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カテゴリ:憲法 > 刑事訴訟法

刑訴法382条の1のやむをえない事情 最高裁昭和62年決定

刑事訴訟法判例百選 第10版 A48 11版A49 道路交通法違反被告事件

最高裁判所第2小法廷決定/昭和62年(あ)第406号

昭和62年10月30日

【判示事項】 刑訴法382条の2にいう「やむを得ない事由」に当たらないとされた事例

【判決要旨】 弁護人が控訴審で新たな証拠の取調べを請求するにあたり、その事情として、被告人が第一審では量刑上有利に参酌してもらった方が得策であると考えて事実を認めていたところ懲役刑の実刑判決の言渡しを受けたため事実を争うに至った旨主張したとしても、そのような事情は刑訴法382条の2にいう「やむを得ない事由」に当たらない。

【参照条文】 刑事訴訟法382の2

       刑事訴訟法393の1

 

【掲載誌】  最高裁判所刑事判例集41巻7号309頁

       最高裁判所裁判集刑事247号271頁

       裁判所時報969号12頁

       判例タイムズ652号132頁

       判例時報1254号131頁

 

【評釈論文】 ジュリスト902号87頁

       ジュリスト臨時増刊910号193頁

       別冊ジュリスト119号204頁

       法曹時報42巻8号224頁

       法律時報60巻2号113頁

 

       主   文

 

  本件上告を棄却する。

 

        理   由

 

  弁護人脇田輝次の上告趣意は、単なる法令違反、事実誤認、量刑不当の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

  所論にかんがみ、職権をもつて判断すると、記録によれば、原審において、弁護人は、被告人が第一審判決判示第一の事実を認めて争わなかつたのは、量刑上有利に参酌してもらつた方が得策であると考えていたものであるところ、第一審判決が懲役三月の実刑であつたため、被告人は控訴して毎時一六八キロメートルもの高速で自動車を運転して進行したことはないとの事実を述べるに至つたものである旨主張し、被告人の右のような新たな供述を被告人質問及び被告人作成の陳述書の形で提出しようとしたうえ、その新供述を裏付けるものということで証人二名及び書証五点の取調を請求したが、原審は、被告人の新供述の提出を許さず(被告人質問は第一審判決後の情状に関してのみ実施した。)、その余の右各証拠の取調請求を却下したことが明らかである。しかし、右弁護人主張のような事情があつたとしても、そのような事情は刑訴法三八二条の二にいう「やむを得ない事由」に当たらないとの原判決の判示は正当であるから、このような証拠は同法三九三条一項但書によりその取調が義務付けられるものではなく、ただ同項本文により取り調べるかどうかが裁量にまかせられているものであつて、右原審の却下等の措置は、控訴裁判所に認められた裁量の範囲を逸脱していないことが明らかであるから、相当というべきである。

  よつて、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

 (裁判長裁判官 藤島 昭 裁判官 牧 圭次 裁判官 島谷六郎 裁判官 香川保一 裁判官 奥野久之)

 

 弁護人脇田輝次の上告趣意(昭和六二年五月二七日付)

 第一、原判決は、刑事訴訟法第三八二条の二の解釈適用を誤るもので、右は判決に影響を及ぼすべき法令の違反に当たり、刑事訴訟法第四一一条第一号によって原判決を破棄されるよう求める。

 (一) 弁護人は、第一審判決第一の道路交通法違反の事実につき、被告人が毎時一六八キロの速度で進行したことはないこと等を立証するため

 書証として

(証拠の標目)(立証事項)

 1 被告人沼田幸男の陳述書

   公訴事実第一の事実を否認しなかった事情及び当日の運転の状況等

 2 パスポート

  事件当日関釜フェリーで韓国に渡つた事実並びに車輛積載荷物

 3 時刻表

   関釜フェリーが一日一便で、午後五時出航の事実

 4 制動距離表とその解説(抄)制動距離等の計算方法

 5 写真

   測定地点にかけて、道路がカーブしている状況

 6 証明書

   公訴事実第二の事件当日の気象

 7 不起訴処分告知書

   被告人に関する違反等照会回答(昭和六〇年一二月一〇日運転管理課事務吏員藤井陽一郎作成)記載の「昭和五七年一〇月一〇日警視庁富坂署速度超過、点数六点」の事実が不起訴になっている事実

   人証として

        (立証事項)

 1 上田太郎

   公訴事実第一の事実を否認しなかった事情及び当日の運転状況

 2 下田次郎

   被告人車輛の停止、取調等の状況

 3 右田三郎

   測定方法等

  を申請したが、原審は右証拠の内、7の不起訴処分告知書を除くその他の証拠は、刑訴法第三八二条の二所定の「已むを得ない事由によって第一審の弁論終結前に取調べを請求することができなかった証拠」に該当しないとして右申請を却下し、情状についてのみ被告人質問を許したに過ぎない。しかし右は、刑訴法第三八二条の二の「已むを得ない事由」の解釈適用を誤るものである。

 (二) 思うに刑事訴訟手続を純粋に当事者主義的に解釈適用すれば、第一審において公訴事実を全て認め、簡易公判手続で判決を受けた事件につき、第一審における供述を控訴審で覆すことを認めることは許されないこととなるであろう。しかしながら刑事訴訟手続は、当事者主義的な訴訟構造の中においても実体的真実を発見すべき要請があることは、いかなる見地においても認められなければならないところである。

  特に「已むを得ない事由」の意義を厳格に解し、原判決のように物理的不能の場合に限られると解した場合、被告人において情状以外に何らの証拠の取調べの請求をせず、簡易公判手続で終結した本事件のようなケースでは、第二審において救済される余地は事実上全く無いことにならざるを得ない。かくては、実体的真実発見の要請が全く無視されたに等しいことになり、憲法第三十七条の裁判を受ける権利が完全には保障されない結果とならざるを得ない。

  確かに被告人は第一審において公訴事実を認め、簡易公判手続によることに同意しているのであるから、形式論としては裁判を受ける権利をその時点で放棄したという理屈も立たない訳ではないが、刑事訴訟手続を充分認識していない被告人が、第一審判決の量刑に驚き、初めて実体的真実につき裁判所の判断を仰ぎたいとの願いを起こしたとすれば、被告人の利益のためにも、又実体的真実発見の要請からも、事実の認定につき裁判所の門戸が開かれて然るべきである。

 (三) 更に、本事件が速度違反事件であることが考慮されなければならない。一般に運転手は、走行中の車輛のスピードが正確に現在何キロであるかということを常に認識しながら運転している訳ではない。従って、スピード違反で停止を命じられた場合においても、測定地点を正確に毎時何キロで走行していたかということは、スピードメーターを注視していた場合以外明瞭に供述できる訳ではなく、一般に漠然としたそのときの感じでしかそのスピードを供述できない筈である。それ故測定器の表示する数値が機械であるから正確だと言われれば、運転手としては通常これを反論する材料を持ち合わせていないのが実状である。

  又、道路交通法違反は形式犯であり、その違反についても罪の意識は一般に薄いのが実状である。それ故測定器に現れた数値が、たとえ承服しかねるものであっても、そのときの運転手の事情によっては、敢えてこれを争わないことになりがちである。又仮にこれを争っても、取調べの警察官より脅されたりすかされたりして、結局最後まで自分の主張を通すことなく妥協させられてしまうことも、巷間よく耳にするところである。

  本件においても、被告人は速度記録確認書に署名指印をしているが、供述調書において「私の感じでは一二〇キロ毎時くらいと思いました。」と記載されていることに注目されなければならない。スピード違反の取調べの実状は、右のようなことであると鑑みれば、速度記録確認書に署名指印がされていながら、これにより相当低いスピードを自認する旨の供述が記載されていることは、極めて異例のことと言わなければならない。(この点に関する原審検察官の答弁書における取調べ順序についての主張は、全く事実に反する。)何故右のような異例の事態が生じたかは証拠調べがなされなければ明らかにならないところであるが、原審としては少なくとも右点に注目して、被告人申請の証拠を取調べるべきであった。

  特に判示第一の事実については、後述するとおり事実誤認の可能性が全くないとは言い切れない事案であるのであるから、原審において被告人申請の各証拠の取調べがなされるべきであったと思料するものである。

  よって、本事案においては特に「已むを得ない事由」に関し、精神的不能の場合も含むと解釈されるべき事情があったのであり、原判決がこれを認容しなかったのは、刑訴法第三八二条の二の解釈適用を誤ったものである。

 第二、原判決は、第一審判決第一の道路交通法違反事件につき、被告人が毎時一六八キロメートルの速度で自動車を運転したと認定しているが、これは判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があると思われるから、刑訴法第四一一条三号によって原判決を破棄されるよう求める。

 弁護人は、第一審判決判示第一の事実の認定は、事実の誤認がある旨を控訴趣意書において繰々陳述したが、原判決はこれを独自の理論を展開するもので、採用の限りではないとして一蹴してしまった。

  しかし、次に述べるとおり毎時一六八キロメートルものスピードが出ていなかったと思われる事情が多く認められる本事案において、原判決のようにこれを独自の理論であると切り捨てることが果たして許されるのであろうか。

  すなわち

(1) 被告人は、前日の午後八時頃東京を出発して現場に至るまで、約一四時間殆ど休みなく運転を続け、身体的にも精神的にも疲労している状態にあった。従って、精神の緊張を要する一六八キロもの超スピードを出し得る状況にはなく、又それほどのスピードで急がなければならない時間的事情もなかったこと。

 (2) 被告人の車輛の速度が測定された地点は、追越車線ではなく走行車線である。又、同測定地点にかけて左方向にカーブしてきており、更にその先は右方向にカーブするS字型の真中当たりが測定地点である。右道路状況で時速一六八キロもの超スピードを出すことは、通常有り得ないことであること。

 (3) 警察官の指示で被告人の車輛は、インターチェンヂへの分岐道路入口で一旦停止しているが、測定地点から同停止位置までの距離は、約二七〇メートルであること。

  尚、原審検察官は、答弁書第一の五において、「測定地点(A地点)から分岐誘導道路までは約四〇〇メートルであり、誘導員の位置はA地点から四二七・八メートル離れた場所」である旨主張し、被告人の右二七〇メートルの主張を否認している。しかし「速度取締現場見取図」(甲三)には、A地点と取調べ地点(B地点)の間が六〇〇メートルと記載されているのみで、分岐誘導道路ないし分岐誘導員の位置までの距離は、何ら記載されていない。

  そこで被告人は第一審判決後現地に赴き、現場の測定をしたところ、B地点から分岐誘導道路までの距離を約三三〇メートルと測定することができたが、その先は高速道路のため、進入を禁止され測定ができなかった。従って、前記現場見取図のA地点からB地点の距離六〇〇メートルから、右B地点から分岐誘導道路までの距離三三〇メートルを差し引いた二七〇メートルをもって、A地点から分岐誘導道路までの距離として主張しているのである。若し検察官の主張するように、A地点から分岐誘導道路までの距離が約四〇〇メートルであり、被告人の右実測が正しいとすれば(検察官は、何故かこの実測距離につき何も反論していない)、A地点からB地点までは七三〇メートルとならざるを得ず、これを六〇〇メートルとした前記「速度取締現場見取図」は間違っていることにならざるを得ない。しかし、現場見取図がそれほど不正確に作成されていることが有り得るであろうか。

  この点に頬被りして、検察官は、被告人がA地点から二七〇メートルの地点で一旦停止したとすれば、高速道路上で一旦停止したことになり、有り得ないことであると主張しているが、右はまやかしの理屈と言うほかない。

 (4) 右停止に際しては後続の車輛がいるのが分かったので、急ブレーキをかけるようなことはせず、緩やかに減速して停止しており、スリップ痕も残っていないこと。

 (5) 又当時車輛には釜山の事務所で使用するための事務用品等としてコピー一台、タイプライター一台、カメラ二台、ズー厶レンズ一台、カラーテレ、ビ一台、留守番電話機一台、大型カバン三個、小型カバン二個等合計約三〇〇キロの荷物を積んでおり、後部座席にはその内コピー、タイプライター一台、大型カバンニ個を乗せていたが、これら荷物が右停止に際してずれ落ちたりしたこともなかったこと。

 (6) 被告人の運転していたトヨタクラウンのスピードメーターは、時速一八〇キロまで表示されているが、クラウンの性能上平坦な高速道路上で三〇〇キロの荷物を積んで、時速一六八キロのスピードが出せるかどうかも大いに疑問であること。

 (7) 時速一六八キロというスピードは、車体の震動や風圧の激しさによる心理圧迫が極めて大きなものと推測され、通常の運転者には到底耐えられるスピードではないこと。

 (8) 本件測定に使用された松下製のレーダースピードメーターが、当時正常に機能していたか否か、事前に所定の検査がなされていたか否か、取扱方法に誤りはなかったか否か、等について充分な検証がなされていないこと。

 (9) 制動距離に関する実験上の数値等を基準にして計算すると、測定地点を時速一六八キロメートルで通過して、約二七〇メートル先のインターチェンヂ分岐点道路入口付近で停止することは、どんな急制動をかけても不可能であること。

 (10) 被告人の目は難視であり、遠方があまり良く見える方ではないが、通常の視力のある者でも、誘導員の合図は二〇〇メートル以上手前からは確認できない筈である。従って、仮に現場の実測値が検察官主張のように、A地点から分岐誘導道路まで約四〇〇メートルであるとしても、実際に誘導員の合図を見て制動措置をとれるのは、誘導員の二〇〇メートルくらい手前にならざるを得ない。しかし、時速一六八キロものスピードで走行していた車輛が、二〇〇メートル手前で誘導員の合図を見て急制動措置とり、二〇〇メートル先の分岐誘導員の手前で一旦停止することは不可能であること。

  右各事情を立証する証拠は、前述のとおり原審において取調べられていない。従って、右事情の主張のみによって原判決の事実誤認を指摘することは問題なしとはしないが、原審訴訟記録においても右事情は或る程度は窺い知ることは出来るのであって、これらを無視して第一審判示第一の事実を認定した原判決には、事実の誤認があると言わざるを得ない。

 第三、仮に第一及び第二の申立が通らないとしても、被告人に懲役三ケ月の実刑に処するのは、量刑が甚だしく不当であるから、刑訴法第四一一条第二号によって原判決を破棄されるよう求める。

  被告人には、スピード違反として次の前科がある。

   (一) 昭和五七年一一月二二日 略式命令 罰金四万円

   (二) 昭和五九年一月二八日 略式命令罰金五万円

   (三) 昭和六〇年三月六日 判決 懲役三ケ月 三年間執行猶予

  ところで、被告人に関する「違反等照会回答書」(乙喘ごには右のほかに「違反等処分年月日・昭和五七年一〇月一〇日、検挙所属・警察庁富坂署、違反等の内容・速度超過(二五以上三〇未満)指定、点数・六」の記載がある。しかし、右は原審で取調べられた不起訴処分告知書で明らかなような、不起訴処分となっているものであり、本来違反等照会回答書から抹消されていなければならないものである。

  然るにそれが抹消されないままとなっていたことにより、当然その後の違反である前記前科の量刑資料としてその都度斟酌され、それぞれその後の量刑に対し相乗的に影響を及ぼし、ついには第一審の判決に極めて大きな影響を与えるに至っていることは否定し得ないところである。従って、原審においては、抹消漏れによる影響度を相殺的に勘案すべきであったと思料するものであるが、原判決はこれにつき充分な斟酌をしたとは思われない。

  その他控訴趣意書において主張したような被告人の情状を勘案すれば、原審原判決の量刑は甚だしく不当であり、刑訴法第四一一条第二号によって破棄されるべきである。

 

角田禮次郎裁判長不当判決 昭和59年最高裁

道路交通法違反被告事件

最高裁判所第1小法廷決定/昭和58年(あ)第1436号

昭和59年9月20日

刑事訴訟法判例百選 第10版 A49 11版A50

【判示事項】 控訴審における新たな証拠の取調べと刑訴法393条1項本文

 

【判決要旨】 控訴裁判所は、第一審判決以前に存在した事実に関する限り、第一審で取調べないし取調請求されていない新たな証拠につき、刑訴法393条1項但書の要件を欠く場合であっても、第一審判決の当否を判断するため必要と認めるときは、同項本文に基づき、裁量によってその取調べをすることができる。(補足意見がある。)

 

【参照条文】 刑事訴訟法393-1

       刑事訴訟法382の2

 

【掲載誌】  最高裁判所刑事判例集38巻9号2810頁

       最高裁判所裁判集刑事238号21頁

       裁判所時報905号2頁

       判例タイムズ540号195頁

       判例時報1133号155頁

 

【評釈論文】 警察研究59巻3号32頁

       ジュリスト832号66頁

       ジュリスト臨時増刊838号201頁

       別冊ジュリスト89号240頁

       別冊ジュリスト119号206頁

       判例評論317号231頁

       法曹時報39巻11号145頁

 

       主   文

 

  本件上告を棄却する。

 

        理   由

 

  弁護人嶋倉□夫の上告趣意は、事実誤認、単なる法令違反、量刑不当の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

  所論にかんがみ、職権をもつて判断すると、記録によれば、第一審判決が被告人を罰金刑に処し、その刑の執行を猶予したため、検察官が量刑不当を理由に控訴したこと、原審において、検察官が、刑訴法三八二条の二第一項にいう「やむを得ない事由」があると主張して、第一審では取調請求していない被告人の前科調書、交通事件原票謄本四通及び交通違反経歴等に関する照会回答書の取調を請求し、原審がこれらを取り調べたことが明らかであるが、原審が右前科調書等につき、右「やむを得ない事由」の疎明があつたものと判断したのか否かは必ずしも明らかではない。しかしながら、右「やむを得むい事由」の疎明の有無は、控訴裁判所が同法三九三条一項但書により新たな謝拠の取調を義務づけられるか否かにかかわる問題であり、同項本文は、第一審判決以前に存在した事実に関する限り、第一審で取調ないし取調請求されていない新たな証拠につき、右「やむを得ない事由」の疎明がないなど同項但書の要件を欠く場合であつても、控訴裁判所が第一審判決の当否を判断するにつき必要と認めるときは裁量によつてその取調をすることができる旨定めていると解すべきであるから(最高裁昭和二六年(あ)第九二号同二七年一月一七日第一小法廷決定・刑集六巻一号一〇一頁、同昭和四二年(あ)第一二七号同年八月三一日第一小法廷決定・裁判集刑事一六四号七七頁参照)、原審が前記前科調書等を取り調べたからといつて、所論のようにこれを違法ということはできない。

  よつて、同法四一四条、三八六条一項三号により、主文のとおり決定する。

  この決定は、裁判官谷口正孝の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

  裁判官谷口正孝の補足意見は次のとおりである。

  一 私も、本件において、原裁判所が第一審裁判所において検察官が取調請求していない被告人の前科調書、交通事件原票謄本四通及び交通違反経歴等に関する照会回答書を検祭官の請求により取り調べ、被告人に対する量刑資料としたことに違法視すべきところはないと考える。法廷意見に賛成するものであるが、事は、控訴審における事実の取調という困難な問題に係るものであるから、一言私なりの意見を補足しておきたい。

  二 控訴審における事実の取調について、刑訴法は三九三条一項及び二項に規定をおいている(但し、二項の規定は本件の場合考える必要はない。)。

  ところで、記録によれば、原裁判所において検察官は前記各証拠を第一審裁判所において取調請求することができなかつたことについて「やむを得ない事由」があつたとして、釈明のうえ、その疎明資料の取調請求をしたところ弁護人の不同意により検察官はその取調請求を撤回したのであるが、原裁判所は右各証拠を取り調べているのである。右訴訟の経過に鑑みると、原裁判所は検察官の釈明により同法三八二条の二第一項の疎明があつたものとして右各証拠の取調をしたものか(この場合は同法三九三条一項但書の規定により必要的取調となる)、それとも同法三九三条一項本文の規定により検察官の請求により取調の必要があるものと認めて裁量を以てその取調をしたものか必ずしも明らかでない。検察官が前記の如く同法三八二条の二所定の疎明資料の取調請求を撤回したに拘らず、原裁判所が右各証拠を取り調べた所以は、右三九三条一項本文の規定により原裁判所としては裁量的に検察官の請求を容れ右各証拠を取調することができるものとの見解に出た措置と考えるべきであろう。論旨も又そのことを前提として原裁判所の証拠調の措置を違法として論難しているのである。

  三 さて、控訴審における事実の取調については、見解が岐れている。控訴審はいわゆる事後審であつて、控訴理由としての事実誤認、量刑不当を主張するについては、訴訟記録及び第一審において取り調べた証拠に現われた事実に基づいて第一審判決の事実認定、刑の量定の不当を攻撃する仕組みとなつている(同法三八一条、三八二条参照)。従つて、控訴審における事実の取調は当然制約を受けざるを得ないわけで、控訴審が第一審において取り調べられなかつた証拠を新たに取り調べるについては、同法三八二条の二所定の場合がその唯一の例外であるという主張が有力に展開されている。弁護人の所論もこれと同旨の見解に出たものである。確かに傾聴すべき見解であることを認めるのに吝かではない。

  然しながら、控訴審が事後審構造をとるからといつても、事後審構造の内容をどのようなものとするかは、立法政策の問題であり、特に訴訟運営の実態を勘案してこれを決めなければなるまい。陪審制をとる訴訟制度のもとでは、事後審の構造はまさに原判決の当否の判断に終始するのが筋であろう。然し、わが国の訴訟制度はそれと趣きを異にする。もし、わが国の控訴審が唯単に訴訟記録及び第一審裁判所が取り調べた事実のみに依拠して第一審裁判所の事実認定についてその心証形成の過程を追試し、第一審判決の事実認定、量刑の当否を判定する判断に終始するものであれば、経験則違背等極めて例外の場合を除いて第一審判決を維持するという結果に終るであろう。第一審裁判所における弁護側の防禦活動に十全を期し難い現在の訴訟運営の実態を考える場合、刑訴法の理念とする実体的真実発見を逸するおそれがあるばかりか、その結果は被告人の不利益に帰することともなりかねない。昭和二八年法律第一七二号によつて同法三八二条の二が改正追加されたのもこの辺の事情を踏まえてのことであつた。もつとも、同条の規定する「やむを得ない事由」によつて第一審の弁論終結前に取調を請求することができなかつた証拠の意味についても明確ではない。あるいは、物理的不能に限るといい、あるいは心理的不能の場合も含まれるというふうに学説は対立している。最高裁判所判例は、前科調書の記載洩れの場合について本条に該当するとしている(同裁判所昭和四八年二月一六日第二小法廷判決・刑集二七巻一号五八頁)。物理的不能説を採用したとしても十分理解できる判例であるが、いずれにしてもこの点についての最高裁判所の判例の立場はこれ迄のところ必ずしも明確に示されていない。「一審で当該証拠を提出する必要がないと思つていた」という心理的不能の場合までを右にいう「やむを得ない事由」に含まれるという考えをとるならば、本件の如き道路交通法違反被告事件において検察官が罰金刑の求刑をする場合まさか罰金刑について執行猶予の言い渡しがあるはずはあるまいと思つて、道路交通法違反の前科、前歴等に関する証拠の取調請求を怠つた場合も右の心理的不能の場合に含まれるのかもしれない。然し、心理的不能説にいう「一審で当該証拠を提出する必要がないと思つていた」という基準はあいまいであり、証拠調請求について新たな争訟を作ることにもなりかねないと思うのである。心理的不能説は当事者の救済を意図したものではあろうが、右の問題点がある以上この説に左袒することには躊躇を感ずる。そして、もともと、この説が「やむを得ない事由」をここまで拡げたのは、控訴審における事実の取調を極めて厳格に解したからである。

  四 私は、右の「やむを得ない事由」というのは、物理的不能の場合に限ると考えるが、同時に同法三九三条一項所定の控訴審における事実調については、同項但書所定の同法三八二条の二の「やむを得ない事由」の存したことについて疎明があつた場合は、控訴裁判所としては常にその新たな証拠を取り調べる義務を負うが、同項本文の場合は、裁量として新たな証拠を取り調べることができる旨を規定したものと考える。蓋し、控訴裁判所は、同法三七七条乃至三八二条及び三八三条に規定する事由に関しては、職権で調査することができるわけであり(同法三九二条二項)、その調査のために必要があるときは証拠調をすることができるのである(同法三九三条一項本文、三九二条二項)。この場合、控訴審の構造が事後審構造だからというだけで新たな証拠の取調を極めて制限的に解することには前記のような疑問を残すばかりか、職権調査の実質を失わしめることにもなりかねない。もとよりこの場合職権調査といつても、控訴裁判所が記録並びに第一審裁判所が取り調べた証拠を検討し第一審判決の事実認定、刑の量定について首肯し難いところを認めた場合に限られることは当然である。このことと対比してみても、当事者の請求による新たな証拠調について同法三九三条一項但書所定の場合に限定して解することには賛成しかねる。私は法廷意見に引用する同法三八二条の二の規定追加前の事案に関し最高裁判所判例が控訴審における事実の取調について説示するところは、同条追加後もなおその趣旨において維持されるべきものと考える。なお、このように解することは、第一審における証拠の集中的取調、第一審訴訟手続の重視に毫も影響を及ぼすものでないことはいうまでもないことである。

   昭和五九年九月二〇日

     最高裁判所第一小法廷

         裁判長裁判官  角田禮次郎

            裁判官  藤崎萬里

            裁判官  谷口正孝

            裁判官  和田誠一

            裁判官  矢口洪一

 

三鷹事件昭和30年最高裁大法廷判決

電車顛覆致死、偽証各被告事件 刑法判例百選Ⅱ 第4版 78事件 第5版 84事件 刑事訴訟法判例百選 第10版 A50 第11版 A51

最高裁判所大法廷判決/昭和26年(あ)第1688号

昭和30年6月22日

【判示事項】 1 刑訴法379条にいう訴訟手続の法令違反と判決に及ぼす影響

       2 人の現在しない電車を発進させ,運転者なしでこれを暴走,脱線,破壊させ,付近に居合わせた数名を死に至らしめた事実を肯認し,これに対し刑法127条,126条3項を適用処断したことは適法である。

      3 過失致死の結果的加重犯について死刑を定めた刑法127条の合憲性

       4 控訴審が,自判により第一審の無期懲役刑を死刑に変更することも必ずしも違法ではない。

       5 被告人が犯罪の実行者であることについて,自白のみによる認定は,憲法38条3項に違反するか

       6 日本国有鉄道職員の争議行為禁止は憲法28条に違反するか

 

【掲載誌】  最高裁判所刑事判例集9巻8号1189頁

       最高裁判所裁判集刑事106号399頁

       裁判所時報186号1頁

       判例タイムズ49号88頁

       判例時報52号1頁

       刑事裁判資料123号33頁

 

【評釈論文】 ジュリスト200号152頁

       ジュリスト307の2号134頁

       別冊ジュリスト1号162頁

       別冊ジュリスト2号190頁

       別冊ジュリスト27号152頁

       別冊ジュリスト32号230頁

       別冊ジュリスト51号240頁

       別冊ジュリスト58号52頁

       別冊ジュリスト83号156頁

       別冊ジュリスト117号154頁

       法学新報64巻1号69頁

 

       主   文

 

  本件各上告を棄却する。

 

        理   由

 

  被告人A外一一名に対する東京高等検察庁検事長佐藤博の上告趣意、被告人Aの弁護人等及び同被告人本人の各上告趣意は、末尾添付の各上告趣意書記載のとおりである。

  被告人等に対する東京高等検察庁検事長佐藤博の上告趣意について

 論旨は、原判決は刑訴三七九条の解釈を誤り、同条に関する高等裁判所の判例と相反する判断をしたものであると主張するのである。すなわち、原判決は第一審の訴訟手続に関し次の三個の点に訴訟法違反があることを判示している。その第一点は、第一審公判において検察官の起訴状の朗読に先だち、被告人等及び弁護人等の、本件は強制拷問に基く被告人等の自白に基いて起訴されたものであるから無効の起訴であるとの主張及び本件は政治的陰謀に基き捏造されたものであるから公訴の取消を求める旨の各発言を許容したことは、第一審裁判所が訴訟指揮を誤り、訴訟手続の順序を紊り、起訴状朗読前に裁判官に偏見または予断を生ぜしめる虞のある事項の陳述を許したものであつて訴訟法違反である。第二点は、第一審において公判廷外で被告人等から本件事案についての事実上の陳述を含む上申書一〇通を受理し、これを公判廷で検察官に示し或は検察官の意見を求める等の法定の手続をしないで、これを訴訟記録に編綴して閲覧審査し得る状態においたことは、証拠書類の取扱に関する訴訟法違反である。第三点は、第一審において検察官から公判期日における証人の供述の証明力を争うため刑訴三二八条により提出した同証人の検察官に対する供述調書を、同条の制限に反して他の証拠である裁判官の同証人に対する尋問調書の信憑力を否定する資料に供したことは訴訟法違反である。と各判示しているのである。しかるに原判決は、刑訴三七九条にいわゆる「訴訟手続に法令の違反があつてその違反が判決に影響を及ぼすことが明らかであること」の場合に当るためには、第一に右法令違反と判決の誤謬との間に客観的な相当因果関係があり、この法令違反があつたため当該誤謬が生じたことが明らかに判断され、第二にしかもその誤謬が重大で判決主文及び法令の適用に変更を生ずる場合であることを要するものと解釈し、もつて以上の前提の下に、原判決は本件第一審の審理の経緯、証拠関係等を具体的に検討考察した結果、前示の各訴訟法違反と第一審判決との間には前示因果関係が認められず、従つて前示の各訴訟法違反がその判決に影響を及ぼしたことが明らかでないと論断し、もつて検察官の控訴趣意を排斥しているのである。しかし、刑訴三七九条にいう法令違反が判決に影響を及ぼすことが明らかであるか否かは、影響を及ぼしたか否かの事実判断の問題ではなく、いやしくも法令違反が存する場合に、それが判決に影響を及ぼすべき性質のものであるか否かの価値判断の問題である。従つて原判決が法令違反と判決の誤謬との間に現実な因果関係の存することを要するものと判断して検察官の控訴趣意を排斥したことは、刑訴三七九条の解釈を誤つた違法があり、そして同条の解釈に関する多くの高等裁判所判例と相反するものてあると主張する。

  よつて案ずるに、刑訴三八四条により控訴理由の一とされている同法三七九条の場合は、その前二条(三七七条三七八条)のいわゆる絶対的控訴理由に当る事由以外の「訴訟手続に法令の違反があつてその違反が判決に影響を及ぼすことが明らかであること」と規定しており、従つて訴訟手続に法令違反があつても、その違反が積極的に判決に影響を及ぼすことが明らかでない限り、同法三七九条の控訴理由とならないことを規定したものと解すべきものであつて、旧刑訴四一一条が「法令ニ違反シタルコトアリト雖判決ニ影響ヲ及ホササルコト明白ナルトキハ之ヲ上告ノ理由ト為スコトヲ得ス」と規定し、もつて消極的に判決に影響を及ぼさないことが明白な法令違反についてのみ上告理由とならないことを規定したのとは、異なるところがあるのである。従つて刑訴三七九条の場合は、訴訟手続の法令違反が判決に影響を及ぼすべき可能性があるというだけでは、控訴理由とすることはできないのであつて、その法令違反がなかつたならば現になされている判決とは異る判決がなされたであろうという蓋然性がある場合でなければ、同条の法令違反が判決に影響を及ぼすことが明らかであるということはできないのである。そして以上の判定については、絶対的控訴理由(三七七条三七八条)に当る場合は常に相当因果関係があるものと訴訟法上みなされているものと解すべきであるが、三七九条の場合には、裁判所が当該事件について具体的に諸般の情況を検討して判断すべき問題であつて、或る訴訟手続の法令違反は当然に判決に影響あるものと解し、或はその影響の可能性があれば足ると解するがごときは、同条の法意に反するものといわなければならない。また判決に影響を及ぼすことが明らかでない訴訟手続の違法があつたからといつて、その判決が憲法三一条にいわゆる法律の定める手続によらなかつたものであるということのできないのはいうまでもないところである。

  されば、原判決が第一審の訴訟手続中、上示所論指摘の違法があることを認めながら、第一審の審理の経緯、証拠関係等を具体的に検討して、右の違法と判決との間に事実上の因果関係が認められず従つて右の違法が判決に影響を及ぼしたことが明らかとはいえないから適法な控訴理由とならない旨判示したことは正当であり、刑訴三七九条に違反するものではない。所論引用の高等裁判所各判例中、以上説示の趣旨に反するところは変更せらるべきものであるから、所論判例違反の主張は採用すべき限りでない。

  被告人Aの弁護人小関藤政の上告趣意第一点、同今野義礼の上告趣意第二点、同井本台吉、及び草野治彦の上告趣意第二点、同上村進の上告趣意第二点、同吉田三市郎外四三名の上告趣意第九点について論旨は要するに、刑法一二七条は、一二五条の罪を犯し因て汽車電車の顛覆破壊又は艦船の覆没破壊を致した者について一二六条一項二項の例に従つて処断する旨を規定したに止まり、その結果人(殊に船車外の人)を死に致した場合について同条三項の例によるべきことを規定しているものではない。なお一二七条にいわゆる汽車電車とは一二五条の行為により顛覆破壊せしめられた汽車電車をいうのであつて、同条の犯行の手段として供用された汽車電車を含まない。しかるに原判決は、被告人Aが無人電車を暴走せしめて電車の往来の危険を生ぜしめ、因てその無人電車を破壊しその際附近に居合わせた人々を死に致した旨の犯罪事実に対し、一二七条一二六条三項を適用しその所定刑中死刑を選択処断したものであつて、すなわち原判決は一二七条の解釈適用を誤つた違法があり、法律の明文なきにかかわらず刑罰を科したものであつて、憲法三一条に違反すると主張する。

  よつて案ずるに、一二七条は、一二五条の罪を犯し因て汽車電車の顛覆又は破壊の結果を発生せしめた場合、一二六条の例によつて処断すべきことを規定している。この法意は、右の結果の発生した場合に一二六条一項二項の例によつて処断すべしとするものであるばかりでなく、汽車電車の顛覆又は破壊によつて致死の結果を生じた場合には、また三項の例によつて処断すべきを定めたものと解するを相当とする。けだし一二七条には右致死の結果の発生した場合について特に明記するところがないことは、所論のとおりであるが、同条が「前条ノ例一ニ同シ」と規定して、前条三項を除外せず、また「前条第一項第二項ノ例ニ同シ」とも規定していないことは、文理上当然に、一二六条各項所定の結果の発生した場合には、すべて同条項と同様処断すべきものであることを示しているからである。次に、一二六条は人の現在する汽車電車の顛覆又は破壊の結果の発生につき故意ある場合を規定するものであるのに反し、一二七条は広く一二五条の罪の結果犯について規定するものであるのにかかわらず、その処断については一二六条一二七条の間に差異がないことになるのであるが、このことは、一二五条の汽車又は電車の往来に危険を生ぜしめる所為は、本質上汽車又は電車の顛覆若しくは破壊、延いては人の致死の結果等の惨害を惹き起す危険を充分に包蔵しているものであるから、右各重大な結果が発生した以上は、一二六条各項の場合に準じそれと同様に処断することを相当とする法意と解すべきである。なお一二六条三項にいう人とは、必ずしも同条一項二項の車中船中に現在した人に限定すべきにあらず、いやしくも汽車又は電車の顛覆若しくは破壊に因つて死に致された人をすべて包含するの法意と解するを相当とする。けだし人の現在する汽車又は電車を顛覆又は破壊せしめ、若しくは汽車又は電車の往来の危険を犯しもつて右と同様の結果が発生するときは、人命に対する危害の及ぶところは、独り当該車中の人に局限せられるわけのものではないからである。また一二七条にいわゆる汽車又は電車とは、一二五条の犯行に供用されたものを含まないと解すべき理由は存しない。

  されば、原判決が被告人Aの犯罪事実として、同被告人は三鷹電車区構内に入庫中の人の現在しない電車を発進させ、運転者なしでこれを暴走せしめ同構内出口附近で脱線させ、これによつて電車の入出庫を妨害しようと企て、その電車の発進操作をなし、無人でこれを暴走せしめて電車の往来の危険を生ぜしめ、同電車は同被告人の予期に反して三鷹駅下り一番線上に驀進し同駅南改札口前の下り一番線車止に衝突して脱線破壊し、その破壊に際し附近に居合せた秦俊次外五名を死に致らした事実を肯認した上、これに対し刑法一二七条一二六条三項を適用処断したことは適法であるといわなければならない。それ故所論憲法三一条違反の主張はその前提を欠くものであり、論旨はすべて採用できない。

  被告人Aの弁護人吉田三市郎外四三名の上告趣意第一〇点について

 論旨は、原判決は、被告人Aが刑法一二五条の罪を犯し因て予期に反して電車を破壊し人を死に致らしめた事実を認定し、一二七条一二六条三項を適用して同被告人を死刑に処したのであるが、このような結果の発生につき故意のない結果的加重犯(特に一二七条の致死の場合は二重の結果犯である)に対し死刑を定めたものとする一二七条は、憲法一三条並びに残虐な刑罰を禁止する同三六条に違反するものであると主張する。

  よつて案ずるに、わが刑法が刑罰として死刑を存置するのは、死刑の威嚇力によつて重大犯罪に対する一般予防をなし、死刑の執行によつて特殊な社会悪を根絶し、これによつて社会を防衛せんとするものであつて、結局社会公共の福祉のため死刑制度の存置の必要性を承認しているものと解せられるのである。そして死刑の存置は憲法一三条三六条に違反するものでないことは、既に当裁判所判例の示すところである(昭和二二年(れ)第一一九号、同二三年三月一二日大法廷判決、判例集二巻三号一九一頁)。そして刑法一二五条の汽車又は電車(若しくは艦船)の往来危険罪は高速度交通運輸機関の運行を危殆ならしめ、その結果は不測の惨害を惹き起す虞ある犯罪として、その結果の最も重い汽車電車の顛覆又は破壊(若しくは艦船の覆没又は破壊)等により人を死に致した場合においては、一二七条をもつて一二六条三項の例により死刑に処し得べきものと定めているのである。すなわち、刑法一二七条は一二五条の犯罪に内在する広汎な危険性が具体的に実現された危害の程度に応じ、その処断の軽重を区別しようとするものであり、単なる過失致死の罪に対して死刑を科するものとは全く趣を異にするものであつて、違憲とすることはできない。論旨は理由がない。

  被告人Aの弁護人井本台吉、及び草野治彦の上告趣意第一点、同吉田三市郎外四三名の上告趣意第三点、被告人Aの上告趣意中右同論点について論旨は、原審において、被告人Aに対し第一審の言渡した無期懲役刑の量刑の当否を判断するに当り、何等新たな事実の取調をしないで量刑軽きに過ぎるとして第一審判決を破棄した上刑訴四〇〇条但書により自判して死刑を言渡したのは、刑訴法の精神に反し違法であるのみならず、かかる手続により死刑を科することは個人の生命の尊貴を忘れたものであり、かかる裁判は公平な裁判所の裁判ということはできないものであつて、憲法一三条三一条三七条一項に各違反すると主張するのである。

  よつて案ずるに、控訴審において、第一審判決の事実誤認量刑不当その他の控訴理由の存否を審査するに当り、新たな事実の取調をなすべきか否かは、刑訴三九三条一項但書の場合の外は、控訴裁判所の裁量判断により得べきものであつて、四〇〇条但書に「原裁判所及び控訴裁判所において取り調べた証拠による」ことを規定しているからといつて、控訴裁判所が特にその必要なしと認める場合でも必らず新たな証拠の取調をした上でなければ自判できない旨を規定しているものと解すべきではない。そして右自判の制度は、控訴審が本来事後審として第一審判決の当否を判断するものであることに対し、例外的に続審による判決手続を認めたものであつて、控訴審において記録調査及び事実取調の結果第一審判決を破棄すべき理由ありと認め、しかもそれ以上審理をなすまでもなく、判決をなすに熟していると認めた場合においても、なお事件を第一審に差し戻しまたは移送しなければならないものとするときは、徒らに無用な手続を重ねるに過ぎないものといわなければならない。されば控訴審における自判は、たとえその科刑が被告人に不利益に変更される場合であつても、自判をすることが必ずしも刑訴法の精神に反するということはできないのである。また自判は被告人の審級の利益を失わしめるものということもできない。ただ自判する場合、殊に刑を重く変更する場合のごときは、控訴審が直接審理を経ていないことを自省して慎重を期さなければならないわけであつて、すなわち客観的に見て、自判の結果が差戻または移送後の第一審判決よりも被告人にとつて不利益でないということが、確信される場合でなければならないこと勿論である。若しこの確信が相当と認められる場合ならば、自判により第一審の無期懲役刑を死刑に変更することもまた必しも違法ということはできないのである。論旨は理由がない。

  被告人Aの弁護人布施辰治の上告趣意第三点、同上村進の上告趣意第一点、同吉田三市郎外四三名の上告趣意第二点について論旨は、原判決は被告人Aの自白のみによつて有罪を認定した違憲違法があると主張するのであるが、原判決は同被告人の本件犯罪事実を肯認するに当つて、第一審判決挙示の同被告人の自白その他多くの証拠を綜合して有罪を認定しているものであることは、原判決の判文上明らかである。ただ右自白以外の証拠によつては、本件電車の発進が同被告人の作為に出でたものであるという点につき、これを直接証拠だてるもののないことは所論のとおりである。しかし同被告人の自白以外の証拠によれば、右事実の肯認を含めた同被告人の本件犯行の自白(同被告人は控訴趣意で、第一審判決の同被告人の自白どおりの事実認定は正しいものであると述べているところである)については、その自白の真実性を裏付けるに足る補強証拠を認め得られるのであつて、従つて被告人が犯罪の実行者であると推断するに足る直接の補強証拠が欠けていても、その他の点について補強証拠が備わり、それと被告人の自白とを綜合して本件犯罪事実を認定するに足る以上、憲法三八条三項の違反があるものということはできない。論旨は理由がない。

  被告人Aの弁護人布施辰治の上告趣意第二点(論旨(一))、第四点、同吉田三市郎外四三名の上告趣意第一点(以上論旨(二))、被告人Aの上告趣意中事実誤認等の主張について論旨(一)は、刑訴法下における被告人の地位から見て、その供述は証拠となし得べからざるものであると主張する。しかし被告人の供述が証拠となり得るものであることは、憲法三八条三項刑訴三一九条からもたやすく窺われるところである。論旨(二)は、判決の証拠となつた同被告人の検察官に対する自白は、強制拷問脅迫誘導によつたものであつて証拠となし得ないものであると主張する。しかし右供述が所論のごとく同被告人の不任意に出でたものであるとのことは、これを認めるに足る資料がないのみならず、第一審判決並びに原判決もまた所論のごとき不法な供述強要の事実は認められないことを判示しているのである。

  また右供述及び判決の証拠となつている第一審公判廷における同被告人の自白(第一三回公判、第五四回公判における自供)は、いずれも不当長期拘禁後の自白であつて証拠とすることができないものであると主張するのであるが、記録に徴すれば、検察官に対する同被告人の自白は拘禁一七日以後なされたものであり、また所論公判廷における供述は勾留五ケ月余又は一〇ケ月余を経てなされたものであることは明らかであるけれども、本件事案の内容、取調の経過その他諸般の事情に照し右一七日の拘禁は不当に長きにわたる拘禁とはいえない。また所論公判廷における自白は既に右検察官に対してなされた自白の反覆であるから、右公判廷における自白をもつて、不当に長い拘禁後の自白ということはできない(昭和二三年(れ)第二七一号、同年六月三〇日大法廷判決、判例集二巻七号七一五頁参照)。されば所論の同被告人の自白を証拠としたことについて、憲法三八条二項に違反するものとはいえないのである。

  また被告人Aは、同被告人は本件犯罪事実について全く無関係であり、その検察官に対する自白は不任意に出でたものであり、第一審公判廷における自白及び原審における犯行自認は他の意図に出でたものであることを強調するのであるが、記録を精査しても、原判決の同被告人に対する有罪認定が不当であるとは認めることはできない。

  被告人Aの弁護人今野義礼の上告趣意第一点、同上村進の上告趣意第三点、同吉田三市郎外四三名の上告趣意第一一点について論旨は、原判決が被告人Aに対し死刑を科したことは、憲法三六条一一条一二条一三条に違反すると主張する。しかし刑罰としての死刑は憲法上容認されたものであり、また憲法三六条が禁ずる残虐な刑罰に当らないのみならず、犯罪から社会を防衛するために必要な場合は、適法な手続に従つて、刑罰として個人の生命を奪うことも認容されるものであることは、当裁判所判例(昭和二二年(れ)第一一九号、同二三年三月一二日大法廷判決、判例集二巻三号一九一頁)の示すところによつて明らかである。また刑法各本条に定められた法定刑の範囲内において死刑を選択処断することは、それが被告人の側から見て重いと感ぜられるとしても、それだけでは残虐な刑罰ということはできないのである。されば原判決が被告人Aに刑法一二六条三項の例に依る一二七条の罪あることを認定して、これに対し法定刑中死刑を選択処断したことにつき所論のごとき違憲は存せず、論旨は理由がない。

  被告人Aの弁護人岡林辰雄の上告趣意第一点乃至第三点、同吉田三市郎外四三名の上告趣意第四点(以上論旨(一))、第五点(論旨(二))、第六点(論旨(三))、第七点(論旨(四))、第八点(論旨(五))、同今野義礼の上告趣意第三点、被告人Aの上告趣意中の右同論旨(以上論旨(六))について論旨(一)は違憲をいうけれども、原判決において、被告人Aに対し死刑を選択する理由として、重いと認められる犯情を挙げて説示しているのに対し、独自の立場から、これを偏見に基くもので公正でないと非難するに外ならないものであつて、結局量刑不当の主張に帰するものといわなければならない。論旨(二)は、原判決において、被告人Aの本件犯行の動機目的が、日本国有鉄道(以下国鉄と略称する)職員の全国的ストライキの口火を切ることにあつた点を重視しているが、この事実は同被告人の自白のみによつて認定されているのであつて、憲法三八条三項に違反すると主張する。しかし本件のごとき罪については、その犯行の動機目的は犯罪構成要件として示されていない事実に属するものであるから、その認定については証拠法上の厳格な制約を受けるものではないのであつて、これを被告人の自白のみによつて認めても、違憲違法ということはできないのである。論旨は理由がない。論旨(三)は、違憲をいうけれども、被告人Aの前示本件犯行の目的について、原判決が「全国的ストの口火とまでは行かなくとも、計画が成功すれば或は他の電車区にその影響を及ぼすことはあり得るところであつた」と認めたことを、事実誤認と主張するに帰するものであり、また量刑非難の一理由を主張するものに外ならない。論旨(四)は、国鉄職員の争議禁止を規定する公共企業体労働関係法一七条は、憲法二八条に違反し無効てあるべきにかかわらず、原判決は被告人Aの本件犯行の動機目的が、争議行為を禁止されている国鉄職員をしてストライキに立上らしめようとした不法のものであることをもつて、犯情の重い理由としていることは違法であると主張するのである。

  しかし国鉄職員が国家公務員であつた当時において、その争議行為の禁止が憲法二八条に違反するものでなかつたことは、当裁判所の既に判示したところである(昭和二四年(れ)第六八五号、同二八年四月八日大法廷判決、判例集七巻四号七二五頁)。その後本件犯罪の発生前、国鉄職員は法制上国家公務員とはならなくなつたが、しかしなお、法令により公務に従事する者とみなされるものであり(日本国有鉄道法三四条)、また国鉄の資本金は全額政府の出資にかかり(同法五条)、その性格は公法上の法人であつて(同法二条)、その事業経営の実質及び条件は従前と殆んど異なるところはないのである。すなわち、かかる公共企業体の国民経済と公共の福祉に対する重要性にかんがみ、その職員が争議行為禁止の制限を受けてもこれが憲法二八条に違反するものでないことは、前掲判例の趣旨に徴して自ら明らかである。論旨は理由がない。

  論旨(五)は、原判決が重い犯情として、被告人Aの本件犯行の動機目的の不法であることを挙げ、これを理由として重罰を科したことは、同被告人の思想信条を理由とする差別待遇であり憲法一九条一四条に違反すると主張する。しかし、原判決は同被告人に対する量刑を考慮するに当り、その情状の一として犯行の動機目的が法の禁ずる行為を敢行せしめんことを企図した不法なものであることを判示したものであつて、同被告人が公共企業体労働関係法一七条による争議行為禁止の規定をもつて違憲なりとする思想の所有者なるが故に、これを処罰し又は特に重く処罰したものではない。されば所論違憲の主張は既にその前提を欠くものであつて理由がない。

  論旨(六)は、量刑不当の主張であつて、刑訴四〇五条の適法な上告理由に当らない。そして原審の量刑をもつて著しく正義に反するものとし、これに同四一一条を適用すべきものとは認められない。

  被告人Aの弁護人布施辰治の上告趣意第一点について

 論旨は単なる訴訟法違反の主張であつて、刑訴四〇五条の上告理由に当らない。なお、控訴趣意書を控訴申立をした検察庁の検察官が作成し、これを控訴裁判所に対応する検察庁の検察官が提出することは、少しも訴訟法に違反するものということはできない。

  よつて刑訴四〇八条により主文のとおり判決する。

  この判決は、小関弁護人の上告趣意第一点等の刑法一二七条の解釈問題について裁判官栗山茂、同真野毅、同島保、同藤田八郎、同谷村唯一郎の少数意見、井本弁護人等の上告趣意第一点等の刑訴四〇〇条但書による自判の問題について裁判官栗山茂、同小谷勝重、同谷村唯一郎、同小林俊三の少数意見の外、裁判官全員一致の意見によるものである。

  被告人Aの弁護人小関藤政の上告趣意第一点、同今野義礼の上告趣意第二点、同井本台吉及び草野治彦の上告趣意第二点、同上村進の上告趣意第二点、同吉田三市郎外四三名の上告趣意第九点に関する裁判官栗山茂、同真野毅、向島保、同藤田八郎、同谷村唯一郎の少数意見は次のとおりである。

奥野健一裁判長名判決 八海事件第三次上告審判決 最高裁昭和43

刑事訴訟法判例百選 第10版 A51 第11版 A52
強盗殺人被告事件

最高裁判所第2小法廷判決/昭和41年(あ)第108号

昭和43年10月25日

いわゆる八海事件第三次上告審判決

 

【判決要旨】 一、犯行と被告人らとの結びつきに関する原判決の事実認定に不合理なところがあるときは(判文参照)、刑訴法第四一一条第三号により原判決を破棄しなければならない。

       二、破棄判決の破棄の理由とされた事実上の判断は、拘束力を有する。

       三、破棄判決の拘束力は、破棄の直接の理由、すなわち原判決に対する消極的、否定的判断についてのみ生ずるものであり、右判断を裏付ける積極的、肯定的事由についての判断は、なんら拘束力を有するものではない。

       四、公判準備期日における証人の尋問終了後に作成された同人の検察官調書を、右証人の証言の証明力を争う証拠として採証しても(原判文参照)、必ずしも刑訴法第三二八条に違反するものではない。

 

【参照条文】 刑事訴訟法411

       裁判所法4

       民事訴訟法407-2

       刑事訴訟法400

       刑事訴訟法414

       刑事訴訟法328

 

【掲載誌】  最高裁判所刑事判例集22巻11号961頁

       最高裁判所裁判集刑事169号187頁

       裁判所時報508号2頁

       判例タイムズ226号250頁

       判例タイムズ228号165頁

       判例時報533号14頁

 

【評釈論文】 警察時報44巻5号102頁

       ジュリスト412号50頁

       ジュリスト臨時増刊433号148頁

       別冊ジュリスト32号218頁

       別冊ジュリスト51号224頁

       別冊ジュリスト74号214頁

       別冊ジュリスト89号230頁

       捜査研究39巻3号109頁

       法学研究(慶応大)44巻9号137頁

       法曹時報21巻1号222頁

 

       主   文

 

  原判決を破棄する。

  被告人らはいずれも無罪。

 

        理   由

 

    目   次

 第一 は し が き

第二 上告趣意について

第三 職 権 調 査

  一 序   論

  二 本   論

   (一) 証拠上疑の余地がない外形的事実

   (二) aが犯人であること

  (三) 被告人らの加功の有無

   (四) 原判決(三次控訴審)の検討

  三 結   論

 第一 は し が き

 本件公訴事実は、「被告人らはaと共謀の上、昭和二六年一月二四日午后一〇時五〇分頃、山口県熊毛郡a村bb方寝間において、長斧をもつて就寝中のb(当六四年)の頭部および顔部を数回殴打して殺害すると同時に、手をもつて同じく就寝中の同人の妻c(当六四年)の口を塞ぎ首を締めて殺害した上、同寝間の箪笥内から金一六、一〇〇円を強取した。」というのである。右事実の存否をめぐつて、一審有罪、一次控訴審有罪の判決があつたところ、一次上告審は、「第一審及び原審に現われた証拠によつては、被告人四名につき原審の是認にかかる第一審判決が認定した事実を肯認するに足りず、結局判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認の疑があることに帰する。」として一次控訴審判決を破棄して差し戻した。二次控訴審は、右破棄判決の趣旨に従い、更に事実調をかさね、その取り調べた証拠及び従前の証拠を検討し、「被告人らがaと通謀の上本件の兇行をなしたものとは認め難く、むしろ各種の関係証拠を綜合すれば、右兇行は、aが単独でなした疑いが濃厚である。」として一審判決を破棄し、被告人らに無罪を宣告した。これに対し検察官の上告があり、二次上告審は、上告趣意に対し、「帰するところ事実誤認、単なる訴訟法違反の主張を出でないものであつて、刑訴法四〇五条の上告理由に当らない。」として排斥したが、同法四一一条を発動して職権調査し、「原判決には審理不尽、理由不備の欠陥があり、この欠陥は延いて原判決を破棄するのでなければ著しく正義に反するものと認められる程の事実誤認を導き出しているものと考える。」として原判決を破棄し差し戻した。三次控訴審は、右破棄判決の趣旨に従い、更に詳細な事実調をしたが、「すくなくとも原判決(一審判決)の引用挙示する限度の証拠によつては、同判決摘示の被告人らに関する犯罪事実を認定するのに十分でないものといわなければならない。したがつて、原判決には理由不備の違法がある。」として一審判決を破棄したが、同控訴審及び従前の審級において取り調べた証拠を綜合判断し、結局被告人らに対し有罪の判決をした。これに対して被告人らから上告があり、本件が三次上告審に係属することとなつたのである。

  右のように、本件は三回目の上告審であり、既に事件発生の日から一七年有余を経過し、公判回数も、判決宣告期日を含め、一審一二回、一次控訴審八回、一次上告審三回、二次控訴審七六回、二次上告審四回、三次控訴審四二回、合計一四五回にのぼり、取り調べた証人数は延一九三名に達し、本記録九六冊、参考記録三一冊、合計一二七冊に及ぶのである。本件が何故にこのように難件となり、一七年有余を経過する現在もなお未確定の状態にあるのか、そのよつて来る所以は一にかかつて本件犯行直後における初期捜査が不備疎漏であつたことに存するのである。このことは記録が如実にこれを物語つているのであつて、この欠陥は、二次控訴審の段階においていかに検察官が豊富な捜査人員を投入し、綿密周到な補充捜査を繰りひろげても、なおこれを補い得なかつたことは後述のとおりである。

  なお、本件においては、被告人、弁護人の上告趣意(上告趣意書提出期限後に提出された補充書を除く)は、活字にして九九〇字詰一九三一頁合計約一九〇万字にのぼるものである。その内容は多岐にわたり、憲法違反、判例違反を主張する点もあるが、主としては、微に入り細を穿つて事実認定の当否を争うものである。けだし、本件における最大の争点は事実誤認の有無に存するのであり、一次上告審もこの点に疑を懐いて破棄し差し戻し、これを受けた二次控訴審判決に対し検察官が敢えて上告をしたのもこの点に不服があつたからであり、さらに二次上告審も、まさにこの点をとらえて破棄し差し戻したのである。かような経過をかえりみるときは、当審としても刑訴法四一一条に準拠し、当事者の主張に謙虚に耳を傾けるところがなければならない。以下に上告趣意について具体的に検討するが、論旨中事実誤認及びこれに関連する訴訟法違反(経験則違反、採証法則違反等)の主張については、後記第三の職権調査のところにおいて示す判断が、おのずから右主張にこたえたこととなるであろう。

  (この判決で単にaとはaを指す。各被告人についてもおおむね姓のみを示す。月日だけを示すのは昭和二六年のそれ、日だけを示すのは同年一月のそれを指す。供述調書についても単に供述ということがある。)

 第二 上告趣意について

 一 弁護人前堀政幸の上告趣意について

 所論第一点は、判例違反、憲法三七条一項違反を主張する。しかし、一次上告審判決の判断は、その内容をみれば明らかなように、必ずしも所論のごときものではなく、「第一審及び原審に現われた証拠によつては、被告人四名につき原審の是認にかかる第一審判決が認定した事実を肯認するに足りず、結局判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認の疑があることに帰し……」として原判決を破棄し、その指摘する諸点についてなお審理を尽くし、一審判決の判示事実がはたして認定できるか否かを検討することを命じて差し戻したのである。右一次上告審判決は、その指摘する諸点のすべてについて被告人らに不利益な認定ができなければ有罪としてはならない旨を命じているわけではない。右のように、一次上告審判決は、所論のごとく限定的なものではなく、より広範に控訴審の裁量を許したものである。二次控訴審がなんら事実審理をせずにさらに一次控訴審と同じ判断をすれば、一次上告審判決の拘束力に牴触することとなろうが、一次上告審判決の趣旨に従い審理をさらに尽くしての上であれば、有罪、無罪いずれの判決をすることもその裁量の範囲内にあつたのである。本件において二次控訴審はたまたま無罪の判断に到達したにすぎない。そうであれば、二次控訴審において裁量とされていた事項について、その判断の当否を争い上告することが許されることはいうまでもなく、右の事項に関するかぎり、二次上告審は一次上告審判決の判断の拘束を受けないわけである(昭和二六年(れ)第一二五四号同年一一月一五日第一小法廷判決、刑集五巻一二号二三七六頁参照)。二次上告審判決は、なんら所論引用の判例に違反するところはなく、これを受けた三次控訴審判決にも判例違反はないから、判例違反の主張は理由がなく、従つて、右判例違反を前提とする違憲の主張は前提を欠き、適法な上告理由とならない。

  その余の所論は、単なる訴訟法違反、事実誤認の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

  二 弁護人青木英五郎の上告趣意について

 所論は、憲法三七条二項違反をいう点もあるが、その実質は単なる訴訟法違反の主張であり(原審昭和三九年八月二八日公判準備期日における証人dの尋問終了後に作成された同人の検察官調書を、右証人の証言の証明力を争う証拠として採証した原判決の説示は、必ずしも刑訴法三二八条に違反するものではない)、その余の所論は、事実誤認、単なる訴訟法違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

  三 弁護人佐々木哲蔵の上告趣意について

 所論(その一)第一部は、憲法三一条、三七条一項違反を主張する。しかし、第一部の第一の点は、二次上告審判決に対する非難であつて、原判決に対するものではないから、適法な上告理由とならず、同第二の点は、その実質は単なる訴訟法違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない(一次上告審判決の判断の拘束力の点及びdの検察官調書の採証の点については既に述べた)。

  その余の所論は、違憲をいう点もあるが、その実質はすべて単なる訴訟法違反、事実誤認の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

  四 弁護人太田隆徳の上告趣意について

 所論第一点は、憲法三九条違反をいうが、無罪を宣告した控訴審判決に対する検察官上告が、所論憲法の条項に違反しないことは、昭和二四年新(れ)第二二号同二五年九月二七日大法廷判決、刑集四巻九号一八〇五頁に徴し明らかであり、右判例はいまだこれを変更すべきものとは認められないから所論は理由がない。

  その余の所論は、単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

  五 弁護人原田香留夫、同阿左美信義、同橋本保雄、同山田慶昭連名の上告趣意について

 所論第一点は、憲法三七条一項、三九条違反をいうが、無罪を宣告した控訴審判決に対する検察官上告が、所論憲法の各条項に違反しないことは、前掲大法廷判決の趣旨に徴し明らかであり、また、本件において、検察官の上告が恣意による上告権の濫用であつたとも認められないから、所論は採用しがたい。

  その余の所論は、事実誤認の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

  六 弁護人深田和之の上告趣意について

 所論は、憲法三七条二項違反をいう点もあるが、その実質は単なる訴訟法違反の主張であり(dの検察官調書の採証の点については既に述べた)、その余はすべて事実誤認、単なる訴訟法違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

  七 弁護人正木・、同上田誠吉、同熊野勝之、同児玉憲夫、同正森成二、同山下潔、同上田稔、同細見茂、同松本健男、同佐々木静子、同内藤徹、同小牧英夫の各上告趣意、弁護人関原勇、同西嶋勝彦、同岡林辰雄連名の上告趣意、弁護人後藤昌次郎、同東城守一、同久保田昭夫、同舎川昭三、同山本博、同村野信夫、同草島万三、同小池貞夫、同川崎剛、同伊藤末治郎、同秋山泰雄、同萩原健二連名の上告趣意、及び被告人e、同f、同g、同hの各上告趣意について

 所論は、違憲をいう点もあるが、その実質はすべて事実誤認、単なる訴訟法違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

 第三 職 権 調 査

  一 序   論

  (一)既に述べたように、本件の核心は事実誤認の有無にこそ存するのであつて、当事者においてはもとより、本件の審理を担当した各審級の裁判官が心血をそそいで来たのも、まさにこの点にほかならない。いまこれに思いをいたすならば、当審としても刑訴法四一一条三号に準拠し、被告人側の上告趣意及び検察官の答弁を契機として、この点に充分の検討を加え、事案の真相を洞察する必要を痛感するのである。しかし、事実審たる一、二審と異なり、制度上法律審であることを原則とする上告審が、事実認定に関する原判断の当否に介入するについては、おのずから限界の存することもまたやむを得ないところである。法律が、上告審は原判決の事実誤認が重大であり、かつ、これを看過することが著しく正義に反すると認められる場合に限定して、原判決を破棄することができるとしているのも、書面審査による上告審が、事実認定の当否の判断に深く介入することは、かえつて危険であり、国民の信頼をつなぐ所以でもないからである。また、その介入の方法、限度についても、記録その他の証拠資料を検討して原判決の認定に不合理なところがないか否かの事後審査をするにとどまるのが原則であつて、原判決の認定の当否を判断するために、あらたに事実の認定をするものでないことは、いうまでもない。

  (二)つぎに、本件は、一次、二次の上告審判決を経ており、当審は三次の上告審である。従つて、先になされた上告審の破棄判決の拘束力について、ここで一応の検討を加えておく必要がある。

  裁判所法四条は、「上級審の裁判所の裁判における判断は、その事件について下級審の裁判所を拘束する。」と規定し、民訴法四〇七条二項但書も、上告裁判所が破棄の理由とした事実上及び法律上の判断は差戻審を拘束する旨規定している。刑訴法にはこれに相応する法条はないが、前示のごとく、上告審も職権で事実認定に介入できるのであるから、条理上、上告審判決の破棄の理由とされた事実上の判断は拘束力を有するものと解すべきである。

  以上の次第であるから当裁判所としては、本件において拘束力を有する事実判断の範囲如何について考察しなければならないわけである。一次上告審判決の破棄理由が、弁護人所論のごときものではなく、二次上告審判決がこれに牴触するものでないことは既に述べた。それ故、ここでは二次上告審判決の拘束力を有する事実判断の範囲について考えれば足りるのである。二次上告審判決の骨子は、次のようなものである。すなわち、①aの五人共犯の供述は、部分的には嘘もくいちがいもあるが、その供述は素直で不自然さも感ぜられず、大筋を外れていないのであつて、それを裏付けるものは、本件犯行直後の凄惨な現場の状景と証人i、同j、同kの新証言による被告人らのアリバイの崩壊であること、②被告人らの警察自白は、その推移を検討すると、その供述が枝葉末節まで符合しないところに相互にしめし合わせたり、教えられたりしたものでもないことがはつきりし、その供述は新鮮で決して大筋を外れていないものであること、③被害者夫婦の死亡時刻につき、二次控訴審判決が、鑑定人l、同m、同nの鑑定結果を綜合認定するに際し、算術の計算のように食事後三時間云々と割り切つたのは、独自の想定にほかならず、またその食事の時刻を午後六時に近い頃と断定したのは速断というのほかはないこと、以上の諸点を骨子とし、これに牴触する二次控訴審判決には、審理不尽、理由不備の欠陥があり、ひいては事実を誤認しているとするものである。

  ところで、破棄判決の拘束力は、破棄の直接の理由、すなわち原判決に対する消極的否定的判断についてのみ生ずるものであり、その消極的否定的利断を裏付ける積極的肯定的事由についての判断は、破棄の理由に対しては縁由的な関係に立つにとどまりなんらの拘束力を生ずるものではないから、本件において、二次上告審判決の事実判断の拘束力は、右①aの供述及び②被告人らの警察自白の信用性を否定した二次控訴審判決の認定を否定する範囲内に限定されるものであり(右③の被害者夫婦の死亡時刻に関する説示は、二次控訴審判決の認定の仕方を非難するにすぎない)、二次上告審判決が、さらに右aの供述及び被告人らの警察自白の信用性を積極的に肯定すべき事由としてあげるところは、破棄の理由に対し縁由的事由にすぎないものであるから、拘束力を有していないものと解すべきである。従つて、三次控訴審は、さらにこの点につき証拠調をした上であれば、二次上告審判決に示されたものとは異なる縁由的事由を認定し、もつて右供述ないし自白の信用性を否定する自由が残されていたものであるといわなければならない。そして、三次控訴審は、差戻後あらたにaをはじめi、j、kの各証人をみずから尋問し、あるいは検証を行なう等、殆んどあらゆる証拠調をやり直していることが記録上明らかであるから、これらの証拠調の結果を基礎とするならば、あたらしく事実認定をする裁量権を広範囲に有していたものである。従つて、もはや当審においては、二次上告審判決の事実判断の拘束力を考慮する必要はないものと解するのである。

  二 本   論

  (一)証拠上疑の余地がない外形的事実

  本件公訴事実は、既に掲記したが、本件において、証拠上疑の余地がないものとされる事実は、「犯人は昭和二六年一月二四日夜、b方寝室において、長斧をもつて同人の頭部顔面を数回殴打し、よつて同人を頭部割創による頭蓋骨骨折、大脳挫滅及び前頭蓋底骨骨折により死亡させ、同時刻頃同所において、cの頸を締め、よつて同人を頸部搾扼による窒息死に致らせ、なにがしかの金員を強取した上、右犯行を被害者両名の夫婦喧嘩に偽装するため、cを隣室の鴨居にロ―プをもつて吊り下げ、その手足にbの血を塗りつけたり、火鉢の灰を撒き散らしたりした後、b方を内側から戸締りをなし、同人方西側床下口から逃走した。」ということである。

  よつて、つぎに、右の犯行及び偽装工作が何人の手によつてなされたものであるかにつき、記録及び証拠物を検討することとする。

  (二)aが犯人であること

 犯人が一人であるか(単独犯)あるいは数人であるか(多数犯)については暫く措き、aが犯人であることについては、同人が犯行後間もなく逮捕されてから現在にいたるまで終始自白していることと、左記の証拠とによつて極めて明らかである。

  (1)被害者b方北裏口外側に放置されたサイダー瓶(証二号)から、aの左手中指の指紋が顕出されたこと。

  (2)aの着ていたジヤンパー(証三二号)にbと同じ血液型のB型の血痕(aの血液型はO型である)及び蜘蛛の巣が附着し、また同人の右眉部、右耳翼、右手拇示中環小各指爪、左手各指爪、右足・趾爪、左足・趾にも血痕が附着していたこと。

  (3)aが二五日午前〇時四〇分頃、c町タクシー業oに自動車賃として支払つた金銭のなかに存した一〇円札五枚(証一四号)、d町pに登楼しそこで支払つた金銭のなかに存した一〇円札一〇枚(証一七号)は、被害者方寝室の箪笥内において発見された一〇円札七枚(証二三号)と記号(1113222)が同一であるのみならず、右の一〇円札はいずれも同一版面で印刷され、かつ、同時に断裁されたことが、鑑定上明らかになつたこと。

  (4)aの自供にもとづいて、侵入に際しb方東側南面のガラス窓枠をこじ開けろのに使用されたというバール(証三〇号)が、一審公判係属中に偶然発見されたこと。

  (5)aの自供にもとづいて、b方台所と炊事場の境の板戸(証一六四号)に刃物の先で突いたような九つの傷穴があることが、一審検証時にはじめて発見されたこと。

  右の各証拠のうち、(1)現場に放置されたサイダー瓶の指紋、(2)着用していたジヤンバーの血痕、蜘蛛の巣、(3)一〇円紙幣の同一性は、いずれの一つを採り上げても本件において極めて有力な証拠(いわゆるきめ手と称される証拠)であり、また、(4)バ―ル及び(5)板戸の傷穴は、それのみでは必ずしも決定的な証拠とはいえないが、これらのものがaの自供にもとづいてはじめて発見されたという事実は、自供の真実性を強く裏付けるものであり、自白と相俟つてaが犯人であることを疑の余地なく物語るものといわなければならない。

  (三)被告人らの加功の有無

  (1)物的証拠

  被告人e、同f、同g、同hが、aの右犯行に加功しているか否か、換言すれば、被告人らと本件犯行との結びつきを証明すべき証拠の存否につき検討するに、被告人らについては、aにつきみられる前掲のごとき、いわゆるきめ手ともいうべき有力な物的証拠は何一つとして存在しないことが明らかである。もつとも、一審及び一次控訴審当時においては、被告人らについても、あたかも同人らを犯行と結びつけるかのような物的証拠が一応は存在した。すなわち、

  (イ)qの物品検査回答書によれば、eのズボン(証二四号)及び浴衣(証二五号)、hの占領軍払下下衣(証一八号)、gの国防色ズボン(証一九号)及び黒色ズボン(証二〇号)、並びにe、f、gの各手及び足の爪に血痕が附着しているとされ、

  (ロ)また、eが逮捕された際伴なつていたjの手から領置された一〇円札一枚(証二一号)、同じくh方捜索の際押収された一〇円札五枚(証二二号)は、いずれも被害者方から発見された一〇円札七枚(証二三号)と記号が同一であり、

  (ハ)さらに、八海橋から手袋、足袋、靴下を投棄したという、二月二日付a、g、f、及び二月三日付eの各警察供述にもとづいて捜索したところ、八海川下流から日本手拭一本(証二六号の一)、西洋手拭二本(同号の二)、雑巾二枚(証二七号)、b宛金銭請求書一枚(証二八号)が、また手袋片手ずつ二個(証一一号、一二号)が発見されたのである。

  しかし、右の各証拠については、一次上告審判決がその不備を指摘して一次控訴審判決を破棄し差し戻した結果、二次控訴審においてさらに詳細な証拠調がかさねられ、結局、右(イ)の被告人らの着衣については必ずしも血痕附着の証明はなく(lの鑑定書)、また、右(ロ)のj所持の一〇円札及びh方から押収の一〇円札は、被害者方の一〇円札とは記号が同一であるとはいえ、異なる版面により印刷され、別の機会に断裁されたものであることが明らかとなつた(rの鑑定書)。さらに、右(ハ)の発見物は、これらを投棄したとの被告人らの自供が自らの経験にもとづくものであり、かつ、それが端緒となつて発見された場合にはじめて、被告人らを本件犯行に結びつける物的証拠となり得るのである。しかるに、二次控訴審では、aの供述が他の被告人らの自供に先き立つものであつたことが推測されるに至つたので、被告人らの右自供は、aの供述に追随してなされ、その経験にもとづいてなされたものでないとの疑が生じたのである。従つて、以上の三点については被告人らと犯行との結びつきは一応解消してしまつたのである。ただ、三次控訴審において、あらたにeの作業用上衣(証一五一号)に人血が附着していることが明らかとなつたが(sの鑑定書)、eが本件犯行のあつた二四日夜に右上衣を着用していたかどうかについて必ずしも明白であるとはいいがたいのみならず、右人血の血液型も不明であり、かつ、いつごろ附着したものかも全く解明されていないのであつて、直ちにeを本件犯行に結びつけるものではない。

  つぎに、本件において、被害者bはその頭部、顔面に八個の創傷を受け、被害者cは頸部を搾扼されており、それは同時殺害であるのに、その手段を異にしていることや、犯人は殺害後、被害者両名の夫婦喧嘩に偽装するため、cを隣室の鴨居にロ―プをもつて吊り下げ、その手足にbの血を塗りつけたり、火鉢の灰を室内に撒き散らしたりした後、同人方を内側から戸締りをして逃走したことを思わせる状況は、本件犯行が、単独犯ではなく、多数犯であることを一応推測させるものである。しかし、bの八個の創傷は、すべて被害者の左側からの攻撃によつても可能であり(lの鑑定書)、また、cの首吊り工作は一人によつても可能であるとされていること(三次控訴審証人tの尋問の際の深田弁護人の実験結果)からみれば、本件犯行は単独犯にても可能であることが認められるのみならず、右の諸点が単独犯ではなく多数犯であることを一応推測させるものであるとしても、必ずしも被告人らの加功と必然的に結びつくものではないのである。

  (2)供述証拠

  かように、被告人らと本件犯行との結びつきを証明すべき証拠については、aの場合と異なり、いわゆるきめ手ともいうべき有力な物的証拠は存在せず、aの五人共犯の供述及び証人k、同j、同i、同d、同uのいわゆる新証言を中心とする供述証拠が存するのにすぎないのである。

  ところで、供述証拠は、物的証拠と異なり、まずその信用性について、供述者の属性(事件と無関係で供述者に本来的なもの、例えば能力、性格)及び供述者の立場(事件との関係によつて生ずるもの、例えば当事者に対する偏見、利害関係)の全般にわたり充分な検討を加え、もつて信用性の存否を判断した上、その供述の採否を決しなければならないのである。本件において、aの供述は、犯罪事実の謀議、実行行為のすべてにわたるものであり、従つて、これに信用性を認めるときは、直ちに被告人らの罪責は肯定されるのであつて、その信用性の吟味は、とくに慎重を要するものといわなければならない。その余のいわゆる新証言については、kの証言が被告人らとaとの共謀の事実を立証するものであることを除けば、すべて本件犯罪の情況事実を証明する証拠にすぎず、右新証言のみによつて直ちに被告人らの加功を認定することはできないけれども、本件犯行前後における被告人らの行動に関する新証言は、被告人らが本件犯行に加功しているか否かの点に関し重要な意味をもつものであつて、その信用性の検討に充分な考慮を要することは右と同様である。

櫻井龍子裁判長名決定 保釈要件 最高裁平成26年

保釈許可決定に対する抗告の決定に対する特別抗告事件

最高裁判所第1小法廷決定/平成26年(し)第560号

平成26年11月18日 刑事訴訟法判例百選 10版 A54 11版A54

 

【判示事項】 1 受訴裁判所によってされた刑訴法90条による保釈の判断に対する抗告審の審査の方法(①事件)

       2 詐欺被告事件において保釈を許可した原々決定を取り消して保釈請求を却下した原決定に刑訴法90条,426条の解釈適用を誤った違法があるとされた事例(①事件)

 

【判決要旨】 1 受訴裁判所によってされた刑訴法90条による保釈の判断に対して,抗告審としては,受訴裁判所の判断が委ねられた裁量の範囲を逸脱していないかどうか,すなわち,不合理でないかどうかを審査すべきであり,受訴裁判所の判断を覆す場合には,その判断が不合理であることを具体的に示す必要がある。

       2 公判審理の経過及び罪証隠滅のおそれの程度を勘案して被告人の保釈を許可した原々審の判断が不合理であることを具体的に示さないまま,不合理とはいえない原々決定を裁量の範囲を超えたものとして取り消して保釈請求を却下した原決定は,刑訴法90条,426条の解釈適用を誤った違法があり,取消しを免れない。

 

【参照条文】 刑事訴訟法60-1

       刑事訴訟法411

       刑事訴訟法426

       刑事訴訟法434

 

【掲載誌】  最高裁判所刑事判例集68巻9号1020頁

       裁判所時報1616号260頁

       判例タイムズ1409号123頁

       判例時報2245号124頁

       LLI/DB 判例秘書登載

 

【評釈論文】 論究ジュリスト21号162頁

       ジュリスト1492号171頁

       ジュリスト1497号99頁

       法学新報122巻3~4号385頁

       法学セミナー60巻3号128頁

       法律時報88巻3号125頁

 

       主   文

 

  原決定を取り消す。

  原々決定に対する抗告を棄却する。

 

        理   由

 

  1 本件抗告の趣意は,憲法違反をいう点を含め,実質は単なる法令違反,事実誤認の主張であって,刑訴法433条の抗告理由に当たらない。

  2 しかし,所論に鑑み,職権により調査すると,被告人の保釈を許可した原々決定を取り消して保釈請求を却下した原決定には,刑訴法90条,426条の解釈適用を誤った違法があり,取消しを免れない。その理由は,以下のとおりである。

  (1) 本件公訴事実の要旨は,「被告人は,家庭用電気製品の販売等を目的とする会社の取締役であった者であるが,LED照明の製造会社やその販売会社の代表者ら4名と共謀の上,上記販売会社との間で売買基本契約を締結していた被害会社から仕入代金の先払い名目で金銭をだまし取ろうと考え,真実は,被告人が取締役を務める会社がLED照明の注文を受けた事実も,上記製造会社においてLED照明を製造して納品する意思もなく,かつ,被害会社から支払われる金銭は上記販売会社の借入金の返済等に充てる意思であるのにその情を秘し,上記販売会社の代表取締役が,被害会社の担当者に対し,「近いうちに被告人の会社から発注書が出る。受け取った前渡金は,全額,当社から製造会社に支払われ,製造費に充てることになる」旨うそを言い,さらに,被告人が,上記担当者に対し,「大型電球の注文があったので,上記製造会社の製品を納品することにした。その販売窓口が被害会社になったと聞いたので,注文書を持参した」旨うそを言い,LED照明7600点(販売価格2億3000万円余り)の注文書を交付するなどして,上記担当者及び被害会社の代表取締役らをして,被害会社がその注文を受け,上記販売会社に仕入注文をして購入代金の一部を先払いすれば,上記製造会社がその資金で上記LED照明を製造して納品するものと誤信させて,上記販売会社に対し上記LED照明の仕入注文をさせ,よって,その購入代金の先払い分及び残金として,2回にわたり,合計2億3000万円余りを上記販売会社名義の普通預金口座に振込入金させた」というものである。

  (2) 原々審は,最重要証人である被害会社の担当者に対する主尋問が終了した段階(第10回公判期日が終了した段階)で,保証金額を300万円とし,共犯者その他の関係者との接触禁止等の条件を付した上で被告人の保釈を許可した。原々審が刑訴法423条2項後段に基づいて原審に送付した意見書によれば,原々審は,被告人と共犯者らとの主張の相違ないし対立状況,被告人の関係者に対する影響力,被害会社担当者の主尋問における供述状況等に照らせば,被告人がこれらの者に対し実効性のある罪証隠滅行為に及ぶ現実的可能性は高いとはいえないこと,本件における被告人の立場は,複数回の架空発注のうちの1件に発注会社の担当者として関与したにとどまること,被告人に対する勾留は既に相当期間に及んでおり,前述のような現実的でない罪証隠滅のおそれを理由にこれ以上身柄拘束を継続することは不相当であること等を考慮して保釈を許可したものと理解される。

  (3) これに対し,原決定は,「被告人は,共謀も欺罔行為も争っているのであるから,共犯者らと通謀し,あるいは関係者らに働き掛けるなどして,罪証隠滅に出る可能性は決して低いものではない。そうすると,罪証隠滅のおそれは相当に強度というほかなく,被告人には刑訴法89条4号に該当する事由があると認められる。また,その罪証隠滅のおそれが相当に強度であることに鑑みれば,多数の証人予定者が残存する中にあって,未だ被害者1名の尋問さえも終了していない現段階において,被告人を保釈することは,原審の裁量の幅を相当大きく認めるとしても,その範囲を超えたものというほかない」として,保釈を認めた原々決定を取り消した。

  (4) そこで検討すると,抗告審は,原決定の当否を事後的に審査するものであり,被告人を保釈するかどうかの判断が現に審理を担当している裁判所の裁量に委ねられていること(刑訴法90条)に鑑みれば,抗告審としては,受訴裁判所の判断が,委ねられた裁量の範囲を逸脱していないかどうか,すなわち,不合理でないかどうかを審査すべきであり,受訴裁判所の判断を覆す場合には,その判断が不合理であることを具体的に示す必要があるというべきである。

  (5) しかるに,原決定は,これまでの公判審理の経過及び罪証隠滅のおそれの程度を勘案してなされたとみられる原々審の判断が不合理であることを具体的に示していない。本件の審理経過等に鑑みると,保証金額を300万円とし,共犯者その他の関係者との接触禁止等の条件を付した上で被告人の保釈を許可した原々審の判断が不合理であるとはいえないのであって,このように不合理とはいえない原々決定を,裁量の範囲を超えたものとして取り消し,保釈請求を却下した原決定には,刑訴法90条,426条の解釈適用を誤った違法があり,これが決定に影響を及ぼし,原決定を取り消さなければ著しく正義に反するものと認められる。

  3 よって,刑訴法411条1号を準用して原決定を取り消し,同法434条,426条2項により更に裁判すると,上記のとおり,本件については保釈を許可した原々決定に誤りがあるとはいえないから,それに対する抗告は,同条1項により棄却を免れず,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり決定する。

 (裁判長裁判官 櫻井龍子 裁判官 金築誠志 裁判官 白木 勇 裁判官 山浦善樹 裁判官 池上政幸)

 

 

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