2013年02月

デフレ脱却に必要な「セイフティ・マージン」

植田和男氏(写真左)と、岩田一政氏(写真右)の講演を聞いた。

二人の講演で共通していた事があった。
それはデフレ脱却のために設定するインフレ目標に関しては「セイフティ・マージン」が必要だという点だった。

BOJ


デフレを脱し、目標とするインフレが達成されたら、日銀は緩和をやめる。
やめた後に、インフレ率は景気変動で上下動するのが自然体だが、再びデフレに戻らないようにするために、下方向にインフレがふれてもデフレにならないためには、ある程度高めのインフレ率を中心値(基準)にして、そこまでは金融緩和を維持しなければならない。

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前回、日銀が量的緩和を実施した時は、目標インフレ率が「0%」だったので、インフレがマイナスからゼロになった瞬間に緩和をやめてしまった。その結果、景気悪化で再びデフレに陥ってしまった。
この時は、設定されたインフレ目標には セイフティ・マージン(のりしろ)無かったのだ。だから失敗したのだ。
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これが、二人に共通する反省だった。 

岩田氏は、今回の2%に設定されたインフレ率に関して、
1%の目標 + セイフティ・マージン(1%) = 2%
という解釈をしていた。

一方植田氏は、セイフティ・マージンの数値は示さなかったが、
適正なインフレ率に関して、
USが、2%であるなら、日本は、2.5%〜3%であろう、と述べていた。
この格差の理由に関して・・・・日本の潜在成長率はUSよりも低い。潜在成長率(=自然体の成長率)が低い国はデフレになりやすいので、適正なインフレ率はより高くあるべきだと言うのである。

植田氏ならば、インフレ目標は2%ではなく、もう少し高く(2.5%〜3%)なったかもしれない。
ただし、そのプロセスは2段階であるべしと言う。
デフレ脱却は難事業なので、一気に2.5%〜3%にするのは困難だ。
1:デフ脱却のプロセスとしての目標(緊急事態対応):1.5%程度というニュアンス
2:適正インフレ率としての目標(最終目標):2.5%〜3%というニュアンス
と、2段階で実施すべきだと主張していた。

2月27日の植田和男氏講演会のメモ」へ続く

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「もの創り日本」的なセミナーでもらった資料のメモ

デジタル全盛時代
何でも世界中から安価な部品を集めて、チョイチョイと組み立てればOK
それじゃ組立屋さんは、何の付加価値も生んでいない。
PC屋がもうからないのは、経済理論的にも「付加価値を創っていない=利益が無い」ということだ。

組み立てただけじゃうまく動かないもの、様々な調整を施さないと高品質にならないもの、ここには調整という付加価値がある
自動車と精密機械(マザー・マシーン)に関する日本の優位性はまだまだ維持できる。
部品点数の多い自動車の方が、少ない機械よりも優位性は長期間維持できるだろう。

ものづくり_1


投資の世界でも、クオンツ・プログラムを買ってきて動かせば資産倍増、、が機能しないのと同じだろう。
相場の地合い、場味、雰囲気・・・これらは、調整作業(総合判断)に必要なインプットすべき項目なのです

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フランシス・フクヤマ : 歴史の終わり(上)

リベラルな民主主義が人類の最終到達地点である。

それは信賞必罰、努力の「結果に応じた」格差を許容する世界である。政府にぶら下がる「エセ民主主義」とは別世界だ

著者や哲学者は、・・・
人間は経済的な欲望(食べ物、飲み物、隠れ家、肉体の保存)だけで生きているのではない。
自尊心という「威信を他人に認めされる」気概によって突き動かされている。
・・・と言う。

しかし、自尊心や気概によって経済的な利益をもたらす「政治的な権力=他人を支配するソフト・パワー」が得られる。

リベラルな民主主義を認めることは、自分と他人の対等性を認めることだ。
自分の欲望と他人の欲望が対等であることを認めることだ。

それは、お互いの欲望を調和させるために、「全員が不満足で満足する」ことを体得することである。

民度(精神)がここまで高まった国をリベラルな民主主義国家と呼ぶ。
フランス革命を経験したフランスと、アメリカ独立を果たしたアメリカが、その最右翼と位置付けられている。

認知欲は、
1:他人を支配する欲望の源泉
2:勇気や公共心、正義のような政治的美徳の心理的基盤
という両面を持っている。

政治的共同体(一般的には国家)は、認知への欲望を上手に利用するとともに、その暗黒面の破壊力から身を守らねばならない

リベラルな民主主義は、チャンスの平等を実現した。
しかし結果の不平等は残る。

昔は、生まれながらにして固定された不平等があり、そのために結果も不平等であった。
今は、努力した結果としての不平等(格差)がある。

前者の場合は、普通の人間は、「そういう社会なのだ、とあきらめる」ことで静かな生活を送ることができる。
後者の場合は、「同じことをやっているのに、何故俺だけが損な状況になるのか?」と不満を募らせる。

民主主義は、些細な不平不満で腐食・攪乱・動揺・麻痺する壊れやすい制度だ。(vola高い)
社会主義は、ヒドイが安定している。(vola低い、停滞?)

第三世界の社会主義政権は、自由選挙や公開討論会は無くても、無償医療、土地改革、その他福祉を提供することで正当性を主張できると言われる。

民主主義や社会主義は、何かを達成するための「制度や手段、ツール」だ。
でも、何を達成するための手段だろう?

国民の満足度の最大化だとしても、満足のレベルや内容は誰がどういうプロセスで決定&測定するのか? 選挙で判定というのは回答では無いだろう。
人間の尊厳を維持する最低限度の生活を保障と言うが、それって具体的には何だろう?

満足や幸福を具体的に示す必要がある。
もしそれが各国や民族でバラバラであり、それを達成する最適な制度や手段が異なるのなら、民主主義は一部の国や民族でのみ最適だという結論になる。

西欧諸国は、ソ連と東欧の政治的な安定性をその国民が心から支持している証拠だと誤解した。
文句を言えないから、安定していただけだったのだが、民主主義の不安定性に直面していた西欧諸国は、「隣の芝が緑に見えた」に類する誤解をしたのだ

支持する支持しないが重要なのであれば、社会主義や民主主義は「支持を得る」ことを達成するための手段ということになる
支持は、Visionの共有によって合意されるらしい。
うーーん、Visionは都合のよい「まもれないお約束」や「とらぬ狸の皮算用」みたいなものだから、Visionを共有させて支持を得るのは、違う、オカシイ、と思う。単に夢を見させて=だましているだけだ。

独裁政権といえども、政権の正統性が必要だ。
国民から支持される必要は無い。
体制に結び付くエリートたち、支配政党、軍と警察などの弾圧勢力のエリート層に正当性を定着させれば良い。

独裁政権の正当性の危機とは、国民のことではない、エリート集団内部における危機である

1989年から1991年のソ連とワルシャワ条約機構の崩壊を見て、その原因が経済が弱すぎるという「経済問題」であることを理解した中国共産党は、保身のために資本主義化へ舵を切った

 ソ連も中国も、その政権の正当性は「国民に物質的な豊かさを提供する能力いかん」にかかっていたからだ

雇用、住宅、医療を要求することは、政治的自由主義に反する
財産の保護や自由な経済活動と矛盾する
アメリカの人権宣言でも権利と認められていない

それらを要求を政治的自由主義に加えるのは、社会主義国の常套手段であるが、破たんする運命である

自由主義の経済面の大きなファクターは資本主義だが、この言葉に対する反発(資本をエコヒイキ)が強いので、自由市場経済と言う言葉の方が今は受け入れられる

経済的正義という概念は、自由主義ではない。正義は往々にして我田引水的に支配権力が使う常とう句であるから

経済的正義 VS 経済的自由主義
経済が好調な時期、地域では、自由主義が歓迎され
経済が不調な時期、地域では、正義が要求される

この振り子は、現在は自由主義→正義のベクトル下にある
「武士は食わねど・・」は現代社会には存立できない

他国に比べて近代化が成功したか否かは、戦争に勝つという結果、もしくは勝てるという推定によって「測定」される

人類は対立関係のおかげで、社会で生活するようになり、社会の可能性を高めていく

他国と対立することが少ない日本(四方を海で囲まれているゆえ)は、社会が発展しずらい、民度が高まりにくい

近代化・工業化は、労働の合理的組織化を要求する。
工業社会が都市に集中するのは、都市だけが近代工業の運営に欠かせない熟練労働者を十分に提供でき、また極めて専門化した大企業を支える基幹施設やサービス施設を備えることが可能だからだ

中央計画経済は、もっとも尊い人的資産である「勤労を善とする労働倫理」を台無しにした。
勤労意欲を否定する社会政策・経済政策を実施すれば、労働倫理は破壊されてしまう。
それを取り戻すのは、きわめて困難である。
インセンティブの問題である

共産主義が資本主義に負けたのは、世界の全部を征服できなかったからだ。
共産主義は、現状凍結を基礎に全員が貧乏平等になる仕組みが内包されていた。
資本主義は敗者を作りながら、勝者が豊かになる仕組みである。
共産主義国家にも、資本主義の勝者の生活情報が流れ込み、共産主義国家の人民の心(嫉妬心、向上心)に火をつけた。
その結果が、1989年のベルリンの壁崩壊以降の共産国家のドミノ倒し的崩壊に結実した。

重化学工業分野の工業化の時代では、社会主義は負けなかった。
量が物を言う世界だったからだろうか?
テクノロジー主導の経済近代化の時代(情報化社会)になって社会主義は負けた。
情報化社会では、価格、価値といった質情報が物を言う世界である。
社会主義は質の判定が不得意な主義であった、とう事になるのだろう。
経済合理性の観点から的確な判断を下すには、適切な情報が市場価格で判断者に提供される必要がある。
市場が存在せず、社会正義の視点で提供される情報では、経済合理性に沿った判断は、そもそも無理であったのだろう。

経済発展とは、変化である。
変化は、対応できる人と、対応できない人を発生させる。

社会主義による近代化の過程で発生した膨大な人的犠牲(粛清、弾圧)は非難されるべきだが、資本主義による近代化でも「対応できない人という犠牲者」はつきものだ。
どちらが、より少ない犠牲者で経済発展を実現できるかという比較・競争に過ぎない

社会主義革命を採用して急速な発展を目指した途上国は、労働者階級から労働倫理(働かくインセンティブ、意欲)を奪ってしまった。
今や第二の革命が必要だ。
第二革命とは、規制と官僚主義の古い国家構造をうち砕き、旧来の社会階級を国際競争にさらすことによって、その富や特権や地位を奪い、自国の市民社会のもつ創造的なエネルギーをっ解き放していくことだ。
このフランシス・フクヤマの言葉は途上国に向けられたものだが、2013年の日本に向けられる言葉として最適だと思う。

先進技術と、それを有効利用するための労働の合理的組織化(国際分業化)は、巨大な規模の経済を伴った「高い生産性」と世界を飲み込む「ダイナミズム」を生み、世界を結合し同質化している。
この同質化された世界に適した(向いた)性格の民族・国民と、向かない民族・国民が存在する。
向かない民族・国民は、別の経済システムを提示できるのだろうか?
中国の主張する社会主義市場経済は、「民主主義市場経済(民主主義+資本主義)」の真の対抗馬たりえるのだろうか?

民主主義、キリスト教、共産主義、イスラム教、これらはすべて同じ範疇に属する「イデオロギー」である。
これらは、人々の社会生活を律する考え方であり、様々な社会集団の利害調整を担うもの、価値観にまつわるものである。それゆえ、構成員の政治的合意(コンセンサス)を決定する政治システムとの関わり合いが避けられない。

何にもまして経済成長を国家の第一目標とするならば、それに一番ふさわしい体制は、リベラルな門主主義でもレーニン流の社会主義でも、あるいは社会民主主義でもなく、自由経済と権威主義の組み合わせがベストである。
この体制は「官僚的な気に主義国家」あるいは、「市場志向の権威主義」と言われる。
帝政ドイツ、明治維新期の日本、ピノチェット政権下のチリ、アジアNIESなど多数の事例がある。
小平以降の中国も該当するかもしれない。

「幸福」が相対的な、もしくは相対比較の「感情」であるなら、
全員が貧乏平等は幸福なのかもしれない、それ以外の世界を一生知りえないならば

歴史とは、重要な事実とそうでない事実を分別する「意識的な抽象化」の作業である。
分別の基準は固定的なものではなく、社会の発展・変質に伴い変化してきた。
過去に発生した事実の総体は何も変わらないが、歴史的な事実として認識される重要な事実は変化する。

フランスとUSが自由と民主主義を称賛する時、世界中の人々が共感するが、
フランスは、経済的に弱い民主主義国家であり、
USは、経済的に強い民主主義国家である。

初期の人間社会は、自らの生命を進んで危険にさらした主君たちと、それを望まなかった奴隷たちに分かれた。(ヘーゲル)
伝統的な貴族政社会は、冷酷無情さと残忍性を武器に定住性民族を征服した遊牧民族の「勇士の気風」から発生した。
現代で言えば、リスク・テイカーとぶら下がり族という区分だろう


アメリカの建国者たちは、自国民の上にいかなる政治的権威が打ち立てられようとも、それ以前から「生命、自由、幸福を追求する」権利を有しているのだと確信し、同時に、政府の第一の目的はそのような権利を守ることにあると考えていた。

アメリカ建国と言う事業には、隅々にまでロックの理念がいきわたっている。不満が残るのは、ホッブスやロックの思想が自己保存あるいは快適な自己保存を道徳的に最優先させている点だ。

リベラルな社会とは、相互の自己保存のためのルールを設定するだけで、市民のための積極的な目標を定めないし、寄り卓越した生活様式や望ましい生き方を提唱もしない。

国家は生活の中身に関心を示さない。政府は権利行使がや人の権利を侵害する場合を除いて、様々に異なったライフ・スタイルを容認するものである。

しかし、自由主義の中心部に積極的に高尚な目標が示されない場合、ロック流の自由主義の中心部には大きな穴が開いてしまい、そこを占領するのは、際限のない富の追求だけになってしまうのだ。

気概

認知への欲望の背景には、自分が設定した価値判断の世界がある。
それは政治的な自己主張へとつながっており、共同体の利益に貢献する場合は公共心を形成する。

ソクラテスは、人間の魂の3要素として、欲望、理性、気概を考えた。
気概は、換言すれば自尊心とも言え、自分に対して設定する評価基準、価値基準であり、正しいと思うものに味方して戦う正義感である。自分の自尊心に自分が応えきれない時は、自分に対して腹を立てる。

気概は、勇気、豊かな公共心、道徳的な妥協への不服従の源であり、「正しい政治秩序」につながっている。
正しい政府とは、尊厳や価値を認められたいという人間の正当な欲望を満たすものでなければならない。

歴史の終わり

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またホット・マネーに揉みくちゃにされそうなJリート (その5)銀行のディーリング資金の参戦

2013年の日本国債市場は、アベノミクスを徐々に織り込まざるを得ない。それは長く続いた超低金利が終わり、ゆっくりとではあるが、金利が上昇する事を意味する。
それは銀行にとっては重大問題だ。

下は、2005年以降の10年国債先物金利の推移 
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これまで長期間続いた金利が反転上昇すれば、2個の重大な問題を銀行に引き起こす。
(1)金利低下は、債券ディーリングという短期の利ザヤ狙いの売買で銀行の業務純益を賄ってきた。債券デーリングによる銀行の業務純益確保が困難になるなら、何か別の方策を探すことになる。
 
(2)景気軟調による銀行ローンの不振をカバーするためにローンの代替投資先として国債を大量に購入してきたが、金利の反転上昇は保有国債に膨大な含み損を発生させる。
損失回避のために国債の売却や国債先物の売りヘッジをしても、相場下落を加速させてしまい、ますます損失は拡大するというジレンマに陥る。

結局、銀行としては何か別の業務純益獲得手段を急いで模索せざるを得ない。
米国債券も金利が上昇傾向であり、これも利益確保には力不足だ。
既に昨年10月以降、一部銀行のJリートや不動産への投融資の拡大が見られており、2013年新年度の4月以降はJリート・不動産への傾斜が大幅に増大すると推定される。

Jリート市場への銀行資金の参入は、銀行の横並び体質によってあっという間に全国規模に拡大するだろう。
2005年〜2007年がそうだったように、規模が小さく流動性の低いJリート市場銀行の巨大な資金が入ることは、小さな池クジラが乱入するに等しい。
今後、銀行は意図せずしてJリートをバブル化させるだろう。

個人の長期的なインカム商品としてのJリートの時代は2012年で終わった。
2013年は、銀行など機関投機家の短期値ざや稼ぎの短期ディーリング商品の元年である。

下図は、1990年以降の日本国債先物金利の推移
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なお、不動産業界、Jリート、銀行の関係については、過去ブログ記事の<< 不動産業界と銀行業界が、Jリートの復活を心待ち >> の後半部分に解説したので、お読みいただきたい。

アベノミクスの帰趨は、株式、為替や金利に大きな影響を与える
高邁なベキ論に惑わされずに、冷徹に対応したいものだ

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またホット・マネーに揉みくちゃにされそうなJリート (その4)Jリートの削減

下図は、Jリートが始まって以降の長期チャートだ

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今後を推定しよう。

価格形成の主役が、インカム収益目的の長期投資家から、キャピタル・ゲイン狙いの短期投機家に移行する。
長期投資家は少額をまれにしか売買しないが、短期投機家は大量の金額を頻繁に売買する。
価格は売買の結果を反映するから、価格形成力が短期投機家にシフトするのは当然の成り行きだ。

価格形成の担い手の変化は、2つの変化を引き起こす
(1)volatilityの拡大
(2)価格の継続的上昇による維持不可能な割高レベルまでの上昇と、その後の急反落リスクの増大

(1)volatilityの拡大は、リスクの増大を意味する。
短期的に高値掴みをする確率が上がり、その結果投資家は心理的に不安定になる。

(2)反動安による長期含み損リスクの増大
最初は含み益がどんどん増えるので結構な話に聞こえるが、多くの投資家は「価格上昇とともに強気になり、ポジションを増やす」傾向がある。
また「販売会社は一般的に、売却を推薦しない」ので、価格が大幅に反落すれば大きなポジションを持ったまま巨大な含み損を抱え込むことになる。前回のバブル崩壊の過程を振り返れば、一目瞭然だろう。

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なお、アベノミクスが実現した際には、インフレ率2%、国債金利3%という世界になるだろう。
それが実現するプロセスはデフレ脱却であり不動産市況は活況を呈する。
税制の後押しもあり、活況度合いは高まるだろう。

今後2年間に関して、2つのケースを想定して、Jリートの将来像を推定しよう

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ケース,両豺隋下図のように、イールド・スプレッドは、2.406%まで縮小する。
またホット・マネーに揉みくちゃにされそうなJリート (その3)で書いたように、イールド・スプレッド2.5%は2005年1月のバブル突入の水準だ。
2.406%は、バブルに片足を突っ込んだ状態と考えられる。

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ケース△両豺隋下図のように、イールド・スプレッドは、1.734%まで縮小する。
これは、バブル状態だと考えられる。

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2つのケースから得られる結論は、
1400レベルは、多分維持可能だろうが、
1600レベルは、反落リスクがかなり大きい、

ということだ。

現在の1200から1400までは、+17%1600までは+33%
そろそろJリートのポジション全体を完全にホールドする時期が終わり、部分的に流動化すべきフェイズになったと思われる。
そして、家賃収入の上がり辛さを考慮すれば、景気回復に比例してEPSが増加する恩恵を受ける株式へとよりシフトするフェイズでもあると思われる。

それゆえ、1月31日の夜に、以下のような資産配分の変更をした次第である。
Jリート: 40% → 30%
MMF: 0% → 10% 

MMFへシフトしたのは、そろそろ株式の調整が近いことを想定してのことである。

なお、過去の資産配分の推移は下図ようなものだ

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参考:一年前のブログ:
2011年2月5日:分配金利回りが4%を下回ったら危険、復活したJリートが、もしかしたら将来的にもたらす可能性のある副作用
2011年11月13日:6%を超えていた分配金利回り、配当利回りで、不動産を見ています

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またホット・マネーに揉みくちゃにされそうなJリート (その3)

Jリートの価格形成が、長期分配金目的の投資家の手を離れ、キャピタル・ゲイン目的の不動産投機家、短期トレーダー、ヘッジ・ファンド、外人投資家達の手に移ると・・・・・
(1)Jリートの価格変動性(volatility)が増大する
(2)家賃収入に基づく分配金では正当化しずらい領域まで、Jリートの価格が上昇する

・・・・・という状態になる。
その状態が長期化し、程度が高ずればバブルになる。

前回の2005年〜2007年のバブル期の状態を振り返ってみよう。

下記チャートは、不動産証券化協会HPより
分配金利回りと国債利回りの格差(利回り格差)は、Jリートが活況になるにしたがって徐々に低下していたが、
バブルに突入する2005年1月には、2.5%まで低下した。
バブルのピーク、2007年5月には0.855%まで格差が縮小する。

分配金利回り

その後は、サブ・プライム住宅ローン証券化の破たんを合図に、Jリートバブルも一気に崩壊した。
崩壊後の最悪期、2009年2月には、利回り格差は6.328%にまで増大した。


その後は、羹に懲りてなますを吹く状態が続いた。
素晴らしい投資対象とんでもなく安価に放置されているのに、誰も見向きもしない状況(利回り格差4%以上、分配金利回り5%以上)が長期間続いた。
その後2010年以降、徐々に回復し、先週末は
分配金利回り:3.9988%
利回り格差:3.2378%(3.9988%−国債利回り0.761%)
まで格差が縮小した。

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今後、利回り格差が、2.5%を割り込むときは、バブルに突入したと判断してよいだろう。
それまでは長い道のりあろうが、それを認識しつつ、Jリートを観察したいと思う。

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またホット・マネーに揉みくちゃにされそうなJリート (その2)

Jリートに投資するに際して教科書を読んだり、販売会社の話を聴くと・・・
Jリートは株式よりも安定した収益構造をもった優良な投資対象です
Jリートの価格変動も株式のような激しい上下動はしません
・・・・という答えが返ってくる。

(1)Jリートが投資対象とする物件の賃料と価格、経済の関係に関して、一般的には下図のように説明される。
物件を購入する際に必要な資金の調達コスト < 物件の生み出す収益
という関係が満たされるように物件価格が決まる、という。
さもなくば、資金調達(=銀行ローン)の金利が払えない。

不動産価格決定式


(2)一般企業の業績(EPS)は、景気変動によって、大きく上下動する。それゆえ、一般企業の株価は大幅に上下動する(=volatilityが高い)。

しかし、家賃は景気の上下動ほどには、増減しない。
契約期間が満了しないと、増減が発生しないし、既存テナントに対しては変動幅の緩和策がとられるのが一般的だ。
それゆえ、家賃は景気ほどには変動しない。
つまり、Jリートの分配金(家賃収入−支払金利などの経費)は、景気変動に比べてマイルドな動きをする。

Jリート&一般企業

上記(1)、(2)を理由に、Jリートは安定した、価格変動(volatility)の小さな、優良な投資対象だと言われる。
しかし、現実は異なっている。

景気が好転し始めた初期、金利がまだ低い時期は、不動産を買う絶好のチャンスだと不動産投機家は判断する。
徐々に景気回復の本格化を織り込みながら、不動産価格が上昇を始めるからだ。

購入した物件から十分な家賃収入が無くて、銀行への金利が払えなくても、数年後に値上がりした不動産を売却してキャピタル・ゲインを得れば十分だと考える不動産投機家が一般的である。

彼らは、Jリートに対しても同様に考える。
不動産が値上がりするなら、Jリートの価格も上昇する。
分配金など微々たるものでも構わない。値上がりしたJリートを売却して儲ければ十分だと。
短期トレーダーとヘッジファンドも同様に考える。
外人投資家の多くも、このグループに該当する。

昨年12月後半以降、不動産投機家、短期トレーダー、ヘッジ・ファンド、外人投資家達のJリート市場への参入が増加してきた。

Jリートの価格形成は、長期分配金目的の投資家の手を離れ、キャピタル・ゲイン目的の不動産投機家、短期トレーダー、ヘッジ・ファンド、外人投資家達の手に移り始めた。

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またホット・マネーに揉みくちゃにされそうなJリート (その1)

2003年にJリートが生まれた時、健全な発展を願った人が多かったと思う。
しかし、一旦生まれた金融商品は時代の流れに翻弄される宿命から逃れられない。

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当時は、2000年にITバブルが崩壊して企業経営者は打ちひしがれていた上に、2001年9月11日アメリカ同時多発テロ事件が追い打ちをかけて、世界経済が深刻な状況だった。
世界経済のリード役として、米国経済を活性化するためにFRB議長グリーンスパンは、米国民の消費に火をつけて「買い物三昧」をさせる決断をした。
金利を猛烈に下げたのだ。

自動車ローン、住宅ローン、カードローン、すべての金利が大幅に下がった。
月々の支払金額がみるみる減っていった。
同じ支払金額なら、もっと良い車、もっと高価な住宅を求めるようになった。
そして景気が改善するにしたがって、住宅ブームが起こった。


住宅ブームは、住宅ローンを証券化して売りさばく「証券化商品バブル」を生んだ。
好景気でローンの返済は良好であり、「この状況は永遠に続きます。返済遅延は考えられません」的な営業をする証券マンが跋扈した。

しかし、ブームは終わるものだ。
確かに終わった。
その辺は、サブプライム問題とは何か?という本があるので、読んでいただければ幸いだ。

Jリートも不動産関連の証券化商品という位置づけで、時代の寵児になり、2005年〜2007年の3年間、バブル的な状況に陥った。
本来は、利回り商品として配当金を目的に投資するものが、「上がるから買う、買うから上がる」という短期トレーディングの対象として持て囃された

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しかし、バブルは終わるものだ。
Jリートのトレーディング・バブルも確かに終わった。

バブル崩壊後は、素晴らしい投資対象とんでもなく安価に放置されているのに、誰も見向きもしない状況が長期間続いた。
2008年10月〜2012年9月の、価格が1000ポイント以下で、利回りが5%以上であった時期だ。

グラフ:上、Jリート価格、中、Jリート利回り、下、10年国債利回り
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2012年末に安倍政権が発足してから、日本の不動産はブームが始まりつつある
その背景は・・・・
住宅減税が拡充される
相続税が強化される結果、相続時に現金や有価証券よりも、不動産が有利になる点が脚光を浴び始めた
消費税が値上がりする前に駆け込みで買いたい需要が出てきた
海外へ資金を持ち出して脱税することに対策が強化された結果、国内の有利なものにお金が集まり始めている

・・・・・というようなものだ。

不動産ブームの足音は、Jリートの相場にも火をつけた。
安倍政権の誕生が期待され始めてからのJリートの上昇率は目を疑うばかりだ。
どんどん利回りは低下し、ついに4%を割れてしまった。
2月1日で、3.9988%

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1月に入ってから売買高が急増し始めた。
2005年〜2007年のJリート・バブル時のように、利回り商品として配当金に投資するのではなく、「上がるから買う、買うから上がる」という短期トレーディングの対象として持て囃す投資家が乱入を始めたのだ。

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2013年を考える(10)新しい相場が立ち上がる時の勢いは壮大だ

2009年、第一Qの急騰で、相場が終わってしまった。
2010年、2011年、典型的なSell in May相場で、春にAll Cashにして晩秋に買い戻すしかなかった。
2012年、何かが違うと感じて、恐る恐る強気になり、6月1日から俄然強気に転向した。
2012年は、終わってみれば、非常に良好なパフォーマンスが出た年となった。

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2013年、2012年11月15日を起点とする、猛烈な上昇相場が続いている。
もう終わるだろう、そろそろ調整が来るだろう、、、、なかなか来ない。

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新しい強気相場が立ち上がる時の勢いは壮大なのだ
これまで4年近く弱気に覆われていた投資家の心は、ゆっくりとしか変化しない。
投資家の半分近くが強気になるのに、1年ほど必要かもしれない。

多くの投資家は疑いを捨てない。
円安はすぐにでも終わるだろう。
中央銀行の緩和なんて効果が無い。
お金が増えても、企業経営者は冬ごもりから出てこないだろう。
疑えばきりがない。


疑いは間違いだと証明することはできない。
ただただ、時間が経過していく。
改善するファンダメンタルを信じて観察するか、否定して観察するか、その違いだけだ

新しい強気相場が立ち上がる時・・・
決して、カラ売りしてはならない。
本命と信じるコア・ポジションは強くホールドすべきだ。


調整は来る、しかし、その後に再び上昇が始まる。
その時に、投資家はいやいやながらも徐々に強気度を増やすことになる。
参考:2006年05月13日 不機嫌な株価の上昇と下落は、大きな変化の始まり
 
2月1日、NYダウ、14000に達した

2013_0202

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目次:2013年を考える
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