2005年07月

秋は、政治が相場を動かしそうです (2)

秋は、政治が相場を動かしそうです(1)の続きです。

前回のスケジュールに、突然加わりました。

8月末〜9月月初:小泉首相、北京を電撃訪問(靖国問題の政治的解決を目指す)
9月月初:小泉内閣改造、町村外相更迭
9月:胡錦涛・ブッシュ会談
9月:小泉・ブッシュ会談
11月:プーチン大統領来日、
この間、6カ各国協議が継続

=======今朝の共同ニュース===========
首相、9月下旬に公式訪米 首脳会談で同盟強調
日米両政府は小泉純一郎首相が9月下旬に米国を公式に訪問し、ワシントンでブッシュ大統領との首脳会談を開くことで基本合意した。日米関係筋が30日明らかにした。国連改革や米国産牛肉の輸入再開問題などで日米の立場の違いが顕在化する中、対テロや東アジアの安定に向け「強固な日米同盟」を再確認するのが狙いだ。

首相は9月14日からニューヨークで開かれる国連総会特別首脳会合に出席する予定だが、米側は国連総会での訪米とは切り離した公式訪問を招聘した。

首脳会談は9月26日前後に行う方向で調整。イラクとインド洋で活動している自衛隊の派遣延長問題や在日米軍再編が主要議題となる。米側はホワイトハウスで公式夕食会を開くなど国賓級で待遇し、対日重視の姿勢をあらためて内外に示す方針だ。
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急に、国際政治が動き出しています。半年前は絶望的だった六カ国協議が曲がりなりにも現在開催されています。小泉訪米も、9月に2回も行くなんて、通常とは異なる事態です。一気に何かがブレイクする可能性もあります。2回目は、胡錦涛・ブッシュ会談の後ですから、中米日の新しい関係が決定されるのが05年9月ということになり、今年の9月は歴史残る重要な月になりそうです。

8月末〜9月月初:小泉首相、北京を電撃訪問(靖国問題の政治的解決を目指す)
9月月初:小泉内閣改造、町村外相更迭
この2項目ですが、先週末専門家の意見を聞きましたが、彼は、可能性は非常に低いという判断でした。なぜなら、このシナリオは外務省の希望シナリオであって、小泉のシナリオではないからだということでした。期待されていないシナリオということですから、発生すればBigSurprise!!です。相場は上昇です。無くても、織り込まれていないので、何もNegativeではありません。

本の読み方

本は豊富すぎるほどあふれている。Netに書評がアップされるようになったので、良い本を見つける効率性は格段に進化した。
しかし、それでも一生の間に読める本は限られている。良い本を読み、不要な本を避ける努力は、自分の楽しみのための贅沢な時間を確保するためにも、必要になっている。

先日、尊敬する天才FMが、彼の友人のシカゴの大学教授の話を教えてくれた。
(1)本当に良い本を、(20冊ほど)何回も読むことが重要である。
(2)良い本は、2年間に何度も読んで、強い記憶にする。
(3)2回目、3回目とより短時間で、より深く、本の内容が理解できる。

(4)多くの本を、1回だけ読んだだけでは、1ヶ月後に残っている記憶は、ごくわずかな量に過ぎない。それほど人間の記憶力は弱いものである。私が今読に進めている脳に関する本にも、長期記憶と短期記憶の話が出てくる。

要は、良い本の内容を、短期記憶(D−ram、海馬)から、長期記憶(HardDisk、大脳新皮質)の中にいかに早く、大量に、移動させられるかが、読書の秘訣なのである。

私は、
A級書籍(長期記憶に取り込む本)
B級書籍(長期記憶の内容を補強・確認させてくれる本)
C級書籍(部分的に読む価値がある)
D級図書(読まなくても・・・)
と分けている。

現在の所有は、54冊
残りは、ブックオフへ行った。
一部の本は、必要部分だけをスキャナーで取り込んだ


日本株、強気の確認 (1)

6月以降、日本株に強気であると何回か主張しました。
相場が一節超えた、次はどうなる?(2)
人知れず離陸する日本経済: さあ、日本に投資する準備をしよう!
配当利回りをチェックする
などです。当初4月の下げで『買い出動』を宣言したので、5月の下げのときは、色々考えましたが、やはり株は安いという結論でした。それで6月に発生した上昇波動は継続すると判断したのです。

さて、3月の高値水準に近づいてきて、『SONYなど業績は思わしくないので、ここらで売り!』と考えている心配性の人は多いと思います。
そこで、強気を継続してよいのか、考えて見ました。



経済統計と株式や債券マーケットの予測という記事で述べたことをチェックして見ましょう。

最初は、所定外労働時間です。
残業時間の伸びが縮小していたので、マイナスになるかもと心配しましたが、まだOKです。現金給与もプラスに転じてきましたので、しばらく低迷していた消費は反転上昇するタイミングにきていると考えるべきでしょう。


次は、住宅と自動車の販売状況です。
これは問題なさそうです。住宅はマイナス圏から脱出しましたし、自動車は好調です。
先日、トヨタが『レクサス店』をスタートさせました。あの26日の台風の中、代々木でオープン・セレモニーを開催してました。なにやら、高級志向の消費が『女性のブランド品』から『男性のぜいたく品』に拡大する予感がします。
なお、CoolBizですが、贅沢品消費ではありませんが、はからずも贅沢品消費の呼び水になるかもしれません。私も会社がノータイ、CoolBiz対応になったので、2週連続で新しいシャツとズボンを買いに行きました。スーツと違って、ちょっぴりオシャレを考えました。つまり、この夏は日本全国でいい年をした男性がオシャレを考えたのです。私は、日本史上の画期的な出来事だと思っています。


鉱工業生産です。
在庫調整が終了しており、適度な在庫増を伴う健全な拡大が続いています。
アメリカ、中国の経済もOK状態ですから、心配はまだ早いです。


最後が、企業物価です。
これはやや心配です。原材料価格が上昇しており、製品価格の上昇が無ければ、企業のマージン(利幅)が縮小するからです。
価格下落を前提とした消費財は厳しいでしょうね。SONYの減益決算は、その象徴だと思っています。

全体を考えれば、まだ日本株を売る必要はなさそうです。特に所得の増加に対応した内需関連は強気でよいと思います。私は、消費者金融にずっと強気です。
ここに書いたように、サラ金ビジネスは変貌していると思います。


人民元、ついに切り上げ!!(6)1970年代の円高とは、環境・政策が異なっている(下)

上が、71年から85年の為替の推移で、下が同期間の日経平均の推移です。

為替の変動を、期間を分けてみますと、
(1)71年から73年初頭までの急激な円高、
(2)73年から75年の円安への戻り、
(3)76年から78年までの、200円割れという急激な円高、
(4)その後、85年G7・プラザ合意までの大きな変動を伴いながらの円安、
となります。

日経平均株価の変動を、期間を分けてみますと、
(1)71年から72年初頭までの急激な株高、
(2)73年から74年の株価の大幅下落、
(3)75年から81年央までの長期株高、
(4)81年央から82年の軽い軟調、
(5)その後、85年G7・プラザ合意までの長期株高、
と、なっています。




71年8月から73年2月(円の変動相場制移行)の実施までの2年間は、日本の経済政策が混乱した時代でした。新しい時代に対応した新しい政策を実施するのを躊躇・拒否し、激変緩和の名の下に、旧来の体制の温存に無駄な時間と費用をつぎ込みました。そのために、株と経済は乱高下したのです。

今日、中国はかつての日本のような経済政策の過ちで、経済を混乱させてしまうのでしょうか? それは次のBLOG(人民元、ついに切り上げ!!(7))で考えます。




当時の日本経済のおかれた状況ですが、1965年以降、日本の競争力が上昇し、円の実勢レート(フェアな為替レート)は円高方向に徐々に動いていました。それにもかかわらず、1971年まで為替調整(円の切り上げ)が無かったため、累積では大幅な円高水準が実勢レート(フェアな為替レート)になっていました。

そして、ニクソン・ショック後、12月17日に$=308円(約17%の切り上げ)が実施された時は、日本は『途方も無い円高を押し付けられた』と感じてしまったのです。1965年から徐々に円高策を実施しておれば、6年後の1971年には慌てずにすんだと反省がなされています。

さて、今日の中国の人民元の切り下げが、わずか2%でスタートしましたが、何故大きな不満の声が上がらないのでしょうか? これも次のBLOG(人民元、ついに切り上げ!!(7))で考えます。

当時の日本は、慌てましたので、『円高=輸出産業の壊滅的打撃=景気大幅悪化』と考えてしまい、1970年10月から実施されていた金融緩和が大幅に追加されました。その効果もあって、72年夏には景気は回復してきましたが、過度の円高恐怖症に陥っていた政府は、72年6月に公定歩合を4.25%という戦後最低水準まで引き下げ、さらには7月に『列島改造論』を標榜して政権に就いた田中角栄内閣は秋に『大型補正予算』を、73年1月には、『超景気刺激型バラマキ予算』を実施しました。
田中内閣の意図した内需拡大(=貿易黒字の縮小)は正しいのですが、時期と手法が不適切(間違い)だったのです。この経済政策の誤りは、以後1990年まで尾を引きます。

さて、中国は貿易黒字の縮小政策をどんな形で実行するのでしょうか? 次のBLOG(人民元、ついに切り上げ!!(7))で考えましょう。

日本の連続的な景気刺激政策によって、72年から『過剰流動性』が発生し、土地、株、一般物価を含めた資産価格の大幅上昇、高インフレが発生しました。いわゆる"Boom&Bust"のBoom部分(ミニ・バブル)が発生したのです。
整理します、71年;金融緩和、72年;財政出動=>72年過剰流動性が暴れだした、という流れになります。

2番目のグラフで明らかなように、72年に猛烈に株が上昇したのは、まさに過剰流動性相場(資産価格の大幅上昇)だったのです。

しかし、なんと『1973年10月に第一次オイルショック』が発生し、世界は不況に沈むことになりました。つまり、"Boom&Bust"のBust部分(バブル崩壊)が発生したのです。そのため、73年、74年と2年連続の大幅な株の下落になりました。

でも、株はオイルショック発生の遥か前の73年1月に大天井をつけて、下落を始めていました。その背景は、ハイパー・インフレの発生です。72年の過剰流動性は、インフレの高進も伴っており、オイルショック直前のCPIは+14%以上になっていたのです。インフレ上昇は、将来の金融引き締めを呼び込みます。
株式市場が金融政策の変化を予測した背景は、73年2月に実施された『円の変動相場制への移行』です。変動相場制に移行すれば、為替の呪縛から開放されて、インフレ対策が実施可能になるのです。インフレ対策とは金利の引き上げですから、流動性相場が終わることを意味します。

為替に固執すれば、『金利上昇は円高要因』ですから、金利の引き上げなど許されません。その呪縛が消えると何が起こるかを、株式市場は考えた結果、売り!と判断したのです。

さて、今回の人民元の切り上げ(管理フロート制への移行)で、金融政策が変わるのでしょうか? これも、次のBLOG(人民元、ついに切り上げ!!(7))で考えます。

人民元、ついに切り上げ!!(5)1970年代の円高とは、環境・政策が異なっている(上)

早速、先週は1970年代に円高を経験した日本との比較をする記事があふれかえりました。 事実を冷静に記述しておき、数ヵ月後に再考するのが良いだろうと思っています。

さて、日本は1960年代後半に対米貿易黒字が拡大していました。欧州も第二次世界大戦後の米国の援助政策(マーシャル・プラン)で、対米貿易黒字を記録しておりました。アメリカはベトナム戦争に巨額の予算(1500億ドル、54兆円)を使っており、アメリカの資産の減少が心配され始めていました。欧州各国(特にフランス)はドルの価値($=35トロイオンスの金といつでも交換を保障、金本位制)に不安を抱き、対米貿易黒字で累積したUS$を金と交換するように、アメリカに要求していました。
この背景には、インフレの進行で金価格が大幅に上昇していたことがあります。歴史的に金を重要な財産と信じているフランスが、『ドルより金!』という素直な思いを現実の行為にしたのです。

アメリカは、そんなことを額面どおり履行することはアメリカの国益に反すると考え、1971年8月15日の金・ドル交換停止宣言に至り、世界の為替はフロート制になってしまったのです。フランスの貿易黒字は、そもそも、アメリカからの形を変えた援助なのですから、フランスの行為は『恩をあだで返す』ような態度とアメリカが思ったたかもしれません。

いずれにしても、当時はドルに対する切り下げ圧力(アメリカの一人負け)という動きであったわけです。
第二次世界大戦後、日本、欧州を自腹(貿易赤字という手段を使って)で援助していたアメリカの体力消耗が原因で、ドルの価値を下げることになったのです。

それとの対比で言えば、今回は、中国の人民元、アジア通貨の切り上げ要請です。
井戸の中の『蛙(カワズ)』と思っていた中国が、トウ小平の経済自由化政策以降、急速に力をつけて、ついには『鯨(クジラ)』になってしまいました。そろそろ『ハンデを無しで、ゴルフしよう!』と欧米諸国が言い始め、それに中国が答えたという図式になります。


あなたは、一体いくつのStoryに投資しているのか? (6) 宴の後

壮大なバブル・宴の後、5年が経過しました。
昨夜(27日)が、ノキアが大暴落をしてから、ちょうど5周年だったのです。
5年も経ったのですから、冷静になって考えてみる必要があります。

いつからValuationがバブルになったのでしょう? 
なぜ、そんなValuationが正当だと思ったのでしょう? 
何故、単なる思い付き、勘違い、独りよがり・思い込みを疑う冷静さをなくしたのでしょう?
市場環境が浮かれてバブってしまったからだと、一般的に説明されています。
それは、いつからだったのかを、チャートで見てみます。
SP500のPERが、25倍を超えたのが、1998年です。 1999年は、30倍を超えてしまいました


2番目は、ノキアのPERです。
1998年に、40倍を超えました。
1999年には、60倍を超えて、最終的には100倍以上になってしまいます。




両方を冷静に眺めれば、
1998年が、バブルになった年(バブル前半:成長期)
1999年が、バブルが完成した年(バブル後半:完成期)
2000年は、バブルが自分の重さに耐えられなくなった年(バブル爛熟崩壊期)
だったのだなと思います。

ノキアは、バブル前半で、株価が2倍になって、後半(PERが60倍を超えてから)には、株価は3倍になっています。 バブルになったからといって、即売却したら、多くの儲けを見逃してしまいます。 1996年(一旦半値以下になった後)からが、ノキアのメジャー・デビューとしても、4年間の壮大な相場です。株価は、1.36から65まで、4年で48倍になります。

壮大なStoryは壮大なバブルになりますので、バブルをうまく利用する冷静なずるさも必要です。要は投資する金額のコントロールですね。冷静に利益を確定させながらポジションを縮小する心です。
これは、現在のアメリカの住宅株に当てはまりつつあると感じています。


-
ノキアの相場の本当の始まりは、1992年11月です。終わりは、2000年7月です。
最後に掲載したのが、その間の株価チャート(対数グラフ)です。対数グラフは、角度が同じであれば、上昇率が同じであることを示しています。

ノキアは95年終盤から96年前半の調整期(半値以下になっています)をはさんで、前半、後半、ともに同じ角度、同じ上昇率で株価が上がり続けました。通常の相場では、後半は時価総額が大きくなるので、上昇率が鈍ります。企業は地球より大きくなれないからです。
しかし、バブルになれば、最後まで上昇率が鈍りません。ノキアはその典型だったのです。



あなたは、一体いくつのStoryに投資しているのか? (5) 脱出の鐘の後

携帯電話というStoryの主役を演じたノキアですが、NASDAQが2000年3月10日に大天井を打った後も上昇を続けました。

白がNASDAQで、緑がノキアです。大体、NASDAQに2ヶ月遅れて、ノキアもピークを売ったと見てよいでしょう。


ノキアは一瞬にして大天井から転げ落ちたのではありません。約5ヶ月間15%程度の大きな変動(Volatility)を伴いながらボックス圏の動きを続けました。そして、ついに7月27日運命の日、地獄へ落とされる日がやってきました。その日の記事をBloombergから転載します。

====(価格はADRなので、この記事では、US$です)===
ノキア(NOK):ADR(普通株1株に相当)は14 5/8ドル(26%の41 3/16ドル。携帯電話メーカーのノキアは、新製品の発売を待つ顧客の買い控えが響き、第3四半期の利益は前期より減少するだろうとの見通しを示した。ノキアの発表をきっかけに、RFマイクロ・デバイシズ(RFMD)など通信機器用半導体メーカー株が軒並み安となった。RFマイクロは8 1/2ドル(11%の71ドル。テキサス・インスツルメンツ(TXN)は7 1/4ドル(11 %の56 13/16ドル。トライクイント・セミコンダクター(TQNT)は10 1/16ドル(21%の38 9/16ドル。モトローラ(MOT)は3 1/4ドル(9%の33 3/8ドル。フラッシュメモリー(電気的に一括消去・再書き込み可能な読み出しメモリー)メーカーのシリコン・ストーレッジ・テクノロジー(SS TI)やアトメル(ATML)なども急落した。
アマゾン・ドット・コム(AMZN):4 11/16ドル(13%の31 3/8ドル。インターネット通販大手のアマゾン・ドット・コムの第2四半期売上高は5億7790万ドルと、調査会社ファースト・コールがまとめたアナリスト予想平均の5億8500万ドルに届かなかった。特別損益計上前の実質純損益は33セントの赤字となった。アナリスト予想平均は35セントの赤字だった。
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7月27日の業績下方修正で、とてつもない出来高を伴って、大暴落を演じたのです。

株価の下落の背景は、業績下方修正です。当然下がります。
しかし、通常の下落ではなく、大暴落になった理由は、バブル的な超超割高なPERです。3番目のグラフにあるように、暴落前のノキアのPERは、100倍を超えていました。95年〜96年のPERは、15倍以下でした。
これほどバブルになったValuationの時に、『青天の霹靂』的な業績下方修正が出たので、大暴落したのです。

しかも、ハイテク相場全体は、2月のバロンズで『Burnibg Ratio』(中身の無い企業実態)を指摘されて、3月10日に大天井を打って、下落基調になっていたのです。ですから、投資家は、『ワラをもつかむ思いで、ノキアにすがっていた』のです。その最後のワラがブチッと切れたのです

これは、もう、何が何でも逃げるしかありません!
Valuationが下がったから買い! などどいう寝ぼけたアナリストのBuyCallに耳を貸してはいけません。バブルから目が覚めたのです!
もう時代が変わったのです。



Storyが終わってしまってからの、無残な姿のノキアです。
しかし、その後一直線で下落したわけではありません。
大相場を演じた株は、のた打ち回って、ゆっくりと、しかし大きなVolatilityを伴って、そして徹底的に下落するのです。

65から、40割れ(10月)まで下落した後、12月には、60近くまで大幅な戻り相場となります。しかし、それが最後の売り場でした。


5番目の図は、現在のノキアのPERです。
PERは、バブル以前の水準に戻りました。
今は、約17倍です。
今から思えば、やはり100倍は変だったねという常識に戻ったのです。

これまでバブルは10年に一回程度の割合です。
次回のバブルは、2009年(?)かもしれません。

事例でバブル銘柄を示したのは適切ではないかもしれませんが、気をつけるべきポイントは良く出ていると思います。




不動産バブルのチェック (1)

7月3日に、アメリカの住宅に『バブル宣言』したわけですが、その後の足元チェックです。

6月の中古住宅販売は、グーンと上昇しました。
住宅価格も順調に上がっています。
先月までの住宅ローン金利は、長期金利が下落してましたので、それに連動して低下してました。火に油を注ぐ感じです。

しかし、今や、金利がいくらだろうが、住宅価格が値上がりするのでかまわないという状況になってきました。鞘が抜ければ良いのです。住むわけじゃ無いですから、、、、


右が長期金利です。
今月になって、急速に金利が反転上昇しています。
これは株価の頭を抑える悪いサインです。


住宅株の推移です。
この株を持って無い投資家って馬鹿じゃないの、という綺麗な上昇曲線です。
しかし、今週になって、ちょっと変調です。金利の上昇もあるでしょう。それに、週末の金融業界の週間ポストたるバロンズに『住宅はバブルだ! おかしいぞ!』という特集記事がでたこともあります。

実は、ドット・コム・バブルに警鐘を鳴らしたのが、(記憶が正しければ)、2000年の2月のバロンズの記事でした。当時は、『金食い虫のドット・コム企業は危険だ!投資家から集めた金を食いつぶしている! このまま行くと、金が無くなって会社が存続できなくなるぞ!』という警告を発しました。『Burning Ratio』という言葉が紙面に出ました。BurningRatioとは、企業が保有しているCashを前提に、追加の資金調達ができなければ、あと**ヶ月で金がなくなるという一覧表を示したものでした。
そして、その翌月の3月10日にNASDAQは、大天井を打ったのでした。

先日の記事が、住宅株をノックアウトするか否かは、不明です。
バブルとは、懸念を乗り越えながら巨大化するのです。これまでも昨年来何度も警告らしきものが発せられ、そのたびに警告を乗り越えて株価が上昇しました。業績が追いついてきたこともありますが、懸念をひとつ乗り越えるたびに、投資家の自信は増長しています。それが、ガードが甘くなってきていることを意味しますが、そのガードの甘さこそが、バブルの本質なのです。



住宅株のValuationの推移です。
6月以降の急上昇で、PEが10倍程度に上昇しました。ここらまで来ると、過去(2000年以降)はいったん調整しています。季節性があるのかは知りませんが、年の後半は調整することが多かったです。3番目のチャートで見ても移動平均線からの乖離も相当大きいです。

バブルになっている時は、株価変動が大きいことが特徴です。
大きく下げますが、後にしっかり出直って、大幅に新値を更新するのです。
懸念を乗り越えるたびに、変動幅も大きくなります。その背景は、長期投資家よりも、短期売買のトレーダーの割合が多くなるからです。

ということで、ここは一旦撤退かなと思います。
さて、予想通り下がって、2ヵ月後に再度Tryできるかしら?
それとも、あっと言う間に、上に踏み上げられるかしら?
ことしのVolatilityはどれほどの大きさかしら?



===追記===
しかし、もっと過去まで遡ると、97年〜98年の住宅株のPEは、約15倍もありました。
当時も業績絶好調で、EPSは上昇するし、PERは拡大するしで、株価はガンガン上昇したのです。そういうPERになるとすれば、住宅株は、ここからさらに倍になります。それが今始まるのか? 一旦調整してからなのか? 神のみぞ知るのです。
<<過去記事>>
不動産の"より馬鹿ゲーム"が始まった (1)

不動産の"より馬鹿ゲーム"が始まった (2)

不動産の"より馬鹿ゲーム"が始まった (3)


あなたは、一体いくつのStoryに投資しているのか? (4)

投資後のチェック・ポイントです。
投資する前は、買うか? 買わないか? 選択の自由があります。

しかし、一旦投資してしまったら、次は、売るという判断をどこでするかになります。選択の自由が無くなるのです。(厳格な区分で言えば、買い乗せは、判断ではありません。)

前置きが長くなってスイマセン、結局買ったあとのフォロー・ーアップは、
『そのStoryは、まだ生きているか?』を冷静に判定する地道な作業です。

(1)テーマの状況・環境に変わりはないか?(Theme);代替製品、強力ライバルの出現で、環境が変わっていないか?
(2)それは、儲かるのか?(Profitability);予定通り利益が出ているか?
(3)既に織り込み済みではないのか?(Valuation);全員が参加状態になって、盛り上がりすぎになっていないか?
といった、単調な判断作業(指差し確認)が売りの時まで、延々と続くのです。


右は、前回以降のノキアです。

トンでもない!
化け物のような上昇です。
こんな状態なら、左団扇で保有継続できたと思うでしょう、いえいえ、そうは問屋が卸しません!!
次のチャートを見てください。


1994年〜1995年のチャートです。
95年の9月から、ドカンドカンと暴落しています。

一個上のチャートだと、『まあ、横ばいの期間が少しあったのね』ぐらいにしか見えませんが、95年の秋にノキアを持っていた人は大慌てだったのです。
株価が、半値以下に下落したのです!


もうノキアは死んだ!
売れ! 売れ!
そんなブローカーが激増したのです!

これを耐えて、しっかりキープできた人は一握りでした。
そして、その後、96年1月10日に安値(1.36)のダブル・ボトムをつけてから、2000年6月23日の65の最高値まで疾風怒涛の上昇となるのです。

こんな変動幅に、あなたは、付和雷同せずに、ついていけます?


あなたは、一体いくつのStoryに投資しているのか? (3)

何故、その話が面白く、何故、その話に乗ってみようと思っているのかを、『紙に書き出す』と言っても、闇雲に書いても収拾がつかない。
私は、(1)投資テーマ、(2)利益、(3)株式需給・Valuation、というように3分類に整理して書き出すことが多い。この辺は、各自の好みであり、自分のやり方・スタイルを見つければ良い。

過去の例を示してみる。後から書くのは、誰にでも、簡単に、書けるし、途中の悩んだり迷ったりした見苦しいプロセスも美化されてしまうので、割り引いて読んで欲しい。

(1)投資テーマTheme );この商品・サービスは、今後急速に流行・拡大しそうだ。そうすれば利益も急増しそうだ。どんな商品・サービスで、何故、人々(顧客)に支持されるのかを、書き出して見る。 

例えば、『携帯電話』である。
それは、1980年代後半に最初に携帯電話を見た時である。1988年の冬だったと思う。ロンドン(City)で“その後一番の高給取りになるイギリス人の債券FM”と寿司を食いに行った時のことである。彼が、でっかいアタッシュ・ケースから、何やらニヤニヤしながら取り出したのが、私が携帯電話を眼前で見た最初であった。大きさは、幅;10cm、長さ;30cm、高さ;5cm、重さ;忘れたが、1kg超(?)というもので、アンテナの長さが30cmはあったと思う。バッテリーは2〜3時間程度しか持たなかったかもしれない。彼がこの携帯電話のダイアルをプッシュして、同席していた彼の親友の自宅に電話して、3〜4人で重たい電話機をワイワイ回しながら会話して遊んだ時が、まさに『私が携帯電話というStoryが落ちているのを見つけた時』であった。

でも、私の最初の反応は、『こんな重たいもの携帯できるか! えーっ、30万円! 1分500円! 保証金も必要! 誰が買うんじゃ!』 私は、全く馬鹿であった。
したがって、この時点では『私が携帯電話というStoryにぶつかったけど、Storyとは気づいていない』のである。

結構月日が経過してから、あの夜を思い出した時、『面白い!と思ったじゃないか!』 
何故、面白かったのか? いつでも、どこでも、電話して声が聞けるって、いいな!便利だな! 
だって、ロンドンの公衆電話は、ほとんどが壊れていて、いざという時はサッパリ使えない。
自分専用の電話機が持ち運べれば、この不便さから開放される!
しかし、でっかくて、高価だな! 小さく、軽く、安くなれば、良いのになあ、、、、

そして、それから、さらに月日が経過して、やっと思った。技術の進歩は素晴らしい、どんどん小さく、軽く、安くなって行く。便利で面白いのだから、きっと人気が出そうだ。私も欲しい! みんなも欲しがるだろう!
その少し前、TVなどを製造していたフィンランドのノキアという会社が、イギリスの携帯電話を製造していた会社を買収した。これが、歴史が扉を叩いた瞬間であった。そして、携帯電話という投資テーマが明確に浮かび上がった瞬間だった。
そして私は、何年も経過して、やっと投資テーマかもしれないと認識した。

(2)利益それは、儲かるの?)(Profitability);投資テーマがあるとしても、そのテーマに関連する企業は儲かるのか? 利益無き繁忙にならないのか? 一発屋的に消えてしまわないのか? どの程度の利益が、どれくらいの期間、期待できるのか? その値段なら、顧客が喜ぶのか? 対抗商品・ライバルの出現が、需要のパイの伸びを上回って、過当競争・値崩れにならないのか?

『電話機はタダ』という販売手法(今では当たり前になったが、当時はこんな手法は、長くは続けられないと思った。またまた私は馬鹿であった。)が採用されているようだ?? 保証金も大幅に下がったようだ! なんだか、急に多くの人が買い始めたようだぞ! 顧客は喜んで買っているようだ。端末をタダで配っても、1年後からは、電話会社は儲かるようになるらしい。『電話機はタダ』手法の採用で普及に弾みがつきそうだ。こうなれば普及率が30〜50%ぐらいには達すると考えれば、携帯電話に関する企業群は、随分儲かるかもしれない。
技術の進歩で、どんどん小さく、軽く、安くなって行くので、買い換える人も多そうだが、『電話機はタダ』なんだから、ユーザーは財布を気にしないで買い替えもできる。買い換えると、電話会社は再度補助金を負担しなきゃならないから、電話会社よりも、携帯電話を作っている会社の方が、量が出るので面白そうだ! 量が出れば、数量効果で利益率はかなり上昇するはずだ。
どこまで行けるか不明だが、乗って見ても面白そうだ!



(3)株式需給・Valuation既に織り込み済みではないのか?(Valuation);もう全員が参加して、盛り上がってはいないか? 

携帯電話への投資と言えばモトローラであった。しかし、1993年ごろから主役はノキアに変わっていく。最初は、なんだこのちんけなフィンランドの会社??
ということで、PEもかなり安かった。当時は携帯電話よりも、それ以外の方が主流の会社と思われていたのだ。その後ノキアは携帯電話以外のビジネスを大胆に売りはなって、今日の姿に変貌していくのだ。
右は、1991年から、1994年のノキアである。この後、株価は40を越えるまでの上昇になるのだが、そんな壮大なStoryとは、露ほどと知らずの私であった。



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