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元県議の妻からの告訴6件すべてについて名誉毀損の疑いで立件 NHK党党首・立花孝志容疑者(読売テレビ) - Yahoo!ニュース

第86話『今日も生きててえらい!』と交通事故遺児の民事法的保護及び不同意性交罪 - オカモト弁護士の法的考察(@madi) - カクヨム (kakuyomu.jp)

三鷹事件昭和30年最高裁大法廷判決

電車顛覆致死、偽証各被告事件 刑法判例百選Ⅱ 第4版 78事件 第5版 84事件 刑事訴訟法判例百選 第10版 A50 第11版 A51

最高裁判所大法廷判決/昭和26年(あ)第1688号

昭和30年6月22日

【判示事項】 1 刑訴法379条にいう訴訟手続の法令違反と判決に及ぼす影響

       2 人の現在しない電車を発進させ,運転者なしでこれを暴走,脱線,破壊させ,付近に居合わせた数名を死に至らしめた事実を肯認し,これに対し刑法127条,126条3項を適用処断したことは適法である。

      3 過失致死の結果的加重犯について死刑を定めた刑法127条の合憲性

       4 控訴審が,自判により第一審の無期懲役刑を死刑に変更することも必ずしも違法ではない。

       5 被告人が犯罪の実行者であることについて,自白のみによる認定は,憲法38条3項に違反するか

       6 日本国有鉄道職員の争議行為禁止は憲法28条に違反するか

 

【掲載誌】  最高裁判所刑事判例集9巻8号1189頁

       最高裁判所裁判集刑事106号399頁

       裁判所時報186号1頁

       判例タイムズ49号88頁

       判例時報52号1頁

       刑事裁判資料123号33頁

 

【評釈論文】 ジュリスト200号152頁

       ジュリスト307の2号134頁

       別冊ジュリスト1号162頁

       別冊ジュリスト2号190頁

       別冊ジュリスト27号152頁

       別冊ジュリスト32号230頁

       別冊ジュリスト51号240頁

       別冊ジュリスト58号52頁

       別冊ジュリスト83号156頁

       別冊ジュリスト117号154頁

       法学新報64巻1号69頁

 

       主   文

 

  本件各上告を棄却する。

 

        理   由

 

  被告人A外一一名に対する東京高等検察庁検事長佐藤博の上告趣意、被告人Aの弁護人等及び同被告人本人の各上告趣意は、末尾添付の各上告趣意書記載のとおりである。

  被告人等に対する東京高等検察庁検事長佐藤博の上告趣意について

 論旨は、原判決は刑訴三七九条の解釈を誤り、同条に関する高等裁判所の判例と相反する判断をしたものであると主張するのである。すなわち、原判決は第一審の訴訟手続に関し次の三個の点に訴訟法違反があることを判示している。その第一点は、第一審公判において検察官の起訴状の朗読に先だち、被告人等及び弁護人等の、本件は強制拷問に基く被告人等の自白に基いて起訴されたものであるから無効の起訴であるとの主張及び本件は政治的陰謀に基き捏造されたものであるから公訴の取消を求める旨の各発言を許容したことは、第一審裁判所が訴訟指揮を誤り、訴訟手続の順序を紊り、起訴状朗読前に裁判官に偏見または予断を生ぜしめる虞のある事項の陳述を許したものであつて訴訟法違反である。第二点は、第一審において公判廷外で被告人等から本件事案についての事実上の陳述を含む上申書一〇通を受理し、これを公判廷で検察官に示し或は検察官の意見を求める等の法定の手続をしないで、これを訴訟記録に編綴して閲覧審査し得る状態においたことは、証拠書類の取扱に関する訴訟法違反である。第三点は、第一審において検察官から公判期日における証人の供述の証明力を争うため刑訴三二八条により提出した同証人の検察官に対する供述調書を、同条の制限に反して他の証拠である裁判官の同証人に対する尋問調書の信憑力を否定する資料に供したことは訴訟法違反である。と各判示しているのである。しかるに原判決は、刑訴三七九条にいわゆる「訴訟手続に法令の違反があつてその違反が判決に影響を及ぼすことが明らかであること」の場合に当るためには、第一に右法令違反と判決の誤謬との間に客観的な相当因果関係があり、この法令違反があつたため当該誤謬が生じたことが明らかに判断され、第二にしかもその誤謬が重大で判決主文及び法令の適用に変更を生ずる場合であることを要するものと解釈し、もつて以上の前提の下に、原判決は本件第一審の審理の経緯、証拠関係等を具体的に検討考察した結果、前示の各訴訟法違反と第一審判決との間には前示因果関係が認められず、従つて前示の各訴訟法違反がその判決に影響を及ぼしたことが明らかでないと論断し、もつて検察官の控訴趣意を排斥しているのである。しかし、刑訴三七九条にいう法令違反が判決に影響を及ぼすことが明らかであるか否かは、影響を及ぼしたか否かの事実判断の問題ではなく、いやしくも法令違反が存する場合に、それが判決に影響を及ぼすべき性質のものであるか否かの価値判断の問題である。従つて原判決が法令違反と判決の誤謬との間に現実な因果関係の存することを要するものと判断して検察官の控訴趣意を排斥したことは、刑訴三七九条の解釈を誤つた違法があり、そして同条の解釈に関する多くの高等裁判所判例と相反するものてあると主張する。

  よつて案ずるに、刑訴三八四条により控訴理由の一とされている同法三七九条の場合は、その前二条(三七七条三七八条)のいわゆる絶対的控訴理由に当る事由以外の「訴訟手続に法令の違反があつてその違反が判決に影響を及ぼすことが明らかであること」と規定しており、従つて訴訟手続に法令違反があつても、その違反が積極的に判決に影響を及ぼすことが明らかでない限り、同法三七九条の控訴理由とならないことを規定したものと解すべきものであつて、旧刑訴四一一条が「法令ニ違反シタルコトアリト雖判決ニ影響ヲ及ホササルコト明白ナルトキハ之ヲ上告ノ理由ト為スコトヲ得ス」と規定し、もつて消極的に判決に影響を及ぼさないことが明白な法令違反についてのみ上告理由とならないことを規定したのとは、異なるところがあるのである。従つて刑訴三七九条の場合は、訴訟手続の法令違反が判決に影響を及ぼすべき可能性があるというだけでは、控訴理由とすることはできないのであつて、その法令違反がなかつたならば現になされている判決とは異る判決がなされたであろうという蓋然性がある場合でなければ、同条の法令違反が判決に影響を及ぼすことが明らかであるということはできないのである。そして以上の判定については、絶対的控訴理由(三七七条三七八条)に当る場合は常に相当因果関係があるものと訴訟法上みなされているものと解すべきであるが、三七九条の場合には、裁判所が当該事件について具体的に諸般の情況を検討して判断すべき問題であつて、或る訴訟手続の法令違反は当然に判決に影響あるものと解し、或はその影響の可能性があれば足ると解するがごときは、同条の法意に反するものといわなければならない。また判決に影響を及ぼすことが明らかでない訴訟手続の違法があつたからといつて、その判決が憲法三一条にいわゆる法律の定める手続によらなかつたものであるということのできないのはいうまでもないところである。

  されば、原判決が第一審の訴訟手続中、上示所論指摘の違法があることを認めながら、第一審の審理の経緯、証拠関係等を具体的に検討して、右の違法と判決との間に事実上の因果関係が認められず従つて右の違法が判決に影響を及ぼしたことが明らかとはいえないから適法な控訴理由とならない旨判示したことは正当であり、刑訴三七九条に違反するものではない。所論引用の高等裁判所各判例中、以上説示の趣旨に反するところは変更せらるべきものであるから、所論判例違反の主張は採用すべき限りでない。

  被告人Aの弁護人小関藤政の上告趣意第一点、同今野義礼の上告趣意第二点、同井本台吉、及び草野治彦の上告趣意第二点、同上村進の上告趣意第二点、同吉田三市郎外四三名の上告趣意第九点について論旨は要するに、刑法一二七条は、一二五条の罪を犯し因て汽車電車の顛覆破壊又は艦船の覆没破壊を致した者について一二六条一項二項の例に従つて処断する旨を規定したに止まり、その結果人(殊に船車外の人)を死に致した場合について同条三項の例によるべきことを規定しているものではない。なお一二七条にいわゆる汽車電車とは一二五条の行為により顛覆破壊せしめられた汽車電車をいうのであつて、同条の犯行の手段として供用された汽車電車を含まない。しかるに原判決は、被告人Aが無人電車を暴走せしめて電車の往来の危険を生ぜしめ、因てその無人電車を破壊しその際附近に居合わせた人々を死に致した旨の犯罪事実に対し、一二七条一二六条三項を適用しその所定刑中死刑を選択処断したものであつて、すなわち原判決は一二七条の解釈適用を誤つた違法があり、法律の明文なきにかかわらず刑罰を科したものであつて、憲法三一条に違反すると主張する。

  よつて案ずるに、一二七条は、一二五条の罪を犯し因て汽車電車の顛覆又は破壊の結果を発生せしめた場合、一二六条の例によつて処断すべきことを規定している。この法意は、右の結果の発生した場合に一二六条一項二項の例によつて処断すべしとするものであるばかりでなく、汽車電車の顛覆又は破壊によつて致死の結果を生じた場合には、また三項の例によつて処断すべきを定めたものと解するを相当とする。けだし一二七条には右致死の結果の発生した場合について特に明記するところがないことは、所論のとおりであるが、同条が「前条ノ例一ニ同シ」と規定して、前条三項を除外せず、また「前条第一項第二項ノ例ニ同シ」とも規定していないことは、文理上当然に、一二六条各項所定の結果の発生した場合には、すべて同条項と同様処断すべきものであることを示しているからである。次に、一二六条は人の現在する汽車電車の顛覆又は破壊の結果の発生につき故意ある場合を規定するものであるのに反し、一二七条は広く一二五条の罪の結果犯について規定するものであるのにかかわらず、その処断については一二六条一二七条の間に差異がないことになるのであるが、このことは、一二五条の汽車又は電車の往来に危険を生ぜしめる所為は、本質上汽車又は電車の顛覆若しくは破壊、延いては人の致死の結果等の惨害を惹き起す危険を充分に包蔵しているものであるから、右各重大な結果が発生した以上は、一二六条各項の場合に準じそれと同様に処断することを相当とする法意と解すべきである。なお一二六条三項にいう人とは、必ずしも同条一項二項の車中船中に現在した人に限定すべきにあらず、いやしくも汽車又は電車の顛覆若しくは破壊に因つて死に致された人をすべて包含するの法意と解するを相当とする。けだし人の現在する汽車又は電車を顛覆又は破壊せしめ、若しくは汽車又は電車の往来の危険を犯しもつて右と同様の結果が発生するときは、人命に対する危害の及ぶところは、独り当該車中の人に局限せられるわけのものではないからである。また一二七条にいわゆる汽車又は電車とは、一二五条の犯行に供用されたものを含まないと解すべき理由は存しない。

  されば、原判決が被告人Aの犯罪事実として、同被告人は三鷹電車区構内に入庫中の人の現在しない電車を発進させ、運転者なしでこれを暴走せしめ同構内出口附近で脱線させ、これによつて電車の入出庫を妨害しようと企て、その電車の発進操作をなし、無人でこれを暴走せしめて電車の往来の危険を生ぜしめ、同電車は同被告人の予期に反して三鷹駅下り一番線上に驀進し同駅南改札口前の下り一番線車止に衝突して脱線破壊し、その破壊に際し附近に居合せた秦俊次外五名を死に致らした事実を肯認した上、これに対し刑法一二七条一二六条三項を適用処断したことは適法であるといわなければならない。それ故所論憲法三一条違反の主張はその前提を欠くものであり、論旨はすべて採用できない。

  被告人Aの弁護人吉田三市郎外四三名の上告趣意第一〇点について

 論旨は、原判決は、被告人Aが刑法一二五条の罪を犯し因て予期に反して電車を破壊し人を死に致らしめた事実を認定し、一二七条一二六条三項を適用して同被告人を死刑に処したのであるが、このような結果の発生につき故意のない結果的加重犯(特に一二七条の致死の場合は二重の結果犯である)に対し死刑を定めたものとする一二七条は、憲法一三条並びに残虐な刑罰を禁止する同三六条に違反するものであると主張する。

  よつて案ずるに、わが刑法が刑罰として死刑を存置するのは、死刑の威嚇力によつて重大犯罪に対する一般予防をなし、死刑の執行によつて特殊な社会悪を根絶し、これによつて社会を防衛せんとするものであつて、結局社会公共の福祉のため死刑制度の存置の必要性を承認しているものと解せられるのである。そして死刑の存置は憲法一三条三六条に違反するものでないことは、既に当裁判所判例の示すところである(昭和二二年(れ)第一一九号、同二三年三月一二日大法廷判決、判例集二巻三号一九一頁)。そして刑法一二五条の汽車又は電車(若しくは艦船)の往来危険罪は高速度交通運輸機関の運行を危殆ならしめ、その結果は不測の惨害を惹き起す虞ある犯罪として、その結果の最も重い汽車電車の顛覆又は破壊(若しくは艦船の覆没又は破壊)等により人を死に致した場合においては、一二七条をもつて一二六条三項の例により死刑に処し得べきものと定めているのである。すなわち、刑法一二七条は一二五条の犯罪に内在する広汎な危険性が具体的に実現された危害の程度に応じ、その処断の軽重を区別しようとするものであり、単なる過失致死の罪に対して死刑を科するものとは全く趣を異にするものであつて、違憲とすることはできない。論旨は理由がない。

  被告人Aの弁護人井本台吉、及び草野治彦の上告趣意第一点、同吉田三市郎外四三名の上告趣意第三点、被告人Aの上告趣意中右同論点について論旨は、原審において、被告人Aに対し第一審の言渡した無期懲役刑の量刑の当否を判断するに当り、何等新たな事実の取調をしないで量刑軽きに過ぎるとして第一審判決を破棄した上刑訴四〇〇条但書により自判して死刑を言渡したのは、刑訴法の精神に反し違法であるのみならず、かかる手続により死刑を科することは個人の生命の尊貴を忘れたものであり、かかる裁判は公平な裁判所の裁判ということはできないものであつて、憲法一三条三一条三七条一項に各違反すると主張するのである。

  よつて案ずるに、控訴審において、第一審判決の事実誤認量刑不当その他の控訴理由の存否を審査するに当り、新たな事実の取調をなすべきか否かは、刑訴三九三条一項但書の場合の外は、控訴裁判所の裁量判断により得べきものであつて、四〇〇条但書に「原裁判所及び控訴裁判所において取り調べた証拠による」ことを規定しているからといつて、控訴裁判所が特にその必要なしと認める場合でも必らず新たな証拠の取調をした上でなければ自判できない旨を規定しているものと解すべきではない。そして右自判の制度は、控訴審が本来事後審として第一審判決の当否を判断するものであることに対し、例外的に続審による判決手続を認めたものであつて、控訴審において記録調査及び事実取調の結果第一審判決を破棄すべき理由ありと認め、しかもそれ以上審理をなすまでもなく、判決をなすに熟していると認めた場合においても、なお事件を第一審に差し戻しまたは移送しなければならないものとするときは、徒らに無用な手続を重ねるに過ぎないものといわなければならない。されば控訴審における自判は、たとえその科刑が被告人に不利益に変更される場合であつても、自判をすることが必ずしも刑訴法の精神に反するということはできないのである。また自判は被告人の審級の利益を失わしめるものということもできない。ただ自判する場合、殊に刑を重く変更する場合のごときは、控訴審が直接審理を経ていないことを自省して慎重を期さなければならないわけであつて、すなわち客観的に見て、自判の結果が差戻または移送後の第一審判決よりも被告人にとつて不利益でないということが、確信される場合でなければならないこと勿論である。若しこの確信が相当と認められる場合ならば、自判により第一審の無期懲役刑を死刑に変更することもまた必しも違法ということはできないのである。論旨は理由がない。

  被告人Aの弁護人布施辰治の上告趣意第三点、同上村進の上告趣意第一点、同吉田三市郎外四三名の上告趣意第二点について論旨は、原判決は被告人Aの自白のみによつて有罪を認定した違憲違法があると主張するのであるが、原判決は同被告人の本件犯罪事実を肯認するに当つて、第一審判決挙示の同被告人の自白その他多くの証拠を綜合して有罪を認定しているものであることは、原判決の判文上明らかである。ただ右自白以外の証拠によつては、本件電車の発進が同被告人の作為に出でたものであるという点につき、これを直接証拠だてるもののないことは所論のとおりである。しかし同被告人の自白以外の証拠によれば、右事実の肯認を含めた同被告人の本件犯行の自白(同被告人は控訴趣意で、第一審判決の同被告人の自白どおりの事実認定は正しいものであると述べているところである)については、その自白の真実性を裏付けるに足る補強証拠を認め得られるのであつて、従つて被告人が犯罪の実行者であると推断するに足る直接の補強証拠が欠けていても、その他の点について補強証拠が備わり、それと被告人の自白とを綜合して本件犯罪事実を認定するに足る以上、憲法三八条三項の違反があるものということはできない。論旨は理由がない。

  被告人Aの弁護人布施辰治の上告趣意第二点(論旨(一))、第四点、同吉田三市郎外四三名の上告趣意第一点(以上論旨(二))、被告人Aの上告趣意中事実誤認等の主張について論旨(一)は、刑訴法下における被告人の地位から見て、その供述は証拠となし得べからざるものであると主張する。しかし被告人の供述が証拠となり得るものであることは、憲法三八条三項刑訴三一九条からもたやすく窺われるところである。論旨(二)は、判決の証拠となつた同被告人の検察官に対する自白は、強制拷問脅迫誘導によつたものであつて証拠となし得ないものであると主張する。しかし右供述が所論のごとく同被告人の不任意に出でたものであるとのことは、これを認めるに足る資料がないのみならず、第一審判決並びに原判決もまた所論のごとき不法な供述強要の事実は認められないことを判示しているのである。

  また右供述及び判決の証拠となつている第一審公判廷における同被告人の自白(第一三回公判、第五四回公判における自供)は、いずれも不当長期拘禁後の自白であつて証拠とすることができないものであると主張するのであるが、記録に徴すれば、検察官に対する同被告人の自白は拘禁一七日以後なされたものであり、また所論公判廷における供述は勾留五ケ月余又は一〇ケ月余を経てなされたものであることは明らかであるけれども、本件事案の内容、取調の経過その他諸般の事情に照し右一七日の拘禁は不当に長きにわたる拘禁とはいえない。また所論公判廷における自白は既に右検察官に対してなされた自白の反覆であるから、右公判廷における自白をもつて、不当に長い拘禁後の自白ということはできない(昭和二三年(れ)第二七一号、同年六月三〇日大法廷判決、判例集二巻七号七一五頁参照)。されば所論の同被告人の自白を証拠としたことについて、憲法三八条二項に違反するものとはいえないのである。

  また被告人Aは、同被告人は本件犯罪事実について全く無関係であり、その検察官に対する自白は不任意に出でたものであり、第一審公判廷における自白及び原審における犯行自認は他の意図に出でたものであることを強調するのであるが、記録を精査しても、原判決の同被告人に対する有罪認定が不当であるとは認めることはできない。

  被告人Aの弁護人今野義礼の上告趣意第一点、同上村進の上告趣意第三点、同吉田三市郎外四三名の上告趣意第一一点について論旨は、原判決が被告人Aに対し死刑を科したことは、憲法三六条一一条一二条一三条に違反すると主張する。しかし刑罰としての死刑は憲法上容認されたものであり、また憲法三六条が禁ずる残虐な刑罰に当らないのみならず、犯罪から社会を防衛するために必要な場合は、適法な手続に従つて、刑罰として個人の生命を奪うことも認容されるものであることは、当裁判所判例(昭和二二年(れ)第一一九号、同二三年三月一二日大法廷判決、判例集二巻三号一九一頁)の示すところによつて明らかである。また刑法各本条に定められた法定刑の範囲内において死刑を選択処断することは、それが被告人の側から見て重いと感ぜられるとしても、それだけでは残虐な刑罰ということはできないのである。されば原判決が被告人Aに刑法一二六条三項の例に依る一二七条の罪あることを認定して、これに対し法定刑中死刑を選択処断したことにつき所論のごとき違憲は存せず、論旨は理由がない。

  被告人Aの弁護人岡林辰雄の上告趣意第一点乃至第三点、同吉田三市郎外四三名の上告趣意第四点(以上論旨(一))、第五点(論旨(二))、第六点(論旨(三))、第七点(論旨(四))、第八点(論旨(五))、同今野義礼の上告趣意第三点、被告人Aの上告趣意中の右同論旨(以上論旨(六))について論旨(一)は違憲をいうけれども、原判決において、被告人Aに対し死刑を選択する理由として、重いと認められる犯情を挙げて説示しているのに対し、独自の立場から、これを偏見に基くもので公正でないと非難するに外ならないものであつて、結局量刑不当の主張に帰するものといわなければならない。論旨(二)は、原判決において、被告人Aの本件犯行の動機目的が、日本国有鉄道(以下国鉄と略称する)職員の全国的ストライキの口火を切ることにあつた点を重視しているが、この事実は同被告人の自白のみによつて認定されているのであつて、憲法三八条三項に違反すると主張する。しかし本件のごとき罪については、その犯行の動機目的は犯罪構成要件として示されていない事実に属するものであるから、その認定については証拠法上の厳格な制約を受けるものではないのであつて、これを被告人の自白のみによつて認めても、違憲違法ということはできないのである。論旨は理由がない。論旨(三)は、違憲をいうけれども、被告人Aの前示本件犯行の目的について、原判決が「全国的ストの口火とまでは行かなくとも、計画が成功すれば或は他の電車区にその影響を及ぼすことはあり得るところであつた」と認めたことを、事実誤認と主張するに帰するものであり、また量刑非難の一理由を主張するものに外ならない。論旨(四)は、国鉄職員の争議禁止を規定する公共企業体労働関係法一七条は、憲法二八条に違反し無効てあるべきにかかわらず、原判決は被告人Aの本件犯行の動機目的が、争議行為を禁止されている国鉄職員をしてストライキに立上らしめようとした不法のものであることをもつて、犯情の重い理由としていることは違法であると主張するのである。

  しかし国鉄職員が国家公務員であつた当時において、その争議行為の禁止が憲法二八条に違反するものでなかつたことは、当裁判所の既に判示したところである(昭和二四年(れ)第六八五号、同二八年四月八日大法廷判決、判例集七巻四号七二五頁)。その後本件犯罪の発生前、国鉄職員は法制上国家公務員とはならなくなつたが、しかしなお、法令により公務に従事する者とみなされるものであり(日本国有鉄道法三四条)、また国鉄の資本金は全額政府の出資にかかり(同法五条)、その性格は公法上の法人であつて(同法二条)、その事業経営の実質及び条件は従前と殆んど異なるところはないのである。すなわち、かかる公共企業体の国民経済と公共の福祉に対する重要性にかんがみ、その職員が争議行為禁止の制限を受けてもこれが憲法二八条に違反するものでないことは、前掲判例の趣旨に徴して自ら明らかである。論旨は理由がない。

  論旨(五)は、原判決が重い犯情として、被告人Aの本件犯行の動機目的の不法であることを挙げ、これを理由として重罰を科したことは、同被告人の思想信条を理由とする差別待遇であり憲法一九条一四条に違反すると主張する。しかし、原判決は同被告人に対する量刑を考慮するに当り、その情状の一として犯行の動機目的が法の禁ずる行為を敢行せしめんことを企図した不法なものであることを判示したものであつて、同被告人が公共企業体労働関係法一七条による争議行為禁止の規定をもつて違憲なりとする思想の所有者なるが故に、これを処罰し又は特に重く処罰したものではない。されば所論違憲の主張は既にその前提を欠くものであつて理由がない。

  論旨(六)は、量刑不当の主張であつて、刑訴四〇五条の適法な上告理由に当らない。そして原審の量刑をもつて著しく正義に反するものとし、これに同四一一条を適用すべきものとは認められない。

  被告人Aの弁護人布施辰治の上告趣意第一点について

 論旨は単なる訴訟法違反の主張であつて、刑訴四〇五条の上告理由に当らない。なお、控訴趣意書を控訴申立をした検察庁の検察官が作成し、これを控訴裁判所に対応する検察庁の検察官が提出することは、少しも訴訟法に違反するものということはできない。

  よつて刑訴四〇八条により主文のとおり判決する。

  この判決は、小関弁護人の上告趣意第一点等の刑法一二七条の解釈問題について裁判官栗山茂、同真野毅、同島保、同藤田八郎、同谷村唯一郎の少数意見、井本弁護人等の上告趣意第一点等の刑訴四〇〇条但書による自判の問題について裁判官栗山茂、同小谷勝重、同谷村唯一郎、同小林俊三の少数意見の外、裁判官全員一致の意見によるものである。

  被告人Aの弁護人小関藤政の上告趣意第一点、同今野義礼の上告趣意第二点、同井本台吉及び草野治彦の上告趣意第二点、同上村進の上告趣意第二点、同吉田三市郎外四三名の上告趣意第九点に関する裁判官栗山茂、同真野毅、向島保、同藤田八郎、同谷村唯一郎の少数意見は次のとおりである。

草野耕一裁判長名判決 死体遺棄罪の「遺棄」の意義 最高裁令和5年3月24日

重判令和4年刑法4事件  死体遺棄被告事件 橋爪判例講座 刑法総論42頁

【事件番号】      最高裁判所第2小法廷判決/令和4年(あ)第196号

【判決日付】      令和5年3月24日

【判示事項】      1 刑法190条にいう「遺棄」の意義

            2 死亡後間もないえい児の死体を隠匿した行為が刑法190条にいう「遺棄」に当たらないとされた事例

【判決要旨】      1 刑法190条にいう「遺棄」とは,習俗上の埋葬等とは認められない態様で死体等を放棄し又は隠匿する行為をいう。

            2 被告人の居室で,出産し,死亡後間もないえい児の死体をタオルに包んで段ボール箱に入れ,同段ボール箱を棚の上に置くなどして,他者が死体を発見することが困難な状況を作出したという被告人の隠匿行為は,それが行われた場所,死体のこん包及び設置の方法等に照らすと,刑法190条にいう「遺棄」に当たらない。

【参照条文】      刑法190

【掲載誌】       最高裁判所刑事判例集77巻3号41頁

            判例タイムズ1510号163頁

            判例時報2570号108頁

            LLI/DB 判例秘書登載

【評釈論文】      研修900号55頁

            法学セミナー68巻8号116頁

            法学教室516号114頁

            警察学論集76巻9号174頁

            刑事法ジャーナル78号184頁

            法学新報130巻5~6号335頁

            国士舘大学比較法制研究46号181頁

            ジュリスト1597号140頁

 

       主   文

 

 原判決及び第1審判決を破棄する。

 被告人は無罪。

 

       理   由

 

 弁護人石黒大貴ほかの上告趣意のうち、規定違憲をいう点は、原審で何ら主張、判断を経ていない事項に関する違憲の主張であり、高等裁判所の判例を引用して判例違反をいう点は、事案を異にする判例を引用するものであって、本件に適切でなく、その余は、憲法違反、判例違反をいう点を含め、実質は単なる法令違反、事実誤認の主張であって、刑訴法405条の上告理由に当たらない。

 しかしながら、所論に鑑み、職権をもって調査すると、原判決及び第1審判決は、刑訴法411条1号、3号により破棄を免れない。その理由は、以下のとおりである。

 第1 本件公訴事実及び本件の経過

 1 本件公訴事実の要旨は、「被告人は、令和2年11月15日頃、熊本県所在の当時の被告人方において、被告人が同日頃に出産したえい児2名の死体を段ボール箱に入れた上、自室の棚上に放置し、もって死体を遺棄した」というものである。

 2 第1審判決は、公訴事実記載の日時場所で、「被告人がその頃出産したえい児2名の死体を段ボール箱に入れた上、自室に置き続けた」という犯罪事実を認定し、死体遺棄罪の成立を認め、被告人を懲役8月、3年間執行猶予に処した。

 3 第1審判決に対し、被告人が控訴し、事実誤認、法令適用の誤り等を主張した。原判決は、被告人の行為が刑法190条にいう「遺棄」に当たるか否かに関し、死体について一定のこん包行為をした場合、その行為が外観からは死体を隠すものに見え得るとしても、習俗上の葬祭を行う準備、あるいは葬祭の一過程として行ったものであれば、その行為は、死者に対する一般的な宗教的感情や敬けん感情を害するものではなく、「遺棄」に当たらないとした上で、双子のえい児(以下「本件各えい児」という。)の死体を段ボール箱に入れて自室に置いた行為(以下「本件作為」という。)は、本件各えい児の死体を段ボール箱に二重に入れ、接着テープで封をするなどし、外観上、中に死体が入っていることが推測できない状態でこん包したもので、葬祭を行う準備、あるいは葬祭の一過程として行ったものではなく、本件各えい児の死体を隠匿する行為であって、他者がそれらの死体を発見することが困難な状況を作出したものといえるから、「遺棄」に当たる旨判示した(なお、原判決は、第1審判決が認定した被告人の行為のうち、段ボール箱に入った状態の本件各えい児の死体を自室に置き続けた行為は不作為による「遺棄」に当たらない旨判示した。)。

 第2 本件の事実関係

 原判決の認定及び記録によると、本件の事実関係は、次のとおりである。

 1 被告人は、来日して技能実習生として働き、受入会社が用意した家屋(以下「寮」という。)で生活していたところ、自分が妊娠していることを知ったものの、そのことを周囲の者に言わず、医師の診察を受けなかった。

 2 被告人は、令和2年11月15日午前9時頃、寮の被告人の居室(以下「自室」という。)内で、本件各えい児を出産したが、いずれも遅くとも出産後間もなく死亡した。

 被告人は、少し休んだ後、自室において、本件各えい児の死体を、タオルで包み、段ボール箱に入れ、その上に別のタオルをかぶせ、更に被告人が付けた本件各えい児の名前、生年月日のほか、おわびやゆっくり休んでくださいという趣旨の言葉を書いた手紙を置いてその段ボール箱に接着テープで封をし、その段ボール箱を別の段ボール箱に入れ、接着テープで封をしてワゴン様の棚の上に置いた。

 3 被告人は、同月16日、妊娠の可能性を聞いた監理団体の職員等に連れられて病院で受診し、医師から検査結果を示され、同日午後6時頃、赤ちゃんの形をしたものを産んで埋めた旨話したため、同月17日、寮の捜索が行われ、前記2の状態で置かれた段ボール箱の中から本件各えい児の死体が発見された。

 第3 当裁判所の判断

 1 刑法190条は、社会的な習俗に従って死体の埋葬等が行われることにより、死者に対する一般的な宗教的感情や敬けん感情が保護されるべきことを前提に、死体等を損壊し、遺棄し又は領得する行為を処罰することとしたものと解される。したがって、習俗上の埋葬等とは認められない態様で死体等を放棄し又は隠匿する行為が死体遺棄罪の「遺棄」に当たると解するのが相当である。そうすると、他者が死体を発見することが困難な状況を作出する隠匿行為が「遺棄」に当たるか否かを判断するに当たっては、それが葬祭の準備又はその一過程として行われたものか否かという観点から検討しただけでは足りず、その態様自体が習俗上の埋葬等と相いれない処置といえるものか否かという観点から検討する必要がある。

 2 前記第2の2の事実関係によれば、被告人は、自室で、出産し、死亡後間もない本件各えい児の死体をタオルに包んで段ボール箱に入れ、同段ボール箱を棚の上に置くなどしている。このような被告人の行為は、死体を隠匿し、他者が死体を発見することが困難な状況を作出したものであるが、それが行われた場所、死体のこん包及び設置の方法等に照らすと、その態様自体がいまだ習俗上の埋葬等と相いれない処置とは認められないから、刑法190条にいう「遺棄」に当たらない。原判決は、「遺棄」についての解釈を誤り、本件作為が「遺棄」に当たるか否かの判断をするに当たり必要な、その態様自体が習俗上の埋葬等と相いれない処置といえるものか否かという観点からの検討を欠いたため、重大な事実誤認をしたものというべきである。

 3 以上のとおり、本件作為について死体遺棄罪の成立を認めた原判決及び第1審判決は、いずれも判決に影響を及ぼすべき法令違反及び重大な事実誤認があり、これを破棄しなければ著しく正義に反すると認められる。そして、既に検察官による立証は尽くされているので、当審において自判するのが相当であるところ、前記2のとおり、本件作為は刑法190条にいう「遺棄」に当たらないから、被告人に対し無罪の言渡しをすべきである。

 よって、刑訴法411条1号、3号により原判決及び第1審判決を破棄し、同法413条ただし書、414条、404条、336条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

 検察官大串雅里 公判出席

(裁判長裁判官 草野耕一 裁判官 三浦 守 裁判官 岡村和美 裁判官 尾島 明)

 

キャッシュカードすり替え型窃盗の実行の着手時期 最高裁令和4年 橋爪 判例講座 刑法総論 350頁

高橋則夫 刑法各論第4版 2022年 263頁 重判令和4年刑法第1事件

窃盗,窃盗未遂被告事件

                 最高裁判所第3小法廷決定/令和2年(あ)第1087号

                 令和4年2月14日

【判示事項】        いわゆるキャッシュカードすり替え型の窃盗罪につき実行の着手があるとされた事例

【判決要旨】        被害者に電話をかけキャッシュカードを封筒に入れて保管することが必要でありこれから訪れる者が作業を行う旨信じさせ,被害者宅を訪れる被告人が封筒に割り印をするための印鑑を被害者に取りに行かせた隙にキャッシュカード入りの封筒と偽封筒とをすり替えてキャッシュカードを窃取するという犯行計画に基づいて,すり替えの隙を生じさせる前提となり,被告人が被害者宅を訪問し虚偽の指示等を行うことに直接つながるとともに,被害者に被告人の指示等に疑問を抱かせることなくすり替えの隙を生じさせる状況を作り出すようなうそが述べられ,被告人が被害者宅付近路上まで赴いたなどの本件事実関係(判文参照)の下においては,被告人が被害者に対してキャッシュカード入りの封筒から注意をそらすための行為をしていないとしても,当該うそが述べられ被告人が被害者宅付近路上まで赴いた時点では,窃盗罪の実行の着手が既にあったと認められる。

【参照条文】        刑法43

              刑法243

              刑法235

【掲載誌】         最高裁判所刑事判例集76巻2号101頁

              LLI/DB 判例秘書登載

【評釈論文】        判例秘書ジャーナルHJ200042

              銀行法務21 883号66頁

              法学教室501号129頁

              捜査研究71巻6号39頁

 

       主   文

 

 本件上告を棄却する。

 当審における未決勾留日数中450日を本刑に算入する。

 

       理   由

 

 弁護人田中芳美の上告趣意のうち,判例違反をいう点は,事案を異にする判例を引用するものであって,本件に適切でなく,その余は,単なる法令違反,量刑不当の主張であり,被告人本人の上告趣意は,量刑不当の主張であって,いずれも刑訴法405条の上告理由に当たらない。

 所論に鑑み,窃盗未遂罪の成否について,職権で判断する。

 1 原判決の是認する第1審判決判示第15の窃盗未遂の犯罪事実の要旨は,次のとおりである。

 被告人は,氏名不詳者らと共謀の上,金融庁職員になりすましてキャッシュカードを窃取しようと考え,令和元年6月8日,警察官になりすました氏名不詳者が,山形県西村山郡a町内の被害者宅に電話をかけ,被害者(当時79歳)に対し,被害者名義の口座から預金が引き出される詐欺被害に遭っており,再度の被害を防止するため,金融庁職員が持参した封筒にキャッシュカードを入れて保管する必要がある旨うそを言い,さらに,金融庁職員になりすました被告人が,被害者をして,前記キャッシュカードを封筒に入れさせた上,被害者が目を離した隙に,同封筒を別の封筒とすり替えて同キャッシュカードを窃取するため,同日午後4時18分頃,被害者宅付近路上まで赴いたが,警察官の尾行に気付いて断念し,その目的を遂げなかった。

 2 所論は,被告人が,窃盗の目的物であるキャッシュカードを入れた封筒を封印する必要があるとうそを言い,被害者に印鑑を取りに行かせるよう仕向ける行為,すなわち,キャッシュカードから目を離させる行為が,被害者のキャッシュカードに対する事実上の支配を侵害する現実的・具体的危険性のある行為となるから,このような行為をしていない時点では窃盗未遂罪は成立しない旨主張する。

 3 記録によると,本件の事実関係は,次のとおりである。

 (1) 警察官になりすました氏名不詳者は,令和元年6月8日午後2時過ぎ頃,被害者宅に電話をかけ,被害者に対し,「詐欺の被害に遭っている可能性があります。」「被害額を返します。」「それにはキャッシュカードが必要です。」「金融庁の職員があなたの家に向かっています。」「これ以上の被害が出ないように,口座を凍結します。」「金融庁の職員が封筒を準備していますので,その封筒の中にキャッシュカードを入れてください。」「金融庁の職員が,その場でキャッシュカードを確認します。」「その場で確認したら,すぐにキャッシュカードはお返ししますので,3日間は自宅で保管してください。」「封筒に入れたキャッシュカードは,3日間は使わないでください。」「3日間は口座からのお金の引き出しはできません。」などと告げた(以下,これらの文言を「本件うそ」という。)。

 (2) 指示役の指示に基づき山形県西村山郡a町内の量販店で待機していた被告人は,同日午後4時10分頃,指示役の合図により,徒歩で,同町内の被害者宅の方に向かった。しかし,被告人は,同日午後4時18分頃,被害者宅まで約140mの路上まで赴いた時点で,警察官が後をつけていることに気付き,指示役に指示を求めるなどして犯行を断念した。

 (3) 氏名不詳者らは,警察官を装う者が,被害者に電話をかけ,被害者のキャッシュカードを封筒に入れて保管することが必要であり,これから訪れる金融庁職員がこれに関する作業を行う旨信じさせるうそを言う一方,金融庁職員を装う被告人が,すり替えに用いるポイントカードを入れた封筒(以下「偽封筒」という。)を用意して被害者宅を訪れ,被害者に用意させたキャッシュカードを空の封筒に入れて封をした上,割り印をするための印鑑が必要である旨言って被害者にそれを取りに行かせ,被害者が離れた隙にキャッシュカード入りの封筒と偽封筒とをすり替え,キャッシュカード入りの封筒を持ち去って窃取することを計画していた(以下,この計画を「本件犯行計画」という。)。警察官になりすました氏名不詳者は,本件犯行計画に基づいて,被害者に対し本件うそを述べたものであり,被告人も,同計画に基づいて,被害者宅付近路上まで赴いたものである。

 4 本件犯行計画上,キャッシュカード入りの封筒と偽封筒とをすり替えてキャッシュカードを窃取するには,被害者が,金融庁職員を装って来訪した被告人の虚偽の説明や指示を信じてこれに従い,封筒にキャッシュカードを入れたまま,割り印をするための印鑑を取りに行くことによって,すり替えの隙を生じさせることが必要であり,本件うそはその前提となるものである。

 そして,本件うそには,金融庁職員のキャッシュカードに関する説明や指示に従う必要性に関係するうそや,間もなくその金融庁職員が被害者宅を訪問することを予告するうそなど,被告人が被害者宅を訪問し,虚偽の説明や指示を行うことに直接つながるとともに,被害者に被告人の説明や指示に疑問を抱かせることなく,すり替えの隙を生じさせる状況を作り出すようなうそが含まれている。このような本件うそが述べられ,金融庁職員を装いすり替えによってキャッシュカードを窃取する予定の被告人が被害者宅付近路上まで赴いた時点では,被害者が間もなく被害者宅を訪問しようとしていた被告人の説明や指示に従うなどしてキャッシュカード入りの封筒から注意をそらし,その隙に被告人がキャッシュカード入りの封筒と偽封筒とをすり替えてキャッシュカードの占有を侵害するに至る危険性が明らかに認められる。

 このような事実関係の下においては,被告人が被害者に対して印鑑を取りに行かせるなどしてキャッシュカード入りの封筒から注意をそらすための行為をしていないとしても,本件うそが述べられ,被告人が被害者宅付近路上まで赴いた時点では,窃盗罪の実行の着手が既にあったと認められる。したがって,被告人について窃盗未遂罪の成立を認めた第1審判決を是認した原判断は正当である。

 よって,刑訴法414条,386条1項3号,181条1項ただし書,刑法21条により,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 戸倉三郎 裁判官 宇賀克也 裁判官 林 道晴 裁判官 長嶺安政 裁判官 渡邉惠理子)

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