コーおじさんの種まきブログ

定年の随筆集「農、教育、人生ーコーおじさんの七転八倒半生記ー」のその後、スローライフ協会の五つの種まきと松阪農業公園ベルファームのできごと、また人生についての「つぶやき」を、月に数回程度を目処に書いていきたいと思っています。ご意見・感想をいただける場合にはkohara@xf6.so-net.ne.jpへお願いします。

寝食、苦難を共にした留学生たちとの関係は時を超える

 コロナが始まって日本でマスクが市場からなくなったときに中国からマスクを送ってくれた程士国さんから、「4月1日に三重大学の中国学友会約30人は三重大を表敬訪問する予定ですが、王初文さん、李梅梅さん、樊輝さん及び私はそのツアーに参加しております。もし先生のご都合が良ければ、3月31日午後、大原先生研究室のメンバーは先生との話合会を行いたいです。」とのメールが届いたのは2月28日だった。その後のやり取りで3月30日お昼に自宅に来てもらってカレーでも作るからということになった。
  程さん、王さん、ファンさんは中国でも会っているが、李さんは1991年頃の修士終了以来なので33年ぶりである。当初は彼・彼女らの身元引受人にもなったりし、ゼミ合宿ではみんなで温泉宿に泊まったりして何とか論文が書けて修了できるようにと共に闘った戦友みたいなものである。そうしたベースがあったからだろうか、あっという間にとても賑やかな関係に戻った。
経営留学生書庫二階経営留学生夕食




 

  我が家での交流   彼らからの夕食招待

 自宅に来てくれたのは研究室出の4人にそのつれあいと友達の合計6人だったが、彼、彼女らがとても仲がいいのも嬉しかった。カレーの他に自作のらっきょう漬けや梅酒も提供したが、もともと食の細かった一人がカレーを少し残したほかは全部喜んで食べてくれた。そして食べた後はうまく分担して食器も洗ってくれたので、後片付けが少なくてすみありがたかった。
 4月1日の生物資源学部での三重大学との座談会と大学食堂パセオでの交流会には中国からの留学生30名と大学側や日中交流協会の数名ずつも参加して賑やかだった。
 留学生たちは銘々が心尽くしのお土産も持ってきてくれたので、我が研究室の卒業生4名の一人一人に少しのお菓子と共通のメッセージとそれぞれへのメッセージを届けた。
留学生への手紙
留学生一人ひとりへのメッセージ(左)

経営同窓生四季折々留学生交流会で






三重大での交流会
           (程さん、李さん、王さん、ファンさん、社会人博士の山内さん)

  30日と1日の2日間、場所を4箇所移動しての濃密な交流の時間だった。まさに「友遠方より来る、また楽しからずや」である。心身が衰えている自分には疲れるくらいの楽しい時間であったが、それは単に楽しいということではなく、人としての深い交流があったからこそなのだろう。数年前に程さんにあったときに彼から、当時の先生は簡単に声をかけられないほど怖かったですよ、といわれてびっくりしたことがある。
 博士の学位を目指していた程さん、ファンさん、山内さんは3つ以上の学術論文(学会誌論文など)を出した上に博士の学位論文を書き上げねばならなかった。そして私の63歳での定年という時間の縛りがあった。一人ひとりの学習スケジュールを相談しながらの闘いであった。山内さんが留学生たちが来ることを聞いて会いに来たのは同じ苦闘を経験した者同士だからであろう。ファン君とは緊張緩和によく極楽湯にも連れて行ったが、彼はその後研究室に戻って論文を執筆し、研究室の窓から朝日をみたことがよくあったという。
 留学生を受け入れ始めた1990年代はじめ頃の李さん、王さんへの対応は戸惑いながらもまだ余裕があった。私は家庭的にはいろいろあったが、安定期で子供の弁当を作っていたくらいでまだ余裕があった。これが2000年代に入ると仕事が多面的に増え、特に定年間際の数年には博士や修士をめざす留学生が毎年数人以上いた上に、講義やゼミのほか、いくつかの社会的な役割(審議会委員やスローライフ活動等)もあった。さらに、学部の4つの付属施設の再編でフィールドサイエンスセンターを作り、その初代所長(2期4年)を務めていたので、忙しさは半端ではなかった。必要以上に留学生や研究生に厳しかったとしたら申し訳ないことだった。それでもお互いにギリギリの中で頑張れたからこそ今のようなつながりに結果しているのだと思う。4/4


放送大学の学位授与式に参加してみて

 年度末はいつもあれやこれやで時間が過ぎてしまうなあー。人生の残り時間はどんどん短くなっているはずなのに、自分の行動を振り返ってみると、あれもしなきゃこれもしなきゃであっという間に年度末も押し詰まってまさに「光陰矢の如し」である。三年前に放送大学教養学部の心理と教育コースの2年次に編入して三年が経ち、今年3月卒業ですよという連絡が本部から届いたのが3月はじめ頃だった。最初から心理学を総合的に学びたかったけれども卒業はほとんど意識していなかった。3/26
 それからまた書ききれない内にあれこれの予定が入って10日も経ち、途中まで書いた原稿がよく消えていたりで冴えない日々です。いい加減にこのへんで決着を。
24日の放送大学学位授与式に出席してみての大きな収穫は、放送大学教養学部の6つのコースを全部卒業した人が、その日出席した人の中にいて、後の交流会には同窓生の中にさらに二人もおられたことだった。80歳を超えての卒業者には梅川センター長からの特別賞が渡された(その日の最高齢は86歳、同窓会の交流会には90歳の人が参加されていた)。79歳の私などまだまだであることを実感させられた。
 
学位記授与式梅川センター長と (1)学位記
 





立派な学位記にカーネーションも




   梅川センター―長との写真

 私の現役時代にもあちこちの大学を卒業するのが趣味?のような人がいた。それはそれで立派なことだと思うが、私はもう少し欲が深いので、学んだことを何とか社会に活かしたい、少し考えていることがあるので夏までには実行に移したい。4/4

久しぶりの一日二万歩ー自然生芋こんにゃく作りの日

 2月17日、野菜ソムリエのNさんに参加してもらう都合で土曜日の開催となり、竹仲間8人が参加した。まとめきれぬ内に次々と予定の消化のような事態で早一週間が過ぎ去ろうとしている。
 当日はいろいろとすることが多かったので、地区でのラジオ体操の後、芸濃インターから高速に乗って8時10分にはベルファームに着いた。すぐに南駐車場を始め、園内諸施設のある一角の周辺のゴミ拾いをして、花生けは半分だけ済ませて、竹仲間が集ってくる時間に木漏れ日広場に戻り、生芋こんにゃく作りは11時からなので、それまでにこもれび広場でこんにゃく芋を湯がいて準備する(ほとんど笹原さんがやってくれた)とともに、いつもの私たちの食事場所になっている八角テーブルの丸太椅子の取替作業を行った。(2/25)

入り口renewalニュー八角テーブルimage0










 
  2月11日に森林公園に倒れた木の丸太があり、園長が持っていってもいいよとのことで数個は運んでいたが、少しテーブルに比して低かったので、チェンソーを持ってきてくれるUさんが来てくれることもあり、森林内に転がっている少し長めの丸太から椅子を切り出すことになったのである。大工のMさんが座る位置を大型カンナで丸めてくれていい感じになった。
 11時からは技の工房で「生芋こんにゃく作り」昨年だったかにまとめているステップとあまり変わらないのであるが、二鍋作って最初は少し竹灰汁の割合が芋の3割程度に留まってしまって少し柔らかめになった。灰汁との割合や湯で時間などでなかなか難しいところがあるが、石灰などで固めたものと比べると独特の噛みごたえがあるように思われる。今年使った芋は4、5年ものであるが、栽培から含めると随分と手間がかかっているが、まさにスローフードでその分味わいがある。
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 こんにゃく作りは13時すぎまでかかり、それから昼食のお弁当をみんなで食べて、一応解散になった。何人かが後始末などを手伝ってくれたが、みんな帰ってからも八角テーブルの丸太椅子のまわりにNさんが仕入れておいてくれた赤瓦チップを撒いてちょっと見られる感じになった。その間にも15箇所ほどの花生けをいつもどおりしていたりして動き詰めだったのでほぼ二万歩にもなったのだろう。(なんか次から次へとやることがあって半月以上もかかってしまいました3/6)

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綺麗になったこもれび広場の入り口

ヤバい!と思いながらも動き続けてしまう習性

 相変わらずまとめたり整理したりするのが苦手で、日々ブログにしてみたい内容を思い描き、ストーリーを考えてみたりすることは多いのに、いざ書くとなると抵抗感(それに時間がかかりすぎる?)が生じてバスしてしまう。
 昨日(2/11)は竹遊倶楽部の合同作業日だった。案内以外特別に呼びかけなかったが6人集まってくれた。1月に園長から環境整備などにボランティア活動支援金を頂いたこともあり、前々から考えていたこもれび広場をもう少し来園者が来やすい場所にするための花の植栽等をすることにした。Kさんが6個のプランターを持ってきてくれたので、今日参加してくれた女性陣二人と共に花植えをし、N.Tさんが買ってきておいてくれた赤瓦チップを花壇の周辺に敷くことにした。
   こもれび広場の入口付近から鬼が池側の手すり近くの植え込みの区画にはまだ落ち葉がたくさん残っていて、笹もかなり生えているのでその整備が先であった。
 8日の経営会議の始まる前にベルトサンダーを使って燻竹楊枝の少し長いセットを作っているときも腕や昔痛めた肩がかなり痛かった。特に右腕は生活の中で使わざるを得ないのでマッサージや温泉でもみほぐしていてもなかなか治りにくい状態だった。
 それでも動かせば動くのでみんなと作業している時にはどうしても無理をしてしまう。この日は午後の13:30から学士会関連の「人間の本質に迫る医学とスピリチュアル」のズーム講演会を入れていたので、昼過ぎには帰らざるを得ず、朝は高速を使って8時過ぎにベルファームに着き、ルーチンワークの園内3箇所15本の一輪挿し等を済ませ、上記の花植えの段取りだったので、いつものコーヒータイムはつくりながらもほとんど動き詰めだった。作業中も特に右腕は痛んでいたが、何とか思っているところまで進める習性のお陰で一応の格好がつく程度にはできあがった。火の始末だけNKさんにお願いして、帰りも高速道路を利用したがズーム講演会は始まっていた。
 帯津良一氏と高野覚の対談風でのやり取りは頷く点が多かった。ホーリスティク医学の大事さ、薬やエビデンスに便り過ぎの現代医学への批判、死生学の大事さ、「生きる悲しみを敬う」ことの意味など。
 何とかここまで終えたが、さすがに肩はガチガチ、腕は痛む、腰や背中もつらいので、マッサージ店なごみのTさんに40分してもらい、極楽湯でもみほぐして帰った。それでもあまりほぐれず、熟睡できずによく覚えていないが、いろんな夢を見て寝返りばかり売ってシーツがくちゃくちゃになっていたからかなり疲れていたのだろう。今朝は一瞬散歩止めておこうかなとも思ったが、ベッドでのカイロプラティックを念入りにやって普通に速歩できたのでまず一安心である。
 昔から好きなマラソンでどんなに足やお腹が痛くても全力で完走することは続けられた習性のおかげかな。2/12(2/22re)

出さなくても届く年賀状に改めて感謝!

 一昨日放送大学の後期のWeb試験が終了した。やっぱり気が楽になったので、先延ばしの仕事を進めねばならない。二、三年前から年賀も失礼するようになっているが、それでも今年も30通あまり届いた。ほとんどが一言以上書いて家族や仕事の様子を知らせてくれる人たちでありありがたい事である。ほとんどできていない終活などやることは多く、空いている講演を聞きに行ったりすぐに予定を詰めてしまうけれど、基本的には自由度が高いので会いたいと言ってくれる人にはぜひ会いたいし、ブログを見ているよと言ってくれる人もいるので、こちらも伝えたいことをもう少し要領よくまとめられるようになりたいものです。
 子どもさんが大きくなったと家族写真を送ってくれる人が何人かいますが二十歳近くの娘さんと40-50代のお母さんが写っていると兄弟姉妹かと見間違うことがよくある。私たちの子供時代の50-60代のじいさん、ばあさんは腰が曲がっている人が多かった。この半世紀あまりの間に農作業も機械化されたし、栄養は良くなり、化粧品の質も良くなったので、今や70-80代でもきれいな人が少なくない。もう一つの要因はずっと平和が続いてきたこともあろう。
 その平和で安心した社会を崩すのは戦争を含む国際的な紛争であり、致命的な自然災害である。ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルとガザの問題(今回の引き金はハマスだとしてもイスラエルのガザ空爆は目に余るものがある)、アフガニスタンもまだ復興には程遠いし、シリア、リビア、イエメンなどの内線も解決していない。その上異常気象の常態化によるさまざまな自然災害が発生している。猛暑、森林の大火災、洪水、そして地震、元日に起こった能登半島地震は時を経るごとに被害が増大し、地震の被害を増大した火災についても初期消火がうまくいっていればこんなに広がらなかったのではということも言われている。とりあえずは募金をすることくらいしか出来ないのであるが、三重県人としてはまだあまり危機感のない南海トラフ巨大地震への対応を呼び起こしてくれるものでもある。
 マグニチュード8-9クラスの地震の30年以内の発生確率は70-80%(2020.1.24時点)とされている。自宅にいる時に起こるとすると津波の心配はないとしても住宅の古い部分はもたない可能性があるし、水や多少の食料、燃料用の竹炭の数日分はあるとしても、電気や水道ガスなどのインフラが長く使えないとすれば、そして地域であるいは会社でどのような緊急対応ができるのか…、まだまだこれからの課題のようである。1/26

卒寿に記念出版本を出した方に勇気づけられて

 卒寿といえば90歳である。昨年の竹文化振興協会の総会が京都であり、1人で参加した時に、長く(40年)京都大学演習林の文部技官を務められ、その後も竹文化関係のさまざまな活躍をしてこられた渡邊政俊先生が卒寿祈念に出版された『竹とともに生きた我が人生』というご本をいただいた。いつも追われているような生活の中でペラペラとめくって凄いものを出されたなあ、との印象はあったが、竹仲間に紹介したくらいでそのままになっていた。
 今回、村落研究学会のメールで『年報 村落社会研究』60集における各分野の研究動向執筆に関する業績情報提供のお願い、という内容があった。多い時には15あまりも入っていた学会研究会もどんどん減らしてきて、今や村落研究学会と最初に入会してずっと続けている地域農業経済学会、それに先祖が関係していたらしいということで数年前の設立以来入った国際忍者学会の3つには入っているだけで学会活動らしきこともしていない。
 それで渡邊先生のご本はタイトルからすると随筆みたいで研究とはみなされないかもしれないけれど、実地に世界中を歩かれて各章に引用文献もつけられているこの本の価値を先ずは提案してみたいと思った。たまたま[林業および林業経済・経営]という分野を担当されているのが林田朋幸さんで以前に彼の学位論文の作成に関する調査でほんの少しお手伝いしたことがあり、面識があったので渡辺さんの本の奥付と目次などをメールでお送りして対象になるかどうかを尋ねてみた。そしたらすぐに読んでみたいとの返事があり、渡邊先生と竹文化振興協会の事務局に連絡を取り、一冊寄贈してもらえることになったのである。ある意味周辺部にいる私だからこそ取り次げたのではないかと、人のことながらちょっとヤッタという満足感があった。少なくとも料理をたくさん作って近所に上げたり、売れない竹細工を作ったりしているよりは自分の仕事をしたよな、という感じなのである。
 スローライフ活動の個人的な振り返りや次世代に残したいことをいろいろと考えたりするが、仕事を先延ばしばかりしている現状に諦めが先に立っていたのだが、渡邊先生の本を読み返したりして、まだ諦めちゃダメだとダメ太郎さんに叱咤する自分がいた。1/18
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今の子供たちに見る希望ー楽しいお正月から

 ベルフアームは元日のみ休みで、1月2日と3日は「楽しいお正月イベント」。お餅つきは相変わらずの人気で園長自ら手返しをして対応している。お正月遊びということでコマ回し、羽子板、けん玉を提供し、少し前までは子どもたちを呼び寄せるために〇〇選手権とかで上位者に景品を出したりしていたが、今年はスタッフの人手が足りないこともあり、遊び道具だけ広場に出していた。それでも自由に随分と遊んでいた。今は子供でもスマホを持っていてよくゲームをしているのはその通りなんだろうけれど、むしろ逆に体を動かして遊ぶことが却って面白いのかなと思ったりする。
 2日の日、木漏れ日広場に遊びに来た家族連れがいた。最初小学校高学年くらいの女の子が竹馬に挑戦して数回の試行錯誤の後見事に乗りこなした。次いでその母親と思しき人もやはり数回の試行錯誤のうち乗りこなした。まだあまり歳を意識していない自分は試みてひっくり返り後頭部を打ったりしていたのに、若い世代に脱帽である。若い人たちはブレイクダンスとかジャズダンスとか複雑な動きするバランス感覚とか体幹が優れているなと感じることが多く、大谷に限らずいろんな分野で世界と闘っていて凄いなと思う。将棋の藤井名人のようにAIをこなした上で人間的能力を高めている人も少なくない。高齢者からするとえらい時代が来たものだと思うが、若い人は新しい時代を作っていくのだろう。
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今年の方向性を暗示する一枚の紙

 12月の後半もあれこれの予定が入っていて整理しまとめてみたいことがいろいろとあったが、日々の生活優先と体調維持の散歩、食事、マッサージ等に時間を取られていたらいつのまにか年が超えていた。食事の片付けなどをしながらチラチラと紅白歌合戦も見ていたが見終わらぬうちに疲れもなお溜まっていたか22時すぎに床についた。夜中に一度トイレに行ったが…、いやパソコン作業をしながらいつのまにか打とうとしてしまい2時頃目覚めて再び眠くなるまで1-2時間作業していたのは一昨日のことだったのかな?最近、すぐに思い出せなくなるし、意識が混濁してしまう。
 いずれにしても今朝(元日)は六時半の定時目覚まし(ふつうその30分か一時間前に起きて布団の中でヨガ体操のある部分をしているが…)には気づかず、起きたのが7時47分。とりあえず外出着に着替えて最近のルーチンになっている地元の須賀神社にお参りをする。好きだった運転も結構疲れるようになっているので交通安全のお守りを取り替え、おみくじをひいた。
 第二十三番の「大吉」。昨年の暮れころから、自分は何がしたいのか、何に時間をかけるのが周りにも自分にもいいのか、を考えていていくつか気づくことがあった。おみくじの内容はある意味それを後押しするようなものであった。もちろん凶が出ても、こういうことに気をつけろということだなと勝手に解釈するのだが、弱い人間にとっては何事も客観性を失わないようにしながらも前向きに捉えていく方が都合がいいのである。
 その内容は「興奮と刺激の多い時。幅広い交際が道の扉を開く。今こそ積極的に出れば、大きく花開く像。口論議論避けて賢明。追い風を利用せよ。」である。そして、個別の項目をつまみ食いすると。◯願望 慎み叶えられる。◯失物 出てくる。◯争事 口は災い。◯学問 一心に勉強を。◯待人 来る。◯旅行 朝に難あり。◯病気 安静がなにより。さらに私にはほとんど関係ないがベルファームがそうだったらいいなということが…。◯商売 利多い。◯求人 良き人あり。
 私の子どもは「お父さんはずっと好きなことをしている!」と思っているようで、それは間違ってもいないけれど、田舎で長男で育って父親がずっと仕事で家を出ていたのでその代わりとして親戚の冠婚葬祭の出席や部落の常会などにも高校生の頃から家を代表して出ることが多かった。そんな中であれこれと気働きができるようになった。実はこれはよし悪しなのであるが、忖度の文化に馴染みすぎたとも言えるし、あまり座を乱さないで自己主張が苦手に育ってしまったとも言える。だからどうしても周りや集団の中で自分が何をするのが全体がうまくいくのかと考えすぎてストレスが溜まることもある。自分のしたいことを後回しにして集団の中での役割を優先したとしても、その意味を納得して腹が座っていれば何も迷うことや悩むことは無いはずなのである。
 12月の半ば、一人参加が可能な一日バス旅行(今年からはじめ、二回目)に参加したが、バスに乗っている時間が長いので、たくさん買っていてちゃんと読めていない河合隼雄氏の本を持っていったが、引き込まれるように読めて大きな収穫だった。そこで再確認したことは、「中心を外さずに、ただそこにいる」ことで数えきれない心の病の患者さんを治されてきた凄さとそのことの大事さである。信頼関係ができ、心のコミュニケーションができるようになってくるとその人自身の自己治癒力が活性化してくるとも言えるだろうか。学者としても一流であるが、臨床の現場を大事にし、心を病んでいる人が一人でも多く治っていくことを自分の使命とも考えておられたかにみえる河合先生の生き様は心を打ち、残り人生の力を注ぐべき事柄へのヒント、出来不出来に関わらずやりうることがあるとの啓示があった。元々農業経営の研究でも現場を大事にしてはきたし、そこから教えられることも多かったけれども、中心を外さずにただそこにいる、ということの凄みに、改めて戦慄するものがあった。
 それともう一つは昔からバスには酔いやすかったのに、歳をとって三半規管の感度が衰えたためなのか、車酔いの気持ち悪さを遥かに超える本の面白さがあったためか、久しぶりの読書三昧の時間だった。これまで車に乗り出して数十年、国内旅行といえば自家用車であったし、友達と行ってもほとんど自分が運転しているので、その間は何もできない。でもバスや列車の旅行なら道中本が読めるなというちょっとした発見だった。
 ここまで読み返してみても方向性の暗示に関する中身がかけていないのであるが、昨年の総括と今年の目標に関わる問題でもあるので、もう少し整理できた段階でまた伝えることとしたい。

ベルファーム竹林整備の現状と振り返りー竹遊倶楽部

 2023年12月17日、壊れかけた黒竹前の竹柵の整備処分など環境整備の後、今年最後の竹遊倶楽部の共同作業の締めとして昼食会兼振り返りの会を松阪市森林公園で開かせてもらった。この日は松阪マラソンの日と重なったこともあり、2名の参加予定者がマラソンの交通規制に引っかかって森林公園に辿り着けなかった。
 当倶楽部の重鎮でダントツに多く竹林整備に関わっていただいている笹原さんから今年度のこれまでの活動状況や、亀甲竹、黒竹、四方竹、仏胆竹、布袋竹、斑入り業平竹などの景竹林が育ってきていることの報告があった。今回集まれた8名からは様々な意見や今後に向けての構想などの発表があった。今年は8年前の当初からの活動仲間2名の逝去があった。平均年齢が80歳に近い年齢を考えると若い人の加入が課題ではあるが、なかなか難しく、活動領域を絞らざるを得ないことも提案された。
 来年度に向けては、現在電源が途切れて物置状態になっている竹遊工房の本来的機能、竹工作をできるような状態に復活することを最優先課題として、竹林整備については竹見本園のある竹林Aの整備を優先的にしていくことが了解された。
 私たちがそのきっかけをつくった美濃田竹林街道の整備については、以前から要請しているように地元の美濃田及び野村が主体となる体制ができることを期待したい。当街道の整備は、私たちの仲間でもある美濃田地区の中井さんの個人的な努力によるところが大きく、要請に応じて今後も可能な限りの協力はしていくことになろう。

整備竹林遠景 (1)整備後竹林B
景竹林の遠景





整備竹林入り口2023.11末整備竹林亀甲竹、黒竹整備竹林2023.11末 (1)






  竹林の入り口と整備状況(2023年11月末)


変な夢が暗示するものは何なんだろう?

 11月いっぱいまでいろいろと追われていて、11/13-18の断食の効果もあって何とか乗り切れた。12月に入ってとりあえず台所のテーブルの上と書斎が機能する程度にファイルボックスなどの整理を始め、スローライフ活動、ベルファーム、竹遊倶楽部、新聞等のスクラップ、放送大学関連、等々複数あちこちにあったりするボックスをある程度まとめられた。3日間かなり根気よく片付けていた夜、いろんなことを考えて寝入りが悪く、2時頃トイレに起きて、その後もよく眠れず、4時ころから寝ながら枕元のメモ帳に寝たままボールペンを走らせた。

 

―ファイルの中身に目を通しながらの整理なので、まるで情報のシャワーである。

0時頃床について、2時にトイレに起き、4時すぎからメモを取り出し、半分夢なのか現実なのかわからないような部分もありながら…

―どこかに留学しているのか、勉強仲間に加わって、合宿のような形でそれぞれの研究構想をつくったりしている。そして自分の発言が人のまとめに役立ったりしている…(これって この二三日の片付けに伴う意味ある情報が頭を通過あるいは再通過していったからでは…それってみんな書くとすれば自分史の材料になりうるもの)

―それがなぜ研究テーマのぎろんみたいになっているのかな→ここしばらくの放送大学の学習で、卒業要件には必修ではないのだが、心理学で卒論を書いてみようかどうしょうかと時々考えていたことに繋がっているのか?…

―受講科目の「錯覚の科学」の中でもでてきた「ヒューリスティック」(経験や先入観によって直感的にある程度正解に近い答えを得ることが出来る発見的方法という)って、手痛い間違いをすることもあるが、人間が生きていく上で有効な方法であるという。確かに私はヒューリスティックを使うことが多いように思う。

―しかしながら、問題解決のもう一つの手法である「論理的アプローチ」は苦手だなあ―、できないなぁーと、最近は何度も感じることがある。

・書斎の片付けも書斎机の配置換えを下の娘に手伝ってもらってから半年にもなろうかというのに、ほとんど進んでいない理由の1つは段取りが下手になっているからではないかという気がしている。どこにどの資料を配置したほうが仕事がよく進むのか、今後何事を優先したいのか、全体的な見取り図を的確に描くには論理的思考が不可欠なのではないか?

―すっかり忘れていたが(最近とみに物忘れが酷いが…)、1985年頃から定年(2008)までの絶えず修正しつつの中期計画が出てきた。当時まだ小学校低学年の二人の子供の子育ての見通しをベースに、どんな共同研究を何年して、社会的な活動、〇〇委員や〇〇会会長などをいつまでしてなどのように、そこにはかなり精密な人生設計のようなものが描かれていた。それに比べて今は…、と考えたくなってしまうが、今は今現状でできることをするしかないのだが、他人に合わせることも含めて、勇気を持って止めることを増やしていくことしかないのかもしれない…

―何かいろんな夢をみていた気がするのは、熟睡できていないから。寝ながら背中や腰の痛みを感じていたのは、一昨日は動き過ぎたのもあるのかもしれない。体のキレが良かったのか、朝のいつもの2.3kmの散歩が24’09”と最近にない速さだったし、日中も動きっぱなしだった。

―それでも、今後第二弾、三弾の整理は必要になろうが、ベルファーム関連、スローライフ、自分史資料、情報スクラッフ、家や施設がらみの事、家族や友達とのやり取り資料など、一次的なファイルボックスによる区分がある程度でも進んだ。

―これは面白い記事だけれどどうしょう?、というようなファイル資料は何箱もの平ファイルボックスに入れたまま。反面、これはもう捨てようと決断できる資料は残念ながらほんの少ししか出てこない。ということは、男性の平均寿命は81歳、80歳の平均余命が8年ほど、平均的にあと10年ほど生きる可能性があるとしても、死ぬまで延々と整理を続けていることにもなりかねない…。これって方略の間違いなのでは?

12月に入って3日間は結構書類整理に時間を割いたためか肩腰のみならず、両腕まで痛い。結構頭は回っているのに、他方でドーンとした疲れは感じていて、まだこのママ寝ていたい感じも持ちながら、横になりながらメモのペンはしばらく走らせた。

―メモがあるのにそれを文章に起こすのに、何で何日も、書き始めて数時間もかかってしまうのかな?4日はクレ・ド・ポー委員会でベルファーム、5日は地域のコミュニティクラブで志摩の渡鹿野島の天然温泉風待ちの湯福寿荘へ。明日の経営会議での竹遊倶楽部の活動報告が整理できないまま…情けないが一ヶ月ぶりにブログを書けただけでヨシとしよう。12/6, 22:08

子どもたちに大人気だったごむ鉄砲遊びー松阪環境フェア

 1028-29日は松阪農業公園ベルファームでの松阪環境フェアで、三重竹遊倶楽部は28日は主に竹炭つにいて、29日は竹とんぼとゴム鉄砲遊びで参加した。11/1
 28日は人出はかなりあったが、風が強い日だった。29日の日曜日はさらに賑わった。結果的に29日のゴム鉄砲がとても人気で、Nさんが準備してくれていたが、更に当日追加の鉄砲を割り箸とゴムで作って23人が遊んでくれた。小袋いっぱいの竹炭も竹とんぼもゴム鉄砲も材料は高くないので一個200円というのが利用しやすかったこともあるのか、竹炭5袋、竹とんぼ3個、ゴム鉄砲は23個売れた。木漏れ日広場の銀杏を拾って仲間のUさんが利用できる実にしてくれたものも小袋に50個入れたものが3袋、スプレーボトルに入れた350mlの竹酢液原液が一つ、普段は1000円程度で出している2L入の竹酢液原液(ネットでは数千円している)を製造者のSさんが500円でいいということで3本売れた。何とか7名の竹仲間スタッフの弁当代が出たのは幸いだった。
 この二日間ベルファームと取引のある長野のリンゴ農家山下さんを始めとしたアップル三水から3人がテント販売に駆けつけてくれたのは毎年のこととはいえありがたいことだった。山下さんとは農村ネット21の頃からのお付き合いなのでもう20年以上になる。28日の夕食で旧交を温めることができた。
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 環境フェアの様子   赤いテントのハチマキをしているのが山下さん
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 竹炭の浄化力のテスト  11/3投稿

グリーンカレーが取り持つリフレッシュ効果

 10月22日はベルファームでカレーマルシェの日。竹遊倶楽部は共同作業日で、黒竹の移植や竹林整備をすることになっていた。私はカレーマルシェに因んで、竹の仲間にタイカレーを食べてみてもらいたいと前日に準備を進めていた。といっても十人分程度の料理は久しぶり、たぶんコロナ以降は初めてなのでスマホで調べたレシピの一つを参考にしながら適当に進めていった。
 備忘録も兼ねてラインに載せた手順に従った材料メモによると、最初にみじん切りしたニンニクと生姜をオリーブ油で炒め、香りを立たせるためにタイのグリーンカレーペーストを加え、さらに鶏肉(今回ムネ肉)、筍二種(四方竹を湯がいておいたのと孟宗竹の冷凍してあったものを戻し)、長なす、ブナシメジを加えて炒めた後、ココナツパウダー、牛乳、水を加えて煮立てた。仕上げにピーマン(赤・黃・緑)とナムプラー(タイの魚醤)、三温糖、パイナップルと香り追加のMさんに頂いて育てたレモングラスを入れた。カレーペーストは初めての人には辛すぎないように半分程度に抑えたつもりだが、十分に辛さは残っていた。夕食に試食してみたらマアマアだった。
 ここまでの一つの反省は色付けに使ったつもりのカラーピーマンが一晩置くと脱色してしまっていたことである。再度熱を加える直前に入れた方がいいんだと分かった。ご飯は普段使いの5合炊きだと少ないので押し入れから長く使っていない一升炊きの大きな炊飯器に伊賀のこしひかりを水を少なめにして作った。結果的に半分近くご飯は余ったのでおにぎりにした。
 さて、仲間たちの評価は?何人かが美味しかったと言ってくれたし、残した人がいなかったので良かった。辛くて食べられない人がいることも想定して、3年もののラッキョの甘酢漬け、オリーブのピックルス、ムーヨン(shredded pork…スルメを割いたみたいだという声があったが、家に帰って確認したらやはり豚肉の加工品だった)、フリカケなどを持っていったが、最初の三品が珍しいものを食べさせてもらったと喜んでもらえた。まだ使うチャンスがあるかもと残しておいた十あまりのカレー皿も役立った。
 冗談めかしてレストランが開けるよとか言われるが、子どもたちから母親を切り離してしまった罪滅ぼしもあり、小学校から高校を出て家を離れるまで弁当は作り続け、時に学生たちを招いて食事を作ったりしたのが負担感なく料理を作れるベースとなっているのかもしれない。といっても竹細工などと同じでいい加減で我流には作れるがきちんとしたものを作るのは苦手である。それでも自分で楽しみ、ちょっとおもてなしのおすそ分けができるのはありがたい。
 だいたいいつも食事後の食器は持って帰って家で洗うが、この日は女性のTさんが来てくれていたので、カレー皿などはベルファームで洗ってもらえて助かった。高齢世代の既婚男性はあまり炊事をしたことがないだろうと思われる人が多いが、八十歳超えのKさんやいつもコメントの鋭いMさんはしばしば後始末を気遣ってくれる。何となく家庭での様子がうかがい知れるのが面白い。
 それにしても久しぶりに食事がたいへんにぎやかになり、みんなの交流も深まって楽しんでもらえたのが幸いであった。10/26

久しぶりのカイロプラクティックで気づいたこと

 昨日(10/8)、午前中何とか天気が持ったので竹遊倶楽部の8名参加による共同作業の竹林整備(伐採竹の運び出し処理など)ができた。皆んなで昼食を終わった頃に雨が降ってきて、続きの作業はできないので仲間の逵さんが出品している松阪市展の竹製品を有志で見学に行くことになった。
逵作品10月8日整備竹林入り口






整備竹林(右)と松阪市展へ出品の竹作品と作者(左の写真の左側)



 夕方、久しぶりに竹内さんのカイロプラクティックの施術を受けに行った。たまにマッサージには行っていたが、首肩・背中・腰の凝りがかなり酷くなっていたからである。ほぼ一時間の施術で凝りがほぐれ柔軟性が取り戻せるのがいつも奇跡のように思う。まさにゴッドハンドなのである。最近は比較的マメにつけている「健康・運動日誌」を見ると動きま回っていて疲れ気味だった9月一度も行っていなくて、8月20日以来であった。体が楽になるとモチベーションも上がるので、最低月イチはやってもらうようにしたほうがイイなと改めて思った。
 それに姿勢が悪くなってくる一つの原因にパソコンやスマホの小さな字を見て、つい前かがみになってしまうのでメガネの焦点距離をもう少し離した方がいいのではないか、メガネを作り替えてもらうのもアリかなと思ったのである。

バンコクでのちょっと嬉しかった経験

 9月はいろいろと予定が入っていて、疲れもあり、まとめる力もなくなりでぶつ切りの報告です。バンコク市内の移動は、昔からそうだが交通混雑が酷く、今回は一層混雑している感じだった。急ぐ場合はバイクタクシーを利用するのが一番手頃なのだが、一般的にはスカイトレイン(BTS)と地下鉄を利用しながら後は歩くのが手っ取り早い。着いた日(12日)からBTSを利用したが、運賃は初乗り17B、3駅先で25Bほどである。今回バスは利用しながったが公共交通は価格が抑えられている感じである。  
 そのこともあるのかBTSはいつもほとんど満員である。いつもの外出スタイルでつり革を握って立っていたら若者が席を代わりましょうと代わってくれた。今回席を譲られたのが2回。実は十数回のバンコク滞在でも初めてであった。まだ価格をちょっとふっかけられたりはあるけれど、銀行での手続きは外国人でもパスポートがあれば銀行カードもすぐに発行してくれるし、さすが国際都市バンコクという感じである。9/29
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 相変わらずの交通混雑(左)と以前になかったBTSへのエレベータ(右)
 もう一つ嬉しかった経験があった。それはHISの日本人駐在員Iさんである。バンコクに着いた日だったか、次の日だったか記憶が定かでないが、今回HISの名古屋支店で航空券と宿泊を手続きしてもらったので、以前に訪ねたことのあるSkhumvit支店を探して行ってみた。一般的なサービスは別のところに移っていて20-30人の机が並ぶ事務所のみになっていた。たまたま対応してくれた埼玉出身とかいう人にスマホが繋がらないのでちょっと見てもらえませんかと厚かましくも頼んでみた。
 しばらく格闘してくれた後スマホが2本と通じる状態になり、マップも反応し、時計も日本との時差2時間を反映してバンコク時間に自動的に変わった。マッサージ店のAsia Herb Associationやエムポリウムなど買い物ができる場所は紙媒体の地図で大丈夫だったが、大きな不便をしないで済んで助かった。たまたまリュックに入れていた手作りの燻竹の靴べらを差し上げただけだが嬉しい経験だった。10/4(9月はあれこれ予定が詰まっていて、今日の締切になっていた日本農業賞三重県代表の講評も何とか3日に書き上げられたので数日を経ての続きとなった)

モノによる変動幅が大きくなったバンコクの物価

 5年ぶりのバンコクで一番驚いたのは輸入果物やスニーカー等の価格高騰と比較的安定していると思われる屋台食べ物や日常薬、タイマッサージ代などである。統計的に確認したわけではなく、当日のメモをベースにはしているが思い違いもあるかもしれない。
 到着予定の15時より30分以上前にスワンナプーム国際空港に着いて、ホテルまでのタクシーを探す。公的な感じのタクシー案内所ではバンコク市内まで750B(バーツ、1バーツ=約4.1円)という。タクシーの運転手に直接交渉すると500Bだというのでそれに決める。以前に街から空港まで400Bで行ったことがあるのでまあリーゾナブルかなと。HISで探してもらったエンポリウム周辺のホテルARAWANA Express PrompongはSoi41の少し入ったところにあった。部屋はワンルームアパートのようなトイレ・シャワー、自炊可能なタイプで日本で予約先払い。以前に泊まっていた中クラスのホテルが8,000-10,000円/泊していたから少し上がっているという感じである。
 履きやすいのだがボロボロになってきたスニーカーを買い替えるつもりで、街中を探し回ったが、アシックス、ナイキ、アディダスなどになると3,000-4,000Bもして日本より高い感じ。デザインはイマイチだったが、フィット感がよかって随分と見て回った中では一番安かった1,900Bのスニーカーに履き替えた。もう一つ夏用のサンダルのお値打ちなものを探したが、一番安いので1,500Bほど。これは特に急ぐことはないので日本で買うことにする。
 びっくりした一つに日本のDAISOの進出がある。あるデパートの一角にみつけたのだが、一個60B以上という大きな表示があった。日本の2.3倍ほど。
 次に食べ物でびっくりしたのが果物の高さ。手のひらに近いような立派な桃が2個入で798B、店員さんにどこの産ですかと聞くと、中国という。日本産もあるのかと聞くと別の場所に連れて行かれ、やはり798B(一個が1,600円ほどすることになる)。梨は更に高くて一個650B、シャインマスカットかマスクメロンのようなもの。ニュージランド産のりんごが少し大きなものは一個60B,70Bしている。小さな青りんごでも45B。振り返ってみると輸入果物がびっくりするほど高い。
 タイ産のシャインマスカットは150Bくらい、皮をむいて食べやすくしたSomOu(ザボンのようなもの)が100-120B、10個程度に小分けしたシャインマスカットやSomOuが30Bで買えた。それでも以前(少なくとも5年前)と比べて2-3割から2倍に上がっている感じである。9/26 1:10

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日本とほぼ同等に高騰したバンコクの果物価格
(りんご、桃、梨)




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日本より少し安い程度のデパートの麺+コーラ(左)
とふっかけられてもまだ安いトムヤムとソムタム(右)10/4

5年ぶりのバンコク体験の経過

 私の初めての海外経験の場所であったタイのバンコクはいくつかの御縁があって、複数の海外調査や留学を含め、公的・私的に二十数回訪問している。ここしばらくはコロナその他で動けず、行きたくても行けなかった。今年の5月8日だったか、新型コロナウィルス感染症が「新型ウィルス等感染症(いわゆる2類相当)」から5類に変化し、さまざまな規制が緩和されるとともに、入出国規制もほとんどなくなってきた。
 そこでタイ農業銀行での宿題もあり、9月の12日から16日の日程で5年ぶりに一人でバンコクを訪問してきた。今回はコロナの経験やロシアのウクライナ侵攻による世界貿易の停滞や結果としてのかなりの物価の上昇がタイ国でも起こっていることを実感できた。前回との変容ぶりには度肝を抜かれたところもあり、バンコク滞在中からいろんなメモを取っていたが、なかなか文章に起こすことができずにいた。帰ってきたその日に大学の同窓会、ベルファームの竹林の草刈、会社の研修旅行、日本農業賞三重県代表の現地調査と瞬く間に5日間が過ぎ去ろうとしている。
 コロナで旅行需要も現象する中、津にあったHISの支店も閉じられてしまったので、名古屋まで行って個人用の航空券と宿泊施設を別々に頼んだ。LCC(Low Cost CaCarrier)を使ってみたい気もあり、迷ったが今回は安全性(キャリア)を優先してタイ国際航空にし、行きはTG645の昼便、帰りはTG644の深夜便とした。時差は2時間で飛行時間は5時間だが、各座席の前にあるテレビ兼情報機器は機中を楽しく過ごせるようになっていたが、私は気になりながら読めていなかったW先生にいただいた鯨岡峻「ひとがひとをわかるということー間主観性と相互主体性ー」を惹き込まれて読んでいた。帰りは3時間程度しか眠れず疲れは残った。
 こんなに大きかったかなと改めて思ったスワンナプーム国際空港に着いてからの体験(びっくりしたこと、変わっていなかったこと、感動したことなど)は次号に。9/21真夜中以前。

台風7号の被害と竹林街道竹柵の修復

 8月15日(火)本土に上陸した台風7号はあちこちに被害をもたらした。松阪農業公園ベルファームは警報発令により休園となった。風による被害は主に木々の枝の損壊で、こもれび広場のクスノキの枝はかなり折れ、ベルファーム竹林の倒竹は20数本にのぼった。
ベル竹林台風被害2ベル竹林台風被害1 (1)台風で折れた枝と倒竹






美濃田竹林街道の私たちが協力して作った竹柵が2箇所壊れたので、20日の竹遊倶楽部共同作業日はこの竹柵の修復を優先した。美濃田区の人々は竹林街道沿いの倒竹の伐採整理をされた。
竹林街道竹柵被害2竹林街道竹柵被害1






 壊れた竹林街道の竹柵
竹柵はみっしりと作り上げていたのが風をモロに受けたこともあるので、修復のときには少し風が抜けるように密度を粗く修復した。それに適度な間隔で支柱をしてもらったので、今度は少し耐久性が増しているであろう。
修復された竹柵 2 (1)修復された竹柵 2 (2)






 修復された竹柵

ベルファームの竹林の倒竹整理は20日の午後に2時間行い、続きは27日に行うことになった。
倒竹の整理は倒竹を根本からチェンソーで切り、数mの長さに切って、枝を全部払う。その後竹と枝を別々にまとめて木漏れ日広場に移動し、杭や炭焼の燃料にし、枝は主に竹柵用に使うので、結構手間がかかるのである。




今年も暑い夏、戦争を考える夏がやってきた

 人類に初めて原子爆弾落とされたのが8月6日の広島。そして3日後の長崎に2発目が。その結果、翌10日に連合国のポツダム宣言受託、15日の天皇の玉音放送及び日本軍の戦闘停止。ミズリー艦上での降伏文書署名までを日本の降伏というようである。原子爆弾の投下は戦争を終えるために必要不可欠だったと考える米国民は圧倒的に多かったが、最近では必要なかったという意見も増えてきているらしい。
 敵国であったオバマ米大統領が2016年5月27日に広島訪問をしたこと、そして現バイデン大統領も今年の5月19日に広島を訪問した。その滞在時間がオバマ大統領の約4倍の39分だったとかの記事もあるが、被爆者や原爆被害の実相をより経験してもらったことは明らかに世界政治へのプラスであろう。
 しかしながら、世界の現実はロシアのウクライナ侵攻やそこでの戦略核として核爆弾を使うのではないかとの危惧である。さらにわが日本政府がアメリカの核の傘のもとに平和が保たれているとの配慮なのか、核兵器禁止条約へのオブザーバー参加すらできていないという残念な事実もある。
 終戦から68年経った今でも残酷な戦争の現実を亡くなる前に吐露して戦争の抑止を願う人もいる。つい先日のファミリーヒストリーでは「なつぞら」のおじいさん役がハマっていた草刈正雄のルーツが明かされた。日本人離れしている顔立ちだなとは思っていたが父親は朝鮮戦争の時に日本にいた米軍人であった。草刈が聞かされていたように朝鮮戦争で亡くなったのではなく、米国に戻り10年ほど前に亡くなったのだという。その姉に当たる人(草刈の伯母にあたる)が存命で草刈の父親から密かに日本に子供がいることを知らされていたのだという。その伯母に会いに行った草刈の心境は複雑だったことが明かされているが、これもまた戦争がもたらした一つの現実への人の向き合い方であろうと思う。
 個人的に生々しい経験はない自分にとっての一つの向き合い方は少しでも多くの人に意識してもらえるようにウクライナ医療募金を集めることである。昨年の前半はベルファームの土産物屋松阪商会と飲食店のルーベルに募金箱を置かせてもらった。その結果が松阪商会7,287円、ルーベル2,155円であった。今年も1-6月で募金を継続したが、それぞれ2,597円、236円、パン屋さんのやさい畑933円を加えても3,762円と関心が薄れていることが見て取れる。しかしながら、コイン種別で検討してみると昨年は500円玉は1枚だけだったのに今年は3枚、100円玉は昨年22枚に対して今年は16枚と相対的に多かった。向き合い方に差が生まれているとも言える。なかなか募金の処理に動けなかった自分自身も残念だが、友達などから集めた寄付なども加えて、何とか国境なき医師団日本と医療ボランティアのジャパンハートに一万円ずつロシア・ウクライナ戦争が集結することを祈って送ることが出来た。8/15

ボーッと生きてんじゃねえよ…怪我の功名になる?

 連日の暑い中、日も陰りつつあった27日夕方、菜園の管理をしていた。最近しばしばあることだがちょっとふらついてよろけて、痛っと思ったら左足踵を三角鍬にしこたま踏んづけて、しばらくしたら足裏からどろっとした赤いものが流れてきた。散水用のシャワーで流して程なく止まり傷バンドでとにかく収まったのでよかった。体幹がしっかりしていないというか、少しバランスを崩した時によろけることがよく起こるようになった。
 風呂は止めて阪神・巨人戦のテレビ放映が始まったので、ほとんど釘付けになってしまって21時半ころまで見ていた。1985年の初めての日本一を成し遂げた"よっさん"こと吉田義男監督がショートを守って今牛若丸と言われた頃からの阪神ファンなので70年近い。阪神ファンにはこういう凝り性の人が多いらしい。
 試合は才木の調子が悪くて6:9で負け、広島に首位を明け渡したけれど、打線の調子が上がってきて28日の広島戦に勝って一日で首位を取り戻した。
 その日は怪我の体調不良もあったのか電気をつけたまま寝た。翌朝さすがに散歩は控えたがラジオ体操には出席した。戻って花や植木に水をやり、洗濯をして朝食を済ませ、「らんまん」と朝イチを見ているうちに疲れが出てきて朝から昼寝。目が覚めたら12時40分でびっくりしたが、ボーッとしていた頭はかなりスッキリした。
 やるべきことはそんなに出来ていないのに夜は時間の経つのも早くなかなか目標の23時前には寝られない。朝は5時すぎには目が覚めてしまうので寝不足気味である。睡眠導入剤のブロチゾラムを処方してもらっているけれど、あまり使いたくないので半錠とかにしていると熟睡できないことも多いのである。でもやっぱり私には睡眠不足は堪えるな。7/29

どうする〇〇、出来ない症候群の克服

 「どうする家康」の徳川家康はこれまで描かれたことがないキャラクターと言われ、親しまれている反面、人間としての器の面で物足りなさを感じている人もいるのではないか。偉人やスーパースター(例えば大谷翔平のような)にはあこがれの側面を期待してしまうからかもしれないが…。自分のような凡人でも現役のときやフルタイムで働いているときには結構いろんな事柄をこなせていたのである。もちろん余裕がない分知らず知らずに周りに迷惑をかけていたのかもしれないが。
 6月に予期せぬ片付け仕事が増えたとはいえ、早7月も下旬に入ったのに片付けは捗々しくは進んでいない。問題は「これどうしょう?」と捨てるものと保存しておくものの選択がなかなかできないのである。判断力・決断力が鈍っているというか、なかなか一つ一つの書類の判断ができないのである。今に始まったことではないが、会社が非常勤勤務になって基本的には時間的に余裕ができ、先延ばししても自分が困るだけで他人には直接的には迷惑をかけないで済むことが逆にこの状態を招いているとも言える。フルタイムでいろいろやっているときはそれぞれの作業の期限も有り、否応なく決めていたのかもしれない。
 決められない、片付かない、先延ばし…、7月15日からは放送大学の前期Web試験が始まった。16日は竹林の草刈り、17日は下の娘の相談、18日と20日はベルファームの会議、19日には朝の6時から会社の有志での和歌山の桃などの生産地の視察といろいろと重なって試験勉強も後回し。6科目と少なくしたのに普段の授業もあまり聞けていなくて付け焼き刃の勉強で何とか4科目(「より良い思考の技法」「神経生理心理学」「学習言語心理学」「認知症と生きる」)は終えた。
 試験は25日の17時までと期限があり、その日は定期検査もあるのでギリギリまでもがくことになりそう。残る「日常生活のデジタルメディア」も「コンピュータの動作と管理」も前の4科目と同様なかなか頭に入らない。記憶力も理解力も相当落ちているのに好奇心だけは維持できているのでようやく続いている感じである。
 ただ今回はいろいろと気づいたり反省することがあった。多少は今後の人生に役立てたいとの思いはあったが、自分に残された時間がどんどん少なくなる中で、何に時間を使うべきなのかはもう一度吟味しなければと改めて思い、私にしか出来ないことで次の世代に伝えておきたい仕事を精査し集中すべきことをテストが終われば改めて考えなければと思っている。7/23

レポートの枠組みがとってもユニークな先生

 今期最後の放送大学の面接授業(20230708-09, 三重学習センター)が心地よい疲れの中で終了した。丸山広人先生の「セラピストとして考えること」のレポート用紙が最初に配られ、1時限ごとに「気づいたことや新しい発見となったキーワードを1-3個書き、その中の一つを選んで、理由も簡単に書いてください」と1時限に対して2行が用意されていた。まとまらない割に文章が長くなってしまう癖のある自分にはこの枠組みがとっても新鮮に映り、質問どおりに答えられてもいないが以下のように提出した。

 

(1)     人が成長するということ
〈学びほぐし〉〈健康な退行〉〈両行モデル〉
理由ー共通しているのは心の柔軟性、一生懸命生きていると必要な時に適切なことが起る

(2)     心理療法、ちょっとその前に
〈聴くと訊く〉〈言葉のやり取り〉〈話しやすい工夫〉
理由ーいかにして来談者がモヤモヤしていたり、自覚していなかったことから自分自身を発見できるか

(3)     聴くということ、訊くということ
〈筋を読む〉〈何を肯定する〉〈話を深めないモード〉
理由ー受容的なやり取りの中から何が来談者の成長に繋がると見抜くのか

(4)     子どもたちの生きている現実から心を考える
〈スマホ〉〈体感の希薄化〉〈アクチュアル遊びの喪失〉
理由ー社会的動物としての生物感覚とリアルなコミュニケーション喪失の危機

(5)     頭を使って考える・こころを使って考える
〈心の現実化〉〈認識反射〉〈不一致状態〉
理由ー生きている全体を受け止めている心は葛藤や不一致の程度によって表に出てくる

(6)     こころを使って考えるということ
〈心を使って感じ考える〉〈素直に伝える〉〈抱える〉
理由ー頭と心を使って感じ考え、問題を温め
向き合いながら、気づいたことを素直に伝える

(7)     特別な教育的ニーズを
〈発達障害〉〈興味の極限性〉〈認知の違い〉
理由ー人間の多様性の理解を深める上でパラリンピックにみられるように障害のある人の役割は大きいかも

(8)     まとめ

上記は人に伝える言葉としては不十分で学んだ者が振り返りのヒントになる程度かもしれない。ただ、カウンセリングとは、この人らしさを発揮して生きていける道を探すお手伝い、この人らしさを妨げているもの(自己イメージ、考え方の癖、信念)の学びほぐし(unlearning)のお手伝いをすることだということは、人との関わりのあり方としても大事な視点だと思われる。7/9

ブログを始めて5000日目の反省

 えっ、そんなに経っているの、が実感。ベルファームに来て2年目の2009年10月29日にスローライフ活動と多少ともベルファームの魅力を発信したくて始めたらしい。それからそれから13年半あまりに投稿数はこれでわずか540である。最初は週に二三回書いていたこともあるが最近年では今回のように一ヶ月も空くことも出てきた。書きたい内容はなくならないのに、まとめるのに時間がかかるようになって情けない実態である。比較的最近は時々見ているよ、と伝えてくれる人に出会い、なかなか書けないと申し訳ないなという気持ちにはなる。一ヶ月も空くと何回か見に来ても外れが続くことにもなりかねないからである。
 ブログの利用情報を見てみると総訪問者数は36,173人だが、継続的に書いていないことも有り、最近では毎日0-6人程度である。それでも見に来てくれる人がいるのは書き続けようというモチベーションにつながる。それでも実態は書く(まとめる)ことから逃げていることがあり、申し訳ないと思う。時々何人かの人が一回に十数PV(頁)あるいは数十PV見てもらっていることがある。私の文章は短くまとめられていることはほとんどないので、複数頁読んでいただくことはかなりの労力だと想像される。6月19日などスマホ(モバイル)の人が二人で218PV見られている。相当な時間を費やしていただいたのではないかと思われるのである。
 あまり自信がないので言い切れないが、もう少し文章を短くして頻度の回復をしたいものです。7/8

尾を引く6月の予期せぬ出来事―片付け作業の追加ばかり

 途中まで書いた原稿が消えてしまっていてやり直しの元気がなかなか出なかったり、取り掛かれる余裕が出てきたと思ったら、竹林整備や電動草刈りなどの作業で腕や肩の腱鞘炎気味の状態や何とか寝込まなくて済んではいるが、片付け作業をすれば状態がさらに悪化しそうでブレーキがかかったりで思うに進まない状態が続き、はや7月に入ってしまった。
 予期せぬ出来事の一つは旧スローライフ協会事務室の明け渡しのための書類処分が意外と時間がかかってしまい、持ち帰った書類が家のあちこちの空間に片付けを待つ状態で溜まってしまっていること。もう一つは名古屋の家修理会社A社の巧妙なセールスマンS氏の話に乗ってしまって、お金の問題もさりながら、実作業は半日2回だったのに足場のために2週間も軒下のものが雨ざらしで捨てざるを得ないものが多くなり、まだその作業も進んでいないことである。
 スローライフ協会の後処理は気になりながらもずっと先延ばしになってきている。昨年の3月に解散の法的手続きを始め、2004年から18年間の活動の総括をするということで、広報担当理事だったMさんの手も煩わせながらなお進行中。当初3年間はモクモクの運営していたレストラン「時のぶどう」の一角に事務所があったが、2007年にNPO法人三重スローライフ協会も参加した(株)松阪協働ファームが発足してからは事務所もベルファームの施設内に移り、今日に至っているので18年間の様々な資料が出てきた。将来、時間ができたときにより詳しく総括してみたいとの欲が捨てきれないので、総会資料や活動資料は取り敢えず残しておくかとのスタンスになってしまう。
 部屋自体の片付けは、一時元理事に助けも求めたが、皆んな忙しくしているので、結局は九分九厘自分ひとりの仕事となった。ベルファームから最終期日を6月23日と定めてもらったので、56月に十回あまり段ボール箱で書類を自宅に持ち帰った。とは言いながら、今できるだけ減らさないと死ぬまで放っておくということになりかねないので、少しでも減らそうと合間合間に作業しているが、点検できていない書類がまだ十箱ほど残っている。
 A社の話はなるほどこれだと落ちる人は多いよな、と感心したこともあるので簡単ないきさつをメモっておきたい。5月末のある日だったかA社のS氏が突然訪ねてきて、屋根の樋が1月の大雪(珍しく積もったので調べたら十センチあまりあった)で曲がっていますね。保険かけていたら保険金額の範囲内で直せますよ、という。言われてみてもそんなにはっきり分かるほどではなく、特に困ったこともなかったし、あと何年か生きたとしてもその後はどの子供も帰ってくる予定はなく、乗り気はなかった。しかしS氏は人は悪くない感じでこちらも忙しいのにと思いながらもつい相手をしてしまった。書庫の二階にハトが巣を作り樋にハトの糞が溜まって草が生えてしまっていること、もうだいぶ古くなっている二代目の太陽熱温水器が少し傾いて取り付けの針金が緩んでいるのではと思われることなど、足場が無いと作業が難しいことなどがあり、結局保険金額の範囲でということで話が進んでいった。
 共済への申請は業者がやってくれたのだが、共済からは実見に来ることもなく、20万円程度かなと思っていた2倍ほどの保険金がおりてきた。その額の範囲内ということで改めて見積書が作られ6月8日契約することとなった。翌日周りのベランダの波板を外して足場が建てられ、2週間は軒先のものが雨ざらしとなった。よく雨が降ったので捨てざるを得ない物間が増えたのが大きな誤算だった。足場は最初から2週間して撤去するとは言われていたが、この間樋の修正や掃除はわずか半日の仕事。
 そして作られた請求書には消費税が外税で付加されていた。きちんと確かめなかった自分がアホウ。その時に屋根の瓦が一部ズレているからこれは絶対直しておいたほうが良いという。さらにハト対策として針金線を張ってみてはとの提案があり、簡単な作業と思って見積もりを作ってもらったら足場がすでにあるのにびっくりするような値段、交渉をして多少値引きしてもらったが、進みかけた事業なのでなかなか途中でやめられないのが実情。
 すべての作業は23日に終わったが、ハト対策は何の効果もなし。軒先の雨に濡れたものに関してはお客様のことを考えれば、少しシートを被せておくとかの方法もあったのではと初めて会社にも苦言を呈したが、後の祭り。S氏にはやり取り時にはコーヒーを出したり(もちろん作業の職人さんにはお茶とお菓子程度は出したが)、個人的にはいい感じの人なので燻竹の靴ベラを上げたりもしていたが、雨ざらしのものの廃棄手間の苦情をいうと2時間ほど手伝いに来てくれたのがせめてもの救いか。
 S氏は団地内を同じ仕事広めをしているが、私のラジオ体操の仲間は私の話を聞いて二人ほど思いとどまったらしい。仲間に噂になっていたらしく結果として一つの役割を果たしたのかな?ただ軒先の片付けは、もう少し使い勝手がよくモノを減らす方向で考えたいので未だすすんでいない。7/3-7/8

補足…振り返ってみたいキーワード、キーセンテンスーその6

もう一度振り返ってみたいキーワード・キーセンテンス

・食と農が持続的であるためにはー「食と農の基本に戻ること」、「自然の恵みを最大限活用する知恵」…旬産旬消、「自分でできることは自分でしてみよう」という「自賄の思想」。

・メニューから素材ありきの食生活への方向づけ…伝統食などの復活、伝統食にみられる生活の知恵。

・ここ四半世紀以来の全国的な直売所の普及とその変容…地産地消プラス生産地連携

・高度経済成長と金がすべてを決めるかのような新自由主義的スタイルの相対化は可能なのか?(文献1,2)

・現代農業(化学肥料・農薬に依存した近代農業から、若い人も含めた農のさまざまな試みへ

自然の恵みを最大限活用する観点からの、代替農業といわれていた有機農業、自然農法、環境保全型農業の可能性。自然に寄り添う方向性の農のあり方や生き方。

自然回帰の方向性…自給自立・半農半X(文献3)、地域と一体的な、自立自給的な方向への運動へ。

・国民が基本的に「農業などに一年間(あるいはたとえ一ヶ月でも)従事する社会奉仕年」の導入

・農業の人材育成…「体験型食農教育を小中学校の基本カリキュラムに取り入れる」・

互酬性(お互いさま)がもっと豊かに働く協同組合社会の構想。

・なぜエコよりロハスなの?(文献3)

 

さらに深めるための参考文献の一部

1)  池上甲一・岩崎正弥・原山浩介・藤原辰史『食の共同体―動員から連帯へ―』ナカニシヤ出版、2008

2)  阪本慶一他『21世紀を拓く食文化の創造―医・食・農からみた画期的日本デザイン論―』南山出版、1980

3)  塩見直紀『半農・半Xという生き方実戦編』ソニー・マガジンズ、2006 (原著2003)

4)  島村菜津『スローフードな人生…イタリアの食卓から始まる』新潮社、2000.7

5)  下山晴彦・神村栄一『認知行動療法』放送大学教育振興会、2020.3

6)  高橋秀明『学習・言語心理学』放送大学教育振興会、2021.3

7)  原田律『食の原理・農の原理』農文協、1997

8)  ピーター・D・ピーダーゼン『LOHASに暮らす』ビジネス社、2006

9)  森津太子・星薫『危機の心理学』放送大学教育振興会、2017

10) 柳田邦男『壊れる日本人―ケイタイ・ネット依存症への告別―』新潮社、2005(2007文庫本)

11) Carl Honore In Praise of SLOW Orion book, 2004

12) 『自給ルネッサンスー縄文・江戸・21世紀ー』現代農業1999.5増刊

13) 山極寿一「科学季評―コロナ後の世界に向けて、社会的な絆失わぬ体制を―」朝日新聞2020.05.14

14) 山極寿一「科学季評―コロナ後のコミュニケーションの形、分身技術で活動を広げよ―」朝日新聞2020.08.06

協同の役割と行動変容の可能性ーその5

5. 協同の役割と行動変容の可能性


 食と農は人間が生きていくための根源的な行為の局面を指している。では「地域コミュニティのために」はどのように理解することができるのだろうか。1つは個人・家族・地域という主体の階層の側面である。20世紀の後半から21世紀初めにかけての時代は、家族や地域の機能が縮小し(縮小させられ)、個が全面に出て、自己責任がより問われ、人と人の繋がりが著しく弱化した。これにさらに追い打ちをかけたのが世界的なコロナ禍による行動自粛であった。

 

日本経済新聞(2023/03/13)によると新型コロナウイルスの累計感染者は世界で67657万人、死者は688万人に達しているという(https://vdata.nikkei.com › coronavirus-world-map)WHOの発表では実際にはこの3倍であるとしている(2022/12/21)。まさに大きな人類の危機である。実際現代人はさまざまな危険の中で生きているが、いちいちピリピリしていられないので、「ある範囲までの異常は、正常の範囲内のものとして処理するような心のメカニズム(文献9)が働いているという。いわゆる「正常性バイアス」である。変化や危機を感じにくくさせる心の作用は「チェンジブラインドネス(変化盲)」とも言われるが、これもまた行動変容を起こすにはマイナスに作用する。

 

だが、物事の持続性や生き残りのためにはまっとうな危機の意識を持つことが危機を乗り越える知恵を生み出すのではないか。日本の人口が減少局面に入り、高齢者の増大・働く人不足が顕著になってくる中で、最近「クレド」作りに取り組む企業が増えてきているように思われる。それは単に信条というのでなく、企業理念や目的を経営者や従業員の日常的な行動規範にまで落とし込み、ボトムアップの姿勢でチーム力をあげ、危機の時代に対処する取り組みとも言いうる動きである。お客様大事でリピーターの増加につながるのみならず五方良し経営を目指すものでもある。

 

基本的に私たちは自然と人の循環の中で生きている。社会分化が進んだ社会では、食を巡る生産と消費の循環が形成され、そこにはそれぞれを担う人の交流が見られる。近代社会のある種無機的な循環、モノとカネの循環と考えるのか、その背後にいる人を想定して支え合う関係と捉えるのかで様相は異なってくる。

 

協同組合はその組織が大きくなりすぎて人の支え合う関係組織でもあることが見えづらくなっていることは事実であろう。しかし、それはもともと助け合いの組織であった。小さなより集まりの単位での互助精神の復活大きくなった組織としての社会への発信力の大きさを共に追求する柔軟な対応力(レジリエンス)が求められている時代ではないだろうか?

 

しかしながら現代人は過剰な情報化の中でその真贋を見極めることがますます困難になっているのではないか。「断捨離」という言葉が頻繁に聞かれる世の中になっているが、それはモノの溢れた社会になって、そこでのモノは単なるものではなく何らかの思いや経験がくっついているので、とりわけ戦中戦後のモノのない貧しさを経験している世代ではなかなか断捨離ができないことがあろう。その上に現代社会の過剰な情報である。モノとコト、ともに過剰になっている中でほんとに必要な物や事をどのように見分けるのか

 

先に見たようにこの世の中は以前にもまして格差が拡大し、分断が進んでいる。ストレス源が世の中に充満しているので一触触発の危険性はあり得るとしても、いかにそうした緊張を緩和し、生身の人間がつながっていけるのか。そして意識的に地域に多様なコミュニティを作り出していくには何が大事になってくるのか

 

行動変容に必要なことは…

私たちは慣れ親しんだ考えや行動をそれらを変えることが良いと知っていてもなかなか変えることは出来ない。その慣性の力は侮り難い。高橋は「学習learning」とは「行動変容behavior modification」と定義されることが一般的である、と述べている(文献6) p14)が、これは人の発達過程上のことではないか。でも確かに一旦習得した行動様式や習慣化した行いを変えようとするのも「学習」からというのも一理ある。時代(環境)がより厳しくなれば必然的に変わる可能性は高いが、認知行動療法からの学びも得て、先ずは自分自身を変え続けていくこと、その難しさにチャレンジし続けられること、あるいは仲間の経験から学び行動していくことも大事なのかもしれない。


世の中全IT化の落とし穴―その4

4.  危険な流れへの抵抗力…世の中全IT化の落とし穴…

ファーストフードの典型としてのマクドナルドの世界制覇に棹さすべくスローフード・スローライフの運動は何とか命脈を保っているが、世界の大きな流れはファーストライフの大きな流れが一層進み、つながりを作る動きに増して格差が拡大し、分断を煽る動きは世界中に充満してきている。

中でも気になるのはスマホに典型的にみられるIT化の影響とこれが未来の人類にもたらすものへの危惧である。今や人々のあらゆる情報が巨大IT企業の傘下にあるといっても過言ではない。世の流れについていこうとすると自分のさまざまな情報が伝わること(漏洩にもなりうる)を「許可」せざるを得ない仕組みが出来上がりつつある。人々はますます忙しくなり、ストレスが溜まり自分でしっかりと考える機会が失われていく。

人間の生と死について深い洞察をされてこられた柳田邦男氏は2005年の作品『壊れる日本人―ケイタイ・ネット依存症への告別』(2007年新潮文庫化, 文献10))で早くから電子メディアの使用に慎重になることを指摘されている。「人間は二十世紀において様々なものを獲得した。…しかし二十世紀は同時に、そうした発展と裏腹に負の遺産というべき様々な人間の悲劇をもたらした。つまり「失ったもの」は、核兵器を頂点とする数々の新型兵器の開発による大量殺戮戦争の続発、各種イデオロギー国家の出現による反体制の人々の強制収容と圧殺、資源の乱開発と大量消費の進展による産業公害と地球環境破壊、無防備な過密都市化による災害・事故の犠牲者の増大、科学者・技術者・医学者の傲慢による数々の人体実験など、惨憺たる状況だ」と。

ただ、二十世紀型のこれら「負の遺産」の共通項は「…半人道的な行為と人間や環境の被害との間には、明確な因果関係があり、その実態を目に見える現象や数値でとらえるということができるということだ。…ところが二十一世紀型の負の遺産となるに違いないIT革命あるいは情報化社会の影の部分は、目に見えにくいという特質をもっている」と警鐘を鳴らし、1999年にアメリカ小児学会が2歳未満の子どもにはテレビを見せるなと提言したことを紹介している。特に暴力シーンや性的なシーンが幼児の心に歪みを作るとの研究が進んだことやTVづけになることによって生身の親との接触を奪ってしまう両面からのマイナスを指摘している。

さらに「だが、しかしと考える視点」の重要性や、脳の感覚を壊すナビ、という視点からちょっとだけ非効率でもいいのではないか、とか白黒はっきりさせる科学主義や効率主義の弊害を指摘し、日本にある「あいまい文化」を見直してもいいのではと指摘している。この本に一文を寄せている臨床心理士の河合隼雄先生は、これは「警世の書」であると推薦し、柳田はテレビやケイタイを否定しているのではない、それに溺れる恐ろしさを指摘しているのであると、柳田が提唱しているノーケイタイ・ノーテレビデーが一時でもそこから離れて生身の関係を紡ぐことの意義を指摘している。

スマホ全盛時代の現代は、残念ながらその便利さ故に、同時にその悪影響から逃れることの困難性がむしろ増しているのではないか。スマホを見ていたことによる事故は増加しているし、何が真実かを考えるゆとりもなく、フェィクニュースに踊らされる現象はあちこちに見られるようになっている。人類はこの危機を如何にして乗り越えることができるのだろうか。巨大なIT産業にどう立ち向かえるのか、ひょっとしたらおどらされているかもしれないという自覚をもつには生身の人間としての開かれた交流が不可欠であることは確かであろう。

スローライフ・スローフードの流れから学ぶーその3

 

3.  スローライフ・スローフードの流れを補強するには

「スローフード」という言葉が日本で一般に広まったのは、島村菜津さん(ノンフィクション作家)2000年の7月に『スローフードな人生!』(文献4))として新潮社から出版して以来だと思われる。それまで十年ほどイタリアと日本を行き来していた彼女は、1986年の夏イタリアのとある田舎町(ブラ)で始まったスローフード運動を4年にわたって取材し、日本に紹介したのである。

NPO法人三重スローライフ協会は2003年の3月 「三重まるみえ地産地食交流会」主催で日本のスローフードの第一人者、島村菜津氏を講師に迎えた講演会をきっかけとして4月以降、毎月1回以上の設立準備会議を開き、2004111日に設立している(2022年3月に解散)。この頃は現在も続いているNPO法人スローライフジャパン(200310月設立)NPO法人スローライフ掛川(2004年7月設立)が立ち上がっている。

3000人以上の会員を擁し、広い影響力をもっているNPO法人スローライフジャパンの設立の趣旨の一部は以下の通りである(HP)

21世紀、「スローライフ」というキーワードが、世界を動かす流れとなってきました。がむしゃらに突き進むことだけを良しとする世界から、立ち止まって考えることも是とする世の中への変化です。「ゆっくり、ゆったり、ゆたかに――」。マイナスイメージをプラスに切り替える。結果だけでなく過程を楽しむ地域の自然・歴史・伝統・文化を大切にして暮らす感性を磨き、みずみずしい人間関係を取り戻す。こうした価値観の変化は、新しい暮らし方をつくりあげるでしょう。

イタリアの片田舎から始まったスローフード運動は「スローフード宣言」の中で「我々の世紀は、工業文明の下に発達し、…我々みんなが、スピードに束縛され、そして、我々の慣習を狂わせ、…ファーストフードを属することを強いるファーストライフという共通のウィルスに感染している」とし、「我々の反撃は、スローフードな食卓から始めるべきであり、…郷土料理の風味と豊かさを再発見し、かつファーストフードの没個性化を無効にしよう、…スローフードは、シンボルであるカタツムリのように、この遅々たる歩みを、国際運動へと推し進めるために、多くの支持者たちを広く募るものであります」と結んでいる。

そしてスローフード協会(1989年設立)は、2000年にはイタリア国内ばかりでなく、世界中に約6万人(現在8万人…HP)の会員を持つ一大組織に成長していた。

今、私たちはどのように食と農を考え、行動すべきなのか(続)ーその1

 年間で一番忙しい月の1つでもある5月、5月14日の三重竹遊倶楽部の総会での会計報告などの準備に時間を取られた。次いで翌週末5月20日の地域と協同の研究センターの総会兼シンポジウム「持続可能な食・農・地域コミュニティのために」のコーディネーター兼提案者ということでギリギリの19日までもがいて原稿を書き上げた。その日のフォーラムは複数の人から面白かった、良かったとの声や意図するところがよくわかったとかの声をいただいたので、メモとして残しておきたい。(6/8)

 

持続可能な、食・農・地域コミュニティのために

1.  はじめにーさらに一歩前進するために

事務局から与えられた上記のテーマを「今、私たちはどのように食と農を考え、行動すべきなのか()」と読み替えて進めます。食と農の世話人会の中でここ何年か、提案させてもらい、議論してきたことを振り返り、堤さんの有益なコメントなども参考にさせてもらいながらまとめさせてもらったのが「地域と協同の研究センターNEWS220号の記事であり、第23回通常総会議案書〈第2分冊〉「研究フォーラム食と農」のまとめ(6)です。

そこでの全体提起、1. 耕作放棄地を回復させるのには自然農法を取り込んでもいいのでは、2. 新自由主義的なあり方ではないオールタナティブなあり方の追求、3. 地域と一体的な自立自給的な方向への運動4. メニューありきで無い・材料ありきの食育5. 人生のあり方トータルの中でのエコやエネルギーの節約を考えていく、の5項目を少し視点を変えて論じてみたい。そして部分的にではあれ、どのようにこれまでのあり方を相対化し、目指すべき未来に繋げ、行動できるのかを模索してみたい。

2. 生物としての人間のあり方を問い直すーその2」

 

2.  生物としての人間のあり方を問い直す

20世紀特にその後半から21世紀の初めにかけて進んできた経済社会の負の側面(遺産)を克服する道筋を探るにあたって心に留めておきたい視点をとりあえず2つ確認しておきたい。1つは生物としての人間という視点であり、もう1つは事項で触れるスローライフ・スローフード運動の視点である。

ここでは生命誌研究館名誉館長の中村桂子氏と、ゴリラの研究者で元京大総長をされた山極寿一氏を取り上げたい。中村さんは東京大学大学院の理学部生物化学を修了し、三菱化成生命科学研究所、早稲田大学人間科学部や大阪大学連携大学院教授などを歴任。1993-20023月までJT生命誌研究館副館長。20024-20203月までJT生命誌研究館館長を務められ、一世を風靡した生命科学から生命誌という生き物の繋がりという視点から人間や地球を振り返る研究や活動を早くからされてきた。生命誌研究館では次のような説明がされている。

今、地球上に生きている生きものは、すべて38億年前に生まれた最初の生命体を祖先とする仲間です。研究館では、チョウやクモ、カエルやコバチなど小さな生きものを見つめて、それぞれの生きものが、どのように生まれてくるのか(個体発生)、生きものは、どのようにして、いろいろな生き方をするようになったのか(進化)、さらに、生きもの同士がお互いに関わり合って生きるしくみはどうなっているのか(生態系)を探っています。

サルや類人猿の社会を研究してこられた山極寿一さんは、コロナ禍で三密(密閉・密集・密接)が強調され、人と生身で触れ合えないことが続いているが、コロナ後に向けて「社会的な絆、失わぬ体制を」と警鐘を鳴らされている(文献13)。さらに、「コミュニケーションの本質も実際に会って言葉を交わす対面にある」とし、「人間の社会の特徴は常に開かれていることである。サルやゴリラはいったん集団を出たら、他の集団に入ることも元の集団に戻ることも難しい。人間が日々複数の集団を遍歴できるのは、見知らぬ他者を気持ちよく受け入れ、新参者が新しい環境に即座に適応できる能力のおかげである。それは、会食や共同作業などのだんらんをとおして実践されないと維持できない(文献14))と。新型コロナの感染法上の位置づけがこの5月8日から「5類感染症」に変更された今だからこそ改めて心に留めて置きたい事柄である。

 

舌と喉のケア―コロナで衰えた機能を取り戻す

 コロナで人とあまり話さなくなって、ひとり暮らしなので一日誰ともはなさないことが結構増えた。食事をしていて、舌をかんでしまうとか、呂律が回らないこともしばしば経験しているし、咳き込む事が多いなど口、舌、喉まわりの筋力低下は歴然としている。

 ちょうど5/9の「あさイチ」で舌や喉を鍛えるテーマを放送していた。とっても声のきれいな日髙のり子さんの高音域が出やすいための日々の訓練なども紹介されて興味深かった。

 いろいろと紹介されていたが聞いた後すぐに忘れていく。水の中にストローを入れて息を吐き出していくとか、つばを飲み込む練習とか、様々な声の出し方とか、いわゆる誤嚥性肺炎を防ぐためにも、健康寿命を保つためにももう少し使わないと器官に申し訳ない。

 ずっと気になっているので県立図書館から借りている『長生きしたければのどを鍛えなさい』(大谷義夫、SB新書)のポイントを少しメモしておこう。

・「ごっくんテスト」…30秒間に何回つばを飲み込めるか(70代の平均は7)

・のどが腫れるのも痛むのも、のどが病原菌をストップしている証

・食事をしているときに一回でもむせたら誤嚥の始まり

・喉を強くする3原則(①唾液の量を増やしてのどをうるおす、②喉の筋肉を鍛えて飲み込む力を高める、③セキ反射…呼吸筋と肺の力…がスムーズに起こるようにする)

・花粉症に効く玉ねぎハニー…玉ねぎにはケルセチンという抗アレルギー物質が含まれている

・花粉症に効くじゃばら(多く含まれているフラボノイド成分のナリルチンは、アレルギー症状を悪化させるヒスタミンの放出を抑制する働きあり)

緑茶はインフルエンザの予防効果も有り

ビタミンDは、風邪や気管支炎、肺炎、インフルエンザのなどの呼吸器感染症の予防に役立つ

風邪にかかっても初期なら、軽い運動でいくつかの免疫細胞が活性化して、ウィルスなどの活動を抑制できる可能性あり

女性ホルモン(エストロゲン)は、インフルエンザをはじめ様々な感染症に対して抑制効果あり

・季節の変わり目は寒暖差による咳に要注意

・咳が止まらないときは蜂蜜コーヒー(コーヒーのカフェインは気管支拡張作用や抗炎症作用あり、蜂蜜も抗炎症作用や抗酸化作用がある)

・ストレスで咳が続く時やパニックで過呼吸のときは「キス呼吸(口をすぼめて長くゆっくり息を吐く)」でリラックス

・唾液が出づらい人は、水をこまめに飲んだり、ガムをかんだり、飴や酸味のあるものをなめる

唾液腺(耳下腺、顎下腺、舌下腺)を刺激してのどをうるおす

・誤嚥予防には粘り気の強いヨーグルトがお勧め、特に食前がベター

・飲み込む力を強めるアゴ持ち上げイィー体操

舌出し&ごっくん体操

・人付き合いが苦手な人は声をだす機会を増やす(カラオケ、声出し読書…感情込めて、抑揚つけて)

セキ反射を高める胸式呼吸と腹式呼吸

葉酸をとってセキ反射を回復(葉酸はブロッコリー、レバーなどに多い)


先延ばししている宿題のツケー4月は何に時間を取られていた?

 4月から放送大学の新学期が始まって、受講する科目は減らして5つ。その1つが今日の「認知症と生きる」。施設に入っている姉の認知症が進んだのと自分の物忘れがひどくなってきたとの自覚が受講の理由。ブログの前の投稿からほぼ一ヶ月4月は何をしていたのかな?、すぐには思い出せない。日々メモを見直していると、筍掘りや筍の水煮作りにかなり時間を取られている。
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 筍の水煮を作ったラベルをみると、4/7, 4/10, 4/17, 4/22, 4/29と5回作っている。竹仲間、ベルファームの事務室のメンバー、森林公園の筍ご飯の試作用、豊ヶ丘のラジオ体操仲間など随分とたくさんもらってもらった。変わったところでは心筋梗塞後の3ヶ月検診のS先生が好きとのことで差し上げた。竹仲間には筍のバター醤油炒めや土佐煮も持っていったが、和牛のロース肉との炒め物が味が染み込んで一番人気かな。

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筍の水煮とごみの水分量を減らすための竹の皮干し




 雨もよく降って庭の草が繁茂して、草引きや草刈り、そして夏野菜の植え付けにもヤマギシの苗を買ってきて少しずつ3回ほど植え付けた。ミニトマト、ナス、シシトウ、キューリ、パセリ、セロリなど。植木の刈り込みも少しした。下の娘が寄ってくれた時に、面白がって手伝ってくれたので隣の家に被っていた木の枝切ができたのは良かった。


 竹遊倶楽部の活動は筍掘りの他に、5月5日子供の日イベント「竹林街道ウォーキング」に向けて、5月1日には美濃田区の人々と竹遊倶楽部の仲間で一斉整備作業を行った(笹原氏を始め有志はさらに何日か作業をしてくれている)。晴れるかどうかが気になっていた当日は曇り時々晴れといった天候だったが大人29人子ども6人の合計35名が参加してくれて、私たち竹遊倶楽部のスタッフも10名が参加した。
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竹林街道ウォーキングの様子

 頭をつかうことから逃げていた感じはあるけれど、下旬は4/22-23に集中授業があった山口昌澄先生の「心理学実験1」 のレポート3課題(ミューラー・リヤ―の錯視、概念学習、対人魅力ー態度の類似性と相補性ー)の作成に随分と時間を使っていた。
 5月は年度区切りの総会などが多く、いよいよ先延ばしが出来ない宿題の大雑把な計画を立ててみた。NPO法人の精算処理に随分と時間がかかっているというか、放ったらかしに近い状態になっているが、活動報告書の編集担当者との相談で延ばしていた活動総括を今週半ばに、そして週の後半は4/14の竹遊倶楽部総会での報告に会計関係の整理が待ったなし。5/17が地域と協同の研究センター総会後の食と農チームからの提言の締切日。さらに5/30が中間テストのような放送大学前期の通信指導の締切日。さて、全部クリヤーできるのかな?

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植物の生命力に何を感じる?

 枯れたのかなと思っていた庭のぶどうの古木(といっても家を建てた時に植えたので43年くらいだか)が4月になって芽吹き、新しい枝を伸ばしてきた。5月に入る頃にはあちこちの枝に小さな実の付いた小枝が確認できた。この2年間は実を付けなかった気がするのでこれから夏にかけての成長が楽しみである。
 かなり前に管理していた土地に苗を植えていたマイヤーレモンも移植してから十年以上経つような気がするが、今年初めて花を咲かせた。ひょっとしたら実がなるかなとこちらも楽しみである。
 庭の芍薬やクレマチス(てっせん)も連休終わり頃には花を咲かせた。永年性の木や花はそんなにお世話をしていなくても蘇ってくれたりするので、自分も見習いたいところである。
実をツケ始めたぶどう




実をつけはじめた巨峰

クレマチス芍薬

左:クレマチス
右:芍薬












 椋本の椋の古木

あり得ない凡ミス、二件の教訓は…

 思いがけない失敗が重なったらどうする?なぜそんなことが生じたのか、失敗を繰り返さないためにはどうしたらいいのか、ルーチンや感で動いてしまっているがここは少し考えないと。

 9日は竹遊倶楽部の共同作業日で筍掘り。すでに何回か行っているが、今日は会員も11名集まってくれてベルファーム竹林での筍掘り。しばらく前の雨や暖かさもあって筍がニョキニョキ出ている。笹原さんが更新用に残す筍と収穫しても良い筍に印をつけてもらっているので、それを目処にたくさん収穫できた。メンバーが持って帰るものを除いてもたくさん残っていた。
 ちょうど手作り市の日だったので世話役のNさんに交渉すると、売ってもいいよと入口付近を用意してくれた。会員の女性陣TやHさんが販売してくれたらあっという間に一時間足らずで売り切れた。農家市場では一本500円前後で売られているところを200円、小さいものは100円で売ったにしても売上高が8100円になったのはこれまでの新記録、40数本も売れたことになる。大きすぎや少し硬いかなと思われるものは省いていたので、いつもどおり最後に残ったものを持って帰り、水煮を作ることにした。
 午後も作業をしてくれていた人も15時頃帰られたが、私はいつものようにみんなに休憩してもらう時のドリップコーヒーの道具や食事の時のインスタント味噌汁を入れる器(女性陣が来てくれるときは後洗ってくれるので助かる)などの工房への収納や再度洗う必要のあるものは車への収納、ついでに短めの燻竹の靴べらを数本作ったりしていたら17時過ぎになってしまった。
 家に帰ったら18時過ぎで少し暗くなりかけていたので、ベランダの下で大きな筍の皮を包丁入れながら剥ぎ、水煮の準備をしていたときだった。硬めの筍の切り落としをしている時に「あっ、やった!」と思ったら左手の人差し指からじわっと血が出てきた。怪我自体はバンドエイドですぐ血も止まり大したことはなかったのだが、こんなミスは思い出せない昔以来である。一人暮らしは長いし、台所仕事は学生時代の自炊生活以来なので手のひらで豆腐を切るのも普通にやっていたが、あり得ない凡ミスが重なると急速に自信を失って活動が必要以上に縮小する可能性がある。
 初めてともいえるうっかりはもう一つ重なった。朝起きて車に行ったら、車のトランクルームが開けっ放しだったのである。トランクルームから筍を出してベランダの下で処理しながら締め忘れたのである。
 通常と異なる事情としては、ベルファームでの段取りが悪く、選挙の投票もあって明るいうちに筍水煮の下処理が出来なくて急いていた。今日は朝から花生け、電源盤の入りきりの往復、お昼の準備、手作り市A広場、その他木もれび広場と各館との行き来をひっきりなしに続けていたので、1月に替えたiphoneの少し感度の悪くなった健康アプリでも17,600歩で明らかに疲れていた。

 さて、それでは対処法は?失敗を活かせるか、失敗から学べるのか。欲張らない…仕事を減らす方向は仕方ないにしても急にやめてしまうと生きがいをなくすかも…。人に喜んでもらえるのが自分の喜びなのにうまくいかないから辞めるのはたぶん筋違い?複数処理をできるだけ減らす…。
 少しモヤモヤしながら、2023年の目標を読み返していたら真っ先に次のように書かれていた。「改めて自分自身の行動変容をしないとたくさんの人生の宿題は果たせないな。周りや状況に合わせるだけでなく、ほんとに自分に何ができるのか何がしたいのかをよく考え、優先順位をきちんとつけて、断ることにも勇気を持ってしていかないと。私としては状況や相手に流されることなく、配慮はしながらも自分がほんとに何がしたいのか、優先順位と活動をセーブする分野を明確にすべき」と。
 確かに濃淡はあれ、「日々メモ」というノートになすべきことを書き上げ優先順位をつけて行動しているつもりがなかなか思う通りにならない。一旦「習い性と成」ったものの変容の困難性を日々実感している。ただ藻掻いている己を俯瞰してみているもう一人の自分がいる限りは藻掻く意味はあるのかな…4/12

第三回 美濃田竹林街道ウォーキングの募集ー5/5こどもの日

3月の後半の頃、ベルファームの有滝副園長から今年は竹林街道ウォーキングはやらないの?との声かけがあり、また美濃田区長として何かと協力いただいていた田中さんがこの4月から交替されることもあり、また美濃田の住民で竹遊倶楽部のメンバーでもある中井さんが一人先頭に立って街道のバージョンアップに勤められていることもあり、ぜひ後押しをしようと3回目を行うことになりました。
その概要は以下のとおりです。最後にこれまでの写真を少し添付します。4/8


第3回 美濃田大仏、竹林街道、筍ご飯を楽しもう!
参加者募集のお知らせ

ベルファームから美濃田大仏への竹林街道は、三重竹遊倶楽部の協力の下に一昨年美濃田まちづくり実行委員会が完成されました。この美濃田大仏(阿弥陀如来坐像)は地方では珍しい1737年の作と考えられます。三重竹遊倶楽部は2015年に三重スローライフ協会の部門として結成され、ベルファーム園内の竹林整備や伐採竹の炭焼きなどを行ってきました。2018年から美濃田への竹林街道の整備の手伝いをしてきました。当日はベルファーム竹林で収穫した筍を使った松阪市森林公園の「花おこし」の筍ご飯をお召し上がりいただきます。

日時:5月5日(金) こどもの日イベント 小雨決行、雨天の場合は5月7日(日) に延期
参加費 中学生以上    600円 (筍ご飯付き、竹林整備基金として)
小学六年生以下 500円(筍ご飯付き)
募集人数 先着40名 (要事前予約)
お電話でお問い合わせ下さい。 松阪農業公園ベルファーム事務所
連絡先 0598-63-0050
〈皆様へのお願いとしまして〉
☆コロナウイルス対応のマスク着用は各自のご判断に委ねます。
☆当日の朝、体温が37.5℃以上、体調不良が感じられる場合はお休み下さい。
☆飲み物はご持参下さい。(紙コップ一杯程度のお茶は昼食時に提供します)

〈およその行程〉
9時30分 ベルファーム事務所前集合、ベルファーム事務所で受付(9:30-9:55まで受付)
10時00分 ベルファーム出発
10時30分 竹林街道を経由して美濃田大仏到着
         美濃田大仏の説明
10時45分 美濃田大仏を出発、竹林街道を戻って
11時20分― 西門横の木もれび広場に到着
        松阪市森林公園・花おこしの筍ご飯提供
*三重竹遊倶楽部から竹の話や竹製品の展示・即売、竹林整備ボランティアの説明も行います。
12時00分頃 昼食後解散 (農市場前のテーブル等での食事も可)
                    主催 竹文化振興協会 三重・竹遊倶楽部
                       松阪農業公園ベルファーム、松阪市森林公園    
                       美濃田まちづくり実行委員会


竹林街道看板IMG_20210429_081541image008 (2)
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前回の様子

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フクロウ設置DSC_0068ある日の共同作業日参加者IMG_20210325_092051





 整備の様子と竹柵の延長

訪ねてくれた中国留学生のちょっとイイ話

 去る3月27日、突然中国留学生だったF君から電話がかかってきて、今日本に来ているのでぜひ会いたいとのことだった。28日(火)は急遽竹遊倶楽部の作業日だったが、その日の夕方、昔よく行っていた王将で夕食をし、極楽湯に入っていろんな話をした。
 私が定年退職してからすでに15年経ち、残している留学生のファィルをみると、彼は定年一年前の2007年12月に博士の学位を取って、中国に戻り仕事をしていた。2018年に彼ら経営研究室の留学生が中国に招待してくれて皆に会っているのだが、当時研究室の宴会部長(と私が名付けた)をしてくれていた彼は教育学部で心理学のマスターを取った後に私の研究室に受け入れた懐の深い学生でよく議論もした。
 極楽湯の湯上がりにロックダウン中の中国の状態を話し出し、家では友達でお酒を飲んだり出来たし、普通のお店は閉店を余儀なくされたが、食料品店は開いていて並んで買うこともできたと。その時ホームレスもかなりいて、彼はそのことを問題にして役所に提起し、マスコミにも話ししたら当局が彼ら用のテントを建てた。ロックダウン中自分が何をしていたかをスマホに記録していると写真つきで見せてくれた。中国では人々の監視体制も徹底している中で、マスコミを味方につけ状況を改善したのは勇気があるなあとびっくりした。
 日本では平和ボケとも言われる緊張感のなさから自分も脱しているとは言えないが、世界には強権的な国や軍事政権あるいは内線の続く国や地域の中で生きるために必死になり、人間としてどう生きるかに直面している人たちがいるその一端に触れた気がした。それとともに外交的にうまくいっていない二国間にあっても人として共鳴し合える民間の繋がりや相互理解は大事だなあと改めて思った次第である。3/30

生芋こんにゃく作りのメモ

 3-4年前に生芋から自然コンニャクを作って、確か松阪商会でも売ってもらっていた?Fさんからこんにゃく作りを教えてもらって、当時頂いた種芋をこもれび広場の通称こんにゃく畑で育てていたこんにゃく芋が3-4年目でかなり大きくなった(400-550g)ので生芋こんにゃく作りをしてみようということになった。
 スマホ等で調べてみてもいろんな人がさまざまな作り方を発信している。そこである程度一般性があると考えられる農業関係の知られた出版社の次の4冊を参考にして、3月5日、12日、そして作った灰汁でうまく固まるかが心配だったので4日に自分でやってみた3回の試行をした。
(A) 『農家が教える手作り加工・保存の知恵と技』農文協, 2015
(B) 群馬県特作技術研究会編『コンニャク 栽培から加工・販売まで』農文協, 2006
(C) 佐多正行編『農産加工の基礎』農文協, 2000
(D) 真部孝明『よくわかる農産物加工ガイド』家の光協会, 2007

こんにゃく作り方A こんにゃく作りBこんにゃく作りC











         A                                      B                                    C

① 前段階として竹灰汁を作る (灰汁の濃さが濃いほうがよく固まる)
② イモを洗って、砂や不良部分を取り除き、秤量する
③ イモを適当な大きさに切って、30-60分湯煮する
④ 剥皮し、ミキサー等ですり潰し、2-3倍量の水を加えてコンニャク糊を作る (水は少なめのほうが固まりやすい)
⑤ よく練りながら、凝固剤(竹灰汁)を何回かに分けて入れ、こんにゃく玉を作る(型に入れてもよい)
⑥ 熱湯で30分程度アク抜きをして仕上がり
* 以上はDとAを加味した私たちのやり方。Dでは炭酸ソーダの2%液を糊の10-20%加えている
* Aでは④と⑤の間に一晩ねかせるとあり、自分でしたときはそのとおりしてみたが、その必要性がわからない(5日、12日とも上記通りの順番でうまく仕上がっっている)
* BとCでは③と④が逆、すなわち剥皮し、ミキサーですり潰してから湯煮しているが、上記の順番の方が皮が剥きやすく捨てる部分が若干少なくなる
* 製品を保存するときには湯がき汁(アルカリ液)につけておくと良い(B)
* シコシコ感のポイントは灰汁の濃さと加える水が多くなりすぎないこと、良く練ることが関係していると思われる
* 凝固剤添加は低温で短時間に行うのが望ましいが、室温では1-2分程度にとどめるのがよい(D)
*  凝固剤に炭酸ソーダ(使用量はイモの1%, 精粉の10%)を使用すると、製品は柔らかいが食味は良好で過剰に加えた場合でも品質に大きな変化はない(D)
ー4冊からエッセンスを炊き出すのに4-5時間も掛かるとは整理能力最低 (20230318, 2:35)

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 しっかり練ることによって固まってくる
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 一番うまく固まった12日の様子

○ 今後の課題として灰汁の種類によって何が変わってくるのか、他の材料を加えた○○こんにゃくはどんな物ができるか(アオサ、ゴマ…)



所長連続講演会のエッセンス①ーリスクの心理学

 この頃、知的好奇心だけはまだ強いのか講演会などの予定をずいぶん入れてしまっている。Zoomによる遠隔視聴が容易になったこともあるが…。学びを自分のモノにするには知識等を仕入れる(input)だけではダメで、それを整理したり人に伝えるカタチ(output)にならないと何をしているのかわからないなと思ってしまう。娘に紹介された人財教育家・メンタルスキルコーチの飯山晄朗氏のメルマガに刺激を受けて、少しコンパクトに伝える練習をしてみたい。
 今日は放送大学の愛知・岐阜・三重学習センターの「所長連続講演会」を聞いてきた。愛知学習センターの氏家達夫所長の「リスクの心理学」ではリスクを「個人が危険の影響を経験する可能性」(Sjoberg,Moen,&Rundmo,2004)とし、福島の原発事故の影響調査、1986年のChornobyl(ロシア語のチェルノブイリ)事故の北欧での影響調査、ウクライナの社会学研究所との連携による被害を受けた住民への調査からリスク知覚を左右するものやリスクコミュニケーションのあり方について議論された。
 印象に残ったのは立場でリスク評価が二分されがちで、それがリスクに関する実のあるコミュニケーションにつながっていないという論点である。被害者や市民は被害の大きさや被害そのものからリスクを高く評価しがちで、被爆と甲状腺がんの関係も因果関係ありと信じている。他方いわゆる専門家(科学者・国や県・東電)は科学的知見によれば健康被害が出る確率は非常に低く、被害者や市民は科学に無知あるいは非科学的という。
 確かに低線量率被爆によるがん死亡リスクは国際放射線防護委員会の2007年勧告においても累積放射線量が200ミリシーベルトでも1%で、食事習慣の偏りや喫煙によるリスクと比べても特に高いとは言えないという。ここには低線量でも長期に及ぶ被爆の健康リスクをどう考えるか(まだデータが少ない)や科学的に正しいということをどのように市民に伝えてきたか、現実に被害を受けて生活を激変された人に伝えることは可能かという問題もある。市民の科学リテラシーをもっと高めるべきとの議論もあるが、ほんとに相手の言う言葉や立場を理解しながらコミュニケーションをできる場があるのか、専門家が上から目線でいい置きになっていないのか、きちんと知識や情報を独占せずに開示してきたかなどが問われる。いいコミュニケーションが成り立つには少なくとも信頼空間までいかなくても共にという空間が出来ているのかが大きな課題であるように思われる。

“好奇心将軍”徳川吉宗が挑んだ日本再生

“好奇心将軍”徳川吉宗が挑んだ日本再生
初回放送日: 2023年3月1日

江戸中期、それまで輸入に頼っていた「ある薬草」の国産化に挑み、10年以上かけて困難なプロジェクトを成功に導いた将軍がいた。名君・徳川吉宗の知られざる活躍に迫る!

江戸幕府八代将軍・徳川吉宗。享保の改革で財政を立て直した“米将軍”として知られるが、彼が情熱を注いだもう一つの改革があった。自ら選び抜いたメンバーを人里離れた山や谷へと送り、「薬草」を求めて、日本中を徹底調査!70種以上の薬草を見つけ出し、幕府による大規模栽培を行った。吉宗の持ち前の好奇心が生んだ、医療改革の国家プロジェクト。それは、やがて国を支える産業にまで成長する。吉宗の知られざる功績に迫る!(3/3)

 以上はNHKの紹介文で、もう少し吉宗のことを調べて改革の中身を見てみようと思っていたが、3月8日の会社の研修会(3回目)に伴う事柄や生芋こんにゃく作りの試作、確定申告(14日提出)、会社の年一回の全体会議(15日)などとあっという間に時間が過ぎていった。

 さて、上記にみる「ある薬草」とは朝鮮人参のことであった。五代将軍綱吉が作った小石川御薬園の規模を拡大して全国から集められた薬草の栽培が行われた。吉宗が取り組む以前には輸入頼っていたという朝鮮人参の栽培はほとんど国産化し、各藩での栽培も認めたといわれる。吉宗は目安箱を設置したことでも知られるが、享保6年(1721年)、江戸城竜ノ口評定所前に「目安箱」が設置された。
 一握りの裕福な町人しか薬(漢方薬)を手に入れられなかった時代にあって、病を持つ貧民の窮状を見ていた町医者の小川笙船(しょうせん)は、幕府医師による診療を無料で受けられる施設、すなわち施薬院の設立を提案した。徳川吉宗公は施薬院の設立を検討するよう町奉行・大岡忠相に命じ、その年(1721)の12月に「施薬院」を設立。医長は提案者である小川笙船自身が務めた、といわれる(https://www.ph-10.com/yakupresso/articles/482/)。
 テレビの影響で暴れん坊将軍のイメージが強い吉宗であるが、民の声に耳を傾け、国家財政を立て直そうとした側面ももっと知られてもいいのにと思われる。3/17

つい引き込まれてしまう歴史の証言―日中国交正常化

 放送大学の後期試験を済ませるまでは、という自分への言い訳が効かなくなって早一ヶ月近くになる。朝のルーチンワークとしての6時前後に目を覚まして布団の中で体をほぐす首腰背中のストレッチ体操をする。それから、2kmあまりの散歩にでかけ、その途中で7時半からのコミュニティ倶楽部のラジオ体操に参加し、帰宅してパン食の朝食をしながら朝ドラ、あさイチあるいはチコちゃんに叱られるを見てしまう。今日はその後チャンネルを回していてBS1スペシャルの「特派員たちの日中国交正常化50年後の証言」に見入ってしまった。

 当時の田中角栄首相が中国を訪問し、日中国交正常化の調印を周恩来首相と交わしたのは1972年9月29日、それから50年が経った。この8年前(1964)まだ国交のない中国に9人の特派員たちが派遣され、国交正常化に向けての情報的な地ならしをしている。特派員たちはその2年後に起こった文化大革命という政治的混乱の中、日中友好という使命とジャーナリストとして真実を伝えるという使命の中で苦闘した証言録である。これは同時に私自身が大人になってずっとその経過をそれなりに見てきた問題でもあるので、特派員たちの見識と覚悟に感動すら覚える。

 国交正常化自体は1972年2月に日本にとっては突然と思われたニクソンアメリカ大統領の中国訪問が引き金になったこともあり、また最終的には文化大革命の粛清のターゲットにもされかねなかった周恩来が政治的に生き延びたこと、その周恩来は若いときに日本に留学してきて一貫して知日家であったこと、豪胆な田中首相と細心な大平外相とのコンビなど多くの奇跡的な事柄がプラスに働いたと思われるのである。

ロシアのウクライナ侵攻で世界が新たな難しい局面に入ってきたけれど、北朝鮮の挑発的行動も続く中、東アジアの安定には中国との関係を下手すると政治的緊張を増しかねない軍備的増強に一直線に進むのではなく、多様な戦略と外交を進めてもらいたいものである。2/25

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曇りのち晴れー我が生涯最高の富士山

 この1月はいろいろ有りながらもほとんど放送大学の後期テストに明け暮れた。一昨年の春から初めた心理と教育コースのweb授業と前後4期目のテストは1/17から始まり、1/25に終了した。今期は受講科目を学習センターで受ける面接授業以外は9科目(1科目はオンライン講義の「SDGsと教育」で毎回の小テストなどが多くて試験はなし)と減らし、普段の授業も比較的受けてきたつもりであったが、教材を見直していると分かっていないことが多くて…まあギリギリまで努力だけはしてみようと思ってきた。web試験は教材やノートの持ち込みは可能な分、確実に理解していないと解けない問題が多く、今回は50分のテスト時間で15の設問があった科目は2科目も全部解く時間が足りなかった。
 ともあれ、ちょっとした重しだった授業とテストが終了した。それで、気分転換とアクアの遠乗り試験も兼ねて、今回の受講「日本の近世」でも触発され、今話題の大河ドラマ「どうする家康!」においてもこれまでの家康像と異なる人間的な部分や家康の取り巻きという徳川260年の基礎を作った集団・チームと言う面でも興味のある家康ゆかりの地、とりあえず駿府城を訪ねてみることにした。
 下調べの不十分さもあって、駿府城跡の歴史博物館を見たくらいであまり新発見もなかった。静岡ならひょっとしたら富士山も見えるかなと思っていたが、1/27は曇り時々小雨だった。1/25に降った雪は自宅で久しぶりに十数センチ、北勢や愛知、湾岸道は道路が凍りつくかもしれないと考えていて、鳥羽伊良湖フェリーを思いつき、雨なら凍りつくこともないかと出発したのでそこまでは織り込み済み、1/28は晴れる気配があったので少し期待していた。駿河湾の見える沼津のKKRホテルは朝から快晴だった。
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富士山がくっきり見えたので、近くの伊豆パノラマパークに行き、ケーブルカーで小山に登って撮れたのが以下の写真である。新幹線から何度か富士山を見たことはあるが、こんなに綺麗な富士山は我が生涯初めてだった。モヤモヤした試験勉強の後のスッキリした気持ちで、さあ心機一転がんばろうと言う気にさせる有り難い経験だった。1/31
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増田寛也氏のお話の心に止まったこと…1月のさんかサロン

 今日は久しぶりに充実した一日だった…その②1月のさんかサロンでの増田寛也氏の心に残る言葉、のつもりが放送大学の試験も始まってモタモタしていたので表記のようなタイトルに変えた。
 広く知られているように増田寛也さんは、建設省から岩手県の知事を3期勤め、総務大臣を経験し、最近では株式会社日本郵政の社長を務められているあの増田さんである。筑紫哲也さんの立ち上げられたスローライフジャパンにもほとんど当初から関わってみえ、超のつくお忙しさであろうが、スローライフジャパンのいろんな会合に可能な限り出て見えるようである。
 1/17のさんかサロンでのお話も筑紫哲也さんが2006年に書かれた岩波新書の『スローライフ』の紹介から緩急自在、両義性や多様性の大事さ、そこから「それぞれのスローライフ」を生きる意味につながると思われた。この要素は私が三重スローライフ協会の組織を閉じる文章にも似た意味合いとして書いているのでそうだよなと思えた。
 また月に3回は田舎の郵便局を訪ねるとのことであったが、その中で「コミュニケーションの場づくり」が大事だとも。三重でのスローライフの組織的運動は今年度で完全に終了するとしても、任意のボランティア的な活動は続けていきたい。尊敬する竹遊倶楽部の仲間Sさんと何とか連携を取ってやれる限りリアルに集まれる場やイベントを通してコミュニケーションの場作りをし、参加者がちょっとでも元気になれる機会を作りたい。
 もう一つ増田さんが言われていた気になる言葉は「小規模多機能自治」だった。大規模にし専門化し、分けていく方向ではなく、兼ねていきつなげていく方向である。考えてみれば農業だって半世紀あまり前は一人ひとりの農民が何でもこなして生業を生き、一人ではなんともならない水利などでは力を寄せ協同(協働)していたのである。このやりかたは結果的に災害やその他の突発的な事態へのレジリエンス力も高かった。
 その他サロンで心に止まったのは、手上げ制で地域おこしを(本人の自主性を重んじる)、生き物を大事にするマタギの生き方(に見習いたい)、明治の頃に学んだ独仏の地方自治は全面的に地方に権能を与えていた。戦後入ってきたアメリカ文化化の限界や弊害、古事記以前の日本のルーツにも学ぶべき、等々、今年のさんかサロンの多様で活発な議論が予想されるような展開であった。

 1/17は1/25までの放送大学二期のテストの開始日だったので、サロンのテンションの高いまま、比較的理解度がよかった「産業・組織心理学」の解答をまず提出したのが21:33だった。1/21-22

今日は久しぶりに充実した一日だった…その①M氏との再会

 一つは朝から以前にも店長塾などでお世話になった観光コンサルタントM氏の個別面談を受ける日でした。社長が幹部及び中堅スタッフの力をつけ、チーム力を高めるために再びM氏にお願いしてコーチング的なコンサルを企画してくれたのである。私も30分の時間を取ってもらっていたので数日前から何を話すかメモを取って考えていた。間際まで整理できていなかったのであるが、話し出すと勢いよく水が流れ出すように話が進み、自分の役割(ある意味立場上自分しかできない)に気づかせてもらった。
 焦点はトップの世代交代の話になり、いろんな経験話を伝えてもらった。老舗企業の代替わりにはプロジェクトベースで行い、次の人が新しいプロジェクトに挑戦したら、旧トップは何も言わないこと、完全に任せることです、ということだった。デキるトップはつい口を出したくなることもあり得るが、任せたら何も言わないで見守ることはとても大事なことだなと納得した。(1/17)
 お昼に園長と宮内氏とルーベルで食事をしながらもう一度お話する機会があった。観光コンサルの仕事もコロナになって激減したらしい。もっと大変だったのは観光バス会社とかで半分バスを売ったりしながら食いつないでいる会社もあるとのこと。園長と私は話した。私たちは多様な部門(飲食・喫茶、物販…お土産物と農産物直売所、庭園や食体験施設)があったことでまだ恵まれている。宮内さんによると公的な施設の中で指定管理者が独自に直売所などに投資したケースは聞かない、とのことであったが、当初のこの私たちの決断はコロナ禍のような困難な時期を経験して改めて間違っていなかったと思うのである。
 確かに私たちもコロナ禍で大型バスの立ち寄りがこの間全く止まってしまい、土産物店の松阪商会を始め、焼肉レストラン「モーアンドブー」は大きな困難に立たされた。うまくいかなくなったJAの焼肉施設を引き継ぐ形(JA松阪が当社の出資者であったこともあり)で経営してきたこのレストランは、一時は自主事業として会社に不可欠の収益部門であった。しかし、競争店が多くなっていたことや以前ほどの利益を出すことが難しくなっていたことなどもあり、社長以下喧々諤々の検討の末、店は閉じることとした。雇用を守るために新規事業をという議論の中で、一昨年4月からの松阪市森林公園の指定管理に挑戦することになったのである。社長自らのさまざまな新しい取り組みもあり、森林公園の経営は蘇るように順調に滑り出した。予測以上に若い人たちのキャンプ需要が上がったことも追い風であった。
 しかし油断は禁物である。移り変わりの激しい今の時代の経営を持続させるには絶えず自己革新していくことが求められる。それが今回の研修でもあった。しかもその宮内さんの日々前進しておられる姿勢を垣間見られたことはもう一つのビックリであった。
 それはこの旅行中(今回は千葉から来てもらっている)は「コーチング大全」だけを勉強しているんだと言われたことである。私も上の娘がコーチングの起業をしたことで話す機会がよくあり、一人ひとりの力を高めていく上で、相手の話をしっかり聴き、相手の良さを伸ばしていけるような方法や姿勢はとても大事だなと考えていた。宮内さんはコーチの資格はもっていないけれどね、とは言われていたがほんとに一線を走っているような人は世の中の動きに敏感で絶えず自己革新をしていかれるのだなと改めてこの出会いをありがたく思って次第である。1/19

すっきり、とはいかない年末から年始


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追い詰められるのもたまにはアリかなー久しぶりの経験の余波

 早や師走になりました。相変わらずの日々で目まぐるしく時間が過ぎていきます。12月3-4日の「心理学実験2」の4つの実験レポートを放送大学三重学習センターに提出してきてホッと一息です。
 12月1日は会社の経営会議の日。昼から出勤の予定で、昼前に前回予約しておいたマッサージを「ほぐし家」のTさんにしてもらった。ツボ押しの加減がちょうど合うので時々指名でさせてもらっている。
前月の実績や問題点などを協議する経営会議。11月の実績はまずまずの出来栄え、宿題はたえず出てくるが皆んなよく頑張ってくれている。
 2日は車の入れ替えの日。今乗っているVitz(1300cc, 黒)は2年足らず、走行距離は8万キロあまりでまだまだ乗れるけれども、ハイブリッドに替えたくてAcua(1500cc, ベージュ,6164km)に乗り換えることにした。安全装備も細心な新車にするか、少し迷ったが4年落ちだけれどお値打ちの中古車が見つかったからである。ディラーの下取り価格があまりにも厳しかったので車に詳しい教え子のHさんにお願いして手放すことになり、それが同日だった。早速夕方図書館まで試乗してみたが、乗り心地もパワーも申し分なかった。
 3-4日は「心理学実験2」の授業が三重学習センターで対面であった。実験は二日間で「記憶範囲」「要求水準」「運動技能学習におけるフィードバック効果」「印象形成」の4つであった。心理学の実験授業を受けるのは初めてだったが、集中力と体力勝負だなと感じた。(12/9) この実験レポートの提出は結局12/9までかかってしまった。レポートをみて同じような実験ができるようにとの東福寺先生のアドバイスがあったので、目的・実験方法や手続き・結果・考察などをまとめていたら時間がかかり提出期限一日前だった。
 12月上旬のポイントは6日の名古屋での食と農の世話人会でのレポート報告であった。ここ1,2年に報告してきたことも含めてキーワード的な整理はしてきたがなかなか文章にならない。5日は放送大学の授業が6コマ(5課目)あってなかなか集中しない。日付が変わる前には書き上げたいと思いながらもままならない。ただこの日は眠くなることもなく、翌2時半ころに流れは良くないものの何とかA4二枚に纏めることができた。追い詰められてにしても3時まで起きていたのはずいぶんと久しぶりであった。その上、翌朝は6時にいつものように目が覚めてラジオ体操前の速歩もキロ10分で歩けたので自分ながら驚きだった。心筋梗塞後、どこかで無理をしないようにというブレーキが働いているが、たまには羽目を外してみるのもアリかもと思える。(12/12)

傾聴ができていなかったことを実感する経験

 11月17日久しぶりに橿原の姉のお世話になっている施設を訪問してきた。コロナ再拡大で連れ出すことはできなかったが、施設の外の椅子で少し話すことができた。「誰か分かる?」といつものように聞いてみたが、返事がない。顔を眺めていると分かっているような気がしたが名前が出てこないのかな。
 そして彼女は一生懸命話しだした。しかし話に脈絡がなく何を話したいのかさっぱりわからない。それで少し首を傾げたりしていた。ところが、コーチングの研修に外国に行く前におばちゃんに会いたいとついてきてくれた上の娘は、ワケのわからない話にフンフンと頷いている。後で気づいたことだが、姉は娘に向かってさらに何かを訴えている。ほんの10分足らずのことであったが、聞き取れたのは「主人が…主人が…」という単語だった。姉の主人は40歳頃に病気で亡くなり、彼女は三人の男の子を育て上げた。その頃は私も現役真っ最中で気になりながらもなかなか100kmあまり離れたところへはなかなか行けなかった。定年になって少し余裕ができてからは時々会っていたが、その時にご主人の話が出てくることは滅多になかった。今年要介護度が一ランク上がったとの施設長のお話であったが、自分の人生を振り返る中でご主人との関係性を振り返っていたのだろうか?
 それにしてもコーチングの資格を取り、聴くことを訓練し続け、外国人とのコミュニティの中でも先ずは聴くことの大事さを訓練していた娘が傍にいたからこそ姉は何かを訴え続けようとしたのではないか。翻って自分は「聴く」ことの大事さは何度もあちこちで習い自覚しているはずだったのに娘の対応との差異は歴然としていた。自分の主張がなければ仕事にならない研究者職を長くしていたことも多少は関係があるのかもしれないけれど、どうしてもそれは正しいのかとかどちらがよりベターなのかなどの論理的思考が優先してしまう。それはそれで必要なことではあるが、理屈よりまずは気持ちを受け止めることが大事な局面はしばしばある。今運転中に音楽代わりによくかけている河合隼雄先生のCDでも、相談を受けた時にああしたらいい、こうしたらいいと言う前に相手の言っていることをしっかりと受け止め一緒に歩んでいこうとすると、人(相談者)は自ずから道を見出していくものだと強調されている。
 振り返ってみると、息子とのやり取りでも相手の言っていることをしっかり受け止めるより先に自分の意見を言っていることが少なくない。NPO仲間とのちょっとした行き違いでも、ちゃんと傾聴できていれば事態は少し異なっていたかもと思い出す事例もある。とはいえ、一旦習慣化した行動の変容はなかなか難儀である。認知行動療法でいう問題理解の原則と介入の原則は多少参考になるかもしれない。そのことを意識し続け、試行錯誤を繰り返すことでどの程度変われるのか…。

樹木葬「櫟苑」との出会い

 2022年10月23日、滋賀県甲賀市の櫟野寺(天台宗)に2021年4月に開苑された樹木葬「櫟苑」のセミナーに参加してきた。実は今年の9月にすぐ下の弟からそのことを聞いていて、子供の頃そこで遊び回っていて、天台宗総本山の比叡山では大学時代学生を連れて初めての座禅にいったり、何かとご縁のある場所であった。
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櫟野寺の櫟苑



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 セミナーは樹木葬墓苑の運営、プロデュース. プレスリリースなどを手掛けられているカン綜合計画の10年間の実績と傾向を踏まえて、取締役の山崎氏が話された。団塊の世代に属するかと言える山崎氏は2002年に父親の末期がんの告知を受け、手元供養という新しい葬送の文化を始められた。今は10万人が行っている継続(お墓参りなど)を前提としない供養法となっている。
 
 6月18日(土)と21日(火)にも今回のような樹木葬セミナーがあり、その内容は次のようであった。
「お墓を継承してくれるか不安」「子供に負担を掛けたくない」「墓じまいしたいけど」などお墓のお悩みをお持ちのすべての方へ。 本セミナーでは最近のお墓事情を解説するとともに、形式にとらわれない自分らしいお墓「樹木葬」について、詳しく解説。セミナーは京都の有名寺院(4カ寺)の樹木葬を運営してきたカン綜合計画の10年間の実績と傾向を踏まえながら、プロジェクターの大きな画面を使って講演。セミナー受講は無料で、話の後に樹木葬墓苑の見学会も行われた。
 葬儀にかかわる歴史として心に残ったのは、檀家寺という形は500年以上前の室町時代からのことで、檀家制度ができたのは1612年の禁教令(キリスト教禁止令)以降、火葬を前提とした家墓の登場は明治になってからであるという。火葬の割合は明治30年で29%、昭和35年で63%、今は99%になったという。人口減少社会になってお寺の維持もたいへんになり、全国の7600寺の2割は無住寺だという。
 そうした環境の変化を受けて、従来のお葬式や家墓と異なる葬儀や供養の方式は、1985年頃から永代供養が、1991年から散骨が、1999年から樹木葬が、2000年から手元供養が始まったそうである。永代供養は未来永劫を意味する永久と間違われやすいが、永代供養の多くは一定の期間(33年とか50年)が過ぎると境内の共同墓地に合祀することが多いようである。セミナーでは亡くなった後の「荒魂」が時間をかけて「鎮魂・供養」されることによって「和魂」となり、「弔い上げ」をして共同墓に合祀するのだという話であった。
 私の子供の頃はまだ土葬であったし、亡くなったら自然に帰るのがいいなと思っていたので散骨もありかなと一時思っていたこともある。ところが先に書いたように故郷の櫟野寺に樹木葬が2021年4月にできたと聞いて、これは何かの縁かなとビビッとくるものがあった。都会へ出た子どもたちが望まなければ何の供養もなしでもいいし、人生の困難にぶつかって、親父ならどう考えるのかと悩んだりしたときには「櫟苑」に来てくれれば、あの世から祈ってあげたい。
 生前私と交流のあった人が何らかの事情で、墓参りと称して会いに来てくれるとしても33年はちょうどいい期間かなと思える。合理的な思考が優先して生きていたときにはありえないことであるが、最近は歳の所為もあるのか祈ることの意味や祈られている人がそれを感じたときには振り返り(自己省察)のきっかけにもなるのではないかと思えるのである。気になりながらも自分がどうしようもできないことには祈るしかないと思うことが多くなったからである。
 まだもう少しいろいろと関連して考えることがあるが、津の何処かにお墓を買うのかなどうなのかなと気になっていた事柄であるので、何となく収まっていきそうな方向が見えてありがたい。(11/5) 写真添付忘れ11/16

ちょっとこのままじゃヤバイかも

 昨日って何してたのかな?がすぐに思い出せない。月曜日は後期からの放送大学の講義の半分を集中させたのはあるが、時間を使っているのにもうひとつ充実感かなない。心理学統計法、心理学研究法、コンピュータの動作と管理、教育・学校心理学、認知行動療法、後の2つは比較的馴染みやすいが、前の3つは知らないことが多くて理解もなかなかついていかない。心理学と前に付いているが統計は数学がベースになっていて中学以来の苦手意識が全く払拭されていない。やり始めたのでボチボチでもついていくしかないが…。
 そうだ、買ってきていてほってあった冬野菜の苗植えもしたんだった。それに日曜日に友達からもらってきた渋柿の吊るし柿作りにも時間がかかった。それにしてもと、「日々メモ」をみて愕然とする。昔はスケジュールノートで学習や行動をきちんと管理していたが、最近は社会的な仕事などはずいぶん減らしてきたものの忘れっぽくもなっているので、日々やることを書き出して行動の優先順位をつけるようにしてきたのだが、何と10/14以来10日間も空白だった。手帳にはいくつか大事なメモは残っていたが…
 そういえば、先週起こった様々なことの中にこのままじゃヤバい中身が含まれていそうである。日本農業賞候補の三重県代表の講評は、とりわけしんどくなっている原稿書きだったが、現地審査から二週間もかかったけれど何とか18日に書き上げ、他の審査委員に見てもらって修正もなく、自分で少し推敲して21日(金)朝には手を離れた。遠くない日にこれも後輩に手渡す一つの仕事。
 20日の午前中は地域の福祉バス(臨時運転手)のルート確認の試乗の日。以前に一二年していたことがあるが、回覧板で何度も運転手募集があったので、次の人が見つかるまで臨時でやってもいいですよ、と申し出たのであった。今は公園の草刈りやコミュにクラブでやっているラジオ体操には出ているが、活動の主力はまだ松阪になっている。ゆくゆくはお世話になる地域に元気なうちに多少とも役立っておきたい気持ちが強くなってきている。
 21日(金)は定年後しばらくは勤めさせてもらっていた三重大学伊賀研究拠点から案内があって、食品科学研究会のコロナ後初の会に出席させてもらった。時々受けているズーム講演会など知的好奇心は普通に継続しているのでつい予定を入れてしまう。処理できる枠が小さくなっているのに減らさずに増やしていたらアップアップなのは当然だろう、陰の声のささやき。
 姉の後見人のことも、お世話になった古い友だちに何とか応えたいと思うこともやがてはできなくなるのだからどのように区切りをつけていくのかはなお大きな課題である。そんな中、櫟苑のセミナーで出会った樹木葬との出会いは終活の一つが片付きそうな予感がある(別稿予定) 11/25

感動がやる気を起こす?

 歳をとっても若さを保つのは好奇心と感動だとどこかに書いてあったが、9月後半は心を揺さぶられるような体験が続いて、夏休み中のやる気の無さを何とか抜け出せそうな日々になってきた。

 放送大学に入学して一年半、入学時にはリアルな出会いが一、二回あったが、それ以降はテレビやパソコンで学んでいるだけ。「そうか」程度で感動はなかなかないんだよね。
ようやく、放送大学三重学習センターに所属の安倍先生の「哲学カフェ」なる課外活動のような催しが案内されていたので9/17(土)に行ってみた(9/21)。
 予断なしに対話するために属性とかが分かってしまう自己紹介もせずにテーマに関する意見をぶつけ合う対話が始まった。少し時間が経ってしまってあまり具体的なやり取りは覚えていないのだが、戦争、分断、共存とかのテーマで数人の参加者が意見を出し合った。先生もあまり自分は話さないほうがいいんだけれどといいながらもかなり話に加わっておられた。私も二度ほど意見を述べたように思うが、対話の中で久しぶりに頭がよく回っているように感じた。

 9月20日は尊敬する後輩のT先生との今年二回目?の出会いで、先生のお家を初めて訪問した。古くからの街並みの中に日本古来?のお家がどっしりと存在していた。土間があり、中庭に面して母屋から廊下つたいに茶室がある珍しいお家であった。蔵はもちろん土蔵のままで少し改修して本棚が設置され、今は学習教室として活用されていた。母屋の二階に先生と奥様の書斎スペースがあり、伝統的なお家と近代的な利便性のある設えがうまくマッチしてとてもセンスが感じられた。
 一通り建物を見せてもらったあと、話は先生が大学の理事のときにも力を入れられ、大学時代にも話が弾んだ教養教育の話題となった。元教養教育機構長であったI先生が中心になってまとめられたという『三重大学教養教育の軌跡』は教養教育(機構)院が独立した部局として取り組まれた記録誌であった。実に立派な装丁でT先生のお考えも複数拝見できるが、私はT先生の教養教育に対する熱い想いと見識を知るだけに少し不満であった。
 それでついT先生に資料としてでなく、一般向けに教養教育の大事さを示した一著を今後の仕事として是非お願いしたいとまくし立てた。先生は大原さんは人をその気にさせるのがうまい、とか言われたが、私は生物資源学総論を一緒に講義させてもらったりしたなかで、研究者としても教育者としてもまた人間としても私などが逆立ちしても及ばないスケールの大きさを知っているだけについ言葉に出てしまったのだが、ある意味とても心が躍る体験だった。

 もう一つは私が36年間努めていた大学の研究室との交流の再開である。N先生がそこに赴任してきてくれたことによって交流が生まれ、研究室に伺ったりもした。半年ほど育休を取っておられたが9月に復帰され、直売所を卒論のテーマにしようとしている四年生の調査の相談に乗ってもらえないかということになった。そこで9/26に当の学生Yさんと研究室で話し合ってきた。彼女は素直で堂々として調査のアンケートなどの相談をした。改めて「育」にかかわる仕事は私を生き生きさせるんだと自覚した。

 9/27は日本農業賞の三重県代表を選出する審査会で、メモをみると1995年から審査委員長をさせてもらっているので、もう27年目になる。審査講評はいつもプレッシャーにはなるが、審査委員会のまとめや講評書きは楽しみでもある。その機会に毎回若い頃の教え子でもあったM氏が訪ねてくれて話が弾む。彼は今やJAグループ三重を実質動かす中央会専務理事の立場である。いろんなご苦労がお有りだとは思うが学生時代の個性豊かな人間性がうまく発揮されているのだと思う。
 9月10日に地元の甲賀で開催された国際忍者学会での磯田道史氏の講演も血沸き肉踊るものだったし、ジャムなどもらってもらって久しぶりにお話できた臨床心理士のW先生との少しの話も刺激的だった。9月に重なったこれらの事柄は緊張感はあっても負担感がなく楽しめている。竹遊倶楽部の案内や調整などの仕事に最近少し負担感を感じるようになったのは、今までできていた多くの作業がこなせなくなってきて、先送りしている自分の仕事、自分らしい仕事との関係であせりが出てきているからなのだろうか?本質的に多様な仕事があることは有難いことなのだが、残された時間との兼ね合いどどうするのかは依然として課題である。

 一日のうちに起こったたくさんの悲喜こもごも… その②

 一日のうちに起こったたくさんの悲喜こもごも…そこから学ぶべきことは? その②

老若男女が知恵を出し合い、助け合って
・ほぼ30分遅れの14時直前に三重大学伊賀研究拠点についたら、「食の安全を守る人々」という自主映画は始まっていた。アメリカ産の小麦を輸入するための農薬の残留水準の規制緩和、ゲノム編集食品の流通問題など食を巡る問題点を指摘した大事なテーマなのだが別の機会に議論できればと思う。
・実はより手応えを感じたのは第二部ともいえるその後の意見交換会であった。映画には50-60名ほど参加されていたと思うが、大部分44名ほどが参加されて4つのグループに分かれて、自己紹介を兼ねて主に食にかかわる議論がされた。この会の呼びかけ主体が伊賀有機農業推進協議会だったこともあり、2015-16年ころまでは会議にも出させてもらっていたので顔見知りの人が私の少し先輩の人から30-40歳代の若い人たちまでのまさに老若男女が集まっていて、有機農業とか食育とか学校給食とかで関係を持っている人たちが多数集まっていた。私が入っていたグループは若いお母さん方や農業高校の若手先生、若い市会議員の男性などがいた。私と同年代と思われる食育に関わってこられたIさんは経験してきたことが何か若い人たちに役だてばと言っておられたが、同感である。私は簡単な自己紹介の後主に2つのことを話したように思う。一つは人は付き合っている人が限られてしまうと見ている世界もつい同じような狭い見方になってしまうので色んな人と交流するのがいいと思う。もう一つは伊賀には有機農業を巡る様々なつながりやより良い社会を作っていこうとする人の重層的なつながりがあり、これは社会的共通資本といってもいい財産だと思うというような意味のことを発言した。あっという間に予定の一時間が過ぎ、時間があればもっともっと深まったのではないかと思い久しぶりの充実感を味わった。グループのまとめ役になった市会議員の若者が他の人の言葉とともに私の2つの意見にも共鳴して取り上げてくれた。竹遊倶楽部の仲間も今どきの定年世代の仲間としては得難い存在だとは思うが、多世代が似たテーマで意見を交換できる機会はこれまた貴重だなと改めて感じた次第である。

待っていた榊原温泉湯の瀬のリニューアルオープン
・極楽湯の他に亀山の白鳥湯(未だ閉鎖中)と湯の瀬に時々来るのが楽しみであり、またリハビリの器械でもった。うろ覚えだが湯の瀬は建て替え改修のため昨年11月頃から閉鎖でそのリニューアルオープンが8月28日だったので帰りがけに立ち寄ることにした。
・できたばかりで施設は小綺麗、建物や内装もスッキリでしたが、いくつか違和感を感じてしまいました。店内のレイアウトはちょっと分かりにくくて、金の匂い(儲け主義?)を感じてしまいました。お風呂の中もお客さんの満足度より掃除のしやすさなどで作られているように(滑りやすさ対策や椅子などの配置など)感じてしまいました。公営の施設はどんどん公設民営方式が入ってきて、この施設も指定管理者方式となり、名古屋のM社が運営することになったと確か市の広報か新聞に出ていたように思います。経済施設として運営する限り黒字を出していくことも大事なことは言うまでもないのですが、公的な施設である限りお客様の満足度も大事であり、同じ指定管理者として心しておきたいことだと改めて思いました。

そして久しぶりの慌ただしい一日が終わった。
・温泉で疲れは多少緩和されたものの、夕食は作る気になれなくてスーパーで出来合いのものを買って済ませ21時半頃眠りについてしまった。
・現役の時は多種の仕事をこなせるのがある意味喜びだった。だからこそ頑張れていろんなことができたのかもしれない。今は、とりわけこの2,3年は自分の体の状態に関するある判断でまだワクチンは避けている。それでいて風一つ引かずに過ごせているが、この心身の劣化の状態はそれだけの所為ではないにしてもコロナに負けている感じ。
・それを運転の状況で見てみると、以前なら大型免許の取得で覚えたサイドミラーだけのバックや狭い場所での切り返しをうまく使った方向転換などを楽しんでいたが、今は動いていると疲れがすぐに溜まり、疲れで運転にスキが出ないように意識しているのが精一杯。最近はとりわけほぼ制限速度を守って走っているが、みんなイライラがあるのか軽自動車を含めてどんどん追い越される。サイドミラーで広報の様子はよく確認しているので追い越したい人がいれば追い越されやすいように空き地にちょっと止まったりしてはいるが…
・さて、この一日の出来事から何を学んだのだろうか。経過の中で少しそれらしきことも書いているが…。あることをするついでに関連することをやってしまうという行動のパターン化には、物事の処理能力が落ちている段階ではブレーキを掛ける必要があるのではないか。今回は結果的に疲れもあまり尾を引くこともなかったが、心身の劣化と体調に応じた行動企画やその修正にもう少し意を用いるべきか。
・否、問題は考えること、書くことから逃げよう逃げようとしていることかな。昔も書くことは苦しかったけれど、書き始めてはいた。今は書き出すことから逃げているようなところが日々の葛藤の実態なのかな…。今までできていたことができなくなるに従い、小さな決断に迷いが生じることが多くなっている気がする。まだまだ課題が多い。(9/3,9/6)

 一日のうちに起こったたくさんの悲喜こもごも…そこから学ぶべきことは? その①

8月28日最近には珍しく欲が出てあれこれの予定を入れてしまった。その顛末は、…
何とか久しぶりの晴れでベルファームへ
・7時からのラジオ体操の後、ふと気づいて地下足袋に履き替えて、9時の集合前に恒例の園内の花生けも済ませてしまおうと豊ヶ丘を出発。
・急いでいるのを後押しされるかのように、ベルファームまで30あまりの信号が数回止められただけで珍しく40分たらずで到着。最近特にお世話になっているNさんに届け物をして8:15だった。
・何とか9時前に一輪ざし等への花生けは終えそうだったが、秋の子どもたちの竹切りイベントに関してボランティア傷害保険の相談に乗ってもらっていたSさんから電話があり、その契約の件でもうベルファームに着いたとのことで、そちらの打ち合わせと手続きを優先。急いでも10分あまりかかり、急いで花を行けて回る。
・9時少し前に段取りをしてくれている実質リーダーのSさんより7人集まっているよと電話が入る。急いで事務所周辺の花生けを終えて集合場所のこもれび広場に駆けつける。
・Sさんと分担してのメンバーへの連絡で、コロナ感染がなお収まらないので心配だから出られないという人もあり、また直接連絡すると少し気になるけれどなかなか断りにくいということもあり、10数人が見てくれているLINEに「体調が気になる人は参加を無理しないで」と入れたが、7人も集まってくれたのは有り難い。

ベルファーム管理竹林、草刈りの共同作業
・今期も何度か竹林の草刈りはしてもらっていて、残っているのは竹林から四郷池に向かっての部分である。竹林内は何度がしていることもあるが、間引きされてもほぼ影の部分ができているので、最近のように雨が多くて日光の当たる竹の生えていない部分の雑草繁茂はすごい状況である。
・私は自分の電動草刈機を持ってきていて、混合油の草刈り機よりは軽いのだが、普段の鍛え方が足りないので両腕や腰背中がすぐに痛くなる。小一時間して「休憩しよう!」声掛けして、水分の補給などする。10-15分いろんな話も弾む。休憩の声掛け前に休んでいる人もいる。能力や体力には個人差があるので自分のペースでやれる人はある意味見習うべきである。
・体力があるときにはいいが、一斉作業になればどうしてもみんなに遅れまいとしてしまう。結果的に人に無理しないようにといいながらもムリをしてしまうことになる。休憩も入れているので実質2時間足らず程度なのに今日は腰もさることながら両腕がパンパンだった。

三重大学伊賀研究拠点の集まりへ
・13:30から「上映会」と話し合いに間に合うには12時にベルファームを出ればいいと思っていた。Nさんを中心にしてもらうことになっている森林公園の薪小屋の件などあれこれの調整もあってすぐに時間が経っていく。午後に伊賀に行くとは伝えていたが、詳しい説明はしていなくて、Sさんから共通で作ったカラーベストの追加の会計処理(建て替えてもらっていたのを竹遊倶楽部の会計としての補助分の支払いなど)があって出発が30分遅れてしまった。後から考えると「ちょっと時間がないので今度にしてもらえますか」とすっと言えれば間に合っていたのだが、あれこれと助けてもらっていることもあり言い出せなかった。基本的に他優先でも何とかこなせる処理能力が落ちていることからすると、自分の行動をどのように修正するのがいいのか、依然として課題のまま。

途中でガソリンの赤ランプ
・ベルファームから三重大学伊賀研究拠点への最短ルートはまだ伊賀へ月に何回か通っていた数年前にはよく通っていたので熟知していた。松阪から嬉野、白山を経由して165号線に入り青山高原を抜けるルートである。ところが白山の田舎を走っていた時に突然燃料ゲージの赤ランプが。走り回る前に補給しておかなきゃと思っていたのにあれやこれやが重なってつい忘れていたのである。プリウスに乗ってたときには赤ランプが付いてからも数十キロ走ることを試したりしていたが、ガソリン車のヴィッツは後どれだけ走れるかわからない。ルートには青山町まで給油所はなく、とりあえずナビの検索で探してみた。比較的近くに出てきたのでそこへ行ってみたら、ずっと以前に業種転換していてなくなっていた。2つ目は休業になっていた。
・3度目の正直で、ルート165号を少し戻って何とか見つけられた。ナビは最新の更新ができるタイプにすべきだし、「備えあれば憂いなし」のスタンスに戻らねば…。
(8/28長野直売所視察の日の0時26分)

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