2024年09月12日
竹灯り・・・竹ならべ最中である。
近づいてきた、竹灯り、かつては、ホント自分ひとりで、竹を切って、そこいら草刈りして、並べてやってたが、さすがに歳をとって、ツラくなったぞ。 シナット君らに手伝ってもらって、竹をならべてる。
オイラの竹ならべは、キワメテええかげんなのだ、「なましい(=なまくら)」と言ってもいいぞ。駐車場のメインのとこなんかは、雨もあって中が、かびたり汚いので、一度、シートの上に干す。
さらに、去年片付けたとき、いろんなカタチのヤツが、新しいの、古いの、ごっちゃに入ってる。むろん、どれだけかの割合で、「こんなん使えんなぁ」もあり、捨てていく。
そんな状態のものを、アタマでイメージして、「そこに在るだけ」で据えてゆくのだ。そりゃ、駐車場のとこはメインなんで、1万はあるだろうから、いちいち細かいことは、考えておれん。 袋から出したもんをなるべく近くで使うようにする、運ぶの大変ですからね。
そうして、全部使い切らなきゃあかんから、「おおよそのイメージ」で、置いてくよ。
見てのお楽しみ、灯ってのお楽しみだが、イメージとしては、「花」をうまく使って、灯りの美しさを表現したい。
アタマの中で、その灯った姿を想像しながら、いっこ、いっこ、一本一本を、置いてゆく。
見に来てくださいませ。
今は、「・・・こりゃぁ、、ちいと・・・クドイかなぁ」と、悩んでる。 何事も、貧祖なのもあかんし、クドイのも、いとワロシ・・ですもんね。
okakousan at 02:30|Permalink│Comments(0)
2024年09月11日
歩くこと
「人生とは、歩くことだ」と・・こればかりは、悟ったことがあったよ。
以前書いたことあるだろうから、すいません。
えへへへへ、そう、悟るにはまず、苦痛と、後悔が必要なのだ。時は、オイラがまだ40代の頃だ。 京都に向かって中仙道を歩いてた。 中仙道は滋賀県の草津あたりからは東海道と合流するのだが、うちの田舎からオイラは京都までは、ほぼ100キロでね。
今のような(←すいません、アタシャ、今でもできませんが)、スマホで道順検索ってチョウシにいかなかった時代だった。 地図を片手に、中仙道、東海道を辿ったよ。 古い町並みのあるところは、「その雰囲気」で、「ああ、ここが街道だねえ、いい雰囲気があるよねえ」と、アタシみたいなバカでもわかるのだ。だが、そんな旧街道も発展すりゃ、路傍のお地蔵さんも、一里塚も、高札場もわからんとこもあるのだ。 さらに、そこは新興住宅地と重なってるような場所だった、大津の手前あたりだった。
人は迷うのだ。 ボクも迷った。 人間、くたぶれると判断力が鈍るからねえ、そんなときにゃ、人に尋ねるのが一番である。 どうせ、尋ねるなら・・若い女性がよい。 みんさんもそう思うはずである。
アタシャ、通りかかった女子高生の子に、「中仙道って、、この道でいいんですよね?」って訊いたよ。女の子は、わかってたかどうか、あるいはその時点では合ってたのかも知れんが、とにかくちょいと不思議そうな顔して、「これがそうだと思います」って、言ってくれたよ。
みなさん、若い女性のことは疑っちゃいけませんぞ、アタシャ、そのままどんどん進んだ。
どんどんどん、さらにどんどん、だいぶん進んだところで、「・・・どう、考えても・・こりゃ、おかしい、間違いだ、こんな場所が街道であるはずもない」と、気づいた。
みなさん、たとえそれが間違いであろうと、若い女性を怒っちゃなりません。
さて、ここからが岡イワオ、悟りの名場面である。
そこから、迷った地点、、つまりその高校生に尋ねた、あの分岐点まで戻らなきゃ、「京都への街道」には戻れないのです。 分岐点から、もう何キロも歩いてたボクは、辛かったぞ。 なんと言っても、その数キロの往復の道のりは「ムダ歩き」だったんですもん。
その頃にゃ、ずいぶん疲れてた、ヘロヘロだぞ、ボカァ、自分のアホさを呪いながらも、ひいひい言いながら戻った。 そのとき、悟った。
いや、その時は、オノレを恨むばかりで、足をひきづりながら、間違えた場所まで歩いてた・
でも、また、正規なルートを歩きだして、気づいたのだ。
「ああ、これが人生だ。 人生はどっかでは道に迷う、間違う、、そんな時、出直すことはツライ、苦しい、もういやだ、、でも、こりゃ自分の間違いだ。自分で間違ったもんは、自分の足で、その間違いのとこまで引き返すんだ、歩かなきゃならん、戻らなきゃ始まらん。ツライぶん、オノレのためになるんだ。 他を頼っちゃならん、クルマなんか使っちゃならん、自分の足で戻って、まだ・・そっから出直すんだ」
だった。 ま、イチロウ君にいわせりゃ、「オマエ・・そりゃ、バカな言い訳だな。がはははは、ホントは泣いてたんだろ、ああ、愉快痛快だねえ」だろう。
確かに、半泣きだった。
でも、まあ、よいではないか、起こったことは、それをのちのちどう、いい方向に活かすのか、、なのだぞ。間違えは誰にだってある。間違えたことを、活かすのか、後悔するのか、忘れてしまうのか、なのだ。 世はクルマの時代であり、道を間違えたくらい、アクセルちょいと踏めばたちまちにして立ち戻れるが、これじゃ、思い知らない。
ツライ想いをするぶんは、これからの人生の糧となるのだ。
ゆめゆめ疑うことなかれ、オノレの間違いは、オノレ自身で償うのだ。 分岐点まで、間違った地点まで戻どって、また一から出直そう。 無駄ではない。、こりゃ、歩くことだけじゃないぞ、人生で迷い、あるいは間違ったとき、「自分の足で戻るのだ」が、一番の近道なのだ。ユメユメ、ズルい行動でごまかして次へ進まないようにね。
あの時、東海道で迷って、えっらいくたぶれて戻ったとき、そう、感じたのです。
今日の教訓、道を尋ねるときは、若い女性と、もうひとり・・念のために年寄りにも、確認しよう。二人が違う道を案内したときは、やはり、若い女性のほうへ行ってみよう。である。
うへへへ、やはり、人は道に迷うものなのである。
以前書いたことあるだろうから、すいません。
えへへへへ、そう、悟るにはまず、苦痛と、後悔が必要なのだ。時は、オイラがまだ40代の頃だ。 京都に向かって中仙道を歩いてた。 中仙道は滋賀県の草津あたりからは東海道と合流するのだが、うちの田舎からオイラは京都までは、ほぼ100キロでね。
今のような(←すいません、アタシャ、今でもできませんが)、スマホで道順検索ってチョウシにいかなかった時代だった。 地図を片手に、中仙道、東海道を辿ったよ。 古い町並みのあるところは、「その雰囲気」で、「ああ、ここが街道だねえ、いい雰囲気があるよねえ」と、アタシみたいなバカでもわかるのだ。だが、そんな旧街道も発展すりゃ、路傍のお地蔵さんも、一里塚も、高札場もわからんとこもあるのだ。 さらに、そこは新興住宅地と重なってるような場所だった、大津の手前あたりだった。
人は迷うのだ。 ボクも迷った。 人間、くたぶれると判断力が鈍るからねえ、そんなときにゃ、人に尋ねるのが一番である。 どうせ、尋ねるなら・・若い女性がよい。 みんさんもそう思うはずである。
アタシャ、通りかかった女子高生の子に、「中仙道って、、この道でいいんですよね?」って訊いたよ。女の子は、わかってたかどうか、あるいはその時点では合ってたのかも知れんが、とにかくちょいと不思議そうな顔して、「これがそうだと思います」って、言ってくれたよ。
みなさん、若い女性のことは疑っちゃいけませんぞ、アタシャ、そのままどんどん進んだ。
どんどんどん、さらにどんどん、だいぶん進んだところで、「・・・どう、考えても・・こりゃ、おかしい、間違いだ、こんな場所が街道であるはずもない」と、気づいた。
みなさん、たとえそれが間違いであろうと、若い女性を怒っちゃなりません。
さて、ここからが岡イワオ、悟りの名場面である。
そこから、迷った地点、、つまりその高校生に尋ねた、あの分岐点まで戻らなきゃ、「京都への街道」には戻れないのです。 分岐点から、もう何キロも歩いてたボクは、辛かったぞ。 なんと言っても、その数キロの往復の道のりは「ムダ歩き」だったんですもん。
その頃にゃ、ずいぶん疲れてた、ヘロヘロだぞ、ボカァ、自分のアホさを呪いながらも、ひいひい言いながら戻った。 そのとき、悟った。
いや、その時は、オノレを恨むばかりで、足をひきづりながら、間違えた場所まで歩いてた・
でも、また、正規なルートを歩きだして、気づいたのだ。
「ああ、これが人生だ。 人生はどっかでは道に迷う、間違う、、そんな時、出直すことはツライ、苦しい、もういやだ、、でも、こりゃ自分の間違いだ。自分で間違ったもんは、自分の足で、その間違いのとこまで引き返すんだ、歩かなきゃならん、戻らなきゃ始まらん。ツライぶん、オノレのためになるんだ。 他を頼っちゃならん、クルマなんか使っちゃならん、自分の足で戻って、まだ・・そっから出直すんだ」
だった。 ま、イチロウ君にいわせりゃ、「オマエ・・そりゃ、バカな言い訳だな。がはははは、ホントは泣いてたんだろ、ああ、愉快痛快だねえ」だろう。
確かに、半泣きだった。
でも、まあ、よいではないか、起こったことは、それをのちのちどう、いい方向に活かすのか、、なのだぞ。間違えは誰にだってある。間違えたことを、活かすのか、後悔するのか、忘れてしまうのか、なのだ。 世はクルマの時代であり、道を間違えたくらい、アクセルちょいと踏めばたちまちにして立ち戻れるが、これじゃ、思い知らない。
ツライ想いをするぶんは、これからの人生の糧となるのだ。
ゆめゆめ疑うことなかれ、オノレの間違いは、オノレ自身で償うのだ。 分岐点まで、間違った地点まで戻どって、また一から出直そう。 無駄ではない。、こりゃ、歩くことだけじゃないぞ、人生で迷い、あるいは間違ったとき、「自分の足で戻るのだ」が、一番の近道なのだ。ユメユメ、ズルい行動でごまかして次へ進まないようにね。
あの時、東海道で迷って、えっらいくたぶれて戻ったとき、そう、感じたのです。
今日の教訓、道を尋ねるときは、若い女性と、もうひとり・・念のために年寄りにも、確認しよう。二人が違う道を案内したときは、やはり、若い女性のほうへ行ってみよう。である。
うへへへ、やはり、人は道に迷うものなのである。
okakousan at 04:00|Permalink│Comments(0)
2024年09月10日
また今年も・・彼岸花の季節
秋は彼岸花といっしょにやってくる・・と、ボクは思ってます。
田んぼの刈り取りは、だんだん早くなってきたけど、稲の実りと彼岸花の赤は、田舎に秋の訪れを告げてくれるよ。
やがて、空が高くなり、「夕暮れ」が似合う季節になるよな。
彼岸花は、秋をつれてきてくれるよ。
早くやってきてほしいな。
田んぼの刈り取りは、だんだん早くなってきたけど、稲の実りと彼岸花の赤は、田舎に秋の訪れを告げてくれるよ。
やがて、空が高くなり、「夕暮れ」が似合う季節になるよな。
彼岸花は、秋をつれてきてくれるよ。
早くやってきてほしいな。
okakousan at 04:00|Permalink│Comments(0)
2024年09月09日
「最先端を目指す者しか見れないケシキがある」とか、誰かが・・・言ってたが・・・の巻
いったい、どんなケシキなんだろう? NHKの番組で、いっこ見たけれど、趣旨はさすがNHK、、違ったよ。
ジュラシックパークみたいな、ハイテクで、実際はいない生き物が見れるっていうなら、日本オオカミや、日本カワウソはそりゃ、見てみたい。
でも、仮想現実みたいなもんは、アタシャ、「もう、けっこうですわよ」なのだ。ショセン、マヤカシのもんであるなら、見たって感動などしないだろう。
アタシャ、もう、キンキンギラギラの世界はごぉめんだよ。
最先端のケシキより、あの福島のナオトさんが、残された生き物が生きれるよう世話してる、そんなケシキを見たいよ。
ナオトさん、また画像お借りしました、すいません。出来るもんなら、こんな人とトモダチになりたいよ、お互い、時代遅れなんだろうけどね。
人は、その先、その先のものを追っかける。ケーザイ、ケーザイとまくし立てる。
ニンゲンってさ、100メートルは全力疾走できるけど、そんなん続けたら、やがてプッツンと、息が切れておさらばだよ。
野の花は、毎年を繰り返します。
繰り返すこと、回る事、ボクにはそのほうがありがたく感じる。
最先端のケシキなど、見たくないんだな。
去年咲いてくれた花を、今年も見て、また来年もその花を見る。 そんなケシキの中に生きたいよ。
あのとき、朱鷺が舞ってくれた、神社の森です。
こんな景色の中に生きたいよ。
ジュラシックパークみたいな、ハイテクで、実際はいない生き物が見れるっていうなら、日本オオカミや、日本カワウソはそりゃ、見てみたい。
でも、仮想現実みたいなもんは、アタシャ、「もう、けっこうですわよ」なのだ。ショセン、マヤカシのもんであるなら、見たって感動などしないだろう。
アタシャ、もう、キンキンギラギラの世界はごぉめんだよ。
最先端のケシキより、あの福島のナオトさんが、残された生き物が生きれるよう世話してる、そんなケシキを見たいよ。
ナオトさん、また画像お借りしました、すいません。出来るもんなら、こんな人とトモダチになりたいよ、お互い、時代遅れなんだろうけどね。
人は、その先、その先のものを追っかける。ケーザイ、ケーザイとまくし立てる。
ニンゲンってさ、100メートルは全力疾走できるけど、そんなん続けたら、やがてプッツンと、息が切れておさらばだよ。
野の花は、毎年を繰り返します。
繰り返すこと、回る事、ボクにはそのほうがありがたく感じる。
最先端のケシキなど、見たくないんだな。
去年咲いてくれた花を、今年も見て、また来年もその花を見る。 そんなケシキの中に生きたいよ。
あのとき、朱鷺が舞ってくれた、神社の森です。
こんな景色の中に生きたいよ。
okakousan at 03:00|Permalink│Comments(0)
2024年09月08日
・・・・これで、いいと・・思ってる
ボクは背が低い、顔も大きい、アタマの毛も薄く、見映えが悪いまま生きてきた。
そこへ、いつも言ってるけど、えっらい自己嫌悪の青春時代だったし、今もそうなのだがえっらい気の小さい小心者、悲観論者のカタマリだった。
大豊さんていう人と出あって、「・・・岡さん、そんなに自分を小さく見んでええよ、ニンゲンなど、そんなリッパなもんおらへんわね」って言葉から、ちょいと、世の中の見方が変わったよ。40歳後半くらいだったろうか。
むろん、自分など変わるはずもないから、今も上記のままであるぞ。
でも、ほんのちょいと変化が生じたのは、「まわりの人間もボクといっしょで、そんなリッパなのおらん」と、感じたことなのです。
「いまのままでいい・・・」少しづつ、そんなふうに思うようになっていきました。 それを、老人が死に向かう過程の、ナサケナイ衰退なんだ、という人もいるだろう。
そうかも知れないし、そうであってもかまわない。
岡 一郎と、たず子という、オヤジとオフクロからDNAを受け継いで生を受けた瞬間から、すくなくとも・・この人間性は決まっていたんだろう。
だから、それに逆らって、背伸びした人生は、やっぱ続かないんだろうさ。
「生死」生も死も、、うすっぺらい紙のオモテとウラ、どっちも、共有してるみたいな想い、、ニューヨークで禅の禅堂を開いた老師さんの言葉だった。
そんなら、そこそこ、このまま・・自分なりの人生を、ぼつぼつと歩けばよいのだ。
などと、老人(←イワコ)は、思ってる、・・・諦めている、、のかも知れないがね。
うへへへへ
そこへ、いつも言ってるけど、えっらい自己嫌悪の青春時代だったし、今もそうなのだがえっらい気の小さい小心者、悲観論者のカタマリだった。
大豊さんていう人と出あって、「・・・岡さん、そんなに自分を小さく見んでええよ、ニンゲンなど、そんなリッパなもんおらへんわね」って言葉から、ちょいと、世の中の見方が変わったよ。40歳後半くらいだったろうか。
むろん、自分など変わるはずもないから、今も上記のままであるぞ。
でも、ほんのちょいと変化が生じたのは、「まわりの人間もボクといっしょで、そんなリッパなのおらん」と、感じたことなのです。
「いまのままでいい・・・」少しづつ、そんなふうに思うようになっていきました。 それを、老人が死に向かう過程の、ナサケナイ衰退なんだ、という人もいるだろう。
そうかも知れないし、そうであってもかまわない。
岡 一郎と、たず子という、オヤジとオフクロからDNAを受け継いで生を受けた瞬間から、すくなくとも・・この人間性は決まっていたんだろう。
だから、それに逆らって、背伸びした人生は、やっぱ続かないんだろうさ。
「生死」生も死も、、うすっぺらい紙のオモテとウラ、どっちも、共有してるみたいな想い、、ニューヨークで禅の禅堂を開いた老師さんの言葉だった。
そんなら、そこそこ、このまま・・自分なりの人生を、ぼつぼつと歩けばよいのだ。
などと、老人(←イワコ)は、思ってる、・・・諦めている、、のかも知れないがね。
うへへへへ
okakousan at 04:00|Permalink│Comments(0)