コーおじさんの種まきブログ

定年の随筆集「農、教育、人生ーコーおじさんの七転八倒半生記ー」のその後、スローライフ協会の五つの種まきと松阪農業公園ベルファームのできごと、また人生についての「つぶやき」を、月に数回程度を目処に書いていきたいと思っています。ご意見・感想をいただける場合にはkohara@xf6.so-net.ne.jpへお願いします。

 一日のうちに起こったたくさんの悲喜こもごも… その②

 一日のうちに起こったたくさんの悲喜こもごも…そこから学ぶべきことは? その②

老若男女が知恵を出し合い、助け合って
・ほぼ30分遅れの14時直前に三重大学伊賀研究拠点についたら、「食の安全を守る人々」という自主映画は始まっていた。アメリカ産の小麦を輸入するための農薬の残留水準の規制緩和、ゲノム編集食品の流通問題など食を巡る問題点を指摘した大事なテーマなのだが別の機会に議論できればと思う。
・実はより手応えを感じたのは第二部ともいえるその後の意見交換会であった。映画には50-60名ほど参加されていたと思うが、大部分44名ほどが参加されて4つのグループに分かれて、自己紹介を兼ねて主に食にかかわる議論がされた。この会の呼びかけ主体が伊賀有機農業推進協議会だったこともあり、2015-16年ころまでは会議にも出させてもらっていたので顔見知りの人が私の少し先輩の人から30-40歳代の若い人たちまでのまさに老若男女が集まっていて、有機農業とか食育とか学校給食とかで関係を持っている人たちが多数集まっていた。私が入っていたグループは若いお母さん方や農業高校の若手先生、若い市会議員の男性などがいた。私と同年代と思われる食育に関わってこられたIさんは経験してきたことが何か若い人たちに役だてばと言っておられたが、同感である。私は簡単な自己紹介の後主に2つのことを話したように思う。一つは人は付き合っている人が限られてしまうと見ている世界もつい同じような狭い見方になってしまうので色んな人と交流するのがいいと思う。もう一つは伊賀には有機農業を巡る様々なつながりやより良い社会を作っていこうとする人の重層的なつながりがあり、これは社会的共通資本といってもいい財産だと思うというような意味のことを発言した。あっという間に予定の一時間が過ぎ、時間があればもっともっと深まったのではないかと思い久しぶりの充実感を味わった。グループのまとめ役になった市会議員の若者が他の人の言葉とともに私の2つの意見にも共鳴して取り上げてくれた。竹遊倶楽部の仲間も今どきの定年世代の仲間としては得難い存在だとは思うが、多世代が似たテーマで意見を交換できる機会はこれまた貴重だなと改めて感じた次第である。

待っていた榊原温泉湯の瀬のリニューアルオープン
・極楽湯の他に亀山の白鳥湯(未だ閉鎖中)と湯の瀬に時々来るのが楽しみであり、またリハビリの器械でもった。うろ覚えだが湯の瀬は建て替え改修のため昨年11月頃から閉鎖でそのリニューアルオープンが8月28日だったので帰りがけに立ち寄ることにした。
・できたばかりで施設は小綺麗、建物や内装もスッキリでしたが、いくつか違和感を感じてしまいました。店内のレイアウトはちょっと分かりにくくて、金の匂い(儲け主義?)を感じてしまいました。お風呂の中もお客さんの満足度より掃除のしやすさなどで作られているように(滑りやすさ対策や椅子などの配置など)感じてしまいました。公営の施設はどんどん公設民営方式が入ってきて、この施設も指定管理者方式となり、名古屋のM社が運営することになったと確か市の広報か新聞に出ていたように思います。経済施設として運営する限り黒字を出していくことも大事なことは言うまでもないのですが、公的な施設である限りお客様の満足度も大事であり、同じ指定管理者として心しておきたいことだと改めて思いました。

そして久しぶりの慌ただしい一日が終わった。
・温泉で疲れは多少緩和されたものの、夕食は作る気になれなくてスーパーで出来合いのものを買って済ませ21時半頃眠りについてしまった。
・現役の時は多種の仕事をこなせるのがある意味喜びだった。だからこそ頑張れていろんなことができたのかもしれない。今は、とりわけこの2,3年は自分の体の状態に関するある判断でまだワクチンは避けている。それでいて風一つ引かずに過ごせているが、この心身の劣化の状態はそれだけの所為ではないにしてもコロナに負けている感じ。
・それを運転の状況で見てみると、以前なら大型免許の取得で覚えたサイドミラーだけのバックや狭い場所での切り返しをうまく使った方向転換などを楽しんでいたが、今は動いていると疲れがすぐに溜まり、疲れで運転にスキが出ないように意識しているのが精一杯。最近はとりわけほぼ制限速度を守って走っているが、みんなイライラがあるのか軽自動車を含めてどんどん追い越される。サイドミラーで広報の様子はよく確認しているので追い越したい人がいれば追い越されやすいように空き地にちょっと止まったりしてはいるが…
・さて、この一日の出来事から何を学んだのだろうか。経過の中で少しそれらしきことも書いているが…。あることをするついでに関連することをやってしまうという行動のパターン化には、物事の処理能力が落ちている段階ではブレーキを掛ける必要があるのではないか。今回は結果的に疲れもあまり尾を引くこともなかったが、心身の劣化と体調に応じた行動企画やその修正にもう少し意を用いるべきか。
・否、問題は考えること、書くことから逃げよう逃げようとしていることかな。昔も書くことは苦しかったけれど、書き始めてはいた。今は書き出すことから逃げているようなところが日々の葛藤の実態なのかな…。今までできていたことができなくなるに従い、小さな決断に迷いが生じることが多くなっている気がする。まだまだ課題が多い。(9/3,9/6)

 一日のうちに起こったたくさんの悲喜こもごも…そこから学ぶべきことは? その①

8月28日最近には珍しく欲が出てあれこれの予定を入れてしまった。その顛末は、…
何とか久しぶりの晴れでベルファームへ
・7時からのラジオ体操の後、ふと気づいて地下足袋に履き替えて、9時の集合前に恒例の園内の花生けも済ませてしまおうと豊ヶ丘を出発。
・急いでいるのを後押しされるかのように、ベルファームまで30あまりの信号が数回止められただけで珍しく40分たらずで到着。最近特にお世話になっているNさんに届け物をして8:15だった。
・何とか9時前に一輪ざし等への花生けは終えそうだったが、秋の子どもたちの竹切りイベントに関してボランティア傷害保険の相談に乗ってもらっていたSさんから電話があり、その契約の件でもうベルファームに着いたとのことで、そちらの打ち合わせと手続きを優先。急いでも10分あまりかかり、急いで花を行けて回る。
・9時少し前に段取りをしてくれている実質リーダーのSさんより7人集まっているよと電話が入る。急いで事務所周辺の花生けを終えて集合場所のこもれび広場に駆けつける。
・Sさんと分担してのメンバーへの連絡で、コロナ感染がなお収まらないので心配だから出られないという人もあり、また直接連絡すると少し気になるけれどなかなか断りにくいということもあり、10数人が見てくれているLINEに「体調が気になる人は参加を無理しないで」と入れたが、7人も集まってくれたのは有り難い。

ベルファーム管理竹林、草刈りの共同作業
・今期も何度か竹林の草刈りはしてもらっていて、残っているのは竹林から四郷池に向かっての部分である。竹林内は何度がしていることもあるが、間引きされてもほぼ影の部分ができているので、最近のように雨が多くて日光の当たる竹の生えていない部分の雑草繁茂はすごい状況である。
・私は自分の電動草刈機を持ってきていて、混合油の草刈り機よりは軽いのだが、普段の鍛え方が足りないので両腕や腰背中がすぐに痛くなる。小一時間して「休憩しよう!」声掛けして、水分の補給などする。10-15分いろんな話も弾む。休憩の声掛け前に休んでいる人もいる。能力や体力には個人差があるので自分のペースでやれる人はある意味見習うべきである。
・体力があるときにはいいが、一斉作業になればどうしてもみんなに遅れまいとしてしまう。結果的に人に無理しないようにといいながらもムリをしてしまうことになる。休憩も入れているので実質2時間足らず程度なのに今日は腰もさることながら両腕がパンパンだった。

三重大学伊賀研究拠点の集まりへ
・13:30から「上映会」と話し合いに間に合うには12時にベルファームを出ればいいと思っていた。Nさんを中心にしてもらうことになっている森林公園の薪小屋の件などあれこれの調整もあってすぐに時間が経っていく。午後に伊賀に行くとは伝えていたが、詳しい説明はしていなくて、Sさんから共通で作ったカラーベストの追加の会計処理(建て替えてもらっていたのを竹遊倶楽部の会計としての補助分の支払いなど)があって出発が30分遅れてしまった。後から考えると「ちょっと時間がないので今度にしてもらえますか」とすっと言えれば間に合っていたのだが、あれこれと助けてもらっていることもあり言い出せなかった。基本的に他優先でも何とかこなせる処理能力が落ちていることからすると、自分の行動をどのように修正するのがいいのか、依然として課題のまま。

途中でガソリンの赤ランプ
・ベルファームから三重大学伊賀研究拠点への最短ルートはまだ伊賀へ月に何回か通っていた数年前にはよく通っていたので熟知していた。松阪から嬉野、白山を経由して165号線に入り青山高原を抜けるルートである。ところが白山の田舎を走っていた時に突然燃料ゲージの赤ランプが。走り回る前に補給しておかなきゃと思っていたのにあれやこれやが重なってつい忘れていたのである。プリウスに乗ってたときには赤ランプが付いてからも数十キロ走ることを試したりしていたが、ガソリン車のヴィッツは後どれだけ走れるかわからない。ルートには青山町まで給油所はなく、とりあえずナビの検索で探してみた。比較的近くに出てきたのでそこへ行ってみたら、ずっと以前に業種転換していてなくなっていた。2つ目は休業になっていた。
・3度目の正直で、ルート165号を少し戻って何とか見つけられた。ナビは最新の更新ができるタイプにすべきだし、「備えあれば憂いなし」のスタンスに戻らねば…。
(8/28長野直売所視察の日の0時26分)

「花生け」が続いている理由の一つ

 これまでに花生け(花飾り)については2回ほど記事にしている。その最初は2018.8.21でその年の3月からパン屋さんの「やさい畑」が始まり、その6月ころから始めたとあるのでもう4年が過ぎたことになる。松阪農業公園ベルファームはバラを始めさまざまな花や植木が園内にあるし、園内の飲食店もスタッフたちがドライフラワーを作ったりして工夫はしてくれている。そして農家さんもたまにきれいな花飾りを置いてくれたりする。
 だから私が敢えてする必然性はないのであるが、園内回っていて、ちょっとここになにか飾りがあったほうがいいなとか思って始めたのが、2020.9.28の惣菜店「あしたも」のオープンのときのように「きれいやね!」とか、割れがあるのを含めて笹原さんの作った燻竹で一輪差しにした入れ物を「いいね!」とか云ってくれる人もいて結果として続いてしまった。時期によっては家に植えてある花が途切れそうに鳴ることもあり、そんなときはたいてい農家市場で花の苗を買ってきて育てるのである。
一輪花DSC_0353花生けDSC_0591あしたも花生け (1)














  (燻竹の一輪挿し、 ルーベルでの花生け、向川さんの織ってくれた松阪木綿の敷物)
 基本は一輪ざしとはいえ、一つに2,3輪入れたり、背景に緑のハーブやアスパラの葉や業平竹の斑入りの葉を入れたりもするので、毎回ペットボトルを切った入れ物に20-30本切って持っていき、ルーベルと農家市場と事務所の三ヶ所で一輪ざし数個づつに花の色合わせと大きさなどのバランスを考えていけているので、どうしても40分ほどかかってしまう。なので竹遊倶楽部の共同作業のあるときはそれらが終わった午後に生けにいく。
 案外よく声をかけていただくのでお客さんはよく見ているのだと思う。そして喜ばれているのなら続けたいとモチベーションにもなっている。おおよそ会社の利益にはつながらない話だけれど来園者のちょっとした笑顔につながればいいのかな。

2年ぶりの水鉄砲作りイベント

 8月21日(日)ベルファームのホームページで案内してもらった水鉄砲づくりは3家族の子供5人の参加がありました。案内が間際で天候も曇りでしたが述べ10名余りが楽しんでくれました。
スタッフは8月18日の集まりの日に青竹を切って、竹筒と女竹の棒を十個あまり準備してくれていました。当日は女竹の棒に適当に切った布を巻き付けてタコ糸で縛り完成させました。布の巻き加減がポイントで、ぴったりだと水がよく飛びます。我がグループ長老の亀井さんの褒め言葉で子供が喜ぶ様子を動画で見て下さい。
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水鉄砲あそびの様子(左は動画…アップロードできず)



 最初に水鉄砲作りをしたのは二年前2020年の8月でした。その時も急で一家族2名のこどもが参加しただけだったので今回はもう少しにぎやかでした。うまく的にあたった子供(全員)にチョコレートを差し上げ、参加費は200円頂いていたので1個づつ水鉄砲を持って帰ってもらいました。(8/23)
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2020年8月の水鉄砲作りと水鉄砲遊び

今期4度目のしそサワードリンク作りで気づいたこと

 8月7日(日)は久しぶりの三重竹遊倶楽部の作業日で9人が集まってくれて、午前中木もれび広場の豪雨対策の排水路作りなどをした。
 亀井さんが以前から赤紫蘇欲しかったらいつでも言いなと言われていて、その日の午後赤紫蘇を木もれび広場まで届けてもらった。数年前からジャムやドリンク類を作り初めて、しそサワードリンクは夏には爽やかだし、作る作業もジャムよりは楽なので、昨年は6度作り今年は4度目というわけである。いつもはヤマギシの直売所で揃えた赤紫蘇を買って作るのだが、今回は大きな赤紫蘇の枝をたくさんもらったので、友だちにお裾分けしたいと豊ヶ丘のコミュニティクラブの女性や普段物々交換しているような友だち数人に声掛けした。しかし、みんな断られた。過去にしそドリンクを差し上げた人も何人かいたが、作るのが面倒なのかな?そういえば、タケノコのときも水煮にして差し上げるともらってくれるが筍そのままでは断る人が圧倒的に多い。
 この頃は主婦といえども働いている人が多いので現役の人には時間的余裕がないというのは理解できるのだが…。コミュニティクラブのように定年組や時間のある人には、作る喜びにもなるし、不要な添加物も付けないので安心できるし作ってみると良いのになあと思ってしまう。それに今年はロシアのウクライナ侵攻を受けて物価の上昇が顕著になり、生活費を圧迫するような事態では自給度を高める手作りなどは収入が限られている年金生活者などではなおさらメリットが有るのではと思うのだが…。みんな蓄えがたくさんあるのだろうか?
 ほんの60-70年前には日本もまだまだ自給度が高かった。それが高度経済成長を経て金銭的に豊かになり、金を払えば何でも手に入るように社会になってしまった。その豊かさがいつまでも続くものではないことには多くの人が気づき始めていたが、コロナ禍とロシアのウクライナ侵攻はじわりと世界経済にマイナスの影響をまだまだ与え続けるであろう。経済を動かす人たちには将来を見据えた制作変更をお願いしたいところであるが、私たち自身も自衛的に行動変容を起こしていくべきではないのか。

 話が拡散しているが、先の材料をもらってくれる人はいると思っていたのが、やっぱり私たちはかなり踊らされているのではないか、と気になったことの一つである。だが今回はもう一つ、自分自身の行動様式も変わっていないな、と気づいてしまったこと。
 気に入ったらひとに上げたくなるのはKさんも似ていてこの性向は簡単には変えられないし、まあいいかで済む話だ。ところがこのこと(クセ?)によって、成すべきことが成せていないのは問題である。仲間のNさんからはお前はお前らしい、することが他にあるやろ、とよく言われているのが図星なので耳に重く残っているのだが…。書いたり、まとめたり、多少とも事態を予見したりの大事さは気づいているが、そのことに精神を集中するよりは、つい単純作業でやっていれば結果が出てくる竹細工や加工品作りを行動として優先してしまっている。後回ししてもいいこと、今しなくてもいいことをしてしまって優先順位を混乱させてしまっていること、その現実はきちんと見つめなければ…。(8/10)
 ところでそのしそドリンク作りそのものは今回は材料の紫蘇がたくさんあったので4リットル鍋二つにいっぱい紫蘇を入れたのでかなり濃いしそドリンクになった。普段から貯めているリユースボトルや瓶に熱湯消毒だけで詰めて十数個ができあがった。いろいろと試してみるのは好きなので昨年作って一年を超えたものも質の劣化はほとんどないことも確認しているが、早いうちにもらっていただいたほうがいいので、その選定とお届けが付け足しの課題。(8/11)
しそドリンク二鍋DSC_0578しそドリンクDSC_0579
易は熱いうちに細かなネットで濾して容器に入れているがごくたまに白いものが浮いてくることがある

3度目のウエッブ試験が終わって

 本年度放送大学第一期のウェッブテストは7月15日から26日だった。今期は9科目に減らし、毎週の講義もそこそこ聞いていたつもりだったこともあり、少しゆっくり構えてしまって実はギリギリだった。7月16日の地域と協同の研究センターの理事会には会場出席し、この名古屋行きを利用して当日名古屋で一泊し、そこからベルファームで視察予定の福井県の道の駅荒島の里へ先行視察してきた。その報告はすでに済んでいるはずだったのだが…。

 旅の疲れもあって最初に取り組んだのが19日の「危機の心理学」。これからの生活にもベルファームの経営にも役立つ情報が多かったが、ソラで出てくるには勉強不足で改めて夏休み中に復習して取り組みたい。理解力や記憶力の低下もあるかもしれないが、普段の講義もテレビもしくはラジオで話を聞き、教材を使ってフォローしながらも教材の大事なところに線を引くのが精一杯で、大事な部分をノートに書き止めるには至らなかったのである。
 二十日の日は午後にコロナ禍3年ぶりに会社の運営委員会があり、その後ずっと気になっていた姉の後見人としての南都銀行の残高チェックに名張まで行っていた。結局次の科目「中高年の心理臨床」に取り組めたのは21日だった。
 いよいよ後がなくなって、22日からは朝のカイロプラック体操と散歩だけは続けて、あとは勉強三昧(笑・ふだんのツケが回っているだけです)の日々。22日はがんばって「精神分析とユング心理学」「人新世時代の文化人類学」の2科目をこなす。河合隼雄先生を通して知ったユングはいつかもう少し深く学んでみたいと40年ほど前に河合隼雄全集とともに数冊のユングに関する本を買っていて、まさにチャンスが到来しているのに未だ積読状態、本に申し訳ないなあー。「人新世時代の文化人類学」もこれからの時代を生きるヒントのある今回心に残ったテーマの一つ。
 23日は「総合人類学としてのヒト学」と「現代の国際政治」を終え、24日から「発達科学の先人たち」、25日「感情・人格心理学」、26日「運動と健康」と、ぎりぎりウエッブ試験を終えることができた。
 一つ一つの科目で見れば、今回はとりあえず教材は読み込めた。どこまで身についたかはまだ「ing」状態、8月後半に後期の科目申請をする前にできればもう一度要点チェックをしたいところ。(7/29-30)

ある暑い夏の一日の行動と振り返り…二度目の七夕竹など

 このところ朝が5時台に目が覚め、寝床でカイロプラックティクのストレッチ体操を40分ほどして、新聞にも目を通してから、散歩に行きそのまま地域のラジ体操に合流するのが日課になってきた。七月七日の七夕までにもういくつか七夕飾りを作って青竹の吸水状況を実験してみたかったこともあり、7月1日にラジオ体操後にそのままベルファームに行くことにした。金曜日だったが朝の通勤時間があまり混まなくて8時10分についた。
 早かったので久しぶりにゴミ拾いを手伝い、その後いつものように花生け。もう何年になるのか差す本数が増え、ルーベルで7個、農家市場とやさい畑に5ケ所、事務室周辺に6ヶ所となっている。一輪ざしとはいえ、色や形のバランスで2、3本は生けるので30本あまり家にある花を切っていくのだがその時々の出たとこ勝負になっている。咲いている花が少なくなると農家市場の花コーナーから花苗をかって帰って増やすことになる。しばしば農家さんやお客さんが「綺麗やね!」とか燻竹の花筒を指して「素敵やね!」とか云ってくれるので、いつのまにかお節介仕事がベルファームに行く時のルーチンワークの一つになってしまった。各箇所に竹筒を掃除する道具も作っておいてあるが、筒を洗って、まだ活かせる花はもう一度使い、バランスなど考えて枝をカットしたりしているとどうしても40分ほどかかってしまう。
一輪花DSC_0353七夕飾りDSC_0507七夕飾りDSC_0508














   (農家市場周辺の花生け準備、ルーベルの新規七夕飾り)
 ルーベルとやさい畑のスタッフに七夕竹をもう一本づつ七日まで飾ろうと思うと相談し、阪内川の竹林に2mあまりのホテイチクを数本切りに行った。園内への一度目の七夕飾りはイベントとして行った6月12日だったが、思い切って竹の葉を落とさなかったので、切り口からと途中の節に水補給の穴を開けての水の補給は行っていたが葉の枯れるのが早かった。ベルファームに行くごとに葉をカットしていたが最初が肝心ということで、今回は8、9割の葉を切り落としてから飾り付けることとした。今後どこまで葉の青さが持つかが楽しみである。
 今日は他の竹遊倶楽部のメンバーに来ることはアナウンスしてなかったのだが、午前中は笹原さんが一人で仕事してくれていた。竹林の見本園の管理はほとんど独りでしてもらっているが、こんにゃく畑の杖や竹杭を整え、腐りにくくするための竹酢液で煮る作業など度々来てみんなの何倍か竹や広場の世話をされている。中井さんもきて、以前から宿題の竹遊倶楽部のデザインチョッキの案について相談していかれた。昼からは入れ替わりで岡本さんが燻竹の作品作りに来られた。
 七夕竹は木もれび広場にも飾ることにした。岡本さんにも手伝ってもらって飾り付けをしている時、一段の脚立に乗って飾り付けていた時バランスを失って倒れそうになった。踏みとどまれたかもしれないが、ねじるより倒れた方がいいと一瞬判断して後ろに転んだ。普段から転ぶ時の受け身のイメージはしていて低かったので何ともなかったがバランス力が落ちているというか体幹が弱っていることを再認識させられた。
 それからしばらく前から気になっていた事務所裏のフェンスの崩壊箇所を竹の棒で簡易補修することにした。園長には許可をもらってとりあえずの応急措置である。やさい畑前の朝顔や花、そして事務所裏にも先日ようやく家から持ってきて移植した朝顔とハーブ(ミント類)の水やりもする。その後これも少し気になっていた事務所裏植え込みの雑草を抜きかけたが、簡単に終わりそうになく、疲れもかなり感じたので続きは次回にすることとした。農家市場や松阪商会が閉店前に売れ残りで期限間近の商品をいくつか求めて帰った。極楽湯に入って帰りたい誘惑も感じたが、今日の疲れ状況だとまっすぐ帰宅し、自宅の風呂で我慢するのか安全だと感じ、そのようにできたのは正解だったのだろうと思う。
 風呂用の竹炭袋を作りたいと思っていたがこれは今後の宿題。
〈その後〉
 7/3の日曜日は朝から小雨だったが6人が集まってくれた。10時頃にあかってきたのでベルファーム竹林の残りの草刈りをした。お昼を一緒に食べ、午後は他のみんなは竹林街道整備の中井さんの手伝い、私は燻竹靴べら作りの準備をしていたが、2時半ころからだったかどしゃ降りになり、竹遊舎前も一気に入口付近から流れ込む水と滝のような雨とで瞬く間に池のようになった。ひどい雨の時に現場にいたのが初めてだったのでびっくりしたけいけんだった。手伝いに行っていたみんなも戻ってきて、晴れの時にちゃんと排水路を作っておく必要を確認した。
竹林草刈りDSC_0504竹林草刈りDSC_0495




竹林草刈りDSC_0506竹遊舎前の洪水DSC_0510














  (ベルファーム竹林草刈り、竹遊舎前の小洪水)
 7/3も新しい七夕竹の管理などはしたが、みんなが帰った後、電源の後始末などをして私も少し早めに帰宅することとした。7/4にはようやく極楽湯にゆっくりは入りに行ったが、一日ベルファームに行った次の日は未だに頭がやる気になってくれない。(7/5-7/6)
 

見えざる資産を蓄積せよ…故小嶋千鶴子氏の言葉

 もう3週間近くすぎてしまったが、シルクロードなどの絵画で有名な平山郁夫画伯の展示会がパラミタミュージアムであったので最終日直前の6月4日に見てきました。日本から中国・インド、西アジアからヨーロッパまで何度も行かれた取材地図がすごくて、作品集も買ってきました。絵心が全くない私が安くない作品集を買ってみようと思う魅力があったのですが、作品はしつでも見られることになったのでそれはしばらくおいて、その時に感動を覚えた小嶋千鶴子氏の言葉について記して置きたいと思います。
 パラミタミュージアムは以前にも来たことがあり、イオンの創業者岡田卓也氏の実姉の小島さんが尽力されてできたことは知っていたが、その小嶋千鶴子氏がこの5月20日に亡くなられ館内に祭壇が置かれていた。1916年生まれとのことで実に106歳であったという。経歴や実績も述べられていて、遺した言葉の一つが「見えざる資産を蓄積せよ」であった。お金や建物は目に見えるが、企業の経済的な実績をよく表すと云われる貸借対照表にも現れない大事なものとして、知識・技術・人脈をあげこれらを蓄積しなさいと従業員に諭したというのである。イオン創業の十数年はとりわけ人事や組織経営のプロでもあった小島氏の活躍が大きかったものと思われる。
 知識・技術・人脈、これを例えばベルファームの直売所である農家市場のスタッフの場合で考えてみよう。野菜や果物はいつどんなものが出てくるのか、味はどうなのか、生産者はどこの誰でどんな特徴があるのか、知るべきことは山ほどある。全国の仲間などからの買取販売の果物などは何個に盛ると買いやすいのか、商品を扱う技術、レジ打ちの技術、混んでいる状況などで仲間と連携を図るチームワーク力、常連さんが何を欲しているかを観察し、個々のニーズにも可能な限り応えていく対応力、お客さんという一般名詞でなく、一人ひとりの個人に可能な限り対応していく。そしていつも笑顔のAさんのレジに並んでいくとなれば、これはリピーター確保の人脈ともいえるのかもしれない。

 『イオンを創った女』(プレジデント社)の著者・東海友和氏が6つの名言とその背景を解説している。(https://president.jp/articles/-/26922)
 あとの5つは「店舗は人材育成のための錬成の場」、「個人の意思をベースにした仕事には感激がある」、「『仕事』が人を創る」、「情報の共有、目的の共有、結果の共有」、「不満の本質を見極めよ」である。詳しくは上記の本に譲るとして、
 店で働く人は、お客さまの変化を察知し、それに対して素早い対応をするといった人間らしい、人間なればこその仕事をしなくてはならない。そのため店長はパートタイマ―をはじめとして、従業員に、お客さまの変化、市場の変化について常に質問する習慣を身につけ、疑問に対しては的確な「答え」を用意しなければならないという。
オカダヤ時代、小嶋はある店長に対してこう言い放った、という。
「店長としての君の役割は業績を挙げることはもちろんであるが、若いうちに能力のある者を発見して適切な指導や教育をすることも大きな店長としての役割や」「自分のことばかり考えて部下のことを考えないのは店長失格、そんなことでは大事な従業員を預けられへんな」と。日本一の小売業の基礎を築いた小島千鶴子氏の真骨頂といえる。

リユースびんからジャムができるまで

 竹遊倶楽部の竹仲間はほんとに素敵な仲間です。それぞれパートの仕事を持っている人も多いのですが、空いていれば共同作業に出てくれて竹林整備やこもれび広場の環境整備や手作り市を一緒に盛り上げてくれます。またたまにはそれぞれ作った農産物や加工品の物々交換もあり、ものの有り難さと気持ちの有り難さがあり、昼食を一緒に食べると話が盛り上がります。
 そんな中で自分に何ができるかなあーと何年か前から作り出したのが果物ジャムです。モノづくりに自信はないのですが、作るのは好きでもらってもらうのはより好きで、楽しく集ってくれる仲間にしばしば差し上げています。

 基本的に使えるものは何でも利用するというリユースの観念が染み付いているのでついモノが増えるのですが、普段から残してあるとジャム瓶が作ったりするときには役立つのです。ビンは殻になった時に洗って、ラベルなどは笹原さんの燻竹から自分で作ったスクレーパーできれいに落としてしまってあります。ジャム作りはものによってずいぶんと手間がかかりますが、ジャム作りと同時に空壜を熱湯消毒をして、ジャムが出来上がったら熱いうちに瓶詰めしておくとまず一年以上は大丈夫です。

 ところが時々適当にやって失敗もしています。空気中やそこら辺に雑菌はいるので何らかの拍子にジャムにつくとジャムと空気の境界線にカビがはびこります。ジャムは砂糖を少なめにしても果物の3-4割は入っているので中までカビることはなく、表面のカビを除けば下の方は食べられます。ただし筍の水煮では一度失敗したことがあり、滅菌が聞いていなかったのか中の筍がグサグサになっていたことがありました。それ以来水煮にした筍をもう一度熱湯に通し、瓶詰めにする時にお湯を入れていて今のところ問題はありません。
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  〈マーマレード作りといちごジャム作り〉
 ちなみにジャム瓶には簡単な製造記録(製造日、材料など)を貼っているのでその元データを調べてみると、竹遊倶楽部ができた後の2016年12月頃からよく作っている。りんごジャム、イチゴジャム、マーマレードなどは定番で、少し珍しいものは桃ジャム、ビワジャム、いちじゅくジャム、ゆずジャムなどでした。昨年初めて作った梨ジャムは久居なしの規格外品がお安く手に入ったので作ってみたのですがこれは結構お気に入りでした。でも手間が数個作るのでも普通3-4時間はかかってしまう。その分書類などの片付けもパソコン仕事も後回しにしてしまうので、これで良いのかなとの思いは持ちながら、材料が手に入るとすぐに処理しないとダメになってしまうので作ってしまう。
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    〈ジャム瓶と戻ってきた空壜〉
 ジャム用莓1kgとかあっても瓶3個分にもならないこともあるので、つい何度も作ることになり、昨年から今年前半は15-16回ジャム作りをしました。これに比較的ラクなしそサワードリンクや筍の水煮が加わる。あっという間にリユース瓶が足りなくなります。娘と話していたら余裕が無いわけじゃなし新品の瓶を買って使っても良いのじゃないといわれそれもそうだと100円ショップで十数個手に入れて作った。そうこうするうちに空壜も戻ってきて次の出番を待っている。(6/20)

23回目の本断食3日間が終わって一週間

 いつもながら仕事などの予定の合間をぬっての自宅断食を5月20日から27日までの8日間で行った。29日が総合文化センターでの夢の手作り市、その準備に28日はベルファームに行き、31日締切の放送大学の面接指導という名の中間テストのようなものにギリギリまで取り組んでいてあっという間に時間が過ぎてしまった。
 以前にも書いたかもしれないが、断食中は日記風に断食日誌を付けている。毎日何回か記するのだがしたことの順番や何をしていたのかがよく忘れる。今受けている心理学関係の授業でも時々出てくるが記憶はしばしば想像が入ってくるので、こまめにメモらないと事実がどうだったのかが怪しくなる。
 これまでの断食を振り返ってみて、少し意外だったのは初めての断食は1994年なので50歳の年、現役時代は9回でもはや定年後の方が14回と多くなっている。本断食の期間は現役時代は5-7日と割合多く、定年後は四日間が2回あるだけで後はすべて3日間である。これは本断食を最低3日すれば断食の効果が出てくるとの経験知からきている。
 さて、今回の断食がこれまでと少し異なるのは断食日誌の最初に書いた次の様子である。「体はカイロプラティックの施術を、心は人生振り返りの臨床心理士によるスーパービジョンを受けている中での断食なので、どんなふうに展開するのか我ながら興味深い。……。いつも読経しているだけで意味も十分理解していない「般若心経」を昨年なくなった寂聴さんの『寂聴 般若心経』の法話を読んで理解につとめよう。後は自由に」とある。
 カイロプラティックは4月30日に一回目を受け、ガチガチになっていた肩関節と股関節の緩む感覚が感じられた。そこで、3回目の5月19日に一人でもできるように買ったAOTAKE運動器具を断食中も使うようにした。その効果は?パソコンに向かう時に顎を少し上げたような首に負担がかかるような姿勢になりがちなのだが、そして頸が左右に十分曲がらなくて、車運転中の左右確認が辛かったのが楽にできるようになった。腰も寝転んで膝を曲げた状態で左右に捻るのが辛かったが、少しずつ緩んで膝が床につくようになってきた。これは最近数年にない体の変化であった。
 断食中の変化として本断食の間と回復食の一日目あたりにふらつきやムカつきが出てくることがしばしばあるが、今回はほとんど苦しいことがなかった。足のだるさを感じて眠れないこともなく、一度も睡眠導入剤も使わなくて済んだ。宿便も回復食二日目にあり、その日まで体重低下も続いた(64kg→60.3kg)。その後3日間で2kg弱回復し、29日にベルファームへ行って1万5千歩あまり歩いたこともあるのか62kg前後で今のところ安定している。
 ニキビやあざが薄くなったり、回復食中も少しひび割れしていた爪も治り色艶も良くなった。しばらく前に何をしていたかの短期記憶の劣化は気になったが、概ね上々の断食だった。
重湯DSC_0435三分粥DSC_0436五分粥DSC_0437




 断食後の回復食
三分粥DSC_0436五分粥DSC_0437五分粥2.DSC_0439

断食は何のためにやるの?

 5月20日から27日までの予定で23回目の断食を始めている。5/19は会社の理事会で、5/29の総文での夢の手作り市に参加したいのでギリギリ8日間の確保ができたというわけである。断食期間中も用事があって出かけたりすることもあるが、非日常になるので基本は蟄居していたい。
 それで職場やNPOの仲間にはアナウンスしているが、大抵の人はそれでどれくらい体重が減るのとか、1食抜いてもお腹すくのに苦しくないとか、聞いてこられる。確かにダイエットの効果はそれなりにあるが、回復食の時は胃の吸収力が良くなっているので、少しでも油断するとすぐにもとに戻るし、リバウンドを起こして体重が増えてしまうことだってある。
 私が断食をするときの一番の理由は心身のリセットである。体のリセットは伝統的な断食の手法を守っていれば、宿便が出て腸活が進み、肌も相対的にきれいになる。関節等も少し緩んで柔軟性も回復する。心の方は、こちらが自分としてはメインだが、やろうやろうとして出来ていないことの整理、やりたいことの優先順位の確認、日常の中で惰性になってしまっていることの切り替えや感謝の心の回復である。この点からは以前のように生駒の静養院断食療養所へ行ったほうが良いのだろうが、年金生活で出費の節約志向が強くなっているのと自宅断食は断食期間の植物等の水やりを隣近所に頼まなくてもいいということもある。
 毎回、体の変化や置かれている状況は変わるので、今回はどうなるのかなという実験的な楽しみもある。まず、放送大学の面接指導という名の中間テストのようなものの期限が5/31であり、断食開始時点で5課目が残っている。昨年よりは毎週聞けていると思っていたが、出かけるときと重なったり朝早く起きられていなかったりで聞けていない回が意外とあり、この際振り返り学習をしているとかなり時間が取られている。
 それにもう一点今回のチャレンジはカイロプラティックのあおたけ健康法を続けながらの変化がどうなるかである。今月に入ってからほぼ週一回カイロプラティックに通っていて、腰と首の柔軟性が少し改善していて、その体操を日々続けている。やり過ぎるとリバウンドを起こしたりして腰痛は続いているが首の方はかなり左右に曲がるようになった。静養院だと断食中はできるだけ静かに過ごす、となっているのでどのように展開するのかちょっと楽しみである。
 今回の楽しみはもう一つある。断食の時はいつも「般若心経」を唱えるが、意味を理解せずに長年唱えていた。今回は少し前に寂聴さんの「般若心経」を手に入れたのでその講話を読んでいくのが楽しみなのである。
 今日が終わると今回の半分がすぎるが、改めて気づいてやり始めたことがある。本断食になると食事の準備や後片付け、食事時間がないので一日で二、三時間が浮くのである。そこでダイニングキッチンの整理と片付けを始めた。ひとり暮らしは誰も文句を言わないことに甘えてモノを出しっぱなしや汚れを見て見ぬふりをして、あれこれの作業を優先している。長く掃除していないコンロの掃除やしばらく食べないのだから使わないテーブルを片付けたらスッキリした。油が真っ黒についたホットサンドを作る器具も少しマシになった。

スッキリテーブルDSC_0430 (1)ホットサンド機器DSC_0429




  スッキリしたテーブルとホットサンド機器

書けない、書けないと言いながら投稿数は500に。

 コ―おじさんの種まきブログは、2009年10月29日に始めたことになっていて、4576日目の12年半でようやく500に達した。2004年1月に立ち上げ、その4月にNPO法人化した三重スローライフ協会の5つの種まき(平凡人生slow style、農村産業slow industry、天然活用slow energy、地産地食slow food、天習地学slow education) に因み、未来に向かっての思いや取り組み、そして基本となる考え方を書いていきたいと思って始めたものである。
 しかし考えてみると、500の投稿は少なくはないとは言え、一ヶ月平均では3.3にすぎない。書きましたよと案内しているわけでもなく、調子のいいときは一週間に2回ぐらいの投稿が続いたときもあるが、時には一ヶ月以上も間があくこともあった。ベルファームのサイトマップの会社概要に「会長 ◯◯興太郎ののんびり日記」として案内してもらっているのが唯一のアナウンスで、あとはメールの発信者アドレスにブログのサイトを記しているだけだった。
 だからいつ自然消滅していてもおかしくないような状況でもあったが、ここ数年何人かの人から時々ブログを見ているよ、と言われることがあり、書けなくて萎えかける気持ちを奮い起こさせてもらってきた。この連休中も長い間ご無沙汰していて連絡も取れていなかった高校からのもっとも古い友だちのU君から、お詫びに最近書いたものと竹細工をお送りした返信が届き、次のようなことが書かれていた。「…実は何年か前からコ―おじさんのブログを内緒で拝見していました。◯◯氏の生活はおぼろげながら承知していました。実に多才な内容でへえ~と声をあげながらの愛読者でした。あなたの発っするこの思想に何人もの若者、元若者が随所で感動し、活動しているものと想像しております。是非、放送大学で新たに取得された知識や世の動きに対する所感を教えてください。楽しみです。…」と。
 U君は高校時代からアルバイトをしながらも学業は絶えずトップで人の面倒見もよく憧れの存在であった。なかなか一つの文章をまとめるにも四苦八苦しているのに上記のように云われるとこそばい感じであるが、もがいていることで伝わっているものがあると感じられるのは有り難い。そして考え書くことから逃げたくなる弱い自分への戒めの一つにはなってくれそうだ。ちなみに定年後に本を持ち帰るのに増設した書庫兼談話室は一級建築士のU君に設計をお願いしたもので、狭い空間を工夫した階段は密かな自慢である。
 竹仲間で職人肌のNさんからは靴べらや箸そして森林公園から依頼されたぼた餅用の竹スティックなどを作っていると「そんな誰でも作れるものを作ってんと、お前しかできんことをやれ!」とよく云われます。比較的単純作業で時間をかければできていく作業はある意味ラクで楽しい。でもまとめたり書いたりすることはそれを36年間も仕事としてさせてもらってきた人間としては逃げたくても逃げれないんだよね。それがNさんに云われた時に内心ドキッとする一因なのだろう。そのNさんが三重スローライフ協会の年次報告書の巻頭言はよくかけていると褒めてくれたことがある。何人かの親友(真友)に見守られているという有り難い状況は、残り人生の宿題の一つ「次世代に何を残せるか」に挑戦することを可能にしてくれそうです。(5/11微修正)

最大10連休という今年のGW……

 コロナ前の80数%まで戻ったという今年のGWの人出だが、竹遊倶楽部の作業等で4日ベルファームに出かけた以外は何をしていたのかなと思うほどあっという間に過ぎてしまった。
 4月30日は柳屋月晦日市(書きかけを後に)、5月5日のこどもの日に昨年始めた美濃田竹林街道ウォーキング二回目を実施し、当日参加の2名を加えて38名の参加があり、私たち竹遊倶楽部のメンバーも13名が出てくれ、準備や参加者対応で楽しんでくれた。
竹林街道W受付DSC_0399竹林街道W.DSC_0400




(受付に来てくれた仲間とベルファームを出発する参加者)
 4月中旬にベルファーム竹林で取れた筍の素材を提供し、紅工房さんが作ってくれた筍弁当が美味しいととても好評だった。暑いかもと思い、朝から氷を入れた冷茶のサーバーと竹炭でおこした熱いお茶の二種類をサービスした。私たちも同じ弁当をよばれたがこもれび広場で食べる食事は最高だった。参加費大人700円、子供500円で残った資金は次の竹林整備の基金に。

 5月2日はこもれび広場の竹柵の更新や環境整備をしてもらいました。5月8日は竹炭イベントの予定でいましたが、ベルファームとのすり合わせの不十分さもあり延期にして、ベルファーム竹林整備の続きと、私はこもれび広場池側の草刈りなどしました。柵の外側の池の法面の草も刈ったのですが、運動靴ではダメですね。こんなときは農家の亀井さんがいつも履いて来られる地下足袋に限ります。

こもれび広場の整備DSC_0394竹柵の更新DSC_0393




 (綺麗になったこもれび広場と竹柵)

 この4日間、ベルファーム以外には、行けば往復とともに2時間は要する極楽湯にもこの間一度も行かないという珍しいことになっていた。4月末までの招待券が一枚あったのにそれを使わないことなどこれまでならあり得なかった。それなのに家の片づけが進んだわけでもなく、これをやったというような思いが何も残っていない。一番の要因はベルファーム出かけた四日間はほぼ一日動いている(約1500歩、5/5は2万歩超え)ので、どうしても翌日と翌々日に疲れが残り、短時間の昼寝を繰り返したり、せいぜい庭の植物の世話をするくらいで、なかなか集中して考えたり書いたりができていないからだろう。
 確かにメモや電話の着信履歴をみていると複数の保険屋さんとのやり取りや仲間とのやり取りは毎日続いているし、何か人生の一つの節目になりそうな出来事などもあったのだが…。

手作り市ー歴代最低の売上から見直すべきもの

 4月30日は今年二回目の柳屋月晦日市。3月も人出が少なかったので今月も少なそうに思え、お店番は自分ひとりですることにしたが、一人の人が燻竹靴べらとごはん用炭を買ってもらっただけで700円の販売は歴代最低だった。柳屋奉善さんとのご縁を大事にして出店したこともあるので活動資金にならないことはともかく、荷物の運びはNさんを煩わせたし、気にしてくれたKさんはウクライナ募金をしてくれた。
(あれやこれやで5/1に上記まで書いたママずいぶん時間が経ってしまったが区切りだけつけておこう)
柳屋月晦日市22.4.30.DSC_0388
閑散とした店番



 書き出した思いは負担感が大きくなっている手作り市への参加のスタンスをもう一度検討することであった。活動資金の確保?仲間の楽しみ?広い意味での社会貢献?

 手作り市への出店は2016年の9月、ベルファーム手作り市の世話役もされていたÑ氏のご縁もあってはじめて出品し、竹炭の箱入りが5つ売れた。そして2017年の6月からは土産物店の松阪商会の一角に竹及び竹炭製品を置かせてもらうことになり、ボチボチ売れて活動資金の足しにすることができるようになった。ベルファームでの手作り市は当初は一回に1万円以上販売できたこともあるが、2,3千円程度に落ちてきた。もう少し客層が広そうな三重県総合文化センターで開催されていた「夢の手作り市」に参加したのが2019年の8月から。そして、5月29日に今年は初めて参加する予定になっている。

 「竹遊倶楽部の新たな出発」で書いたように、この4月から竹遊倶楽部の切り替えのためのいろんなことがあったが、少しずつ新しい形ができあがりつつある。NPO法人の解散届けは出したが、精算の完了は7月までかかりそうである。それに比べれは規模が小さな竹遊倶楽部だけの活動資金は会費や竹製品等の販売収入はそのまま使えるし、資金が足りなくなれば寄付金という形で出してもしれている。だから活動資金を作らねばならないからという理由だけで手作り市を出すというのはもう止めよう。その時間を回すべき対象はたくさんあるのだから。
 結局のところ、一番は仲間が楽しめればいい。そして、自分たちが作ったものが喜ばれて世の中に出ていけば、それは広い意味で社会的な作用を持つであろう。亡くなった仲間の作ったものや職人技の優れた製品を何とか捌きたい、という気持ちはなおあるけれど、それもあまりこだわらないようにしたほうが良いのだろう。それよりは今年度からベルファームと共同で行う竹に関したイベント等で子どもたちに自然を知り楽しんでもらうほうが社会的にも意味があるといえるのではないか(5/20)

竹遊倶楽部の新たな出発ー子どもたちや地域とともに

 今年の3月末でNPO法人三重スローライフ協会は解散することとなった。しかしながら、活発に活動を続けていた協会内の2つのグループ(農業塾と竹遊倶楽部) は形を変えてそれぞれの活動を続けていくことになった。竹遊倶楽部のメンバーで京都日に本部がある竹文化振興協会のメンバーでもある人が六人いたこともあり、竹文化振興協会の三重竹遊倶楽部としてこの4月から新たに出発することになり、会則等も整備して4月24日に出発式を行った。
 たまたま昨年秋に竹文化振興協会の機関誌『竹』の編集部から三重支部の事務局長である笹原氏を通して私たちの活動について記事にするよう要請があり、四苦八苦して書き上げたものがちょうどこの3月15日発行の『竹』148号に「竹を通した地域との関わりー松阪市美濃田竹林街道の整備協力を中心にー」として巻頭に掲載され、全国の竹仲間にも知ってもらえることとなった。
 
 竹遊倶楽部は2015年3月にコープみえの環境補助金を頂いて、簡易炭焼き器「すみやけーる」を購入したのをきっかけとして、荒れていたベルファーム竹林の整備をし、燻竹を作っておられた笹原氏の竹の人脈を中心にしての竹仲間が7年間続いてきている。今後はベルファームの理念の一つでもある次世代の緑育(環境教育)に力を入れながら、楽しく結果として地域社会にも役立つ活動を心していきたい。会則にも含めた活動の基本は以下の通りである。

 

◯ この会は竹文化振興協会(本部は京都)・三重竹遊倶楽部と称し、ベルファーム・こもれび広場を拠点として活動する。主な活動は、

1.ベルファームが管理する竹林(森林公園を含む)の維持管理を手伝い、その竹林にいろいろな竹を植竹し、参観者が親しむことのできる景竹林を目指す。又、放置竹林の処分の依頼があれば、会員と諮り可能な限り手助けする。

2.伐採した竹はこもれびの森で竹炭や竹製品に加工し、手作り市等で販売し、竹遊倶楽部の維持費用に充てる。

3.この会はベルファームの指定管理者である()松阪協働ファームの了解のもと、電源や火器を適切に使用することを含め、次の世代(特に子ども世代) が竹を通して自然に親しみ、自立力を高める機会・行事を計画し、実行するものとする。

4.この会が長く存続するために以下のことを取り決める。

 

A.この会は、顧問、正会員、準会員で構成し、運営していく。

 正会員の中で、互選により会長、会長補佐(あるいは副会長)1-2名、会計を置く

B.正会員はこの会が存続する為本人の意思により年会費3000円を納め、年次計画や月々の行動を決め運営をする。 

C.準会員はこの会の趣旨に賛同した人が年会費1000円を支払い準会員として登録する。すべての行事に参加する事が出来る。

D. 希望者は、いつでも入会できるものとし、入会時に1000円を支払い、その期の会費として充当する。脱会は本人の意志により申し出た日時が、脱会の日となる。

E.この会の運営は、会費、作品の販売、受託業務、寄付等で賄う。

F.この会は4月よりスタートし翌年3月までを1期とする。


毎日一歩づつ!それが…

「毎日一歩づつ!それがなかなかできねえんだよなぁー」(みつを)
せんだみつお氏の平易な格言は親しみやすく、我が家のトイレの扉裏に今かけてあるのがこの言葉である。「継続は力なり」とも云うけれど、やれば効果があるのに続かない私の典型はヨガ。会社が非常勤になってから、ベルファームに来てもらっていた素敵なヨガ講師の佐久間先生に頼み込んで豊ヶ丘に教えに来てもらうことになったのにヨガの日が会議などに重なったりして出席は月一回程度のこともある。先生からも毎日少しずつでもやってくださいとは云われるけれど、元々体が固くて、コロナによる運動低下で一層固くなるとヨガのポーズそのものが取れなかったりして余計に億劫になるのである。
 それにもう一つ意識していないストレスがあると動きが悪くなることもあるかもしれない。というのは最近はとりわけ何となくストレスになっている竹遊倶楽部の会計処理を溜め込んだり、翌月の企画案内に連絡したり確認したりで時間を取られて延び延びになっている仕事が昨日夜に何とかし終えた。就寝が0時半ころで5時過ぎに目覚めるまで寒かったこともあってかトイレに夜中3回も行ったりしたのだが、睡眠不足の割に目覚めがよかった。それでいつもの腰痛防止の胎児のポーズだけでなく、布団の中で腰の捻りや軽い腹筋などしてほぼ日課になっている2.3km(コロナ前の4kmに戻すのが目標高)の散歩にでかけた。
 100mも歩くとその日の調子が分かるので腰痛になりそうとかの気がするとペースダウンしたりするのだが、今朝は一番フィットする運動靴(駅伝など続けていたときだと試合用の勝負靴) を選んだこともあってスタスタ歩ける。若いときからの癖で調子をストップウォッチで確認するのだが、500mで5分を少し切っていて、ずっと以前の体調の良いときの時速6kmのペースである。速歩の終わり頃にコミュニティクラブのラジオ体操に出て、再計測して家に帰り着いたら23分30秒。今年になってから2.1kmコースから2.3kmコースに変えての新記録である。それにしてもなんでこんなにも体調が良かったのかな?これまでと一番違ったのは念入りな準備体操ができていたことだろうか。それに懸案の一つ2つをやり終えて気分が高揚していたかもしれない。それがはっきりするのは明日以降の経験である。

 4月はじめに終了した朝ドラcome come everybodyのひなた編、大部屋俳優・伴虚無像(重厚な脇役松重豊が演じる)がひなた(川栄梨奈)に諭す言葉「日々鍛錬せよ!そして、いつ来るかも分からぬ機会に備えよ!」もなかなかできぬことだけれど、本質をついた素敵な言葉である。(4/16)

久しぶりの訪問者ーブログが書けなかったので心配された?

 3月27日の日曜日はベルファーム竹林整備の続きとこもれび広場の竹柵の更新作業で7人が集まってくれた。年度の最後の共同作業日なので久しぶりに昼食も作っていった。前週にNさんからもらったタケノコご飯を作っていったのだが、味が薄かったので急遽農家市場でノリの佃煮や赤菜の漬物などで何とか食べてもらった。
 午後は少し余裕ができてスローライフ協会の事務室で事務仕事をしていたら、ベルファームの事務からお客さんだという。部屋に通してもらったら手作り市などお世話になっているSさんだった。ブログがあまり変わっていないので元気にされているかなと訪ねてくれたとのこと。二、三週間書けないことはしばしばあるが、そんなときでもブログ訪問者のゼロが続くということはほとんどないのでだれがみてくれているのかなあーと思っていた。コロナ禍になってからは竹林作業等以外は人と新しく会うことも滅多に無いので名刺交換することもまたない。
  なのでリピーターの方が時々でも見に来ていただいているのだと思う。申し訳ないとともにほんとに感謝である。ずっと昔はつけていた日記も付けていないし、こんな機会がないと物事をまとめておく機会がほとんどない。書くこと、まとめることの苦手意識は以前よりひどくなってメールなどの返事もなかなか書けなくなっている。
 人生の半分以上を書いたり研究したりすることで過ごさせてもらってきたのだからそれを止めることは私が私でなくなるということなのだろうと思う。竹細工や森林公園から頼まれたぼた餅用の竹スティックなどを作っていると、仲間のNさんがよく、「誰でもできることばかりやってんと、あんたにしかできんことがあるやろ!」と云われる。書くことを逃げていると自覚している時に云われたりするとドキッとすることがあるのは痛いところを突かれたからなのだろう。直言してくれる仲間や書いたものを読んでくれる仲間がいることに感謝し、ノロノロでも本分を忘れないようにしていこう。

ヨガの再開で知る一層硬くなった体

 約2ヶ月ほどコロナの蔓延防止措置で休んでいた豊ヶ丘ヨガが再開された。元々硬い体が更に硬くなっていた。朝起きがけに腰がピクッとなることがあるので、腰痛緩和のための胎児のポーズだけは布団の中でもするのだが、なかなか速歩の回復もままならないし、首もガチガチである。パソコンに向かっているときの姿勢がメガネが合わないことでよけい首が前に出て姿勢が悪くなっていることもあるかもしれない。無意識のストレスらしきものが関係あるとすれば、あまりにも中途半端のママになっていること(心配事?)が多いからだろうか?NPO法人の解散手続き、竹遊倶楽部の組み換え、友だち等への返事がかけていないこと、人生最後のステージでしたいことはかなりはっきりしてきているが体制が作れていないこと、等々。

「パンデミックにおける『あいまいな喪失』とレジリエンス」

 前回書いてから早くも一ヶ月あまりが過ぎてしまいました。それでもたまには書いているのではないかと見に来てもらっている人にはほんとに申し訳ない気持ちと感謝です。相変わらず書きかけのタイトルとメモはあるのですが、書ききってしまえる時間と気力がありません。この間の大きな手応えであるW先生から教えていただいた「パンデミックにおける『あいまいな喪失』とレジリエンス」のシンポジウム(3/12にWebで)を聞かせてもらいました。日々ニュースから流れてくるロシアによるウクライナの非情な侵略についても、無常な死と残された人びとの耐え難い喪失感が想起されます。この日も肩が凝ったり、涙腺が緩んだりの3時間でした。
 講演者のミネソタ大学名誉教授のPauline Boss博士は、レジリエンスとは「解決できない状況をかかえながらも安定して生きていく力」といわれています。災害へのレジリエンスでは回復力だとか、しなやかさとも訳されますが、「あいまいな喪失」に関してはまさに適切な表現と言えますね。
 「あいまいな喪失」に関しては、①問題を外在化すること、②レジリエンスを高めること、③心の家族をもつ(考える)こと、④A and B thinking (AもあればBもあると考えること) がポイントだといいます。必要なことは「一緒に生きていく仲間と人生の目的」だと。
 戦争や大量虐殺や大災害などによる未解決の喪失には、悲しみや苦しみに対する不寛容や忍耐のなさやトラウマの世代間継承という問題も生ずる。だからこそ、「喪のプロセスをすすめるには、どのように別れるかというよりも、いかにつながりを変えるか、新たな関係性を維持するか」、「あいまいさに対して高い耐性を持つこと」、「あいまいさを受け入れること」が重要になると。そして、悲嘆を公に認められない人、権利を剥奪された人、虐げられた人にはレジリエンスよりもエンパワーメントが必要だという。…なるほど、そうだよな、といいお話が続きました。

 当日のもうひとりの講演者である柳田邦男さんの「"さよなら"なき別れ―問題の深さと問われる死生観―」も数多くの聴き取り(フィールドワーク)をベースに述べられているので腑に落ちやすかったです。特にコロナ禍での死に目にし会えなかったり、触れることもできない「サヨナラが奪われることの苛酷さ」という問題は、喪に服すという伝統的な儀式等が簡略化されたりなくされたりすることによる現代社会の「心の問題」を深く考え直すことの大事さを改めて示しているのではないかと思いました。
「書くことは物語ること」に関して、ユングは「コンステレーション(星座)という人生の捉え方」をし、河合隼雄氏は「人は物語らないとわからない」とし、柳田氏は「人は物語を生きている」とされている。
 それにしても柳田邦男さんは85歳、ボス博士も80歳は超えられていると思いますが凄い生命力ですね。改めてもう歳やからと言い訳してたらあかんなと思いました。

本物の職人さんに学ぶべきこと

 竹遊倶楽部の活動を始めてまる七年になります。集まってきて活動してくれる仲間は元会社員だった人と職人さんなどが多いのですが、学ぶことや新鮮な経験が多いです。もちろん腕に自身のある職人さんはきちんと自己主張されるので時に意見が対立することもあるのですが、世話役のSさんや私が間に立ったり、調整することもあるので関係性が難しくなることは全くありません。若い頃ならともかくも定年世代でそれぞれに円熟してきていることもあるのかもしれません。大工のMさんは軽トラに乗ってきてもらって竹を積んだりで荷台が汚れることもしばしばですが、毎回きちんと掃除されて帰られます。乗用車が荷物者のようになっている私はたまにGSで掃除することがある程度なのとは大違いです。
 たまに来てくれる左官職人のSさんは皆での仕事が終わって時間ある時にこもれび広場をホウキではいたりしてくれますが、これが綺麗に模様のようになっているので驚きです。そのSさん我が家の外壁の塗替えをすることになって家の周りのモノをどけておくように工事の人から言われて、年末に同じ仲間のNさん、Oさんと手伝いに来てくれました。1月いっぱいで完成して菜園や植え込みのところにおいていたモノを戻す作業をしているときにSさんがまた1/29-30と来て手伝ってくれました。家に残っていた板やブロックで二段の植木台を作ってくれたり、やりようがなくてしばらく放ってあった松の剪定もしてくれました。(2/6-7) 最後まで手を抜かないでやりきる姿勢に目がいくのは今の自分がなさけないからなのだろう。それまでの鍛え方が違うということもあり、簡単に真似できるものではないとしても簡単には諦めないでいたいものである。
 本物の職人ということでは鉄工職人のNさんも気になる存在である。昔職場への通勤などに乗っていて定年後はサドルが高すぎて自分の手では直らず放ってあった中古ロードレーサーを外壁周りの片づけの際になんでも屋のNさんにベルファームのこもれび広場に持っていってもらっていた。そのサドルの修理を両Nさんが直してくれた。気軽に労をいとわず動いてくれるのは竹仲間の特質であるが、鉄工職人のNさんは時々ドキッとすることを云われる。
 共同作業日でない時にこもれび広場に車を止めて一人松阪商会での販売や手作り市用の竹細工などを作っていると、車を見つけてふらっとやってきて、「そんな誰でもできることをしてんとお前にしかやれんことがあるやろ」と。何人かの竹仲間が作っている職人的な腕の作品は作れないので、靴べらや箸など日用品的なモノの作業は比較的単純なのでほとんど考えずに作業できる。NPO法人の借金を少しでも減らしたいということもあるが少なくとも嫌いなことじゃないから数年に渡って続いているのだろう。しかし、報告書や依頼原稿など書くことに苦しんでいる時にも半ば逃げでやっていることもあるので時にギクッとするのだろう。三重スローライフ協会の巻頭言を読んで、良いことが書いてあるとあからさまに褒めてくれたのもこのNさんだった。
 本物の職人さんはこのように分野は違っても本質を見抜く目を養っておられるのだろうと思う。真贋を見抜く大物の美術商や宮大工などとも親交のあった左官職人のSさんが鋭いのも極めた人にある資質なのであろう。それは燻竹作りの名人で我が竹仲間の重鎮のSさんやSさんの素材で他に真似のできない一品を生み出されているKさんにも当てはまりそう。
 しかし世の中には自分の自己充足よりは、マスコミなどに出たがる人、自分をより大きく見せたいのかなと思われる人もいる。そういう人は上から目線のことが多かったりして人が離れていってしまう。もったいないな、と思うのである。孤高の人のように見えてもその人が基本的に外に開いていれば人は惹きつけられていく。最近学びなおしている心理学の視点もひょっとしたら関係あるのかしらと思えてしまう。最近出会わせてもらった臨床心理士のW先生の専門書のまえがきに次のような言葉があった。「親からの自立は、子どもが一方的に離れていくというものではなく、自立と依存の間で親も子も揺らぎながら、「いざとなったら依存できる」という安心感の下に、子どもは親から自立していく」と。これはいろんな局面で人が育っていく本質を指摘されているのではないかと思う。これは子どもたちが育ってほしいなと体験講座を運営するときにも参考になる視点なのではないか。2/19

今さらの自宅の補修をきっかけにーリニューアルの影響

 歳は喜寿でいつまで生きられるのかもわからず、子どもたちが戻ってくる予定はなく、なんで今さら家の補修なの、という声なき声もありそうだが、築後41年経った外壁の塗替えが1/31に完了した。いろいろと外仕事が忙しかったこともあるが、これまでは自分ひとり住むのならこのままでもいいや、と思って過ごししてきた。
 昨年の9月に市の補助による無料診断に惹かれたのか、耐震診断をしてもらった。壁の補強などすると300-400万円かかるという。いつきてもおかしくないと言われる東南海大地震のマグニチュードが7-8ならどちらにしても損壊するだろうし、定年後に本を入れるために建て増しした書庫は下はコンクリートのベタ打ちで筋交いもたくさん入って頑丈に作ってもらったので、そこに逃げ込めば助かる確率は増すだろうという思いもあった。
 一方で外壁の汚れはかなり目立つし、しょっちゅういろんな会社から塗り替えのチラシが入っていて気にもなっていた。値段のやすさもさりながら、やはり信用が大事という子どもたちのアドバイスもあり、書庫の増築をしてもらった建築会社のAさんに昨年11月4日に相談した。工事は年明けてになるよということで1月7日から始まり、1月31日に終了した。

外壁リフォームDSC_0203
 外壁周りのものをみんなどけておいてくださいよ、ということで年末に竹の仲間のSさん、Nさん、Oさんに手伝ってもらって駐車場と菜園の中へどけたが、家の中に劣らずいろんなものを保管してきた。さすがにもう使わないだろうというものは金属ゴミや燃えるゴミなどで処分したが、また収めてしまうとそのままになる可能性もあるので、しまうときがもう一度整理するチャンスである。幸か不幸か竹遊倶楽部の活動はしばらく自粛となったので、残された人生の時間(それは全くわからないが) のしなければならない、そしてしたい優先順位を考えながら進めよう。
外壁塗り替え後DSC_0219ポット類仮置DSC_0176




 モノの立場で考えると遊びの要素を取り入れたリユース(再利用) のチャンスをもっと考えても良いのかもしれない。捨てることには罪の意識が出たりするが、もらってもらえるのなら手放しやすいから。2022年1月には貰ってもらえるちゃんができた。コミュニティクラブのラジオ体操にはできるだけ参加しているが、1月の二週間回出席の人にはティシュ箱を5箱あげますとかのイベントが有り、私からも副賞を提供してもいいですよと提案し、手作り品の靴ベラ、竹箸、スクレーパーなどの他にキーホルダーや竹籠などのリユース品を結局20個あまり提供(1/23)できた。後から竹籠はみかんを入れさせてもらっているとか、靴ベラ使わせてもらっているとかの話があり、お互いに良かったんだと少しほっこりまする。(1/22→1/26)

二度目の自宅試験なるものを受けて

 1/14-1/21は放送大学2021年度第2期の単位認定試験期間だった。その前にオンラインの授業「学校と社会を考える」のレポートは提出していたので、試験科目は残り14科目であった。2021年度第1期は13科目受けていたが心理学の基本的な科目が多かったので、第2期は興味本位で科目選択した。
 ところが「人体の構造と機能」「食と健康」「睡眠と健康」など化学の知識が必要でなかなか頭に入ってこない。第1期よりは普段もかなり聞いていたはずなのに自然科学系の基礎知識のなさを再認識するだけだった。それに比べると国際政治学者高橋和夫氏の「国際理解のために」や何人かの文化人類学者の人が災害からしなやかに復興する様子を描いた「レジリエンスの諸相」、「社会と産業の倫理」などは社会人文系のベースなので理解もでき面白かった。
 自宅受験はテキストや参考書は何を見ても良いというのであるが、その分問題も凝っていて回答の選択肢(4択が多い) のすべてを理解していないと正解にたどり着けないようになっている。何とか一日余して1/20に回答を送付したが、難解な科目は問題が分かっていても丸一日俄勉強に要し、何をやっているのかなと反省しきりである。計画性の甘さは途中でも感じてはいはたが、ほんとに学びたい科目をもう少しじっくりと選ぶべきであった。
 そうこうしているうちに2022年度第1期の開講科目案内が届いた。ざっと見てみると、この一年で30科目あまり取ったこともあるのか、聞きたい科目はそんなになく多くても10以内に収まりそうである。エンドレスかに見える本や書類の断捨離も進めたいし、改めて今年(来年度) の計画を練り直そう。1/22

免疫力をあげるには基本的な生活習慣が大事?

 放送大学の第二期の試験が1/14-1/21で始まった。科目名だけで面白そうとかで選んだ付けで、知らないことが多くて四苦八苦。並行して進んでいる家の補修は1/7に始まって予定通り1/26までかかりそうです。毎日寒い中、壁の塗替えなどしてもらっているので、午前午後の休みにコーヒヒーやお茶と甘いものを出しています。それ以外はにわかテスト勉強で缶詰状態なのですが、意外と集中できて予定より少し早く進みました。
 何とか明日には終えて、明後日には回答を送付したいと思っています。第一期と同様に自宅試験の方式は替え玉受験とかの違反をしない限り付け焼き刃の勉強が可能です。四択の問題が多いのですが、全部理解していないと回答できないような巧妙な質問が多いです。
 「食と健康」など始まってみれば亀の甲のベンゼン環だのイオンがどうの苦手な化学の知識がどんどん出てきます。三大栄養素やその代謝、ビタミンやミネラル、生体内の酸化、食と免疫、食物アレルギー、生活習慣病など大事な項目が多いのですが、まあ、それにしても知らないことだらけです。ただ、知れば知るほど、今こうして生きていることが奇跡のように思えます。生命の不思議さや進化の過程の凄さを感じ、生かされていることに感謝です。
 免疫力を高めることの大事さは以前から思っていて、いくつかの関連要素については心してきましたが、付け焼き刃の勉強をしている中で飯沼一茂先生の免疫力を上げる9要素に出会いました。
① 過食しない
② ストレスを溜めない
③ 適度な運動をする
④ 質の良い睡眠を取る
⑤ よく笑う
⑥ 体温を上げる(お風呂など)
⑦ 栄養のバランス
⑧ 腸内環境の改善(発酵食品を取るなど)
⑨ サプリメントの適度な活用
 だそうです。①②⑥はほぼできているが、③④⑤⑦⑧はまだ改善の余地ありですね。皆さんはいかがですか?

今年を占うおみくじになるか?

今年も地域の須賀神社にお参りしてきました。
うっすら屋根などに積もった雪、道路は解けていて薄ら寒い気候です。いつものように古いお守りを持って新しい交通安全のお守り買いました。目標はぼっとしながら運転しないように、流れにつられないように自分なりのペースで、急ぐ人には先に行かせてあげての実行です。

 ついでに今年もおみくじを引いてみました。十五番の大吉、今年を占っていそうです。
 目前に光り輝く像 (古家の蘇りの像かな?)
 自信を持ち、前向きに行くがよし。
 はっきりした意思表示が幸運に結びつく。
 心のゆとりと遊びが生きる時。

 あと、17項目のうち、勝手に引っかかるものを選んでみると、
◯願望 口外して益あり…終活につながる自分の人生の総括
◯学問 励めば実力に …テストのための学習でなく、真に学びたいものに時間をかけて
◯待人 来る     …感謝でお会いする
◯旅行 楽しめる   …コロナ収束後の楽しみ
◯建築 打ち合わせを重視…監督さんに任せきりでなく、塗り替えの色などちゃんと伝えよう
◯病気 心の充足が回復に…まだ時々痛い左足の回復には心がちゃんと生きていることが必要
  何となく考えている今年の方向の後押しをされた感じ。つい曖昧にしてしまうはっきりした意思表示、そして心のゆとりと遊び心で身近な人々に接すること。

いつも"自然体"がいいわけじゃないー「睡眠と健康」からの学び

体が命じるママ、心が望むママ、そんな生き方が何となくいいな!と思い、最近は気持ちが楽に生きられるような気がしていたが…。今年もコロナの雰囲気に負けてしまい、主に外仕事で済むベルファームでのNPO活動以外は出不精になり(まだコロナワクチンを接種する気になれずできるだけ人と接触を避けて)、体が弱って速歩もできなくなり、少し頑張ると昼間に眠くなり、夜も6-7時間寝ていても1-2時間の昼寝はざらになっていた。
 放送大学の授業は前期よりは聴けているが、やることを盛り込みすぎた今年は「しっちゃかめっちゃか」の状態である。「睡眠と健康」も十分できていなかったが、快眠への対処(1) の記述にびっくり。昼寝による悪影響があるというのである。すなわち一時間以上昼寝をする高齢者はしない人よりも死亡率が高いとか、アルツハイマー病の罹患のリスクを高めるというのである。「昼寝が長過ぎると徐波睡眠が出現するため、その後の活動や夜間睡眠に悪影響を与えるが、30分以内の睡眠をとった場合は、徐波睡眠がほとんど出現しないため、夜間睡眠に悪影響を与えず、起床後の眠気や疲労を高めることもない。むしろ、このような短い昼寝をとることで、午後の眠気や疲労が改善し、居眠りが防止できること、作業意欲が上がり、気分も爽快になること、記憶や認知作業の成績が上がり、作業速度も早くなること、運動技能が向上するなどが報告されている」という。
 それで自分はこれまで睡眠からの覚醒に目覚ましを使ったことはなく、朝はまず寝過ごすことはないが最近の昼寝はだらだらしたりしていたので、初めてスマホの目覚まし利用して昼寝は25分以内くらいに起きるようにした。確かにやってみるとこれで睡眠効果はあった。

のろくなる頭と体、増え続ける作業量

 11月の後半から少しあれこれの変化があり、まとめて記録しておこうと思いながら、はや一ヶ月が経とうとしている。日々のやることが増えてアップアップになりかけたのは明らかに放送大学の後期の授業が始まってからだった。前期が教育と心理コースの主要科目を16科目ほど取って普段からあまりテレビでの授業を聞けなかったのに、一つのレポートの期日を見落としていてテストが受けられなかった一科目以外は付け焼き刃のテスト勉強で何とか単位が取れてしまった。でもいくつかの科目以外はさっぱり内容を覚えていない。
 それでちゃんとした反省もなく、後期はコースの科目というより面白そうとかいう興味本位で14科目受けてしまった。ベルファームの休みの水曜日に6科目、会議が入ることが多い木曜日は空け、ほぼ出かける日曜日は朝夕2科目にするなど工夫したのだが、秋ごろから竹遊倶楽部の活動もより活発になり、世話役の仕事のひとつを先輩のS氏にお願いしたがそれでもアップアップ状態が続いている。

 11月20-21日に奈良県の十津川であったスローライフフォーラムに出かけたのは最後の機会かもとの思いがあったから。その後、事務局へ送ったメールでのお礼文章をうまく抜粋して、スローライフ瓦版第565号に乗せてもらったのが下記の記事です。

行ってよかった  大原興太郎(三重県津市 三重スローライフ協会)

 谷瀬の橋を渡ったりしながらも十津川温泉に早く着いてしまったので、玉置
神社へ出かけてみたら往復25kmほどもあって驚きました。翌日の熊野経由の帰
りもナビ通りにいったら、これまでの車好きの人生で通ったこともないような
崖っぷちの道路で忘れようもない経験となりました。肩、背中、腰がガチガチ、
それでも今回がんばって行ってほんとによかったと思います。
 何度かお聞きしている中村桂子さんのお話もまた新鮮でしたし、学びが多く、
大きな収穫でした。これも裏方さんがあってのこと、改めて御礼申し上げます。
配布させていただいたDVD「祈り天空に満ちて」への寄付もありがとうました。

 前日の夜に夜なべ談義があって、上記のDVD「祈り天空に満ちて」の他一輪挿しや竹箸などの竹製品も持っていって販売もし、収益を医療ボランティア機関に寄付する足しにしたのである。
 世話役などをたくさんしてきた自分としては裏方の大変さがよく分かるので事務局の二人用に竹製品を準備し、当日もう二人にもお渡ししてもらうこととした。
 講師のお話には以前からも共鳴していたので一竹氏の素敵な一輪挿しを差し上げたら、後日次のようなメールをいただいた。「この度は素敵な竹細工をありがとうございます。じっくり眺めますと、節の様子が微妙に変わっておりそれを見事に活かしていらっしゃるのが分かって興味深いです。ファームの活動も素晴らしく、これからいろいろお教えいただきたく、よろしくお願いいたします」と。分かる人にもらっていただいた竹製品も本望だろうし私も身に余る光栄で元気を頂いた。 

 フォーラムの二日後(11/23)に田舎の集中学校の同窓会が喜寿の祈祷をするとのことで行くことにし、ここでも医療ボランティア組織への募金も含めて竹製品やDVDの販売をした。結構興味を示してくれて数千円集まり、忙しい中行った甲斐があった。
 さてさて11月末は面接指導という名の試験を受けるための小テストの締切がある。ここを通らないと元も子もないので何とか付け焼き刃で学んで一日を残して完了した(11/29)。
 そしてその日何年も先延ばしにしてきて、ようやく重い腰を上げて自宅の壁等の塗替えの決断を11月に入ってしたのだが、家を立ててくれたS建設の朝日さんが見積もりを持ってくれた日で、工事は足場づくりを含め来年1/7から2週間ほどとなった。テラスの下を含め家の周り荷物をどけておいてくださいねということでまたやることが増えた。鈴鹿から戻ってはや30年、せめて現役の時に補修しておくべきだったが、伸ばしに伸ばして今になってしまった。いつ死ぬかは分からないのだが万が一10-15年生きたとしてもこれで大地震で壊れないかぎり、住まいは確保できそうだが、20-30年ほとんどそのままの物もあり、難儀だがいい機会でもあると思わねば…。

 12月に入ってようやく地域農経学会から依頼の書評本に手を付け、2週間あまりで何とか読み終わったが、批評の論点が搾りきれなくて年内は格闘となりそう。体幹力が落ちている中で椅子に座っている時間が長くなり、マッサージのお世話になる回数が増えそうだ。12/20



山深い熊野の地でスローライフを考える

NPO法人スローライフ・ジャパンの「さんかさろん」を兼ねて「スローライフ・フォーラムin十津川」 (2021.11.21, 10:00-12:30, 十津川村民広場)が開催された。

以下、心にとまった当日のメモである(入力間違いは修正12/9)

 

司会:長谷川八重氏 (スローライフ掛川)

挨拶:奈良県知事 荒井正吾氏

歓迎の言葉:十津川村長 小山手修造氏

      不便を逆手にとって進んでいく時期

 

基調講演: 『むらに生きる~コロナと向き合いながら』(異常気象)

講師;中村桂子氏(JT生命誌研究館名誉館長、スローライフ学会名誉館長)

・「村に暮らす」ではなく「村に生きる」ということの意味深さ

・高層ビルが林立しているところからゆっくり(不便な)地域へ

・子供の頃に戻ったような懐かしさ

・森の中で暮らしていたときのような人類としての懐かしさ(ヒトは森からサバンナへ出ていった)

・産業革命以後の急速な人口成長、エネルギー消費がもたらしたもの

・時計(手が抜けて、速くできて、思い通りになる)←生き物はその反対…マンフォード

不便さを克服して生きることが未来につながる

・「時計なし」の生活をしばらく経験すれば健康になる―自然のリズムが生まれる

〈村〉

・明快国語辞典の説明●

・―一人の子供を育てるには一つの―村がいる〈アフリカの諺〉…人材育成ではなく人間を育てる

〈私たちの中の私…関係性〉

絆、利他などの見直し

・私―家族―学校・職場?地域―日本人―人類―生き物―地球―宇宙

生き物は多様、38億年前の一つの細胞から分化…みんな仲間?

・進化…展開、進歩…上下

・家族10人、狩猟採取30人、定住150人…という規模の意味

ヒト(想像する力、分かち合う心、世代を超えた助け合い)

生きているを見つめ、生きるを考える

 

〈分科会からの6つの提言〉

     山での子育てを楽しもう

     人の繋がりを大事にしよう

     伝統と自然を大切に

     広いからいい、不便だからいい

     心と身体の健康をうたおう

     力を借り、維持し、稼ごう

 

〈バネルディスカッション〉「むらに生きる」

コーディネーター:増田寛也()

野口智子〉最初は村おこしのお手伝いに、谷瀬集落に入る…同じ仲間として受け入れられる

・いつまでに何を作るか、…実行計画事態をやってしまう…谷瀬のつり橋を作った力

・〈坪井ゆずる〉温泉、吊橋を渡る、満天の星

平成の合併で合併したところの方が人口減少率が高い、…行政の中心との距離…

・〈神野直彦100億投資した五新線(五条から新宮への鉄道…途中で頓挫)の調査に来たことがある

自然に働きかけながら寄せ合って生きているのがむら、自然とヒトの◯◯の木陰の中で人が育つ

―スウェーデンではテレビを入れるのは失格、自然環境の破壊と社会環境の破壊をどう克服するか

奈良県モデルー賢人と町村の定期的交流〈学び合い〉による県のサポート

荒井正吾違う他人に寛容になる、レスペクトしながらまとまる、問題の共有・目標の共有

小山手修造〉雑煮にも味噌汁とすまし汁がある、村内ではそれぞれ違い個性があるが「十津川」という意識はある、十津川は歴史的に免税?…税の徴収より徴収のためのコストが高かったのではないか

 

風邪口からの前に活きる力があるかどうか

・スウェーデンでは森を大切にしている、森に生きている、対人生活サービスは村の中でも地域ごとに

・フランスでは村は合併しないが、必要なものは共同してやる〈ごみ処理等〉

・野口―4,5歳でも1000m級の山に登る、それぞれの強さを大事にすること、55集落が個性を大事にしながらつながる、スローライフプロジェクトを是非作ろう

・坪井―鹿児島でヤネダ集落で、役所に使われないNPO活動を

・神野―十津川こそが人類の希望となるように、希望の芽は十津川

・中村―本当に必要なものだけ作る社会にしたい、森は多様だからこそ多様な付き合い方が希望になる

・小山手―森とのバランスは歪になっていて、村外からの人のほうが危機感が強い人が少なくない

・荒井―明治の災害の時にかなりの人が北海道へ行き、森のめぐみ〈きのこ、日本ミツバチの蜂蜜〉を5条の空港から世界へ届ける

・増田―地元愛をみんなが外に向かって伝えられるように、十津川にくればもっと健康になれるような地域として

 

久しぶりに出会った感動する授業ー高橋和夫氏

 放送大学後期の授業は興味に従って選んだと以前に書いたが、その一つが高橋和夫氏の「国際理解のために」である。タイトルというより以前に新聞か何かで高橋和夫氏の文章を読んで強く心に残っていたので話を聞いてみたいと思い選んだのである。今週で5回が終わったが期待に違わず毎回が楽しみである。
 なぜそんなに惹かれるのかなあ、と考えてみると話の端々に高橋氏の人生や世界観が垣間見えるのである。外国で下宿していて隣のおばさんの話が出てきたり…冷戦後は世界の火薬庫とも言われる中東地域の深い認識に至る博学と現場感覚のトリビアも散りばめられている。
 講義の全体は世界宗教についての話と現実に民族や国家の諍いの結果として起こっている領土問題を詳しく解くことから構成されている。高橋さんの来歴を見てみるとなるほどと思うところが多かった。北九州市に生まれられた高橋さんは大学で大阪外国語大学外国語学部ペルシャ語科を選択され、大学院はアメリカのコロンビア大学大学院を1976年修了(修士論文「エジプトーイラン関係」、国際関係論修士)。さらに1979年、コロンビア大学哲学修士。コロンビア大学大学院博士課程単位取得(1979年)をされている。
 その後はいくつかの大学の講師を努めながら、1982年11月、片倉もとこの紹介でクウェート大学へ国際文化会館奨学生として、1983年迄客員研究員として留学。
 三菱電機材料研究所(現:三菱電機先端技術総合研究所)参事、1985年4月、放送大学教養学部助教授に就任。1990年6月、駐日イラク大使館からの打診を受けバグダードで開催された「イラクと連帯する国際会議」に日本代表として参加。イラク大統領であるサッダーム・フセインとも面会されている。 2008年4月、放送大学教授に昇格し、2018年3月31日付で放送大学を退職して、同大学の名誉教授の称号を得られている。(以上HPから)

 中東はユダヤ教、キリスト教、イスラム教が生まれた地域であり、この地域の言語であるペルシャ語やアラビア語を駆使し、実質的な世界言語としての英語の堪能な高橋氏の情報力が並外れていることを知るとなるほど説得的だなと思う。現場を大事にする人は絶えず動いている現場から新しい課題を突きつけられることも多く、そこで何とかしようとするから絶えず新鮮なのではないかと思う。そしてそのことが説得性の裏付けにもなっているのかも取れない。

 5回目の講義「ペルシャ帝国とユダヤ教」で印象に残ったことがある。ケアメネス朝ペルシャ帝国は紀元前550年にキュロス大王(在位BC550-530)によって建てられた。地中海からインダス川までの広大な帝国は軍事力だけでなく優れた統治方法を持っていたという。それまでの中東の大国は被征服民の虐殺と奴隷化を常としていたが、キュロス大王は被征服民の安全を保障し、財産を保全し、しかも信仰の自由を保護したという。基本的に税金を収め、兵隊を提供すれば、他は自由だったという。ペルシャ帝国といえば後継のアレキサンダー大王しか知らなかったが、キュロス大王のように徳を持って統治することがもっと広がっていれば、現代の多くの国や地域での内戦や戦争がもっと少なくなっていただろうに…。(書き始めて日々やることが少なくなくあっという間に一週間が経った.11/10)

使用言語は英語、など[4]。

五方よしから六方よしへ…新しいビジネスのかたち

 松阪農業公園ベルファームを運営する(株)松阪協働ファームの社長をやらせてもらっていた時、一つの経営の目標として五方よし(三方良し+働き手良し+次世代良し)に沿った経営をやろうとしてきた。それまで親交のあったピーター・D・ペーダーゼン氏の五方よし(三方良し+未来良し+環境良し)に触発されたものである。
 三方良しは私の郷土でもある近江商人の「売り手よし、買い手よし、世間よし」のことで、自分のことだけ考えていたらあかん、というか相手のことも広く世間のことも考えて商いをすることが今風に言うと持続性を担保することになるという教えだと言える。低成長期に入って労働者を大事にしないブラック企業なるものが世間に広まったこともあり、働いてくれる従業員のこともできるだけ考えたいと「働き手良し」を加え、ベルファームは公園として子どもたちも多く来てくれるけれど、社会全体(時に政府も)が今だけ、自分らだけよかったらいいという雰囲気もあったので「次世代良し」を入れ、広い意味でのステークホルダーに意を用いることを目指したのである。今の会社はこの点に関しては明記していないけれど経営の実態はステークホルダーを意識したものになっていると思う。
 ところが今年の7月藻谷ゆかりさんの「六方よし経営」(日経BP社)が出版されて一躍「六方よし」がSDGsの点からも流行り言葉となった。それは「三方よし」+「作り手よし」「地球よし」「未来よし」である。作り手よしは働き手よしとほぼ同義と考えられるが、温暖化が急速に進み自然災害が多発する時代としてはビジネスをするにも「地球良し」明示的に意識して経営を行うことがより求められているということができよう。
 三重スローライフ協会竹遊倶楽部の活動はビジネスを主とするものではないが、自然の竹林を整備して竹を活かし、炭にして炭を消臭その他に活用し、竹灰はこんにゃく作りに使うなど地球にかける負荷をできるだけ小さくし、子どもたち(未来の人)に楽しく自然を学んでもらい、青竹や燻竹で作った一輪挿しなどをお値打ち価格で買ってもらい、自然素材の製品を活用してもらうことはまさに六方よしにも通じる活動でもあるといえるのかな。

放送大学の後期授業選択は興味本位で

 まだ一人で一通り動けるのはありがたいことです。時々作り直しているやるべきこと(Do list)が頻繁に先延ばしになって、コロナ禍という環境に負けてしまっている実態は認めざるを得ないのですが、8-9月と休みのあった放送大学の後期(二期)の授業が10月4日の週から始まりました。
 前期の単位は何とかほぼ取れましたが、授業はほとんど聞けず、試験勉強だけして取れたような状況なので学習したという満足度があまり感じられませんでした。三重スローライフ協会のNPO法人を続けるのは困難というもがきもあり、また活発な竹遊倶楽部の活動はまだ最優先ということもありました。教養学部心理と教育コースの2年生に編入学を十分な環境も整わずに見切り発車したのは半ば流されている自分を変え、家族や身の回りを含め人生最後の後始末と繕いをということもありました。とりあえず認定心理士でも目指してという方向での科目選択はこれまでの人生の復習の意味や曖昧だったものを補う意味もありましたが、法制度や覚えることに難儀するものも少なくありませんでした。
 それで後期はコースの科目に限らず、面白そうなもの、より興味を引くものを中心に選びました。1-2回が経過した中で、睡眠と健康、食と健康、人体の構造と機能、心理臨床とイメージ、レジリエンスの諸相、リスクコミュニケーションの現在等々なかなか面白そうです。たまに他の用事などで授業を見逃してしまうこともあります。授業の全日程のインターネット配信があり、後から復習も可能というある意味ありがたい状況が緩みを誘発することにつながることもあります。前期よりは楽しい学びになるとは思っているのですが…

硬い体がより固くーコロナに負けている証?

 Do listを眺めながらもなかなか捗らない日々ですね。
8月後半から9月いっぱい緊急事態宣言でお休みになっていた豊ヶ丘ヨガが10/7再開となりました。
いくつかポーズが進むうちに愕然とする事実に気づくことになります。高校時代の陸上部の時から練習前のストレッチで前屈などほとんどできない体の硬さは自覚せざるを得なかったのですが、それでもこんなに体が固くなっているのを自覚したのは人生初めてです。
 運動はしなきゃと思ってはいてラジオ体操や2kmの散歩は何とか続けてはいました。ラジオ体操前後のふくらはぎのストレッチと布団に入っての胎児のポーズだけは腰痛の緩和のためにして何とかできていました。それ以外は、週に1、2度ベルファームに行って竹細工などしているだけ。三密を避けてできるだけ自宅に居ると、一人暮らしは他人と話すこともないのでろれつも回らなくなって自分の舌をかんだり…。
 私ほどでなくても、ヨガの佐久間先生の話によると、「…、久しぶりにヨガしたら筋肉痛になったわ~」とか、「あれっ?!手ー届かへん(^_^;」(牛面のポーズ)等々、1ヶ月の休講で体が硬くなってしまったという声がたくさん聞かれたらしい。
 体は正直ですねというか、学生さんにはよく言っていた「人間は動物」だから、動かなければ機能は退化してくるのは当然なのですよね。好きなことは勝手に続くのですが、必要なこととかそうした方がいいからやるというたぐいのことは私のような意志の弱い人間はついサボってしまいがちなのです。
十人あまりの豊ヶ丘ヨガで今だに私は黒一点なのですが、月に三回いけなくてたとえ1、2回であったとしても「継続は力なり!」なのでしょうね。
 もう一つ問われているのはコロナという人間らしく交わることの困難さの新しい環境にどう適応するかなのでしょう。確かに風呂上がりに少しでも柔軟運動を取り入れ、それを習慣化できればプラスに働くことはいうまでもないのですが。
 コロナ禍への適応ということでは、最近キャンプやウォーキング(ハイキング)をする人が増えていて、奇しくもベルファームを管理運営する(株)松阪協働ファームがこの4月から運営することになった森林公園でのキャンパーの増加や美濃田竹林街道ハイカーの増加ということにつながり、農業公園のような施設がより求められる時代になってきたことはありがたいことです。

さっぱりのリユース手作り市から考える

 全額コロナ禍で頑張ってもらっている医療機関に寄付します」の案内も一切関係なし、ありがたいことに何とか年金で生活できているので、たまには困っている人への寄付イベントをしようとして初めたのだが…
 私は20日のリユース・手作り市の低調でちょっとショックでした。
長期政権の間に森友・加計・桜を見る会問題など、自分だけあるいは自分たちだけ良ければという雰囲気が世の中にまん延してきて、それに加えてコロナで余裕をなくしているのか、売上全部医療機関に寄付するのでご協力くださいと言って、しかも一個100円からで、200,300円の低価格のものも多かったのですが、買って協力するという気になれないのかな、と正直がっかりでした。

 一日二日、いろいろと考えているうちに考えの方向性が前向きになってきました。自分はもののない時代に育っているので、使いまわしたり、直したりして使うことが最近流行りのSDGsにもかない大事だと思ってきたし、そのライフスタイルは結構染み付いているのですが、どこかに自分の考えを当然と思い、伝え方の工夫が必要ではと思うようになりました。

 それに竹遊倶楽部の活動がメンバーが楽しみ、ちよっと社会的にも役立つこと程度になっていて、メンバー外の人には、こもれび広場が結構素敵に変わってきていることは散歩している人たちにはそれなりに伝わっているかもしれませんがそれ以上でも以下でもありません。
 毎年新しいメンバーが加わってくれていることは求めている人には伝わっているとも言えますが、活動の場所であるこもれび広場にもっと呼び込む工夫と機会を増やす必要があるのかもしれません。(9/29)


コロナ禍で挑戦するリユース・手作り市

 三重県の緊急事態宣言は9月30日まで延長されました。公共施設やそこでのイベントも休止されることが多く、ラジオ体操や少しの散歩のみで一日家にいることの多い日々です。オリンピック・パラリンピックは多くの人の心配をよそに実施されてしまいました。そんな中でも全力を出し感銘を与えられたアスリートたちには敬意を払いたいです。しかしながらいくら政府がこの間の感染拡大(第六波)にオリパラは関係ないと言われても全国津々浦々への波及は、ついには自宅療養という名の病院にかかりたくてもかかれないという深刻な事態をもたらしました。軽症かと思われていたのが急に容態が変化して亡くなられた方も少なからず出てきています。
 業務そのものが人と人の接近が避けられない医療関係者や福祉関係者の苦労が忍ばれます。日本ではワクチン接種が進んできたこともあるのか急拡大していた感染者少し減少し始めましたがなお油断はできません。世界を見渡せばワクチンの調達もままならず、医療資源も乏しい国々も少なくありません。
 こんな中で私が何かできることはないかと思い巡らしていて、ふとこれなら一人でもある程度やれるのではないかと思いついたのが下記の「リユース・手作り市」です。ベルファームの農産物直売所「農家市場」は近隣の農家さんの出品で成り立っていますが、ここのところ毎月意欲ある農家さんが農家市場前で直売する「農家マルシェ」が行われています。ここに協賛する形で、まだ使えるもの回して再利用するリユース市、竹素材などで手作りしたものなどをお値打ちに販売して売上高全額を医療従事者に寄付する企画をしました。

リユース、リペア、手作り市

売上高全額コロナ禍で奮闘の医療関係者に寄付しますー

…農家マルシェに協賛して…

 

日時:919日及び20日 各10-12時頃(状況により最大15時まで)

場所:ベルファーム農家市場前

出品物の例:食器、音楽CD、本、修理傘、燻竹及び竹炭製品(靴べら、箸、一輪挿し、竹炭かご)、その他日用品(ストラップなど)

 

SDGs、持続可能な社会を目指して、物を大切に使い、繰り返し使い、直して使いましょう!

◯費用はボランティアで賄い、売上は少しまとまった段階で当面すべて「国境なき医師団」(世界の約70の国や地域で医療・人道援助活動を行っている団体)と「ジャパンハート」(“医療の届かないところに医療を届けるというMissionを掲げ、25年以上にわたりアジアで医療活動を行っている団体)に寄付します。

◎通常の半分以下の価格で販売しますが、寄付も大歓迎です。

 

NPO法人 三重スローライフ協会, 竹遊倶楽部

(世話役:オオハラ,090-5030-2614)


コロナ感染のリスクとワクチンのリスク

オリパラ実施と共に急拡大していったコロナ感染数のピークは超えたというもののまだ高い感染状態(21の都府県で9/12までの緊急事態宣言が続いている。世界的には遅れていたコロナワクチンは2021217日から医療従事者約四万人に先行接種開始され、4月頃から高齢者の接種を優先的に行い、97日時点では累計接種は13900万回となり、総人口の約48%6200万人が2回接種しているという(Our world Data)。特に感染した場合の重症化が心配されていた高齢者の接種は一回目90/16%、二回目88.33%(9/8, NHK新型コロナウィルス特設サイト)と高い水準になっている。

 

ファイザーやモデルナワクチンはmRNAワクチンという種類でウィルスのタンパク質を作る遺伝情報の一部を筋肉注射するという。そのため伝えられる副反応以外にも長期の影響を心配する人(若者)がいる。しかもワクチンを打っても感染して亡くなる人も出てきたりして難しい問題である。特に最近はブレイクスルー感染(ワクチンを2回摂取した後に感染)によって死亡した人も報告されている(9/9日テレNEWS24によると都が把握しているブレイクスルー感染の死者は22人になったという)

しかし、一般的に言えばワクチン接種による感染予防と、もし感染したとしても重症化の危険は避けられる可能性が高く、西村秀一医師がいうように、特に人との接触の多い職業の人はワクチン接種のメリットが大きいというのはそのとおりであろう(西村秀一『もうだまされない新型コロナの大誤解』幻冬舎)

ところがこれは一般にはあまり報じられていないがワクチン接種後短期間(最短2日後)に亡くなっているケースが報告されている。厚生労働省もこの関連情報はオープンにしている、「新型コロナウイルスのワクチン接種を受けたあとに死亡が確認された人は、88日の時点で1002人でした。ファイザーが100万人あたり19.6人、モデルナが100万人あたり1.2人で「接種と因果関係がある」と結論づけられた人はいなかったということです。また、心臓の筋肉や膜に炎症が起きる「心筋炎」や「心膜炎」の疑いがあると報告された人は、ファイザーのワクチンが55人(100万人あたり1.1人)、モデルナが13人(100万人あたり1.4人)でした」と。

7月だったか8月の初めだったか、「週刊ポスト」がこの問題を取り上げていて、ワクチン接種後に亡くなった60人ほどの人の基礎疾患や服用している薬のデータが載せられていた。その中に、私も心筋梗塞の手術をしてもらって以来服用しているバイアスピリンを飲んでいた人が二人含まれていた。厚生労働省の情報にも、「予防接種を受けるに当たり注意が必要な人」に「抗凝固療法を受けている人、血小板減少症または凝固障害のある人」が明記されていた。いずれもワクチン接種との因果関係ははっきりしていないと記されているが基礎疾患がある場合には気になるところである。

先の西村医師が言われているようにワクチンを打つかどうかはその人の考え方と生活スタイルの関係が一つのポイントだという。確かに定年後に家にいるだけとか、仕事があっても人との接触が少ない、三密にならない人でワクチン接種による悪化のリスクがある人にとってはワクチン接種は急を要するとはいえない。

自分の場合は接種後の「万が一」がむしろ気になっている。昨年末くらいから蜂窩織炎といわれた左足が完治しなくて閉塞性動脈硬化症のような症状になっているし、足の静脈瘤もできていて、今の処壊死などにはなっていないが、歩くと痛みがしばしばおこるような状況。血栓が心臓や頭に飛ぶと危ないことになるので気になってしまう。今亡くなってしまうと子供らに必要以上に大きなツケを残しそうだからである。断捨離は少しずつ進めているがコロナ禍の中で体力気力が弱ってはかばかしく進んでいないこともある。そのため社会的な仕事を減らしたり、人生でお世話になった人への区切りの挨拶を兼ねて竹製品を作っていたりと迷いが続いている。

 この問題を考えていてもう23ヶ月以上になる。最近ワクチン接種がある程度進んだ中で、自粛を緩和し経済を活性化させるためにワクチンパスポートの話が出てきた。飲食やイベント参加、移動にワクチン接種の証明書があれば活動を可とする方向での検討が進みだした。ワクチンを打つリスクから控えている人には新たな分断になりかねない問題を含むが、新型コロナウィルスの全体的コントロールという視点ではこの話は進められるであろう。

 結局問われているのは自分が今何を大事にし、直面する課題に向き合えているか、なのであろう。終活を進めなければと思いながらも遅々として進んでいないのが現実ではある。しなければいけないことのリスト(Do List)はかなり頻繁に作り、それなりの優先順位は付けているのだが、どうも目先のことに囚われてほんとに大事なことは、簡単には進まないので、つい後回しにしているのかな?それでいて求められてもいないお節介仕事やジャム作りやしそドリンク作りに時間を費やしている。ちょっと立ち止まってちゃんと考える時間を持たないと大きな後悔に繋がりかねないかな!



後期高齢者になっての運転免許の更新

 後期高齢者になってから初めての免許更新が8/26に無事終了した。
8/10に認知機能検査があり、記憶力が衰えているのが気になっていて16枚の絵を見せられて、しばらく後に何が書かれていたか思い出して書いてくださいと言われ、9個しか思い出せなかった。同じ絵のヒント(野菜の◯とか家具の◯とか)を出された問題は16個全部思い出せたので88点で合格していた。同じく受けていた人が予習してきたが出題のパターンが違ったとかいわれていた。自分も予習しておくかなとか一瞬思っていたが余裕がなくて出たとこ勝負だった。次に8/20の高齢者講習は実車試験でクランクやS字カーブ、車庫入れなど運転技術の衰え程度のチェックなのかなと思うが、まあ問題はなかった。
 更新時の検査でちょっと気になっていたのは大型免許に不可避の深視力(遠近感や立体的に見る判断力)が落ちていないかどうかである。もともとトラクターなどの大型特殊免許と大型二輪免許の他に当然普通免許を持っていたのだが、海外に出ていたときに免許が執行してしまい、復活の更新免許を受けるときに免許センターの人に大型があれば普通は乗れるから普通免許はいらないじゃないの、といわれ、免許の更新料は別々にかかっても払うつもりでいたのだが、折角のアドバイスに反発するのもどうかなと思ったのか聞き入れてしまったので、大型の検査がもし通らなかったらどうしょうと少し心配していたのだが、8/26の視力検査(両目で0.8以上)も深視力何とか通ってしまった。
 大型と言っても若いときにアルバイトで大型トラックを運転したことがあるくらいで、松阪に来てからは何回かマイクロバスを運転したことはあるが、よほどのことがないかぎり大型に乗ることはないであろう。自家用車も3台お世話になったプリウスから今はビッツになっている。やはりハイブリットがいいなあとの思いはあるがいつか変えるとしてもアクアくらい。プリウスクラスと比較するとだいぶ運転が楽な気がする。
 もちろん最近の心身の衰えは自覚しているので、最近は狭い道を避けて、遠回りしても広い道を通ることが多くなったし、スピードも出しすぎないようには注意している。幸いにして車で他人を怪我させたことはないが、車は凶器になりうることを忘れないようにしたい。

そして、五輪ははじまり、終わった…感動と不安のはざま

 「そして、五輪は進行中…感動と不安のはざま」と題してこの原稿を書き出したのは83日だった。ずっと気になる新聞記事のスクラップを続け、整理を試みてはいたが、2キロの散歩をしてはその疲れが残り、午前や午後に1-2時間の昼寝をしないと頭がスッキリしない状態が続いていた。コロナ拡大しても外仕事のベルファムでの竹細工や仲間にもらってもらうシソサワードリンクや水っぽい梨ジャム作りの挑戦、高齢者講習や認知検査などで書ききるのが後回しになっていたが、このあたりで五輪とコロナ拡大絡みのメモランダムに区切りをつけておきたい。(8/24)

 

  多くの国民の不安・反対や医療関係者の心配をよそに東京オリンピック2020+1723日に開会式が行われました(競技開始は7/21)。それから早十日が経っています。いざ始まるとコロナ禍のストレスが多い中、開催されるかどうかもわからない中調整を続けてきたアスリートたちの、開催されたことや困難な中支えてくれた家族や周りの人たちへの感謝の言葉が相次ぎ感動を与えています。期待に添えず残念な結果に終わった選手やあまり注目されていない中大活躍した選手など話題に事欠きません。

 しかしながら、心配されていたコロナ対応への課題はすぐさま現れた。コロナ患者を受け入れていた横浜の五輪指定病院の電話は鳴りっぱなしで、医療機関へのしわ寄せが一層ひどくなっている(20210724、朝日「コロナと急患 追われる医療」)

 少しさかのぼって、朝日新聞が717,18日にアンケート調査(有効回答数1444)によると、五輪賛成は33%、反対55%、菅義偉首相が繰り返す「安全、安心の大会」には「できない」が68%になっている。内閣支持率はこれまで最低の31%で、不支持率は49%となっている(7/19,朝日新聞)。同じ7/19の朝日新聞では、関西を中心に感染が広がった3月から沖縄県を除いて緊急事態宣言(10都道府県、第4波)が解除となった6/20までで、自宅や施設で亡くなった人が少なくとも51(大阪府19人、兵庫県15人、北海道7)いるという。ワクチン接種はそれなりに進んできているもののデルタ株など変異株が急拡大し、病床が足りない状況がこの時点でも起こっている。

 それらを代表する分かりやすい発言は「東京五輪と太平洋戦争、同じに思えて仕方ねェ(ビートたけしの21世紀毒談)(週刊ポスト7/16,23)である。いわく、「国民がこれだけ反対しても、聞く耳持たずに開催に突っ走るんだから呆れるね。菅さんは、今でも本気で『東京五輪は人類がコロナに打ち勝った証』になると思ってんのかな?」(118P)。また、「そんな(開催の)カネがあるなら、コロナで倒産した会社の社員を助けるとか、こういうパンデミックがまた起きたときに備えて病院や研究所を充実させるとか、地震や水害みたいな災害に備えて各地に避難所を作るとか、他にやるべきことは山ほどある」と。全く同感である。(8/3-16)

 

◯菅政権の目論見に反した五輪下の感染拡大

 菅首相は主要七カ国首脳会議(6/13共同宣言)で、東京オリンピック2020+1を安全安心の大会にするとアピールした。その流れなかで6月17日沖縄を除く9都道府県の緊急事態宣言を解除し、2月3日に成立した改正特措法による「まん延防止等特別措置」への移行を決めた。解除の時点で感染者は増えつつあったが、ワクチンの接種拡大によって抑え込めるとの楽観シナリオを拠り所にしていた、との朝日「最後の緊急事態宣言() ワクチンで日本も変わる(20210720)の分析である。その後東京の感染状況は悪化し、78日には4度目の緊急事態宣言出すことになる。三度目の緊急事態宣言(4/23)の時に複数の閣僚が五輪の中止を菅首相に進言したが聞き入れられなかったという。首相はトップダウンにこだわり、調整役不足の政権の構造的な問題が、コロナ対応を通じてあらわになっている、と「果たされぬ約束 首相孤立」の記事で述べられている(最後の緊急事態宣言・下、20210721, 朝日P3)

 五輪開会式直前の721日の都のモニタリング会議では、都内の週平均の新規感染者数は20日時点で1170人と前週785人の49%増となり、このままいくと8月上旬には第三波を上回る約2600人になるとの予測が示された。また、自宅療養者(入院したくてもできない人との指摘もある)3657人と前週の1841人から倍増し、関西圏をはじめ多くの地域で新規感染者数が増加傾向と指摘している(20210722, 朝日1p)

 さらに開会式直前の722日には開閉会式ディレクターを務める劇作家の小林賢太郎氏がナチスによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を揶揄する表現を過去に用いていたとして解任したと大会組織委員会が発表した。開会式の演出チームを巡っては、楽曲の作曲を担当していたミュージシャンの小山田圭吾氏が同級生や障害者を過去にいじめた経験を反省する様子もなくインタビューで語っていたことが問題視され、19日に辞任している(20210723, 朝日1p)。なぜこんな間際にと思うが、SNS等で問題視されぎりぎりになってさすがにまずいのではと大会組織委員会が判断したようなのだが、森前会長が女性差別発言で辞任したのと同じく標準からずれた人権感覚を世界にさらすことになってしまった。


 大会の進行に伴い日本人アスリートの活躍が日々報道されるとともに、コロナの新規感染者数は予想を超えて拡大していき、730日午後840分時点で全国の新規感染者数は10,743人となり3日連続で過去最多を更新し、東京では3,300人と3日連続で三千人を超えた(20210731,朝日新聞)

 そして五輪は88日閉会式が国立競技場で無観客で行われ、日本は史上最多のメダル58(27個、銀14個、銅17)の獲得で終了した。選手たちが国境や人種など違いを超えて、競い合い認め合うスポーツマンシップや日本の活躍で、開催前の逆風はある程度和らぎ、朝日新聞の全国調査では56%が五輪開催「よかった」とした。しかしながら、菅内閣の支持率は28%と昨年9月の発足以来はじめて3割を切った。
 五輪選手と一般の人たちを分離した「バブル方式は」成功したと言えるレベルだが、全体としてみると穴がありバブルな以外に感染が拡大するリスクがあり、一般には五輪開催によってコロナ対策としての自粛ムードが「ゆるんだ」と回答した人が61%に及んでいる。宣言下で自粛を求めながら五輪を開催するという矛盾は効果的な人流の減少をもたらさず、夏休みやお盆という元々人の移動が増える時期ということもあり、結果的に都市部に集中していた感染を各地に拡大させることにもなってしまった。(20210709, 朝日新聞、コロナ五輪 内外にリスク) 

ワクチン接種が政府の当初目論見通りに進まなかったにしても感染が急拡大した大きな要因の一つは、感染力の強いインド由来のデルタ株に首都圏では9割が置き換わった(20210812,朝日新聞「宣言一ヶ月 見えぬ出口」)こともあろう。特にコロナ対応、ワクチン接種に加え、五輪への協力を求められた病院は「三重苦」が深まったと言われ、多くの課題を残した。そして824日にはパラリンピックの開会式が行われ難しい時間が続くこととなった。(8/24)

4-2 個人としての限界と私自身の課題

4-2 個人としての限界と私自身の課題
 私個人としても現役の時及びベルファームの管理運営の代表取締役をさせていただいていたときはなすべき職務は今より遥かに多かったのですが、何とかこなす体力がありました。しかし、今や年末に起こした自損事故で左足を痛めてそれが蜂窩織炎と診断され、未だにちゃんと速歩ができるまで治らない。わずか2kmの朝の散歩ですぐに疲れが出る。ベルファームへ行って何とか一日動けても、その後の温泉やマッサージでも以前のようにはなかなか疲れが取れず、体調が戻るのに二三日かかってしまう。
 松阪協働ファームの仕事を非常勤にしてもらってからは普通は週に一、二回なので楽にはなっています。ところが、常勤で行っていたときには苦にならなかった往復60km(二時間弱)ほどの通勤がしんどくなって、行っている日に気になることをあれもこれもやっておきたいとなり、早めに帰るつもりでもすぐ夕方になってしまいます。疲れはできるだけその日のうちに緩和しておきたいので極楽湯など温泉やマッサージに行っていると、朝は7時に出て帰りは20-22時になってしまいます。
 人に指示して自分はあまり動かんかったらいいやないか、と云ってくれる人もいます。確かに会社の一員としては必須で出ている月一回の会議だけでも過ぎていくのかもしれません。小企業の常勤者はいろんな作業をしなければなりませんし、特に役員は収益を上げるための工夫や仕事はもちろんのこと、朝のゴミ拾いから人育てまで何でもこなさねばなりません。そうした実態を見ていると多少でもカバーできることはしたいと思い、屋外のテーブル磨きや壊れた裏庭の柵の補修などもしてきました(肩や肘が治りきらないので少し残っている部分が気にはなっていますが)。
 ここ数年ベルファームの竹林整備やこもれびの森の環境整備などに力を発揮してもらっている竹遊倶楽部の活動は実質リーダーの笹原さんの大きな力添えなしにはなし得なかったことです。ただベルファームとの橋渡し役は私一人なので、活動作業日はお茶屋コーヒーの世話、昼食の段取り、夏は冷茶作りなどちょこまかと動きま回るので一日の歩数が15000歩から2万歩を超えることもママあります。以前は一晩寝れば回復していたのですが、昨年末の事故からきた左足首がなかなか良くならず、心肺機能も衰えていよいよ役たたずになってきました。

 体調の問題を抜きにしても、最近年は人生のしまい方についていろいろと考えることが多くなりました。自分の人生は何事も卒なく上手にこなす能力は持ち合わせていなかったので、多くの高度成長期の戦士たちのようにどうしても仕事優先にならざるを得ませんでした。その時々に目の前の問題に全力を尽くしてきたつもりですが、器量が足りなかった分、結果的に後回しになったのが家族や身の回りです。
 三人の子どもたちは本人たちの努力で何とか自分で食っていく道を見つけてくれました。自分がいい環境で育てたとは言えない子どもたちや困っている親族(一昨年から施設に入っている姉の後見人も)には今からでも少しでも助けねばという考えが昔の農家の長男としてそだてられた根っこの部分にはあります。
これから何年生きるかわからないけれど、残り人生は家族親族や私の社会的な活動を支えてくれた多くの仲間になにか報いるものがあればそれをみつけ、実践していくのが最後の務めだろうと思えるのです。その方向性とも関連して、この4月から放送大学の心理と教育コースの学生になりました。

 そんなこんなで昨年の巻頭言にも述べた方向性のとおり、今年度中にNPO法人としての活動は一区切りとさせていただきたいと思っています。改めて、理事や会員など長く三重スローライフ協会を支えてくださった皆様に御礼を申し上げたいと思います。
 定年後は三重の片田舎松阪のベルファーム周辺でささやかに活動してきたに過ぎないけれど、今はどんな時代の中にあるのか、もがきながらも位置づけたいというのが元研究者としてのせめてもの矜持と思っています。体力や気力がもう少し戻ることがあれば、三重という田舎でのスローライフ活動の取り組みの経過や意義などを振り返りまとめる機会があればとは思っています。合掌。

4-1 NPO法人としての行く末

4. 組織のあり方と一人ひとりの向き合い方
4-1 NPO法人としての行く末
 昨年の巻頭言で組織の行く末に関する提案をさせてもらいました。答えにくい提案であったかもしれませんが、残念ながら特に意見が寄せられることはありませんでした。しかしながら会員が極端に減ることなく継続してもらったことは多くの人の応援の気持ちが感じられてとっても感謝です。
 昨年の提案の中でも書かせてもらったように、組織としての現状維持自体がかなり難しくなってきました。私自身は結果として17年間理事長を務めさせてもらってきましたが、借金を抱えながらもこれまでなんとかやってこられたのは四代にわたる事務局長をはじめ、歴代の理事さんや会員さんのおかげです。財務的な事情から事務局員さんを雇うことが難しくなってからは、より理事さん、特に何人かの理事さんに負荷がかかってきました。
 特に活動してくれている人への折に触れての気遣いなどはできるだけしてきましたが、会員さんはだんだん減少するばかりで、最近数年では農業塾の参加者と竹遊倶楽部の参加者が賛助会員になってもらうことが、かろうじての新規加入でした。この新しい加入者も続けてもらうには活動を楽しんでもらえる場作りをすることが大事ですが、活動の前後や準備的仕事などその世話役の役割も体が衰える中ではままならない状況です。
 なお多くの人に支えられているものの、今の体制では財政的にもさらに赤字が膨らんでいくことは避けられません。コロナ禍の中で理事会も満足に開けず活発な議論からは程遠い状況です。設立当初よりベルファームに場を与えられて活動してきていますので、協会も出資している(株)松阪協働ファームがあと1年で区切りとなる指定管理二期十年目の2022年6月の総会に向けて、NPOの最終責任者としてどのような解決法があるかを模索したいと思います。
 NPO法人廃止事務の経験をしてみえる森本理事からいくつかの情報を頂いていて、簡単ではないさまざまな手続きもありそうです。今年はNPO設立18年目に入ります。来年からの2年も頑張って20年にしたらという一部の声も聞いてはいるのですが、後に述べる個人的な事情もあり、この一年が持つかどうかも不安に感じているのが正直なところです。
 たとえ法人格を返上 したとしても、ベルファームに関わるNPO活動は任意団体として動きやすい形で続けることは可能ですし、私自身も松阪協働ファームと連携して行っている食育活動や農業塾、特に竹遊倶楽部などは可能なかぎり続けたいと思っています。

3-3 先人たちの教えを思い起こそう

3-3 先人たちの教えを思い起こそう
 これまでも経済と倫理(ここで倫理とは人としての生き方に関わるもの)については何度も論じてきたかもしれないが、改めて人間の本質に迫るこの問題をもう一度噛み締めてみたい。私が生まれた滋賀県の近江商人は「三方良し」の言葉を残している。商いは自分が儲かったらいいだけでなく、相手にもいいこと、さらには世間にもいいことが大事だというのである。
 松阪協働ファームの社長をさせてもらっていたとき、若き親友のピーターD.ペーターゼンの唱えていた作りて(売り手)、買い手、世間、働き手(雇用者)、自然の五者に良い経営という五方良しを参考にして、自然はもちろん活動のベースとして大事だが、将来を担う子どもたちのことをもっと考えたいと、自然を将来世代に代えた「五方良し」を目標にした。その精神は今にも続いていると思っている。
 松阪のことをいろいろと勉強したのもベルファームへいった2008年以降であるが、印象に残っている一つが江戸の越後屋を起こし、三井財閥にもつながった三井高利(1622-1694)の「先義後利」である。人に良い行いをしていれば利益は後からついてくるというものである。
 今年の大河ドラマ「晴天を衝け」の主人公・渋沢栄一(幼名は栄二郎、それから英一郎、篤太夫、徳太郎と改名)が藍玉を農家に作ってもらうのに、質についての目利きは発揮しながらもいい値で買い取って、農家にいい藍玉を作ってもらい、父親に認められる下りがある。これは彼の経済への姿勢を表し、渋沢の一生を貫く原点となっているのではないかと思われる。多くの企業を起こしながらも財閥を作らなかったこととも関係があるのではなかろうか。

3-2 経済と倫理の両立―「オルタナ」の目指すもの

3-2 経済と倫理の両立―「オルタナ」の目指すもの
私のもとに送られてくるメールマガジンに「オルタナ」がある。オルタナは、サステナビリティやCSR(企業の社会的責任)をテーマとした日本初のビジネス情報誌として、2007年4月に創刊された「サステナブル・ビジネス・マガジン」である。編集長の森摂氏によれば、英語の「alternative」が名前の由来で、売り上げや利益だけではない、環境や社会に配慮した「オルタナティブ(新しい、もう一つ)なビジネスのモノサシ」を探り、世に広げることがミッションです、としている。重点取材分野は、サステナビリテ全般/CSR/SDGs(持続可能な開発目標)/ESG(環境・社会・ガバナンス)/気候変動/自然エネルギー/第一次産業/ソーシャル/エシカル などです。
 米コンデナスト社が最近、サステナビリティをめぐる用語の使用について再考したそうです。(WWD記事:「『地球に優しい』って本当?ビューティ誌『アルーア』がサステナビリティについて幾つかの表現を廃止」)https://bit.ly/3c9o0wD
記事によると、「多くのプラスチックの容器がリサイクル可能ではあるものの、実際9%ほどしかリサイクルされていないという報告をもとに、『リサイクルが可能なプラスチック』という言葉の使用をやめる」とのことです。「地球に優しい」「環境に優しい」「エコフレンドリー」「生分解性」などの表現も、雑誌内での使用を禁止にするそうです。「生分解性は微生物の働きによって製品や素材が無機物まで分解されることを指すが、この働きに時間の制限を明記していないことや、ほとんどのゴミ処理に使われる埋立地には分解に要する十分な酸素が足りていない」(同記事)
「地球に優しい」「環境に優しい」という言葉は、オルタナも創刊以来、使用禁止にしています。「優しい」という言葉が科学的でないのが最大の理由ですが、そもそも「地球に優しい」とはどういう意味なのでしょうか、と問いかけている。
これらの戒めは、私たちが少し環境に良さそうな行動をしたとしても、今の社会の構造や私たちの行動スタイルを本気で変えないと、地球の未来や子どもたちの未来を明るいものにすることは難しい、覚悟して取り組もうということを求められているということではないか?

3-1 経済が持続的に発展するには

3. 私たちに求められているもの
3-1 経済が持続的に発展するには
 最近良く耳にするSDGsとは「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称です。SDGsは2015年9月の国連サミットで採択されたもので、国連加盟193か国が2016年から2030年の15年間で達成するために掲げた目標です。具体的には17の大きな目標と、それらを達成するための169のターゲットで構成されています。目標の最初の6つをみてみると、①貧困をなくそう、②飢餓をゼロに、③すべての人に健康と福祉を、④質の高い教育をみんなに、⑤ジェンダー平等を実現しよう、⑥安全な水とトイレを世界中に、となっている。
 こういったことが目標であるというのは現実には大きな格差があり、その格差の是正こそ求められていると理解することができる。経済大国世界一のアメリカも日本を抜いて世界2位に躍り出た中国もともに所得格差は拡大している。
 世界非政府組織NGOの報告によると、世界の富豪の上位2153人が2019年の時点で所有した資産は、最貧民層46億人の総資産を上回っているという。アメリカの上位1%の富裕層が国の富の約39%をコントロールしているのに対し、下位90%が国の富に占める割合はわずか26%(https://www.cydas.com/peoplelabo/kakusashakai/)、と言われる。政治や政策を主導するのは主に富裕層だから格差の是正の現実的な難しさはあろうが、経済成長よりも分配の公正や改善を図ることでができれば経済や社会の安定につながりうると思われるが…。

2-4 オリンピックを巡って気になること

2-4 オリンピックを巡って気になること
 また、いろいろ関連記事を漁っていると、2020オリンピック開催地を日本と争ってイスタンブールが破れた(2013.9.7)が、2012年12月に発足した第二次安倍内閣は自ら主導して「日・トルコ原子力協定」を締結(平成25年4月26日東京で署名, 平成25年5月3日アンカラで署名, 平成26年4月18日 国会承認)している。エネルギーの多くを輸入に頼っているトルコの事情があり、福島原発事故を心配した反対運動もあったようだが、エルドアン首相の強いリーダーシップで締結している。それにしても福島原発事故からの復興も見通せていない中での原発輸出に迷いはなかったのであろうか。私の感覚では理解できないことである。
 もう一つ、JOC理事の中で一人先駆けてオリンピックの再延期を主張し続けてきた山口香理事は、「JOC内は無反応、議論がしたかった」(五輪はどこへ「出る杭」続けた理由, 2021.6.23, 朝日新聞)と発言しているが、大勢順応や忖度が蔓延し、日本の民主主義は大丈夫なのかと思ってしまう。
政治学者の宇野重規氏は民主主義の危機ということに関して、「意見応酬こそ基盤 個人の参加と責任 諦めの感覚が脅威」と延べ、「議会に抱く不満 市民の声反映へ デジタル化が鍵」(2021.6.17, 朝日新聞 オピニオン&フォーラム 「民主主義を信じる?」)と、市民が政策形成に日常的に参加し、行政権を直接統制する可能性に期待する、としている。私たち一人ひとりに迫る重い言葉である。

 素直に喜べないことが多すぎるが、いろいろと困難な大会現場で一生懸命働いている人は少なくないと思うし、コロナ禍の中で迷いながらもモチベーションを保っているアスリートの人たちがいることは希望でもある。もともとの目標の一つでもあった世界一コンパクトな五輪にすることが徹底され、世界での分断を克服し、格差の拡大を是正していくようなスローなあり方のオリンピックが目指せていたらとの悔いは残る。
政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長ら専門家有志の提言は、「ワクチン接種が順調に進んだとしても、7月から8月にかけて感染者や重傷者の再増加や、変異株の影響への懸念。そして、大会開催を契機とした、全国での人流増加の懸念」が述べられている。観客については「当然のことながら、無観客開催が最も望ましい」と明記している。(business Insider, 20210618, 三ツ村崇志)
政府も都も、組織委員会も「安心・安全の五輪を目指す」と語るばかりで、これまでほとんど納得がいく説明してこなかった。しかし、提言にあるように、「引き続き強い感染対策が必要である状況に変わりがないことや、対策に協力したことで経済的に疲弊した方に対する迅速な支援の必要性、感染状況が悪化した場合の対応」の説明、とりわけ「国内の感染状況の悪化に応じて、大会主催者が迅速にとるべき対策について、市民へのアナウンスをできるだけ早く行って下さい」という指摘が十分実行されることを望むのみである。

2-3 東京オリンピックにみられる政府と国民の意識の乖離

2-3 東京オリンピックにみられる政府と国民の意識の乖離
 昨年のコロナ禍で一年延期された東京オリンピック2020は、最近の国内世論調査では、70%近い人が、7月23日からの予定通りの開催を望んでいない。しかし、国際オリンピック委員会(IOC)は依然として、大会は実施すると強い姿勢を堅持している。(https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis)。医療関係者も世論も、大多数は予定通りの開催に反対しているが、それでも、東京オリンピック・パラリンピックの中止について、政府からの発言はない。何があってもオリンピックは実施すると決めているかに見える政権の姿勢は、コロナが少し収まったかにみえると、Go to eatやgo to travelがあって、また感染者が上昇する繰り返しであった延長線上にある、と見られてもいる。間近に迫った開催予定の中で、今回のオリンピックに関する事柄を調べれば調べるほど??が出てくる。
パンデミック後のあり方に関係して、お金の問題と(すでに暗黙の前提となっているかに見える)開催に至る経過の不透明なことは注目しておきたいものである。
 問題は開催地決定前後から、どのようなオリンピックにするのかの議論にも関わっている。商業主義化し大金の開催経費を出せる国しか開催できない問題性の指摘は以前からあった。東京大会までの準備過程で、全体の約8割の競技会場を半径8キロの中に集中させるなど、世界一コンパクトな五輪にすることで経費を7000億円に抑えるとしていた。ところが、2019年までの準備過程で、その4倍を超える3兆円まで五輪(関連?)経費は膨らみ、さらに一年延期とコロナ対策などでどこまで上がるかわからない状況だ。(https://www.jprime.jp/articles/-/17119)
 その上、5月26日の衆議院文科委員会では組織委員会が代理店に委託している会場運営のディレクターの一日あたり人件費が35万円とあまりにも高額だという野党議員からの指摘があった(@niftyニュース)という。みればみるほどオリンピックという錦の御旗に隠れた不透明さや便乗商法が出てくる。
さらに、気になるJOC(日本オリンピック組織委員会)の経理部長M氏の都営地下鉄浅草線中延駅での飛び込み事故(6月7日午前9時20分、日刊ゲンダイ20210608)があり、五輪の不審な金の流れと自殺の関連で憶測も、と報じられた。
その後、JOC職員の自殺に関しては公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会とは異なる組織であり誤報だとの記事も出ているが、オリンピックに関する情報に随分と偏りが見られ、情報がコントロールされていると感じている人は少なくない。

2-2 改めてパンデミックの意味を考える

2-2 改めてパンデミックの意味を考える
 昨年の巻頭言でさまざまな問題を論じていてダブルところもあるかもしれませんが、改めて大事だと思うことを考えてみたいと思います。私が目を通している新聞は主に朝日だけですが、重要な指摘を多々目にします。2021年3月31日朝日新聞の「異論のススメ」で保守の論客で知られる佐伯啓思氏(京都大学名誉教授)は現代文明かくも脆弱として、「感染症は急速に拡大 一貫せぬ情報が流通 他国依存の経済露呈」と問題点を指摘されている。
 もう少し詳しく見ると、「現代文明は3つの柱を持っている。第一にグルーバル資本主義、第二にデモクラシーの政治制度、第三に情報技術の展開である。…グローバリズムとは、人、モノ、カネの国境を超えた移動であるが、今回、われわれはそこにウィルスや細菌を付け加えねばならなくなった。ほんの2ヶ月ほどの間に、ウィルスのグローバル化が生じたのである」と。 また、「今回のような新型の病原体の出現は、(過去のデータなどから起こりうる…引用者注)リスクではなく(何が起こるかわからない…同左)不確実性である。その時かろうじて頼りになるのは、政府や報道ではなく、われわれのもつ一種の”常識”や”良識”であろう。…、…市場主義や過剰な情報文化は、われわれから思考能力も”常識”も奪い取っていった」と。
 ここから示唆されるものは少なくないと思います。私たちの人生がいかに商業主義に掠(カラ)め取られていったか。検索の便利さにしても自分で考えるよりマスコミ等を含め他からの意見や回答に左右されすぎていないか。自分で考え、立つことの基本的な大事さを見失っていないか?例えベランダガーデンであっても植物を育ててみれば自然の仕組みや奥深さに気づくことは多い。水をやりすぎても足らなくても根がしっかりしていないと植物は育たないこと。根っこの大事さはそのままこうした危機における人間(自分)の振る舞いにも現れます。地域の活性化や地方重視は最近年頻繁に唱えられるようになっている。自分もまた事あるごとに地域の大事さを強調してきた。しかし、それをグローバル資本主義の問題点に対するオールタナティブ(もう一つ) の可能性としてはどこまで把握できていただろうか。
 少し考えてみると、日本の歴史を見ても遣隋使や遣唐使のように外国からの文化の輸入、戦国時代の南蛮貿易、そして列強に開国を迫られる明治維新、更には太平洋戦争の敗戦後のアメリカ軍の進駐とアメリカ文化一色化の歴史など外とのつながりで発展した歴史がある。一方で、そのことによって日本の風土に根付いた地域地域の歴史文化が廃れたり弱くなっていくことも経験してきました。自分たちの伝統文化を大事にしながらどうグローバリズムと向き合うかは今まさに改めて問われていることだと思われます。
 アメリカフーバー研究所の西鋭夫教授(1941-)は、進駐軍が持ち帰った機密書類が公開の時期を迎えるとそれらの膨大な資料を読み解き、語られない歴史の裏側も表示しつつ今私たちに何が求められているのかを自覚できる真実の歴史を提示してくれている("[Pride&History]" <support@prideandhistory.jp>)。例えば今話題になっている大河ドラマ「晴天に衝け」の渋沢栄一(1840-1951?) についても、マスコミ等が報じない妾がたくさんいて認知した子供だけでも20人と言われている。渋沢は第一国立銀行、東京取引所、帝国ホテルなど500を超える企業を起こし、次いで600を超える教育機関・社会公共事業に携わってきたといわれる。そのすざましいバイタリティを支えた一因に彼女たちがいたのかもしれない。経済を起こし、資本主義が発展しても貧富の格差が顕著になったことから、50年以上にわたって関わりつづけた東京市養育院など経済的弱者の施設や社会基盤的な事業に深く関わったことが他の経済人に見られない大きな特徴といえます。それは渋沢が書いた『論語と算盤』にみられる「道徳経済合一説」という考え方に基づいていた。
 再び西鋭夫氏に戻ると、表も裏も含めた等身大の人間像を捉える中で改めて渋沢栄一に迫るとパンデミック後の世の中のあり方や私たちの向かうべき道筋がみえてくるのかもしれない。

2-1 人類が絶滅する6つのシナリオ

これまでもそれなりに書く苦しさはあったのだが、今年の三重スローライフ協会の年次報告書はまったくいろいろとあって、特に巻頭言が書けなくて結果的に例年より二、三ヶ月も遅れてしまいました。印刷もできて会員の皆様にお送りできる状態になりつつあるのですが、ひょっとすれば最後になるかもしれないところもあり、もう一、二メッセージの追加を考えています。そんな中他にもご迷惑をおかけしている組織のある方に原稿をみてもらったところ、考え方で大事なことが入っており、こちらの理事にも参考にさせてもらってもいいか、と連絡をいただきました。苦しみの記憶しかなかったのですが、読み返してみるともがきの中にこれから大事にしていきたいと思うことも含まれています。少し勇気を頂いて三重スローライフ協会以外の方にもみてもらい、また意見でもいただければと思いました。以下分割して載せます。

2. 私たちを取り巻く危機の状況と要因
2-1 人類が絶滅する6つのシナリオ
たまたま2021年4月に図書館で見つけた「サイエンティフィックアメリカン」の編集長だったフレッド・グテル(Fred Guterl)の『人類が絶滅する6のシナリオ』(Why the Human Race May Cause Its Own Extinction and How We Can Stop It)は衝撃的だった。この本の第一章に「世界を滅ぼすスーパーウィルス」とあるのは驚きでした。まさに現在世界中で苦しんでいるコロナ禍の世界を予言していたかのような内容だからである。この本は2012年(2013年翻訳書)に発行されている。
6つの危機要因とは①スーパーウィルス(この段階ではインフルエンザやペスト)/②大量絶滅/③気候変動/④生態系の危ない均衡/⑤バイオテロリズム(ステルスウィルス)/⑥暴走するコンピューターが挙げられている。私はこれに依然として核の驚異を付け加えておきたいと思う。地球が何十回も滅んでしまうような核弾頭の数があり、しかも今や核搭載の主力は潜水艦であるので、考えれば考えるほど危険性があることを無視し得ないからです。
各要因をすべて論じる余裕はないのですが、変異株が次々に生み出される新型コロナという見えない敵に人類はどのように対処できるのか…まさに現代的な課題です。

衰えつつある人がボランティアで気をつけるべきこと―チーム竹遊倶楽部の行く末―

 久しぶりのサロンフィリア(7月11日)は松阪市森林公園で、4月から市の指定管理を受けて運営することになった岩森社長(兼森林公園園長)の新しい取り組みのお話を聞くことになった。

 次いでお昼からは新しく作られたオートキャンプサイト脇の竹林の整備を手伝うことになった。
参加したのは午前中の参加者13人の内10人(女性二人を含む)と森林公園からスタッフ2名、実質1.5時間ほどでその間に二度小休止もとったが、足場の悪い斜面だったしベルファーム竹林や美濃田竹林のようにほぼ平坦な場所のようにはいかなかった。それでも短時間で少し開けた竹林になってきた。


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◯故障や衰えは現実のものとなる
 今日はあまり無理をせず14時過ぎにもう終わろうとなり、竹林の場所から駐車場まで戻る途中で実質リーダーSさんの異変に気づいた。上り坂で苦しそうに立ち止まられたからである。竹林街道の整備でも自らとても動かれていたし、私一人ではほとんどできないメールがない人への連絡なども負担をかけていた。そんなこともあり昼食前の竹遊倶楽部のミーティングでも羊羹竹の段取りや竹輝銅庵の竹園管理の世話を他の人に引き受けてもらいたいことを話された。
来年から家族に運転を止められている、という話もされた。迎えに行ってくれる人はたくさんいようが何もかも頼りすぎていたので今こそこれからの活動のあり方を考え直すときだと思われます。

先日はHさんがみんなで昼食時の食欲がなく疲れた感じですぐに帰ってもらったが、ずっと気になっていて今日は夫婦で元気な顔を見せてもらってホッとしたが…
 少し前には農家のKさんが田植え作業などで腰を傷められて出てこれないとのことで、少し経って後お見舞いに行ったら比較的元気そうで良かった。今日も顔を見せてもらったが午後は用事があるからとのことで竹林整備には参加されなかったがそれでよかったと思う。80歳になられていてもとてもお元気だったので一斉作業日などは呼びかけさせてもらっていたがかなりしんどかったのではないかと思われる。

 伊勢型紙など細かな仕事が得意であるが外作業には向いていない感じのHaさんには火の番などしてもらっていたが、もう無理だから退出させてほしいとつい先日聞いた。常連的に参加してくれる人は十人前後居ても多くの人がいろんな病を経験したり抱えている。竹遊倶楽部も6年目なので衰えてくるのはやむを得ないのです。どのように適応していくかこそが問われているのでしょう。

 しかしながらそれぞれに個性(持ち味)がありながらもチームとして機能しているのが嬉しいところです。チーム力を成り立たせてきたのは何よりも6年間の竹にまつわる「共通体験」がベースとしてあると思われます。その多くが70代から80歳くらいまでで、まさに日本の高度経済成長を支え戦ってきた戦士という共通項もあると思われます。悪くすれば忖度になりますが、気遣いができ、雰囲気が読める世代で自ずからしからしむということもあるかもしれません。

◯当日の自分とその後のこと
 森林公園から一旦ベルファームのこもれび広場に戻って、談笑などしていた仲間数人が帰ってから(16時少し前くらい)宿題の作業に取り掛かった。いつもの花生けは談笑の間に済ませていたので、一つは極楽湯用の靴べらの完成であった。よくお世話になっている極楽湯に先日燻靴べらを2つ差し上げたのだが、2つとも誰かが持って帰ったらしい。それで靴べらにルーターで「ごくらくゆ」名前を入れて差し上げることにしたのである。もう少し作業をしたかったが疲れすぎになりそうな感じがあり、それ以上は止めることにした(適応1)。
 帰りがけも疲れでボーと運転することのないようにコンビニでアイスコーヒーと氷を購入した(適応2)。さらに時々利用するマッサージ家さんの一つが運良く空いていたのでマッサージをしてもらう。体がガチガチでしたねと言われたが、もんでもらい書けて初めて自覚した(現実自覚、意識の修正)。40分でも背中腰が随分楽になったので、極楽湯に入って靴べらを渡すとともにバイブラで筋肉を解す。
 あまり長居はせずに、おはぎの「豆太」をいつもお世話になっている近所の馬場さんに届けて21時直前に帰宅。ちょうど阪神が巨人に負けたところ、60数年の阪神ファンとしてはがっかりだが、何となく遅れに遅れている放送大学のオンライン授業を聞いてみようという気になった(ベルファームから疲れて帰った日にこんな気になるのは初めて)。一コマ分の一時間ほどを聞き、練習問題の小テストもまあまあで思いの外調子が良い。こんなときこそ注意しなければと思いながらも…生きている実感。
 次の日の朝、5時間余の睡眠なのに久しぶりに頭がシャンとしていて、昨日の出来事をメモっていたらつい7時のラジオ体操の時間が過ぎてしまっていた。それでも2kmの散歩はしたのだが、少し速めのキロ11分程度なのに筋肉が固くなって軽い腰痛になって尾を引くことになってしまった。

ここで考えてみたいことは
◯本人の思いや意欲の尊重と家族や周りの関与や時にブレーキの問題です
 体が思うようにならなかったり、衰えを自覚するようになると人と同じように出来ないことが気になったり、みんなに迷惑を掛ける事にならないかと身を引いてしまうことはよくあることだと思います。体は衰えても手続き記憶(もののやり方などの記憶)はほとんど衰えなくて、思う通りにいかなかった時のショックは結構大きいものです。
 このことに関して私には大好きだった祖父が農作業をやめてしまうきっかけになった鮮烈な記憶があります。祖父が80歳を過ぎた稲の収穫時期のこと。いつものように6-8段ほどタケで組んだ稲架掛けの時に上に登っていた祖父が、私たちがほり上げる稲束を掴めずに落としたのです。今の私なら理解できますが、握力が落ちてきてこれまでなんでもなく出来ていたことがあれっということになったのでしょう。そのことがあってからほとんど農作業に携わらなくなってしまいました。93歳で死ぬまでタバコを吸い、毎日新聞を隅から隅まで読み散歩はよくしていました。
 今考えると少しもったいないなと思います。体と異なり頭は必ずしも歳とともに衰えないのかもしれませんが、寂聴さんや南伊勢町の炭焼き名人右田さんのことを思い出します。病を含めいろんな経験をしながらも周りに支えられ、蘇り続けておられる。能力や経験知は別にしても一つの理想型に思えます。ヒトは直線的にいっきに衰えるのではなく、少しは蘇りつつジグザクに衰えるのだと思います。
 その観点に立てば実情の変化や自分自身と周りに敏感になりながらその状況に適応し、やりたい気持ちが残っていればそれなりにやれるように工夫していくのが納得のいく人生になるのではないでしょうか?

◯「ピンピンころり」に近づくには
 死の間際までできるかぎり自分のことは自分でできて、あまり周りに迷惑をかけずに(生きている事自体まったく人に迷惑をかけないなどということは不可能という基本は別にして)逝けたらいいな、という一つの望ましい形の言葉かなと思う。コロナは高齢者のフレイルを進めたのではないかと思う。自粛ムードの中で活動的になることが何となく憚られるからである。その意味では竹遊倶楽部の作業日などは適度に動けて、みんなで外で食事をしながら喋れるのでいい機会を提供できているのだともいえるのだろうか。ただ自己主張の苦手な高齢者世代は、休むほどではないけれど体調はすぐれないような時に無理して周りに合わせてしまい、疲れすぎることはよくあることです。一人だとペースをコントロールしやすいのですが、みんなといるときは誰かがあるいはお互いに相手の体調にも気を配っていることが大事だと思われます。
 自分の場合には、「ピンピンころり」に近づくには少しだけ無理をすることだと思っています。無理をしすぎるとその付けは後に回ってくるし、動くことをやめると体の劣化はすぐに進んでしまいます。「いい加減」が何とも難しいものです。なかなかピタッとはいかないので試行錯誤を続けるしかないのでしょうね。

おかえり、スローライフ―今まさに求められているものの一つ

―スローライフを楽しもう―ポストコロナの生き方―


 巻頭言の執筆に苦しみながら書庫を整理していたら、設立初期の頃の会員募集ポスターがみつかった。「おかえり、スローライフ」と真ん中にあり、あなたも私たちといっしょになつかしい未来を見つけてみませんか?とある。「懐かしい未来」とはヘレナ・ノーバーク・ホッジの『ラダック 懐かしい未来』が有名で、訳者のあとがきによると、自尊心を持ちながら、個人主義にとらわれることのないラダック(インド北部の小チベットといわれる地域)の人たちに、​自由、幸福の意味を考えさせられるのではないでしょうか、と述べられている。

 設立に向けて仲間で何度も議論した中から出てきた「三重スローライフ協会がかんがえていることは」、
▼地産地消を推し進めていくこと、
▼地域の郷土料理を守っていくこと、
▼安全安心な食材を守ること、
▼家族や仲間と楽しい食事のひとときを楽しむこと、
▼生活の中のムダを考え直すこと、
▼資源を大切に循環型の生活を提案していくこと、
▼シンプルな生き方を楽しむこと、
▼生きがいのある生活をめざすこと、
▼環境を守りつつ生産・流通できるしくみづくりに挑戦すること、
▼市民農園で農に楽しむこと、グリーン・ツーリズムを広めていくこと、
▼松阪木綿や伊勢型紙などの伝統産業に光をあてること、
▼子供から大人までみんなで『食』について学ぶこと、
▼地域の農・山・漁村の文化を守っていくこと、
▼アウトドアで自然に学ぶこと、
▼世代を超えて素敵な交流を持つこと、
▼お年寄りから歴史や昔の様子を教えてもらうこと、
▼エネルギーの無駄遣いを慎むこと、
▼日本家屋のよさに目覚めること、
▼風力や太陽光の自然エネルギーを真剣に考えてみること、
▼バイオマスの不思議なチカラに感動すること、
21項目があげられている。
 今年度は設立18年目に入りますが、幸いにしてほとんどの項目に濃淡はあれ関わってこられたことはありがたいことです。

 21世紀に入る前後の頃が一つのスローライフのブームであったように思いますが、今また新型コロナ(COVID-19)によるパンデミック(疫病や感染症が世界的に大流行する状態)によりコロナ後のあり方が模索されています。
 それはまさにスローな生き方の中に多くのヒントがあるように思われます。人々の生活の基盤としての経済は大事だとしてもお金に振り回されないで地(自然)に足が着き、家族や仲間を大切にし、農や地域の産業や傳燈を重んずる生き方は、まさに懐かしい未来を約束してくれるのではないでしょうか。

 

 

パソコンのイロハを学ぶ―あたふたの5月の収穫

 5/2の竹林街道ウォーキングイベントに向けて、4月は美濃田竹林街道の整備に竹遊倶楽部の活動できるメンバーが最後の追い込みで忙しかった。私自身はまだまだ体調が回復せず側面的な援助の世話役の役割をしていたぐらいであるが、それでも9日ほどベルファームへ行った。頭の中が竹遊倶楽部になっていたこともあり、4月から初めた放送大学の授業は聞き逃すことが多かった。
 5/2に竹林街道ウォーキングイベントが終わってから5月中はできるだけ授業の遅れを取り戻そうともがいた。というよりも5/28までに履修している科目のWeb通信指導を受けて小テストを済ましていないとテストを受けられないという関門があった。何とかオンライン授業を除く13科目の面接指導が終わったのでホッと一息である。
 ちょっとしたリラックスもあった故か5/29-30の面接授業(集中講義)「新・初歩からのパソコン」はあとにメモ書きしたようにあれこれとお得感があった。というか長年パソコンはさわっていても基礎から学んだことは一度もないのでなるほどと思うことが多かったが、繰り返しやらないとすぐに忘れていきそうである。

 まだまだ分からないことばかりですが、Ctrlキーの便利な使い方などはこれからも役立てないとと思います。ICT技術に伴う情報格差は現代の大きな問題の一つかと思いますが、学ぼうとする者にとってこの種の授業はとてもありがたいものです。ただ、二日目の授業が終わってからレポートを書いている時に小耳に挟んだのですが、全くついていけなかったといっていた人もいました。コロナ禍の履修生は現実に会う機会も少なくほとんど知らないので友達同士で教え合うということもなかなか進まない状況でした。
「メールはハガキと同じ」は目からウロコでした。個人宛に送ったりしているのはついその人だけが見るものと思い込みがちですが、ハガキが郵便局や配達員に見られうるようにメールも各結節点で読まれうること、またハガキにあまり長い文章はかけないようにメールは簡潔に書いて受信者の負担にならないようにすること。
Cromeのシークレットモード、Inprivateは使ったことがありませんでしたが、閲覧履歴が残らないとか分かりました。Windowsロゴキーも使ったことがありませんでしたが、今後は使ってみたいと思います。
opacの利用。E-bookは印刷は60pが限度だが、一旦閉じて次に61pから120pまで印刷することは可能。
Googleの検索は時々使っていますが、e-statで政府統計にアクセスできるとか、filetype(PDF, docx,xlsxなど)とキーワードで検索が容易になることを学びました
ヘッダーとフッターの付け方―長い文章を書くことがあるのでありがたいです。忘れないうちに使ってみなければ。


◯そのほか知り得た豆知識(自分の復習のためのメモです)
・パソコンが固まってしまった場合、Ctrl+Alt+Delete、あるいは電源ボタンを5秒以上長押しして終了
・Ctrl+ホイールで画面の拡大・縮小が可能
・Ctrl+Sで連続的に保存?
・Ctrl+クリックで連続的に画面を開く
・Ctrl+hで検索置換
・検索画面でCtrl+マウスの左クリックで検索項目を連続的に開ける(画面に立ち上がる)
・Windows 10の場合、Zip fileはダブルクリックで解凍できる
・OPACやe-statの使い方
・filetype(PDF, docx,xlsxなど)とキーワードで検索が容易になることを学びました
・WebメールとIMAP(Internet Message Access Protocol,専用メールソフトを使う)の違い
・Googleドライブを使うとUSBはほとんどいらない
・ウィルスソフトを入れるとパソコンが遅くなる(?)
・ホームのCtrl+Eで中央揃え
・Windowsロゴキー+Xで便利機能。+Èでエクスプローラーが立ち上がり、よく使うクイックアクセスに連携

一年越しの竹林街道ウォーキングイベントー5月2日

 昨年(2020)のGW中に予定していた松阪農業公園ベルファームから美濃田大仏へのウォーキングイベントは緊急事態宣言の全国への拡大(2020.4.16-5.14)によって中止のやむなきに至っていた。今年1月になってベルファームの社長や園長から今年のGWに実施してはどうかとの打診があり、竹遊倶楽部の仲間や美濃田まちづくり実行委員会会長の田中氏らとも相談し、5月2日に実施することになっていた。
 1月末にイベントのチラシ原案を作りベルファームから一般に案内してもらっていたが3月の中頃中日新聞に載ってから(私が電話取材を受けたのは3/16)一日二日で定員の30名が埋まってしまった。その後も問い合わせがあるということでみんなと相談して30分遅れて出発する第二陣を募集することになった。4/8にはCBCテレビ伊勢支局からの取材を受け、4/14に2分ほど放映された(ちなみにテレビに出るなんて現役の時にもなかった気がする)。その後コロナ感染者の再拡大や県外移動の自粛などもあり、最終的に5/2の実施時点では第一グループ24人、第二グループ20人での実施となった。
 当日、竹遊倶楽部の仲間は早い人は7時過ぎから最終地点で昼食会場ともなる木漏れ日広場の清掃や場所の設営を行った。それぞれのグループに二人ずつ道案内をつけて、第一グループ(三鬼、大原)は集まりが早くて予定より少し早い9:45頃に出発した。子どもたちの多かった第二グループとはちょうど竹林街道の真ん中あたりで行き違った。池沿いの道を東駐車場まで歩き、そこで竹林街道を経由して美濃田大仏への写真地図でコースの概要を説明しました。東駐車場を出て竹林を通り美濃田大仏までの距離は片道約900m、この内竹林街道は180m強です。
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                        (竹林街道の案内板と説明をするベルファーム広報の長澤さん)
 竹林街道の出入り口20-30mは竹柵のきれいな通りが出来ていました。竹柵つくりの発端は定年後に植木職人もされてきた北村さんを中心に、そのその素材の竹枝縛りはほとんど笹原さんが週に数日てきて仕上げられたものです。自然にカーブした竹林街道を歩き、出口付近にはこの竹林街道整備を強力に推進してくれた美濃田在住でもある中井さんのこだわりの休憩所が大工の三鬼さんや中西さん等々人々によって作られたのですが、2日に間に合うように横に通した竹に風鈴が吊るされていて風のある当日には風情のある音が響いていました。
DSC_6102竹林街道看板IMG_20210429_081541DSC_6180




  (蓮池さんが彫られた案内板と冨田さんが作られた竹林街道の看板)
 ベルファームから竹林街道の出口近くに二本の亀甲竹の移植と笹原さんが燻された亀甲竹の根本を立てにした展示がされています。竹の休憩所と共にこれも嵯峨野などにはない特徴かと思います。
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   (竹で作られた休憩所と亀甲竹の展示)
 美濃田大仏の一角には敏太(みぬだ)神社、放生池、大仏殿、真楽寺などがあり、数年前とは見違えるほどに整備されています。
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   (放生池)       (道の奥が敏太神社)
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 (美濃田大仏殿)
この美濃田大仏は青銅製で高さは3mあり、元文4年(1739)の作と云われている。






 帰りも同じコースを逆に歩き、ベルファームに戻ってから竹遊倶楽部の作業場でもあるこもれびの森に誘導してあつらえたテーブル・イスに座ってもらい、美濃田の歴史に詳しい山本實穂氏から約20分程のお話を伺ったあと筍弁当を手渡した。山本先生のお話は難しいかもしれないのでどのように聞いてくれるかなと心配でもあったが、みんな真剣に聞いていたのが印象的でした。
 なお、ボランティアしたい人や食後に竹を切ってみたい人は申し出てくださいと伝えたら数人の希望者があり、連絡先を聞いた。竹切りは子どもたちにとって初めての経験だったが、一人の女の子は大工の三鬼さんの指導で飲み込みよく見ている間に上達した。笹原さんが準備してくれたこの企画は三重スローライフ協会が目指してきた大事な部分でもあるが、今の子供達は危ないとか言うことでナイフやのこぎりなど使える機会がないので貴重な経験になるだろうと思われる。災害列島とも云われる日本ではいつ便利な電気やガス水道が止まるかもしれない。そうした時に自然にふれあい、自然を活かす技術に触れていると苦難を生き延びる力も増すと思われる。(5/5)


最初からつまづき?―ライフスタイルの切り替えはボチボチ

 最初の入学手続きが遅れて二次にずれ込んだこともあるが、授業は4/1からの始まりになっている。三重学習センターで学生証を受領したのは4/7、ちょうどその日帰宅したら受講科目の教材も届いていた。
 始まっている講義は気になりながらも、松阪農業公園ベルファームを管理運営する株式会社松阪協働ファームはこの4月から松阪市森林公園も運営することになり、私としては何の協力ができるだろうかとずっと考えてきた。達した一つの結論は預かっていながらなかなか売るのは難しい故西山さんのほっこりした花や動物の絵を自分で買い取って森林公園に寄贈することだった。もう一つは笹原さんの燻竹を使って作った竹の靴ベラのコテージ等への寄贈である。
 もう一つ予定通り切り替えが出来ていかなかったのは竹林街道整備に時間が取られたことだった。最も私自身の役割はなかなか足が治りきらないこともあり、竹林街道の竹柵づくりにはほとんど参加していなくて協力している仲間の世話役であった。4月は4/22までで私も8日間竹関連作業で出ることになった。(竹林街道整備の状況については別稿を考えている)
 放送大学の方は第一期(4-7月)に取った15科目をスタートする前に面接授業(スクーリング)の追加募集があり、募集した3科目が追加登録されたのは4月22日だった。その一つ森久綱先生の「リサイクル経済学」の授業は4/24,25の集中講義だった。90分授業が7コマ半にレポート作成が約半コマ。

 選択した普通科目はテレビ授業とラジオ、それにオンライン授業とあり、ようやく4/26になって初めてすでに4コマ目になる「社会調査の基礎」と「遠隔学習のためのバソコン」をスタートすることができた。ただすでに3回分欠席しているし、試験の日程はだいたい7月後半で決まっていたがどのように単位が取れるのかもまだはっきりつかめていない。

 3月からボチボチ取り組んでいる「竹」(竹文化振興協会機関紙)に投稿する予定の竹林街道整備についての原稿もまだ少ししか出来ていないし、三重スローライフ協会の年次報告の原稿締切も5/10に迫っている。しかも毎年巻頭言と竹遊倶楽部とサロンの3篇の執筆が求められているが…(4/28)

 放送大学で習うのはたぶん3-5年くらい?4/24-25の面接授業から学びのモードに入ってきたが、放送大学はまさに放送、まずBSテレビが中心だが、音声のみのBS531、そしてオンライン授業といろんなタイプがあってまだ機器の扱いに戸惑うこともある。でも面接授業をきっかけとして六科目ほど聞いてみて、学びを中心としたライフスタイルはこれまでの仕事やNPO活動が中心となった生活とはだいぶ異なるなとの印象である。というか特に会社の非常勤として動きやNPO活動が主となったここ数年のどちらかと云えば体を動かすことが中心であった生活とはだいぶ異なる。錆びついた頭がちゃんと動いてくれるのか試行錯誤の移行過程である。
 もう一つ足を引っ張られているのが治りの遅い蜂窩織炎の後遺障害?である。未だに左足首のまわりは右足より1.5cmほど大きい。お医者さんから云われたようにストレッチは続けているが、まだ速歩はできないし、それが故もあるのか心肺機能が戻っていなくて一日動いていると二三日持ち越すほど疲れてしまう。どこまで焦らずにやっていけるかが試されているのかもしれない。(5/1)


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