秘密保持義務 古河鉱業足尾製作所事件 東京高裁昭和55年

労働判例百選第8版27

雇用関係存続確認請求事件

東京高等裁判所判決/昭和50年(ネ)第667号

昭和55年2月18日

【判示事項】       1、従業員のした使用者の業務上の秘密漏えい行為が政治活動に当たるとしても、右行為が労働協約、就業規則に定める懲戒事由に該当する以上、当該従業員は懲戒責任を免れるものではないとした事例

             2、特定政党員である従業員に対してした使用者の業務上の重要秘密漏えい行為等を理由とする懲戒解雇が、思想ないし正当な組合活動の故にされたものではなく、組合の運営に対する支配介入に当たるとも認められないとして、有効とされた事例

【掲載誌】        労働関係民事裁判例集31巻1号49頁

【評釈論文】       別冊ジュリスト134号40頁

 

       主   文

 

 本件控訴を棄却する。

 控訴費用は控訴人の負担とする。

 

       事   実

 

(前注)

 以下、左表の下欄に記載したものについては、それぞれその上欄に記載した略称を用いる。なお、下欄の記載中括弧内の部分も、略称である。

P1 控訴人P1

P2 控訴人P2

P1ら 控訴人P1及び同P2

会社 被控訴人

工場 被控訴人の足尾製作所高崎工場

さく販 古河さく岩機販売株式会社

労協 「会社」と「足製連」との間に昭和二七年二月に締結された労働協約

就規 「工場」の工員就業規則、但し、昭和二六年一二月から実施されたもの。

組合 日本労働組合総評議会全国金属労働組合群馬地方本部古河鉱業株式会社足尾製作所高崎工場支部

青婦部 「組合」の青年婦人部

P3委員長 「組合」執行委員長P3

足製連 古河鉱業株式会社足尾製作所労働組合連合会(「会社」足尾製作所傘下足尾・小山・高崎各工場の工員をもつて組織する各労働組合の連合体)

全金 日本労働組合総評議会全国金属労働組合

地区労 高崎地区労働組合協議会

西毛地区委 日本共産党西毛地区委員会

古河細胞 日本共産党古河細胞

民青 日本民主青年同盟

本件ビラ 日本共産党西毛地区委員会名義六月四日付ビラ(甲第九号証は、そのうちの一つである。)

本件計画 高崎工場三ケ年計画基本案(昭和三八年上期末の状態)

本件文書 本件計画を記載した文書(乙第四号証の原本)

本件複写 「本件文書」を複写機により複写した文書で、P4が「工場」において入手したもの(乙第四号証)

本件謄写 「本件文書」、「本件複写」と同一内容の、ガリ版による謄写文書(乙第五号証の一は、そのうちの一つである。)

新管理方式 「会社」において昭和三五年に立案した機械部門新管理方式

一 申立て

 控訴代理人は、「原判決を取り消す。控訴人らがいずれも被控訴人の足尾製作所高崎工場に勤務する従業員として労働契約上の権利を有することを確認する。被控訴人は昭和三七年七月二一日以降毎月一五日限り控訴人P1に対し金二万五七五九円を、控訴人P2に対し金一万三七四一円をそれぞれ支払え。訴訟費用は第一、第二審とも被控訴人の負担とする。」との判決及び控訴人P1に対する金員支払部分につき仮執行の宣言を求めた。

 被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

二 控訴人らの主張

1 請求原因

(一) 労働契約の成立

 会社は石炭と非鉄金属(主として銅)との採掘販売業・鉱山土木機械製造販売業等を営み、高崎市〈以下略〉には足尾製作所高崎工場を有し、そこで鉱山採掘用のさく岩機等を製造している。

 P1は昭和二七年三月三日、P2は昭和二九年四月一日、それぞれ会社に工員として期間の定めなく採用され、P1は工場業務課営業係において製品の受注納入等の業務に、P2は工場製造課においてさく岩機部品の切削作業に従事していた。

(二) 賃金債権の内容

 P1の昭和三七年七月二〇日当時の平均賃金は一か月二万五七五九円、P2のそれは一万三七四一円であり、いずれも毎月一五日限り当月分の賃金の支払を受ける約定である。

(三) 会社の権利否認

 会社は昭和三七年七月二〇日P1とP2を懲戒解雇したと称して、両名の労働契約上の権利の存在を争い、同月二一日以降両名の就労を拒み、かつ賃金も支払つていない。

(四) 結論

 P1らは会社に対し前記契約上の権利の確認を求め、昭和三七年七月二一日以降毎月一五日限り、P1は二万五七五九円、P2は一万三七四一円の各賃金の支払いを求める。

2 抗弁に対する認否

(一)のうち、会社がその主張の日に解雇の意思表示をしたことは認め、その余の事実は争う。

(二)のうち、労協の廃止・就規の改正は不知、その余の事実は認める。

(三)(1)(Ⅰ)中新管理方式の立案と足製連への提案は認め、その余の事実は不知。かりに本件計画が存在したとしても、せいぜい工場長私案にすぎないもので、会社の会議等で検討されていない。

(三)(1)(Ⅱ)は不知。

(三)(1)(Ⅲ)は不知。会社の主張によれば、本件文書にも本件複写にも「秘」等の表示がないというから、これは秘密文書とはいえない。

(三)(1)(Ⅳ)(イ)(A)は争う。

 さく岩機については会社は東洋工業株式会社と市場を二分しており、三年後の工場の生産規模が洩れても、市場構成に影響しない。

 値上することが競争会社に洩れれば、そこでも値上するのが普通であるから、競争上不利ではない。新製品も市場に出ればもはや秘密ではなく、他企業に真似されることもあろう。これを防ぐには特許をとればよく、敢て秘密とするほどのことはない。本件文書記載のクラストブレーカーやビツトロツドの生産本格化は秘密として保護される必要性を欠く。機械原価も秘密ではない。材質・材量・加工時間がきまつているから、他企業がこれを算出するのは困難でない。売値も仕切値も各企業の営業担当者は互によく知つており、秘密ではない。工場全体のマージン率が判つても各機械のそれが判るわけではないから、他企業に値引の限界を知られることはない。さく販の設立を他企業に知られても格別不利ではない。

 労使関係上さく販設立・中央倉庫の設置が早く従業員に判つたからとて、関連人事異動などが困難とならない。要は早目に発表して組合等と十分協議して了解をとりつけることである。賃金増額・職組長の資格制度も同様である。

(三)(1)(Ⅳ)(イ)(B)のうち、本件文書及び本件複写に「秘」の表示のないことは認める。その余は争う。

(三)(1)(Ⅳ)(イ)(C)は争う。

(三)(1)(Ⅳ)(ロ)は争う。本件計画のうち、クラストブレーカーやビツトロツドの生産本格化・機械原価・マージン・マージン率・さく販設立・中央倉庫設置等は当時公知であつた。

(三)(1)(Ⅴ)のうち、P1及びP2に関する部分は否認し、その余は不知。

 かりにP1らが本件謄写を配布したとしても、その記載内容が会社の重大な秘密であること、洩らした先が社外であることにつきP1らに故意がない。P1がいいものがあるという程度の興味をもつたとしても、秘密であることの認識ありとはいえないし、ましてや本件複写には「秘」の表示がないのである。さらにP1は社外にもれないように注意を与えて本件謄写を配布し、かつ配布先は日本共産党員である組合員であつたというのであれば、洩らした先が社外であるとの認識もありえない。

(三)(1)(Ⅵ)は否認する。さく販は予定通り昭和三六年六月一日発足した。本件文書が洩れたことにより、さく販出向を予じめ拒む者が出る等、その発足が妨げられたことはない。

(三)(2)冒頭の部分は争う。

(三)(2)(Ⅰ)は争う。本件計画立案作成に当つたという工場長及びその内容の検討に参加したという課長以上の上級幹部職員は、その職務からして本件文書記載の事項につき守秘義務を負うとしても、これらの職員とは職務も適用される就規も異る一般工員であるP1らはかゝる義務を負わない。P1らは企業経営上経営者と同一の利害関係に立たないから、本件のように職務上知りえた事項ではなく、たまたま知りえた事項にすぎないものについてまで、漏洩しない責任を負うものではない。このことは就規に守秘義務を定めた規定のないことからも明らかであり、七三条六号の規定は、懲戒に関するから、秘密を洩らして企業秩序を侵害した場合にのみ適用されるにすぎない。

(三)(2)(Ⅱ)は争う。

 会社はP1らが本件文書を謄写したものを古河細胞の構成員に配布し討議させて、そこに記載された秘密を漏洩したという。しかし会社のいう古河細胞の構成員はすべて会社の従業員であるから、これは労協五七条三号にいう「他」、及び就規七三条六号にいう「社外」にあたらない。

(三)(2)(Ⅲ)秘密漏洩行為の反社会性の欠如

 企業秘密の漏洩について懲戒責任を負うには、

(イ) その秘密漏洩行為自体に反社会性があること(例えば、秘密入手のため反社会的手段を用い、又は使用者の特別の信頼を裏切る場合)

(ロ) 秘密漏洩行為の目的及び結果に反社会性あること(例えば、競争企業に秘密を売り、又は私益に利用する場合)

(ハ) 企業秩序の侵害があること

 を要する。仮にP1らが会社主張の秘密漏洩行為をしたとしても、本件ではそのいずれをも充足しないから、P1らは懲戒責任を負わない。

(三)(2)(Ⅵ)秘密漏洩行為の組合活動・政治活動としての正当性

 かりにP1らが会社主張の秘密漏洩行為をしたとしても、それはその所属する組合の組合員のみで構成する古河細胞の労働組合対策検討に役立つ行為であるから、自己の政治的信条にもとづき所属組合、政党のため自己の知り得た情報を活用したにすぎない。これはP1らの組合活動であり、政治活動である。しかもP1らは会社に損害を与える目的をもたないから、その活動は正当である。かゝる正当な組合活動と政治活動とにつき懲戒責任を負ういわれはない。

(三)(2)(Ⅴ)は争う。

(四)(1)(Ⅰ)のうち、P1が昭和三六年七月二五日会社あてその主張の診断書を提出して同年八月一日まで就労しなかつたこと、同日会社あて同日一日につき大腸カタル治療のため年次有給休暇を取得する旨の届出をしたことは認める。P1が大腸カタルに罹らず、日本共産党大会に出席したことは否認する。その余の事実は不知。

 P1は大腸カタルにかゝり、同年七月二五日会社あてその治療のため、同日から七日間年次有給休暇を取得する旨届出た上、自宅で静養していた。従つてP1は右休暇の取得により就労義務を免れているから、欠勤にもならず、また届出た理由は虚偽ではない。

(四)(1)(Ⅱ)は争う。

(四)(2)(Ⅰ)のうち、会社が新管理方式を提案し、以後足製連よりストライキ等をもつて対抗されつゝ交渉を続け、結局妥結したことは認めるが、妥結の日は昭和三五年八月二六日である。

 会社がこの間賃金カツトを実施しその一部に誤りがあり、工場業務課工員は、同課P5副課長に不当賃金カツト実施の責任と職場話合中の不当な態度の責任とを問い、抗議行動をとつたことは認めるが、その余は否認する。

 P5にお茶を出すことは職務に属しない。この抗議行動をP1があおつたことはない。仮にP1がP6らの申合せ違反の行為の理由をきいたとしても、正当な行為である。

 元来この抗議行動は、新管理方式交渉において足製連の主張貫徹のための争議行為の一環として実施されたから、正当な組合活動である。

(四)(2)(Ⅰ)(ロ)は否認する。仮に命令不服従があつても、組合の指令による正当争議行為である。

(四)(2)(Ⅰ)(ハ)(A)のうち、会社が昭和三六年販売強化のためさく販を設立したこと、仙台営業所勤務のP7ほか二名が最終的にさく販に出向を承諾したことは認める。P1がP7ほか二名に対し、会社主張のように会社を中傷してこの三名に出向の拒否をあおつたことは否認する。その余は不知。

(四)(2)(Ⅰ)(ハ)(B)のうち、P8が同年七月さく販出向を承諾したことは認める。P1が業務課員を集めてP8をののしつたりしたことは否認する。その余は不知。

 業務課勤務の組合員は、同年四、五月ごろ開催の職場会議で、さく販設立により業務上深刻な影響を受けるとして「会社から業務課の新しい事業計画の明示を見るまでは、さく販に出向を求められても応じない。」と申し合わせていた。P8はこの申合わせを守らなかつたので、課員からその説明を求められたにすぎない。

(四)(2)(Ⅰ)(ニ)のうち、会社が住友化学工業株式会社に対しクラストブレーカーを未納のままでいたこと、さく販大阪営業所から未納品リストと理由書との送付依頼のなかつたことは認め、その余の事実は否認する。P1は会社主張のようなことを述べておらず、P9がリスト等を作成したことはない。リスト等作成要求は通常電話によらず文書によるとされている。P1は当時クラストブレーカーの納期の照会を電話でうけて電話で回答したことはある。

(四)(2)(Ⅱ)は争う。

(四)(3)(Ⅰ)は始業時刻を認め、その余の事実は否認する。始業時刻は励行されていなかつた。P1は担当業務の性質上製品係に出荷依頼に行つたり納期の調査に行つたりするほか、執行委員在任中は就業時間中一週間三時間、代議員在任中は一月三時間組合活動を許されていたので、離席は多いが、いずれも適法な行動であつて、懲戒責任を負わない。

(四)(3)(Ⅱ)は争う。

(五)(1)(Ⅰ)冒頭の事実は否認する。

(五)(1)(Ⅰ)(イ)のうち、P2の担当業務は認める。会社が標準工数を定めていることは不知。その余は否認する。能率を測定するには標準工数だけでなく、従業員の経験年数・機械の性能・作業内容・工場合理化の程度も検討すべきである。P2の能率は会社の測定方法によつても向上し、昭和三七年には良好となつた。このような者に過去の非能率をとらえて解雇理由とすることはできない。

(五)(1)(Ⅰ)(ロ)は否認する。仮にP2が就業時間中離席許可を得ずにダンスパーテイ券集金・自転車の手入をしたとしても、それは工場全体の能率が低下していた昭和三五年から昭和三六年八月までの新管理方式反対闘争中及びこれに引きつゞく新工場移転までの秩序未回復期のことであるから、P2のみが他の従業員と比較してとくにそうであつたわけではなく、懲戒責任を問うような問題ではない。

 P2が空運転をしたとしても、離席時間の如何によつては運転を中止しない方が適切な場合もある。すべて作業員の判断にゆだねられるべきである。これによる弊害は生じていない。

 P2が残業をしなかつたことは、残業するか否かは本人の自由であるから、懲戒の理由とすることはできない。

(五)(1)(Ⅰ)(ハ)のうち、会社が従業員に生産票の記入提出を命じていること、P2が作業内容を毎日でなく数日分まとめて記入提出したことは認めるが、その余は否認する。P2の記入した数字自体は正確である。数日分まとめて記入することは、他の従業員も行つていたし、何人もそれにつき上司から注意を受けたこともなく、又これにより実害が生じたこともない。

(五)(1)(Ⅱ)は争う。

(五)(2)(Ⅰ)は否認する。仮に欠勤が二八日間あつたとしても、会社の主張する昭和三六年九月の四日間、一〇月の六日間、一二月の二日間の欠勤は、民青代表として訪中の準備及び帰国遅延を理由とし、昭和三七年三月の一〇日間の欠勤は一二指腸かいようによる入院を理由とする等の特別事情にもとづく。これを除けば、その他の欠勤は六日間にすぎない。これも年次有給休暇の残日数をもつて若干消化できる。他の従業員に比しとくに欠勤が多いわけではない。

 P2は欠勤届を事前に提出しない場合もあつたが、事後には必ず届出ている。他の従業員についても事後届出が多かつた。

 遅刻六二回としても、その多くは一回一分ないし五分であるから勤務態度不良ではない。他の従業員にくらべて特に回数等が多いわけではない。

 欠勤、遅刻、早退の理由と態様とを検討せずに懲戒を行うことは不当である。

(五)(2)(Ⅱ)は争う。

(六)のうちP1が注意を受けたことは否認する。会社の調査・課長会議・組合の態度はいずれも不知。

 P1らは以上の行為につき一回も懲戒も注意も受けていないから、労協六〇条を適用すべきでない。

 仮に組合が解雇を承認したとしても、その正当性まで承認したわけではない。組合は当時同心会に牛耳られ、反対闘争を実施できない実情にあつた。

3 再抗弁

(一) 本件解雇の背景-新管理方式の提案から本件解雇まで

(1) 新管理方式の提案と反対闘争

(Ⅰ) 新管理方式の立案

 会社は、経済事情の変動等により石炭・非鉄部門よりも機械部門に重点をおかざるを得なくなり、機械部門担当の足尾製作所に属する高崎・小山・足尾の三工場充実の必要ありとして、職場規律の確立と福利厚生手当の賃金繰入れとを骨子とする「機械部門新管理方式」(いわゆる新管理方式)の立案に着手し、昭和三五年春その成案を得た。

 新管理方式の要領は次のとおりである。

「職場規律に関し、

 入門・作業開始・休憩・作業終了時間等規定時間を厳守し、高崎工場にタイムレコーダーを設置し、休暇の届出は事前になすを要し、労働協約にもとづき、組合活動は原則として就業時間外に行い、就業時間中組合活動を会社の許可にかゝらせ、その間の賃金を支払わず、組合専従者の賃金補償を廃止し、高崎工場における職場懇談会を廃止し、職長組長制度を明文化し、処遇を改善する。

 福利厚生に関し

 社宅等の管理料を徴収し、社宅電力料の会社負担・理髪等の会社補助・作業衣の会社負担・自転車通勤者への現物補助等の通勤費補助・残業弁当の会社負担等の廃止ないし軽減を行い、これにより従業員に減収を来たさないよう毎月平均一、三〇〇円程度の賃金増額を行うが、退職手当に影響しないようにする。

 実施の期日と場所とにつき、

 昭和三五年四月一日から足尾・小山・高崎の三工場で実施する。」

 新管理方式は労働慣行により組合員が得た諸権利を制限し、又は奪うものである。会社は、遠距離通勤者のため、就規所定の入門時刻に遅れても遅刻扱いとせず、出門についても同様であつたのを、タイムレコーダーの設置により、就規所定の入門時刻に一分でも遅れると賃金カツトを行うこととし、従前承認していた就業時間中の組合活動を制限し、組合員の諸要求を封殺し、福利厚生関係においても労働条件の切下げを図つたのである。

(Ⅱ) 提案から交渉妥結まで

 会社は昭和三五年三月一〇日中央労使協議会(会社と足製連とが労協にもとづき設置した協議機関)で新管理方式を提案した。

 足製連は昭和三五年四月一〇日臨時大会で新管理方式全面撤回の決議をした上、中央闘争委員会を設置し、これをして交渉を担当させストライキも実行したが、会社は同年五月一日から新管理方式中職場規律に関する部分を足製連の同意を得ないまゝ実施にふみ切つた。

 足製連はその後も全面撤回を求めて交渉を続行し数回にわたるストライキ、職場突上げ交渉を重ね、同年八月七日ようやく会社と合意に達し、同月八日仮調印のはこびとなつた。

 合意の内容は、会社提案を一部修正して実施するのほか、成人男子一人平均月一、三〇〇円の賃金増額、一時金二八、〇〇〇円の支給を含み、実施期日を同年八月一日とするにある。

 右合意は足尾・高崎の二組合の大会において不承認となつたが、最終的には同月二六日前記内容の協定書が作成調印され、こゝに新管理方式交渉は終結した。しかし高崎工場では、右協定書は無効であると考える者が多く、同年一〇月頃まで争議状態がつゞいた。

(Ⅲ) P1らの活躍

 右闘争を通じ、組合執行部は昭和三四年九月会社の組合御用化工作の結果選出された役員により占められていただけに、会社と容易に妥協するとの姿勢を示したが、P1は組合代議員、P2は青婦部書記長として、新管理方式を不当とする多数の組合員の先頭に立つて闘い、それは前記交渉妥結後にも及んだ。

 P1はこの闘争で示した実績を買われて、昭和三五年九月の選挙において組合執行委員に選出された。

(2) 会社の組合対策

 会社は新管理方式反対闘争において、P1らのような共産党員及びその同調者が活溌な活動をしたことにかんがみ、右交渉妥結後である昭和三五年秋頃から、組合の性格を反共的御用組合的に改造しようと企て、次のような対策をとつた。

(Ⅰ) 労務担当者強化

 会社はまず昭和三五年六月P10を工場総務課労務係主任に、同年一〇月P11を工場総務課長(労働組合関係事務をも担当する。)に、同年一二月P12を同課労務係守衛に任命し、昭和三六年一月P13を、同年一〇月P14を工場に転入せしめ、昭和三七年二月P15を工場総務課労務係長に任命した。

 これらの者は会社大峰鉱業所(福岡県田川郡所在、大峰と峰地の両鉱山を採掘している。)において、三井三池労組・日炭高松労組と並び称せられた大峰鉱業所労働組合の職場闘争を弾圧した経験者であつて、会社の方針にもとづき、P11総務課長を中心とする会社の組合御用化反共化工作を遂行する目的であらたに工場に配置され、右目的にそつて、次のように活動した。

(Ⅱ) 組合員懐柔工作

 昭和三六年一月ごろ工場内において、「P11総務課長宅に飲みに行こう。」という運動が始められた新管理方式反対闘争に対し消極的であつたP16が中心となつてこれを唱え、P17、P18、P19、P20、P21、P22らがこれに呼応したものである。

 P11総務課長は同年一月ごろ自宅において右運動により来訪した組合員らに組合反共化対策につき協力を求め、共産主義的とみられたP23には、「組合活動をやるならやつてみろ。会社は対決する。」と、同じくP24には、「お前は少し左がかつているから、自重した方がいゝんじやないか。」と申し述べ、高崎市内の料亭等で組合員に酒をのませて組合の弱体化をはかつた。

 右運動はその後もつゞけられ、同年八月の組合定期大会で批判された。

 会社は組合活動よりも生産への協力という方針で、労務政策PR版「古河機械ニユース」を継続的に発行し、信賞必罰を提唱し、提案制度を強調した。

(Ⅲ) 組合役員選挙介入

 昭和三六年九月執行の組合役員改選に当り、会社は一部の組合員に公休出勤を命じ、出勤した組合員に書記長候補者P24(当時日本共産党員ないし同調者とみられていた。)はアカであると宣伝して同人に投票しないよう仕向け、また会社に協力的な一部組合員はP16を中心として料亭で会議を重ね、自派候補者P22の選挙告示板に泥をぬりこれを民青の者の仕業であると逆宣伝した。

 この結果、P24は落選し、P22は当選し、組合執行部は会社の意向に従う者によつて殆ど占められた。

(Ⅳ) 会社協力派優遇人事

 会社は昭和三六年一〇月工師・工手の制度を設け組長を増員し、前記総務課長訪問運動・組合役員選挙において会社の意に沿つて動いたP16を職長に、同じくP21・P22・P20・P18らを組長に昇任させ、年功その他から当然昇進すべき者を除外した。

 会社は昭和三七年二月日ソ協会員とみられるP25の同僚に対する暴行につき、無期限出勤停止の措置をとりながら、会社に協力的なP17のハイヤー運転手に対する暴行につき、三日間のみの出勤停止の措置をとるとの差別待遇を行つた。

 会社は昭和三七年春の賃金増額にあたり、日本共産党員とみたP1をわずか一、九〇〇円増額にとどめ、その他の者と勤続年数業務内容に照らせば公平を失する不利益取扱いをした。

(Ⅴ) 同心会の結成とその反共活動

 昭和三七年二月、会社に協力的な前記の工員が中心となつて組合における日本共産党の活動阻止を目的の一つとする同心会を結成した。その会長はP21、事務局長はP20、統制委員はP22、幹部はP16・P17・P19・P12・P26らであつた。

 同心会会員は職制の立場を利用したり、就業時間を費したりして、従業員に加入をよびかけたが、会社はこれを知りながら何らの措置もとらなかつた。

 同心会は次第に会員をふやし、組合を動かす力となつてきて、組合員中日本共産党員又はその同調者とみられる者を調査し、考え方をかえ、同党と縁を切るよう要求し、組合の弱体化・御用化をねらつた。この動きはとくに組合員P27の解雇後益々盛となつた。

 同心会のかゝる動きは会社の意図に副い、その旨を承けてなされたものである。

(Ⅵ) P27解雇

 会社は昭和三七年五月二八日工場製造課従業員P27を、医療外出(病気等治療のため就業時間中特に許可される外出)の許可を受けて外出したのに、その時間を医療のために用いず他の目的に使用したこと、就業時間中更衣室に日本共産党機関紙赤旗を保管したことなど、虚偽の事実を理由に解雇した。

 この解雇はP27が共産主義者であることを真の理由とするものであるから、P27は組合に解雇撤回運動方を要請したが、すでに同心会の会員ないしその同調者で占められた組合執行部から、現状では闘えないとの理由で拒否され、結局依願退職に追い込まれた。

(3) 日本共産党のビラ配布から本件解雇まで

(Ⅰ) 本件ビラ配布

 日本共産党西毛地区委員会は同年六月五日P27解雇の真の理由を掲載した本件ビラ(甲第九号証はその一つである。)を工場従業員に配布した。その筆跡は西毛地区委のP28のものである。

(Ⅱ) 同心会のP1解雇工作・組合大会

(イ) 本件ビラ配布事件の責任追及

 同心会は本件ビラ配布を機会に、これがP1の筆跡であり、同人がかゝるビラを配布させたのは組合に対する統制違反に外ならないとの虚偽の理由をもつて、P1を除名し、ユニオン・シヨツプ協定による解雇にもちこもうと企て、会社の意図に従い、その協力を得て次のようにその工作をすゝめた。

 同心会員である守衛P12は同年六月一〇日P1に、「お前は本件ビラを書いたか、その発行するための会議に参加したかであろう。お前は工場で監視付だ。」と告げた。

 同心会幹部たるP21・P20・P16・P17ら七名は同月一五日P1に、「本件ビラはお前が書いたのであろう。お前は共産党だ。証拠がある。お前は会社を休んで共産党の全国活動者会議に出席した。」と申し向け、P17は会社から借り受けたP1の右会議当日のタイムカードを示した。

 P3委員長は当時P1に対し、「P27の問題は解決済である。お前が本件ビラを書いたとすれば、組合の決定に違反したことになる。」と述べて、同心会に同調した。

 P26ら同心会員は、就業時間中P1を統制処分にするための組合代議員会招集要求の署名集めを行つた。

 組合代議員会は同年六月一八日開催され、P12は統制処分相当の意見を述べたが、慎重論と対立し、結局代議員会は結論を得なかつた。

 同心会は同月一九日、日本共産党に情報を提供して本件ビラを発行させた同党員P1を処分する旨のビラ(甲第一一号証)を配布した。

 同心会幹部P21・P16・P17ら三、四名は同月三〇日会社から使用許可を受けた製造課事務室でP1に対し、「本件ビラの筆跡をP29に鑑定させたら、P1の筆跡と判明した。」と述べ、P11総務課長が高崎警察署から貰つてきたというP1が日本共産党幹部と一緒に写つている写真を示した。

 同心会は同日、本件ビラを書いたP1を撲滅し組合の威信を守るとのビラ(甲第一二号証)を配布した。

 同心会会長P21は、同年七月二日西毛地区委委員長P30から、P1は本件ビラ作成に関与せず、P28がこれを書いた旨の説明を受け、同委員会事務所を後日訪問する旨約しながら実行しなかつた。

 P21は同月四日P30から再度本件ビラの筆跡鑑定を双方で行う旨の申出を受けた。

 P3委員長は同月五日P1に、「同心会はP1除名のため組合員二五〇名中一八〇名の署名を集めた。除名後会社がユニオン・シヨツプ協定により解雇する筋書ができている。真実はともかく、争つても負けるから、さく販に行かないか。」とすゝめた。

 西毛地区委は同月六日、本件ビラに関する真相を明らかにする趣旨のビラ(甲第一〇号証)を配布した。

 組合もまた、本件ビラ問題の経過を説明した同月七日付ビラ(甲第一三号証)を配布した。

 西毛地区委は同月一〇日、本件ビラ問題は会社とその手先のデツチアゲである旨の組合執行部あての同月九日付ビラ(甲第一四号証)を配布した。

 西毛地区委のP30とP1とはP31に本件ビラの鑑定をさせたところ、P1の筆跡でない旨の結果を得た。

 同心会会員は就業時間中P1処分のための組合大会招集要求の署名を集めて廻つた。

(ロ) 本件計画漏洩事件の責任追及

 同心会の要求により、組合は同月一一日代議員会と組合大会とを開催し、P1の本件ビラ作成関与問題の善後措置につき討議した。

 大会でP12は、「P1が本件ビラを書いた。」と主張したが、二、三の者から、「なお調査するを要する。」と反論された。こゝで同心会員P17は、「P1が会社の機密書類を盗んだ。」と発言し、同P26の発言を機としてP32はP1から機密文書の写を受取つた者の氏名を発表したけれども、受領したとされた者はその場でその事実を否定した。P12は、「この文書は工場長が起案して、課長以上のみが知つている文書である。いずれこの問題につき会社が関係者を処分するだろう。」と発言した。結局大会は、本件ビラの筆跡鑑定を行うこと、機密文書の件をP3委員長に報告し、委員長は腹におさめること等四項目の決議をした。

 なお会社は組合大会議事録(乙第七号証の二の二)を証拠として提出したが、大会では議論甚だ活溌なため発言内容が正確に録取されず、議事録自体不完全なものであつたにもかゝわらず、組合は会社の要請に応え、同心会員P12らをして会社に不利な発言を除外し、有利な発言だけをとりあげて議事録を作り直して提出したのであつて、こゝにも会社・同心会・組合の一体関係を如実にみることができる。

 P3委員長は同月一二日か一三日P1に、「機密文書の件は本当に知らないのか。」「君は共産党員か。」と、P2に「君は共産党員か。」とそれぞれ質問し、同月一九日P1に再び右文書の件につき尋ねた。

(Ⅲ) 本件解雇

 会社は組合大会でP1らの除名が失敗におわるや、この大会で機密文書の漏洩が発覚したと称して、同年七月一六日組合に対し調査を行う旨通知して、P1らに直接たしかめることもなく、総務課会計係長P33らの短時日の調査だけで、同月二〇日具体的解雇理由を示さずに懲戒解雇の意思表示をした。

 P1らは翌二一日就労のため工場に入ろうとしたが、同心会員らに阻止された。会社はこの者に就業時間中朝食を支給した。

(二) 本件解雇の動機の違法-P1らの排除とこれによる組合弱体化の意図

(1) P1らの組合活動歴・日本共産党等における経歴

(Ⅰ) P1

(イ) 組合内の経歴

昭和二八年四月から昭和三二年まで 青婦部委員

昭和三二年四月から昭和三三年三月まで 青婦部長兼代議員

このころ 教育宣伝部員、機関紙「ちから」の発行・うたごえ運動・学習運動・文芸サークル「竹の子」の各中心として活動した。

昭和三三年四月から昭和三四年九月まで 執行委員青婦部担当

昭和三四年九月から昭和三五年八月まで 代議員

昭和三五年四月から同年八月まで 代議員会議長・この間新管理方式反対闘争の先頭に立つた。

昭和三五年八月から昭和三六年九月まで 執行委員(教育宣伝部担当)

(ロ) 組合外の経歴

昭和三〇年六月 高崎地区青年婦人協議会議長代理

昭和三一年 右副議長・第五回世界青年学生平和友好祭高崎地区実行委員会事務局長

その後 地区労青年婦人協議会議長及び事務局長

昭和三三年九月 地区労中小企業対策部長

昭和三三年八月から昭和三四年七月まで 全金群馬地方本部執行委員

昭和三五年九月から昭和三六年一〇月まで 地区労組織部長

(ハ) 党歴

 P1は解雇以前から日本共産党員である。

(Ⅱ) P2

(イ) 組合内の経歴

昭和三二年四月から昭和三六年まで 青婦部役員

昭和三二年四月から昭和三三年三月まで 青婦部委員

昭和三三年四月から 青婦部運営委員

昭和三四年九月から昭和三六年八月まで 青婦部書記長、この間新管理方式反対闘争の先頭に立つた。

(ロ) 組合外の経歴

昭和三四年から昭和三六年まで 全金群馬地方本部青年婦人協議会常任幹事

(ハ) 民青歴

P2は昭和三六年以前から民青の一員である。

(2) P1らの組合活動及び思想に対する会社の認識

 会社がP1らの組合活動を認識していたことは前述の事実から、共産主義者であると認識していたことは次の事実からそれぞれ明らかである。

 総務課労務係長P34は、昭和三四年ころP1の上司であるP35に対し、「P1は共産党員である。」と告げ、昭和三五年ころP1に対し、「党勢拡大運動中でうまく行つているのか。」と質問した。

 P11総務課長は昭和三六年ころ高崎警察署からP1と日本共産党幹部とが一緒に写つている写真を入手し、P1が同党と関係あることを聞きこんだ。

 会社は昭和三六年一〇月以前、P2が民青に加盟していることを察知したが、当時P2が民青代表として訪中すべく、会社にその趣旨を明らかにして休職扱いを求めたときこれを確認した。

(3) 共産主義者である組合員に対する会社の干渉

(Ⅰ) 事実

(イ) P36脱党工作

 会社重役P37は昭和三一年ころ工場従業員でありかつ日本共産党員である親族P36に、「P1の思想がよくないから、つき合わないように。」との手紙を送り、P36をして党を脱党させた。

(ロ) P1営業所転勤勧誘

 会社は昭和三三、四年ころ工場従業員であり組合役員であるP38・P39を他の事業場に出向させた際、P1も同様に出向させようとして失敗した。

(ハ) P11総務課長の自重勧告

 P11総務課長は昭和三六年一月P24に対し、「お前は少し赤がかつているから、自重した方がよいのじやないか。」と述べた。

(ニ) P1さく販出向勧誘

 会社福岡営業所長P40は昭和三七年五月ころP1に、「高崎工場がP1を憎んでいる。」ことを理由として、さく販に出向することをすゝめ、P3委員長も前記のようにさく販出向をすゝめた。