高度の必要性と緊急性,相当性が認められる限りは,令状によらなくても違法であるとはいえない。

  イ そして,以上の事実経過に照らせば,上述のとおり,本件においては,DNAサンプルの採取についての高度の必要性,緊急性が認められ,Aらが警察官であることを明らかにせず,採取目的を秘したとしても,積極的に虚偽の事実を述べたわけでもなく,相当性を欠いて違法であるとまではいえない。したがって,平成27年1月28日のDNAサンプルの採取手続に違法はなく,これを疎明資料として請求された逮捕状に基づく逮捕も違法とはいえないから,本件鑑定書が違法収集証拠として排除されることはない。

  4 当裁判所の事実取調べの結果明らかとなった事実

  当裁判所による事実取調べの結果,次の事実が明らかとなっている。

  (1) 平成27年1月28日被告人から回収した紙コップについては,同日,領置の手続が行われ,同日付A作成名義の領置調書(当審検2)が作成されている。ただし,押収品目録は誰に対しても交付されていない(当審検5)。そして,翌同月29日埼玉県浦和警察署司法警察員作成名義の,埼玉県警察本部刑事部科学捜査研究所長に対する,鑑定事項を,鑑定資料(紙コップ)に唾液付着の有無,付着していればそのDNA型とする鑑定嘱託が行われ(当審検3),その後,同年4月21日付で同科学捜査研究所技術職員名義の,鑑定資料に唾液の付着が認められること及びそのDNA型を示す鑑定書(当審検4)が作成されている。

  (2) DNA型記録確認通知書(当審検1)によると,遺留鑑定資料(割り箸に付着した唾液等)から判明したDNA型が,本件鑑定書に記載された被告人のDNA型と一致する窃盗被疑事件は合計11件あり,最も古いものは,平成19年12月6日から翌日の間に発生した事件であり,次に古いものは,平成20年11月23日から翌日の間に発生した事件であると認められる。また,11件の中には,原判示第1及び第2の各事実に対応する窃盗被疑事件が含まれている。

  5 当裁判所の判断-本件捜査方法の適法性について

 (1) 原判決が前記3(1)で説示するとおり,本件において警察官らが用いた捜査方法は,DNA採取目的を秘した上,コップにそそいだお茶を飲むよう被告人に勧め,被告人に使用したコップの管理を放棄させて回収し,そこからDNAサンプルを採取するというものである。そこで,まず,本件捜査方法が,任意捜査の範疇にとどまり,任意捜査の要件を充足すれば許されるのか,それとも,このような捜査方法は,強制処分に該当し,これを令状によらずに行った本件捜査は違法であるのかが問題となる。

  (2) この点について,原判決は,前記3(5)アのとおり説示しているから,本件捜査方法は任意捜査の範疇にとどまると判断していることが明らかである。そして,原判決は,その理由を,本件捜査方法は「なんら被告人の身体に傷害を負わせるようなものではなく,強制力を用いたりしたわけではない」という点に求めているものと解される。

  (3) そこで検討すると,捜査において強制手段を用いることは,法律の根拠規定がある場合に限り許容されるものであるが,ここにいう強制手段とは,有形力の行使を伴う手段を意味するものではなく,個人の意思を制圧し,身体,住居,財産等に制約を加えて強制的に捜査目的を実現する行為など,特別の根拠規定がなければ許容することが相当でない手段を意味するものであると解される(最高裁判所昭和51年3月16日第3小法廷決定)。

  これを本件についてみると,まず,前記3(3)のとおり,被告人は,原審公判において,相手は警察官だと名乗らなかった,名乗っていたらお茶を飲んだりはしていなかった,と供述しているところ,原判決が前記3(4)イにおいて認定判断しているとおり,「相手が警察官だと名乗らなかった」ことは,関係証拠により優に認定できるところである。そして,更に原判決が前記3(4)イにおいて認定判断しているとおり,本件当日のAらの服装が警察官と一見明白なものでなかったこと,被告人とのやりとりが,国土交通省が例年警告書を発する時期に,河川事務所から入手した資料を示しながらなされ,話題も他のホームレスについての話などであったことからすれば,被告人は,前記3(3)のとおり,相手がホームレスの話しかしなかったので,国交省の人間だと思い込み,勧められるままに紙コップを手にしてお茶を飲み,被告人が飲んだ後,DNA採取目的を秘し,そのコップを廃棄するとしてAが回収したものと認められる。そうすると,本件においては,Aらは,Aらが警察官であると認識していたとすれば,そもそもお茶を飲んだりしなかった被告人にお茶を飲ませ,使用した紙コップはAらによってそのまま廃棄されるものと思い込んでいたと認められる被告人の錯誤に基づいて,紙コップを回収したことが明らかである。

  ここで,強制処分であるか否かの基準となる個人の意思の制圧が,文字どおり,現実に相手方の反対意思を制圧することまで要求するものなのかどうかが問題となるが,当事者が認識しない間に行う捜査について,本人が知れば当然拒否すると考えられる場合に,そのように合理的に推認される当事者の意思に反してその人の重要な権利・利益を奪うのも,現実に表明された当事者の反対意思を制圧して同様のことを行うのと,価値的には何ら変わらないというべきであるから,合理的に推認される当事者の意思に反する場合も個人の意思を制圧する場合に該当するというべきである(最高裁判所平成21年9月28日第3小法廷決定参照)。したがって,本件警察官らの行為は,被告人の意思を制圧して行われたものと認めるのが相当である。

  次に,本件では,警察官らが被告人の黙示の意思に反して占有を取得したのは,紙コップに付着した唾液である。原判決は,前記3(5)アのとおり,本件警察官らの行為が任意処分の範疇にとどまることを前提とした上で,任意処分の要件を充足しているか否かを決する場合のメルクマールである,相手方の身体,住居,財産等に加える制約の程度に関して,「DNA採取目的を秘して被告人に使用したコップの管理を放棄させ,そこからDNAサンプル採取をすること自体は,なんら被告人の身体に傷害を負わせるようなものではなく,強制力を用いたりしたわけではない」と評価している。確かに,相手方の意思に反するというだけでは,直ちに強制処分であるとまではいえず,法定の強制処分を要求する必要があると評価すべき重要な権利・利益に対する侵害ないし制約を伴う場合にはじめて,強制処分に該当するというべきであると解される。本件においては,警察官らが被告人から唾液を採取しようとしたのは,唾液に含まれるDNAを入手し鑑定することによって被告人のDNA型を明らかにし,これを,前記4(2)のDNA型記録確認通知書に記載された,合計11件の窃盗被疑事件の遺留鑑定資料から検出されたDNA型と比較することにより,被告人がこれら窃盗被疑事件の犯人であるかどうかを見極める決定的な証拠を入手するためである。警察官らの捜査目的がこのような個人識別のためのDNAの採取にある場合には,本件警察官らが行った行為は,なんら被告人の身体に傷害を負わせるようなものではなく,強制力を用いたりしたわけではなかったといっても,DNAを含む唾液を警察官らによってむやみに採取されない利益(個人識別情報であるDNA型をむやみに捜査機関によって認識されない利益)は,強制処分を要求して保護すべき重要な利益であると解するのが相当である。

  以上の検討によれば,前記のとおりの強制処分のメルクマールに照らすと,本件警察官らの行為が任意処分の範疇にとどまるとした原判決の判断は是認することができず,本件捜査方法は,強制処分に当たるというべきであり,令状によることなく身柄を拘束されていない被告人からその黙示の意思に反して唾液を取得した本件警察官らの行為は,違法といわざるを得ない。

  なお,検察官は,弁論要旨において,種々の観点から本件警察官らの行為が適法である旨主張しているが,本件警察官らの行為が任意処分の範疇にとどまることを前提として,任意処分の要件である必要性,緊急性,相当性等を備えているとする部分については,その前提を欠くものといわざるを得ないし,本件警察官らの行為には令状を要しないとする部分については,唾液を紙コップに付着させた場合,その唾液は,人の身体の廃棄物として,一般的には財産権の対象ともならない無価値かつ無用の物であるなどとしているのであるが,本件警察官らの捜査目的は唾液に含まれるDNAの採取にあるのであるから,検察官の見解は相当とはいえない。

  また,本件においては,前記4(1)のとおり,平成27年1月28日被告人から回収した紙コップについて,同日,領置の手続が行われ,同日付A作成名義の領置調書(当審検2)が作成されている。ところで,捜査機関が行う領置について,刑訴法221条は,「検察官,検察事務官又は司法警察職員は,被疑者その他の者が遺留した物又は所有者,所持者若しくは保管者が任意に提出した物は,これを領置することができる。」と規定している。本件唾液は,使用した紙コップはAらによってそのまま廃棄されるものと思い込んでいたと認められる被告人が占有を警察官らに委ねた物であり,後者の「所有者,所持者若しくは保管者が(捜査機関に対して)任意に提出した物」に当たらないことは明らかである。さらに,前者の遺留とは,「占有者の意思に基づかないでその所持を離れた物のほか,占有者が自ら置き去りにした物」であると解され,例えば,占有者の意思に基づいて,不要物として公道上のごみ集積所に排出されたごみについて,捜査の必要がある場合には,遺留物として領置することができると解される(最高裁判所平成20年4月15日第2小法廷決定)。しかしながら,本件唾液は,上記のとおり,使用した紙コップはAらによってそのまま廃棄されるものと思い込んでいたと認められる被告人が,錯誤に基づいて占有を警察官らに委ねた物であり,前者の遺留にも当たらないと解される。そうすると,本件においては,警察官らは,外形上被告人の意思に基づいて占有を取得したことから,領置の手続を取ったものであると解されるところ,この手続は,法が許容する領置の類型とはいえず,本件領置手続自体も違法と解するのが相当である。

  6 当裁判所の判断-本件鑑定書の証拠能力について

 (1) 前記3(1),4(1),(2)のとおり,警察官らの違法な行為によって採取された被告人の唾液が鑑定嘱託されてDNA鑑定が行われた結果判明した被告人のDNA型と,原判示第1の事実において犯人が遺留した割り箸に付着した唾液から検出されたDNA型との一致が明らかとなり,これらの事実を基に原判示第1の事実を被疑事実とする被告人に対する逮捕状が請求されて発付され,逮捕後の平成27年2月12日に被告人が口腔内細胞を任意提出し,それについてDNA鑑定をした結果を記載したものが本件鑑定書である。

  そこで,次に,①本件鑑定書は,上記逮捕状によって逮捕された被告人が任意提出した口腔内細胞を鑑定した結果を記載した書面であるところ,本件警察官らの行為の違法性は,被告人の口腔内細胞の採取手続の適法違法の判断には影響を及ぼさないこととなるのかどうか,②被告人の口腔内細胞の採取手続が違法を帯びると認められる場合,本件警察官らの行為及びこれに引き続く一連の手続に,令状主義の精神を没却する重大な違法があり,本件鑑定書を証拠として許容することが将来における違法捜査抑制の見地から相当でないとして,違法収集証拠としてその証拠能力を否定すべきかどうか,が問題となる。

  (2) まず,(1)①の問題を検討する。前記のとおり,本件鑑定書は,逮捕後被告人が任意提出した口腔内細胞についてDNA鑑定を行い,その結果明らかとなった被告人のDNA型を記載したものである。任意処分による鑑定資料の採取という経過をたどっているとはいっても,本件口腔内細胞の採取手続は,本件警察官らによる違法な唾液の採取に基づく違法な逮捕状の発付,その執行による違法な身柄の拘束下において行われたものであって,被告人のDNA型を明らかにするという同一の捜査目的のために,違法な身柄の拘束を直接利用して行われたものであるから,本件口控内細胞の採取手続も違法を帯びるものと解するのが相当である(そもそも,原判示第1の事実について公訴を提起し,これを維持するための証拠を収集するという観点からいえば,逮捕後にあらためて被告人から任意に口腔内細胞を採取し,DNA鑑定を行って新たな鑑定書を整える必要はなく,平成27年1月28日被告人から採取した唾液を鑑定した結果についての鑑定書を作成し,これを用いれば足りるのであって,本件鑑定書の作成については,捜査の違法を遮断する意図のもとで作成された疑いを払拭することができないというべきである。なお,平成27年1月28日被告人から採取した唾液を鑑定した結果についての鑑定書(当審検4)は,原判示第1の事実について公訴が提起された同年3月4日を経過した後である,同年4月21日付で作成されている。)。

  (3) 次に,(1)②の問題を検討する。

  ア 本件捜査方法は,警察官であることを告げず,被告人に紙コップの使用を勧めた上,捜査目的を知らない被告人に,錯誤に基づいて使用した紙コップの管理を放棄させ,採取した唾液から被告人の個人識別情報であるDNA型を明らかにする,というものである。

  イ 本件捜査方法を選択した理由についてのAの説明は,原判決がAの原審公判供述を要約摘示した前記3(2)イのとおりである。

  ウ これによれば,本件捜査方法は,上司とも相談の上,令状を取得した上で被告人から唾液を採取するという令状主義に則った方法を回避する目的で採用されたもの,すなわち令状主義を潜脱する目的で採用されたものであることが明らかである。

  エ Aらが,令状取得を回避した理由は,前記3(2)イのとおり,「令状による場合には,鑑定結果が出るまでの数日の間に本人がいなくなる可能性があるため不相当であると判断した」というものである。しかしながら,Aが鑑定結果が出るまでの期間として供述する「数日」が具体的に何日をいうのか判然としないものの(DNA型鑑定そのものに数日を要するとは思われない。),捜査機関において,その間の被告人の所在の把握が可能でないとはいえず,鑑定結果が判明すれば,その情報を得て,被告人を緊急逮捕することも可能であったといえるから,Aが供述する理由は,令状取得を回避したことを許容する事情とはいえない。

  オ 次に,Aは,本件捜査方法を採用した事情として,前記3(2)イのとおり,「一方で,当時窃盗現場に遺留された飲食物からDNAが採取されている同じような犯行が次々と時効にかかっており,時効が切迫していたという時間的な事情もあった」と供述する。しかしながら,前記4(2)のとおり,当審で取り調べたDNA型記録確認通知書によると,遺留鑑定資料(割り箸に付着した唾液等)から判明したDNA型が,本件鑑定書に記載された被告人のDNA型と一致する窃盗被疑事件は合計11件あり,最も古いものは,平成19年12月6日から翌日の間に発生した事件であり,次に古いものは,平成20年11月23日から翌日の間に発生した事件であると認められるから,最も古い事件について平成26年12月に時効が完成したことは上記DNA型記録確認通知書の記載内容に合致しているものの,次に時効が完成するのは平成27年11月であり,「当時同じような犯行が次々と時効にかかっており,時効が切迫していたという時間的な事情もあった」というAの前記原審公判供述は,上記DNA型記録確認通知書の記載内容に反しているというほかない。

  カ さらに,Aは,前記3(2)ウのとおり,「警察官であることは,曝気施設付近にいる被告人に近づく段階で,警察手帳を見せながら説明した。Bが写真撮影するに当たり,被告人には,住んでいる様子,周りの様子,今話している様子も写真に撮ると説明した」と供述するのであるが,この供述が信用できないことについては,原判決が,前記3(4)イのとおり正当に指摘している。付言すると,Aは,被告人に対し,警察手帳を見せながら警察官であることを説明した,話している様子などもBが写真撮影することを説明した,と供述する。しかし,真実そうであるならば,あらかじめ写真撮影をする者としてBを同行したのであるから,将来の紛議に備えて,Aが被告人に対して警察手帳を示す場面を撮影し,また,写真撮影されていることを被告人が認識していることが写真自体から明らかになるような写真を撮影することが,警察官として当然の行動であると考えられるにもかかわらず,関係証拠によれば,そのような写真は撮影されていない。Aの上記供述は,到底信用することができない。

  キ 以上検討したところによれば,本件捜査方法は,DNA型という個人識別情報を明らかにするため,身柄を拘束されておらずAらが警察官であることも認識していない被告人に対し,紙コップを手渡してお茶を飲むように勧め,そのまま廃棄されるものと考えた被告人から同コップを回収し,唾液を採取するというものであるところ,本件捜査方法は,上司とも相談の上,最初から令状主義を潜脱する目的で採用されたものであることが明らかである上,上記オ及びカのとおり,Aにおいて,本件捜査方法を採用したことを合理化するため,原審公判において真実に反する供述,信用することのできない供述を重ねているという事情も認められる。したがって,本件警察官らの行為は,原判決が指摘するように,なんら被告人の身体に傷害を負わせるようなものではなく,強制力を用いたりしたわけではないといっても,本件警察官らの行為及びこれに引き続く一連の手続には,令状主義の精神を没却する重大な違法があり,本件鑑定書を証拠として許容することは将来における違法捜査抑制の見地から相当でないというべきであるから,本件鑑定書については,違法収集証拠としてその証拠能力を否定すべきである。

  7 以上のとおりであるから,本件鑑定書の証拠能力を認めて証拠として採用し,事実認定の用に供した原審の訴訟手続には,訴訟手続の法令違反があるといわざるを得ない。そこで,続いて,この訴訟手続の法令違反が,判決に影響を及ぼすことが明らかであるか否か,具体的には,原判示第1の事実について,本件鑑定書を除く原判決が証拠の標目の項で挙示する証拠等によって,被告人を犯人であると認定することができるかどうか,について検討する。

  本件鑑定書を除くと,原判示第1の事実について,被告人が犯人であることを認定することができるかどうかに関係する証拠は,原判決が原判示第1の事実の関係で挙示する証拠のうちの,被告人の原審公判供述及び被告人の警察官調書7通(原審乙2,4ないし9)である。

  まず,被告人の原審公判供述であるが,被告人は,原審第1回公判期日において,原判示第1の事実に対応する平成27年3月4日付起訴状記載の公訴事実について,「5年も前の事件なので,よく覚えていません」と供述し(なお,原審弁護人は,「被告人と同様です。被告人は事件をよく覚えていないため,公訴事実については認めません」と陳述している。),原審第4回公判期日において,原判示第1の現場には,2回行ったことがあり,うち1回は平成21年12月頃である,今回の事件で警察官を現場に案内できたのは,平成21年12月頃現場に行ったからである,と解される供述をするほかは,記憶があいまいである旨の供述に終始している。また,被告人の警察官調書における供述も,窃取したとされる現金についての具体的供述を欠いている上,全体としてあいまいである。したがって,原判示第1の事実については,本件鑑定書を除く原判決が証拠の標目の項で挙示する証拠等によっては,被告人が原判示第1の事実の犯人であることについて,合理的な疑いを超えるまでの立証が尽くされているとはいえないというほかない。したがって,上記訴訟手続の法令違反が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

  論旨は理由がある。

  8 以上検討したところによれば,その余の論旨について判断するまでもなく,原判示第1及び原判示第2の各罪が併合罪であるとして1個の刑を科している原判決は,全部の破棄を免れない。

 第2 破棄自判

  よって,刑訴法397条1項,379条により原判決を破棄し,同法400条ただし書を適用して,被告事件について更に判決することとする。

  1 法令の適用等

  原判決が認定した原判示第1の事実を除く罪となるべき事実(累犯前科となる事実を含む。)に法令を適用すると,原判示第2の所為のうち,建造物侵入の点は,刑法130条前段に,窃盗の点は同法235条に,それぞれ該当するところ,この建造物侵入と窃盗との間には手段結果の関係があるので,同法54条1項後段,10条により,1罪として重い窃盗罪の刑で処断することとし,所定刑中懲役刑を選択し,被告人には,原判決が認定した累犯前科があるので,同法56条1項,57条により再犯の加重をした刑期の範囲内で,被告人を懲役1年10月に処し,同法21条を適用して原審における未決勾留日数中120日をその刑に算入し,原審及び当審における訴訟費用は,刑訴法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととし,本件公訴事実中,平成27年3月4日付起訴に係る窃盗の事実については,既に検討したとおり,犯罪の証明がないことに帰するので,同法336条により被告人に対し無罪の言渡しをする。

  2 量刑の理由

  本件は,被告人が,平成25年6月,工事現場の仮設休憩所内に侵入した上,現金約1000円及びカップスープ1個等約11点(時価合計約250円相当)を窃取した事案であるが,被害弁償はなされていない上,被告人は,平成17年3月に前刑を仮釈放されると,規則に縛られるのが嫌だなどという理由で保護会に入所せず,その数か月後には生活費が尽きたため,もっぱら盗みをして生活していた旨述べているのであって,本件犯行に至る経緯に酌むべき点はない。また,被告人は,累犯前科となる前科を含め,4件の同種服役前科を有しており,この種事犯についての規範意識に問題があるといわざるを得ない。

  そうすると,被告人の刑事責任は軽いとはいえず,被告人が事実を認め,反省の態度を示していること,猫のえさやりを通じて知り合った知人の好意により,本件犯行以降,食事等の提供を受けて盗みをしなくても生活を維持できるようになり,この状況を維持すべく生活保護受給を検討するなど,将来に向けて生活改善に対する意欲が認められることなど,被告人のために斟酌しうる事情も十分考慮した上,主文の刑を量定することとした。

  よって,主文のとおり判決する。平成28年8月23日

     東京高等裁判所第4刑事部

         裁判長裁判官  植村 稔

            裁判官  成川洋司

            裁判官  杉山正明