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カテゴリ: 農業

岡原昌夫裁判長不当判決 事後法による財産権の内容変更の合憲性 最高裁昭和53年

憲法判例百選第7版99事件

国有財産買受申込拒否処分取消請求事件

最高裁判所大法廷判決/昭和48年(行ツ)第24号

昭和53年7月12日

【判決要旨】       国有農地等の売払いに関する特別措置法2条、同法附則2項、同法施行令1条は、憲法29条、14条に違反しない

【参照条文】       国有農地等の売払いに関する特別措置法2

             国有農地等の売払いに関する特別措置法附則2-2

             国有農地等の売払いに関する特別措置法附則施行令1

             憲法29

             憲法14

【掲載誌】        最高裁判所民事判例集32巻5号946頁

             訟務月報24巻8号1628頁

             最高裁判所裁判集民事124号287頁

             裁判所時報742号1頁

             判例タイムズ365号88頁

             金融・商事判例561号3頁

             判例時報895号29頁

【評釈論文】       ジュリスト臨時増刊693号24頁

             別冊ジュリスト62号310頁

             別冊ジュリスト68号128頁

             別冊ジュリスト93号330頁

             別冊ジュリスト95号174頁

             別冊ジュリスト123号334頁

             上智法学論集23巻1号231頁

             判例評論241号132頁

             法学雑誌26巻1号126頁

             法律のひろば31巻10号34頁

             民事研修259号42頁

             民商法雑誌80巻4号438頁

 

       主   文

 

 本件上告を棄却する。

 上告費用は上告人の負担とする。

 

       理   由

 

 上告人の上告理由第一点について

 国有農地等の売払いに関する特別措置法(以下「特別措置法」という。)附則二項によれば、同法はその施行日以後に売払いを受ける買収農地について適用されるものであるから、同法の施行日前に自作農の創設又は土地の農業上の利用の増進の目的に供しないこと(以下「自作農の創設等の目的に供しないこと」という。)を相当とする事実が生じた買収農地であつても、同法の施行日前に売払いを受けたものでない限り、その適用を受けることになることは明らかである。そして、上告人が同法の施行日前に売払いを受けた者でないことは、原審の適法に確定するところである。原判決に所論の違法はなく、論旨は、採用することができない。

 同第二点について

 所論は、要するに、特別措置法二条、同法附則二項及び同法施行令一条は、昭和四六年法律第五〇号による改正前の農地法(以下「改正前の農地法」という。)八〇条に基づいて買収前の農地の所有者又はその一般承継人(以下「旧所有者」という。)が有していた、買収の対価に相当する額で買収農地の売払いを求めうるという民事上の財産権を侵害する点において、憲法二九条に違反するものであり、また、既に売払いを受けた者と売払いを受けていない者とを売払いの対価の点で差別して取り扱うものであるから、憲法一四条に違反する、ということに帰する。

 一 憲法二九条違反の主張について

 憲法二九条一項は、「財産権は、これを侵してはならない。」と規定しているが、同条二項は、「財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。」と規定している。したがつて、法律でいつたん定められた財産権の内容を事後の法律で変更しても、それが公共の福祉に適合するようにされたものである限り、これをもつて違憲の立法ということができないことは明らかである。そして、右の変更が公共の福祉に適合するようにされたものであるかどうかは、いつたん定められた法律に基づく財産権の性質、その内容を変更する程度、及びこれを変更することによつて保護される公益の性質などを総合的に勘案し、その変更が当該財産権に対する合理的な制約として容認されるべきものであるかどうかによつて、判断すべきである。

 本件についてこれをみると、改正前の農地法八〇条によれば、国が買収によつて取得し農林大臣が管理する農地について、自作農の創設等の目的に供しないことを相当とする事実が生じた場合には、当該農地の旧所有者は国に対して同条二項後段に定める買収の対価相当額をもつてその農地の売払いを求める権利を取得するものと解するのが相当である(最高裁昭和四二年(行ツ)第五二号同四六年一月二〇日大法廷判決・民集二五巻一号一頁参照)。ところで、昭和四六年四月二六日公布され同年五月二五日施行された特別措置法は、その附則四項において、右農地法八〇条二項後段を削り、その二条において、売払いの対価は適正な価額によるものとし、政令で定めるところにより算出した額とする旨を規定し、これを承けて、特別措置法施行令一条一項は、同法二条の売払いの対価はその売払いに係る土地等の時価に一〇分の七を乗じて算出するものとする旨を定め、更に同法附則二項は、同法はその施行の日以後に農地法八〇条二項の規定により売払いを受けた土地等について適用する旨を規定している。したがつて、特別措置法二条、同法施行令一条、同法附則二項は、旧所有者が農地法八〇条二項により国に対し買収農地の売払いを求める場合の売払いの対価を、買収の対価相当額から当該土地の時価の七割に相当する額に変更したものであることは明らかである。

 そこで、以下、右のような売払いの対価の変更が権利の性質等前述した観点からみて旧所有者の売払いを求める権利に対する合理的な制約として容認されるべきものであるかどうかについて、判断する。

 思うに、本件農地の買収について適用された自作農創設特別措置法(以下「自創法」という。)は、主として自作農を創設することにより、農業生産力の発展と農村における前近代的な地主的農地所有関係の解消を図ることを目的とするものである(同法一条参照)から、自創法によつていつたん国に買収された農地が、その後の事情の変化により、自作農の創設等の目的に供しないことを相当とするようになつたとしても、その買収が本来すべきでなかつたものになるわけではなく、また、右買収農地が正当な補償の下に国の所有となつたものである以上、当然にこれを旧所有者に返還しなければならないこととなるものでないことも明らかである。しかし、もともと、自創法に基づく農地の買収は前記のように自作農の創設による農業生産力の発展等を目的としてされるものであるから、買収農地が自作農の創設等の目的に供しないことを相当とする事実が生じたときは旧所有者に買収農地を回復する権利を与えることが立法政策上当を得たものであるとして、その趣旨で農地法八〇条の買収農地売払制度が設けられたものと解される(前掲大法廷判決参照)。

 そこで、買収農地売払いの対価の点について考えると、買収農地売払制度が右のようなものである以上、その対価は、当然に買収の対価に相当する額でなければならないものではなく、その額をいかに定めるかは、右に述べた農地買収制度及び買収農地売払制度の趣旨・目的のほか、これらの制度の基礎をなす社会・経済全般の事情等を考慮して決定されるべき立法政策上の問題であつて、昭和二七年に制定された改正前の農地法八〇条二項後段が売払いの対価を買収の対価相当額と定めたのは、農地買収制度の施行後さほど時を経ず、また、地価もさほど騰貴していなかつた当時の情勢にかんがみ妥当であるとされたからにすぎない。

 ところで、農地法施行後における社会的・経済的事情の変化は当初の予想をはるかに超えるものがあり、特に地価の騰貴、なかんずく都市及びその周辺におけるそれが著しいことは公知の事実である。このような事態が生じたのちに、買収の対価相当額で売払いを求める旧所有者の権利をそのまま認めておくとすれば、一般の土地取引の場合に比較してあまりにも均衡を失し、社会経済秩序に好ましくない影響を及ぼすものであることは明らかであり、しかも国有財産は適正な対価で処分されるべきものである(財政法九条一項参照)から、現に地価が著しく騰貴したのちにおいて売払いの対価を買収の対価相当額のままとすることは極めて不合理であり適正を欠くといわざるをえないのである。のみならず、右のような事情の変化が生じたのちにおいてもなお、買収の対価相当額での売払いを認めておくことは、その騰貴による利益のすべてを旧所有者に収得させる結果をきたし、一般国民の納得を得がたい不合理なものとなつたというべきである。他方、改正前の農地法八〇条による旧所有者の権利になんらの配慮を払わないことも、また、妥当とはいえない。特別措置法及び同法施行令が売払いの対価を時価そのものではなくその七割相当額に変更したことは、前記の社会経済秩序の保持及び国有財産の処分の適正という公益上の要請と旧所有者の前述の権利との調和を図つたものであり旧所有者の権利に対する合理的な制約として容認されるべき性質のものであつて、公共の福祉に適合するものといわなければならない。

 このように特別措置法による売払いの対価の変更は公共の福祉に適合するものであるが、同法の施行前において既に自作農の創設等の目的に供しないことを相当とする事実の生じていた農地について国に対し売払いを求める旨の申込みをしていた旧所有者は、特別措置法施行の結果、時価の七割相当額の対価でなければ売払いを受けることができなくなり、その限度で買収の対価相当額で売払いを受けうる権利が害されることになることは、否定することができない。しかしながら、右の権利は当該農地について既に成立した売買契約に基づく権利ではなくて、その契約が成立するためには更に国の売払いの意思表示又はこれに代わる裁判を必要とするような権利なのであり、その権利が害されるといつても、それは売払いを求める権利自体が剥奪されるようなものではなく、権利の内容である売払いの対価が旧所有者の不利益に変更されるにとどまるものであつて、前述のとおり右変更が公共の福祉に適合するものと認められる以上、右の程度に権利が害されることは憲法上当然容認されるものといわなければならない。

 なお、論旨は、特別措置法二条にいわゆる適正な価額は、買収の対価相当額に年五分の法定利息を付した額又は農林大臣の認定義務が生じた時期における当該土地の農地価格によるべき旨を主張するのであるが、前述した買収農地売払制度の趣旨及び農地法施行後における地価の著しい騰貴の事実にかんがみると、同条にいう適正な価額を右のように解すべき理由はない。

 以上の次第であつて、特別措置法二条、同法附則二項及び同法施行令一条は、なんら憲法二九条に違反するものではなく、論旨は、採用することができない。

 二 憲法一四条違反の主張について

 憲法一四条は、もとより合理的理由のある差別的な取扱いまでをも禁止するものではないから、特別措置法の立法に前述のような合理的理由がある以上、たとえ前記のように国に対して当該買収農地の売払いを求める権利を取得した者について、同法の施行日前に売払いを受けた場合と同法の施行日以後に売払いを受ける場合との間において差別的な取扱いがされることになるとしても、これをもつて違憲であるとすることができないことは明らかである。論旨は、採用することができない。

 同第三点について

 所論のうち事実誤認をいう点は、原判決に所論の違法がなく、また、その余の点に関する原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、いずれも採用することができない。

 よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法三九六条、三八四条、九五条、八九条に従い、裁判官岸上康夫の補足意見、裁判官高辻正己、同環昌一、同藤崎萬里の各意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

 裁判官岸上康夫の補足意見は、次のとおりである。

 わたくしは多数意見の結論及び理由に全面的に同調するものであるが、多数意見の理由に対する高辻裁判官の意見に関連してわたくしの考えるところを若干述べておきたい。

 同裁判官はその意見(以下「高辻意見」という。)の四において、(イ)自作農の創設等の目的に供しないことを相当とする事実の生じた買収農地の旧所有者が特別措置法の施行前に国に対しその農地の売払いを求める旨の申込みをした場合には、そのことによつて直ちに、国において当該旧所有者に対しその農地の売払いをなすべき義務を履行しその売払いを応諾する意思表示をなすべき拘束を受ける、という法律関係が国との間に設定されるから、その必然の結果として旧所有者は改正前の農地法八〇条二項に定める買収の対価相当額でその農地の買売受けを実現し経済上の利益を収受することになるのであり、このように、既に国との間に設定されている個別の法律関係に事後に制定された法律を適用してその権利者の財産的利益を害することは、財産権の不可侵を定める憲法二九条一項の問題であつて、これを財産権の内容は公共の福祉に適合するように法律で定めることができる旨を規定する憲法二九条二項の問題としてとらえることは誤りであるのに、多数意見はこの両者の性質上の区別を識別せず、後者の問題における公共の福祉に適合するとされる理由をもつて前者における財産的利益の侵害を相当とする理由としている、と指摘され、また、更に、(ロ)多数意見の立場に立てば、社会政策上の一般的見地を主眼として考慮される公共の福祉に適合するのである限り、個人の財産的利益を害することも常に是認されることになりかねないが、このような個人の財産的利益に対する侵害を当該個人に甘受させるについては、それを相当とするような公益上の必要性のあることを要するのに、多数意見にはこの点の理由の説示を欠いている、と指摘される。

 しかしながら、

 (1) 多数意見の趣旨は、わたくしの理解するところによれば、買収農地について自作農の創設等の目的に供しないことを相当とする事実が生じた場合には、その買収農地の旧所有者は国に対し当該農地の売払いを求める権利を取得し、その反面、国は旧所有者の求めに応じて当該農地の売払いを承諾すべき義務を負う、という私法上の権利義務の法律関係が両者間に発生すると解すべきものであつて(多数意見の引用する大法廷判決参照)、この法律関係は旧所有者が売払いの申込みをした後においても基本的には変わることはなく、依然旧所有者は右の権利を有し国は右の義務を負担するという法律関係が存在するにとどまり、この関係は高辻意見がいわれるような「権利の内容を超えて現存する個別の法律関係」とみることができるようなものではない、というのである。そうすると、国に対し売払いの申込みをすませた旧所有者の有する権利の性質及びこの権利に基づく経済的利益の評価の点において、高辻意見は多数意見と全く見解を異にするものであつて、このような見解を前提とする高辻意見の立論には、わたくしとして賛成することはできない。

 (2) また、法律による財産権の内容の変更が公共の福祉に適合するものであるかどうかを判断するにあたつては、その法律の施行により従前の法律で認められていた個人の財産権の内容がその個人の不利益に変更され、その結果個人の権利が害される場合のあることを考慮するを要することは当然であつて、そのような個人の権利に対する侵害を伴う財産権の内容の変更が、当該財産権の性質、権利侵害の程度及びそれによつて保護されるべき公益の性質などを総合的に勘案して、当該財産権に対する合理的な制約として容認されるべきものであるかどうかを判断すべきである、というのが多数意見の見解であるとわたくしには理解されるのであるが、この点を本件の事案に即し今少しくふえんすれば次の通りである。すなわち、特別措置法は、農地法八〇条により国が買収農地の旧所有者にその農地を売り払う場合の対価を、改正前の農地法八〇条二項に定められていた「買収の対価に相当する額」から特別措置法二条、同法施行令一条に定める売払いの時における「時価の七割に相当する額」に値上げすることを定めたものであるが、特別措置法の施行前に既に自作農の創設等の目的に供しないことを相当とする事実の生じた農地の旧所有者は国に対しその農地の売払いを求める権利を取得し、この旧所有者が国に対し売払いの申込みをしたときはその者(上告人はこのような旧所有者の一人である。)が有する右の権利に基づく財産的利益は、国の承諾さえあれば「買収の対価に相当する額」というきわめて低廉な対価での売買契約が成立するという程度に具体化された利益であるとみることができるのであるが、前記のような値上げを含む特別措置法の施行の結果、旧所有者は値上げされた「時価の七割に相当する額」の対価を支払わなければ売払いを受けることができないこととなり、その限度で財産上の不利益を受け実質的にその権利を害されることになるのであるから、このことを考慮に入れたうえ、多数意見が判示するように、当該財産権の性質、その内容変更の程度及び公益の性質などを具体的に総合勘案した結果、特別措置法による売払いの対価の値上げは公共の福祉に適合する財産権の内容の変更として憲法上許されるべきものであると共に、その変更の結果として旧所有者が財産上の不利益を被りその権利を害されるとしても、その財産権の内容の変更が右のように公共の福祉に適合するものとして憲法上許されるものである以上、この権利侵害もまた、憲法上当然に容認されるべきであるというのである。そして、これは、借地契約の更新拒絶を正当の事由によつて制限した借地法四条一項の合憲性に関する当裁判所昭和三四年(オ)第五〇二号同三七年六月六日大法廷判決・民集一六巻七号一二六五頁及び昭和九年法律第四八号による改正後の旧著作権法(明治三二年法律第三九号)三〇条一項八号の合憲性に関する当裁判所昭和三四年(オ)第七八〇・七八一号同三八年一二月二五日大法廷判決・民集一七巻一二号一七八九頁等の当審判例の判示するところと基本的には同じ見解であると考えられる。

 このように、多数意見は、特別措置法による財産権の内容の変更が公共の福祉に適合するかどうかの判断を単に社会政策上の一般的見地のみからしているものではなく、公益の点を含む前記諸般の事情を総合勘案したうえこれをしているのであり、また、右特別措置法による財産権の内容の変更の結果、権利者である旧所有者個人の権利が害されることも考慮のうえ、当該権利者をしてその権利侵害を甘受させることは憲法上容認されるべきものであるとし、かつその理由を説示していることは明らかであるというべきである。したがつて、これらの点に関する高辻意見の前記各指摘はいずれも当らないというの外はない。

 裁判官高辻正己の意見は、次のとおりである。

 私は、多数意見と結論を一にするものであるが、憲法二九条違反をいう上告人の所論に関し多数意見が説くところについては、疑問なきを得ず、同調することができない。よつて、以下、その点を明らかにし、私の意見を述べる。

 一 農地法八〇条(昭和四六年法律第五〇号による改正前のものをいう。以下同じ。)一項は、買収農地等について、農林大臣が、「政令で定めるところにより、自作農の創設又は土地の農業上の利用の増進の目的に供しないことを相当と認めたときは、省令で定めるところにより、これを売り払い、又はその所管換若しくは所属替をすることができる。」と規定し、その二項は、一項の規定により、農林大臣が自作農の創設等の目的に供しないことを相当と認め、かくして売り払うことができることとなるに至つた買収農地は、原則として、買収前の所有者又はその一般承継人(以下「旧所有者」という。)に売り払わなければならず、その対価は買収の対価に相当する額とする旨を定めている。この規定によれば、買収農地が旧所有者に売り払われることになるかならないかは、農林大臣がこれを政令の定める基準に照らし自作農の創設等の目的に供しないことを相当と認めるか否かにかかる、とされていることが明らかである。

 二 このような規定である農地法八〇条の下において、多数意見は、当裁判所昭和四二年(行ツ)第五二号同四六年一月二〇日大法廷判決(民集二五巻一号一頁)を踏襲し、買収農地について「自作農の創設等の目的に供しないことを相当とする事実が生じた場合」には、農林大臣がこれを相当と認めるか否かにかかわりなく、直ちに、「当該農地の旧所有者は国に対して同条二項後段に定める買収の対価相当額をもつてその農地の売払いを求める権利を取得するものと解するのが相当」と断じている。そして、多数意見は、「自作農の創設等の目的に供しないことを相当とする事実」がどのような事態の出現によつて発生し、その発生がどのような時点において確定したとされるのであるかを、なにも、明らかにしていない。

 右のような見解が買収農地の法律上の性質に由来して当然に生ずるものでないことは、多数意見自らが指摘するとおりである。すなわち、自作農創設特別措置法によつて国に買収された農地がその後の事情の変化により自作農の創設等の目的に供しないことを相当とするようになつたとしても、その買収が本来すべきでなかつたものになるわけではなく、また、右買収農地が正当な補償の下に国有の財産となつたものである以上、その後になつて右のような事情の変化が生じたとしても、法の見地において当然に、旧所有者に返還しなければならないこととなるものではない。そのような場合でも、これを旧所有者に回復させることにするかどうかは、立法にゆだねられた政策上の問題にほかならないのである。多数意見が前記のように解するのも、「買収農地が自作農の創設等の目的に供しないことを相当とする事実が生じたときは旧所有者に買収農地を回復する権利を与えることが立法政策上当を得たものであるとして、その趣旨で農地法八〇条の買収農地売払制度が設けられたものと解される」との、その見解に立脚してのことであるが、問題なのは、多数意見が「立法政策上当を得たものである」との趣旨でとられたものと推断するところが、果たして、農地法八〇条の文意に照らし、現にそこに成文化されているところのものと認められるかどうか、である。

 三 思うに、買収農地は、農地としての性質を保有し、農耕の用に供されてきていたものであり、農地の買収が、多数意見もいうように、自作農の創設による農業生産力の発展等をその目的とするものであることにかんがみれば、これを自作農の創設の目的に供しないことを相当とし、旧所有者に回復させることとするについては、政治部門の機関が、立法にゆだねられた政策上の問題として、これをあえて相当とするに足る合理的な事由が存在していなければならないとする考え方をとることを、いわれのないものとして、排斥することはできない。この場合、その合理的な事由は、買収農地が災害により農地としての機能を回復し得ないまでに喪失したというような特殊の場合は別として、一般には、当該買収農地を自作農の創設の目的に供することとその目的以外の他の目的に供することとの社会的価値の比較考量にかかわるところなきを得ないものというべく、その事由の有無の判定については、事実の認定とそれに基づく判断の過程が存在せざるを得ない筋合いのものと考えられる。このような考え方に立つて、右の認定判断の時宜に適した基準の設定を国会が内閣に一任し、農林大臣が、その基準に照らし、当該農地につき自作農の創設等の目的に供しないことを相当と認めた場合において、はじめて、これを旧所有者に売り払うことができることにするというのも、ことの合理性に欠けるものがあるとはいえず、立法にゆだねられてよい政策上の措置であることを失わない。

 農地法八〇条の規定が前記一に記述のとおりであるのは、同条をもつて右のような政策上の措置を成文化していると解するのが相当であることを示し、多数意見が「立法政策上当を得たものである」との趣旨でとられたものと推断するところを成文化していると解するのが相当でないことを示すもの、といわなければならない。そうすると、同条の規定が前記一に記述のとおりである限り、買収農地を自作農の創設等の目的に供しないことを相当と認めるについての基準を設定するのは内閣が前記の趣旨によりその裁量においてなすべきところであり、その基準に照らしこれを相当と認めるのは農林大臣がその職責においてなすべきところである、としなければならず、したがつて、司法部門の機関が右の基準を自ら設定し、右の認定を自らすることを是認するに帰するがごとき見解を採る余地はない、といわなければならない。

 四 仮に、多数意見に従い、農地法八〇条の規定上、買収農地の旧所有者は、当該農地について自作農の創設等の目的に供しないことを相当とする事実が生じた場合には、国に対しその売払いを求める権利を取得するものであり、その反面において、旧所有者がその権利を行使したとき、国は、その求めに応じ当該農地の売払いをなすべき義務を負うものであるとすれば、その権利は、元来が売払いを求める権利なのであるから、同意見がいうように、当該農地についての売買「契約が成立するためには更に国の売払いの意思表示又はこれに代わる裁判を必要とするような権利」であるのが当然であるけれども、旧所有者が同条の規定に基づき国に対して右の売払いを求める権利を取得し、これを既得の権利として保有するにとどまつているのではなく国に対して行使し、その権利の内容である売払いを求める旨の意思表示をしたときは、そのことによつて直ちに、国において当該旧所有者に対し右の売払いをなすべき義務を履行しその売払いを応諾する意思表示をなすべき拘束を受けるという法律関係が、国との間に設定され、その法律関係について司法的保障を享受する当該旧所有者は、法の規律するところによつておのずから、同法八〇条二項が売払いの対価として定める買収の対価相当額をもつて当該農地の買受けを実現し、経済上の利益を収受するということになる。この経済上の利益は、多数意見の見解に従えば、右のように、当該旧所有者の意思表示に基因し、法の規律するところによつておのずと収受される次第のものであるから、右の売払いを求める意思表示を現にした当該旧所有者にとつては、もはや、その財産的利益に属するものと目されるにふさわしい。そうすると、旧所有者が右の意思表示をし、これを基因として当該農地につき国との間に個別の法律関係が設定されるに至つた後に、法令を制定し、前記の売払いの対価を当該土地の時価の七割相当額に変更し、その適用を現に存在する右個別の法律関係についても及ぼすということになれば、当該旧所有者の財産的利益は、当然、害されることになるわけであり、その法令の適用については、それが財産権の不可侵をいう憲法二九条一項に抵触しないゆえんの理由を明らかにしなければならないこととなる。けだし、同条項の定める財産権の不可侵は、個人が公共の福祉に適合するように既に法律でその内容が定められている財産権を現に行使し、そのおのずからの成果として現実に収受される財産的利益の保護につきいうところがないと解すべき、合理的理由があるとは解されないからである。

 ところで、多数意見は、前記大法廷判決の見解に一歩を進め、買収農地の売払いの対価が買収の対価相当額と法定されていることも買収農地の売払いを求める旧所有者の権利の一内容をなすものであると解し、更に、前記財産的利益の害されることも、単に、旧所有者が取得した買収農地の売払いを求める「権利の内容である売払いの対価が旧所有者の不利益に変更されるにとどまるもの」であると解したうえ、国有農地等の売払いに関する特別措置法及び同法施行令が右の対価を買収の対価相当額から当該土地の時価の七割相当額に変更することにしたのは、憲法二九条二項における財産権の内容を公共の福祉に適合するように定めたものにほかならないとして、その変更が同条項にいう公共の福祉に、したがつて憲法に、適合するものとするゆえんを説きつくし、余すところがない。

 しかし、法律に定められている権利の内容を変更することと、その変更をした法律を既に国との間に設定されている前記個別の法律関係に適用し、よつて旧所有者の財産的利益を害することとは、本来、その性質を異にするものであつて、前者の権利内容の変更を、現に保有されるにとどまつている既得の権利の内容に加えられる場合のそれを含め、憲法二九条二項の問題として論じることが理にかなつたものであることはいうまでもないけれども、今や権利の内容を超えて現存する個別の法律関係が法の作用の成果として生み出す後者の財産的利益を害することも旧所有者の権利の内容をその不利益に変更するにとどまるものであるとし、これを同条二項の問題としてとらえることが、理にかなつたものであるとは考えられない。したがつて、法律の定める旧所有者の権利内容をその不利益に変更することが憲法の右条項にいう、社会政策上の一般的見地に主眼のおかれた、「公共の福祉」に適合するものとする理由をいかに理をつくして説明してみても、その理由をもつて、旧所有者の財産的利益を加害の限度においてではあるにせよ代償なしに剥奪し、よつて生ずる損失を当該個人に甘受させるのが相当であるとすることの理由とするのは、無理なことであると考えざるを得ない。もしも、両者の性質上の区別を識別せず、後者の財産的利益を害することも、旧所有者の権利の内容をその不利益に変更するにとどまるものであるとし、その変更が右の公共の福祉に適合するとされる理由をもつて旧所有者の財産的利益の侵害を相当とする理由を明らかとするに足りるというのであれば、それは、ひろく、個人がその財産的利益にかかる一定の給付を国に対して請求する権利を有し、国が請求に応じてその給付をなすべき義務を負う場合において、当該個人がその権利を行使し、その内容である給付の請求を国に対して行い、国がその請求に応じその給付をなすべき拘束を受け、当該個人が法の規律するところによつておのずからに収受する財産的利益は、憲法二九条一項の定める財産権の不可侵にもかかわらず、それが私有財産として正当な補償の下に公共のために用いられる場合ないし、おそらくは代償を伴うべきものとして多数意見がいう「権利自体が剥奪されるような」場合のほかは、すべて、これを害することが、権利の内容を変更するにとどまるものであるとして、同条二項の社会政策上の一般的見地を主眼とした公共の福祉に適合するのである限り、常に是認される旨をいうにほかならないことになりかねない。そのような点に思いを致すと、なお更、多数意見において、前記現存の法律関係の法の作用の成果として現実に収受される財産的利益を害することが財産権の不可侵を定める憲法に適合するものとみられるためには、その侵害が社会政策上の一般的見地を主眼とした公共の福祉に適合するものであるとすることについてではなく、その侵害によつて被る損失を当該個人に甘受させるのが相当とされるような公益上の必要性があり、その侵害が右の必要性にこそ即してされるものであるとすることについて、合理的な理由が明らかにされなければならないのではないか、という疑問をぬぐい去ることができないのである。

 五 結局、私は、前記三において述べたところに立ち帰り、農地法八〇条の規定上、買収農地について自作農の創設等の目的に供しないことを相当とする事実が生じた場合には、農林大臣がこれを相当と認めるか否かにかかわりなく、直ちに、当該農地の旧所有者が国に対しその農地の売払いを求める権利を取得するに至るとは、解することができない。したがつて、これと異なる見解を採る多数意見には組することができず、その踏襲する前記大法廷判決は、その限り、変更せざるを得ないものと考える。それ故、上告人が、多数意見と同様の見解の下に、旧所有者として既に農地法八〇条の規定に基づき買収の対価相当額で買収農地の売払いを求める権利を取得したとの立場に立脚し、前記の法令がその売払いの対価を買収の対価相当額から当該土地の時価の七割に相当する額に変更したのは旧所有者の財産権を侵害するものであつて憲法二九条に違反するという所論は、立論の前提を欠くものであつて失当というほかはなく、論旨は採用することができないのである。

 裁判官環昌一の意見は、次のとおりである。

 私は、昭和二七年一〇月施行の農地法において新たに設けられてから昭和四六年四月特別措置法の制定とともに改正されるまでの同法八〇条(以下旧八〇条という。)の規定を根拠として、農林大臣に対し買収農地の買受けの申込みをした旧所有者が取得したとされる権利なるものの性質、内容を究明することが、本件の憲法判断において基本的な重要性をもつものと考える。この点について多数意見は、昭和四六年一月二〇日の当裁判所大法廷判決を参照すべき判例として掲げるが、同判決によると、「旧所有者は、買収農地を自作農の創設等の目的に供しないことを相当とする事実が生じた場合には、法八〇条一項の農林大臣の認定の有無にかかわらず、直接、農林大臣に対し当該土地の売払いをすべきこと、すなわち買受けの申込みに応じその承諾をすべきことを求めることができ、農林大臣がこれに応じないときは、民事訴訟手続により農林大臣に対し右義務の履行を求めることができ」るというのであり、多数意見はこれに加えて、このような旧所有者は、特別措置法の施行の結果、時価の七割相当額の対価でなければ売払いを受けることができなくなり、その限度で買収の対価相当額で売払いを受けうる権利が害されることになることは否定することができない旨、また、右の権利は、当該農地について既に成立した売買契約に基づく権利ではなくて、その契約が成立するためには更に国の売払いの意思表示又はこれに代わる裁判を必要とするような権利である旨、を判示する。その趣旨必ずしも明確でないが、少なくとも、旧所有者の申込みがあれば農林大臣にはこれを承諾すべき法的義務を生じ、その反面として旧所有者が取得するものは当然法的権利としての性格をもち、それ故にそれは特別措置法の施行による侵害の対象となるとするものと考えられる。そしてこの点において私は、多数意見と見解を異にするのであつて、以下この点を中心に検討する。

 農地法は、昭和二七年、それまでの農地制度改革に関する中心的立法であつた自創法や農地調整法の廃止にともない、これらに代わるものとして、耕作者の農地取得を促進し、その権利を保護することを主な目的の一つとして制定、施行された法律であり(同法一条)、その目的達成のための法構造としては、従前、自創法が、国(農林大臣を所管行政庁とする)による農地の強制買収とその管理、国より現にその土地を耕作している者または自作農として農業に精進する見込のある者に対する売渡しという方式を基本としてきたところを踏襲したものであることは、その規定の全体の構成に徴して明らかである。同時に、自創法のもとでは、国が買収により取得し、農林大臣が管理する農地について、これを旧所有者に売り払う(実質上は売りもどす)ことは、買収後の社会事情の変化等にかかわりなく全く認められていなかつたのに対し、旧八〇条の規定を新設することによつて、当該農地が自作農の創設等の目的に供しないことを相当とする場合に限つて旧所有者に対する売払いの途を開いたものであることも疑いない。

 しかしながら、上述のような農地法の目的、構成に照らし、かつ、多数意見もいうように買収農地がその後の事情の変化により、自作農の創設等の目的に供しないことを相当とするようになつたとしても、その買収が本来すべきでなかつたものになるわけではなく、また、当然にこれを旧所有者に返還しなければならないこととなるものでない事情を併せ考えると、右旧八〇条の規定は、前記のような方式による農地制度の改革を維持推進する政策を基本的には堅持しつつ、自創法の施行後における土地の利用形態に関する社会事情の変転に対応して調整的機能を果すべき、いわば修整規定として設けられたものとみるべきであり、自創法以来の基本的政策に拮抗するような新しい施策を創設したものとまでみることは相当でない。更に、右規定の文言等に即して考察してみても、それは、他の、いずれかといえば細目的ないし手続的事項に関する規定等とともに「雑則」の章中に置かれており、その一項の文言からは明らかに農林大臣に対する売払いの権限付与の趣旨が読み取れるのであつて、その二項が一項を受けた規定であることからすれば、結局右規定はその実質、表現のいずれの点からしても、右にのべた基本的政策に背馳しない限度で、当該農地が自作農の創設等の目的に供することを相当としないものに当るかどうかを、政令の定めるところに従つて農林大臣をして判断させ、その上でその権限として旧所有者に売り払うことを許容する趣旨を明らかにしたものであつて、立法府が、買収農地という特別の目的をもつて国が保有する国有財産の処分に関し、行政に対して特別の権限を付与する性格をもつ規定とみるべきものである。要するに、右規定の趣旨は、右の判断が、国の農地政策全体に対する考慮を前提としてされるべき、別して政策的、行政的な性格のものであることから、行政なかんずく主管行政庁として長くこの政策の推進を担当、実施してきた農林大臣をして、これをさせるのが最も適切であるとするところにあると考えられ、農林大臣による、右の点についての判断がなされないのに、旧所有者において、当該農地が右規定にあたるとして、国に対し、いわゆる先買権ないしこれに類する権利を主張することまで認めたものとは解されないから、このような旧所有者の申込みに対して農林大臣にこれを承諾すべき法的義務が生ずるものではない。ところで、右旧八〇条一項に制定が予定されている政令である、農地法施行令一六条は、同令が昭和四六年二月改正され、その一項七号として自作農の創設等の目的に供しないことが相当となつた買収農地について農林大臣が旧八〇条一項の認定(前述の判断)ができることとされるまで、同令施行後二〇年に近い間このような規定を欠いていたが、このことは、結局、政府において前記のように立法府から付与された権限の一部を、その判断によつて行使しなかつたことになるというべきであり、その状態が右のような長期間継続していたという事実から、政府の右権限の不行使が前記授権の趣旨に反するものではなかつたとの推認も不可能ではないであろう。

 そこで以上のべたところを総合して、旧八〇条のもとで、買受けの申込みをした旧所有者は、いかなる地位にあつたかを考えてみると、前記農地法施行令が改正されるまでの間においても、旧所有者としては右の規定が新設されたことにより、自創法のもとでは考えられなかつた当該買収農地を国から実質上買いもどすことの可能性が法認されたのであるから、これに期待することは当然であると思われ、そして、その期待の内容は、土地価格の急上昇という公知の事実にかんがみると、経済的、財産的性格の強いものであることは見易いところである。しかしながら、その実現には上述のように政府、直接には政令の定めるところに従つてのみ売り払うことのできる農林大臣による、その権限の行使がなければならないのであつて、旧所有者が旧八〇条の規定の直接の効果として先買権の如き権利を与えられたものではないから、結局のところ旧所有者の有したものは、社会的要請その他何らかの機縁によつて、政府が必要な政令を制定する措置をとり、かつ、農林大臣がこれに従つて更に積極の判断を行うならば、実現するであろうことを期待しうる地位であるというにすぎないものというべきである。

 以上のべたように、少なくとも昭和四六年の改正前の右政令に基づき旧所有者が有していたとされる権利なるものの実体は、法の常識からいつて権利として法の保護の対象と認めるにはあまりにも具体性を欠くものである。もつとも、上告人のように改正後の政令のもとで国に対して売払いの申込みを維持していた旧所有者の地位は、新政令制定の反射的効果として、国との間に売払いの契約の成立する確実性は高いと考えられるが、これとてもなお農林大臣による判断が先行しなければならない点において、未だ単なる期待的地位の性格を多く出るものではなく、それが不法不当な侵害等に対して保護されるべき利益とみられる余地があるかどうかは別として、少なくともこのような地位自体を一個の権利として観念することには首肯し難いものがある。

 以上のべたような見地から本件における憲法上の論点を検討すると、旧所有者が旧八〇条によつて有していた地位が、直ちに憲法二九条に定める財産権保障の対象となるとは解し難い(これに反して旧所有者にいわゆる既得権的な権利をみとめる見解に立てば、このような権利は一般国民が新たにこれを取得する可能性はないから、それは限られた範囲の国民としての旧所有者が特有する権利というべきであり、特別措置法等の制定施行がこの権利を侵害するものであるにかかわらず、その保障に関して何らの立法上の考慮が払われていないことに限つては、憲法一四条、二九条三項の趣旨からする審究をも含めて更に検討が必要であると考える。)。しかしながら更に考えてみると、右のような旧所有者の地位は権利というには当らないものではあるが、農地法が、自創法上全く否定されていた、旧所有者において買収農地を限られた場所であるにせよ一部回復することができる途を開き、旧所有者に、財産権に関連したひとつの期待を与えたことは明らかであるから、このような事情を右憲法の法条との関連で全く無視し去ることもまた、憲法の解釈態度として必ずしも妥当ではないと考えられる。私は、昭和四六年改正後の農地法八〇条、特別措置法二条、同法施行令一条、同法附則二項が、旧所有者に対する売払いの制度そのものはこれを存置した上、その売払いの対価についてもこれを時価の七割とすることによつて、旧所有者の利益についての配慮をしていることに徴し、また、多数意見が、一般論として憲法二九条一、二項の趣旨について判示するところ及び右特別措置法、同法施行令の規定が売払いの対価を買収価格相当額から時価の七割に変更したことが、公共の福祉に適合するものであり不合理なものとは認められないと判示するところ(これらの点については私にも異論はない。)をあわせ考慮し、これに前述した旧所有者の地位の実質を総合して判断すると、憲法二九条の財産権保障の趣旨を十分に広く解しても、右特別措置法等の規定がこれに違背するものとは考えられない。

 なお私は、上来のべてきたところから明らかなように、前記改正前の農地法施行令一六条の規定が必ずしも旧八〇条の委任の趣旨に反するものとは考えないし、この政令のもとで旧所有者の有する地位を具体性のある権利とも思わない。その点において私は、前記大法廷判決の判示するところには従うことができない。

 裁判官藤崎萬里の意見は、次のとおりである。

 わたくしは、多数意見の結論に賛同するものであるが、多数意見が憲法二九条違反をいう上告人の所論に関して説くところには同調することができない。すなわち、多数意見は、当裁判所昭和四二年(行ツ)第五二号同四六年一月二〇日大法廷判決(民集二五巻一号一頁)を引用して、改正前の農地法八〇条の解釈として、買収農地について自作農の創設等の目的に供しないことを相当とする事実が生じた場合には、当該農地の旧所有者は国に対してその農地の売払いを求める権利を取得するものと判示し、これを前提として国有農地等の売払いに関する特別措置法二条、同法附則二項及び同法施行令一条が憲法二九条に違反するかどうかについて判断しているが、わたくしは、多数意見がその前提としてとる右大法廷判決の見解に従うことができない。その理由は、高辻裁判官がその意見において改正前の農地法八〇条の解釈として述べられているところと同様である。

 よつて、これと異なる前提に立つて、右特別措置法等が旧所有者の財産権を侵害し、憲法二九条に違反する旨をいう上告人の主張は、その立論の前提を欠き失当というべきものである。

    最高裁判所大法廷

        裁判長裁判官  岡原昌男

           裁判官  岸 盛一

           裁判官  天野武一

           裁判官  岸上康夫

           裁判官  江里口清雄

           裁判官  大塚喜一郎

           裁判官  高辻正己

           裁判官  吉田 豊

           裁判官  団藤重光

           裁判官  本林 讓

           裁判官  服部高顯

           裁判官  環 昌一

           裁判官  栗本一夫

           裁判官  藤崎萬里

           裁判官  本山 亨

 

農地改革事件 最高裁大法廷昭和29年判決

憲法判例百選第7版100事件

農地買収に対する不服上告事件

最高裁判所大法廷判決/昭和25年(オ)第98号

昭和28年12月23日

【判決要旨】       自作農創設特別措置法第6条第3項の買収対価は、憲法第29条第3項の「正当な補償」にあたる。―自作農創設特別措置法第14条の訴をもつて、同法第6条第3項の買収対価を超える増額請求はゆるされない。

【参照条文】       日本国憲法29-3

             自作農創設特別措置法6-3

【掲載誌】        最高裁判所民事判例集7巻13号1523頁

             行政事件裁判例集4巻12号2921頁

             裁判所時報149号5頁

             判例タイムズ37号43頁

             判例時報18号3頁

【評釈論文】       ジュリスト200号134頁

             ジュリスト276の2号63頁

             ジュリスト増刊(憲法の判例)81頁

             ジュリスト248の2号148頁

             ジュリスト増刊(憲法の判例第2版)103頁

             ジュリスト増刊(憲法の判例第3版)109頁

             別冊ジュリスト2号16頁

             別冊ジュリスト21号74頁

             別冊ジュリスト28号183頁

             別冊ジュリスト44号104頁

             別冊ジュリスト62号297頁

             別冊ジュリスト68号120頁

             別冊ジュリスト93号320頁

             別冊ジュリスト95号166頁

             別冊ジュリスト123号324頁

 

       主   文

 

 本件上告を棄却する。

 上告費用は上告人の負担とする。

 

       理   由

 

 上告人A訴訟代理人神谷健夫、同松浦松次郎、同峯田猪之助、同小林正一の上告理由(後記)第一点及び第三点について。

 政府が、自作農創設特別措置法(以下自創法という)三条によつて農地を買収する場合は、自創法一条に定める目的を達するために行うのであり、もとより所有者に対し憲法二九条三項の正当な補償をしなければならないことはいうをまたない。しかるに自創法六条三項によれば、農地買収計画による対価は、田についてはその賃貸価格の四〇倍、畑についてはその賃貸価格の四八倍を越えてはならないという趣旨が定められている(以下この最高価格を買収対価又は単に対価という)。よつて自創法の定めるこの対価が憲法二九条三項にいわゆる正当の補償にあたるかどうかを考えて見なければならない。

 一、まず憲法二九条三項にいうところの財産権を公共の用に供する場合の正当な補償とは、その当時の経済状態において成立することを考えられる価格に基き、合理的に算出された相当な額をいうのであつて、必しも常にかかる価格と完全に一致することを要するものでないと解するを相当とする。けだし財産権の内容は、公共の福祉に適合するように法律で定められるのを本質とするから(憲法二九条二項)、公共の福祉を増進し又は維持するため必要ある場合は、財産権の使用収益又は処分の権利にある制限を受けることがあり、また財産権の価格についても特定の制限を受けることがあつて、その自由な取引による価格の成立を認められないこともあるからである。

 二、よつてすすんで自創法六条三項に定める対価の構成を考えて見るに、この対価基準はすでにいわゆる第一次農地改革の時期における改正農地調整法六条の二(昭和二〇年一二月二八日法律第六四号昭和二一年一月二六日農林省告示第一四号参照)に基いているのであるが、まず対価の採算方法を地主採算価格によらず自作収益価格によつたことは、農地を耕作地として維持し、耕作者の地位の安定と農業生産力の維持増進を図ろうとする、農地調整法(以下農調法という)よりいわゆる第二次農地改革において制定された自創法(昭和二一年一〇月二一日法律第四三号)に及ぶ一貫した国策に基く法の目的からいつて当然であるといわなければならない。そこでこの採算方法に従つて生産高の基準を田について算出された平均水稲反当の玄米実収高二石(昭和一五年より同一九年までの五個年平均)に置き、これを比率によつて供出分(一石一四三)と保有分(〇・八五七)に分ち、それぞれ昭和二〇年末における生産者価格(石一五〇円)と売渡価格(石七五円)とによつて金額に換算し、この金額(二三四円三六)に副収入(一四円三九)を加えた金額(二四八円七五)を反当粗収入として対価算出の基礎としたことは計算の項目において合理的であるばかりでなく、数字においてもその時期(前掲第一次農地改革)において合理的であつたといわなければならない。そしてこの計算の基礎とされた前記米価は、いわゆる公定価格(食糧管理法三条二項四条二項)であるが、このように米価を特定することは国民食糧の確保と国民経済の安定を図るためやむを得ない法律上の措置であり、その金額も当時において相当であつたと認めなければならないから、農地の買収対価を算出するにあたり、まずこの米価によつたことは正当であつて、所論のように憲法の規定する正当の補償なりや否やを解決するについての標準とはならないということはできない。さらに右反当粗収入の金額より反当生産費用(二一二円三七)を控除した残額(三六円三八)がすなわち耕作者としての反当純収益であるが、耕作者としては利潤を見なければならないから、これを反当生産費用の四分(八円五〇)とし、これを控除した額(二七円八八)が結局耕作者が土地を所有することによつて得る地代部分に相当する金額であることは、その算出過程においてなんら不合理を認めることはできない。この地代部分(二七円八八)を取得する元本を当時の国際利廻り三分六厘八毛により還元して算出するときは、反当相当額七五七円六〇銭となり、この金額がすなわち農地の自作収益価格に外ならない。自創法六条三項の規定は、当時の中庸田の反当標準賃貸価格(一九円〇一)をもつてこの自作収益価格を除するときは、その四〇倍弱(三九・八五)となるので一般に適合する算出基準として賃貸価格の四〇倍と定めこれを買収対価としたのである。畑の買収対価については、田の反当売買価格(七二七円)と畑の反当売買価格(四二九円)との比率(五割九分D銀行昭和一八年三月調査)を田の自作収益価格(七五七円六〇)に乗じて算出した畑の自作収益価格(四四六円九八)が、中庸畑の反当標準賃貸価格(九円三三)の四八倍弱(四七・九〇)となるので、これを田の場合と同じく一般に適合する算出基準として賃貸価格の四八倍と定めたのである。以上のとおり田と畑とに通じて対価算出の項目と数字は、いずれも客観的且つ平均的標準に立つのであつて、わが国の全土にわたり自作農を急速且つ広汎に創設する自創法の目的を達するため自創法三条の要件を具備する農地を買収し、これによつて大多数の耕作者に自作農としての地位を確立しようとするのであるから、各農地のそれぞれについて、常に変化する経済事情の下に自由な取引によつてのみ成立し得べき価格を標準とすることは許されないと解するのを相当とする。従つて自創法が、農地買収計画において買収すべき農地の対価を、六条三項の額の範囲内においてこれを定めることとしたのは正当であつて、補償の額は少くともこの基準以内であれば足り、これを越えることを得ない最高限を示したものに外ならない。上告人所論のように、この対価基準は、買収当時の一般経済事情を考慮して、これを越えた額を定めることのできる一応の標準を示したに止まるものと解することはできない。

 三、さらに前記買収対価の外に、農地所有者に対しては、その農地の面積に応じ特定の基準(田反当二二〇円畑同一三〇円)による報償金が交付される(自創法一三条三項四項)。この算出方法は、農地の所有者が自ら耕作せずこれを賃貸して小作料を収益する場合に考えられる価格であつて、まず田については前記反当二石の基準小作料は普通田の小作料基準(三割九分)により七斗八升となるのであるが、小作料はすでに現物によらず金納となつているから(改正農調法九条の二)、これを地主価格の石当米価(五五円)により換算するときは四二円九〇銭となり、これより地主の負担すべき反当土地負担六円八九銭(昭和一八年三月D銀行調査普通出反当土地負担に昭和一九年地租増加額を加算)を減じた額(三六円〇一)が地主の純収益である。これを前記買収対価の場合と同じく国債利廻りにより還元した金額(九七八円五三)がすなわち地主採算価格であつて、これと前記田の自作収益価格(七五七円六〇)との差額(二二〇円九三)が報償金(端数切捨)の金額である。畑については、前記買収対価の場合と同じく田との比率により算出した地主採算価格(五七七円三三)と畑の自作収益価格(四四六円九八)との差額(一三〇円三五)が畑の報償金(端数切捨)である。すなわち報償金によつて地主採算価格の面よりする合理的補償も考慮されているのであつて、その算出の項目と数字がいずれも客観的且つ平均的標準でなければならないことは買収対価について述べたとおりである(二末段参照)。このように、前記買収対価の外に、地主としての収益に基き合理的に算出された報償金をも交付されるのであるから、買収農地の所有者に対する補償が不当であるという理由を認めることはできない。

 四、さらにすすんで前記自創法六条三項の買収対価は改正農調法六条の二(昭和二一年農林省告示第一四号参照)に基くものであつて、その後の経済事情の変動にかかわらずそのまま据え置かれ、本件上告人の畑について買収令書が交付された昭和二二年一一月二五日においても変更がなかつたのであるが、上告論旨はこの点に関し、ある時期に正当な補償たるに十分な価格といえども、他の時期には経済事情の変化によつて正当な補償たるに足りないことがあり得るのであつて、専ら買収処分当時における経済事情を基準として正当な補償か否かを決定すべきものであると主張するから、この点について考えて見るに

 (一)およそ農地のごとくその数量が自然的に制約され、生産によつて供給を増加することの困難なものは、価格の成立についても一般商品と異なるところがあり、収益から考えられる価格も、土地の面積は本来限定されているから、生産に自から限度があるばかりでなく一般物価が高くなつても生産費がこれと共に高くなれば、収益は必しもこれに伴うものでなく、従つて収益に基く価格は物価と平行するとはいえないのである。また農地の性質上主として需要に依存する価格が考えられるが、価格が国家の施策によつて特定されるに至るときは、かかる価格も自由な取引によつて成立することはほとんど不能となり、単にその公定又は統制価格が、当時の経済状態における収益との関係において著しい不合理があるかどうかの問題を残すに過ぎないと見なければならない。

 (二)そこでわが国における農地制度の国策の進展を見るに、すでに昭和一三年四月農調法を制定し、農地の所有者及び耕作者の地位の安定と農業生産力の維持増進を図り、もつて農地を調整し(一条)、併せて自作農創設維持(四条六条七条)を達成することに着手したのであるが、この方向に進む施策は、戦争の危機が近ずくに伴つて次第に強化の一途をたどり、ついに終戦後における連合国の強力な推進によつてさらに飛躍し自創法の成立を見るに至つたのである。従つて自創法の定める農地買収計画のごとき強度の改革は、連合国の指令によらなければ速急に実現することはなかつたであろうが、わが国策の軌道の上に考えられないことではなかつたのであつて、他のある制度のように連合国の指令によらなければその実現を全く考えられなかつたものとは類を異にすると見なければならない。この点について農地調整法成立後わが国の農地の性質が変化して行つた経路をたどつて見ると、(1)特定の自作農地は譲渡その他の処分に一定の制限を附されていたが(昭和一三年四月農調法六条)、これらの制限はさらに一般農地に拡張されるに至り(昭和一九年三月改正臨時農地等管理令七条の二昭和二〇年一二月改正農調法五条)、(2)農地はこれを耕作以外の目的に変更することを制限されていたが(昭和一六年二月臨時農地等管理令三条五条)、この制限はさらに改正農調法に引継がれ(昭和二一年一〇月改正同法六条)、(3)小作料は原則として昭和一四年九月一八日の額に据え置かれたが(昭和一四年一二月小作料統制令三条)、この据置の趣旨はさらに改正農調法に引継がれ(昭和二〇年一二月改正同法九条の三)、(4)次で小作料は原則としていわゆる金納と定められ(昭和二〇年一二月改正農調法九条の二)、(5)農地の価格は特定の基準に統制され(昭和一六年一月臨時農地価格統制令三条)、この統制は改正農調法に引継がれた(昭和二〇年一二月改正同法六条の二)。このように農地は自創法成立までに、すでに自由処分を制限され、耕作以外の目的に変更することを制限され、小作料は金納であつて一定の額に据え置かれ、農地の価格そのものも特定の基準に統制されていたのであるから、地主の農地所有権の内容は使用収益又は処分の権利を著しく制限され、ついに法律によつてその価格を統制されるに及んでほとんど市場価格を生ずる余地なきに至つたのである。そしてかかる農地所有権の性質の変化は、自作農創設を目的とする一貫した国策に伴う法律上の措置であつて、いいかえれば憲法二九条二項にいう公共の福祉に適合するように法律によつて定められた農地所有権の内容であると見なければならない。

 (三)また自創法六条三項の対価基準の定められた以後における諸物価の値上りとの関係を見ると、農地にもつとも密接な米価についていつても、対価決定当時(昭和二〇年末)の生産者価格(石一五〇円)と売渡価格(同七五円)は、本件買収令書交付の時(昭和二二年一一月二五日)までにいずれも数回改訂されていることが認められる。しかしながらこの米価の改訂は、戦後における経済事情の急変により主として生産費が著しく上昇したのに対応した措置であり、生産者たる耕作者を基準とする米価対策の上から当然であつて、なんら生産そのものに直接関係のない地主たる農地所有者に対し、その農地価格をこれに応じ直ちに改訂しなければならないものではない。また法律により定められる公定又は統制価格といえども、国民の経済状態に即しその諸条件に適合するように定められるのを相当とするけれども、もともとかかる公定又は統制価格は、公共の福祉のために定められるのであるから、必しも常に当時の経済状態における収益に適合する価格と完全に一致するとはいえず、まして自由な市場取引において成立することを考えられる価格と一致することを要するものではない。従つて対価基準が買収当時における自由な取引によつて生ずる他の物価と比べてこれに正確に適合しないからといつて適正な補償でないということはできない。

 三、以上に述べた理由により自創法六条三項の買収対価は憲法二九条三項の正当な補償にあたると解するを相当とし、これと異なる上告人の主張はすべて独自の見解に立つものであつて採用することはできない。従つてまた原判決が憲法二九条三項に反するという論旨も理由がない。

 同第二点について。

 原判決は、すでに自創法六条三項の買収対価が憲法二九条三項に違反するものでないと判断したのであつて、その正当なることは第一点及び第三点について説明したとおりであるから、これと異なる見解を前提として原判決の審理不尽を主張する論旨は理由がない。

 よつて民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、主文のとおり判決する。

 この判決は裁判官栗山茂の補足意見、裁判官井上登、同岩松三郎、同真野毅、同斎藤悠輔の各反対意見を除く外全裁判官一致の意見によるものである。

 裁判官栗山茂の補足意見は次のとおりである。

 憲法二九条三項の「正当な補償」について少数説もあるので私かぎりの意見を補足する。

 憲法二九条三項にいう「公共のために用ひる」というのは、私有財産権を個人の私の利益のために取上げないという保障であるから、その反面において公共の利益の必要があれば権利者の意思に反して収用できる趣旨と解すべきである。(同項はその英文と同じ意味であると解すべきであろう。)同項にいう公共の用というのは公共の利益をも含む意味であつて何も必しも物理的に公共の使用のためでなければならないと解すべきではない。又収用した結果具体的の場合に特定の個人が受益者となつても政府による収用の全体の目的が公共の用のためであればよいのである。本法(自作農創設特別措置法を言う。以下自創法という)の場合のように、第一条にかかげる公共の用のために政府から強制買上された農地が更に特定の小作人に売渡されても収用の目的自体の性質に変りはない。又同項の保障は土地収用法の対象となつている公共事業に限られるものではない。契約上の権利利益でも私有財産権であるから、それが公共の用の必要がある以上は収用できなければならないことは明である。例えば公共の用のために国が特定種類の企業を公有とする場合にこの種企業における個人の株主たる地位を一般的標準によつて画一的に強制買上できないものではないと思う。一般的標準による画一的買収が具体的の収用に妥当するかどうかは、むしろ正当な補償の問題として考慮せられるべきものであろう。何れにしても憲法二九条三項の収用が通常土地収用法の対象となつている公共事業に適用されるということから、同項の適用が同法が採用している形式に限らるべき理はない。憲法二九条三項の保障は第一義的には公共の用のためでなければ私有財産権を収用されないことであり、第二義的には収用に対する正当な補償の支払である。同項の収用は公共の用を目的とするものであるが、収用される私有財産権は同条二項により公共の福祉に適合するように定められている内容のものであつて、三項の正当な補償というのはこの私有財産権の損失の填補である。そもそも資本主義が高度に発達した現代ことに第一次大戦について第二次大戦を経た後の自由諸国の通念では、私有財産権は資本として、それを持つている者が持つていない多数の者を支配し制圧するから、財産権は公共の福祉に適合するように社会的義務で裏付されているのである。わが憲法ももとより同じ理念から出ていることは同法二五条、二八条の諸法条規と併せて二九条の条規を見れば明らかである。ここに財産権というのは不動産に関する権利を設定し移転したり又は財産的給付を受領したり支払つたりする契約上の権利利益も含まれていることは言うまでもない、例えば利息制限法、地代家賃統制令、農地調整法又は農地法、物価統制令等によつて金銭の消費貸借契約、土地建物の地代家賃農地の取引価格等が規制されているのは何れも憲法二九条二項の趣旨によるものである。同項によればたゞに所有権はかりでなく自由契約の内容も、十八世紀から十九世紀の初頭にかけた時代のように意思の自由が至高なものではなく常に公共の福祉によつて規制されるというのである。即ちそれぞれの財産権の内容が法律で定められる程度は、その財産権を持つている者の利益を尺度としてでなく、公共の福祉がその尺度となるというのである。それ故かような内容の私有財産権を収用しうるために法律が正当な補償を定めるに当つては、そうして又裁判所が正当な補償かどうかを判断するにしても、収用を必要とする公共の利益と被収用者の個人の利益とを比較するばかりでなく、被収用財産に内在する社会的義務をも勘案しなければならないことは明である。それ故正当な補償をするために社会的に見て合理的な基準で私有財産権が収用されなかつたであろうと同じ程度の価値評価をするにしても、この価値評価は必しも被収用財産の損失の経済評価ばかりでなく社会価値の評価が伴われなければならないことは明である。いうまでもなく収用は政府が権利者と自由取引の上でするのではなく、公共の用のために権利者の意思に反して強制買上をするものであるから被収用者が自由取引で得たであろう利益を補償すべき理はない。言いかえれば被収用者を利得せしめるために収用するものではないから少数説中に主張されているように被買収者が正当と思料するような市場価格とか個々の私有財産権の客観的価値に対応する等価値対価とかの補償といつたような自由取引を建前とし且社会価値の評価を無視する私有財産権の偏重は憲法二九条二項三項の趣旨にも副わない解釈と言わなければならない。私は以上の見地から自創法による補償を考えて見ることとする。自創法制定当時における地主の農地所有権は農調法によつて、処分の制限、使用目的の変更の制限、土地取上の制限、小作料の金納化とその統制等のいろいろの規制の下におかれていたのである。言いかえれば農地所有権の内容は憲法二九条二項により封建的支配権たる性質を失わしめられて、自ら耕作して収益すべき社会的義務が内在するものとされ従て自ら耕作しない地主にありては統制された金納小作料を受領しうる私有財産権となつていたのである。それ故自創法が自作農を創設するために不在地主の小作地及び在村地主の一定の面積の小作地を収用するには、農調法で統制されていた金銭的小作料を受領しうる利益を内容とする所有権の損失を填補しても敢て憲法二九条の趣旨に反することにはならないわけであるが農調法六条の二に定められている統制額はもともと農地の所有者の意思に反して強制買上をする額として定められたものでないから、自創法六条三項は買収により地主が蒙る損失の填補は、自作収益価格を基本とする農地の対価を支払うことによつて、地主を自ら耕作し収益したであろう本来の状態におくこととしたものであつて、それだけで既に正当な補償ということができる。しかも同法一三条三項四項の報償金の交付によつて当該農地の収量、位置その他の特別の状況を参酌して右対価を補正するものとしているのであるから、私の意見では両者を併せて憲法二九条三項にいう正当な補償たらしめたものと解するのを相当とする。

 次に自創法三条の規定で買収された農地の対価の額に不服ある者は同法一四条で訴を以てその増額を請求することができるのであるが、それはすでに本法によつて定められた買収対価の範囲内における増額の訴であつて、前段説明したような正当な補償の増額の訴と解すべきものではないと思う。もともと憲法二九条二項によつて法律が特定の私有財産権について、その取引とかその価格とかを統制すべきかどうか又は統制するとしてどの程度に統制するのが国民生活上相当であるかどうかというような実質的な相当性は法律自ら公共の福祉を尺度として定めることになつているから、法律に特段の定めがない限り(例えば自創法六条三項但書)法律が定めた統制額の相当性は司法的抑制の外にあることは明らかである。されば本法においては被買収者の増額の訴求権は法律が定めた範囲に限られても裁判所の救済を受ける権利は毫も奪われたことにはならないのである。

 裁判官井上登、同岩松三郎の意見は次のとおりである。

 私達は多数説が本法(自作農創設特別措置法-以下同じ)の買収を憲法二九条三項の買収なりとし、しかも本法六条所定の価額は最高価額であつて、それ以上の訴求を許さないものと解しながら、なお合憲なりとすることに賛成出来ない。先ずその理由から先きに書くことにする。

 本来からいえば憲法二九条三項は例えば鉄道の敷設等公共事業の為めに、これに必要な局部的に限定された個々の土地を買収する様な場合に関する規定であり、汎く全国の地主から農地を取上げてこれを小作人に交付することを目的とする本法買収の如き革命的な場合を考えて居るものとは思えない。(買取した土地も特定の小作人に交付されるのであつて公共の為めに用いられるのではない、この点から見ても二九条三項に適確に当てはまるものではない、「公共の為めに用いる」というのは「公の福祉の為め」というのよりは狭い観念である)なお憲法二九条三項による買収ならば個々の土地について一々その属性特質を調査し鑑定その他によつて各場合における具体的な正当の市場価格を見出さなければならないのであつて、本法買収の如き個性を無視した一般的標準による画一的買収は許されない。(後記法一四についての多数説の解釈参照)また、本件の買収が憲法二九条三項の買収だというならば、同項は飽く迄正当の補償を要件として居るものと見なければならないから、被買収者は買収価格が正当でないと思料するときは、正当価格に達する迄増額を裁判所に訴求する権利を持たなければならない。法律を以て最高額を定め、それ以上の訴求を認めないというが如きは許されない。法第一四条は法定価格内の増額請求を許すだけで、それ以上の訴求は認めない趣旨だと一般に解されて居り、多数説もこの解釈を採るのであるが(法全体の趣旨から見とそう解する根拠が相当あることは私も認めないわけではないが後に記す様な理由で私はこの解釈に賛成出来ない)そうとすると被買収者が法定価格を超過する請求をすれば裁判所はその超過部分については請求額が正当なりや否やの審査をすることなく、不適法の請求として所謂門前払をすることとなり、この部分については被買収者は憲法の保障する権利について裁判所の裁判を受ける権利を常に奪われることとなるであろう。この場合裁判所の裁判とは正当なりや否やの内容に入つた裁判でなければならないのであつて、前記の様な門前払の裁判であつてはならないからである。

 仮りに憲法二九条三項を多数説のように広く解するとしても同条の買収として合憲ならしめる為めには、少なくとも正当価格に達する迄の訴求権を認め、また出訴期間を定めるならば十分余裕ある合理的期間を定めなければならない。憲法二九条三項について最高裁判所によつて多数説の様な理論が認められ、本法所定の如き方法価格による買収が合憲なりとされるならば、これは向後右憲法法条の名において、立法によつて本法の如き無理な買収が繰り返される道を開くことになる虞がある。そして同条一項の保障は大なる危殆にひんするであろう私達はこれを憂うのである。

 本法の買収は被占領中の司令官の指令による農地改革であり、憲法外において為されたものである(一九四五年一二月九日農地改革に関する覚書)。この事は今更私達がいわなくても周知の事実であろう、それだからこそ当時地主達も誠に已むを得ない不可抗的のものと観念してこれに服従したのであつて、これを前提としない限り、この買収は到底理解し得ないのである。

 当時政府は右指令の趣旨に従い速に買収を実施すべきことを督促されて居たので、急ぎ本法を立案し司令部に示してそのアブルーブを得、国会も指令実行の為めであるから已むを得ないものとして通過させたのである。司令部は法案について十分検討した上アブルーブを与えたのであつて、法成立後は本法の定める手続に従い急速に買収を遂行すべきことを督促指令して居たのである(一九四八年二月四日農地改革に関する覚書)。

 当初は固より方法、価格等に至る迄詳細の指令を受けたわけではないけれども本法成立後は右の如くその定むる処に従つて急速に買収を遂行すべきことを厳に督促指令されて居たのであるから結局本法の買収は全面的に指令によるものといわなければならない。

 それ故本法の買収は独立前確定したものは前記の如く司令官の権力の下において憲法外に効力を有したものであり、又訴訟の繋属するものでも買収そのもの(所有権の移転)は同じく既に効力を生じたものといわなければならない。蓋本法は只価額についてのみ訴の提起を許し、所有権移転については絶対に争うことを許さないものだからである。右の如く被買収者の意思如何を問はず、強制的に所有権を徴収し価額についてのみ争を許すものにおいては普通の任意売買と異なり所有権の移転と価額の確定とを分離して考えることが出来、所有権の移転は買収行為完了の時において効力を生じ、価格について訴を起したものについては、その点のみが不確定のものと見なければならない。(此点は真野裁判官も同意見の様に見える。)然るに講和成立後の今日においては、司令官の権力というものは無いから、内容が違憲の法規は裁判所はこれを適用することが出来ないのである。そして土地を地主から買収して小作人に与える様な場合、正当の補償を与えないというようなことが許されないことは憲法二九条の規定の精神に徴し明白である。従つて被買収者は正当価額に至る迄対価の訴求を為し得るものと見なければならない。此意味で私達は法六条及一四条について真野、斎藤両裁判官の解釈に合流したい。そう解釈する理由は大体同裁判官の書いた所と同じである。私達は本法の様な広範囲な一般的なそして一方から土地を強制的に剥奪して他の個人に与える様な土地改革が(それがいいか悪いかは別として)私所有権を厳に尊重する憲法下において許されるかどうかについて多大の疑を持つ者であるが、それは暫く措くとして、憲法二九条三項の買収においては、本法の如き頗る疑わしき値額を法定し、且それ以上の訴求を絶対に許さぬものと解し得べき根拠も多分に存在する様な規定の仕方を為し、しかも出訴期間を殆んど実際の役に立たぬ様な短期に限定することは許されないのであつて向後共、同条の名において右様な法律が制定されることがあつてはならないと思うのである。これが私達が長々と意見を書いた所以である。

 本件に関する裁判官真野毅の意見は、次のとおりである。

 わたくしは、本件は第一審及び原審の判決を取消し第一審裁判所に差戻さるべきものと考える。

 憲法二九条三項は、「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる」と定めている。

 ここに「正当な補償」というは、当該財産が具体的・個別的に保有する客観的な価値に、対応する等価値対価を指すものである。

 政府が、自作農創設特別措置法(以下自創法という)三条によつて農地を買収する場合に定められる六条所定の対価は、特定の平均的基準によつて割出された抽象的な対価であるに過ぎない。

 だから、自創法六条による対価は、いくら多くの言葉を費やしてみたところで、所詮、買収される農地が個別的に保有する客観的な価値に対応する等価値対価ということはできない。

 したがつて、これを憲法二九条にいわゆる「正当な補償」とすることは、許されないところであると言わねばならぬ。

 それ故、自創法六条によつて定められる対価の額に不服ある者は、同法一四条によつて訴を以てその増額を請求することができる、と解するが相当である。

 以上が、わたくしの考え方の骨子である。

 多数意見は、自創法六条により定められる対価は、農地買収の絶対的な最高限であつて、たといこの限度の額に不服があつても、出訴はできないと考えている。

 もし、自創法六条の意義がそうだとすれば、前に述べた正当な補償を与えずして、私有財産を公用に供することになるから、この規定は違憲無効だということにならざるを得ない。

 だが、わたくしは、自創法六条は、農地買収の対価の絶対的な最高限を定めた規定だとは考えない。ただ自創法による農地の買収は、大量的な行政処分であるから、同六条はその実行の便宜のため行政庁が買収対価を定める際の一定の標準を定めたものに過ぎない。すなわち、同六条は行政庁が買収対価を定めるに当つての相対的関係において最高限を定めたものである。行政庁の遵守すべきものとしての買収対価の相対的な最高限であるに過ぎない。

 かように、相対的な最高限であるということは、別な表現を用いれば絶対的な最高限ではないということである。だから、自創法一四条はこの基準で定められた買収「対価の額に不服ある者は、訴を以てその増額を請求することができる」と定めているのである。さらに言いかえれば、行政庁の定めに買収対価の額が、六条の標準に縛られて憲法にいうところの「正当の補償」に当らない場合には、不服ある者は、正当補償に該当するまでの増額を裁判所に出訴して請求することを許した当然の規定である。なぜならば、六条の対価の定め方が絶対的のものであるとしたならば、正当の補償に不足する場合を生じ、同条は違憲無効とならざるを得ないからである。正当の補償まで増額請求ができるという一四条の息抜きがなかつたならば、六条の規定は違憲無効となり、それでは農地買収の実行は非常な困難ないし不可能になつてしまう。六条による行政庁に対する相対的な対価の最高限は、最終局には裁判所によつて憲法にいう正当の補償に適合するよう是正する道が開けている。この通風的息抜きによつて、六条は違憲無効とならず、これによつて大量的な農地買収が比較的楽に実行することができると共に、同時に憲法上の国民の基本的人権が、終局的に阻害されることなく裁判所によつて伸長され擁護され得るのである。

 自創法六条と一四条との関係は、上述の意義に解することによつて、憲法を含めての法律構造全体を調和的統一の姿において理解することができる、というのがわたくしの見解である。

 多数意見では、六条は買収対価の絶対的最高限を定めたものであり、もし行政庁がこの最高限に達しない対価の額を定めた場合に、それに不服ある者が、一四条によつて裁判所に出訴して六条の限度までの増額を請求することができる、と主張するのである。

 わたくしは、前に述べたとおりこれでは、憲法の保障する正当の補償を与えないで、私有財産を公用に供せしめる結果となるから、六条は違憲となる。六条を違憲ならしめないためには、六条及び一四条の意義と関係を前述したわたくしの見解のように解釈する必要があると考える。

 ところで、この私見に対しては、もし正当の補償まで増額の訴求を許したら、農地買収は実行不可能になつてしまうという批判が、想定され得るであろう。

 しかし、六条の対価の標準で農地の所有権の移転は確定するから農地の買収による自作農創設そのものの実施には、何等の支障は起らない筈である。

 ただ、後に残つて未確定なのは増額の請求の判断だけである。しかし、これは裁判所で決すべき問題であつて、行政庁で決すべき問題ではない。だからこの問題の未確定、不安定のゆえに、行政庁が農地買収計画を実行する妨げとなるべき筋合はない。

 かくて、増額の訴求が許されることによつて、その支払のためにする国家の支出は、増大するであろうが、正当の補償まで増額すべきことは憲法上の要請であつて、それに対してツベコベいつて拒むべき理由は、毫末も存在しない。本来かかる場合においては、国家の予算をもつて、すなわち国民全体の負担において、正当の補償を与えることによつて決すべきものである。立法においても、また実際の行政においても往々見られるように、たまたまそれに該当する当事者国民だけの犠牲的負担において、事態を解決しようとする態度は、根本的に誤つていると考える。

 また、増額の請求には、一箇月という出訴期限が、一四条に定められているから、今では問題は現に訴訟が裁判所に係属している事件だけに限定されている。多数意見の中には、買収土地の個別的な客観的価値に等しい対価すなわち正当の補償までの増額請求を許したならば、行政庁の定めた対価を承認して増額を請求しなかつた者との間に不公平な結果を生ずることを懸念する者もある。しかし、いずれの場合においても、権利を捨て又はその上に眠る者と、適法の期間内に自らの労力と費用とにおいて裁判上権利を主張する者との間には、その権利が法律上・裁判上是認せられる限りにおいて、結果的に見て待遇の差等が生ずるのは当然のことである。これを不公平として非難することはできない。

 要するに、わたくしは、自創法六条またはこれに類似した基準を定めることによつて、私有財産が個別的に有する客観的価値の等価値対価以下で、公用に供されるに至ることを、おそれるのである。すなわち、憲法二九条にいう正当補償の保障が、無視され、軽視され、蔑視され、色々と潜られていくことを、現在及び将来のために深く憂うるのである。これは、小さな本件を超えて、経済機構の根本に連る基本的人権の大きな問題である。

 本件において、第一審及び原審の判決が、自創法六条の規定をもつて農地買収の対価の最高限を定めたものと解し、それだけの理由で上告人の増額請求を棄却したのは違法であり、論旨は理由がある。それ故、これを取消し、さらに審理するために第一審裁判所に差戻すを相当とする。

 裁判官斎藤悠輔の反対意見は、次のとおりである。

 私は、自作農創設特別措置法六条三項本文の規定は、農地買収の一応の標準を示したに止るものであつて、同条項但書の特別の事情ある場合は、その事情をも参酌し、更らに、同法一三条三項の報償金を受領したときは、これをも勘案して、なお正当な補償に満たないときは、同法一四条によりその増額を訴求し得るものと解する。従つて、論旨第一、二点は、その理由あるものと考える。

 けだし、憲法二九条三項にいわゆる「正当な補償」とは、被用私有財産の客観的な経済価値の補償を意味し、従つて、その財産の自由な取引価格の存する場合には、その被用当時の取引価格によるべきを当然とする。しかるに、農地の取引は、現行法上統制され、これが自由取引価格なるものは法的に存在しないのであるから、被買収農地については、いわゆる自作収益価格を基準とする相当な経済価値によらざるを得ない。この意味において前記措置法六条三項本文の価格は、買収の一応の標準としては、正当なものであるといわなければならない。しかし、同条項本文の価格は、多数説の詳細に説明するとおり、買収当時における当該農地の具体的収穫高や特別事情等、(同法施行規則三条一号、二条二号によれば、特別事情による認可を受けようとする申請書の記載事項の一つとして、当該農地の水利、交通の良否、利用状況及び普通収穫高並びに小作地である場合においては小作料の額及び減免条件が挙げられており、また、同法一三条四項には、「当該農地の収量、位置その他の状況を参酌して」と規定している。)を毫も顧慮することなく、単に、昭和一五年から同一九年までの五ヶ年間における全国平均水稲反当の玄米収穫高を採用し全国一律に一段歩当りの収穫高を二石と仮定し、昭和二〇年末における生産者価格石一五〇円を標準として直接(田について)又は間接(畑について)に、算出したものである。従つて、同価格は、昭和二〇年末でない買収時における、収穫高二石以上の農地についてこれを見れば、多数説のいわゆる「その当時の経済状態において成立することを考えられる価格に基き、合理的に算出された相当な額」といえないこと極めて明白である。されば、多数説は、その説明自体に自己矛盾を包蔵し、自然崩壊、止揚の運命を免れないものであつて、(果然農地法施行令二条は、同法第十一条第一項第三項の対価は、昭和二五年七月三〇日現在における基準賃貸価格に、田にあつては二百八十、畑にあつては三百三十六を乗じて算出する等七倍の倍率に値上げしている。)、到底賛同できない。ことに、自創法六条三項本文か拘束的のものでないことは、同条項但書によつて知り得るばかりでなく、同法が一三条三項乃至五項の規定を設けている点からもこれを窺うことができるのである。もしも、自創法六条三項本文が拘束的であるならば、同一三条三項の報償金は、法律上の原因に基かない不当給付というべきである。それ故、同法一四条の規定は、冒頭記載のごとく、これを広義に解すべきものと考える。

    最高裁判所大法廷

        裁判長裁判官  田中耕太郎

           裁判官  霜山精一

           裁判官  井上 登

           裁判官  真野 毅

           裁判官  小谷勝重

           裁判官  島  保

           裁判官  斎藤悠輔

           裁判官  藤田八郎

           裁判官  岩松三郎

           裁判官  河村又介

           裁判官  谷村唯一郎

           裁判官  小林俊三

           裁判官  本村善太郎

           裁判官  入江俊郎

  裁判官栗山茂は出張につき署名捺印することができない。

        裁判長裁判官  田中耕太郎

 

河村又助裁判長不当判決 所得の帰属に関する最高裁昭和33年

岡村ほか『租税法 第2版』有斐閣・2020年・136頁

同書では個人単位課税からは疑問とされている。

昭和二九年度所得額無申告に対する決定処分取消請求

最高裁判所第3小法廷判決/昭和32年(オ)第616号

昭和33年7月29日

【判示事項】      (1) 所得の帰属者の判定基準

            (2) 国税庁長官の通達に反する課税の適否

【判決要旨】      (1) 所得が何人の所得に帰するかは、何人が主としてそのために勤労したかの問題ではなく、何人の収支計算の下において行われたかの問題である。

            (2) 国税庁長官通達に反する課税であると主張としても、課税が通達に反しないのみならず、通達は法令でないから通達違反の主張は、原判決を攻撃する理由とはならない。

【掲載誌】       最高裁判所裁判集民事32号1001頁

            税務訴訟資料26号759頁

 

       主   文

 

 本件上告を棄却する。

 上告費用は上告人の負担とする。

 

       理   由

 

 上告理由について。

 論旨はるる説明するけれども、要するに、被上告人が上告人の所得として不申告決定をした農業所得はその妹Dの所得であつて上告人の所得ではない旨を主張し、この点に関する原判示を非難するのである。

 しかし、何人の所得に帰するかは、何人が主としてそのために勤労したかの問題ではなく、何人の収支計算の下において行われたかの問題である。この点について原判決の確定するところによれば、本件農業所得は上告人がその生計を主宰する上告人方家族構成員の生計を支える重要なものであつて、上告人が生計の主宰者としての責任上、上告人方の農業経営を主宰していたものと認められるというのである。その他原判決の認定した事実に基けば、原判決が本件農業所得を上告人の所得である旨を判示したのは相当であつて論旨は理由がない。

 論旨は原判決に法令の表示がなく、また、原判決は上告人の主張に対して答えていないというのであるが、原判決は上告人の請求の当否を判示するについて法令の表示を必要としなかつたのであり、また、結論に関係のない上告人の主張に対し逐一答えなかつたからといつて、それだけで原判決を違法とすることはできない。論旨はまた、民法所得税法の条文を列記して原判決の法令違背を主張するのであるが、本件農業所得を上告人の所得と認めなかつたからといつて所論の法令に反するものではない。論旨は違憲を主張するけれども、本訴の争点は所得税法上の所得の帰属の問題であつて所論は違憲に名を藉りるに過ぎない。なお、国税庁長官通達に反する旨を主張するのであるが、本件不申告決定は右通達に反しないのみならず、通達は法令ではないから通達違反の主張は、原判決を攻撃する理由にはならない。

 よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

    最高裁判所第三小法廷

        裁判長裁判官  河村又介

           裁判官  島  保

           裁判官  垂水克己

 

農業経営の所得帰属について主催者のみとした岐阜地裁昭和32年

岡村ほか『租税法 第2版』有斐閣・2020年・136頁

同書では個人単位課税からは疑問とされている。

昭和29年度所得額無申告に対する決定処分取消請求事件

岐阜地方裁判所判決/昭和31年(行)第5号

昭和32年1月30日

【判示事項】      1、経営収益の帰属の判定

            2、農業による所得の帰属を判定した事例

【判決要旨】      1、一般に、社会的にみて家族を扶養すべき地位にある生計の主宰者がある場合においては、その家族構成員の生計をささえる重要な事業は、いかに家族構成員の協力があったとしても、他に特段の事情がないかぎり、右生計の主宰者がその家族を扶養すべき地位との関連においてこれを主宰しているものと解されるから、当該事業の収益は右生計の主宰者に帰属するものと解するのを相当とする。

            2、省略

【掲載誌】       行政事件裁判例集8巻1号100頁

            訟務月報3巻3号111頁

            税務訴訟資料25号67頁

 

       主   文

 

 原告の請求を棄却する。

 訴訟費用は原告の負担とする。

 

       事   実

 

第一、当事者双方の申立

 原告は「被告が原告に対し昭和三十年七月十二日頃付を以て、昭和二十九年度所得額無申告に対し農業所得給与所得及びその他の事業所得ありとして為した課税額一万八百九十円無申告加算税額二千五百円とする(昭和三十一年二月十一日訂正に係る)決定処分は之を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、被告指定代理人等は主文同旨の判決を求めた。

第二、当事者双方の主張

一、原告は請求の原因として、原告は昭和十八年頃一より現在に至るまで郵政事務官で岐阜県恵那郡岩村町岩村郵便局の外務員として勤務する給与所得者であり昭和二十九年度においては右給与所得以外には一万六千六百八十七円の所得(農業所得ではない)があつたにすぎなかつたので所得税法第二十六条第一項第一号によりその申告の要はないものとして確定申告はなさなかつた。然るに被告は原告に対し昭和三十年七月七二日頃付を以て昭和二十九年度所得額無申告に対し農業所得給与所得及びその他の事業新得ありとし農業所得額十四万七千五百六十五円給与所得額十九万二百四十八円その他の事業所得額一万六千六百八十七円、所得税額一万八千六百四十円無申告加算税額四千五百円とする決定処分をなし、原告は同年八月一日右決定の通知を受領した。その後被告は右決定に計数上の誤謬を認め同三十一年二月十一日農業所得額を十万二百八十一円所得税額を一万八百九十円無申告加算税額を二千五百円と夫々訂正し之を原告に通知した。しかし右農業所得十万二百八十一円はすべて原告の妹訴外伊藤はるゑに帰属するものであつて原告に帰属するものではない。従つて被告は実質所得者の判定を誤つたものというべくかゝる誤つた判定を基礎にしてなされた前記決定は違法であつて取消されねばならない。原告はもとより右決定に不服なので法定の期間内に被告に対し再調査の請求をしたところ被告は昭和三十年九月十二日付を以て右請求を棄却し、右棄却の通知は同月十四日原告に到達した。そこで原告は更に同年十月十日名古屋国税局長に対し審査の請求をなしたが同三十一年七月六日付を以て右請求は棄却された。よつて原告は前記決定の取消を求めるため本訴に及んだと述べた。

二、被告指定代理人等は答弁として原告主張の事実中原告がその主張の如き給与所得者であること、被告が原告に対し昭和三十年七月十二日頃付を以て原告主張の如き内容の決定をなし同年八月一日該決定の通知が原告に到達したこと、被告が同三十一年二月十一日右決定を原告主張の如く訂正し之を原告に通知したこと、原告が右決定に対しその主張する如く適法に訴願手続を履践したことは何れも之を認めるがその余の事実は之を争う。即ち被告が原告に対し決定した農業所得額十万二百八十一円は次に述べる如く原告に帰属するもので原告主張の如くその妹はるゑに帰するものではない。先ず原告の家族関係についてみるに本件係争年度である昭和二十九年中におけるその構成員の氏名年令職業は次欄の通りであつた。

 而して原告は昭和十七年頃までは専業農家である原告方の農業経営に専念していたところ同十八年一月頃より公務員として岩村郵便局に勤務することになり爾来その職にあるのであるがその間父辰蔵の死(昭和二十二年三月)により原告家の世帯主となり現在に至つている。一方原告の妹はるゑは同十七年一月訴外小木曽光郎と結婚し夫と共に満州に渡つたのであるが夫の病死に遭い同十九年長男重徳を連れ帰国し、家である原告方に居住することとなり爾来原告方の農業に従事していたところ同二十八年に至り母子二人の生活の独立を企図し同年四月より九月まで名古屋市にある女子職業補導所に通学し毛糸編物の技術を修得し、同三十年九月より原告の弟俊方において編物の塾を開き同三十一年一月岩村町本町にアート式編物研究所を開設し母子二人こゝに転居し独立の生活を営み現在に至つている。次に原告方の昭和二十九年中における農業経営面についてみるに耕作面積の内訳は次欄の通りであり外に養蚕(年間収繭量十九貫)を営み役牛一頭緬羊二頭を飼育している。

 而して原告は岩村町本郷農業共同組合に組合員として加入しその出資も原告名義でなされ、且つ原告方の農業経営面において例えば供出米代金の受取、肥料の購入農業用資金の借受等右組合を利用するに際してはすべて原告の名において原告自身が之を行つており他方原告は原告方の農業経営について家族に指示を与え農繁期には自ら雇人を頼みその賃銀の支払をなし、役牛の購入をなす等全般的な配慮をなしかくて生じた農業所得額の確定申告書を妹はるゑ名義で提出するに際しては原告自らの判断と計算により之を作成し右はるゑの何等関知するところではなかつたのである。以上原告方の家族関係及び農業経営面における諸事実に徴すれば本件係争年度たる昭和二十九年中において原告の妹はるゑが終始原告方の農業経営に者事していたとはいえ経営の主体が原告からはるゑに移つたとは認められず、むしろ長兄たる原告が外地において夫を失い帰国して来た妹はるゑの生活を保障し扶養をなしていたものと認むべく妹はるゑは原告の扶養に対し道義的見地から原告方の農業手伝をしていたとみるのが社会通念に適合する。従つて農業労働力の主たる提供は妹はるゑにあつたとしても之によつて生ずる農業所得は世帯主である原告に帰属するものとした被告の認定は正当であると述べた。

三、原告は右被告主張の事実中、原告の家族関係に関する部分(但し原告が農繁期農業に従事したこと及び妹はるゑ母子が現在独立の生計を営んでいることは否認)が被告主張の通りであること、原告方の農業経営面につきその規模が被告主張の通りであること(但し耕作面積は公薄上のものとして之を認める)原告が岩村町本郷農業共同組合に組合員として加入しその出資も原告名義でなされていること、右組合の利用状祝が被告主張の通りであること、原告自ら農繁期に雇人を頼みその賃銀の支払をなし、役牛の購入をなしたこと、妹はるゑ名義の農業所得額確定申告に際しては原告自らの判断と計算により申告書を作成したことは何れも之を認めるがその余の事実は之を争う。即ち原告が原告方の昭和二十九年中における農業経営につき家族に指示を与えていた事実はない。原告は岩村郵便局の外務員として保険の加入募集等に成績を挙げるべくその業務に専念していたので農業経営面に力を入れることができなかつたところから昭和二十七年度までは原告の実母とよが同二十八年度は原告の二女とき子が夫々営農を担当し、右とき子の結婚により同二十九年度に至つては妹はるゑが之を担当し年間二百日以上も労働力を提供して営農全般を鞅掌し農業経営の立案等につき主導的立場にあつたのであり、又農業経営の実績が認められ岩村町農業委員会委員選挙の有資格者でもあった。之に対し原告は単に勤務の余暇をみて年間僅かに三十日内外労働力を提供しその補助をしたに過ぎない。而して労働力が主たる投下姿本である農業経営の実態からみれば主たる労働力の提供者を以て農業経営の主宰者或は支配的影響力を有するものと認むべきである。これを原告方の農業経営についてみれば右事実より経営の主宰者乃至は支配的影響力を有するものは明かに妹はるゑというべきであり、よつて生じた所得はすべて同人に帰属するものである。されば被告が原告を右所得の帰属者と認めたのは単に原告が世帯主或は耕作地の所有者乃至賃借人であるとの外面的事実だけを捉え、原告方における農業経営の実態を調査しなかつたことに基くもので右認定は明かに昭和二十六年一月直所一の一を以て国税庁長官より国税局長宛発せられた「所得税に関する基本通達」 一五八号一五九号に違反するものであると述べた。四、被告指定代理人等は原告の右主張事実はすべて之を争う被告が原告を実質所得者と認定したことは第二の二において述べた事実に徴し何等右基本通達一五八号一五九号に違反するものではないと述べた。

第三、証拠(省略)

 

       理   由

 

 被告が原告に対し昭和三十年七月十二日頃付を以て原告の昭和二十九年度所得額無申告に対し、農業所得給与所得及びその他の事業所得ありとして農業所得額十四万七千五百六十五円、給与所得額十九万二百四十八円、その他の事業所得額一万六千六百八十七円、所得税額一万八千六百四十円、無申告加算税額四千五百円とする決定をなし、同年八月一日右決定の通知が原告に到達したこと、その後被告において右決定に計数上の誤謬を認め、同三十一年二月十一日農業所得額を十万二百八十一円、所得税額を一万八百九十円、無申告加算税額を二千五百円と夫々訂正し之を原告に通知したこと、原告が右決定に対しその主張の如く適法に訴願手続を履践し本訴を提起するに至つたこと及び昭和二十九年度における原告方の農業所得が十万二百八十一円であつたことは何れも当事者間に争がない。

 そこで右農業所得が原告に帰属するか或は原告の妹はるゑに帰属するかについて判断する。

 本件係争年度である昭和二十九年中における原告方の家族構成員の性別年令職業が被告主張の通りであること、原告が原告方の世帯主であることは何れも当事者間に争なく、右事実に加うるに証人伊藤はるゑの証言、及び成立に争のない乙第二、四、五号証を以てすれば原告が原告一家の中心的存在で社会的にみて家族全員を扶養すべき地位にある生計の主宰者であつたと認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

而して一般に、社会的にみて家族を扶養すべき地位にある生計の主宰者がある場合、その家族構成員の生計を支える重要な事業は、如何に家族構成員の協力があつたとしても他に特段の事情のない限り右生計の主宰者がその家族を扶養すべき地位との関聯において之を主宰しているものと解するを相当とする。

 之を本件についてみれば原告方における農業所得は原告がその生計を主宰する原告方家族構成員の生計を支える重要なものであること証人伊藤はるゑの証言及び前記乙第二号証並に弁論の全趣旨により明かであるから、原告が著しく怠惰であるとか、起居を異にするとか等の特段の事情の認められない本件においては原告が生計の主宰者としての責任上原告方の農業経営を主宰していたものと認めるを相当とする。而して原告方の農業経営につき原告が岩村町本郷農業協同組合に組合員として加入しその出資も原告名義でなされ且つ供出米代金の受取、肥料の購入、農業用資金の借受等右組合を利用するに際してはすべて原告の名において原告自身が之を行つていたこと、農繁期には原告自ら雇人を依頼しその賃銀の支払をなしていたこと、役牛の購入も自ら之をなしたこと、農業所得額の確定申告書を妹はるゑ名義で提出するに際しては原告自らの判断と計算により之を作成したこと等は何れも当事者間に争がなく右諸事実を綜合すれば原告は原告方の農業経営につき全般的な配慮をなしていたことを推認し得るのでありこの事実は前記認定を裏付けるに充分なものがあるといわねばならない。而して原告主張の如く原告の妹はるゑに農業委員会委員の選挙権があつたとしても右事実のみを以ては右はるゑが原告方の農業経営の主宰者であつたと認むべきではなく、又農業経営の主宰者は営農の特殊性からみて労働力の主たる提供者でなければならないとする原告の見解は独自のものであつて採用することはできない。

 而して事業所得はその事業の主宰者に帰属すると解すべきであるから原告方における昭和二十九年度農業所得は農業の主宰者と認められる原告に帰属するものといわねばならない。

 されば被告の本件に関する実質所得者の判定は正当であるから被告が原告に対し昭和三十年七月十二日頃付を以てなした昭和二十九年度分所得税決定処分は適法というべく之が取消を求める原告の請求は失当として棄却を免れない。

 よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用し主文の通り判決する。

(裁判官 奥村義雄 小渕 連 川崎義徳)

 

https://www.honzuki.jp/book/268847/review/211923/

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