2023年09月30日
ありがたいことを言われたよ。
岐阜でやらせてもらった竹灯りのときだった。
早瀬さんという、ジャイカだったかで世界中を回ってた立派な人がいてね。 その人が、この岐阜県の垂井町での竹灯りをやったときに、こんなふうに言ってくれたんだ。
「・・・垂井ってとこは、早瀬さん以外はしらんし、そもそもボクは よそ者やし、うまく進むのか、アブナイもんですよ」って、竹灯りの何か月も前に話したことがあったよ。
そしたらね、
「大丈夫だよ、アンタ(=アタシ)のまわりには、悪い人は寄ってこんよ。 アンタはいい人が集まってくる、なんかを持ってるよ。」

その時には、あんまり・・「そんなチョウシに・・いくかなぁ」と、思ったくらいだったが、早瀬さんが言ってくださったとおり、いい子ばかりだった。
でしゃばったことはしなかったつもりだが、いい方向への回転ばかりだった気がする。
もっとも、よかったのは・・・天気でさ、この垂井での竹灯りは、「たった一日限り」の催しだったから、当日に雨や風があったら、ゼンブ・・パーだったよ。当日の天気予報は降水確率60%・・悲観論者のオイラなら、たぶん・・大雨だったろう。
それが、東の空じゃ、イナビカリが光ってたが、こっち(垂井)のほうにはこなかったね。
最初にやって、それが「ハズレ」になってしまったら、たぶん・・・来年からも、やれるかどうか、わからんだろう。 みんなが、その「成功」を見てはじめて、「やってよかったなぁ」の結果になるからね。

「アンタの周りには、いい人が寄ってくるから、ダイジョウブだよ」の早瀬さんの言葉どおりになったね。
むろん、この大成功の立役者は、岡田君っていう若い女性なんだが、それを手伝えて、その大成功を見て、嬉しかったよ。
オレがかかわったことで、マイナスの結果になっちまったら、こりゃ、申し訳ないからね。

オイラはどうか、わからんが・・・「いい人のまわりには、いいひとが集う」それだったら、ありがたいですよね。
いい‥仲間、増えていったらいいよ。
早瀬さんという、ジャイカだったかで世界中を回ってた立派な人がいてね。 その人が、この岐阜県の垂井町での竹灯りをやったときに、こんなふうに言ってくれたんだ。
「・・・垂井ってとこは、早瀬さん以外はしらんし、そもそもボクは よそ者やし、うまく進むのか、アブナイもんですよ」って、竹灯りの何か月も前に話したことがあったよ。
そしたらね、
「大丈夫だよ、アンタ(=アタシ)のまわりには、悪い人は寄ってこんよ。 アンタはいい人が集まってくる、なんかを持ってるよ。」

その時には、あんまり・・「そんなチョウシに・・いくかなぁ」と、思ったくらいだったが、早瀬さんが言ってくださったとおり、いい子ばかりだった。
でしゃばったことはしなかったつもりだが、いい方向への回転ばかりだった気がする。
もっとも、よかったのは・・・天気でさ、この垂井での竹灯りは、「たった一日限り」の催しだったから、当日に雨や風があったら、ゼンブ・・パーだったよ。当日の天気予報は降水確率60%・・悲観論者のオイラなら、たぶん・・大雨だったろう。
それが、東の空じゃ、イナビカリが光ってたが、こっち(垂井)のほうにはこなかったね。
最初にやって、それが「ハズレ」になってしまったら、たぶん・・・来年からも、やれるかどうか、わからんだろう。 みんなが、その「成功」を見てはじめて、「やってよかったなぁ」の結果になるからね。

「アンタの周りには、いい人が寄ってくるから、ダイジョウブだよ」の早瀬さんの言葉どおりになったね。
むろん、この大成功の立役者は、岡田君っていう若い女性なんだが、それを手伝えて、その大成功を見て、嬉しかったよ。
オレがかかわったことで、マイナスの結果になっちまったら、こりゃ、申し訳ないからね。

オイラはどうか、わからんが・・・「いい人のまわりには、いいひとが集う」それだったら、ありがたいですよね。
いい‥仲間、増えていったらいいよ。
okakousan at 04:00|Permalink│Comments(0)
2023年09月29日
「悟るということは、・・・こんなことなんだろうなぁ」と思ったこと
竹灯りを前にした、9月の10日の夜中のこと、、アタシャ・・「悟りに到るとは・・これだろうなぁ」と思ったことがあった。
その日(竹灯り当日)が近づくにつれ、「・・・これもやらなきゃ、あそこが・・まだ十分じゃない、こんなことが起きたら・・・」とか、いろんなことが頭を駆け巡り、一旦は寝るのだが、夜中に目を覚ますともう、眠れない。

「あれもしたい、これの対策しなきゃ、あれも、これも、それも・・・」これすなわち、オイラの煩悩である。
そんなとき、うちは田舎であるから、外の音は、この時期・・「虫の音(ね)」オンリーなのだ。
そんな中・・
「悟るということは・・・こういうことなんだ」を、思った。(←くれぐれも、悟ったのではない、、)
こうだ。
悟りに到ったかどうか・・とは、この虫の音を、ただ、その虫の音だけを聴いていられるか・・だと、思ったよ。 虫の音ってのは、聴こうとしないと聴こえないよ。 たった1分でも、その虫の叫びだけを・・耳に入れていられるか? これ、たぶん・・みなさんもできないと思うのだ。
聴いてるつもりが、知らないうちにほかの雑念が入ってる。 そうすると、虫の音は聴いていないんだね。 そりゃ、どっかでは耳に入ってるけど、「それだけに聴き入る」ってのは、ボクには無理だったよ。
「虫の音だけ聴き入る」ことが、たぶん・・悟りの境地じゃないかな・・と、変な部分で、アタシャ・・悟った。 つまり、それができないおいらは、煩悩に支配されるんだね。

「無心になる」って、よく聞くよ。でも、ジッサイ、無心になんかなれない自分がいるよな。
「なにも考えない」ってのは、・・・キビシイよ。

みなさんも、試してみてくださいな。
虫の音、だけじゃないよ、人間以外の自然の何かを、ただそれだけを見つめてあげる、思ってあげる、感じてあげる。 それができる人って、なかなかだよ。
秋の夜中、虫の音を、虫の音だけを聴こう、、としたボクだったが・・・・
その日(竹灯り当日)が近づくにつれ、「・・・これもやらなきゃ、あそこが・・まだ十分じゃない、こんなことが起きたら・・・」とか、いろんなことが頭を駆け巡り、一旦は寝るのだが、夜中に目を覚ますともう、眠れない。

「あれもしたい、これの対策しなきゃ、あれも、これも、それも・・・」これすなわち、オイラの煩悩である。
そんなとき、うちは田舎であるから、外の音は、この時期・・「虫の音(ね)」オンリーなのだ。
そんな中・・
「悟るということは・・・こういうことなんだ」を、思った。(←くれぐれも、悟ったのではない、、)
こうだ。
悟りに到ったかどうか・・とは、この虫の音を、ただ、その虫の音だけを聴いていられるか・・だと、思ったよ。 虫の音ってのは、聴こうとしないと聴こえないよ。 たった1分でも、その虫の叫びだけを・・耳に入れていられるか? これ、たぶん・・みなさんもできないと思うのだ。
聴いてるつもりが、知らないうちにほかの雑念が入ってる。 そうすると、虫の音は聴いていないんだね。 そりゃ、どっかでは耳に入ってるけど、「それだけに聴き入る」ってのは、ボクには無理だったよ。
「虫の音だけ聴き入る」ことが、たぶん・・悟りの境地じゃないかな・・と、変な部分で、アタシャ・・悟った。 つまり、それができないおいらは、煩悩に支配されるんだね。

「無心になる」って、よく聞くよ。でも、ジッサイ、無心になんかなれない自分がいるよな。
「なにも考えない」ってのは、・・・キビシイよ。

みなさんも、試してみてくださいな。
虫の音、だけじゃないよ、人間以外の自然の何かを、ただそれだけを見つめてあげる、思ってあげる、感じてあげる。 それができる人って、なかなかだよ。
秋の夜中、虫の音を、虫の音だけを聴こう、、としたボクだったが・・・・
okakousan at 04:00|Permalink│Comments(0)
2023年09月28日
蟻一匹 三省さんの詩より
蟻一匹
森羅万象が
真実であるということは
蟻一匹が
真実であるということである
たまには 人の殻(から)をふり棄て
蟻一匹となって
おごそかに 静かに
この無限の野山を 歩いてみようではないか

蟻とは、ちっぽけで・・・人の意識にゃはいらないのかも知れません。
けれど、やはり・・命なんですよね。
かつて、オイラがチベットのラサへ行ったとき、ポタラ宮の坂道で、地元のおばさんが、道を歩いてるちいさな昆虫を踏まないように、手でそっと、道の脇にどけてあげてるのを見ました。
ごく普通に・・そんなことがある。
「ああ、これが・・・チベットなんだな」って、感動しました。
小さな生き物ですが、命に大きいも、小さいもないんですね。
命を労わり、オノレも小さな命として生きる。
そんなこと、三省さんは言ってござるのかな。

蟻となった自分は、うえを見あげて・・・人の世界を、どう・・・思うんでしょうね。

けっこう、こっけいに‥見えるんじゃないかなぁ。
現在、竹灯りで燃え尽きヘロヘロ中ですが、今日から3日間、鉱山関係の集まりで山口県行かさせてもらいます。すいません。
森羅万象が
真実であるということは
蟻一匹が
真実であるということである
たまには 人の殻(から)をふり棄て
蟻一匹となって
おごそかに 静かに
この無限の野山を 歩いてみようではないか

蟻とは、ちっぽけで・・・人の意識にゃはいらないのかも知れません。
けれど、やはり・・命なんですよね。
かつて、オイラがチベットのラサへ行ったとき、ポタラ宮の坂道で、地元のおばさんが、道を歩いてるちいさな昆虫を踏まないように、手でそっと、道の脇にどけてあげてるのを見ました。
ごく普通に・・そんなことがある。
「ああ、これが・・・チベットなんだな」って、感動しました。
小さな生き物ですが、命に大きいも、小さいもないんですね。
命を労わり、オノレも小さな命として生きる。
そんなこと、三省さんは言ってござるのかな。

蟻となった自分は、うえを見あげて・・・人の世界を、どう・・・思うんでしょうね。

けっこう、こっけいに‥見えるんじゃないかなぁ。
現在、竹灯りで燃え尽きヘロヘロ中ですが、今日から3日間、鉱山関係の集まりで山口県行かさせてもらいます。すいません。
okakousan at 04:00|Permalink│Comments(0)
2023年09月27日
葉見ず花見ず・・といふ
葉は、おのれの花を見ず、花はおのれの葉をみれない、、彼岸花のことをそう言うそうだ。

日本中、どこへ行っても、田んぼの畔にゃ、この花が咲いてる。
昔は、この花の球根には毒があるので、墓場に植えたり、田んぼの畔に植えて、ネズミなんかの害を防いだ経緯もあり、そんな場所に特に多いようだ。
逆に、家に植えると火事になる、、と、屋敷内に植えることを敬遠もしたらしい。

気温が下がると、一斉に咲いてくれる彼岸花。
稲刈りの季節と相まって・・・「秋の訪れ」そのものだ。


モズの鳴き声、ヒグラシの声、フクジュソウの咲く頃、・・彼岸花、日本の風景は、季節のめぐりだね。
ありがたいよ。

季節が…一歩、前に進んだね。

日本中、どこへ行っても、田んぼの畔にゃ、この花が咲いてる。
昔は、この花の球根には毒があるので、墓場に植えたり、田んぼの畔に植えて、ネズミなんかの害を防いだ経緯もあり、そんな場所に特に多いようだ。
逆に、家に植えると火事になる、、と、屋敷内に植えることを敬遠もしたらしい。

気温が下がると、一斉に咲いてくれる彼岸花。
稲刈りの季節と相まって・・・「秋の訪れ」そのものだ。


モズの鳴き声、ヒグラシの声、フクジュソウの咲く頃、・・彼岸花、日本の風景は、季節のめぐりだね。
ありがたいよ。

季節が…一歩、前に進んだね。
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2023年09月26日
「地域町おこし協力隊」と、「もとからおる地域住民」
9月の5日だったか、、NHKのクローズアップ現代で、この問題取り上げてた。
オカイワコ的、この問題の思うことを言わせてね。
まんず・・・「地域おこし協力隊」ちょっと、正式名称が当たってるかどうか、アヤフヤであるが、そもそも、この名前が悪い、いや、悪いんじゃなく、アタシからすっと「協力隊」とは、あまりにも・・カルイよな。 さらに、「おカネがでる(補助金がでる)」「3年間の期限がある」とか、当方田舎組としては、「おカネをもらって、田舎を立て直してやるわ」ってんのが、ほとんどの場合、甘い考えだと、漠然と思ってる気がする。
「・・・オマエら、補助金がでるうちは、『アタシこそ、この田舎を再生させるのよ』ってうそぶいてるけど、その補助金終わったら、アッサリ、トンズラ、『やっぱり田舎の人たちとは、考え方がちがったもの』と、言い残して、「いい人がいっぱいの街」へ・・・ひきあげてゆく、、だろ」
と、これまた・・漠然と、ホンキで彼ら信用してない。

かような、バカな姿が出来て、さらに・・バカなオノレの姿を喜べる・・田舎のおっさんに、自然に入って行けるのは、、なかなか難しいのである。

ま、キョクロンを言えば、この画像を見て、「ああ、キモチわるい・・・植物だわ」と思う都会派の方々と、「ああ、サルのキン玉やんけ」と言う、田舎もんの、そこんとこの、バカみたいなささやかなもんが、ジッサイは・・でかい、違いである、そんな感覚かな。
そ、なんちゅうか・・・いろんなこと、いろんなものに対する感覚が、コンポンから違ってるから、どっちがいい、悪いではなく、そんな簡単にうまく溶け合わないのだぞ。

三年たっても、そのままその田舎に残るのは、40パーセントたら。
それだけ残れば、それだけ人口が増えたんだから、「成功だぁ!」とするのか、あるいは、去っていった60パーセントを、問題視するのか、、さて・・・
偉そうなこと言って申し訳ないが、「定住」は、3年じゃないよね。 10年、20年経っても・・4割が、その地に残ってくれりゃ、いい試みなんだがねえ。
オカイワコ的、この問題の思うことを言わせてね。
まんず・・・「地域おこし協力隊」ちょっと、正式名称が当たってるかどうか、アヤフヤであるが、そもそも、この名前が悪い、いや、悪いんじゃなく、アタシからすっと「協力隊」とは、あまりにも・・カルイよな。 さらに、「おカネがでる(補助金がでる)」「3年間の期限がある」とか、当方田舎組としては、「おカネをもらって、田舎を立て直してやるわ」ってんのが、ほとんどの場合、甘い考えだと、漠然と思ってる気がする。
「・・・オマエら、補助金がでるうちは、『アタシこそ、この田舎を再生させるのよ』ってうそぶいてるけど、その補助金終わったら、アッサリ、トンズラ、『やっぱり田舎の人たちとは、考え方がちがったもの』と、言い残して、「いい人がいっぱいの街」へ・・・ひきあげてゆく、、だろ」
と、これまた・・漠然と、ホンキで彼ら信用してない。

かような、バカな姿が出来て、さらに・・バカなオノレの姿を喜べる・・田舎のおっさんに、自然に入って行けるのは、、なかなか難しいのである。

ま、キョクロンを言えば、この画像を見て、「ああ、キモチわるい・・・植物だわ」と思う都会派の方々と、「ああ、サルのキン玉やんけ」と言う、田舎もんの、そこんとこの、バカみたいなささやかなもんが、ジッサイは・・でかい、違いである、そんな感覚かな。
そ、なんちゅうか・・・いろんなこと、いろんなものに対する感覚が、コンポンから違ってるから、どっちがいい、悪いではなく、そんな簡単にうまく溶け合わないのだぞ。

三年たっても、そのままその田舎に残るのは、40パーセントたら。
それだけ残れば、それだけ人口が増えたんだから、「成功だぁ!」とするのか、あるいは、去っていった60パーセントを、問題視するのか、、さて・・・
偉そうなこと言って申し訳ないが、「定住」は、3年じゃないよね。 10年、20年経っても・・4割が、その地に残ってくれりゃ、いい試みなんだがねえ。
okakousan at 04:00|Permalink│Comments(0)