9f94072c.gif僕の小さな頃はSL機関車が当たり前に走っていた。
家も駅の近くだったので音はもちろん煙もよく見えそれが当たり前の光景だった。
駅や踏切に立ち煙をもうもうと立ち上げ力強く走るSL機関車に僕等子供は何故か手を振った。
機関車に機関士さんに乗客に、誰に向けてではないが手を振るのが楽しかったのだろう。
偶に機関士さんが手を振るのをみつけると笑顔で手を振り返してくれることもあった。
そして僕にとって汽車に乗るということは特別な事でもあった。
年に一回町内の海水浴のときに汽車に乗り数駅向こうの海水浴場に行くのだが、正に旅。
夏休みのメインイベントである。
窓から顔を出してみる、車内で缶ジュースを飲む、トンネルを抜ける、楽しいことばかり。
(途中からマイクロバスに変わり残念だった。この頃の僕は汽車には酔わないが車にはよく酔った。)
僕は汽車というものは高級で、滅多に乗れる乗り物では無いと思っていたのだ。

小学校4年生の時だった、その日は算盤の検定試験を受けに隣町まで行っていた。
そして試験も終わり僕等珠算塾の面々は現地解散とあいなった。
僕と近所のカズちゃんとカズちゃんの弟と3人で帰る事にしたのだが、みんな車酔いが酷い。
来るときのバスではなんとか我慢できた。
帰りもなんとか我慢はできるだろうが考えると憂鬱になる。
ここでカズちゃんが提案する。「汽車で帰ろうよ」
思わぬ言葉に僕は絶句した。
「汽車?幾らかかるんだ?切符はどうやって買ったらいいんだ?」
と僕は不安になったがKちゃんが当たり前のように言うので「いいよ」と言ってしまう。
「カズちゃんの後について同じ事をやればなんとかなるだろう。お金も200円持ってるし」と自分に言い聞かせる。
駅に着くとカズちゃんはすたすたと切符売り場と思われるガラス張りの窓口へ向かう。
するとカズちゃんが僕の方を見て「どの窓口で切符を買えばいいかコーチャン分かる?」とニヤニヤしながら訊いてきた。
見ると窓口が2つあるではないか。
初心者と見透かされてはいかんと僕は常連ぶって「どっちでもいいよ」と言う。
「ブー、違います。こっち側です。上に“下り”って書いてあるでしょ」とニヤニヤ。
カズちゃんは既に僕が初心者と分かっていてからかったのだった。
僕も負けじに「あ〜そうだった、そうだった」などと言ってみる。
カズちゃんが窓口で「○○駅まで」と言って10円玉を出した。
すると駅員さんが長方形の切符を出してくれる。
頭をぶん殴られる程のカルチャーショックが襲った。
「簡単に切符が子供でも帰る」「しかも10円ってバスより安い」
僕も同じ様に「○○駅まで」と緊張しながら10円玉を差し出すと駅員さんが切符をくれた。
もう感動である。
改札口で切符にハサミを入れてもらいホームに入る。
ここでカズちゃんがまたニヤニヤして「どこのホームから汽車に乗ればいいでしょうか?」と訊いてきた。
僕はまた「どこでもいいよ」と知ったかぶり。
「ブー、向こうの2番ホームです。“下り”って書いてあるでしょ」と笑った。
僕はまた「あ〜そうだった、そうだった」としどろもどろ。
(この時はカズちゃんが何を言ってるいるのか分からなかったが後日“上り”“下り”の意味を知る。)
汽車がホームに着き三人で乗り込む。
向かい合わせの座席に座り景色を見ながら他愛もない話をする。
一駅だったので15分くらいで着いてしまうのだが凄く楽しかった。
駅前でカズちゃんと分かれ家路に着く。
バスのように酔うことが無い、バスより安い、バスより早い、バスよりゆったりしてる、何より楽しい。
僕は汽車に乗るスキルを修得した事にもう嬉しくて嬉しくてニヤニヤしながら帰った。
帰ると母に算盤検定試験の事はそっちのけで汽車で帰ったことを話す。
「今度、伯母さんちへ行くときは汽車で行こうよ」と提案すると。
「汽車は1時間に1本くらいだから不便だ」と却下。
この後、僕はもっぱら汽車を使う事になる。

数年経つとSL機関車が姿を消しいつの間にかディーゼル機関車に変りD51とかC11とかじゃなくてキハとかになっていた。
この間、帰省した際に見たときには1両の電車が走っているだけで過疎地を強調した寂しい風景だった。
あの頃の光景、SL機関車が何両もの客車、貨物車を連結し力強く走っている姿を思い返してみると幻想的に思えてしまう。