2014年04月
2014年04月30日
4月も・・・おわり・・・だよね・・・
考えさせられた・・・・4月でした。
ある日、オイラは、、暗い穴の中に・・・入り、もがいたのです。 そこはドロ沼で、もがけばまがくほど、自分の犯した重さによって、ボクは沈んでいきました。 やがて、泥の水面が、自分の顔まできてしまい、、「こりゃ、もう・・・オワリだなぁ、、」 って、つくづく後悔したころ、、、助けてくれたひとがいた。
教えてもらいました。
それでも、落ちたもんは、なかなか上がりませんでした。
でも、その頃・・・・そう、4月ってのは、、、下を向いても、花があり、上を向いても花が咲いていたのです。 そうして、「・・・・・なんちゅう、、、美しいんやろ、、」 って、なんでかわかりませんが、・・・・つくづく嫌になった自分と、なんとも美しい世界に・・・気づかされました。
ちょっと、、自分をホメる言い方するので、こらいてください。
いろんな出来事があります。 そのゼンブを、100としたらね・・・・ 真ん中が50で、下 (=悪い方向、悲しみ、苦しみみたいな感情) は、ゼロ、上 (=よい方向、楽しみ、歓びみたいな感情) は、100ですよね。 で、、ね、、 フツーの人たちが、そのモノゴトをどれほどに捉え、感じるかというと、その起きてきた、モノゴトの当人でないかぎり、ゼロも、100もを感じきることは、、当然、無理ですよね。 だから、まわりの人間ってのは、、、真ん中を50としたら、ざっと、、30くらいから、70くらいの範囲で、安心も、心配も、歓びも、苦痛も・・・受けとってるように思うのです。
ボクは、無類の心配性なんで、いいほうも、悪い方も、、入り方が大きいのだと思うのです、当人じゃないから、ゼロはないけど、特に悪い方向の、10か、20から、上も80くらいまで・・・入り込んじゃうのだろうと・・・思うのです。
特に、いいことと、悪いことの、中間、50を境にして、マイナス方向への「苦痛」 「心配」 「怖れ」 なんかは、入り方が大きいのです。
それに、、、ある意味、気づきました。 気づいたところで、じゃ、オレも、人並に、「30〜70」 路線で、モノゴトをとらえよう・・・っていう調子には、カンタンにはいきません。 57年、培ってきた、、ネクラ人生が、許してくれませんもんね。 ただ、それは、一生、つき合っていかなきゃならんとして・・・その部分を、誰か、そのときにいっしょだった相手も、巻き込むことの・・・愚かさに気づかせてくれたのです。
オイラは、どこまで・・・苦しんでも仕方ないっす。
オイラ・・・自身のことだから、、自分で耐えなきゃいけません。
でも・・・・・
相手も、オイラと同じだと考えちゃなりません。
たった・・・・それだけのことなんですね。 でも、それで・・・「・・・・ああ、そうなんだなぁ・・・」 って、つくづくと・・・反省し、そうして、出直せたのです。
強い・・・花を、・・・・信じなきゃいけません。
ヤブシャガの花は、、薄暗い陰の場所にでも・・・ちゃんとまっしろい花を咲かせます。 それを、「日が当たるところに・・・植え直してあげよう」 は、、いけませんもの・・・・・
ちょっと、理解しにくい・・・話題でした、、すいません。
そんな、、、また・・勉強させてもらった・・・4月・・・・でした。
2014年04月29日
聖宝寺湧水・・・「誰の責任だぁ?」・・・顛末
まず、、地元から、苦情が・・・きた。
言葉は、いろいろだが、、「アンタんちの池から、水がダダ漏れだぁ、以前より湧水の量が増えたぞ、雨季になったらこのままじゃ、山が崩れるぞ、下には家もあんだぞ、どうすんだぁ!」 ・・・・で、ありました。
オイラは、ここから湧水があること、以前から・・・知ってた。 そうして、他のことで、このキレイな湧水を利用しようとしたことがあったんだ。 でも、あるとき、この水、、あっさり止まっちゃってた。 で、そん時、上の聖宝寺の境内の池の水を抜いてた。 それに、この聖宝寺の池の水は、いっぱい入ってくるのに、流末のヒューム管からは、でていく水は、、ほとんどなし。 つまり、、、あれだけの水が、、どっかに沁みこんでなくなっちゃってる。
ボクは、猛然と反論するぞ。 「・・・・こりゃ、犯人は、聖宝寺の池です、そりゃぁ、うちの池も50年以上経ってるんだから、ちいとは漏れてることは認めます。 でも、こんなに漏れてたら、池の水は溜まらないし、、そもそも、抜けてる位置が、、目でわかりますやろ。 これは、セキニンに全部はよう、認めません。 ただし、、、オレも、オヤジの時代から、この地域にはお世話になってきました。 できる範囲では、手直しはします。 でも、それは、責任を認めたから、やるんじゃありません!」
で、、オイラも、、、不安ではあったが、反論するのに、、サンクチュアリで使ってる池に入る水量と、、最終の排水のところの水量を、計ってみた。 測定したら、水量は変化ない、・・・・「ほれ! おんなじ水の量やんけ!」 ってなるよね。
でも、、ちょいと、、オイラは勇み足をしたぞ。
「和尚、いっぺん、寺の水、ぬいておくんなはれ、この湧水、、止まりますぜな。 かっかっか!」
「・・・・・そうかなぁ、、、ちがうようにも、、、」
とか、言いながら和尚は水をぬき、中の鯉をひっこしさせたぞ。 が、、、湧水の量はかわらず、、でとりますぞ。
「こりゃまずい」 と、和尚には池の水を再び、、入れてもらったのだよ。 でも、これも、それで結論かといえば、そうじゃない。 水は、どれだけかの期間を見なきゃわからない。 いっときの出る、出ない、、じゃないですもん、サンクの地下水だって、いったい何年前にお山に降った雨が地下水になってるか・・わかんないもんね。
で、次に、、地元から、「新しく作った池から、漏れてるんじゃないか? 量が増えたのは、あの池を作ってからだ・・」
とか、言われて、またまた、反論です。
「ちんこいとはいえ、うちも土建屋ですぞ。 漏れないように防水シートを引いたうえで、底を、コンクリートで全面を固めました。 やから、漏れることはありません、もし、本当に、湧水が増えたのなら、砂防堰堤を造ったんで、伏流水が増えたんじゃありませんか? 行政に相談したらどうです?」 と、、言う。
で、そのサンクチュアリのおっきな池も、ぬいてみた。 湧水量が増えるかどうか、試したのだ。 がははは、これがまずかったぞ。 勢いがあるんで、下の泥をえらく巻き上げ、真っ黒の水となって流れた。 そしたら・・・・湧水のキレイな水が、ちょいと、、、濁ったのだぁ!
「・・・・・・・こりゃ、ちょいとは、、、うちの池からも、、、漏れてますなぁ、、、」 と、認めざるを得なく・・・なったのだ。
「じゃ、オマエんちが、、、悪いんだろ!」
「いやさ、イチロウ先輩、、、ちょいと待ってくんさい。 その放流したときは、池全体の水位がぐんと、、上がりましたんや。 で、その上のほうの、、ひび割れのとこから、、ちょいとだけ、、濁りが入った・・と、土木の専門家のオイラは、、、思いますぞ。」
「アホいえや、、ちょいとでも濁れば、、オトコらしく、、、『うちの責任です』 と、言いきるのが、、オトコだろ」
「いやさ、先輩、、、、、、かようなハナシは、一旦認めてしまえば、今後、どんなことがあっても、セキニンはこっちですやん。。。それはかないませんぞ」
さて、この湧水騒ぎ、、、ここからは、50数年前に親父がここ、料理旅館萬緑を造ったときから、でてたのです。 その証拠に、土管も入ってるし、古いU字溝だって・・・入ってた。 いっくらムカシでも、造ったときから池は漏れてないもんね。 つまり、、ここには湧水があったのです。 その証拠に、水がでてるのは、粘土層の上なんですね。
で、その湧水量が増えたのは、ボクは今でも、砂防堰堤の設置も影響があると思ってる。
藤原岳は、全山、石灰岩でできてて、そのいたる所に土石流の跡の、さざれ石がある。 鍾乳洞だって、あるに違いない。 どこをどんなふうに、水みちが、あって流れるのかわかんないのです。 この砂防堰堤の施工のときも、とんでもない場所から、水が噴き出した。 なんども斜面が崩れ、作業員のイノチのことも心配した、、そんな場所なのです。
だから・・・はじめから湧水のでる場所だったと思うのです。 もっと言えば、聖宝寺は、当時は7堂伽藍の寺であったとか、「水」 はもっとも大切なものです。 当時は、こんな湧水を活用してたんだとボクは考えます。
で・・・結論。 10が、ぜんぶだとすつと、、、もともと、6の水が湧いてた。 そこへ砂防堰堤ができ、2が増量、、あとの、1は、、ちょいと、イチロウ先輩のオシッコみたいに、、お漏れがある、、、そう、結論いたしました。
でも、ボクはちゃんと、それらの水を取水し、、谷の流路に流すよう・・・施工しましたからね。 もちろん、、こっち持ちです。
先日も言いました。 世の中は、白と黒を、つけたがる。 「悪人は、コイツだぁ!」 と、決めたがる。 でも、そんなんは、いろんなことが重なり合って、そうして、今がスベテじゃなく、これまでの歴史だってある。
ボクは、苦情を言ってこられたみなさんに、ワタシの父、岡 一郎がどれほど、この聖宝寺を支えてきたのかをしゃべった。 オレは、どう言われてもかまわんが、親父のやってきたことを、否定するようなカタガタなら、、考え方を変えなきゃなりませんからね。 ま、わかってはくれたって思ってます。
いろいろ、、、あるけど、、、そこそこにして、お互い、、、協力して・・・いきましょう。
2014年04月28日
ああ、、だるま・・・
そこには、イチロウ先輩と、ニシヅカ先輩がおられ・・・
「まあ、とにかく、、、だるまに目をいれろ」 と、ニシヅカ先輩はおっしゃった。
おらぁ、別になんかの選挙に立候補したわけでもないぞ。 うちの業界の役をまた・・・引き受けただけでござる。 めでたいことでも、なんでも・・・ござらぬ!
ただ・・ね、、ボクらの業界、醜い世界がそばにあるぶん、、、「そうさせちゃならん!」 っていう、譲れない部分があるのです。 そこを、放棄しちゃったら、10年もかけて構築してきたもんが、あっさり、、崩れ去っちゃう・・そんなことがあるのです。
とくに、「反社会勢力」 みたいな連中との、カンケイです。 、、誤解してほしくないのですが、ボクらが、そのような連中と手をとりあって、この業界を牛耳るってことじゃないですからね。 その、まったく逆なのです。 世間のみなさんには見えない、ドロドロとした世界が、ボクラのまわりにはあります。
以前、そんな方に、「・・・・イワちゃんも、“土建屋なんやからなぁ、” 」 って言われたことありました。 土建屋なんて、みんな同じようなもんなんやから、そんな半分、きたなぁ〜い世界に足をつっこんで生きるべきなんや・・・みたいなことを言われたのです。
でもね、だからこそ、、「そんな世界は、もう、ヤダよ〜」 っていう、人間も必要なんだとオイラたちは、思っています。 だから、そんな黒い、ドロドロ世界とは、一線を隔す・・・集団が絶対に必要なんです。 「郷に入っては郷に従え」 って言葉も確かにありますよね。 でも、この 「郷」 は、田舎です、「さと」 ですよね。
そんな醜い、嫌な世界には、染まらないぞ、、
シロは、白いままで・・・いようよ。
に・・・・しても、この 「だるまの絵」 誰が描いたんだい?
さて、このイチロウ先輩作品・・・・・やがて、「なんでも鑑定団」 の真筆として、、、評価を得るやも・・・しれませんぞ。
「ええ歳した、おっさんが、、、なんしとんのえ?」 っていう、所業でございますが・・・・これもまた、、ヨシ・・・なのです。
また・・・2年間、、この業界の、「正論ぶっぱなしオトコ」 として、、ウザコイ世界の方々に、、嫌われながら・・・生きますわよ。
「ああ、だるま」 をさ、、、「ああ・・・・だまる」 にしちゃ、オイラはいけません。
イワちゃんを、、支部長にしといて・・・・・「ああ、、、まる(◯)・・・だ!」 に・・・・しなきゃ・・・ね。
さて、また、、、、試練の2年間が、、始まりますぞ。
「まあ、とにかく、、、だるまに目をいれろ」 と、ニシヅカ先輩はおっしゃった。
おらぁ、別になんかの選挙に立候補したわけでもないぞ。 うちの業界の役をまた・・・引き受けただけでござる。 めでたいことでも、なんでも・・・ござらぬ!
ただ・・ね、、ボクらの業界、醜い世界がそばにあるぶん、、、「そうさせちゃならん!」 っていう、譲れない部分があるのです。 そこを、放棄しちゃったら、10年もかけて構築してきたもんが、あっさり、、崩れ去っちゃう・・そんなことがあるのです。
とくに、「反社会勢力」 みたいな連中との、カンケイです。 、、誤解してほしくないのですが、ボクらが、そのような連中と手をとりあって、この業界を牛耳るってことじゃないですからね。 その、まったく逆なのです。 世間のみなさんには見えない、ドロドロとした世界が、ボクラのまわりにはあります。
以前、そんな方に、「・・・・イワちゃんも、“土建屋なんやからなぁ、” 」 って言われたことありました。 土建屋なんて、みんな同じようなもんなんやから、そんな半分、きたなぁ〜い世界に足をつっこんで生きるべきなんや・・・みたいなことを言われたのです。
でもね、だからこそ、、「そんな世界は、もう、ヤダよ〜」 っていう、人間も必要なんだとオイラたちは、思っています。 だから、そんな黒い、ドロドロ世界とは、一線を隔す・・・集団が絶対に必要なんです。 「郷に入っては郷に従え」 って言葉も確かにありますよね。 でも、この 「郷」 は、田舎です、「さと」 ですよね。
そんな醜い、嫌な世界には、染まらないぞ、、
シロは、白いままで・・・いようよ。
に・・・・しても、この 「だるまの絵」 誰が描いたんだい?
さて、このイチロウ先輩作品・・・・・やがて、「なんでも鑑定団」 の真筆として、、、評価を得るやも・・・しれませんぞ。
「ええ歳した、おっさんが、、、なんしとんのえ?」 っていう、所業でございますが・・・・これもまた、、ヨシ・・・なのです。
また・・・2年間、、この業界の、「正論ぶっぱなしオトコ」 として、、ウザコイ世界の方々に、、嫌われながら・・・生きますわよ。
「ああ、だるま」 をさ、、、「ああ・・・・だまる」 にしちゃ、オイラはいけません。
イワちゃんを、、支部長にしといて・・・・・「ああ、、、まる(◯)・・・だ!」 に・・・・しなきゃ・・・ね。
さて、また、、、、試練の2年間が、、始まりますぞ。
2014年04月27日
サンクチュアリ・・・10執念、、いや、マチガイでした、、10周年・・・ですぞ
ま、イチロウ君は、この、「魚釣り場」 について、こう、イミジクモ、、おっしゃった。
「ヤメレ、ヤメレ、土建屋が、魚釣り場つくると、、、ロクなことないぞ。 ゼッタイ、ヤメタほうが、、よいぞ」
イチロウ君の親父さんも、、、よせばいいのに、、「魚釣り場」 を、つくり、、最終的には失敗、、イチロウ先輩は、その借金の返済までも、背負うことになった。 うちの親父も、バカである、、「魚釣り場」をつくっちまった。
「・・・おい、」
「なんすか?」
「オマエが言う、、、『うちの親父もバカである』 ってことは、魚釣り場を造った、、うち (イチロウ先輩んち) の親父も、、バカだってことだぞ、シツレイな!」
「おっと、・・・すいませんねえ、、、、でも、、先輩も、どっかで、、『・・・・オヤジも、、バカだったよなぁ、、』 なんて、思ってるんでしょ?」
「うむむむ、、、まあ、、、そう、思うことも、、ないワケでは、、ないような、、、」
「でしょ、、あの頃の土建屋は、多かれ少なかれ、、バカなんですもん。 でも、バカな土建屋が、成金になったんで・・・世の中のお金が、グルグルと、回ったんですよ。 アレを、さぁ、貯金だ、チョキンだ、、なんて、、やったなら、、土建屋の存在意味は、、ありませんぜ・・・」
「まあ、それも、、言えるよなぁ、、うちにも・・・・でっかい、タヌキの置物、、あるよなぁ、、アレ、、オマエにやるから・・背負って持って帰れや」
「いやですよぅ、、あんな石のタヌキ背負ったら、それこそ、子泣きジジィの妖怪みたいで、、オレ、潰れちゃいますもん」
さて、、、土建屋がよせばいいのに、オヤジが失敗してるのに、また、魚釣り場を、、造っちまった、オイラでござる。
それから言えば、、、“執念の10年” とも・・・言えるのだぞ! 10年も潰れず・・・もったんだぞ! オヤジが逝く前、一回だけ、このサンクチュアリの出来上がった姿を見てもらったのです。 たぶん、オヤジは、、 「・・・・ああ、オレと、おんなじやわ、、また、めんどうなこと、、、はじめさがったわ、、とほほ」 って思ったでしょうね。 でも、バカな土建屋を、引き継いだオイラは、、見てもらったこと・・・嬉しかったのです。
そんなサンクチュアリ、、、10周年なのです。
ここまで、よ頑張ってくれた、安藤君に、感謝でいっぱいです。 もちろん、まわりのスタッフもそうです。 どこまで、いけるのかわかりませんが、、「・・・・・こんな貧相な、藤原村に、ヒトが集まる・・・名所を創ってやる」 と、バカな意地で始めた、この管理釣り場、、ま、10年持てば・・・・ひとつ、オイラ自身も、、誉めてやってもいいのかな・・って、思っています。
これからも、、頑張らなきゃ・・・・ね。
2014年04月26日
この春は・・・花が美しく・・・見えるんだよなぁ・・・
名前もほっこり知らない花ですが・・・田舎の道を歩いたり、、車に乗ってても、、ふと止めて、見とれてしまう花を・・・感じます。
これは、、ヤブシャガ・・・ですよね。
ボクの子供の頃の思い出が、なんか、蘇ってきます。
うえのは、、イチリンソウ・・・かな。
これも、毎年、その前を通るたび、、「ああ、キレイだな、、」 って思う花です。
ソメイヨシノが散って、、「今年のサクラも・・・終わったね」っていう頃に、咲いてた、二の瀬峠のてっぺんふきんのヤマザクラかな。
まわりが緑になりだしたぶん、、“キレイ”・・・が、際立っていました。
それぞれが、それぞれに・・・咲く、・・・花。
「なんとかガーデン」って、飾られた花々を、悪く言うつもりじゃないのですが、花は・・・野にあって、そうして、そこで出会って、、の、「花」 が・・・ボクは好きなのです。
たった1本、、たった一輪、、でも、りっぱに・・・・咲いていますよね。
人の世は、“おカネ” というもんがないと、生きていけない 「世」 になっちゃったでしょ。 でも、ボクら人以外の生物ってのは、その・・ヘンテコリンな、 “価値” ってもんが、ない・・「世」 ですよね。
やっぱり、、「おカネ」 を離れないと・・・・・ホントの美しさってのは、見えないのかな・・・
ぼつぼつ・・・・華やかな花に代り、、、新緑の・・・季節・・・ですね。
熊野の古道・・・でも、歩きたいな・・・・・
明日の日曜日は・・・・とりあえず、夏野菜の苗を植えます。 週明けは雨の天気予報ですからね。
キュウリ、ピーマン、トマト、カボチャ、、小玉の黄色いスイカ、、おサルに食べられようと・・・植えなきゃ・・・・
2014年04月25日
はてさて・・・古代史・・・
女性は、「歴史」 というもの、あんまり興味ないのかな? でも、最近じゃ、「レキジョ」 って言いますよね。
はてさて、、ボクら日本人ってのんは、いったい、、どこからきたのか、もともといたのか、、誰・・・なんでしょうね?
えへへ、どうでもいい、、ハナシかな? でも、オトコってのは、古のことに・・・なんか、ロマン・・カンジルのです。 イチロウ先輩は、ちぃと、、カンジルところが違うらしく、、日活ロマン、、なんとかに、、ひどく、感じるそうですが、、(余談・・・あしからず。)
さて、古に・・・ココロをむけましょう。
我が、大和の国も、、、天孫降臨で、カミサマのお孫さんとかが、高天原にお下りになって、、「神の子孫の国」 が始まった・・・って、調子には、やっぱり、、いきませんよね。 なんらかのカタチが、出来てきたころ・・・そう、卑弥呼ちゃんが、おまじないをしながら 「国」 を造った頃、西暦で言うと、200〜300年くらいには、中国にも、朝鮮半島にも、りっぱな国があり、それぞれが縄張り争いしてて、・・・・とてもじゃないが、 「うちの国は、天孫降臨なのよ」 なんて、、悠長なことは言っていられなかったはずなのです。
そう、、「いつ、大陸から、、攻めてくるかもわからない・・ああ、恐ろしいわ」 だったから、卑弥呼は、大陸に使者を送り、「・・・・仲よくしてね」 のエールを送ったんですもんね。
さて、それ・・・じゃぁ、卑弥呼さんは、純粋なる・・・ニッポン原住民なんでしょうか?
ボクの好きな、「徐福さん」 が、秦の始皇帝の暴政から逃れ、新天地を求めて、この島国にやってきたのが、卑弥呼の時代よりも、400年ほど・・・さかのぼります。 つまり、、ニッポンという国は、卑弥呼よりずっと以前から、、大陸とのつながりがあり、、、「文化」 と言われるものを、入れてたんです。
じゃ、、縄文時代、弥生時代からのニッポン原住民ってのは、、そのまま、大陸の血とは別に、、「成長」 していったのでしょうか?
卑弥呼の邪馬台国のあと、、、「ヤマト」 がカタチづくられていきます。 いっぽう、大陸からの玄関口であった、出雲あたりや、、今の岡山、吉備あたりには、おおきな国家が、できていたようです。 もちろん、その前から、北九州地方にも、 「国」 は、ありました。 九州なのか、奈良なのかの・・・・邪馬台国論争もありますもんね。
じゃ、どの国は、日本人 (和人) であり、どの国は、大陸からの移住者・・・・だったのか、・・・よく、わかりませんよね。 ・・・て、いうより、、意図的に隠してるから、 「天孫降臨」 を、西暦600年くらいになって、、作り変えたんですよね。
ボクは、こんなふうに・・・・・考えています。 起源前200年にやってきた・・・徐福のような集団。 その後、やってきた北九州を中心とした集団、 たぶん朝鮮半島から渡ってきた、出雲や、吉備の集団、 やがて、北陸や、丹後半島あたりにだって、、集団ができていきます。
その中で、「ヤマト」 の国家だけが、純粋に、「日本人」 だったことは、、実質上・・・ありえませんよね。
「ヤマト国家」 は、「出雲」 の祟りを、ひどく恐れ、ヤマトの東にある、三輪山をご神体として、出雲を向いてるそうです。 ヤマトは、出雲 = 大陸の勢力 を、恐れたんじゃないかな・・・・
その後登場してくる、、豪族たち、、、蘇我氏、物部氏、平群氏・・・・みぃんな、大陸からの渡来人ですよね。
↑ 出雲大社の・・・・しめ縄です。 今じゃ、「縁結びのカミサマ」 「八百万のカミサマ」 ・・・ですが、、2000年前、、、は、どんなカミサマ (勢力) ・・だったのでしょう。
血は・・・・混じってはじめて、、優秀になっていきます。
ボクらは、大陸から来た人たちの・・・・末裔・・・なんでしょうね。 その大陸からの渡来人の中で、優秀なやつが・・・・ 「ボクらは、、ボクらで、、天孫降臨で・・・チガウ言葉、チガウ文化を、、ここで、、創っていこう、、」 としたと・・・思っています。
誰かが、言ってました。 「第何代かの天皇」 の墓を宮内庁が、、発掘してみたら・・・中からでてきたのは、、みんな、朝鮮のもの・・・だった。 「こりゃ、マズイ、発表できんぞ、すぐ、埋めろ!」 と。。。あい、なった・・・とか。
うちの国の歴史家さんたちも、、もう少し、「大陸」とのツナガリ・・・、認めてもいいがなぁ・・・・と、、ボクは想います。
2014年04月24日
「・・・・なるほどなぁ、、確かに・・・そうかも・・知れないなぁ、、、」と、思ったこと
先日、カンボジアで長く暮らしてた「キャミさん」 という女性と東京で、話しをさせてもらいました。 シノハラ君らもいっしょでした。
こいつ、、、いや、女性に、「こいつ」 は、よくない。 この方、オモシロイぞ。 カンボジアで、苦労したんだね、向こうの風土、向こうの気質、向こうの、、、システム、、それ、ようく知ってるぞ。 いろんなことに、挑戦して、、「きゃ〜、なに? これ?」 って、、失敗の連続だったらしい。
でも、まだ、、、めげてないとこが、、さらにオモシロイのだ。 チカゴロの女性は強いぞ。
例えば、最近こんなことがあったそうだ。 キャミさん、カンボジアで不動産業と、旅行業をやってた。 (今も続けてる) そしたら、現地の子が、会社の売り上げを、勝手に、他の友人に貸しちゃった。 「ちゃんと、返しますから、いいでしょ」 が、向こうの子の自論なのである。 「ちょ、ちょ、ちょっと、、待ってよ、会社のお金は、アンタのもんじゃないでしょ、勝手に使うのは、マズイでしょ!」 が、我がニッポンの常識なのですよね。 でも、、それって、、通用しませんわよ。 むこうじゃ、「ちょいと、借りるくらい、、いいでしょ」 なのだ。
そうして、古今東西、、一旦貸したお金は、、、2度と返らないっすよね。 「ちゃんと、返しますよ、◯◯まで待ってよ」 が、、永遠だね。 でも、訴えたって、あきませんぞ、向こうじゃ、「借用書」 なんてないし、あったとしても、、効力なし。 効力あったって、裁判すりゃ、、その裁判費用にどんどんお金つぎ込むだけで、、、最終的には、、「ワイロの多い方が、勝ちぃ!」 と、、、相成る。 で、弁護士とかが、また、、悪いぞ。 原告、被告交わって、、「いっしょに、日本人からカネとろう」 だぞ。
またまた、そうして・・・・「裁判に勝ったぁ!」 ・・・と、喜んだのもつかの間、、、「払えないよう、だって、アタシ・・おカネ持ってないも〜ん」 である。
で、キャミさん、ご自分の失敗から、このように・・・・おっしゃるのだ。
「カンボジア人を、日本人と同じように考えたら、100%失敗しますよ。 とにかく、カンボジアは、、政府がいいかげんなんで、ワイロばっかり、自分たちだけガッポリ・・なんで、基本、国民は、政府をまるっきり信用してない。 だから、自分たちで生きていかなきゃならない。 だから、、やってもいいことと、やってはいけないこと・・・が、ニッポンとじゃ、まるっきり違うんです。 言い方代えると、、お金のためなら、、なんでもアリ、、ってのが、カンボジアです。
だから、日本人が、いろんな商売始めようとするけど、うまくいきません。 儲からなくても、自分たちの給料さえもらえればいいんで、改善の努力とかも、、あんまり考えません。 逆に、うまくいったとしたら、、お金もって逃げちゃいますよね。
その商売に、機械とか重機とかがあったら、カンボジアは燃料が高いから、まず、、それをくすねて売っちゃいますよね、機械そのものを売っちゃって、逃げることだって、はじめから覚悟しとかないと、、やられますよ。 でも、それ決して、悪気とかないんです。 『だって、みぃんな、、やってるでしょ』 くらいなんです。
だから、、観光でくると、物価は安いし、人は穏やか、みんないいひとで、陽気、、ホント、いいとこなんですよ、、でも、、そこで稼いでいこうとすると、、すんごくタイヘンなんです。 成功してる日本人もいますよ、たとえば、お土産にどんなツアーでも寄る、アンコール・クッキーさん、、でもあそこだって、旅行社に売上の数十%とられたちゃってるんです。 そうして、カンボジア人スタッフには、すんごく厳しく接していますよ、怒鳴りっぱなしくらいに怒らないと、、ダメなんです。
すべてがそんなチョウシなんですね。
でも、それって、カンボジア人が悪人ばっかし・・とか、思わないでくださいね。
そうやって生きないと、、生きてゆけないんですもん。」
確かに・・・そうなのだ。
ボクらが会った母子家庭のお母さん。 子供は4人、上ふたりは、ホントウなら学校いかなきゃいけないのに、いけんかった。ボクは、今、その子を学校に通わせています。
で、お母さん、どうやって、、日々の生活費を稼いでいるかと言えば・・・「お客をとる」 しか・・・ないのです。
カンボジア人は、男は、、、いいかげん、女性は、子供のため、どんなことしても生きていくよう、頑張る。 そんな・・人間性なんです。生活のために、そんな商売をすること、、誰が、「売春など、おかしい!」 って言えますか。
シェムリアップ周辺には、工場とかほとんど皆無です。
観光の街ですから、あるのはレストランとか、マッサージとか、、お土産屋とか、、ばかり。
そんな中で・・・・生きてゆく。
それが、カンボジアの・・・・今、、なんですね。
ボクの目指す、、理想の姿は・・・こう、、です。
孤児院で育った子が、そんな売春に走らないでも済むように、、なんとか「雇用の場」 を創りたい。 「儲けて、日本にそのお金を持って帰る」 なんて、これっぽっちも思ってない。 ただ、、そこの子らが、そこで、、なんとか命をツナイデゆけるだけの、、場をつくりたい。 それだけ・・・なんです。
キャミさんは、本名は吉田さん、、キャメロンなんとかさんっていう女優だか、歌手だかが大好きなんで、みんなは彼女を、「キャミ〜」 って呼んでる。 オモシロイ子でね、、
キャミさん、最後にこう、、言ってたね。
「岡さん、カンボジアで、事業はじめるなら・・・・自分でそこにいるしか、成功は難しいです。 考え方としては、ニッポンと、カンボジアの貨幣価値の差を利用して、、もっていくお金を、ぼちぼち、、、使っていく、なくなったら・・引き上げる・・・そんなくらいの感覚のほうが、、いいですよ」
・・・・・で、ございます。 ま、、、これ、オイラの考えと、、ほとんど、イコールなのだ。
でも、、、カンボジア・・・・・いいとこなんだ。 そうして、子供たち、、未来・・・創ってあげたい・・・よね。
2014年04月23日
「ボクの生きた・・・意義」 それは、こう・・・あってほしいと思うこと
何回か書いています。
ボクの葬儀の時、、キミは一番遠くにヒトリで・・・いて・・・そうして、たったひとつぶでいい、、涙をこぼしてくれるんだ、そうして・・・ココロの中で、こう、、つぶやいてほしいんだ。
「イワオ君、(このとき、はじめて君は僕のことを、こう・・呼んでくれるのです)、、イワオ君、楽しかったね。 ケンカしたこともあったけど、イワオ君のよく言ってたこと覚えてる? 『 フタリだけにしか見えない、美しいものを・・・いっしょに見ようよ 』 ってさ、 それ、、いっぱい、ふたりで・・・見たよね。 そうして、イワオ君は、こんなことも言ってたよね、、『出会った時よりも、、フタリの別れのとき、はじめ思ってたより、、イワオ君は、づっとよかったって思ってほしいんだ』 ってさ。 それが、、今日・・・なんだね。 ワタシ・・・そう、思ってるよ。
イワオ君は、どっかから、ワタシのこと、、見てるのかな? もし、、どっかから見ててさ、また、フタリが生きるときがどっかであるなら、、今度こそ、結婚してね。 そうしてさ、時間も周りも、、なんにも気にしないで・・・キレイな美しいもの・・見に連れてってよね。 ありがとう、、サヨナラなんか言わないよ。 待っててね、、アタシが・・・いくまでさ。 約束だよ。 アタシも、イワオ君も、、、お互いだけを見て、、これから生きようね、ってさ、あの時、いったよね、、、あの約束、、守りきったよね。 ワタシがいくまで、まっててくれて、そこでいっしょに暮らすこと、、それが、今度の・・・約束だよ、、、」
にっこり笑ってさ、、、微笑む、、キミの顔・・・それを、ボクは空から・・・・見てるよ。
それこそが、ボクの生きた証だよ。 生きた・・・意義なんだ。
キミのようなヒトを・・・・悲しませないこと、信じ切って、、ここまでこれたこと・・・・それさえあれば、オイラの生涯・・・・まんざらでもないよ。 ヒトとして、、生まれたこと、そうしてヒトリの女性を愛したこと・・・それがゼンブなんだ・・・・・
ああ、書いてる自分が、、感動で・・・涙が・・・でそうだねえ・・・
と、、書いたりすると、ニシヅカ先輩が怒る。
「・・・・・なんじゃ、オマエ、、、結局のとこ、、、思いつくことはオナゴのこと、、、ばかりかえ? ああ、オレがいくら親鸞聖人のありがたいお言葉を、、わかりやすく教えたのに、、、通じてないのう・・・ああ、これこそが、、、凡人の凡人たるもんじゃのう、、、」
イチロウ先輩は、、呆れる。
「・・・・なんじゃ、オマエ、、死ぬときまで、、オマエ、妄想して、マスターベーションかよ、、、とほほほ、オマエ、いい人生だよなぁ。 そこまで、勝手に思いこめるってのは、、こりゃもう、、特技に・・・近いのう、、ま、オマエの行くのは、、、地獄の釜、、、妄想のお相手さんは、、まちがいなく、、天国。 いっしょにゃ、、なれないねえ、、、けけけけ。」
さあ、ボクが・・・・生きた証しを、これからも、追いつづけよう・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・
こんな寒い朝も・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
こんな花の中を・・・・歩くときも・・・・
・・・・・・・・・・・・
暑い・・・蝉しぐれのなかを・・・・あるくときだって・・・
・・・・・・
ちりゆく・・・・紅葉も・・・・
そして、、また・・・凍える冬が来たって・・・・
いっしょに・・・歩くんだ・・・・
ああ、、、そんな・・・・妄想、、、・・・・いいよなぁ。
こんな、美しい・・・想像・・・イチロウ君の脳には・・・浮かばないだろうなぁ、、、
さあ、とりあえず、、資金繰りだねえ、、とほほ、また・・・銀行の富田君に、、「お願いします・・・」 だねえ・・・・・
2014年04月22日
いっぽんの木が、、その生を、、終えたこと・・・
うちの事務所の前に、本名は知らないが、「チャセンボ」 の木があります。 親父がそう、呼んでたので、そう、、思ってるだけですが・・・
さて、そのチャセンボ、、「ありました」 というのが、、ちゃんとした表現かな。
10年前に他界した親父が、「・・・・・こんな大きな、ちゃせんぼは、珍しいわ」 と言って、植えました。 植えましたが、やはりはじめっから、もう、ずいぶん弱ってて、かろうじて、生きていました。
それが、どうも、、枯れちゃったようです。
モトモト、植えたときから、幹は半分腐ってるみたいになってたし、かろうじて、地中の養分を吸い上げて生きてたんですが、上のほうの葉っぱが、茶色に干からびてたんで、「ああ、、ごくろうさん・・」 って、感じました。
ただ、生命ってのは、偉いですよね。 自分がイノチを失うまでに、この木は、種をいっぱい落し、それが自分ではえてきてます。 ここにも、「ツナイデゆく」 姿がありますよね。
左の写真では、うまく写っていませんが、この木のてっぺん付近の葉っぱさん、茶色く、枯れちゃっています。
たかが・・・一本の老木です。
別に、「・・・あれ、枯れちゃったの? 処分するのが、めんどうだねえ」 でも、いいのでしょうね。 でも、これも、オイラの親父が、どっかで探してきて植えた木なんです。
なにもかも、「親父の時代のもの」 が、消えてゆくのは・・・イヤなんですね。
ボクもやがて、消えていきます。 でも、誰かが、どっかで、語り継いでいってほしいもんってあるでしょ。 ずぅ〜っと昔、「樅の木は残った」 っていう小説がありました。 ヒトの、栄枯盛衰とは、別に・・・そこには、「樹」 というものがあり、、それは、そんなヒトの流れを・・・見てるんですね。
だから・・・樹は、ボクにとって大事なのです。
上の写真は、枯れてしまったチャセンボの樹の幹と、、その下で大きくなりだした、、種から生まれた・・・子孫・・・です。
なにごとも・・・・「ツナイデゆく」 ・・・・・・ですよね。
やっぱり・・・・そうして・・・花を・・咲かせます・
2014年04月21日
大根にも・・・花があること・・・
なんでか・・・わかりませんが、、漠然と・・・・
「・・・・・ダイコンにも、今年は、、、花を咲かせてあげよう・・・」 と、、思ったのです。
大根に花を咲かせてあげること、、これ、ちっとも、ムツカシイことじゃありません、、そのまま、ひっこぬかずに、ほおっておけば、植物は、・・・・花を咲かせてくれますもん。 要は、人間、もちろん、オイラも含めて、、そこまで・・・ダイコンの自由を許してなかったのですね。
冬のあいだ・・・ダイコンは、ありがたく 「食べ物」 になってくれました。 でもまあ、、ダイコンさんにしてみりゃ、「オレは、オマエら、人間に食ってもらうために、、ダイコンしてるんじゃねえぞ!」 ってのが、本音でしょうなぁ。 だって、次の世代をツナイデゆくには、花も咲かせ、種も・・・つくろうと、してるんですもん。
で・・・せめて、花を、、さかせよう・・・と、バカなオイラは、考えたのです。
そうして・・・咲いてくれました・・・・
咲いた・・真っ白い・・・・ダイコンの花。 ちゃんと、役割果たしてるでしょ、、モンシロチョウが、とまってましたもん。
そうして、じぃ〜っと、、見つめてるとね、、緑の葉っぱと、この白い花、、可憐な花でしょ。
夏野菜を植える、段取りをしなきゃならん、、ボクは、非情にもこのあと、ダイコンを引っこ抜くのです。 言ってることと、やってること、、違いますよね、、、すいません。
でも、どんどんと、、季節は廻っていきます。
このあと、ボクは、ジャガイモ畑にいき、芽がでたジャガイモのまわりの草をとり、芽を1本か、2本にかくのです。 「かく」 とは、「取り去る」 ってことです。 ジャガイモの種イモから、何本も伸びてきた、芽を、1〜2本に減らします、これも、「・・・・・せっかく、芽をだしたのに・・・なぁ・・・」 と、気の毒に思いながらの作業です。 そうして、肥料をすこしあげて、土寄せしました。
ネギさんも、花を咲かせます。 あんまり、人間ウケはしませんが、「ネギぼうず」 ってのができて、、あれが、、花なんでしょうね、、ちゃんと、決められたとおりに、、進めていきます。
ま、ネギは、下んとこで、スパッと切って、土にうずんでおくと、また、そっから芽がでてきましてね、、それを、夏すぎに、分けて、やれば、、また翌年に引き継いでくれます。
この春・・・・・ボクは、自分の愚かさに、のたうちまわりました。
そのぶん・・・・なんとも、花が・・・キレイに、、見えるように・・・想います。
ボクが、落ちたこと・・・・
落ちることを、、「オチタこそ・・・・わかった・・・」 に、、したいんです。
花が・・・・・美しい・・・・です・・・・
「・・・・・ダイコンにも、今年は、、、花を咲かせてあげよう・・・」 と、、思ったのです。
大根に花を咲かせてあげること、、これ、ちっとも、ムツカシイことじゃありません、、そのまま、ひっこぬかずに、ほおっておけば、植物は、・・・・花を咲かせてくれますもん。 要は、人間、もちろん、オイラも含めて、、そこまで・・・ダイコンの自由を許してなかったのですね。
冬のあいだ・・・ダイコンは、ありがたく 「食べ物」 になってくれました。 でもまあ、、ダイコンさんにしてみりゃ、「オレは、オマエら、人間に食ってもらうために、、ダイコンしてるんじゃねえぞ!」 ってのが、本音でしょうなぁ。 だって、次の世代をツナイデゆくには、花も咲かせ、種も・・・つくろうと、してるんですもん。
で・・・せめて、花を、、さかせよう・・・と、バカなオイラは、考えたのです。
そうして・・・咲いてくれました・・・・
咲いた・・真っ白い・・・・ダイコンの花。 ちゃんと、役割果たしてるでしょ、、モンシロチョウが、とまってましたもん。
そうして、じぃ〜っと、、見つめてるとね、、緑の葉っぱと、この白い花、、可憐な花でしょ。
夏野菜を植える、段取りをしなきゃならん、、ボクは、非情にもこのあと、ダイコンを引っこ抜くのです。 言ってることと、やってること、、違いますよね、、、すいません。
でも、どんどんと、、季節は廻っていきます。
このあと、ボクは、ジャガイモ畑にいき、芽がでたジャガイモのまわりの草をとり、芽を1本か、2本にかくのです。 「かく」 とは、「取り去る」 ってことです。 ジャガイモの種イモから、何本も伸びてきた、芽を、1〜2本に減らします、これも、「・・・・・せっかく、芽をだしたのに・・・なぁ・・・」 と、気の毒に思いながらの作業です。 そうして、肥料をすこしあげて、土寄せしました。
ネギさんも、花を咲かせます。 あんまり、人間ウケはしませんが、「ネギぼうず」 ってのができて、、あれが、、花なんでしょうね、、ちゃんと、決められたとおりに、、進めていきます。
ま、ネギは、下んとこで、スパッと切って、土にうずんでおくと、また、そっから芽がでてきましてね、、それを、夏すぎに、分けて、やれば、、また翌年に引き継いでくれます。
この春・・・・・ボクは、自分の愚かさに、のたうちまわりました。
そのぶん・・・・なんとも、花が・・・キレイに、、見えるように・・・想います。
ボクが、落ちたこと・・・・
落ちることを、、「オチタこそ・・・・わかった・・・」 に、、したいんです。
花が・・・・・美しい・・・・です・・・・