不倫関係にある者への包括遺贈と民法90条 佐久間毅ほか『民法Ⅰ 総則 第2版補訂版』有斐閣・2020年・139頁
民法判例百選Ⅰ 第6版 13事件 第8版 12事件 第9版11事件 遺言無効確認等請求事件
最高裁判所第1小法廷判決/昭和61年(オ)第946号
昭和61年11月20日
【判示事項】 不倫な関係にある女性に対する包括遺贈が公序良俗に反しないとされた事例
【判決要旨】 妻子のある男性がいわば半同棲の関係にある女性に対し遺産の3分の1を包括遺贈した場合であっても、右遺贈が、妻との婚姻の実態をある程度失った状態のもとで右の関係が約6年間継続した後に、不倫な関係の維持継続を目的とせず、もっぱら同女の生活を保全するためにされたものであり、当該遺言において相続人である妻子も遺産の各3分の1を取得するものとされていて、右遺贈により相続人の生活の基盤が脅かされるものとはいえないなど判示の事情があるときは、右遺贈は公序良俗に反するものとはいえない。
【参照条文】 民法90
民法964
【掲載誌】 最高裁判所民事判例集40巻7号1167頁
家庭裁判月報39巻3号27頁
最高裁判所裁判集民事149号165頁
裁判所時報950号1頁
判例タイムズ624号89頁
金融・商事判例765号25頁
判例時報1216号25頁
金融法務事情1145号32頁
【評釈論文】 愛媛法学会雑誌14巻4号81頁
公証法学17号71頁
戸籍時報655号73頁
ジュリスト879号84頁
ジュリスト臨時増刊887号60頁
別冊ジュリスト99号224頁
専修法研論集2号153頁
専修法研論集4号179頁
東京公証人会会報4号179頁
判例タイムズ677号22頁
判例評論342号202頁
法学協会雑誌107巻9号193頁
法曹時報41巻2号344頁
法令ニュース22巻5号34頁
民事研修647号34頁
民商法雑誌98巻5号655頁
主 文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人らの負担とする。
理 由
上告代理人下光軍二、同佐藤公輝の上告理由第一について
所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足り、その判断の過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。
同第二、第三について
原審が適法に確定した、(1)亡二郎は妻である上告人春子がいたにもかかわらず、被上告人と遅くとも昭和四四年ごろから死亡時まで約七年間いわば半同棲のような形で不倫な関係を継続したものであるが、この間昭和四六年一月ころ一時関係を清算しようとする動きがあつたものの、間もなく両者の関係は復活し、その後も継続して交際した、(2)被上告人との関係は早期の時点で亡二郎の家族に公然となつており、他方亡二郎と上告人春子間の夫婦関係は昭和四〇年ころからすでに別々に生活する等その交流は希薄となり、夫婦としての実体はある程度喪失していた、(3)本件遺言は、死亡約一年二か月前に作成されたが、遺言の作成前後において両者の親密度が特段増減したという事情もない、(4)本件遺言の内容は、妻である上告人春子、子である上告人夏子及び被上告人に全遺産の三分の一ずつを遺贈するものであり、当時の民法上の妻の法定相続分は三分の一であり、上告人夏子がすでに嫁いで高校の講師等をしているなど原判示の事実関係のもとにおいては、本件遺言は不倫な関係の維持継続を目的とするものではなく、もつぱら生計を亡二郎に頼つていた被上告人の生活を保全するためにされたものというべきであり、また、右遺言の内容が相続人らの生活の基盤を脅かすものとはいえないとして、本件遺言が民法九〇条に違反し無効であると解すべきではないとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は、独自の見解に立つて原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 谷口正孝 裁判官 角田禮次郎 裁判官 高島益郎 裁判官 大内恒夫 裁判官 佐藤哲郎)
上告代理人下光軍二、同佐藤公輝の上告理由
原判決には、理由不備、理由ソゴまたは審理不尽の違法、または判決に影響を与える法令の解釈、適用を誤まり、または経験則違反があつて、破棄を免れない。
第一 〈省略〉
第二 原判決は、本件遺言は民法九〇条に違反しないと判示する。しかし、右については法令の解釈につき誤りがあるとともに、経験則違反、審理不尽、理由不備の違法がある。
一 遺言の存在と不倫な関係について。
1 判例は婚姻の純潔を冒し、一夫一婦制を破る関係を成立させることを内容とする法律行為は無効であるとする。婚姻外の情交関係を継続する旨の契約や、妻を離婚して婚姻するという予約はいずれも善良の風俗に反して無効である(大判、大九、五、二八)としている。
2 本件の如き、婚姻外関係継続中に、男性から、いわゆる愛人である女性に遺贈をなした場合の効力については原則的に不倫な関係を維持させるための遺贈と考えるのが経験則に合致するところである。例外的に、受遺者である女性の老後の生活保障などの理由の場合、有効とされるのである。
原判決をみると、あえて、不倫関係の維持継続のために遺言は必要でなかつたとして、被上告人の将来の生活のためだとしている。即ち、男性側は女性をひきとめておくためにどうしても必要というような理由がなくては、維持継続と言えないという解釈であり、でなければ、有効というようであるが、これは原則と例外を逆にした解釈で、誤りであると言わなければならない。なぜなら、不倫関係を維持、継続させるためには、現実の生活費の供与のほかに、二人の関係をより強く結びつける点において、遺言のもつ意味は大きいとみるべきである。それは、第三の一の6において明らかにしたように、本件遺言を作る必要性において、合理的な理由がないのである。そして、本件のように、不倫関係のある者に対して、相当の財産を遺贈することにより、不倫関係を絶止することは考えられないし、相手の女性の気持を、より自分に向けさせ、安心させることにより、互の関係をさらに緊密にし、深い関係にさせるのが目的であるのが通常と考えられる。
遺言書は遺言者が死亡しなければ、遺贈の内容の実現がないのであり、不倫な関係の破綻があれば、遺言が取消されたり、書き換えられたりする恐れもある。
従つて、遺言者の方から、相手方に対し、不倫な関係を強要しなければならないような事情がなくとも、不倫な関係を維持継続することが固定化することは確実である。これは不倫の被害者たる妻の立場からすれば、婚姻秩序の著しい破壊の固定化の契機となるのであり、そのことが公序良俗違反でないとするのなら、遺贈が通常人の目からみて納得できるような場合に限るべきである。たとえば、本妻との関係が形骸化しているような場合の重婚的内縁の妻、妾といつても長期間男性のために尽くし、共に事業をなすなどし、老令、あるいは二人の間に子がいて働くことができないため生活保障が必要とされるような場合である。
3 本件の場合、遺言書の作成前後において、両者の関係の親密度が特段増減したという事情もないと原判決は認定している。即ち、遺言書を必要とする事情はなかつたということである。この間の事情は間接的に推測するしかないが、上告人春子が述べているところだと、亡二郎が遺言書を書くよう強要されていた事情があつたことは推測される。被上告人はそれ以前にも、自分でも遺言書類似のものを書いたりしているところをみると、遺言書作成に熱心であつたことが推認される。本件遺言も、右のように被上告人が主導権を握つた上で作成されたことは充分に推測されるのである。
亡二郎が遺言をやむを得ずに書いたことはその中で歴史教育研究所の維持について、非常に気にして、「絶対なり」とか「承服せず」というような強い表現を用いていることからもわかる。亡二郎は被上告人に遺産をやつた場合、学問に興味のない被上告人のことゆえ、先行が心配ということが第一にあつたと思われる。亡二郎が研究所の維持について、上告人乙野より被上告人を信用していたなどということは、後述(第三点二の13)するように、証人丙山冬子の証言の信用性から考えても全く作り事としか思われない。
このような状況での遺言を、亡二郎から被上告人に不倫の継続を求めたことが主な動機ではないといつて有効となすのは、民法九〇条の趣旨に反すると言わざるを得ない。
結局、被上告人は、せつかく書かせた遺言の実現までは、即ち、亡二郎の死まで亡二郎との関係を維持しようということにならざるを得ないのであり、現に、亡二郎の死亡の直前まで交渉を続けている(証人山田の証言)。
亡二郎にとつても、被上告人に性的にひかれていたこともあろうが、遺言まで書いてやつたということも関係を断てない気持を強めたはずである。作成の状況自体も全く、夫が不倫の関係の女性に遺産を贈与するもので、妻の権利立場をないがしろにするものであつた。まさに公序良俗に反している。
一方で、本当に原判決の認定するよう、もつぱら被上告人の生活の保障という目的であつたかどうかは、結果として、生活を保障されるということはあるかもしれないが後述するような被上告人の年令、将来の展望等考えると、その必要性のある状況でもなかつたし、また亡二郎にその責任があつたと考えられる状態でもなかつたのである。即ち、遺言が納得できるような場合ではなかつたのである。それは、妻の上告人春子が古風な女性のため、ヒステリックに亡二郎を責めたりしていないにしても、関係が稀薄化していたわけではなく(むしろ、遺言書のことでは困つていることを相談されてもいる)、本妻という妻の座を守つていたわけであるし、一方、被上告人においては、性的な関係以外では亡二郎に尽くしていたこともなく、経済的な貢献はおろか、多額の金品を供与させていた事実もあり、別れ話の時には、金銭的な解決を一度は図つていた。年令は三〇歳そこそこで、水商売をしてきた女性としては、当時は働けないような精神、肉体の異常があつたとは思えないから、生活に困るようなことは考えられなかつた。まして、遺言書作成当時は既に六〇〇万円(現在の物価に換算すれば二〇〇〇万円近いものとなる)を亡二郎から取得している。従つて、生活保障の必要性は全くない女性であり、仮にあつたとしても、遺産の三分の一というような多額を与えることはなく、また、多額ということだけでなく、分割の方法としても、相続人との間で紛争の起こるような分与のしかたをして生活保障をするのは納得はいかない場合であつた(何年間かの生活費として五百万円とか一千万円という程度というのならまだ納得できる)。
4 従つて、原判決の被上告人の将来の生活が困らないようにとの配慮に出たというのは、証人丙山冬子の信ぴよう性の薄い証言のみから認定した独断としか考えられない。
また、「愛人」とか「妾」関係にある者に対する遺贈は、原則として無効であるから、これを有効と認定するためには、原判決も言うように「生活に困らないようにとの配慮」が必要である。ところが、原判決は、被上告人が生活に困るのかどうか、遺言時の当事者の年令、資産、職業、収入、結婚の有無等何ら具体的な事実を認定することなく、漠然と「生活に困らないようにとの配慮」があると判示した。この点からも、原判決には審理不尽がある。
二 結局、原判決の判断は、民法九〇条の解釈運用を誤まるとともに、経験則にも違反し、審理不尽、理由不備の違法があるというべきである。第三 原判決は「被控訴人に対する財産的利益の供与も必ずしもこれが社会通念上著しく相当性を欠くものともいえないご(第一審判決書一四丁表)と判示し、本件遺言は民法九〇条に違反しないとした。しかし、この判示には、後述するような点から考えると、理由不備ないしは理由齟齬の違法がある。
一 本件各証拠によれば、以下の事実がそれそれ認められる。
1 被上告人の性格。
(一) 上告人らが、亡二郎の依頼により、○○レジデンスを訪ねたところ、その部屋は、足のふみ場もないほど五ミリから一センチぐらい異常なまでの切りきざんだ衣類やガラスの破片がちらばつていた。その当時被上告人と話をした田辺弁護士は「ものすごいメチャメチャな人で今日のところは話にならない」と言つていた。昭和四六年一月四日には、被上告人が包丁を持ち出し、異常なまでに興奮して上告人乙野の目の前で電話線を切つた。
甲第一三号証の二や、上告人春子の証言からも明らかなとおり、被上告人は狂言自殺を図つたこともある。被上告人は、亡二郎とけんかした時も、五分毎に亡二郎のところへ電話を掛けてきたため、亡二郎は、その異常な行動に脅え、その電話番号を変更した。被上告人は、昭和四六年一月、確認書を作成して、亡二郎との関係を清算したにも拘らず、その翌月にはあえて亡二郎の居住する富ケ谷の近くに引越して来たこと、その後にこれを知つた上告人乙野が被上告人に亡二郎との関係について問い正すと、被上告人は怒鳴つて、確認書は無効だ、交際は自由だとひらきなおつた。
また、被上告人の家庭環境は良くなく、生活保護を受け、一〇人で六畳と二畳の二間で生活していた。被上告人の家系には精神薄弱の者がいたり、また、母親による子供の教育も十分になされていなかつた。被上告人の友人小田花子が被上告人にたのまれて、掃除等のアルバイトに行つたが「足のふみ場もない程乱雑を極め、食器洗いや洗濯すらも満足にせず、前日から水につけつ放しであつた」こと等のため、友人小田は二ケ月程でそのアルバイトをやめた(甲第一五号証四三頁)。亡二郎の死亡後も被上告人は、亡二郎名義で飲食したため、そのツケが出て来たこと(上告人の控訴審供述)、被上告人と小口朝子なる人物との異常な共同生活が認められる(甲第一六号証)。
(二) これらの事実を総合すれば、被上告人は精神的な異常性格を有していたことがうかがえる。そして、物事を感情的に行い、気に入らないと怒鳴るとか、衣類をひきさく、電話線を切る等の行動を示していた。小口朝子氏との同居生活も重なり、その精神的異常は増増強度を増し、ついには精神病院に入院する程の重度になつた。
亡二郎は、このような被上告人の異常な感情が爆発するのを恐れており、本件遺言も被上告人のいうがままに作成されたものと思われる。
2 被上告人の職業。
(一) 被上告人は、昭和一八年生れの七人姉妹兄弟の四女で、変人といわれた父、末弟を生んだ後直ぐ家出した母をもつたが、貧窮の家庭に育ち(父は無名の画家で、しかも、絵筆もあまり握らなかつたし、昭和四五年一月死亡)、一家十名が狭い六畳と二畳の二間に居住し(とくに、長兄と末弟は精薄状態で、一時は生活保護を受けていた)、ようやく中学を卒えた後は、家計を助けるべく早く家を出て独りで水商売で生活を維持していた。被上告人は昭和四二~三年ころには、その水商売を通じ、当時すでに著名人であつた亡二郎を知るようになるや、他の「ホステスと客の関係」と同じように、同人より多額の金員をせしめることを目的として情交関係を結んだ。
また被上告人は、証人山田と知り会うや、勝手に同人の手帳に自己の電話番号(甲一九ノ四)を記入した。これは、水商売の女性が自己の客を獲得するために通常行う手口である。
(二) このように、被上告人の生活は、長い間水商売を続けては特定あるいは不特定の人から援助を受けるなど、「色と欲の半生」といえる生活史であつた。これと思つた男と見れば積極的に近づき、関係がつけば手をかえ品をかえ金銭を要求するのであつた。被上告人は、亡二郎と知り合つてから、同人からの生活の援助もあつて、一時夜の仕事をやめたこともあつたが、再度勤めに出ていた。このような被上告人の生活態度を考えると、本件遺言も、被上告人の強い希望のもとに作成されたことは明らかである。
3 被上告人と亡二郎の関係。
(一) 昭和四二~三年ころ、亡二郎は、酒が好きで夜の町を飲み歩いていた。そんな時、亡二郎は被上告人の接客を受けるようになり、二人は深い関係に入つた。2項のような被上告人の生活態度を考えると、二人の関係は当初お金目あてであつた。やがて被上告人は、亡二郎の当時の仕事場であつた○○レジデンスに押しかけ、そこで寝泊りするようになつた。その頃から、被上告人は、亡二郎に、乙第二号証、甲第一六号証のような書面を作成させて金員の支払いを約束させ、狂言自殺を装う等しては、亡二郎より金員を支払わせようとした。昭和四六年一月四日、被上告人は亡二郎の右ほほを傷つける等の乱暴を働いて、ついに同人に乙第二号証の三のような確認書を作成させた。もつとも、この間二人は、同じ室に寝泊りしたことはあるものの、被上告人は、家庭の主婦らしい仕事は全くしておらず友人をアルバイトとして雇つて室の掃除をさせていた程であつた。
ところが、被上告人は、右確認書を作成して一ケ月も経過しない内の同年二月ころ、あえて、亡二郎の住居の近くに引越したが、上告人乙野が、亡二郎と手を切るよう申し出たこともあつて、同年一二月ころには××の小田急××ビルに引越した。その間被上告人は、前記確認書を無視し、亡二郎を呼び出していた。亡二郎も、従前の1項のような経緯があることもあつて、無理に断わることが出来ず、時々被上告人と会つていた。しかし、本書面第一点でも述べたように、亡二郎と被上告人との間には半同棲はなかつたし、昭和四八年△△ハイムが完成し、亡二郎の研究所もそこに移つたため、その後は被上告人と同棲したというようなことはなかつた。
もつとも、亡二郎は、金が出来るとホステス遊びをしており、他にも女性関係もあり、被上告人との間の交際も、遊びの域を出るものではなかつた。昭和四九年五月、被上告人が上大崎に引越した後も、亡二郎は数回被上告人と会つていた。
(二) 以上のような事実によれば、被上告人と亡二郎の付き合いは、「ホステスと客」の関係にすぎない。しかも被上告人は、これまでに述べたところからも明らかなとおり、金に対する執着心が強く、亡二郎を「金の成る木」のように考えていたふしがある。
そして、亡二郎は、被上告人の若い肉体にも魅力を感じていたこともあろうが、余りに異常な同人の言動に脅えて、被上告人の呼出しがあつた時のみ同人に会いに行つていたのが実情である。原判決は、これをもつて半同棲と認定するが、第一点でも述べたとおり不当な判決である。
亡二郎が被上告人に気を寄せていたとしても、昭和四五年一〇月1同四六年一月ころまでの被上告人の異常行動や、上告人春子と一ケ月余り都内を逃げ隠れしていたことをあわせ考えると、すでに確認書を作成した時点で、被上告人に対する好意は消失していたものと言わなければならない。亡二郎は、「女から逃げ出す法律の本」(甲二三号証)を講読しており、このことをみても、亡二郎は被上告人と手を切る方法を必死で考えていたことがうかがえる。
丙山冬子の証言によれば、被上告人宅に亡二郎が来訪していた事実が認められる。しかし、同人の証言は後述するとおり、措信し難く、また、これが事実であつたとしても、そのことから、すでに被上告人に対する愛情が消失している亡二郎と被上告人との関係を半同棲と認定するのは論理の飛躍である。
4 上告人春子と亡二郎の夫婦関係。
上告人春子は、昭和二二年亡二郎と婚姻して以来三〇年近くにわたり、亡二郎と協力して今日に至つたものであり、亡二郎の地位、名誉、財産は、上告人春子の内助の功によるものである。
亡二郎が被上告人を知るようになつた昭和四二~三年ころは、上告人春子は静養のため伊東の別荘で生活することもあつたが、第一点でも述べたとおり大半は亡二郎と一緒に生活をしていた。また、昭和四五年1四六年ころ、上告人春子は亡二郎と一緒に、被上告人から逃げるため、一ケ月近くにわたり都内のホテルを転々としていた。
昭和四八年には△△ハイムが完成し、亡二郎夫婦らはこちらに移り住んだが、その後仕事の都合もあつて秦野市の方に引越したのである。その間一度も離婚の話はなかつた。このように、亡二郎と上告人春子の関係は、第一でも述べたとおり、円満な夫婦であつた。
この点、原判決は「夫婦としての実体はある程度喪失していた」と判示するも、これに添う証拠はなく、重大な事実誤認が認められる。
5 昭和四六年一月四日確認書作成経緯。
(一) すでに述べたとおり、被上告人が金銭目的でこのような書面を作成させたことは明らかである。このことは、後日、合計六〇〇万円以上を受領していることからも推認できる。しかも、その作成に至る事情は、前に述べた他に、亡二郎は、上告人らに対し、「二人に見張られている」「脅迫されている」「ガラスを投げ付けられた」「便所から逃げてきた」「二〇〇〇万円要求された」「指輪を買えといわれた」「おどされたり書かされたりするので逃げ廻つた」と話していた。右ほほに七センチ位の傷を作り、ワイシャツが血で赤く染まつていた。また、亡二郎の新聞対談も予定されていたが断つたというようなこともあつたのである。
(二) 被上告人は、亡二郎と会つて二~三年して、このような、非常なまでに激しい言動で亡二郎に財産を強要したものである。亡二郎としては、被上告人の右のような言動に恐怖を感じ、且つ、自己の地位、名誉が傷つけられることを怖れて、やむを得ずこれに応じたものである。従つて、その目的は不当な目的に他ならない。上告人乙野も、早く別れさせようとして、相当高額な手切金を被上告人に交付することを約束した。本件確認書は、このような被上告人の金銭目的の行為により作成されたものである。
6 本件遺言書作成の動機。
(一) 本件遺言の作成の経緯は、亡二郎が急に「紙を出すように」「どんな紙でもいい」と言つて、被上告人が出した紙に本件遺言をしたということである(丙山冬子五九、二、一五)。本件遺言をするに至つた経緯については何も書かれていない。亡二郎は、本件遺言当時も元気で、死を予想されるような状態とは思われなかつた。上告人らや被上告人も亡二郎の死は信じられなかつたと言つている。亡二郎は「書いてくれと言つて毎晩ねかせてくれない。判を押さなければよいということで落書をしたらその晩は寝かせてくれた」「判は押さなかつた」と言つていたことが、春子の供述で見える。
(二) 以上の事情によると、亡二郎には遺言を書いて死後の財産整理をしなければならない事情は全くなかつた。むしろ、被上告人が執拗に遺言を書くことを求めたためこれに屈して本件遺言を作成したと言うのが真相である。本件遺言の作成には合理的動機がない。右証人丙山冬子の証言も、本件遺言の作成の点だけは明確に証言するが、それに至つた事情については何も話がなかつたと証言しており、この点から見ても、本件遺言の作成には任意性について問題があるといわなければならない。
7 強迫による遺言。
(一) 被上告人は、すでに述べたとおり、ホステス業に身を置き、不特定または多数の者から媚を売つては金品を受け取つて生活をして来ており、亡二郎との関係も、ホステスと客から出発したが、何処までも被上告人は金目当のものであつて、それ以上のものとの証拠はな
被上告人はすでに述べた異常性を有しており、亡二郎もそれがためひどい目にあつたことがあつた。そのため、遺言の作成を断わると何をされるやら判らないという不安が亡二郎にはあつた。また、亡二郎は、これまでにも確認書等、被上告人から色々と金員を支払う旨の文書を書かされて来た。また、亡二郎は、被上告人に月々相当額の援助をしていたものと推測されるが、その他に中野のマンション売却代金六〇〇万円以上を支払つて来た。その結果、被上告人と手が切れると思つていたが、被上告人はいやがらせのため昭和四六年二、三月ころから同年一二月ころまで、わざわざ亡二郎夫婦の居住する近くに住み、亡二郎に取り入ろうとした。また右6項で述べたとおり、亡二郎は、遺言書を書かなくては寝かせてもらえない程被上告人から暴言を受けていた。このような事実を前提とする限り、証拠上は必ずしも明らかではないが、被上告人は亡二郎に対し、同人の意思に反して金員の交付を要求していたものと推察される。
他方、亡二郎は、高校の歴史教科書を出す等、研究者としても世間的に著名人となり、そのため地位や信用、資産等も高くなつて行つた。亡二郎が被上告人と交際するようになつた頃には、出版記念パーティをする等、その交際も広かつた。これに対し、被上告人は、ずつと水商売を続けており、その教養、社会的地位、信用、資産、交際範囲等、どれをとつても亡二郎の比ではなかつた。そのため、亡二郎と被上告人との関係が世間に公表され、あるいはマスコミに取りあげられると、その痛手を受けるのは亡二郎であった。
右のような状況下で本件遺言は作成された。
(二) このような事情に鑑みると、亡二郎が被上告人の暴言や乱暴な行為から当面免れようとして本件遺言を作成したものと推測される。これは被上告人の強迫による意思表示である。
仮りに、民法九六条一項の強迫の要件を備えないとしても、本件遺言は被上告人の異常な行為に影響され作成したものである。
この点、原判決は、本件遺言作成の背景として、「しかし、その後間もなく亡二郎と被告の交際は復活し・・・・・・世田谷区××所在の小田急××ビルに移り、亡二郎もそこに寝泊りしたりして両者の関係は継続した。・・・・・・被告も品川区上大崎所在の賃貸マンション□□ビルを賃借し、・・・・・・賃借りするについては亡二郎も被告に同行し、・・・・・・契約に立あつた。そして、右マンションにも時々亡二郎が来訪し、被告との関係を続けていた。」(一審判決書九-一〇丁)と判示している。
このような事実から直ちに本件遺言が正当に作成されたと見るのは早計である。けだし、これまでの事情(殊に昭和四五年~四六年)を考えると、亡二郎と被上告人の関係が、亡二郎の全遺産の三分の一を遺贈する程に深い愛情関係にあつたとは思われない。むしろ、余りにしつこく被上告人が亡二郎を呼び出し、面会を求めるため、亡二郎はやむ無く同人と面会していたと推認するのが合理的である。いわんや、被上告人は亡二郎より二回にわたり金六〇〇万円を受領しており(一種の犯罪行為にもなりかねない行為)、ことに二回目の受領は、本件遺言の約八ケ月位前であることからみて、到底両者間には、自然に死後の生活を保障しなければならないような関係があつたとは思えないし、また、遺言をするような愛情関係がある等、合理的な理由はなかつたといわなければならない。
8 遺言の筆跡等について。
(一) 本件遺言当時、亡二郎は健康で、手がふるえて字が書けないということはなかつた。亡二郎は、学者で文章は文意明瞭で、文字も几帳面で、日頃からきちつと書いていた。遺言書の「遺言」という字も、住所の表示のある箇所の前に後から書きくわえたような位置に書かれている。遺言書の書き始めと書き終りの住所の地番がさがつている。妻の名前も間違つている。また、全体の字が乱れていて、判読もできない状態の字を綴つてある。それに、筋の入つている罫紙に書いているのに、行が斜めになつたり曲つたりしている。亡二郎の文章は、甲第一二号証、乙第二号証の一、二のとおりである。とくに、後者においては、亡二郎は、大事な書面であることを意識して、二枚目の最後の行には、つけくわえたり、抹消できないように、「右協約事項、二枚七項目参拾七行(本文)ある。」と記載している程である。その上、壱字追加している個所には、欄外に壱字追加として特別に印をおしている程である(もつとも甲一号証の方にも壱字訂正の欄外印がおしてあるが、行が違う場所になつている)。上告人乙野や証人山田も、本件遺言が亡二郎のものでないと証言し、それ程、平素の亡二郎の文章と掛離れており、本件遺言の異常さを表わしている。
(二) このように、本件遺言は、亡二郎の日頃の文章からすれば到底考えられないものである。これは、亡二郎が、被上告人の要求に応じなければ、命も危い状態におかれることを恐れて、真意でもないのに、心の平静さを失い、その場逃れのためにやむなく筆をとつたものと思われる。
そして、男女間によくあるように、痴話げんかの末とか、浮気騒動の場合男性側が詫び状や誓約書などを書かされるが、これと同様その場逃れに書いた「ざれ言」に過ぎないものと思われる。これもかねてから被上告人のこわさを知つているので、いわれるまゝに、恐怖心から真意でないのに書かされたものである。
9 亡二郎の財産内容。
(一) 原判決は、亡二郎の財産内容について何ら審理せずして、「被告に対する財産的利益の供与も必ずしもこれが社会通念上著しく相当性を欠くものともいえない。」(第一審判決書一四丁)と判示した。
(二) しかし、「相当性」かどうか単にその割合や、亡二郎と被上告人との関係等から一律に決定することはできない。亡二郎が、本件遺言をした当時の亡二郎の収入、支出の内容、積極財産の内容、消極財産の内容、歴史教育研究所への援助の内容、被上告人への生活費支給の有無、額、上告人らの生活の程度、内容、歴史教育研究所の活動状況(殊に亡二郎は、遺言書からも明らかなとおり、同研究所の存続には強い希望を有していた)、口頭弁論終結時の財産状況、歴史教育研究所の活動状況等を確定して、総合的に判断すべきである。
また、原判決は、本件遺言が有効であることの根拠として「他方の生活を保全するために遺贈がなされたにとどまるときは」(第二審判決書四丁)と判示する。してみれば、被上告人の遺言当時の生活レベル、将来の見通し、亡二郎の財産状況、被上告人の年齢、収入の可能性の有無、結婚の有無その可能性、上告人らの生活状況、年齢、収入の有無等を考慮して、初めて本件遺言による遺贈の割合が被上告人の生活を保全するに足りるものか否かが判断されるのである。
東京地昭和五一年五月二六日判決(判例時報八三八-五七)によれば、「・・・・・・本件財産の供与の主目的は、債務者および子の将来の生活が困らないようにとの配慮に出たものであることが一応認められること、その額も、太郎と債務者との前記第四項認定の関係及び太郎の資産を考慮すれば必ずしも過大とも言えず・・・・・・本件契約は民法九〇条に違反し無効と解すべきでない」と判示し、その額についても判断資料の一部としている。
原判決は、これらの点について、何ら審理することなく、単にその割合が著しく不相当とは言えないと結論する。これは審理不尽あるいは理由不備といわなければならない。
10 遺贈の割合。
(一) 本件遺言は、全遺産の三分の一を被上告人に与えるものである。ところが、これまでに述べた亡二郎と被上告人との関係、亡二郎と上告人らとの関係から見て、平等とすることは不合理である。もし、これを合理的なものとして認定するには、被上告人において、上告人春子や乙野と比較して優劣を付け難い程度に、精神的、肉体的に亡二郎に協力した事実が必要である。ところが、記録によれば、肉体的協力は別としても(それも僅か数年)、精神的協力は絶無いやマイナスであると言わなければならない。
(二) このように、「三分の一」という割合それだけをとつても、不合理と言わなければならない。
11 適切な裁判例
(一) 福岡地方裁判所小倉支部昭和五六年四月二三日判決(昭和五二年(ワ)第五五八号-家庭裁判所月報三三巻第一二号)も、一三年間続いた不倫の関係にあつた女性に対し、三分の一の包括遺贈をした遺言について、「強いて関係を結んだ謝罪の意味と、永年世話になつた感謝の意味があつたとしても、二九歳も年下の女性に対し、気持をつなぎとめておく-配慮がうかがわれ、情交関係を維持継続したい強い希望に応じてくれるであろうことを前提としたもの」と断じた上、贈与の態容が著しく不合理(包括遺贈で住宅等を妻と共有にするなど)であるばかりでなく、その内容も過大(三〇%)だとして、社会通念上相当のものとは到底認めることができないとしているのである。
この判示も、総て本件にも当てはまるもので、亡二郎が被上告人に対して全財産の三分の一の持分権という多額な財産を(三〇年近く連添つた、生活の苦しいときは着物を売つて家計のたしにした程の内助の功も顕著な妻、自分の歴史研究やその主宰する研究所の事業などを助け、著書の出版にも協力した教師の一人娘と同額)与えなければならない理由は全く存在しない。とくに、妻子が居住している住宅や研究所の土地建物などについても共有にするという贈与形態は極めて不合理である。
(二) なお、以上の本件の場合と同じように、相手の歓心を買う目的で、妻子の居住土地建物の一〇分の一の持分権等を包括遺贈の遺言について「財産形成に寄与し、経済的に全面的に夫に依存する妻の立場を全く無視するもので、その生活の基盤を脅かすものであつて、不倫な関係にある者に対する財産的利益の供与としては、社会通念上著しく相当性を欠くもの」として、公序良俗に反するとの裁判例もある(東京地方裁判所昭和五八年七月二〇日民一〇部判決、昭和五一年(ワ)第一三二八号-判例時報一一〇一号五九頁)。
12 実現不可能な遺言
(一) 本件遺言書の後半には「但し、歴史教育研究所(渋谷区△△町24番九号壱〇壱号の維持費用については、右参名の間にて第三者立会の上、公正に配分すべき事絶対なり、右に違反するいかなる決定にも承服せず」( )印のカツコはない)。との記載がある。右遺言及び証人山田の証言等から、亡二郎は右研究所の存続(研究所に対する個人的援助)については、強い希望を有し、これを打ち切ることは遺言者の意思に反することがうかがえる。
(二) △△ハイムの土地建物は、相当の高額と推察される。この財産を含む亡二郎の全財産を三分の一の均等割合で配分するとすれば、当然に右△△ハイムの売却を考えなくてはならなくなる(三人の共有関係の持続は考えられない)。このことは、右研究所の廃止につながるものと言わなければならない。即ち、右△△ハイム一〇一号室は右研究所のある建物であるが、この建物が第三者に売却されるということは即ち、一〇一号室の賃料(場所柄を考えると月額数十万円となる)の支払いを余儀なくされる。そうでなくとも、亡二郎はこれまで、私財を右研究所につぎ込んでいたことを考えると、その負担は莫大なものになる。その維持はほとんど亡二郎とその相続人たちの建物、蔵書等の提供と出費に頼つている現状では、到底同研究所を維持することは困難となることは必定である。また亡二郎自身も、右△△ハイムの売却まで考えて遺言したとは考えられない。
また、△△ハイムの売却は、上告人春子の生活を脅かす結果となる。上告人春子は、相当高令であり、しかも本件で相当な精神的苦痛を受け、その結果ノイローゼになつている。上告人は亡二郎と平穏な余世を送ろうとしていたところ、被上告人による本件遺言の結果、△△ハイムを売却するようになると被上告人は、本件建物以外に生活の基盤となるような遺産がないので、生活の基盤を失うことになる。現在の△△ハイムがある限り、同所からの賃料収入によつて上告人春子の生活はまかなわれているからである。亡二郎が、上告人春子のこのような生活権まで奪つて、被上告人に財産を遺贈するものとは考えられない。
13 丙山冬子の証言の信用性
(一) 原判決は、右冬子の証言を採用し、「本件遺言作成時、またはそのころにおいて、両者の関係は平穏に推移していたものと認められ」、(第一判決書一二丁)と判示している。
しかし、右証言は、二項で述べるように不自然な点があり、とうてい採用することは困難である。
(二)(1)上告人らが依頼した調査人が、同人を訪問し質問したところ、自分に都合の悪いことは話さなかつた(甲一五)。
(2)証人冬子は、「被上告人の勤め先まで聞いていない」(59・2・15付二三)と証言する。しかし、被上告人と一番親しくしていたこと、月二回位被上告人宅に行つていたこと、妹の仕事を知つていた(七月八日付四)と言うのにその勤め先を知らなかつたというのは不自然である。
(3)証人は、被上告人から遺言のことは聞いたが、協議書のことは聞いていないといつている(同日付二五)。
(4)二月一五日付調書では、「被上告人よりきてくれと言われて遊びに行つたのではない」(四〇)といいながら、七月一八日付調書では、「電話があつてよく行つた」と証言している。
(5)二月一五日付調書では、証人は「x×のマンションに行つた」(六)といいながら、七月一八日付調書では「病気で行かなかつた」(三)と証言している。
(6)証人は、被上告人を「月二回位」尋ねたと証言しているが、x×マンシヨンの時は、「病気で行かなかつた」とか「きまずい思いするから外で会つた」(二月一五日付四)と言つていながら、さも亡二郎が被上告人のマンションに寝泊りしていたのを見たように証言している。
(7)証人は、□□ビルで「亡二郎がどんな荷物を持つていたか知らない」(七月一八日付)といいながら、他方では「妹の仕事着の有無や亡二郎の着替え」まで知つている(同日付四)と証言しており、不自然である。
(8)□□ビルを賃借する当時、被上告人はすでに亡二郎から六〇〇万円も受領しており、マンションを賃借する金がないことはなかつた。証人は、被上告人より何でも相談を受けていたというのであるから、このことを知つているにもかかわらず「秋子には金がない」(七月一八日付一一)と証言しているのは不自然である。
(9)証人は、被上告人の捜索願いを出していないが、すでにいなくなつて六-七年位になるのにそのままにしているのは不自然である。小口朝子氏の親族は数百万円を出して捜索したことを考えると、せめて捜索願い位は出すのが自然である。
(10) 被上告人の荷物は区役所に預けてあると言いながら、本件証拠の写真のみはバックに入れて所持していたと証言しており、その写真の出どころも不自然である。
(11)証人は、亡二郎が遺言作成の際「紙を出せ」というようなことは被上告人から説明を受けたと証言しているが、どうして遺言するようになつたかの説明は全く受けてない。被上告人と仲が良かつた証人に対し、このことを話していないというのは不自然である。
(12)このように証人丙山冬子の証言は、自己に有利な事実については、明確な証言がなされているのに、不利な証言についてはあいまい、または不合理な証言がなされている。全体として措信できない。経験則上からも採用すべき証言ではないことは、証言の内容を充分吟味すれば明瞭である。審理不尽といわなければならない。
第四 〈省略〉