若園敦雄裁判長名判決 東京高裁平成30年 防犯カメラ画像で証拠不十分とされた例
刑事事実認定重要判決50選3版80
現住建造物等放火被告事件
東京高等裁判所判決/平成29年(う)第1510号
平成30年2月9日
【判示事項】 現住建造物等放火の事案で、犯行現場近くの防犯カメラで撮影された映像等を根拠に被告人が本件犯人である旨を認めた原判決について、同映像等によって認められる各事情は、被告人を本件犯人と推認させるのに十分な事実とはいえず、被告人を本件犯人と認めるには合理的な疑いが残るとして、原判決が破棄され、無罪が言い渡された事例
【参照条文】 刑法108
刑事訴訟法382
【掲載誌】 判例時報2397号94頁
LLI/DB 判例秘書登載
主 文
原判決を破棄する。
被告人は無罪。
理 由
本件控訴の趣意は,弁護人赤木竜太郎作成の控訴趣意書及び控訴趣意補充書に,検察官の反論は,検察官林享男作成の答弁書に,それぞれ記載されたとおりである。弁護人の論旨は,訴訟手続の法令違反及び事実誤認の主張である。
1 控訴趣意中,訴訟手続の法令違反の主張について
(1) 弁護人は,原審裁判所が,①証拠能力がないA証人を採用した,②被告人が予め黙秘権を行使する意思を明示していたのに,被告人質問を実施したのは,いずれも訴訟手続の法令違反があり,これらの違法は判決に影響を及ぼすものであると主張する。
(2) A証人の採用について
「犯行前日及び犯行時の犯行現場前を撮影した防犯ビデオの人物の行動,各人物及び被告人との同一性等」との立証趣旨で,犯行現場前等に設置された防犯カメラの映像を解析したAを原審裁判所が証人として採用したことにつき,弁護人は,Aの証言は,何ら科学的根拠がなく,直感的判断により各人物の類似性,同一性を述べたにすぎないのであって,自然的関連性を有するとはいえず,証拠能力を認めることができないのに,同人を証人として採用した原審の訴訟手続には明らかに判決に影響を及ぼすべき法令違反があると主張する。
そこで検討すると,Aは,画像解析,画像処理を専門的に研究しており,着衣等の異同識別鑑定の経験も豊富であるというのであるから,公平性に特段問題はない。もっとも,原判決は,Aの証言のうち,各人物が同一人物である確度に関する証言については,その算定根拠の正確性・合理性に疑問があるとしており,その判断は相当である。しかし,Aは,科学的な手法も踏まえて着衣等の異同識別を行っており,判断の資料とした防犯カメラ映像等を確認しても,Aが指摘する各人物の着衣等の特徴が明確に異なっているといった事情はうかがえないことにも照らすと,Aが証言の中で行っている防犯カメラの映像の解析には,各人物の着衣等が類似し,各人物が同一人物として矛盾がないという限度の判断をするについての最低限の証拠価値は十分肯定でき,Aを証人として採用した原審の訴訟手続に,明らかに判決に影響を及ぼす法令違反があるとはいえない。
(3) 被告人質問の実施について
弁護人は,公判前整理手続において被告人が黙秘権を行使することが明らかになっており,公判廷においても,原審弁護人が,被告人質問を実施する前に,簡潔に黙秘権行使の有無を確認し,被告人の回答によっては証言台に立たせないようにして欲しいという意見を述べたにもかかわらず,原審裁判長は,被告人に対し証言台に座るように要求し,原審弁護人からの異議を棄却して被告人質問を実施したが,被告人の黙秘権を実質的に侵害するもので違法であると主張する。
しかしながら,被告人側が予め黙秘権行使の意思を示していたからといって,被告人質問を実施することがそれ自体直ちに不当ということはできないし,実際の手続も,弁護人,検察官,裁判所がそれぞれ二,三問,質問したにすぎず,被告人もいずれの質問に対しても黙秘権を行使しているのであるから,被告人の黙秘権を侵害した違法な手続とは到底いえない。弁護人の主張は理由がない。
(4) 小括
訴訟手続の法令違反の主張は理由がない。
2 控訴趣意中,事実誤認の主張について
(1) 原判決は,被告人が,Bほか4名が現に住居に使用する東京都千代田区■■■所在の鉄筋コンクリート造陸屋根3階建倉庫併用住宅(延べ床面積約141.78平方メートル)に放火しようと考え,平成28年2月23日午前4時19分頃,同住宅1階倉庫内において,何らかの方法で点火して火を放ち,その火を同倉庫の木製窓枠に燃え移らせ,よって,前記倉庫併用住宅の一部を焼損(焼損面積合計約0.85平方メートル)したとの事実を認定している。これに対し,弁護人は,本件放火の犯人は被告人ではないのに,原判決が,被告人が犯人であると認定している点で,事実誤認があるというのである。
(2) 原判決の認定
そこで検討すると,原判決は,概要,以下のとおり,認定している(以下特に断らない限り,略称等は原判決のそれに従う)。
ア 前提事実(原判決は事件性に関する判断として判示)
関係各証拠によれば,本件火災は,何者かによる放火によるものであることが強く推認されるところ,□□ビルカメラによると,自転車に乗ってきた不審者が午前4時18分頃に本件倉庫前付近で降車し,自転車を置いて徒歩で本件倉庫方向の死角に入り,死角に入ってから約18秒後に再び姿を現すと,すぐに自転車に乗って走り去り,その直後の午前4時22分頃,本件倉庫付近が明るくなり始めている様子が撮影されている。また,午前4時28分頃,現場付近を通りかかった新聞配達員が本件倉庫のシャッター下をくぐるように炎が出ていたのを目撃している。本件倉庫に面する道路の本件倉庫前付近が写っていた□□ビルカメラによると,午前2時20分頃から出火が確認されるまでの間,前記不審者のほかに本件倉庫に立ち入った者は確認できなかった。以上に照らすと,前記不審者が,本件倉庫内に立ち入り,放火したものと認めることができる。
イ 犯人性について
(ア) 不審者の着衣等と被告人の着衣等の類似
(A)前記の□□ビルカメラで撮影された犯人の映像・画像,(B)午前4時19分頃に△△通りカメラで撮影された人物の映像・画像,(C)午前2時58分頃及び午前6時11分頃に,事件現場近くのコンビニエンスストアに入店した際の被告人の各映像・画像,(D)本件火災後,本件当日に被告人から任意提出を受けた被告人の着衣及び被告人の使用自転車の各映像,(E)再現実験として警察官が(D)の着衣を着用し,□□ビルカメラ及び△△通りカメラに写った各映像・画像等を資料として,犯人と被告人の異同識別等の鑑定を行った証人Aは,原審公判廷において,(A),(B),(C)及び(E)の各映像・画像に撮影されている人物の着衣等の特徴には共通性が見られ,被告人と□□ビルカメラの人物,被告人と△△通りカメラの人物はいずれも同一人物である可能性が高く,同一人物として矛盾する点は認められないと供述しているところ,画像解析,画像処理の専門家である上記Aの,被告人と(A),(B)の人物がそれぞれ類似しているとの評価は十分首肯でき,□□ビルカメラで撮影された犯人と本件当日に△△通りカメラで撮影された人物は同一人物であり,犯人の着衣と犯行時刻前後の被告人の着衣及び犯人が使用していた自転車と被告人が使用していた自転車とは,いくつかの点でその特徴が類似している。各特徴は必ずしも特異性の高いものではないが,これらの特徴がいずれも合致することは極めて稀であると考えられ,犯人と被告人が同一人物であることを相当程度推認させるものといえる。
(イ) 犯人の経路と被告人の居住場所
本件犯行現場の周辺に設置された防犯カメラの映像によると,犯人と同一と認定できる人物が,被告人が当時居住していた場所付近から犯行現場付近を通過し,再び前記居住場所付近まで自転車で移動していることが認められるところ,往路および復路いずれにおいても被告人の居住場所付近を通過しており,その際,被告人の居住場所付近で一定時間停止していること,復路においては,被告人の居住場所付近に自転車を駐輪したとみて不自然でない動きをしていることが認められることから,犯人は被告人の居住場所付近に関わりがある人物であることが強く推認され,そのような人物として最も合理的に考えられるのは被告人であり,本件犯行日時頃,居住場所に被告人がいなかったことを消防士が確認していることは,上記推認を支える事情である。
(ウ) 結論
上記(ア)及び(イ)で検討した事情は,いずれもそれぞれ単独で被告人が犯人であることを相当程度推認させる事情であるが,仮に被告人が犯人でないとしたならば,上記各事情が偶然に重なり合ったことになるが,そのような事態は通常想定し難く,被告人が本件犯人であることは合理的疑いを超えて認めることができる。
(3) 当裁判所の判断
原判決は,前記のとおり,被告人を犯人と認定する重要な根拠として,(ア)□□ビルカメラ及び△△通りカメラで撮影された各人物と被告人の着衣とが類似し,△△通りカメラで撮影された人物が使用していた自転車と被告人が使用していた自転車とが類似していること,(イ)犯人と目される人物が防犯カメラの映像上,被告人の居住場所付近で自転車を停止させていたことの2点を挙げているところ,上記各事情は,それぞれが被告人を本件犯人と推認させるのに十分な事実とはいえず,両事情を併せて考えても,被告人を本件犯人と認めるには合理的な疑いが残るというべきである。以下,詳述する。
ア 犯人が□□ビルカメラで撮影された不審人物であること
原判決が,事件性に関する判断として認定した前記(2)アの各事実は,当裁判所も相当として是認できる。
イ 着衣及び自転車の類似について
原判決が,A証言を踏まえ,犯人らの着衣等の特徴として指摘する事項は,以下のとおりである。すなわち,(A)の映像で撮影された犯人について,原判決が指摘する特徴は,6ブロックの膨らみのある黒系のジャンパー様のもの,ファスナー付きと思われる上着よりやや明るい色調のパーカー様のもの(ジャンパー様のものの下に着ており,首元が見える程度にファスナーを開けている状態で,同パーカー様のもののフードは被っていた),幅が太めで明るい色調の長ズボン,白系のスニーカー様のもの,白系マスクをそれぞれ着用し,ハンドルは黒系のセミアップタイプ,ヘッドライトが前輪タイヤの上部右横に位置している自転車に乗っていたこと等である。(B)の画像の人物の着衣等にも同様の特徴が挙げられるほか,同人物のジャンパー様のものは着丈が腰よりやや長めで,スニーカー様のものはつま先に黒いアウトソールの先端が見えるもので,自転車のかごはメッシュタイプで黒系と思料される。(C)の各画像で認められる被告人は,着丈が腰よりやや長めで,6ブロックの膨らみのある黒色ダウンジャケット,濃い灰系のファスナー付きパーカー(ダウンジャケットの下に着ており,首元が見える程度にファスナーを開けている状態で,同パーカーのフードは被っていた),裾の幅が太めで青系の作業ズボン,つま先に黒いアウトソールの先端がある薄い灰系スニーカー,白色マスクをそれぞれ着用しており,本件当日に被告人が任意提出した着衣も同様の特徴を有し,また,被告人が任意提出した被告人の使用自転車は,ハンドルが黒系のセミアップハンドル,かごは黒系のメッシュタイプであり,ヘッドライトが前輪タイヤの上部右横に位置している。
確かに,犯人と目される(A)や(B)の画像で撮影されている人物の着衣や使用自転車の特徴と,本件火災の前後に撮影された被告人の着衣や,被告人が任意提出した着衣および自転車の特徴との間には,原判決が指摘する限度で一致が認められる。しかしながら,原判決が指摘する着衣や自転車の特徴には,例えばメーカーや型番というようなより程度の強い一致が認められるとか,傷や汚れの状況が一致するというような個体に特有の特徴は一切含まれていない。着衣については,冬季に男性が着用するものとして形状,色,組み合わせに特異性はないし,着用方法についてもさほどの特異性はなく,自転車の特徴も男性が使用する物として特異なものとは認められない。その上,上記(A),(B)の犯人の映像・画像は,それほど解像度が高くなく,光の関係もあって,色や形は明瞭ではないのであるから,特徴が一致しているといっても,実際には異なるものが一致しているように見えるだけの可能性もあり,もともと一致の程度が高いものとはいえない。そして,Aが一致するとして指摘し,原判決が採用した各特徴の出現確率も不明であって,原判決も,前記のとおり,Aの供述中,これらの特徴が一致することによって同一人物と認められる確度がおおむね万分の一以上であるという点については,算定根拠の正確性・合理性がないとして信用できないとしているのであるから,各特徴が一致していることにどの程度の意味があるのかについては,慎重に検討して判断を示すべきである。にもかかわらず,原判決は,指摘された「特徴の全てが合致することは常識に照らしても極めて稀であると考えられ」と判示しているのみで,常識の内容について示していない。確かに,複数の条件が重なる確率は,単一の条件が一致する確率よりも,条件の数が増えれば増えるほど,低くなるのは常識であるが,そもそも,各特徴の出現頻度や各特徴の相関関係は不明なのであるから,その全てが一致するといっても,その確率を原判決のように極めて稀などと認定する根拠は乏しいというほかない。そうすると,着衣等の特徴の一致という事実は,(E)の再現画像の着衣等の特徴が(A)及び(B)の各画像で見られる着衣等の特徴と同様であるという点や(A)及び(B)の各画像と(C)の画像が撮影された場所・時間が比較的近接しており,人の往来が少ない時間帯である点を踏まえても,被告人が犯人である可能性がある程度認められるといった程度にとどまるというべきであって,犯人と被告人とが同一人物であることを相当程度推認させるなどとは認められない。原判決のこの点に関する事実の評価は誤った経験則を用いているといわざるを得ない。
ウ 犯行の前後に犯人と目される人物が被告人の居住場所付近で自転車を停止させている事実について
原判決は,犯人と同一視できる人物が,被告人が当時居住していた場所付近から犯行現場付近を通過し,再び前記居住場所付近まで自転車で移動しているとしている。このことは,各人物の走行方向が一致し,走行時間や識別できる限度の各人着に矛盾がないことなど,原判決が指摘する事情に照らし,当裁判所も認めることができる。
しかしながら,防犯カメラの映像をつぶさに見ても,犯人と目される人物が,往路復路のいずれにおいても,被告人の居住場所付近で自転車を停止させている様子はうかがえるものの,その人物が具体的にどのような行動をしているのか,またその視線がどこにあるのかなどは,映像が不鮮明であるため,一切不明であって,犯人と目される人物が当該場所で停止した理由を推測する材料は乏しいというほかない。原判決がいうように,自分の居住場所があるから,自転車を停止させるということは,可能性としては十分あり得るとはいえ,荷物を降ろすとか,そこから自転車に乗った,あるいはその付近に自転車を収納したとかいう事情が映像から判明するのであれば格別,付近で一旦停止したという事情のみからでは,その場所に一定の関心がある人物であるという程度の事情は認めることができても,それを超えて,その場所に関わりがある人物であるとか,そこに居住する人物である可能性が高いとまで認めることには無理がある。ある場所を通過する際に,往路も復路も一定時間停止する理由としては,それ以外の可能性も十分に考えられるからである。また,原判決は,復路において,犯人が被告人の居住場所付近で停止した後,更に西進しているところ,その際,進行速度が遅くなったことが認められ,同所付近で自転車を駐輪したと考えると自然であるともいう。しかしながら,犯人が自転車を駐輪した可能性はそれなりに認められるとしても,それが唯一の可能性ではないのであって,この点も,犯人が被告人の居住場所付近に関わりがあるということを裏付けるには不十分である。このことは,犯人が本件経路を回っている時間帯に被告人が居住場所にいなかったという消防士の供述に信用性を認めたところで変わらない。原判決は,往路及び復路のいずれにおいても,居住場所付近で一定時間停止すべき合理的な事情は見当たらないなどというが,そのように断定しうる経験則は認められず,逆に,当該人物が,被告人でなければ合理的に説明できない事情も何ら存しないというべきである。
そうすると,犯人と目される人物が,往路復路のいずれにおいても,被告人の居住場所付近で自転車を一旦停止させたという事実についても,せいぜい被告人が犯人であっても矛盾はないという程度の価値を有する間接事実にすぎないというべきである。原判決は,この点でも誤った経験則を用い,事実の評価を誤っているといわざるを得ない。
エ 小括
以上のとおり,原判決が,被告人が犯人であることの根拠の柱として挙げる上記の二つの事情のうち,着衣及び自転車の類似の事実については,被告人が犯人である可能性がある程度認められるものの,犯人と目される人物が被告人の居住場所付近で自転車を停止させている事実については,被告人が犯人であっても矛盾はないという程度の事情にとどまるということからすれば,この二つの事情が併存しても,それぞれの事実が有する,被告人が犯人であることを推認させる程度がさほど強くない以上は,被告人が犯人であると断定するに足りる事情とはいえない。なぜなら,被告人の服装や使用自転車の特徴が特異とはいえず,被告人の居住場所付近で自転車を止めたとはいっても,同所での行動が明らかでない以上,偶然,被告人と似た服装をし,被告人使用自転車と同様の特徴を有する自転車に乗った第三者が,被告人の居住場所付近で自転車を止めた可能性を払拭できないからである。このほか,原審記録を精査しても,被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することができない,あるいは,少なくとも説明が極めて困難である事実関係を認めることはできない。
したがって,被告人を犯人と認めた原判決の判断は,証拠の評価を誤ったものであり,論理則・経験則等に照らし,著しく不合理なものというほかなく,原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるといわなければならない。
事実誤認の主張は理由がある。
3 破棄自判
よって,刑訴法397条1項,382条により原判決を破棄し,同法400条ただし書を適用して更に被告事件について次のとおり判決する。
本件公訴事実は,2(1)に記載した原判決の認定事実と概ね同旨であるところ,既に見たように,被告人が犯人であると認めるには合理的な疑いが残り,同事実については犯罪の証明がないことになるから,刑訴法336条により,被告人に対し無罪の言渡しをすることとして,主文のとおり判決する。
(検察官林享男,国選弁護人赤木竜太郎 各出席)
平成30年2月9日
東京高等裁判所第1刑事部
裁判長裁判官 若園敦雄
裁判官 田村政喜
裁判官 高杉昌希
コメント