2012年04月

市場経済のソフト部分導入で逡巡するベトナムの苦悩

後から追いかける国は、先に発展した国の良いところだけを模倣して2倍速3倍速で経済的な発展を目指すことが可能だ。

しかし、先進国が今日に至るまでに経験した数々の失敗を通じて先進国の国民が学習し成長した「民度の高まり」は現実の政治経済で重要な要素であるが、追いかける国の国民が2倍速3倍速で獲得することはできない。

経済は人間が担うものだが、ハード部分ともいえる「表面的な経済や企業運営の技術やノウハウの導入」と、ソフト部分と言える「それを現実に毎日実践する国民の民度」の両方が同じレベるに達しなければ、様々な不都合や失敗で躓いてしまう

新興国が経済運営や企業経営で失敗するのは、往々にしてソフト部分の未成熟によるものである。

中華人民共和国は、1949年に成立した。
ベトナム社会主義共和国は、1976年に成立した。
両国は、2倍速、3倍速で先進国を追いかけている。
中国は、1978年から市場経済を導入した。
ベトナムは、1986年から市場経済を導入した。
先進国と中国・ベトナムのソフト部分の格差は今後10年経過しても埋まらないだろう。
中国とベトナムのソフト部分の格差も、同様に長期間埋まらないだろう。

今週のFinancial Timesに興味深い記事があった。
FT記事( http://www.ft.com/intl/cms/s/0/d3ed32ce-8dc7-11e1-9798-00144feab49a.html#axzz1tLgcyifA ) 

経済的に大成功した Ms Yen 女史を政府に参加させたベトナムだが、ベトナム共産党は経済発展に関する彼女の得たソフト部分を生かせずに彼女を排除することになったようだ。
The rapid political rise and fall of Ms Yen, a former local government official who made her money developing Vietnam’s first international standard industrial parks in the 1990s, underlines the wider difficulties faced by the Communist party.

中国は、江沢民の時代に 国家の資本主義化を進め、1992年以降に資本家を共産党員にする道を開いた。建国後43年、市場経済導入後14年が経過していたが、ゆっくりと事を進めた。

ベトナムも社会主義型市場経済を目指す、ドイモイ(刷新)政策を開始し、改革・開放路線に踏み出したが、民度を高めるソフト部分の習得には苦労しているようだ。
China’s rulers have moved much faster to co-opt leading business people into the Communist party and the government while their counterparts in Vietnam have struggled to fit the emerging group of well-connected tycoons into their ostensibly Marxist-Leninist political narrative.

Vietnam

彼女が選出された時は、ベトナム共産党には党の改革開放に積極的だった。
The election of Ms Yen and her brother in May last year, in polls where only a handful of heavily vetted independents were allowed to stand alongside the ruling Communist party candidates, was seen by analysts at the time as a sign of growing openness within the party.

彼女は国営企業の非効率性などをズバズバと指摘した
In a country where public debate is curtailed by overt censorship, Ms Yen has been outspoken in her attacks on corruption and wastefulness at state enterprises and her calls for a level playing field for the private sector and foreign investors.

しかし、ベトナム共産党は開放政策や、非効率な国営部門の改革に後ろ向きになった。
But her downfall, played out in full public view, raises questions about the direction of the party at a time when the government is trying to implement wide-ranging reforms of the debt-ridden and inefficient state enterprise and banking sectors.

この後ろ向きの変化は、党にとっても経済にとっても、好ましく無いだろう
These changes are vital if Vietnam is to rekindle its waning economic prospects but will challenge vested interests within the government, party and business community.

下は、ベトナム株の推移(現地通貨ベース)
Vietnum


こっちは円ベース
vv

参考:ウィキペディア:ベトナム

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(資料) 日本 GDP

名目GDP、実質GDP、デフレーター
GDP


データ:ウィキペディア:国内総生産

内閣府:歴史的資料(http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/data/data_list/kakuhou/files/rekishi/sna_top.html )

スイスのHF規制強化への変心

今週、もっとも重要だと思ったFTの記事がコレ

世界を覆う「規制強化」の流れは、「
なんでも自由、やりたい放題」だった時代に対する反作用だ。
そして下のブログの特集記事で書いているように、これは10年単位の流れだと思っている。


(1)スイスの規制強化は、HFに最も強烈なパンチを与える国にスイスが変わってしまう事を意味する。
(2)スイスから海外に投資する資金(=世界から集まっている)も規制の対象になるので、影響は大きい

まだ最終的に決まったわけではないが、これから強烈な「業界とスイスの戦い、せめぎ合い」が繰り広げられるだろう。

http://www.ft.com/intl/cms/s/0/78ef5710-8581-11e1-a394-00144feab49a.html#axzz1s0ys2g00
規制強化のスイス

 
  参考ブログ記事:規制強化の時代
http://blog.livedoor.jp/okane_koneta/archives/51500078.html

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日本の4回の土地バブル & 中国の4兆元の経済対策=列島改造計画

原因は何であれ不景気になると、景気対策が実施される。

名目GDPの成長力が高い時代(=経済が若い時代、若い国)なら、税収が時間とともに増加するし、足元の財政も余裕があるので、財政支出(=実弾)で景気を復活させるきっかけを作れる。

しかし、成熟国になれば、巨大化した社会福祉が予算の大半を占める状態になるうえ、選挙目当てにバラマキが累積しているので、国家予算は「借金に借金を重ねる」状態になっている。
ゆえに、成熟国では実弾、真水の財政支出が打てないので、景気対策のほとんどが、金融政策(=金融緩和)になってしまう。

経済に活力が残っていて、企業経営者にファイティング・スピリッツがあれば、金融緩和で大量に供給された資金が現実のビジネスに使われて、名目経済を活性化させる。

経済の活力がなければ、金をつぎ込んでビジネス的な勝負に打って出ても、事業に失敗して借金だけが残る確率が高いので、企業経営者は殻に閉じこもってしまう。
そうなれば、ジャブジャブになったマネーは証券市場、商品市場、不動産市場という非実物経済領域に投機マネーとして流入する。

活力のある国家や地域においても、 企業や経済が手ひどい打撃を受けた場合には、マネーがリアル・ビジネスに流れずに、一時的に 非実物経済領域に投機マネーとして流入して一定期間滞留して問題を起こす時がある。

経営者や消費者の心の問題、心の状態は経済の復活上昇の重要なファクターだ。 

21世紀になって起こった世界的な住宅不動産価格の上昇は、後者の状況で発生したものだった。

参考 関連する過去記事
(1)日本の景気回復に必要なこと (1)規制緩和
(2)日本の景気回復に必要なこと (2)技術開発と能力開発を応援する制度と風土

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戦後日本の不動産のバブルに関しては、「2010年10月10日:都市再生に活路を求める国土交通省」で触れたが、4回あったと言うのが国土交通省の認識である。
4回の内容は下図の通り。

不動産バブル

これを矢野研究所が出している市街地の価格動向と対比させると

1961年〜1962年 : 
戦後の復興期の後半で、朝鮮戦争(1950年〜53年)特需で儲けて余裕のできた日本の製造業は、体力をつけていた。1964年の東京オリンピックに向けて、首都高速道路、新幹線などの巨大プロジェクトが始動していた。
元気な日本企業が、工場の新設・拡張などの大規模設備投資を始めた時期に当たるのだと思う。(データで裏はとっていない)

1973年〜1974年 :
これは田中角栄の 日本列島改造計画の落とし後だ。
オイルショックと相まって、当時の狂乱物価は猛烈だった。
労働者の賃金が上昇するのは2〜3年のタイム・ラグがあるので、「住宅は庶民には高根の花」という叫びが長期間続いたと記憶している。

1987年〜1990年 :
金融バブルが引き起こした土地住宅投機とその崩壊は、鮮明な記憶、多大な損失、そういう経験をした人が数多く生存していると思うので、説明は不要だろう。

2006年〜2007年 :
世界的な不動産関係の証券化商品バブルの波で、Jリートが変な暴走をした事も、このバブルの構成要件だが、それゆえ大都市の商業用ビルだけがバブルの対象だったと判断している。


地価上昇率


上記の土地不動産バブルを、日本の都市化と組み合わせてみれば面白い。

1回目 :実需
東京オリンピックの頃を最盛期として、猛烈な都市化が進んだ。
戦後の日本経済の復興再生は、地方と農村部から安価な労働者を都市部に引っ張ってきて、工場労働など第二次産業に従事させる、これは国策だった。

都市部の住宅は無かった。
団地(6畳+4畳半+DK)が都市周辺部に猛烈に増え始めた。
建てても、建てても、足らなかった。
一時的な余剰感はあっても、オイルショックで経済が冷え込むまでは、慢性的な住宅不足への対応は政府の緊急の課題だった。

住宅公団、住宅金融公庫、銀行の住宅ローン、住宅金融専門会社、多くの対応がなされた。
それでも後手後手と言われた。


あq人口の流出入


2回目 : バブル
1987年ごろをピークとした都市への人口流入
これは規模が小さい。
東京の国際都市化、Japan as No.1、東京への外資系証券の大量進出、
株式バブルで時価総額が増えたことで、何かを勘違いした企業の土地投機


まさに一生に一度の異常なバブルだった。
異常の後は悲惨が来た。

3回目 : 避難
2008年ごろをピークとして、現在まで続いている都市化
これは社会インフラという観点で、地方を遺棄して都市へ逃げ込む現象だと、私は理解している。
地方財政と地方経済を冷徹に観察すれば、地方での社会インフラの維持は困窮を極めている。
今後も、都市への避難は継続するだろう。

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中国の土地バブルは、1990年前後にもあった。それ以前は調べていないので知らない。

まずは、経済成長が続いていること、都市化が進んでいること、それらがある限りは住宅価格は下がりづらいと、私は判断している。
それに、中国の現状は、日本の一回目:実需の土地上昇メカニズムが働いているわけで、中国も田舎から住宅を背中にしょって都市に来ることはでないという事実は、日中の変わりは無い。

関連する参考過去記事:昭和50年代の日本のエッセンス = 2010年代の中国の教科書 

GDP成長率だが、今後は、徐々に経済成長率は下がるだろうが、10年単位の出来事だと考えていた方が良いだろう

下は、中国のGDP成長率推移

中国GDP

なお、胡錦濤・温家宝コンビは、リーマン・ショック後の世界経済の落ち込みに対応して、2008年11月に4兆元の大規模緊急経済対策という大盤振る舞いを実施した。
この資金が、とりあえず早期に経済対策の効果・成果を北京政府に誇示できるビル住宅開発、港湾道路インフラ工事に流れこみ、下図にあるような不動産価格の上昇になってしまった。

意図的、確信犯的(=副作用を認識上での)な中国版列島改造計画だったと、私は理解している。
確信犯であれば、その後に何をすべきかも最初から分かっているわけであり、その後の不動産に対する引き締め政策がキッチリと「お灸を据える」方針で実施継続されたのだ。

下は、2010年末までの推移
 chinaPP


最後に、PIIGS危機の次のターゲットとされているスペインの住宅価格の推移を最高に掲載しておこう。

House price


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中国メモ(3) 国家主席と国務院総理

国家主席と国務院総理
現在は、  国家主席=胡錦濤、国務院総理=温家宝、というコンビ

国家主席(参考:ウィキペディア)

現行の中華人民共和国憲法(1982年憲法)によると、中華人民共和国の公民(国民)で、選挙権および被選挙権を有する満45歳以上の者が、全国人民代表大会によって国家主席に選出される。任期は5年、連続3選は禁止されている。
日本には、国家主席に対応する制度はない。 企業で言えば、CEO+Chairmanに近いのかもしれない 

国務院総理(参考:ウィキペディア)

中華人民共和国憲法(1982年憲法)の規定によると、国家主席の指名に基づいて全国人民代表大会で選出され、国家主席が任命することになっている。しかし、憲法に中国共産党による国家の領導(指導)が明記されているため、実質的な人選は中国共産党中央委員会によって行われている。
国務院の任期は全国人民代表大会の任期と同一とされているため、通常、国務院総理の任期は5年。連続3選は禁止されている。
日本の総理大臣の地位に近いが、企業で言えば、 国務院総理は、COOに近いのかもしれない 

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中国は建国以来、長期間にわたって「正式な役職とは無関係に、個人が国家と政治を独裁」した時代が続いた。
小平は、一回も国家主席になっていない

現在の形式が整って、近代国家になったのは、江沢民からである。

国家主席

国務院総理は、周恩来に始まる
経済政策など重要な政策を担当」してきた。
建国からの約70年間で、6人である。

国務院総理


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中国メモ(2)

facebookにちぎっては投げたメモの集積(その2)

 

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重要な事8

温家宝の発言と素早い行動

不正・汚職の追放

法治主義の徹底


温家宝首相は、国務院(内閣に相当)で演説し「中国共産党が直面している最大の脅威は汚職だ。この問題が解決しない限り、政治権力の性質が変化する可能性がある」と指摘した。


国民の間で政府関係者の汚職に対する不満が高まり、大規模な抗議行動なども発生するなか、首相は、家族情報なども含めた個人情報の詳細を開示するよう、政府高官に求めた。

 

http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPTJE82P01920120326


重要な事9


薄煕来に対する最終的な処分は決まっていない

胡錦濤・温家宝 VS 周永康・薄煕来

この争いは終わっていない


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%A8%E6%B0%B8%E5%BA%B7
 

ロシアからの報道

中国国民の多くは、生活水準の向上を当然のごとく享受するが、エリート層と「一般庶民」との所得格差の拡大には腹を立てている。このような庶民の思考を読み取り、薄氏は重慶市において文字通り「金持ちを追い詰めた」のだ。「金持ち」と腐敗した公務員を追及する政策は、重慶市政の枠内で行われたに過ぎないが、中国社会に毛沢東時代を髣髴とさせ危険を感知させた。


 アジア・アフリカ研究所のアンドレイ・カルネエフ副所長は、「新左派による改革は中国を数十年前の状態に引き戻す可能性がある」と指摘している。


 そのようなシナリオを避けるために、中国政府は政治改革と透明性の必要性について言及し、社会的対立をうまく収めようとしている。


 しかし、社会的格差が拡大する状況においては、左翼イデオロギーは依然として支持されることが予想される。そのため、ルジャニン教授は今回の薄氏更迭で、左派と右派の対立が終結したと捉えるべきではなく、反対に、この2派閥の対立の火蓋が切って落とされたと考えるべきだと述べている

http://japanese.ruvr.ru/2012_03_16/68694318/

めも

一昔前は政治家の「鶴の一声」がチェック機能を果たす場合もあったが、習近平を中心とする次世代指導者はますます官僚化、弱体化しつつあり、あまり期待はできないだろう。


 1972年の国交正常化以来、日本政府は主として中国の政治家とのパイプ作りに腐心してきた。いざという時の毛沢東、周恩来、小平らの「鶴の一声」に期待し、かつそれに依存してきたからだ。


 しかし、中国の政治家の影響力が低下した今、これまでのような政治家とのパイプ維持だけでは不十分である。


 どうやら日本政府も、中国国内でのチェック・アンド・バランス機能強化を念頭に置いた対中政策作りを考え始める時期に来ているようだ。


 当然中国側からは内政干渉と反発されるかもしれないが、チェック・アンド・バランス機能の欠如がいかに恐ろしいかを中国側政治家に直接伝えることも、立派な日中外交である。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/34878


重要な事10


3月14日 全人代後、温家宝、3時間の記者会見

<大きな動きは、ここから始まった>


温首相は記者会見で「経済体制改革だけでなく、政治体制改革、特に共産党・国家の指導制度改革を進めなければならない」と断言。

共産党の絶対的権限が政府に介入するなど党に権力が過度に集中する実態を改め、「党政分離」を進める必要性を訴えた。


さらに温首相は「文化大革命(1966〜76年)の誤った封建的な影響がまだ完全に取り除かれていない」と指摘した。

その上で「政治体制改革が成功しなければ、経済体制改革で得た成果も失われるばかりか、社会で新たに発生する問題も解決できず、文革の歴史的悲劇を繰り返すかもしれない」と警告。

社会を大混乱に陥れた文革に言及し、党幹部に改革に向けた決意を持つよう促した。


3月14日夜 : 薄煕来の解任


3月19日夕方 : サンフンカイ(新鴻基)の身柄拘束


3月29日 : レイモンドとトーマス・クオック兄弟が贈収賄の疑いで当局に拘束される


http://www.jiji.com/jc/zc?k=201203%2F2012031400639


重要な事11


胡耀邦の政策が急速に復活している


例1:http://www.epochtimes.jp/jp/2012/03/html/d31914.html

温家宝首相、天安門事件や法輪功などの名誉回復を提案か


例2:http://www.epochtimes.jp/jp/2012/03/html/d15767.html

改革開放派の名誉回復&復活


関連過去記事:

https://www.facebook.com/shoka.haruyama/posts/397358393607829


追加メモ:

法輪功は、中国伝統文化の一つである気功の心身健康法。1990年代初期から中国社会で学習する人が爆発的に増え、弾圧されるまでは、愛好者は1億人に上ったと推定されている。当時の江総書記はこのことを政権への脅威と受け止めて、1999年7月に弾圧を命じた。一説では、当時、中共の最高政策決定機関である「中央中央政治局」の常務委員7人のうち、江沢民氏を除いて6人は弾圧を支持しなかったという。法輪功の公式サイトによれば、13年間に及ぶ弾圧によって3400人以上が拷問などで死亡、数十万人は投獄されているという。


 江沢民派閥の主要メンバーで、今年10月の政権交代で次期政権入りの可能性が高いとされていた重慶市の共産党委員会の薄煕来書記が15日に最高指導部から解任された。その後、これまで中国国内のインターネットで厳しく情報封鎖されてきた六四天安門事件や法輪功の関連情報が、中国の大手情報検索サイト「百度」で一時検索できるようになっていた。


 中国問題の専門家は、江沢民派閥にとってこれらの問題は最大の弱点であり、胡・温政権とは従来から意見が対立している、との見方がある。


追加メモ2:3月15日の報道メモ

中国人民大学新聞学院の喻国明副院長は電話インタビューで、「温首相はこれまでもこうした話をしてきたが、今回はより悲劇的な口調だった。温首相はかなり孤立しており、共産党指導内のコンセンサスではないだろう」と述べた。


重要な事12


良いことであっても、変化に直面すると、多くの人々は、

おびえる。怖がる。避けようとする。反対する。


「保守」とは、自分の身の安全を維持したいという生物の本能に根差している。


政権の変更、政変。。。。平和裏であれば良い

歴史的に粛清、暴力を経験した国では、「今度も・・・」と不安が広がる。


現在の中国が、その状況にある。


報道にある「江沢民前主席に忠誠を誓ってきた郭伯雄・党中央軍事委副主席ら軍首脳が、今年に入り相次ぎ胡主席支持へと乗り換え始めた」は真実であれば、平和裏の政権移譲が実現する


http://sankei.jp.msn.com/smp/world/news/120322/chn12032222090004-s.htm


重要な事13


チベットと天安門は、Political Hot Potato

間違えれば、言い出した方が返り血を浴びて失脚する


改革派なるも弾圧を命令した小平、

話し合いを模索して失脚した同じく改革派の趙紫陽、

両改革派の歴史的な評価に関係する


温家宝は、小平の評価を変えずに、趙紫陽の正式な名誉回復を目指していると思う。


http://sankei.jp.msn.com/world/news/120322/chn12032214270002-n1.htm



趙紫陽 - Wikipedia


めも:ロシアからの報道

「天安門事件について、より客観的な評価は遅かれ早かれなされることは避けがたい。中国ではよくあることだが、名誉回復のテーマを取り上げる権利をめぐって、すでに競争が始まっている。これを手にすることで政治的にもモラル的にも大きく点数を稼ぐことができ、歴史に名を残すことができるからだ。」

http://japanese.ruvr.ru/2012_03_28/69852462/


重要な事14 アメリカとの関係


(1) 米国会外交委員会は3月19日から、王立軍事件について 

の諮問調査をはじめた。中共内部からの消息筋によると、王立軍は周到な計画を立てたうえで米領事館に駈け込み、政治亡命を求めたので、中共の政治や経済に関する極秘情報を多く米領事館に提出した。

米国の情報専門家はこれらの情報を見て、非常に驚き、はなはだ興奮したという。

http://www.epochtimes.jp/jp/2012/03/html/d81709.html


(2)入手した可能性のある機密情報(ライバルの弱点)

、薄煕来がかつて北京のある大学学長で中国のネット検閲の専門家と結託し、ネットを利用して政敵に関する膨大なプライバシー情報を入手し、その情報監視範囲が中国全土にも及んでいた。


王立軍の米領事館駆け込み事件が発生前、この学長はすでに薄煕来の指示に従って王立軍に協力し、重慶市のネット盗聴システムを作り、中共重慶市委員会や重慶市政府の要員たちのサイトアクセス状況とあらゆる電子メールの通信状況を把握した。

その中、北京から重慶に来た高官たちの通信状況も含まれている。薄煕来はこれらの情報をもとに、問題人物(公安局の高級幹部を含む)を現職から異動させ、ないし逮捕したのである

http://www.epochtimes.jp/jp/2012/03/html/d38385.html


(3)薄煕来を擁護する周永康の動き

2010年12月4日の米ニューヨーク・タイムズ紙によると、「ウィキリークス」が公開をした米外交公電により、一連のグーグル攻撃は中国政府が行ったもので、攻撃を統括した周永康と李長春による指示で行われていたことが判明したと伝えられた

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%A8%E6%B0%B8%E5%BA%B7


めも:http://www.epochtimes.jp/jp/2012/03/html/d82021.html

中国共産党の最高指導機関で、政策を討議・決定する中共中央政治局の9人の委員の中、6人は自ら重慶市に訪れて、薄煕来氏が大々的に宣伝している「唱紅打黒」「唱紅打黒(革命ソングを歌い、マフィア組織と汚職を取り締まる)」という政治運動への支持を示した。


 その6人とは、呉邦国、賈慶林、李長春、習近平、賀国強、周永康の各氏である。しかし、王立軍事件発生後に開催された最高指導部の重要会議「両会」では、薄煕来氏を懸命に支持するのは周永康氏しかいなかった。つまり、今の情勢と力関係の均衡は変化したのだ。最も主要な原因は、胡錦濤・軍事委員会主席が昨年末から始まった軍部への調整である。


 軍のトップ3人が相次いで公に(胡氏への)忠誠を表明した。これは胡錦濤・軍事委員会主席が、すでに軍の実権をしっかりと握ったことを意味するものであり、胡錦濤氏が執政してきたこの10年間において、一度もなかった状況だ。


マイクロブログの一時的な閉鎖(http://www.bloomberg.com/news/2012-03-31/china-closes-websites-for-rumors-microblog-sites-halt-comments.html

http://www.afpbb.com/article/politics/2868832/8723274)は、下記URLに書いたことと関係があるかもしれない。


薄煕来と彼をかくまう周永康は、ともにインターネットを駆使して 

情報収集や自分に都合のよい情報を流す手法の権化であるから、逮捕された6人が、二人と関連があるかもしれない。


継続追記調査が必要だ。


https://www.facebook.com/shoka.haruyama/posts/302891039784430



関係の有無が判定できない事件だが、温家宝の汚職・不正の追放に沿った事件である

サンフンカイ(新鴻基) : 最初は、3月19日(月曜)でした

3月19日は、夕方になって急に売られた。その後、サンフンカイ(新鴻基)の身柄拘束のニュースが出た



めも2:サンフンカイ(新鴻基)

19日は、不動産株が軒並み売られた

http://www.bloomberg.co.jp/news/123-M14K866TTDS801.html


中国メモ(1)

facebookにちぎっては投げたメモの集積

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政権を担当する最後の年に、胡錦濤温家宝は、 胡耀邦 ・趙紫陽(そして、胡耀邦&趙紫陽の師である小平)の志した改革開放政策を推進しようとしている。
また、次期政権(習近平&李克強)に、改革解放政策が引き継がれるべく、それを妨害する可能性の高い薄熙来を排除しようとしている。

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中華人民共和国が建国されるまでには、様々な戦いが繰り広げられ、多くの血が流れた。
毛沢東を中心とする「いわゆる革命第一世代」は建国後も政治闘争を優先する性癖が抜けなかった。
粛清、吊し上げ、自己批判の強制、暴力、それらが日常である日々の中で建国した彼らにとっては仕方が無いことではあった。

その性癖の最大の過ちが「文化大革命(1966年〜1976年)」の11年間の内乱だった。 

中国政治史


旧秩序の破壊者、毛沢東の死亡(1976年)とともに、破壊の時代が終わった。
その後、1978年12月から小平が新中国の建設に本格着手した。
建設は生産力の拡大を目的とし、改革開放路線が採用された。 


(1)小平の手足となって働いた胡耀邦趙紫陽は、1980年代の改革派の旗手だった。

現在、中国のトップである胡錦濤も温家宝も、胡耀邦に抜擢され、今日に至っている。 

温家宝
温家宝が甘粛省から北京の国務院に移った当時、共産党総書記であった胡耀邦は、若手の有能な人物の登用を進めていた。温家宝は、胡耀邦によって抜擢され、1986年5月に党中央弁公庁主任となり、胡耀邦、趙紫陽、江沢民の3代の総書記の下で中央弁公庁主任を務めた。

温家宝は、六四天安門事件のきっかけにもなった胡耀邦を「師」と仰いでいる。2010年4月15日、温家宝は人民日報に胡耀邦を偲ぶ回想記を発表した。「胡氏が現場の状況を理解しようとしていたことは明白であり、『(指導者は)民衆の苦しみを子細に観察し、直接の資料を把握しなければならない』という胡氏の言葉が耳に残る」「清廉潔白で親しみやすかった姿が今でも懐かしさとともに思い浮かぶ」とした。温家宝は胡耀邦の死去の際に、入院先に真っ先に駆けつけたという。また、温家宝は毎年旧正月の時期になると胡耀邦の居宅を訪問し、胡耀邦の肖像画を見ることで仕事の原動力になる、と語った。


胡錦濤
清華大学時代に遭遇した文化大革命の理不尽な体験により、その後は自分を隠し上司の補佐役として従順な行動になった。 
1985年7月、胡錦濤は、胡耀邦によって貴州省党委書記に抜擢された。さらに9月には党中央委員に昇進した。胡錦濤はそのキャリアの多くを中国の裕福な沿岸地域でなく貧しい内陸地域で積んだ。内陸部農民たちの関心事は、理論よりも少しでも多く食料を作り腹いっぱい食べることであった。そのことを知った胡は、机上の空論の宣伝よりも、もっぱら生産力回復を第一義とする小平の実務路線を信奉した。 
 


(2)の急進的な胡耀邦趙紫陽の政治改革が保守派の反発を招き、かえって改革派勢力を弱める事を理解して以降は、江沢民・胡錦濤というバランス重視型をトップに据えながら、改革開放を続けてきた。
 
(3)しかし、下記の構図は現在まで続いている
1:改革開放路線グループ
2:それに反対する保守派
3:改革派なるも、政治の分裂を避けざるを得ないトップ


1980年5月29日にチベット視察に訪れ、その惨憺たる有様に落涙したと言われ、ラサで共産党幹部らに対する演説にて、チベット政策の失敗を明確に表明して謝罪し、共産党にその責任があることを認め、ただちに政治犯たちを釈放させ、チベット語教育を解禁した。

小平は第13回党大会で中央顧問委員会主任を引退し、胡耀邦に後を継がせて世代交代を図ろうとしていたが、顧問委員会が主催した民主生活会で胡耀邦は保守派、改革派を問わず延々と批判され、ついに1987年1月16日の政治局拡大会議で胡耀邦は総書記を解任された。
この会議には陳雲ら党長老が出席し、全会一致で胡耀邦の解任と趙紫陽が総書記代理に就任し、11月には胡耀邦の後任として趙紫陽が総書記に正式に選出された。


重要な事3

胡耀邦は、文化大革命で失脚した「有能な指導者たち」の名誉回復を遂行した。
簿一波(薄熙来の父親)も、胡耀邦によって名誉回復&復活し、副首相に登用された。
1987年の胡耀邦失脚の顧問会議で、簿一波は保守派に回り、胡耀邦失脚を率先して遂行した。


重要な事4

胡耀邦によって、習仲勲(習近平の父)も名誉回復&復活した。
習仲勲は、1987年の胡耀邦失脚の顧問会議で、胡耀邦失脚に最後までを反対したと言われている。

重要な事5
改革開放派の師は、小平だ。
小平は、文化大革命の思想と個人崇拝による民衆扇動政治を最も嫌悪し、中国を貧困にして人民を苦しめるものと認識していた。


重要な事6

薄 熙来が重慶で実施した「昌紅打黒」は、毛沢東時代の革命歌を民衆に強制合唱させ、民衆を熱狂扇動させる「民衆扇動政治」手法で、法律を逸脱して暴力団組織を壊滅させた。
この手法を、小平の子供たち、胡錦濤、温家宝は嫌悪していた。

重要な事7

重要な事4で書いたが、胡耀邦によって、習仲勲(習近平の父)も名誉回復&復活し、彼は1987年の胡耀邦失脚の顧問会議で、胡耀邦失脚に最後までを反対した。

この流れでは、習近平は改革開放派だが、ただ習近平は、重慶を訪問して、薄熙来の成果をウカツにも褒めてしまった。

このままでは、習が国家主席になった時に、薄熙来を押さえつける事が出来ない。習近平はバランス派とも言われ「非情さが不足している」かもしれない。

このまま、習と薄が、最高権力グループに同居することになれば、政策が空中分解し、権力闘争(=薄が習を追放しようと画策する)が発生するリスクがある。

今回の薄熙来の解任劇は、今後の政治の混乱の芽を除去したと言う意味で、胡錦濤&温家宝政権の最後の年の最高の政治的決断だ。

大衆扇動政治の手法で権力闘争をおこなう弊害(国の大混乱、国の疲弊、国民の大量虐殺)が、まさに毛沢東の文化大革命だった


== 続く ==

中国政治史

10日間ほど中国の政治史を調べている。
3月15日の薄熙来の解任がきっかけで、その背景を調べているうちに政治史を調べなければシッカリ理解できない事が判明したからだ。

色々回り道をしたけど、下記3個は基本だと思う。


 中国は公式に「文化大革命は誤り」と定義している

 
政治史

上記4個のサマリーを書くより、読んでいただく方が有益だと思う。
読んで私が思ったことは、以下の通りだ。

封建主義中国、清を完全に破壊したのが毛沢東、
1949年10月の中華人民共和国の建国をもって、清国の封建体制の破壊が終了した。

しかし、その後の新秩序の建設は「破壊者、毛沢東」には無理だった。
経済建設よりも政治闘争が優先される30年間の模索と混乱(最後の11年間は、文化大革命という名の大混乱)の後、1978年12月から小平が新中国の建設に本格着手して、現代に至っている。

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振り返るに、日本の場合、いわゆる明治維新は、1860年の桜田門外の変を皮切りに、討幕運動と言う名の内戦に突入した。
1867年の大政奉還、1868年の王政復古の大号令で、徳川政権が消滅したが、国内の内戦が最終的に終わったのは西南戦争が終結した1877年である。
王政復古以後の混乱期を10年間という短期間で脱し、その後は薩摩、長州の元老を中心とした実務派の時代(官僚藩閥政権)へと移行し、本格的な国家建設が始まった。

世界の歴史と比較すれば、短期間で混乱期を終える事ができた稀な例だと思う。

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