2012年10月

これまでの成果

2013年を考えるに関して、8月終盤から着手したのだが、あれから随分と時間が空いてしまった。

中国との尖閣諸島問題(竹島もあるが)に起因する日本経済への悪影響
厚生年金基金の損失(約1.11兆円)の補てん(自己責任原則の放棄)
原発稼働2030年ゼロ問題
色々と考える点が噴出したので、ブログにアップするのが遅れてしまった。

さて、まずは過去の振り返りだ。
2010年、2011年は、「Sell in May」という季節パターンを尊重して、「持ちきりで損をしない」を第一目標にしてきた。
下図 ↓△隆間のみ投資するという、リスクを極力避けた投資態度に徹した。

2012年、正確には2011年10月以降(下図)は、かなり強気に攻める投資態度を継続している。
一か月ほど「下落局面の中抜き」をしたものの、世間の懸念の盛り上り等なんのそのという強気で、「この相場は越年する」とリスク・テイクを継続してきた。


投資判断


の期間(2011年10月〜2012年9月、13か月間)に関して、成果を計測した。
13か月間の円ベースのパフォーマンスは
US:+28.8%
アジア(香港+シンガポール+台湾+韓国):+21.2%
Jリート:+10%
日本:+2%

AA_201110

資産配分は、以下の通りだった。

<値上がり投資 : 全体の50%>
US : 25%
アジア(香港+シンガポール+台湾+韓国) : 25%
日本: 0%


<利回り投資 : 全体の50%>
日本債券 : 0%
外国債券 : 0%
Jリート : 50%

13か月間の「値上がり益 + 配当」の合計は下図の通りだ
13か月で+22.1%、、これは足元の投資環境を考えれば、私としては大満足である。
( 現実には、手数料など引かれるので、+20.5%程度だが・・・・ )

資産配分_2



さて、今後だが、、、

地震と原発=日本経済は、2〜3年間のペナルティ・ボックス、、、これだけなら、来年は喪が明けるのを株式市場は先読みする。。。。。だから、日本株を復活させようと考えていた。
しかし、3月から「尖閣」が加わった。
これが、どうも長めのペナルティ・ボックスになりそうなのだ。
うーーん、悩ましい

続く

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目次:2013年を考える
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尖閣問題 : 「かわいさ余って、憎さ100倍」的心境の胡錦濤

胡錦濤は、胡耀邦(総書記:1982年9月12日 - 1987年1月16日)を師と仰ぎ、慎重ながらも改革開放路線を推進してきた。
( 温家宝が、趙紫陽の部下として働いていたことは、下記の天安門事件における趙紫陽の右に写真があるが、温家宝も改革派である。 )

胡耀邦が失脚する原因は、 「性急な自由化」だった。
そのシンボルの一つとして非難された「1984年の3000人の日本青年団の訪中」という行事があったが、胡錦濤は中国側の責任者だった。

改革派系図


それゆえ胡錦濤は、親日的態度を維持してきたし、対日関係の歴史的経緯や口頭合意事項に関しても精通している。

周恩来、小平、田中角栄首相、園田直外務大臣等の間で口頭で合意された国家間の合意事項
1:尖閣諸島は色々問題があるが、これが為に日中国交正常化を妨げてはならない
2:当面、お互いに「そのまま放置」して、後世の世代に解決してもらう
という相互の了解が、日中間に引き継がれてきた。

2000年の日中漁業協定の更新に際しても、上記合意事項が尊重された。

胡錦濤は、歴史的な引き継ぎ事項にそって、実践処理してきた。
日本側も小泉首相の時も、2004年に尖閣諸島への上陸問題が問題が起きたが、上記合意事項(そのまま中国に送り返す)に基づき処理された。
尖閣諸島問題の下の方の年表に記述がある)

民主党政権になって以降、上記の日中間の口頭合意事項が引き継がれていないようだ。
正確には、つい最近になって、正確に認識した、という事だろう。

民主党政権が「政治主導、官僚排除」をしたために、外交の歴史的な非文書の合意事項を「知らずに無視」しているのかもしれない。
または、知っていても「自民党時代のことは無視する」という党の政策なのかもしれない。

過去の経緯を認識して対応した親日的な胡錦濤だったが、過去に無知な民主党政権の態度に不満をもっていた。
そして、普通の年ならまだしも、
1:10年に一度の政権交代の年の
2:政治的に最もセンシティブな抗日記念日の9月18日(柳条湖事件)を直前に控えた9月11日に尖閣諸島を国有化した、
という事態が、 胡錦濤をして「かわいさ余って、憎さ100倍」に豹変させたのかもしれない。

4月16日の石原都知事の「東京都が尖閣諸島を買い取る」宣言から、8月16日の香港の活動家の尖閣上陸をへて、9月11日の国有化にいたるまでの推移を振り返ると、民主党政権が「過去の経緯や非文書の合意事項」をシッカリと認識したのが、手遅れの時期だったように思う。

つまり、胡錦濤と野田首相との間で事前に様々な交渉ができずに、国有化の日が来てしまったという残念な結果になってしまったのだろう。

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モンゴル帝国とオスマン帝国の衝撃波

外交、戦争、様々な対立、、、、何故こんな事件が起こったのか?
調べていくと、必ず歴史を過去に遡らねばならない。

現代は「第二次世界大戦後」という枠組みの世界である。
それは同時に、第一次世界大戦の最終章とも言うべき「混乱の収拾作業」のフェイズで発生した”焼けぼっくいに火がついた”ような性格の第二次世界大戦の後という意味でもある。

結局、現代を理解するには、キッシンジャーケナンをはじめとする高名な外交分野の先人が等しく注目する命題:「何故、欧州は『破壊と衰退しか得られなかった』第一次世界大戦をしなければならなかったのか?」まで遡ることになる。

そして、私がおぼろげながら感じる「答え」は、、、、
それは、巨大で暴力的なモンゴル帝国とオスマン帝国がもたらした衝撃波に対抗する小国乱立の欧州各国の混乱(=一旦は成立していた均衡秩序の破壊)と、
両帝国衰退後における欧州地域の混乱収拾(=均衡秩序の再構築)の失敗だったのだと、しみじみと思う次第である。

モンゴル帝国
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オスマン帝国
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市場内部の「Sell in May」

Sell in Mayに関しては過去に何回か書いた。

2010年、2011年は、春に売って、秋まで休む、晩秋から投資を開始して翌春まで引っ張る。
こんな典型的な「Sell in May」の対応をしてきた。

Sell in May_1

参考:
2011年7月6日:"Sell in May"のリズム : 落胆の5月、6月、安堵の7月、不安の8月、9月
2011年10月6日:ようやく、今年一回目


しかし、2012年は、少し違う展開になると予想した。
例年通り、4月に一旦はSell in Mayの昼寝を始めたのだが、今年は、早々に5月末に起き出した。

参考:
2012年1月13日:2012年を考える(15) : セミナー資料のおすそ分け
2012年4月5日:しばし相場を離れて昼寝をして横目で観察することにしたい
2012年5月29日:さて起きて行動開始


つまり、2012年は、晩秋まで待たずに、5月後半から投資を始める決定をした。

その後10月初旬までは、「2012年は、2010年、2011年とは違う」という想定にベットして、こここまで冷や冷やな気持ちだったが、なんとか切り抜けられたと思う。

g16

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さて、少し高等な戦術になるが、市場内部では「Sell in May」が着実に進行したモノもある。
これを利用すれば、相当な利益を上げる事ができるが、米国株の内部のゆがみの鞘取りなので、個人投資家では実践する人が少ないと思い書いてこなかった。

相場の全体感をマスターできたら、次は下記のような戦術にチャレンジしてはどうだろう?

下のチャートの下段をご覧いただきたい。
5月にピークを打ち、ドンドン下がり始め、
7月から少し上げるが、
再び10月まで下落する、
まさに、Sell in Mayの典型的なパターンだ。

これは、米国株のITセクターと、市場全体の相対チャート
つまり、ITセクターを買い持ちして、市場全体をカラ売りしたら、Sell in Mayで大損をする・・・
というチャートだ。

s5inft_1

これで儲けるには、
ITセクターETFを空売り、ショート、して
市場全体(SP500指数)を買い持ち、ロングする

というLong & Shortのポジションを持つ、(資金は余りいらない)という戦略だ。

4月の中頃からこの週末までに、、、かなりの利益だと思う。

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経済の低迷は、好材料が消えただけでなく、オセロのように白黒逆転したから

高度成長期、その時代背景を調べると、朝鮮戦争、東西冷戦、ベトナム戦争という世界史の大きな出来事がある。

日本経済は、外国の戦争の受益者だった、そういう側面は否定できないと思う。

ベトナム戦争:1973年1月で終わり
冷戦:1989年12月で終わり

日本経済の上昇期には、「ベトナム戦争 + 冷戦」というダブルのフォローの風が日本に吹いていた。

1990年には、全てが無くなった。だから日本経済がダメになった。
いや、それだけでは無い


高度成長期_1

冷戦の終結が意味する事は、アメリカから見た日本の利用価値に、、、
From:お金を払ってでも、仲間にしておくべき重要な同盟国
To:沖縄の基地は自由に使いたいが、経済的にはライバル
、、という変化が生じた事を意味する。

このアメリカの政策変更を反映して、第一期クリントン政権では、ルービンの指導により強力な円高政策が実行されたことは記憶に新しい。
これは、味方が敵に代わるような変化を意味する。
 
jys

また、ベトナム戦争の終結は、アジアに平和が訪れ、その後の「低コスト製造業国」として、アジア諸国が本格的に始動し、日本の製造業の底辺を「蟻の一穴」のように浸食を始める事を意味した。

冷戦の終結は、欧州でも、旧社会主義諸国が「欧州の低コスト工場」として自由主義経済陣営に大量に参入して、日本の製造業の競争環境が激化することを意味した。

戦争以外に、1971年のニクソン・ショックによる円の大幅切り上げもあった。

1971年のニクソン・ショックに始まり、ベトナム戦争終結(1973年)を経て、1989年の冷戦の終結でフィナーレを迎える「国際政治、国際経済の日本経済へのアゲインス変化」は日本の立ち位置が変わる事件の連続だった。

日本にとっては、オセロの白黒が、あれよあれよと言う間に、変わったようなものだ。

しかし、2012年の今日、連戦終結後20年余りを経て、中国の対外的な伸長が著しくなり摩擦が目立ってきた。
日本は再び米国にとって「中国に対抗する有力なカード」として利用価値のある立場に浮上するのだろううか?

はたまた、日本が自ら米中間を手玉にとってコウモリ的に行動する国に変身するのだろうか?
沖縄にあれほどの巨大な基地がある限り、コウモリになるのは困難だと思う。

尖閣が日米間でどう処理されるのか、これは「米国から見た日本の位置づけ」を知る重要な手掛かりになると思う。

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IMF総会の週に参加したセミナーのメモ

今週は、集中的に色々なセミナーに参加して、同じような質問を複数の相手にぶつけて、その回答を比較検討しながら考えた。それをメモしておきたい。
 
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ギリシアでは、銀行が企業に融資を出せなくなってきた。
企業活動に必要な運転資金を銀行から得られなくなってきている

しかし、民間企業はへこたれない、工夫をする。
原材料の仕入れに際して、「ツケの証文」を書いて渡して、ビジネスを継続している。
借用証書、IOU、が通貨の機能を担っているそうだ。
必要は発明の母である。

面白いことに、借用証書、IOUは、ドラクマのようにレートが下落せず、ユーロとほとんど変わらないレートで流通しているらしい。
この「借用証書、IOU」が増えて現地通貨として多数使われる状態になれば、事実上ギリシアは、ユーロと「借用証書、IOU」の 2重通貨国家になる。
それで社会が回るなら、ユーロから離脱せずに、徐々に「借用証書、IOU」を"ドラクマ"に変えていけば良いのだろう。

民間企業の信用はちゃんとしているのだ。
ダメなのは、政府の信用なのだ。

民間では、借りた人が受益者であり、受益者が借金を返済する。

政府は違う。
受益者は、社会保障の性格上、仕方が無いが、もらいっぱなし。
税金を徴収したり、国債を発行する政府はどんどん変わる。
政府を担当する与党と野党は、頻繁に入れ替わる。
民主主義の政治制度は、継続した責任感とは縁遠いシステムかもしれない。


参考:
(1) そのそも、ツケという信用の利用が「お金」よりも先に登場したのだ。
( 参考:<< お金より先に信用が成立していた >> )

なお、中国では最近まで「三角債」という手法が使われていた。
苦しい時に出てくるので、注意が必要だが、これも良くも悪くも銀行ローンに代わる民間信用である。
 

JP Morgan、Jing Ulrichの講演の感想

北京出身、ハーバード卒業、JPモルガン在籍の評価の高い、Jing Ulrichの講演会

このメモですが、彼女の話(夢ばかり語る)そのものではなく、彼女の話を聞いて、私が「行間はこういう事でしょ!」と判断したメモです

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問題は山積、何をすべきはは明白だが、短期的には解決不可能
 
資源や産業、資金の再配分をすべきだが、Scrap & Buildは不可能、Build & Buildで問題を水面下に隠しながら、経済成長させるしかない。
 
株式投資に関しては、構造的な問題が無いエリアに投資するしかない。

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年初から成長率鈍化が激しい。7−9月は、4−6月期の+7.6%を下回っただろう。
要因1:輸出鈍化
過去は、+15%〜+20%、9月は、+1〜2%成長、輸出の22%を占める欧州向け(9月▼13%)と、10%を占める日本向けの落ち込みが激しい。新興国向けは堅調だが、オフセットは無理

要因2:住宅、これは政府が制限をしているからだ。冷蔵庫・洗濯機・TVなどの家電、ベッド、カーペットなどの波及効果が大きい住宅(単体では、GDPの10%を占める)が制限されていることは経済に大ブレーキ

2012年は、7.5%の政府見通し通り(通常は9%〜10%は余裕で達成してきたが)

11月8日の共産党大会で共産党の指導部が交代する。7人体制になるだろう。
2013年3月には政府組織が交代する。
4月以降にならないと、本格的な経済対策は実行されない。

中国は毛沢東や小平の個人が強力なリーダー・シップを発揮したような個人の時代は終わってしまい、集団指導体制、コンセンサス政治に変わってしまった。
それゆえ政策の継続性は高くなっている。

USは政権が民主党から共和党に変われば、政策がガラリと変わる。それに比べれば、中国の政策の連続性、安定性は高い。

2009年の4兆元の経済対策は、短期間の急速V字型回復だったが、今回はゆっくりと長めの回復であり、回復感に乏しいだろう。
GDPは、+6%〜+7%の時代になる。
中国経済は巨大化したので、成長率が鈍化するのは宿命だ。
USの経済規模が14兆ドルだが、中国は既に8.5兆ドルになっている。

造船、鉄鋼、自動車、すべてはover-capacityだ。
病院は足らない、朝の7時から長蛇の列だ。しかし、参入は厳しく制限されている。
教育も私立は制限されており、教育の自由はない。

日本に対するアドバイスだが、中国系やその他の外資系の資本に「窓をあけて歓迎すべき」だ。
窓をあけるとハエも入ってくるだろうが、新鮮な空気が入ってくる。ハエは駆除すればよい。フレッシュ・エアを歓迎して、社会を活性化するのを恐れてはいけない。
社会を活性化するなら「黒ネコでも、白ネコでも」良いではないか

中国政治史の復習

3月以降、何回か掲載した図です。
11月8日から開催される共産党大会で、新体制が発表されるので、復習の意味で再度掲載します。

中華人民共和国の建国に至るまでの推移ですが、
1911年 辛亥革命
1919年 国民党成立
1921年 共産党成立
その後は、両者の内戦が始まりました。

日本の侵略に対する一時的な「国共合作」、対日本共同作戦を経て、日本の撤退後の1946年6月に国共内戦が再開し、
最終的には、共産党軍の勝利で、1949年10月1日に中華人民共和国が建国されました。

中国の最高指導者は、現在までに4人
毛沢東、小平・・・戦争を指導した革命戦士
江沢民、胡錦濤・・・戦後のテクノクラート


この両者の違いは、中国経済の発展に関連しています。

中国政治_1

小平が、同世代を自分とともに引退させた功績は大きく、
それまでの、個人崇拝、非法治国家を脱して、
テクノクラートが集団で指導する新世代中国へとバトン・タッチしたのです。

ただ、それはスンナリと実現したわけではなく、
胡耀邦、趙紫陽という犠牲者を乗り越えて、江沢民という妥協の産物が選択されたのです。

江沢民は保守派と目されましたが、実際にやったことは大幅な経済自由化でした。
副産物として、国内のガス抜き対策として、反日教育が強化され、
上海閥と揶揄されるような、金権体質も蔓延しました。

中国政治_2

最高指導者とは、共産党の軍事委員会主席を保持している人です。
現在は胡錦濤です。

胡錦濤は、軍事委員会主席、党総書記という共産党組織の最高権力を握っており、
共産党の下部組織的位置づけの「国家機関」においても、国家主席の地位を持っています

中国政治_3

11月8日の共産党大会の人選は終了したと思われます。
ポイントは、改革開放路線、テクノクラート路線が、維持されるか否かです。

3月以降の毛沢東路線、暴力、非法治、個人崇拝の動きがどの程度、新政権の構成に影響を与えたのか、これは発表を待つしかありません。私もインサイダー情報は持っておりません。

中国政治_4


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2012年で、最も重要な米中会談

9月18日のUSパネッタ国防長官と中国、習近平(次期国家主席)との会談、これは2012年で最も重要な米中会談だったと、春山は判断した。

何かあった時に、相手国の当事者が「どんな人間なのか」を理解認識していることは、国際政治においては非常に重要である。

知らないと、疑心暗鬼に陥り、極端な反応をしてしまう。
だから、相手が好きか嫌いかにかかわらず、国際政治の担当者(一般には外交官)は、様々な人間と頻繁に接触して、お互いの手の内、相手の行動パターン、相手のサインの出し方、そういう事を習得するものだ。

特に相手が総理大臣、大統領、国家主席であれば、ことのほか重要だ。

http://www.ft.com/intl/cms/s/0/018eb29a-021a-11e2-b41f-00144feabdc0.html#axzz26vV01mtb
1

なお、習金平は、ゆくゆくは中国の最高権力である「軍事委員会主席」に就任するが、それはUS国防長官に該当する。
パネッタ・習近平会談は、軍のトップ同士の会談の始まりという意味もあった。

最高指導者

尖閣問題、1970年代からもめている。
昨年まで休火山だったが、今年になって活火山になった、そんな感じだ。
中国が新体制になっても早々に態度が軟化するとは思えない。

米中関係も、ブッシュ政権の当初2年ほどは険悪なムードだった。

日中関係は、それと同等以上のもめごとだと思われるので、年単位でイザコザが絶えないと想定するべきだろう。

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転換点 (2)リスク・プレミアムの上昇が終わる

リスク・プレミアムは、半年〜1年間という短期間の売買戦略には使えない指標だ。

これは時代を観察する指標だ。
9月にUBSのメールに添付されたリスク・プレミアムのチャートを見て、考えながらお絵かきしてみた。

もし先日書いた転換点が、時代を変える転換点なら、リスク・プレミアムは2017年ごろを目指して最初の低下フェイズを出現させるだろう。
つまり、世界のPERは上昇するのだ。

勿論、そんなこと数年後にしか認識できない。時代の大きな流れとは、そういうものだ。

RP_20120912

そもそもリスク・プレミアムの上昇や低下は、ひとえに心の問題だ。
心とは、恐怖と強欲の間を揺れ動く投資家の群集心理だ。

手ひどい損失を被ると、投資家は慎重になる。
一旦はファイティング・ポーズをとって立ち上がるが、再び返り血を浴びると、借りてきた猫のように大人しくなる。
最後は、羹に懲りて膾を吹くような状態にまで陥って「損失の恐怖」に怯える

このようなプロセスを経て、割高だった株価評価(PER、PBRなど)は、適正値を通り越して、割安まで下がる。
バブルが崩壊するような年単位に渡る「強欲から恐怖への振り子の動き」が起こる場合は、とんでもない安値、割安評価まで行きつく。

2000年のITバブル崩壊、
2007年〜2008年のサブ・プライム崩壊、リーマン・ショック
2010年以降のPIIGS危機
このようなトリプル・パンチを食らった投資家の心理は、まさに強欲のユーフォリアから、恐怖の谷底に叩き落ちされた10年間を経験したのだと思う。

もし、2012年9月を起点に、大きな流れが変わり始めたとしたら、
大貧民 → 貧民 → 平民
という投資家心理の長い回復期間がやってくるだろう。
それが2017年にかけてのリスク・プレミアムの低下なのかもしれない。

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