この『ブレードランナー2049』が、どんな話なのかと言うと。
 ライアン・ゴズリング演じるKというレプリカントが主人公なんだけど。このKは、レプリカントでありながら「逃亡したレプリカントを捕まえて殺す」という汚れ仕事をやってるんだよ。
 そして、仕事を終えて帰る家には、レプリカント用のオモチャである、バーチャルリアリティで作られた、架空のガールフレンドのジョイっていうAIがいる。彼は、仲間を殺して貰ったボーナスで、ジョイをバージョンアップして、「うへへ」って喜んでいるという、そんなやつなんだけど。
 まずは、こういう舞台説明から始まる。この導入部はなかなか上手いんだ。


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 そんな中、自分が処刑したレプリカントが隠していた、別のレプリカントの骨みたいなものを見つけた。それを調べてみたら、その骨には、子供を出産したような痕跡があったんだ。
 「レプリカントがなぜ出産なんかしたんだ?」と思ってさらに調べてみたら、昔、逃げたという、ある女性型レプリカントの話に行き着く。
 ここで、前作の『ブレードランナー』を見てた人には、「前作の最後で逃げたデッカードとレイチェルという2人の間に、どうやら子供が生まれたらしい」ということがわかるようになってるんだけど。

 Kの雇い主である警察としては、レプリカントが子供を作れるかもしれないことが明らかになったら世間は混乱するだろうし、困るわけだ。なので、Kに対してデッカードの抹殺を依頼する。
 でも、レプリカントを作っている会社の社長にしてみれば、安く数を増やせる方法というのは、ぜひとも知りたいことなんだ。人類がもっと他の星に行くために、多くのレプリカントが必要なんだけど、従来通りにレプリカントを作ろうとするとコストが掛かるし、難しい。こんな中で、レプリカント同士がセックスして子供を作れるのだとしたら一番いいじゃん? なので、「この秘密を探るためにデッカードを見つけてこい」とKに依頼する。こんな矛盾した命令の間で、Kは悩むわけだよね。

 そうやって、警察の上層部と、レプリカントを作っている会社、さらにもう1つ出て来た、反乱を企てるレプリカントたちによる組織という3つの勢力が、それぞれ違った目的のためにデッカードを探そうと、Kに近づいてくる。
 その上、Kは、この3つの勢力とは別の理由で、デッカードを探したいと考えている。なぜかというと、K自身が「ひょっとしたら、その“レプリカントから生まれた子供”って、俺のことなんじゃないか?」と思っているからなんだ。これについては、映画の中にもいろんな証拠が出てくるんだけども。
 ここまでが、映画の中盤までの話。こういった「自分はレプリカントから生まれた子供なのでは?」という謎を提示することによって、物語を前に進めていくためのトルクを作っている。

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 さて、Kはその後、ラスベガスあたりでデッカードを見つけるんだけど。
 彼の捜査によって、会社側にもデッカードの居場所がバレてしまう。せっかく見つけたデッカードを奪われて、おまけに、「Kはレプリカントの息子でもなんでもない」と知らされる。どういうことかというと、「俺は2人の息子かもしれない」と思っているKの記憶自体が、後から植え付けられたものだったんだ。
 Kは、「ただでさえレプリカントという人間の偽物なのに、自分が子供の頃の記憶だと思っていたものすら偽物だったなんて、俺ってとことん偽物なんだな」って悩む。ここらへんは、現代人が抱える「どこまでが本当の自分の記憶なのかわからない」といったテーマが入ってきているよね。
 そんな中、奴隷的な境遇の中から人類と戦って独立を勝ち取ろうとしているレプリカントの反乱組織の人から、こんなことを言われるんだ。「人間というのは、大義のために命を捨てることが出来る者のことだ。たとえレプリカントだったとしても、自分のためでなく、もっと大きな目標のために命を掛けることが出来れば、俺たちも人間と同じじゃないか」と。
 Kは、そう言われて初めて、人間に対して反乱することを考えるんだよね。

 この辺まで見て、「えっ!? Kって人間になりたかったの?」って、俺はビックリしちゃったんだけど(笑)。
 というのも、それまでの映画の中には、そんな描写はないんだよ。人間から差別されてツラそうにしている場面はあったんだけど、だからといって「俺も人間になりたい!」と言っているような描写はないし、それどころか「レプリカントという存在が、差別を受けることに対してツラいという感情を持っているのかどうかもわからない」というふうに描いていた。
 つまり、この『ブレードランナー2049』の最大の欠点は何かというと、ライアン・ゴズリング演じる主人公のKというヤツが、何を感じて、何を考えているのかよくわからないところなんだよ。圧倒的な説明不足。画面的な説得力だけはバーンと出しておいて、キャラクターに関する説得力を出すのを忘れている。「そこは俳優の演技力にお任せで」というような感じでやっちゃってる。
 だから、俺、Kが反抗を決意するあのシーンを見て「ちょっと待て。そんな描写なかったぞ!」って思っちゃったんだ。

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 その後、Kはデッカードを奪い返して、レイチェルとの間に生まれた本当の娘に会わせてあげるんだけど、その時の戦闘でKは死んでしまう。で、最後、『ブレードランナー』でも使われていた懐かしい音楽が掛かる中、雪が降ってきて、これで死んで、おしまい、と。そういう映画なんだ。

 何かを守ろうと命を掛けて、そこで死んで、最後に雪が降っているのを見るというラストで、フィルム・ノワール的と言えばフィルム・ノワール的。
 昔の『ブレードランナー』で描かれた、雨が降っている中、ロイ・バッティというレプリカントが、「俺の人生も悪くなかったのかもな」と思い返しながら死ぬシーンをリフレインするような終わり方なんだけど。

 これが、5分くらいでザックリ話す、『ブレードランナー2049』のネタバレストーリー。「こんなにネタバレしていいの?」と言うよりは、「これくらいネタバレしないと、映画館に見に行ってもよくわからない話になってる」んだよね。

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 1982年に公開された元の『ブレードランナー』において、主人公のデッカードというのは、レイチェルという女が、本物の人間であろうが複製品であるレプリカントであろうが関係なく、自分の命を掛けて救い出すという所を見せた。だからこそ、彼は、映画のヒーロー足り得るわけだ。

 でも、今回のライアン・ゴズリング演じるKという主人公は、そうじゃない。
 最初に話したように、彼にも、ジョイっていうバーチャルリアリティの恋人が自分の部屋にいるんだよね。このジョイは、Kがギリギリのピンチに陥った時に「待って!」と言って彼をかばうんだ。そのせいで、コントローラーみたいなものを踏みつぶされたジョイは消えてしまう。
 つまり、バーチャルリアリティに過ぎない、Kよりも遥かに“偽物の命”であるはずのジョイが、自分の命を投げ出してかばってくれたのに、K自身はジョイのために何もしてやれなかったんだ。

 さらに、その後、心破れてロサンゼルスに帰ってきた時に、Kは、巨大なビルボードにバーチャルリアリティの広告塔として映し出されていた、ジョイの別バージョンの女の子に声を掛けられるんだけど。
 ジョイってさ、なんだかんだ言っても量産品なんだよ。要するに、「俺だけのフィギュアだ!」って思ってたら、すごいデカいポスターがバンバン貼られているのを見て、そこら中で売られていることに改めて気がつく、みたいな感じなんだけど。
 それを見たKは、これは台詞としては言わないんだけど、「ああ、俺が愛したつもりになっていた女も、やっぱり偽物だったんだな」みたいな気持ちになっちゃうんだ。

 つまり、「あくまでも、自分や恋人が本物か偽物かにこだわってしまうK」と、「自分が飼っている犬ですら本物か偽物かを問わないデッカード」。この2人にはキャラクターとしての対立があるんだよ。でも、その辺りの違いをギャップとして上手く描いてないんだよね。

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 命を掛けて自分を救ってくれたジョイの愛情を「やっぱり、俺もあいつも偽物だ」と疑ってしまったKというのは、おそらく、堕天使なんだよ。
 この映画の中で描こうとしているのは、「Kという翼を失ってしまった天使の贖罪」なんだ。つまり、「信じられなかった者としてのKが、贖罪のために、信じる者としてのデッカードを生かす」という構造になっている。

 そして、Kが堕天使であるように、本物の救世主というのもこの映画の中には存在している。それが、デッカードとレイチェルの娘なんだ。
 この娘っていうのは、レプリカントに記憶を植え付ける博士になっていて、ちゃんとレプリカントたちを救っている。まあ、「レプリカントを救う」と言っても、人類に対して独立運動をしているわけでも、もっと安く量産して他所の星に行こうとしているわけでもないんだけど。
 デッカードの娘がやっていたのは、「いろんな記憶を作って、レプリカントに移植してあげる」ということなんだ。これが、レプリカントが生きる上での縁(よすが)と言うか、しがみつける最後の生命線になってるんだよな。

 これはどういうことかというと、「キリストを見た!」とか「神の存在を確認した!」という信仰体験を自分の中に持っていることで、“信心”というものを持てるというキリスト教徒のメタファーなんだ。
 つまり、『ブレイドランナー2049』というのは、こういったキリスト教などの宗教に対する強烈な問題提起が入っている映画なんだよ。

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 こういうふうに、ストーリーだけを分解して話してみたら、いろんな要素がすごく上手く噛み合わさっているように見えるよね?
 ところが、これを、ライアン・ゴズリング演じる主人公Kの感情曲線がよくわからないまま、3時間近い尺で見せているから、本当に捉え所がない映画になってるんだ。
 だから、「話の構造や伏線だけなら非の打ち所がないくらい綺麗に組み合わさっているのに、その順番でダラダラと見せるな!」って思っちゃったわけだよ(笑)。

「Kは脇腹を刺されてたしな」(コメント)
 そうそう。今、コメントで流れたように、ちゃんとKが“脇腹を刺される”シーンもあって、「はいはい、スティグマータ(贖罪の視覚的なメタファー)」って思うしね。
 良いシーンは本当にいっぱいあるんだけどね。


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この記事は『岡田斗司夫ニコ生ゼミ』11月5日(#203)から一部抜粋してお届けしました。

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