2012年08月

祭り能力と、民主主義政治体制

少し前に、祭り族と生活族の話を書いたが、今回はも民主主義政治体制との関係を書いてみたい。

参考過去記事
 
夏休みの暇つぶし(1) : 祭り族 VS 生活族
夏休みの暇つぶし(2) : 続・祭り族 VS 生活族

「祭り」能力とは、他人を動かす能力、つまり政治能力のことだ。
他人を支配、扇動する能力であり、他人を組織化し、計画を実行する能力である。
広く言えば、人間関係コントロール能力である。

祭り族は、これらの能力を備えている。それゆえ「上から目線」の性格なのだが、それと悟られないようにする能力も同時に兼ね備えている。

一方、生活族、今回は「祭られ族」と呼ぶが、斜構族付和族欄外族はの3グループに分かれる
1:斜構族は、祭り族が笛を吹いて"祭られ族"を躍らせようとしても、斜に構えてなかなか踊ってくれないグループだ。
2:付和族は、一定の主張が無く、安易に他人の意見に賛成し、しかもそれをコロコロ変える。
3:欄外族は、祭り族から対象外だと判定されて、放置されているグループだ。

相互の関係は、・・・
祭り族は、斜構族を「ウルサイ」やつらだと煙たがるが、できれば自分たちの賛成者に取り込もうと考えている。
斜構族は、付和族に「忠告やアドバイス」をするが、多くの場合は付和族からは「余計なお節介」だと思われている。
 祭り族は、付和族を「躍らせてナンボ」というビジネスで生活している。政治家やメディアが典型だ。

民主主義政治体制で、政治家(祭り族)が、政治的に勝利(選挙で勝つ)するには、付和族に自分の政策(もしくは甘言)を売り込むことに成功しなければならない
そのためには、「How to 扇動、洗脳」という技術、skillを習得しなければならない。

元来、祭り族はそのようなskillの習得が好きだし、その手のセミナーや塾に熱心に参加する。
文字通り「好きこそ物の上手なれ」である

一方、斜構族は、その手のskillに生理的嫌悪感を持つ性癖がある。
付和族はほとんど興味を持たない。

選挙で勝つには、付和族を「一時的」に「政治に興味を持たせる=政治的に活性化させる」ことが必要だ。
その活性化は、特定の方向を向いた活性化でなくてはならず、自分の政策に賛成してくれるような、しかもそれとは思われないような扇動手法が必要だ。

付和族は、政治関係の事を忘れやすい。
そもそも大衆運動とは熱しやすく冷めやすい。急騰急落で持続性が無い。
扇動は「感情に訴える」ことになる。感情に訴える手法は、能力や納税金額に無関係で一人一票に普通選挙制度をベースにする近代民主主義の出発点だ。
 
冷静な議論や、理性的な説得は、年単位の時間と情熱の持続が必要で、短期の選挙運動には適さないし、そもそも付和族には不適当な作戦だ

民主主義は、数字上の多数を競う政治体制だ。
正しいこと、信念、これらは、政治的な多数を制さなければ実現できないのが、民主主義だ。
そして政治家に、Yes/Noを表明する大衆は政治に関しては素人集団だ。 

・・・こんな感じで、斜構族であろう私は、現在の政治経済の状況を観察している。

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利益確定売りを見過ごし、その後の損切もできなかった:日清戦争後の失政

6月からアジアの政治史、戦争史を調査している。

当然のようにたどり着く疑問、、、何故日本は、中国との泥沼の戦争にはまり込んでしまったのか?
3か月でぼんやりと到達した私なりの結論、その他感じた事を一回まとめておきたい。


(1)明治維新以降の新生日本を形成してきた実力者達がほぼ同時期に死亡した。

明治維新の革命第一世代、岩倉具視、大久保利通、木戸孝允、西郷隆盛は、1890年以前に全員死亡した。
革命第二世代の伊藤博文(文官サイド)山県有朋(軍部サイド)と第一世代の生き残りの、大隈重信(議会サイド)を中心とした日本の近代化が進展する明治時代のハイライトを迎える。
しかし、第二世代と、それを継承発展させるべき第三世代の中心と嘱望された原敬桂太郎が、ほぼ同時期(1920年を中心とした数年)に死亡する。
この第二世代と第三世代の同時消滅の結果、1920年代以降は、人材の質が大幅に劣化してしまった。 

年表


(2)大正天皇の政治能力が、明治天皇と比較して劣後し、天皇の権威と軍部統率力を低下させた。
大正天皇は、幼少時から病弱で教育も遅れ気味だった。軍部の重要な式典も欠席がちで、軍部に対する権威を確立できなかった。 
強力な軍部のお目付け役(山県有朋)を喪失した後は、弱体化した政治の人材とあいまって、昭和天皇時代を含め、朝鮮や中国に駐留する陸軍の独走を徐々に増長させた。  

(3)日露戦争以降の国際政治の情勢分析判断を誤った。

(あ)日露戦争時点で列強に譲歩して利益確定すべき所を、強欲(=独り占め)を主張してしまった。
日露戦争の和平交渉、ポーツマス条約でお世話になったUSからの申し出(南満州鉄道の共同経営)に対して譲歩をしなかった。
USの和平の仲介が無かったら、戦争継続の物資面の枯渇、シベリア鉄道経由ロシア軍の補強、という状況から、日本は形成を逆転された可能性が高かった。
日本海海戦の勝利の瞬間をとらえて和平を仲介してくれたUSへの譲歩をしなかったことは私は誤りだと思う。この強欲行為を境に欧米列強が「日本を抑え込む」戦略にゆっくりと転換したからだ。 

日露戦争と韓国保護国化
( 上記は、韓国併合への道P182〜P187の抜粋 )
この本は日韓関係の歴史的事象を追いかけるには便利である。反面、著者の強い思いれ、不十分な裏取りと思われる部分も含まれていると感じるので、他の資料と比較しながら読むことをお勧めする。

参考:ポーツマス条約を米国が仲介した背景 ウィキペディア、ポーツマス条約より
ポーツマス条約

(い)列強間の持ちつ持たれつのルールを無視した対華21条の要求をしてしまった。
日露戦争で賠償金が取れなかったので、15億円の借金を抱えて日本経済は破綻寸前に陥った。
しかし、その後の第一次世界大戦では、大きな棚ボタ特需を得た。
15億の借金国が、20億円の債権国になった。
まさに、ラッキーで地獄から天国に変わった。

自分の実力では無いラッキーで獲得したモノという情勢判断で、欧米列強に譲歩しておけば、勝ち逃げできた
しかし、第一次世界大戦後、頭に乗って対華21条の要求(さらなる利権獲得の強欲)をしてしまった。
この強欲行為が、日露戦争後からくすぶっていた欧米列強の「日本抑え込み方針」を確定させた。
特に、英国から日英同盟を破棄されたことは、日本にとって大打撃だった。

WW1と日本経済

( 上記は、政党政治と天皇、からの抜粋、最近の開示資料を加味した良書だと思う。 )

対華21条の要求以降は、中国との戦争にのめり込んでいき、中国への侵攻が深まるたびに欧米から非難を受けた。
その各々の時点で譲歩したり、ゴメンナサイの損切りすれば、利益は消えるが損失は最小限ですんだものを、小さな損失を拒否し、さらに大きな勝負(南京など中国本土への進出)に出たが、裏目に出て全てを失ってしまった。 

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メディアは、大衆に政治を伝える壁新聞

今年は過去2年と異なり、ある時点から「ロング・ポジションを2013年まで引っ張れる」と想定して相場を観察してきた。そしてそれが5月28日だった。

6月以降は、静かに深く多くの資料を読もうと決意した。
5〜6冊の本を購入し、日銀百年史をダウンロードし、その他の重要な蔵書を引っ張り出して、3か月ほど調査三昧だ。
その成果の一つが先日の資本市場研究会への寄稿だった。

今回は政治史、外交戦争史に重点を置きながら調査をしている。
沢山あるメモから、一個まとめを書いておこうと思う。

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明治維新で日本は大きく変化を始めた。
政治体制がガラガラポンを起こしたからだ。

帝国議会(1890年が第一回)ができるまでは、下図に示したような、政治を行う専門家・エリート集団と、一般大衆は別世界にあった。
政治の専門家(当時は薩長を中心とする藩閥勢力)が「徳」と「智」を用いて、短視眼的な私利私欲を排し、雑音を気にせず超然として政治を行うやりかただった。

実態はそこまでクリーンでは無かったとは思うが、後年明かになる議会勢力は、確かに短視眼的であったし、地方に利権を誘導する私利私欲が多かった事は歴史の資料が明かにしている。

私はどちらが良いという意見ではなく、どっちにせよ担当する人の問題だと看過している。

 
政治とメディア_1


 政治を行う専門家集団と、選挙権を持たない一般大衆が、隔絶され別世界に住んでいる時は、 政治の情報が一般大衆に伝達されない。
この政策を何故採用したのか、他の選択肢より良い点悪い点は何か、そもそも必要か、このような情報は知らされない。

しかし、明治政府の必要とする財源の確保や、年間予算に匹敵する資金を投入した西南戦争(戦費は4100万円、当時の税収4800万円)などで、地租をはじめとする税金負担が大きくクローズ・アップされ、「負担するのだから、口をださせろ!」という「自由民権運動」に繋がっていった。

民主主義&普通選挙、能力や税収負担に無関係に一人一票の権利を有する、、、ここにへ向かって徐々に進んで今日に至った。
このプロセスで、政治の情報を一般大衆(=有権者)に伝達する手段として、メディアが重要な役割を担当してきた。
当時はTVもラジオもネットも無い。演説集会新聞が重要な「政策を売り込む手段」だった。
それゆえ当初からメディアは中立ではなく、政策を売り込んだり、応援したり、または批判したりする目的や意図を持って記事が書かれた
このメディアのもつ情熱、DNA、非中立性は今日まで続いているし、世界中で共通だ。例えば、読売新聞、日経新聞と朝日新聞を読み比べれば、同じ事象がどういう方向で評論されているかの違いは明白だ。記事を掲載するしないという差も見られる。


政治とメディア_2


逆説的に言えば、一般大衆は、
メディアを通してのみ、政治、政治家、政策、うさん臭さ、誠実さ、などを知ることができる。
同時に、ディアの非中立性が、メディアの向こう側にある政治の実態を知る難易度を高くしている。複数の記事を比較しなければ、真実に近づけないのだ。

この状況を打破しつつあるのが、双方向性多数の目によるチェック機能を備えたネット・メディアだ。

TV・ラジオ・新聞、それに本や雑誌などの出版物は一方通行であり、内容が事実に反していても、知らない大衆は、そもまま受け入れてしまい、洗脳されてしまう。

一方、ネット・メディアの持つ
双方向性多数の目によるチェック機能 は、多くの人々の少しずつの貢献によって、正しい情報であるか否かの判断と、良質な情報の入手を簡単にしている。

複数の人間とのQ&Aを切り抜ける政治家は非常な信頼を得るだろう。
言いぱなしでQ&Aから逃げたり、ころころ前言を翻すような、上から目線の政治家は、瞬時に化けの皮が剥がれるだろう。

その結果私たちは、政治的な大人(健全な批判精神を持つ独立心のある人間)に達するハードルを乗り越えるのが簡単になった。

政治とメディア_3

特に、SNSの台頭は、双方向性多数の目によるチェックを加速させ、いち早く真実を明らかにしている。2011年の震災後の日本では、それが強まったと思う。

同時に政治家もメディアを上手に使えるか否かが、政治的な目的を達成できるか否かの分水嶺になりつつある。

メディア上手、大隈重信はその意味ではパイオニアだった。
彼の政策の多くは失敗し、短期で強引な性格は様々な摩擦を起こした。
しかし、メディアの人気者であった大隈は、一般大衆には人気が非常に高く、ウィキペディアを引用すれば、
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自邸での告別式ののち、日比谷公園で未曾有の「国民葬」が催された。その名が示すように、式には約30万人の一般市民が参列、会場だけでなく沿道にも多数の市民が並んで大隈との別れを惜しんだ。
この3週間後に同じ日比谷公園で行われた山縣有朋の「国葬」では、山縣の不人気を反映して政府関係者以外は人影もまばらで「まるで官葬か軍葬」と言われ、翌日の東京日日新聞は「民抜きの国葬で、幄舎の中はガランドウの寂しさ」と報じたほどだった。
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という状況であり、メディア使いが下手だった山県有朋とは全然違った。今日に至っても、両者の一般的な評価は実態とは異なる段違いの格差になっている。

2012年のメディア使いは、橋下徹だろう。
願わくは、大隈の短期、強引さ、失敗政策、という面は似ないでで欲しいと思う。

なお、メディアの持つパワーは強大だ。
扇動、方向付け、指導、事実の脚色伝達、色々な武器を持っている。
武器は正しく使われてほしいと願う。

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2013年を考える (2)政治の年が続くのか?

お客様向けの講演会や社内の勉強会で、2012年は政治の年だと話してきた。

今年はここまで、ロシア、フランス、ギリシアの選挙があって、事前の不安はあったものの、市場に衝撃をあたえるような事にはならずに8月まできた。

今後は、
最大の注目のアメリカ大統領選挙が、11月にある。
日本の解散総選挙が、10月にあるかもしれない。
中国の政権交代は、当初予定の10月から、2〜3か月後ずれしたというのがコンセンサスだ。

日本はガタガタするかもしれないが、アメリカはオバマ、中国は習近平だと思う。
なお、9月6日のオランダの総選挙では、第1回目のギリシア総選挙で起こったような小規模のショックが起こるかもしれない。相場には半分程度は織り込まれてきたが、PIIGS救済反対派が勝利するかもしれないからだ

2013年を考える_2


現在、9月と10月用に資料を作成しているのだが、その表紙もご覧の通り
政治的な不透明感や国際間のイザコザが並んでいる。

2013年を考える_1


もっとも、ある程度のイザコザが存在するのが平常なので、 政治的な懸念が消える事はない。

要は、証券市場にとって、2012年は、
政治が市場を振り回す、「政治ファクター > 経済ファクター」
という状態だったわけだが、
これが2013年になると、
政治が市場に悪さをしない、「経済ファクター > 政治ファクター」
に変化するか否かを考えなければならない。

今のところ、政権交代の大きな選挙は減るので、その点では政治リスクは減少すると判断している。
それは・・・・、
From : 「政治的なセレモニー」が終わり、つまり総論の方向付けが終わり、
To : 「実施する政策の細目、つまり各論」が決定され実施される、
・・・・という変化が2013年に起こるということになる。

2012年
総論で市場があたふたする=インデックス全体を「リスク・オン・オフ」とか言いながら売買する。
2013年
各論で市場が動く=セクターや個別銘柄、投資テーマがより重要性を増す。
そういう事なのかもしれない。

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目次:2013年を考える
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2013年を考える (1)もう始めた方が良い

例年は11月頃から作業を開始する。
しかし、今年はもう始めた方が良い、、と内なる心がささやき始めた。

という事で、 随時、非連続的に、書き足していこうと思う。
( 8月23日 )

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何から始めるか、まずは2012年に関して事前にどんな想定をしていたのか、何がポイントだと考えていたのか、それを読み返すところから始めるべきだろう。

この週末は、毎年の投資戦略を考えるの「2012年を考える」を読み返そう。 

当っている予想、外れている予想
続いている事象、終わってしまった事象

これを峻別しながら、2013年は何がポイントになって行くのかを考えてみたい。
( 8月25日 )

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目次:2013年を考える
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相互扶助が、権利に変身した社会保障

社会保障は、相互扶助の精神の・・・と言われるが、負担の平等性が悪化したと思う。
相互では無く、片務や一方的に近くなった。
だから不平不満が増えたのだ。

そもそも、ごく少数の困った人を支えるのは、ファミリー(家族、親戚)だ。
ファミリーが嫌がるような負担を、どうして他人が引き受けるだろうか?

ファミリーには、義務がある。
憲法上は、ごく少数の困った人を支える為に、ファミリー全体が必要最低限の生活レベルまで落ちても政府には援助する義務はない
それ以下になったら援助をする仕組みだ。それが健康で最低限度の生活をする権利だ。

どうも今は、他人の金で必要以上の生活をする権利があると勘違いをしている人が増えたように思う。
それは、金を払う人間の顔が見えなくなったからだ。
感謝の気持ちが低くなった人が増えたと思う。

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昔は、社会保障は「施し」だった。
裕福な人が、「富裕層のモラル」として所得の中から毎年一定の寄付(=援助)を行った。 
この時代は、施す人間が見えていた
施しを受ける側も、誰の金なのかを認識することが多かった。

 
その後、一般庶民まで含めた層で、薄く広く資金を拠出して、ごく少数の困った人を援助する思想に変わった。
誰の金なのか、という意識は無くなったが、援助を受ける側に感謝の気持ちは強く残っていた。

しかし、それが冷戦時代になると、社会保障が有権者を買収する手段に変質して、大盤振る舞い競争が与野党入り乱れて、世界中の先進国で起こった。
大盤振る舞いの資金である「拠出者の同意=増税、拠出金アップ」は審議されなかった

年金などに代表される社会福祉制度は、ある意味では東西冷戦の産物であります。当時は、自分の陣営はこんなに暮らしやすい社会だと見せる事が政治的に重要でした。
その社会福祉制度が計算上成り立たない仕組みであったとしても、冷戦の間だけでも維持する必要がありました。しかし、もう冷戦が終了し、維持が不可能なものを続けることが政治的に不要となりました。
政治的に不要なものは、経済的に成り立つレベルまで縮小されるか、廃止されます。
われわれは、政治のショーが終わった事を認識する必要があるのです。

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21世紀になって、大盤振る舞いの資金である「拠出者の同意=増税、拠出金アップ」が審議され始めた。お尻に火がついて世代間の争いが始まったからだ。 
 
日本でも、4年ほど前から、現実の姿がネットを通じて広く一般に「知らされる」ようになった。
下図にあるように、「支払い年金−収入保険料=▼5兆円」の状態が続けば、2030年代にはファンドがゼロになる。だれが計算しても答えは変わらない。

 社会保障

名目経済が増大して、企業利益、給与所得が増えて、年金保険料を増やせるようになれば、解決の糸口がつかめるだろう。

税収


冷戦が終了したのが1989年だ。
それから20年以上が経過してようやく、
「拠出者の同意=増税、拠出金アップ」が審議され始めた。
これまでなかなか審議されなかったのは、民主主義政府の内包する欠陥だ。

( 以下は、アリとキリギリス(2) : お金と借金 、伸び縮みする民間市場経済と、異質な政府、予算、政策より抜粋 )

民間市場経済と、政府が異なった考え方、ルール、哲学で行動している
< 市場経済 >
民間経済自由度が高く伸縮が大きい
変調が発生したら、民間経済なら、贅沢を中止する。身の丈の生活に戻る。金が続かないからだ。
民間経済 には自制心があり生き伸びるために自制する。

< 政府部門 >
政府や予算は、自由度が低い。軍事費や社会保障費は特にそうだ。
しかも、変調が発生した時の対応が、民間と違う。自制しない。
経済が疲弊して保証を賄う資金(=税収)が減少する時に保証需要が拡大する。

政府は、他人から金を奪う手段(=税金)を持っている。
将来の国民に借金を押し付ける(=国債の発行)こともできる。

そもそも、社会保障はバブル経済期に政治家が夢を大盤振る舞いするので、巡航速度経済になった時には裏付けとなる資金が不足する宿命にある。
つまり、政府は自制心とは最も遠い存在なのだ。

民間の借金は、借金した人が返済する。
政府の借金は異なる。借金した人(=受益者、現役国民)はエンジョイして死ぬ。返済は、子孫(=将 来国民)だ。子孫は受益しない。


かつては
、資本財、道路・港湾・空港、ガス、水道、電力、通信など子孫も使えるモノの建設に借金が使われた。しかし、現在は引退世代の社会福祉の ため使われる借金が増えている。自国経済の現状と比較して分不相応な社会保障を借金で賄っている。

堕落した民主主義、人間の弱い心だけによって移転(=政府行為、政治)が実施されると、移転の前提となっている経済が壊れる。移転は寄生行為だから、寄生虫が宿主の死亡で自滅するのと同じだ。しかし、寄生虫は宿主を考えないのが通常だ。生きるために寄生しているのだから、どこまでも吸血行為を継続する。

節度やモラルの欠如は、民主主義が本来的に内包する欠点だ。

個人の夢と異なり、政治家の約束した夢は公約、法律、政策となって長期間経済を縛る
バブル期に設計された夢は見果てぬ夢として経済と子孫を苦しめる。

歴史を見れば、大国の滅亡や衰退の一因 は、
馬鹿げた政 治家の約束した夢、公約、法律、政策を修正できないために、長期間にわたって経済が低迷して防衛力も維持不可能になり、他国に侵略されることで発生してい る。 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜 以下参考 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

借金に頼った福祉の弊害は、社会全体が多重債務者になることだ(その11)都市化が破壊した相互扶助の精神

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目次 : 年金&福祉、医療
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良く言った。原点に戻れるなら復活する。

StartToday StartToday(http://people.zozo.jp/yusakumaezawa/diary/3346177 )

社長が最前線に復帰するという事は、今は良い事、必要なことだろう。
ただし、長期的には「会社の長期展望、長期PL戦略といったBig Pictureを判断する人間」を欠くことを意味する。
これまでは、それを彼が担当していたハズだから・・・・

会社の長期的&持続的な発展のために必要な人材・・・小さな会社で急成長したので、全体を見通せる大人の見識を持った人材が育っていないのだろう。

S_1

S_2

 魅力のある会社なので、内部に飛び込んで応援したいと感じたりもするが、オシャレやファッションに縁遠い私にはお門違い、天職とも思えない。静かに陰から応援しよう 

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おまけ(7) 信じてはイケナイ言葉


数字は言えませんが、絶好調です。

この言葉は、Q&Aの時に、答えに窮して、虚勢を張ったり、空元気で、その場をごまかす時に出てくる。

好調か不調かは、計画比、ライバル比、いずれにしてもシッカリした数字に対する上ブレ、下ブレの判断である。
 
そのような冷静な判断ではなく、上っ面の言葉でお茶を濁すような経営者は、毎日の経営でも冷静さを欠いたビジネス判断をしていると推定される
 
ビジネス環境を熟慮せずに「計画などいいから、やってみろ!」とか、「やる事に意味がある、成功するか否かは後から考えればよい」とかの甘い経営が行われている可能性が高い。

業界全体がブームの時は許されるが、一旦波が引き始めると真っ先にドボンする企業になるだろう。

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複数のSNSが必要である状態が正しい

SNSは、リアルの世界をミラーリングしつつある。
それゆえ、複数のSNSが必要になり、
One Winner Takes All が起こらないし、
寡占の度合いも、Yahoo!のポータル時代、Googleの検索エンジン時代のようなレベルには、到底達しない。

リアルの私たちは、下図のように交際を使い分けている。
会社の人とは行かない趣味の付き合い、
家族(=親戚も含めたファミリーの意味)との、屈託のない、またはドロドロした付き合い、
その他いろいろ、一人の私は複数の私を持っている。

SNSが、私をミラーリングするためには、異なったグループごとにそれぞれに適したSNSでなければならない。

SNS

しかし、SNSを提供する企業はボランティアではく営利を追求しているので、各SNS提供企業は一個の特色をもったSNSしか提供していない
A社のSNSと、B社のSNSは、システムの仕様、デザイン、雰囲気、質素、派手、子供っぽい、厳粛、男性的、オタク的、など、特徴を持ってしまう。
特徴=偏向=好き嫌い・・・絶対に全員がOKしない。

つまり、1社のSNSで、複数の私(=複数のレイヤー、複数の人間グループ)をカバーできないのだ。

あるSNSが、わーっと流行しても一定レベルで「私の趣味じゃない」と感じた人々は出て行く。
そういうものだ。

SNSは、まさにLong Tailなのだ。

先頭集団は5億人超という大規模SNS、2番手グループは各国のローカルSNSが千万〜百万単位、
その下に十万程度の無数のSNSグループ、
最下層tailには同好会、オタク会的な千単位の・・・ 

SNS提供企業は戦略を考えるだろう。
万人受けする大衆路線を採用するか
アカデミックな真面目路線を採用するか
お遊び向けのチャラチャラ系を採用するか
その他沢山出てくるだろう。

ビジネス利益を追求する企業は、大衆+チャラチャラを選択するだろう
そして、これらは決して合併せずに、永遠に併存し続けるのだ

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日本政治経済証券史をシッカリと勉強する

株式投資が上達するには、その国の政治、経済、文化の歴史を学ぶ必要がある。

これは私の見解である。

そのためには、本を読むことになる。
各自にフィットする書籍を自分なりに見つければよい。
全体をカバーする通史ものと、特定の分野を掘り下げる書籍を使い分けると良いだろう。 

私は下記の書籍を利用している。

日本政治経済証券史

大切なことは、事実が正確に書かれた書籍である事だ。
歴史的な事実や文書が年々発見され公開されているので、できれば新しい書籍の方が適当だと思う。

歴史小説は不適当だ。事実に徹するのではなく、面白くするフィクションが多数混入しているからだ。
その意味では人気作家ではなく、学者先生の本の方がシッカリしている、好き嫌いがあろうかと思うので、自分の好みを探せば良い。

投資の学習は、10000ピースのジグソー・パズルのようなものだ。
最初は何がどうなっているか、サッパリ見えない。
ピースをはめて行くうちに、全体像がぼんやり見えてくる。
一定レベルを超えれば、一気に進める。

投資目的の読書は
(1)まずは全体を一気に読む
(2)間を開けずに、知らない事をウィキペディアなどで調べながら、時間をかけて再読する
(3)3回目を一気に再通読する

こうすれば、脳の長期記憶領域に本の内容が記憶されるので、どこに何が書いてあるかを記憶でき、別の本を読む際の生きた知識になる。

参考
本の読み方
推薦図書

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