2013年10月

2014年を考える : 節度ある企業 VS 節度から遠ざかる国家&家計

家計、企業、国家、、経済を考える時に出てくる経済主体だ。

三者の中で、企業の地位が向上していると同時に、地球上を自由に闊歩している。
しかし、国家と家計は、国内に閉じ込められて悶々としている。

企業 > 国家&家計、という格差が広がった背景は、節度だ。

企業は収入と支出に関して株主の厳しい監視のもとに置かれている。上場企業の場合は、株価と言う通信簿が毎日発表される。企業は大きなプレッシャーの中で生きているのだ。
( 巨額債務を国家に押し付けた「Too Big to Fail」の金融機関の話は、ここではしない )

一方、家計(ここでは国民と言い換えよう)と国家は、国民が国家におねだりし、国家は収支に節度が無く借金生活で国民ともたれ合って生きている。
監視者としての国民がオネダリする側に落ちたら、もう歯止めが効かない

そんな国民と国家に愛想をつかしてTax Havenに出ていったのが企業という構図だ。

福祉に関して言えば、企業はネットで負担者、国民は受益者、国家(正確には役人)は中間マージン搾取者、ということになるが、企業は野放図な福祉の拡大にも嫌気がさしている。

そういう状況の下、多くの国家が「雇用を生み出してくれる」企業を誘致しようと躍起になっている。
2014年を通じて、「企業 > 国家&家計」の関係は変わりそうもない。


2014年を考える : 足元を固める年

2014年は、鎖国とまでは言わないが、内に籠る、内政重視、自分たちの足元や基盤を固める、そういうことが優先されるフェイズだろう。

2007年のサブプライム・ローン証券化商品の爆発、
2008年のリーマン・ショック、
2009年以降の欧州PIIGS危機、
2010年以降の中国のイライラ状態、インドやブラジルの政治的混迷
などなど、・・・これ以上の破綻や混乱を防止する事が最優先され、守り一辺倒の姿勢だった。

2013年で、各地域とも一応の目途が立ってきた。
2014年は、守りはできたので、そろそろ次は攻めたいのだが、その前に自分たちの足元や基盤を固めて体制固めをする、そういう色彩が強まるだろう。

大きな国や地域、そこに大きな内需がある、そういう国や地域の方が投資家に好まれるだろう。
他地域への輸出など、貿易依存度が高い国や地域は苦労が続くだろう。 

「2万円」は重要な到達点だと思う

バブル崩壊後のチャートを眺めるに、
2万円を回復しなけれな、「完全に日本は復活した!」と自信を持って宣言できない
と感じている。
nky
仮に、2013年末に15,000として、その後「年率何%」で上がれば、「何時2万円に達するか?」を計算してみた。

下図にあるように、
年率20%:2015年8月
年率10%:2017年2月
年率9%:2017年5月
年率8%:2017年10月
年率7%:2018年4月
年率6%:2018年12月
に、2万円に到達する。
2万円

2017年には、2万円に達して欲しいと思う。

(目次)宗教の呪縛から抜け出せないムスリムたちの国々

エジプト、アラブ、欧州、USに関して6月〜8月に調べたことをレポート化
まずは、8回シリーズ

下記写真のA3×3枚のメモ書きを文章化しました。

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中東問題の根本
1:宗教は人間から理性を奪う、良し悪しの判断を別にして
偶像崇拝を禁止している宗教ですら、聖地にはこだわる、仮にその場所が後年の作り話であったとしても
2:宗教が 妥協を許さない性格ゆえ、何故そんな些細なことでと思われるような原因で、何回も戦争している。
聖なる場所の奪い合いなど、その最たるものだ。
3:宗教は、生後に習得するものだ。一卵性双生児を、生後に、別々の土地で、対立する宗教のもとで育てれば、壮年になった二人は妥協のできない対立をする。 
4:そろそろ人類は、宗教を一定の枠の中にはめる規制を持つ必要かもしれない

イスラエルは、USとロシアの共通の利益
イスラエルに移住したユダヤ人は旧ソ連からも多い、USには強力な支援団体がある。
それゆえ、シリアとエジプト問題に関して、USとロシアは決定的な利害対立には陥らない。

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8:キリスト教 VS イスラム教

8回シリーズの最終回です。

Q1:キリスト教 VS イスラム教

A1:個人の心や生活の領域に留まり他人に干渉しないキリスト教と、本源的に政教一致で集団の生活と政治に関与するイスラム教、大きな違いが存在する

< 布教の意味が異なる >

1:地域と集団に布教するイスラム教、個人に布教するキリスト教

イスラム教の教祖ムハンマドは、総理大臣&最高裁判所長官&軍の最高司令官の地位を兼務していた。ムハンマドの一生は、政治軍事の権力闘争だった。周辺の多神教信者が支配する地域への布教活動は、軍事的な優位性を確保しなければ不可能だった。多神教支配地域の軍隊から絶えず攻撃されるので、生き延びて布教を継続するためには、武力をもって戦うしか選択肢はなかった。教祖ムハンマドの布教の手法の精神は今日のムスリム諸国に生きている

これは、イエス・キリストが軍隊を率いなかったために、政治権力から一方的に攻撃されながらの布教であったことと大きく異なる

イスラム教の経典コーランは、イスラム教信者の集団(政府、企業を含む)に対して、一致団結して邪悪な集団(=異教徒)と戦い、神の道を実践する義務を課している。特に「仲間が世界のどこにいようと仲間に邪悪な集団から危害が加えられれば、国境を越えて、邪悪な集団を排除すべし」という集団行動義務を課している。

この集団に対する義務は、キリスト教が個人に対する生活倫理規範であるのと大きな違いだ。


そういうキリスト教も、政治的な統治手段として活用すべく、ローマ時代にはローマ国教に指定され、特権的な地位を得た。その後いわゆる欧州の中世時代においては、カノッサの屈辱(1077年)に代表されるように、キリスト教>世俗権力(教権の王権に対する優越)という状況にまで至り特権享受の栄華を極める。( 参考、カノッサの屈辱、ウィキペディア:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%8E%E3%83%83%E3%82%B5%E3%81%AE%E5%B1%88%E8%BE%B1 )

しかし、ルネサンスに端を発する科学技術の発達(=工業などの世俗経済の飛躍的拡大と、教権基盤である農業の相対的劣後)によって、欧州人の心が解放されると、キリスト教は再び心の世界、個人の領域へと戻って行った。


< ムスリムのジレンマ : 約束された未来が実現しない >

敬虔なムスリムは、(1)最終的な真実を人類に伝える宗教であるイスラム教に率いられた軍隊は、神のご加護があるハズだから、他の邪悪な宗教を信じる軍隊に負けるハズがない、(2)神から与えられた義務を遂行すれば、世界のすべての地域とその住民はイスラム教に改宗するハズだ、と信じてきた。

しかし、現実の歴史は、敬虔なムスリムに挫折感やジレンマを与えてきた。


(1)オスマントルコの挫折

ムスリムの支配地域は、オスマン帝国が最大領土を占めた1683年を境に徐々に後退を始めた。第一次世界大戦でオスマン帝国がドイツと共に同盟国側に味方して敗戦を迎え、オスマン帝国は崩壊した。(下図左参照)

その後、多くのムスリムの国々が独立したが、民族、宗派と国境がバラバラで不一致の国が多数出現した結果、お互いがいがみ合う状況に陥り、イスラム思想で統一された強力な国家は見果てぬ夢となった。

一方、ルネサンスと工業化で近代的な経済力と軍事力を増強した邪悪な宗教キリスト教の国々である欧州はムスリム国家を圧倒して今日に至っている。


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(2)1967年第三次中東戦争の挫折とイラン革命

1967年の第三次中東戦争では、アラブ諸国はわずか6日間でイスラエルに敗れエジプトはシナイ半島を失った。(上図右参照、青矢印はイスラエル軍の侵攻のようす)

ムスリムは敗戦の原因を「神の道のために奮闘、努力する」義務の不足と解釈し、ある者は(1)世俗政権を堕落していると非難して、宗教政治国家への回帰を求め、またある者は(2)ムハンマドが行ったように、軍事的に西欧を打倒することに傾注した。

その帰結の一つが、1979年のイラン革命である。亡命中のホメイニーを精神的指導者とするイスラム教十二イマーム派(シーア派)の法学者たちを中心とする革命勢力が、王制を打破して政権を奪取した。ホメイニーが提唱したイスラム法学者による国家の統治(宗教政治国家)」が始まった。

もう一つが、過激派ジハーディストである。彼らは、「イスラム教:善、他宗教:悪」、「イスラエル・アメリカ:シオニズム、現代の十字軍、邪悪な勢力」、「ムスリム:最終勝利者、負けるハズがない」という極端な二元論的な認識を持っている。コンプレックスの解消を武力闘争、爆弾テロ活動に求めている。



(3)ソ連のアフガニスタン侵攻とアルカイーダ

1978年のソ連のアフガニスタン侵攻(1978年〜1989年)に対抗すべく立ち上がったムジャーヒディーン(非正規軍のムスリム)と、これに呼応したアラブ諸国からアフガニスタンへの派兵(ジハーディスト)が、現代世界が悩まされているアルカイーダなどのテロ組織が出来る引き金となった。

1967年の第三次中東戦争の敗北を機に、ムスリム国家では西欧的近代化(=世俗化)との決別、イスラム的生活への復帰(宗教政治の要求)という運動が盛んになっていた。

しかし、ムスリムの国々の多くは王政または軍事独裁政権という世俗政権であり、(1)宗教政治国家への回帰は何としても避けたい。(2)軍事的な西欧の打倒を目指す過激な活動も、最終的には現政権の非難へと矛先が向かうので抑え込みたいが、同時に国家としても、「神の道のために奮闘、努力する」活動(ジハード)の要求と言われれば正面切って反対できない、そんな国内事情があった。

1978年のソ連の侵攻に対するムジャーヒディーンの蜂起に呼応して、原理主義者や過激派ジハーディストをアフガニスタンに送り出すことは、不満分子を国外に追放して国内を安定させる絶好の機会となった。冷戦期でソ連と競い合っていた米国も、資金と大量の武器をムジャーヒディーン側に供与した。

歴史に「if」は無いが、ソ連の侵攻が無かりせば・・・1:ムジャーヒディーンの蜂起と、アラブ諸国からのジハーディストのアフガニスタンへの派兵も無く、2:米国製の近代的で強力な武器の同地域での氾濫も、テロ組織を維持する莫大な資金の集積も無く、3:強力な世界ネットワーク規模でのアルカーイダも結成が遅れ、2001年9・11テロも起こらなかった。・・・だろうと、推定される。参考:ウィキペディア:アフガニスタン紛争http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%AC%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E7%B4%9B%E4%BA%89_(1978%E5%B9%B4-1989%E5%B9%B4)



(3)ムスリムの国々の矛盾

多ムスリムの国々の多くは、民族や部族の寄り合い所帯という実態に留まっており、統一された国民国家に脱皮しておらず、勢力争いのイザコザが絶えない。

隣国で陰惨な殺戮が繰り返される状況であっても、内政不干渉を口実に、お互いにダンマリで見て見ぬフリをしている。一方、外へ向かっては些細な事であっても、声高にイスラム主義を叫んで、内政の失敗による国民の不満の矛先を海外に向けている。

2005年ごろを起点に、2012年に盛り上がりを見せたアラブの春だが、ムスリム国家の多くが採用する王制や軍事独裁政権富と権力の集中が、急増する若年世代が抱えている不満の遠因であるとの認識が広がり、国民が民主化と格差是正の要求を爆発させた構図だ。

この動きが新たな時代へとムスリムの国々を導くのか、単なる大衆暴動で終わるのか。まだ不透明だが、米国がムスリムの国々への介入を減らし、地域の安定と平和を彼らの当事者意識へとバトンタッチしつつある今推定できることは、希望する安定が得られる前に、各国が当事者意識を持たなければ何も解決できないと思い知るまでの混乱が先にあるという厳しい現実だろう。

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7:アメリカの中東政策の推移は?

Q1:アメリカの中東政策の推移は?
A1:2006年1月ブッシュ政権下の一般教書演説を転換点として、脱中東が始まり、今日まで続いている

< 1991年〜2006年 >
1991年の湾岸戦争から2006年の米国中間選挙までの期間は、アメリカが中東&北アフリカのムスリム地域に対する関与を増大させ、民主化テロリストの取り締まりを強く求めた時代だ。
 
1990年のイラクのクウェート侵攻に対応した湾岸戦争(1991年)に際して、米国ブッシュ大統領はサウジアラビアに圧力をかけて、サウジ国内の基地へ米軍駐留を認めさせた。米軍中心の多国籍軍に、エジプト、サウジアラビアなどアラブ各国もアラブ合同軍を結成して参戦した。
 
疲弊する経済から脱するために、米国からの資金援助(および過去の累積債務の減免)が必要だったムバラクは、米国に協力して湾岸戦争に派兵した。
また、2001年の9・11米国同時多発テロを機に米国が強く要求し始めたイスラム過激派テロ組織の取り締まりを強化するとともに、イスラエルの安全保障を重視する米国の意向に沿ってイスラエルとの強力関係も築いた。
 
ムバラクの対米協力(見返りとして、累積債務の減免と資金援助)は、2006年中間選挙でブッシュ共和党が大敗したことで転機を迎え、ムバラク政権は対米非協力、軍事独裁、民主化要求派の弾圧に戻った。

< 2006年1月の一般教書演説 :脱中東原油宣言 >
サウジアラビアの王家(サウド家)と親しいブッシュ・ファミリーであるがゆえ、長期的な将来が見えていた。将来、サウド王家の世襲政治と富の集中に対する反対運動(=民主化運動)でサウジ国内が混乱し、その混乱が独裁政権の多い中東&北アフリカのムスリム国家全体に波及し、混乱が長期化することが懸念された。しかし、民主主義を標榜するUSとしては、混乱の原因ではあっても、表立っては民主化要求運動に反対できない。

アメリカの国際戦略に関して、(1)ムスリムの国々が、イランのようなテロを輸出するイスラム教宗教政治国家にならないこと、(2)イスラエルの安全保障が担保されること、という条件2つの条件を確保しつつ、中東原油に対する依存度を下げるべきだ、との結論に至った。

< 2012年のアジア・シフト戦略の決定 >
ブッシュ政権の考え方はオバマ政権にも引き継がれた。脱中東原油依存政策は、エタノール、太陽光、風力などの代替エネルギー開発やシェール・ガス&オイルの開発へとつながって行った。
 
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その結果、上記のチャートに示されたように、米国の国内生産エネルギーが増大し、エネルギー輸入は大幅に減少した。
 
さらには、進行しているアジア地域の経済発展、中国の経済&軍事力の台頭に対応して、2012年にオバマ大統領は国際戦略に関して「アジア・シフト」を決定した。
 
これまで大西洋や地中海欧州地域に重点配備されていた海軍力を削減し、アジア太平洋地域に重点配備(海軍力の60%)することになった。同時に、アメリカ・日本・オーストラリアのパートナーシップも発表され、非原子力型潜水艦の共同開発をすることになった。

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< 2006年1月の意味 >
サウジ・アラビア 
以下のことを、ブッシュ大統領が理解して、戦略の変更を行ったと推定される。それはオバマ政権まで引きつがれ継続している。
 
(1)アメリカ的な民主主義&資本主義をはじめとするアメリカン・スタンダードをイラク、アフガニスタン、エジプトなどのムスリム国家に移植する努力は徒労に終わる。自分で変わるまで待つしかない。
(2)ムスリムの国々の王政国家や軍事独裁国家は、若年人口の急速な増加によって生じた不満の増大に対応して変化が生じるが、その変化は短期的には混乱となる。世襲政治と富の集中に対する反対運動(=民主化運動)を抑え込む事は不可能になる。

(1)に関しては、ベトナムや中南米などでも失敗しており、今回も成功しなかったことになる。(2)に関しては、2012年のアラブの春以降の混乱(リビア、エジプト、シリアなど)として現実となった。
シェール・ガス&オイルなどが枯渇する時期までは、ムスリム国家から距離を置く政策が継続すると思われる。

< 2013年10月の状況 >
サウジ・アラビアは、国連連安全保障理事会の中東政策に関するロシアと中国の態度(イランやシリアの方を持つ)に不満を持っていた。
しかし、現在はアメリカに関しても不信感を募らせている。

スンニ派のサウジと、シーア派のイランは、宗教的に犬猿の仲である。
これまでアメリカは、サウジを中東の中心と考えて中東外交政策を遂行してきた。
ゆえに、1991年の湾岸戦争でも「ムスリムの大反対を押し切る形で、宗教的な大きなリスクを抱え込むことを承知で」アメリカ軍のサウジ内の駐留を許可した。
そのアメリカが、イランと仲良くしようと言うのだ。
 
国連総会で、サウジは初めて演説を行わない態度に出た。
何も言わない事が、これほどまでにパワフルで多くのメッセージを発し、世界の注目を浴びていることに、世界の外交筋は中東問題の大きさを再認識している。
サウジ → US : お前イランと仲良くするのか、マジで?
US → サウジ : イザコザを減らして、中東から足抜けしたいのです・・・
私には、そういう二人の会話が聞こえてくる。

エジプト 
また、最近アメリカはエジプトの軍事独裁政権への資金援助を停止したいという雰囲気を匂わせている。
それは、民主化とテロ対策を推進するアメリカの国際政策経費の停止を意味する。 

エジプトへの援助を減らすと、エジプト&イスラエルの協力関係(アメリカが仲介した)の両国の対等性が崩れ、イスラエルの優位が出現し、エジプトの発言権が下がることになる。

エジプトは、1990年代から援助資金をもらい続けてきたので、今や援助無しでは生きていけない状態に陥っている。
軍事独裁政権は、「援助資金を辞めるだど!」と、逆切れしている。 
テロの取り締まりなど辞める! アメリカ人は中東でテロリストに殺されるだろう。
民主化要求など、抹殺してやる!
そんなことを言外に匂わしている。 

アメリカ
アメリカからの視点では、
(1)イランが孤立から脱する → サウジとイランの両国は、「呉越同舟」状態でイラクとの関係を構築する、ことになる。当事者意識が高まるので、良いことだ。
(2)シリア → ロシアと中国にコントーロールを任せよう
(3)エジプトの弱体化で、中東域内でのサウジの発言力は増大するだろう。それは悪いことではない。
(4)サウジの世襲王制が不安定化する時、USは関与をしたくない
、というような事が透けて見えてくる。 


自立を迫られる中国

面白く、かつ重要な記事

http://www.ft.com/intl/cms/s/0/78621256-30d9-11e3-b991-00144feab7de.html#axzz2hHaAYYs3

US_China


下記は、春山の意訳です
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現代中国は、アメリカの経済システムの落とし子
大きくなった中国は、今やアメリカを悩ます
が、今や中国も悩まざるを得ない 

予算協議でもめるアメリカに対し、中国は「 to live up to its global responsibilities」と要求する。
( アンタ、中国はto live up to its global responsibilitiesを果たしているの? ←春山のツッコミ )

中国の懸念は、アメリカの混乱でGDP成長率が7%を割り込んで、人民の不満が北京政府に向けられることだ。

最大の懸念は、アメリカが世界の調停役から、仲間内(同盟国)の親分に引きこもることだ。
欧州がソ連の脅威から解放されたことが、引きこもりを加速させている。
2012年に決めたアジア・シフトもその一環だろう。

中国はアメリカ・システムの最大の受益者だった
アメリカが引きこもれば、中国は摩擦の矢面に立たされる。
自分で調停しなければならない。
それだけではない、
アメリカは、仲間内(同盟国)の親分に引きこもる だけでなく、中国をのけ者にするかもしれない。

中国は自立して to live up to its global responsibilitiesを実行するしかない

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6:欧州とイスラム諸国の関係は?

Q1:欧州とイスラム諸国の関係は?
A1:旧植民地からのイスラム教徒の移民が多い。欧州人にならず、過大な要求を始めた彼らに、各国は態度を硬化させ始めた

イスラム教信者は、正式にはムスリムと呼ばれる。以後、ムスリムで表記する。
 

< 欧州ムスリムの歴史 >

戦後の景気回復期に人手不足を補う目的で旧植民地から多くのムスリムが工場労働者として流入した。(英国:インド・パキスタン、フランス:マグリブ、ドイツ:トルコ)
 
生活が安定すると、両親を呼び寄せ、子供が生まれ、ムスリム人口は大幅に増加した。

1980年代から徐々に移民の受入国(=ホスト社会)とムスリムの摩擦が表面化し、2000年以降は大きな社会問題と認識されるようになった。
 
ホスト社会の伝統・文化・価値観に同化せず、女性のヴェール着用要求、男女の隔離の要求、社員食堂などでのハラール・ミート(豚肉禁止など)の要求、祝祭日の犠牲のヒツジとその解体場所やムスリム専用墓地を居住する自治体に要求、刑務所の告解師にイスラム教のイマーム(導師)の要求、など、ホスト社会から見れば過大な要求を主張している。
 
ホスト社会の法律、伝統・文化、社会ルールよりも、イスラム教の教えが絶対的に優越するとの主張を断固として曲げないムスリムは、欧州各国の重大な内政問題として浮上し、その後も状況は悪化している。ムスリムは、イスラム教が定める義務の遂行を実行できるように、世界中の政府が環境整備するのが当然であると考えており、ムスリム国家も外国政府に同様な要請をしており、「郷に入っては郷に従え」という価値観は存在しない。


< 移民 VS ホスト社会(受け入れ国) 価値観の戦い >
 
欧州社会が歴史的に培ってきた「近代的な“自由と人権の理念”という欧州の価値観」と、ムスリムの信じている価値観の対立は、妥協が不可能な問題と認識されるに至った。
 
2004年、ヴェール着用問題:
フランスは移民に対して、「政教分離を守り、自由と人権を尊重するフランス人になるべし」という同化政策を実施してきた。2004年に公的教育でのあからさまな宗教的標章や衣服の着用を禁止した際に、ムスリムは女性のヴェール着用禁止だと認識し、大規模な反対運動を展開し、論争は今日まで続いている。政教分離、自由と人権の理念はフランスの国是であるとフランスは主張するが、ムスリムは「ヴェール禁止、政教分離」こそが、自由と人権の侵害だと主張する。


< 異なる価値観 >
 
信じられないことだが、自由や人権の意味は西欧人とムスリムでは異なっている。西欧が自明だと信じている、宗教を自由に選択する権利や女性や異教徒の権利は、敬虔なムスリムには自明ではない。
 
ムスリムは、(1)イスラム教が最高で最後の宗教なのだから、自由意思による宗教の選択とはイスラム教を選択する結果になるハズであり、他の宗教を選択することは人間の自由な意思を捻じ曲げる邪悪な圧力が存在している証拠である、(2)人権とは神が命じた「義務を遂行して生きていく権利」であり、自由とはムスリムに課された義務の遂行が「完全にできることである、と確信している。
 
このようなムスリムの価値観を西洋社会が容認すれば、西欧諸国の同一性(identity)を喪失する。
欧州社会とは?が問われている、との結論に至っているのが欧州の現状と言われている。


< 世俗主義&自由主義の原則の欧州 VS イスラム教の普遍性の理念 >

2005年、ムハンマド風刺画問題:
デンマークの新聞が「ムハンマドを茶化す風刺画」を掲載した。その風刺画は西欧や日本の新聞に掲載される風刺画としてはありふれた一般的な物で何ら問題ないレベルであったが、ムスリムは、新聞社の社主、編集長、風刺画作者の処罰を要求した、過激グループは殺害脅迫をした。
 
多数派のムスリムは、(1)キリスト教徒であろうとデンマーク国内の新聞であろうと、イスラム教の規範に従うのが当然であり、(2)ムスリムは集団(政府レベル、宗教団体レベル)でそれを実現させるべく抗議行動をする義務がある、と認識している。
 
この背景は、イスラム教の考える「異教徒との平和共存」が、その他と異なっているからだ。イスラム法上は、異教徒の支配する地域とムスリム地域が平和的に共存するには、「異教徒がイスラム教に敵対しない」という条件が付されている。何を持って敵対と判断するかは、ムスリムが判断し、判断に異教徒が従わない場合はムスリムの政治的軍事的な優越を確保すべく行動する。
 
つまり、デンマーク政府はデンマーク国内の民衆や企業などに、イスラム教に敵対行為をさせない義務がある。敵対行為があった場合は、非難と攻撃をする義務と権利をムスリム集団(政府レベル、宗教団体レベル)は有している。敵対行為の最たるものは、ムハンマドの絵を描き、または非難する、という行為である。風刺画で茶化すとは、描き非難していると認定する、という事だ。
 
風刺画としてはありふれた一般的な物で何ら問題ないという西欧の表現の自由の価値観と、ムハンマドの絵を描くことは、世界中のどこであっても誰であっても、イスラム教に対する敵対行為であるという価値観は、双方が妥協できないものだ。
 
西欧社会の自由の概念をムスリム側に屈服させることは不可能だった。それゆえムスリムの抗議行動の後に、表現の自由を守るべく、フランス、ドイツ、イタリアの各誌が風刺画を転載した。産油国の政治力や武装集団の威嚇に屈した謝罪は、人格の根幹における屈服であり、西洋社会を形成する基本原則の侵害であると判断したからだ。


< 放置主義を捨てた英国 >
 
英国は伝統的に雑多なグループが「ともにバラバラに住む」という多文化主義を標榜してきた。同時に、中東の故国では活動が許されないイスラム主義過激派であっても英国に攻撃を向けない限り英国内での活動を黙認(ロンドニスタン問題の黙認)してきた。
 
しかし、2001年9月のパキスタンのテロ、12月のUS航空機の爆発テロ未遂事件、これらに英国在住のムスリムが関与していたことで、放置黙認主義に国際的な非難が高まった。そして、2004年3月と2005年7月のロンドンでの爆弾テロの勃発、その後の犯人のムスリムを擁護するデモの発生を境に、テロリズム阻止法が成立し、テロの実行だけでなく、準備や訓練に関与し、テロを支持する刊行物を配布することなどがようやく非合法化された。

トニー・ブレア元首相の「価値観を守る戦い」宣言
2006年12月、ブレア元首相は、現在起こっている事は価値の戦争(=近代的な自由と人権の理念、近代性をめぐる戦い)だ。軍事力だけでなく、価値の水準で勝利(=テロを容認する価値観の否定を勝ち取る)しなければ、テロには勝利できない。
 
英国内に於いては、民主主義を選び、英語を共通語とし、イギリス文化に敬意を払うという共通の価値観を持った社会、このような価値を共有する空間が重要だ、と宣言した。


< 文化や価値観の摩擦・対立の歴史 >
 
1989年:ラシュディ事件、サンマル・ラシュディの小説「悪魔の詩」に対し、イランのホメイニがラシュディに死刑宣告
 
2004年:フランス、公的教育機関でのヴェール着用禁止問題

2005年:デンマーク、ムハンマド風刺画問題


5:何故、イスラム教徒にはテロリストが多いのか?

Q1:何故、イスラム教徒にはテロリストが多いのか?
A1:布教の為に軍事的支配が必須と考える「コーラン」の思想と、武力行使を歴史的に継続してきた実態がある。
 
イスラム教の経典「コーラン」は実在した人間、ムハンマドの武力闘争による支配地域拡大と布教活動が表裏一体であった歴史的事実を記録している。当時のムハンマドは、総理大臣&最高裁判所長官&軍の最高司令官の地位を兼務していた。イエス・キリストが軍隊を率いなかったために、政治権力から一方的に攻撃されながらの布教であったことと大きく異なる。
 
ムハンマドの一生は、政治軍事の権力闘争だった。周辺の多神教信者が支配する地域への布教活動は、軍事的な優位性を確保しなければ不可能だった。多神教支配地域の軍隊から絶えず攻撃されるので、生き延びて布教を継続するためには、武力をもって戦うしか選択肢はなかった。

その記録をベースに書かれたのがコーランであり、イスラム教信者の集団(政府を含む様々なコミュニティ、集団)に対して、一致団結して邪悪な集団(=異教徒)と戦い、神の道を実践する義務を課している。特に「仲間が世界のどこにいようと仲間に邪悪な集団から危害が加えられれば、国境を越えて、邪悪な集団を排除すべし」という集団行動義務を課している。その排除活動に際しては、現代においても、ムハンマド自身が実践したような武力行使を最終的には容認しているのが多数派である。この集団に対する義務は、キリスト教が個人に対する生活倫理規範であるのと大きな違いだ。

ジハードを武力闘争と解釈する向きが多いが、正確には「神の道のために奮闘、努力する」総合的な義務である。その奮闘、努力の最終的な手段として武力行使が容認されているに過ぎない。なお、イスラム教徒の活動を妨害する異教徒は、宗教的には邪悪な集団と見なされている。

アフガニスタンへのソ連の軍事侵攻(1978年〜1989年)に対するムジャーヒディーン(アラビア語で「ジハードを遂行する者」を意味する)のソ連に対する抵抗運動、近年のパキスタンやイラクにおける欧米(キリスト教国家)の軍隊の活動に対する爆弾テロ活動に関しては、敬虔なイスラム教徒からすれば、邪悪な集団がイスラム教徒の地域に勝手に侵入してきた事に対する正当防衛、コーランに書かれた義務の実践と認識されている。
この認識に対しては、イスラム教国家の国民の多数派も同調しており、先進国で一定の認識となっている「一般のイスラム教徒はテロを悪と認識しているハズだ」という思いとは異なる。

なお、似たようなテロ活動であっても、シーア派とスンニ派など国内の勢力争いに起因するテロや、和平合意を妨害するためのテロなどに関しては、多数派も否認している。
 

Q2:経済が悪いこと・貧困が、テロの原因か?
A2:過激派に海外でのジハード活動の場を与えるという名目で、国外追放政策を実施した事が始まりであり、活動資金源が絶たれない限りテロは終わらない。

テロの原因を貧困に求める議論は先進国で多いが、誤った認識だ。1967年の第三次中東戦争での大敗が「堕落した政府、コーランの教えを実践しない世俗にまみれた政府」が原因であるとの非難を始めたイスラム教原理主義者など過激派の動きが国内で拡大しないように、彼らに活動資金を与えて、海外で活動するジハード戦士の派遣という名目で、実質的に国外追放政策を実施してきた歴史に、現在のテロ活動は起因している。特に、シリア、ヨルダン、エジプトは、国内の安定のためにテロを輸出(アラファトPLOの国外追放など)したと言える。

またアフガニスタンのソ連の侵攻に対抗したムジャーヒディーンの活動は、サウジの大金持ち一族の一員であるウサーマ・ビン・ラーディンを始めとして、サウジアラビアが対ソ連テロ活動の為の大量の資金と人員をアフガニスタンに送り込んでいる。


Q3:テロリストに参加する者が絶えないのは何故か?
A3:敬虔なイスラム教徒であればあるほど、「神の道のために奮闘、努力する」義務を率先して遂行する。テロリストのリクルート活動に応募する者の多くは自発的参加者が多いのが実態。また国家としてもジハードと言われれば正面切って反対できない国内事情がある。
 
オスマントルコの時代までは西欧を凌駕するほどの栄華を誇ったイスラム教勢力だが、1760年代以降は産業革命(工業化)の始まった西欧に徐々に押され、1918年の第一次世界大戦で同盟国側に加担した結果、敗退しオスマン帝国は崩壊した。
 
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以後は、経済発展を続ける西欧に対して低迷するイスラム教地域という構図が明確化した。
 
敬虔なイスラム教徒は、低迷の原因を「神の道のために奮闘、努力する」義務が不足しているからと解釈し、ある者は(1)世俗政権を堕落していると非難して、現在のイランのような宗教政治国家への回帰による状況打開を求め、またある者は(2)軍事的に西欧を打倒することによる状況打破に傾注した。

イスラム教国家の多くは王政または軍事独裁政権という世俗政権であり、(1)宗教政治国家への回帰(原理主義者)は何としても避けたい。(2)軍事的に西欧を打倒(過激派)する過激な活動は、最終的には現政権の非難へと矛先が変化すると危惧した。同時に国家としても、「神の道のために奮闘、努力する」活動(ジハード)と言われれば、両者の活動に正面切って反対できない国内事情があった。

その結果、各国は国内的にはイスラム化を推進しつつ、それによって増加する原理主義者や過激派は国外に追放するという二律背反する政策が出現した。

イスラム化の推進によって敬虔なイスラム教徒は増加しており、西欧に対する劣勢を挽回するために「神の道のために奮闘、努力する」総合的な義務を果たそうと志す若者は増えている。

このような事情が、テロリストのリクルート活動に自発的に応募するが多い背景である。また、イスラム教の聖地メッカを持つサウジアラビアでは宗教教育が盛んであり、このことがサウジアラビア出身のテロリストが多い要因でもある。


4:中東アラブ諸国との関係は?

エジプト(4)

Q1:中東アラブ諸国との関係は?
A1:一枚岩ではない中東各国との関係は複雑であり、今後も同地域の平和的安定は困難
 
イスラエルに関して、
(1)地図上から完全消滅させようと目論む過激派
(2)パレスティナ地域のイスラエル入植者を撤収させ、第一次中東戦争以前のイスラエルに支配地域を縮小させることに武力行使を容認する多数派
(3)話し合い解決を主張する穏健派
に分かれて各派がバラバラな行動をとっており、アラブは不統一の状態が長期化している。

穏健派の核は、サウジとエジプトだが、・・・・
サウジは王族や富裕層は現実主義者で、USとの関係維持の重要性を認識している。
しかし、一般庶民はイスラム教最大の聖地メッカを抱える誇り高き国サウジの国民として、イスラム教の支配地域拡大に際して武力行使を容認する多数派に属する。
もし王政が倒れれば、かつてのイランのように親米政権から嫌米政権へと白黒逆転する可能性がある。
 
エジプトは現実主義の軍事独裁政権という歴史に立脚している。ナセル、サダト、ムバラクと軍事独裁政権の維持と利権拡大という観点から、穏健/強硬、親米/嫌米を使い分けてきた。現在は米国からの資金援助が政権維持の生命線であるがゆえに、親米政策と対イスラエル和平維持を採用している。
 
イスラム原理主義者、過激派は、米軍に軍事基地を提供し、イスラエルと和平を維持することに反発し、ことあるごとにサウジやエジプトを非難している。両国の一般庶民の多数派は、それに心情的に賛同している。
2012年に誕生して2013年7月の軍事クーデタで消滅した「ムスリム同胞団のムルシー大統領」時代のエジプトに対して、カタール、トルコは120億ドルもの資金援助をしていた。
 
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カタールは、衛星TV局アルジャジーラを通じて、イスラム教の支配拡大の側面支援をしている。トルコは、2007年に公正発展党副党首のギュル氏が初のイスラム系大統領として選出されて以降、これまでの世俗政治から徐々にイスラム宗教政治的な色彩を強めている。
両国がムスリム同胞団政権に資金援助するのは納得できる。

一方、サウジは王政による世俗政権を維持するために、ムスリム同胞団政権を快く感じていなかった。それゆえ、世俗政治と親米路線を採用する現在の軍事独裁政権に対して、相応の資金援助を始めている。

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春山昇華

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