2014年05月

サマリー : ウクライナ問題:ロシアとドイツの関係

緩衝地帯、ポーランドとウクライナは苦難の歴史


1:欧州史におけるロシアとドイツの勃興

< ドイツ >

ドイツが欧州近代史で影響力を持ち始めるのは、1815年のナポレオンの没落以降だ。

 

それまでのドイツは、300以上の領邦(日本で言えば地方大名)がバラバラに割拠する状態で、国家としてのまとまりの無い弱小国だった。
西の隣国フランスは、人口が多い軍事大国で、ブルボン王朝、ナポレオンと連なる強力な中央集権統一国家だった。

 

ナポレオンの出現と没落が歴史の流れを変えた。ロシア遠征(1812年)で37万人の戦死者を出すなどの敗戦の結果、フランスの人口はドイツを初めて下回った

 

他方ドイツは、ドイツ統一戦争(1862年〜1870年)の最後を飾る普仏戦争に勝利し、ヴェルサイユ宮殿でヴィルヘルム1世が皇帝戴冠式を行いドイツ帝国が成立した。
ここから
ドイツ優位の時代が始まり、今日に至っている


< ロシア >

ロシアは、ここに記載したように、9世紀に成立したキエフを中心とするスラブ民族国家として始まったが、13世紀のモンゴルの来襲以降は長期間その支配下に置かれた。その間モスクワ大公国がモンゴルの徴税請負人として地位を強化し、今日のロシアの基礎を形成した。

 

イヴァン3世の時(1480年)に、モンゴルの支配を脱し、イヴァン4世(1533年〜1584年)の時に当方シベリアに支配を広げた。

 

1812年にナポレオンの侵攻を受けるが、焦土作戦を実施し兵站を失ったナポレオンを駆逐した。

 

ロシアがフランスを疲弊させ、欧州史を転換させる役割を果たしたが、それは隣国ドイツをバラバラな弱小国から統一国家へと導き、ロシアの強力なライバルを出現させることにもなった

 


2:直接対決の始まり


ナポレオン没落後、欧州の主役は(1)大陸中央のドイツ、(2)東のロシア、(3)西海上の島国イギリスとなった。

 

イギリスは名誉ある孤立政策を採用したので、大陸欧州の構図は2大軍事強国のドイツとロシア、その中間地帯の小国達という構図になった


ウクライナ_ポーランド

この構図は現代の欧州の構図そのままであり、欧州の国際政治地図は19世紀(ナポレオン戦争終結時のパリ条約1815年)に形成された状態が、現在まで維持されているのだ。


なお、現在は、
1:
EU(ドイツが実上のリーダー)、

2:英国(大陸欧州とは距離を置き、USとの連携を模索する)
3:
ロシア(エネルギーを保有し、アジアとの連携も模索する)

4:ロシアとドイツの間に存在する小国達


ロシアとドイツの間に存在する小国達は、どちらの陣営に入るかで、翻弄される宿命が今日まで続いている。ウクライナ紛争が、まさにソレである。


3:ウクライナ、ポーランドの苦難の歴史

2大軍事大国の直接対決以前から、両国に挟まれた地域は、苦難の歴史だった。


< ポーランド >
1772年、1773年、1795年の3回にわたってロシアとドイツが主導してオーストリアも巻き込み3国で、ポーランドを分割吸収した。

ポーランドという国が地図上から消えた

ポーランドの再登場は第一次世界大戦でドイツが降伏した翌年1919年だ。

 

下図が、ポーランド分割の様子だ。



1


< ウクライナ >
そもそもスラブ国家発祥の地キエフを持つウクライナだが、ウクライナ問題:歴史(1)ウクライナ問題:歴史(2)に記載したウクライナの歴史で明らかなように、13世紀のモンゴルの来襲以降は安定独立を得られず、完全な独立はソ連崩壊後の1991年まで待たねばならなかった。

 

特に、1917年のロシア革命から第一次世界大戦のウクライナは悲哀の歴史だ。

まさに、ドイツとロシアがウクライナを巡って陣取り合戦を繰り広げた。

 

191710月ロシア革命によって共産党のソビエト政権が誕生、帝政ロシアが崩壊した際、ウクライナはウクライナ人民共和国の樹立を宣言した。

その直後、ウクライナを支配下に置こうとするソビエトとの間で戦争が勃発し、1918年年28日にロシア赤軍はキエフを占領する。

反発するウクライナは、29日にウクライナ・ドイツ・オーストリアの同盟を成立させ、同盟国の軍事力を借りて首都キエフを奪還した。

 

しかし、1918年末、第一次世界大戦でドイツが降伏しウクライナから去ると、ソ連は再度ウクライナを支配しようと戦争を再開、1919年にウクライナはソ連の属国になった。

その後第二次世界大戦を経て冷戦の時代へと向かう。冷戦が終わるのは、1989年だ。

 


4:2014年のロシアとドイツとウクライナ

下は、ドイツの国会議員宿舎に飾られている写真だ。ソ連がベルリンに侵攻し、ナチス・ドイツを打ち破り、ヒトラーが自殺した日の写真だ。

ソ連兵士がベルリンの建物の上で、ソ連の国旗を掲げている。


ソ連によるベルリンの解放

この写真は、2つの意味を持つ。

1:ヒトラーからドイツを解放してくれたのは、ソ連だった。
2:ソ連は、ヒトラーに代わる新たな圧制者として、その後半世紀にわたって東ドイツの開放を封印した。


つまり、Russia was not only the oppressor 圧制者、迫害者but also the liberator解放者)を意味している。

上の写真は、 "We rescued you. Don't forget where power lies."という国際政治の真実を語っているのだ。

 

現代においては、ウクライナを開放する」と正義感ぶっているUSの心の中を、ドイツ人は見透かしているという事でもある。

 


5:ロシアとドイツは、呉越同舟


現在の独ロ関係は、米中関係に似ていると思う。政治的には相いれない部分が多いが、経済的には相互依存関係が深まり切れない関係になっている。

米中関係も、独ロ関係も、呉越同舟なのだ。喧嘩して船を壊せば、二人とも”おしまい”。
不満は多いが、船を壊さないように、最低限の協調関係を維持するしかない。

独ロの経済の緊密化に関しては、

1:元首相シュレーダーは、ロシアとドイツを直結するガス・パイプラインの会社、ロシア国営天然ガス会社(ガスプロムの子会社)の役員に就任している。(2006年)
2:シーメンス、アディダス、ティッセン・クルップなどロシアに大規模投資してビジネスを展開しているドイツ企業が多い。

Friendly
な経済関係、 政治は緊張関係という事実は、独ロ関係、米中関係、今後も長期間継続するだろう。

米中は海を隔てた緊張関係だが、独ロは陸続きの緊張関係だ。
人間の交流を含め、抜き差しならない歴史の積み重ねが存在している。

経済的な面から言えば、米中はいざとなれば鎖国でもOKと言える関係であるのと比べて、
独ロは鎖国は共倒れを意味する
つまり、
独ロ関係は米中関係よりも、より協調を強いられる関係である

目次へ 

facebookコメントヘ

特集目次 : 新冷戦時代

2014年6月1日:投資家の焦点は、ウクライナから「中国と周辺アジア諸国」にシフト

2014年5月:サマリーの「5個のレポート」
1:歴史
2:歴史
3:紛争の現状(5月6日までの情報の整理)
4:ドイツとロシアの関係
5:投資への影響

2014年4月22日:レトリックの時代
2014年4月21日:今後の予想
2014年4月21日:ロシアとドイツの関係
2014年4月19日:そもそもUS−ロシアの蜜月を破壊したのは、ブッシュ大統領

2014年4月18日:ウクライナの歴史(2010年〜)

2014年4月18日:ウクライナの歴史(ソ連時代〜2010年)

2014年4月16日:ウクライナの歴史(ソ連に組み込まれるまで)

2014年4月14日:ヤヌコビッチ政権打倒へのUS関与に関するメモ
2014年4月5日:After「クリミアのロシアへの編入」
2014年4月3日:こっちの水は、甘〜いぞ!
2014年3月31日:ウクライナの不安定が固定される
2014年3月31日:三極の冷戦
2014年3月30日:プーチンの言動を振り返る過去記事
2014年3月24日:新東西冷戦
2014年3月13日:ウクライナ・セミナー・メモ
2014年2月17日:頭の体操、南北朝鮮の統一

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

<2014年3月24日追記>
2013年夏は下記のようにアジアを心配していたが、中東&ロシア東欧が先に爆発してしまった。
2013年12月以降のウクライナで新冷戦が始まってしまった。
2008年10月まで考えていた懸念のほうが先に始まったのだ。

〜〜〜〜〜〜〜以下、2013年7月13日の記事〜〜〜〜〜〜〜

2013年7月現在

冷戦=世界の分裂、という意味でとらえれば、
1:世俗主義・経済優先陣営 VS 宗教主義・宗教規律が経済に優先する陣営
これは、イスラム諸国 VS その他諸国
2:中国 VS 米国
という2つの可能性がある

1:イスラム諸国 VS その他諸国

2:中国 VS 米国
2013年7月12日:可能性は低いので、投資的にはまだ考慮は不要だが、新冷戦時代の想定


2008年10月までは・・
プーチンは、我慢に我慢を重ねながら、しかし周到に準備をしてきた・・・・そう確信した。

過去に書いた関連エントリー・・・今となっては、的外れもあろうが、とりあえず集めてみました。


2008年10月21日:アイスランドに続き、パキスタンも事実上の国家破産・・
2008年10月19日:ハンガリー、ウクライナへのIMF支援の思惑
2008年10月8日:10月7日のハイライト:誰かが死んだ・・(2) アイスランド & プーチンの戦略
2008年9月26日:格下げ攻撃
2008年9月15日:冷戦か、譲歩か、、本当に試されているのは、アメリカからの国際政治的な独立
2008年9月15日: アメリカの認識ギャップ(FT記事)
2008年9月14日:ロシアの外貨準備の使われ方にいらだつアメリカ
2008年9月14日:中国の外貨準備の使われ方にいらだつアメリカ
2008年9月10日:ロシア-ドイツのガス直通に反対するポーランド
2008年9月1日:本気で仲間に入れてくれるの?? 言われて困る欧州
2008年8月29日:挑発するプーチン
2008年8月29日:二つの解釈 : 振り上げた拳が下ろせない・・・困った欧州
2008年8月26日 : 一つ駒を進めて様子をさぐる
2008年8月24日:2011年のイラクからの米軍撤退(2) 何故、PERが低下するか
2008年8月23日:2011年のイラクからの米軍撤退(1) 事実上始まった冷戦
2008年8月14日 : リーダーは俺だ! それは、こっちの台詞だ! <キューバ危機の再来へ??>
2008年8月13日 : 今年一番重要な写真 : リーダーは俺だ!
2008年8月9日 : 週末の定点観測 : 全体観(1) さまざまな反転相場
2008年8月3日 : 週末の定点観測 : 全体観(穀物輸出事業の国営化)
2008年3月7日 : 無力で貧乏な民主主義
2007年12月11日:2008年の投資戦略を考える (6)ヒラリーを半分だけ織り込んで事態の推移を見守る
2007年10月23日 : 迷走する年金(2)、2000年にあるコラムに書いたエッセイ
2007年11月11日 : ロシア VS 西欧
2007年2月26日 : 太陽と北風、、、+ロシア
2007年2月18日 : 週末の雑感
2007年1月3日 : 大勝負に出ているロシア(5) ついにベラルーシのガス・パイプラインの奪取の成功!
2006年12月22日 : 大勝負に出ているロシア (4)エピローグ_2 :独裁恐怖政治を完成させたプーチン
2006年12月16日 : 大勝負に出ているロシア (3)エピローグ_1: EUは、トルコをどうする?
2006年12月16日 : 大勝負に出ているロシア (2)
2006年12月13日 : 大勝負に出ているロシア (1)
2006年12月13日 : 理性は、感情を説き伏せられない + トルクメニスタン
2006年12月9日 : ロシアは、まっとうな商売が通用する範囲が、急速に縮小していると思う


=======================================================
上記以前のロシア関連記事
高飛車にでるGazprom、、勇み足か? 磐石の支配体制か?
ロシアの横暴 良くなっているような気がします、、外交の新フェイズ入りも、関係すると思う
(雑感)資源エネルギー相場と、BRICs株式市場と、相場の格言
石炭を使おう、いやオイル・サンドだ、あのーロシアのガスあります、、、、
超長期の相場観 (3)
IMFの金を返して、アメリカの呪縛から逃れて、こっちの仲間に入りなさい
欧米のロシアへの反撃開始、複雑化する資源・エネルギー価格形成
エマージング市場上昇の構図の復習
アメリカのジレンマ
資源価格の高騰でスーパーパワーを失うアメリカの苦悩
大国の威信の復活に賭けるプーチン VS 1998年の恩を仇で返すのかと怒る欧州
壮大な資源エネルギー相場の仕上げ段階か
買占めは、結局破綻する、、、、それが年金によるものであっても、、、
資金の偏在・集中は、中東(オイルマネー)発で、欧州エマージングにより顕著に発生している
資源消費国の反発と、BRICs相場の行く末
原子力発電
独占の終焉は、利権の高値売却か?
お金は、天下のまわり物 (2)
流動性の引く時の恐ろしさ (2)
流動性の引く時の恐ろしさ (1)
侮辱されたプーチン大統領=緊張が高まる世界情勢、冷戦2の序章 (3)
侮辱されたプーチン大統領=緊張が高まる世界情勢、冷戦2の序章 (2)
侮辱されたプーチン大統領=緊張が高まる世界情勢、冷戦2の序章 (1)
プーチンのイスラエル訪問
外交の季節 (1)
ロシアのドル離れ

facebookコメントヘ

平凡の価値の低下

ありふれている事、目立たない事の価値が下落している。

目立たないので攻撃されない。

自分では何もしないが、全体の恩恵だけは頂戴する。

ありふれている事、目立たない事の恩恵だった。
そういう人が多数派だ。


一方、一所懸命に何かにこだわり頑張る少数派がいる。
変人とか、変なヤツとか言われてきた。 

彼、彼女らは、多数派にこびへつらい、我慢してきた。
多数派は、彼、彼女らを苛めたり、不満のはけ口とすることで、平凡である事の価値を正当化してきた。

SNSが変化を起こした。
大きな世界、大きなcommunity、大きな人間社会で、人間のlong tailを成立させた。
少数派は、無理やり小さな世界の多数派に合わせることが不要になった。

少数派がつながり、クリティカル・マスを得て、維持可能な経済圏、生活圏が形成された。


苛めの対象、不満のはけ口をなくした多数派は、自分たちの仲間の誰かを「新たな」苛めの対象、不満のはけ口として選出しなければならない。

多数派はイライラしている。苛める対象としての少数派が消えたので、今度は自分が苛められるのではないか、自分は全体の恩恵をもらえなくなるのではないか、そういう不安にさいなまれるようになった。

平凡の価値が下がり、特徴があることの価値が上昇している。

まだ始まったばかりだ。
社会が変化する時、平穏ではないだろう。
嫌かもしれないが、この動きは止まらない。

目次 : Web2.0第二フェイズ:Google VS Facebook

facebookコメントヘ 

目次 : Web2.0第二フェイズ:Google VS Facebook

Google VS Facebook

この戦いは、価値観の戦い
1.独立独歩 VS 寄らば大樹の陰
2.信賞必罰・無慈悲冷徹 VS 格差是正・施し
3.公開・暴く・透明 VS 隠ぺい・守る・おぼろ
4.パクリ・コピペ・無料 VS 特許・有料
5.挑戦者・成り上がり・野武士 VS 既得権者・establishment・貴族
6.どちらが優れているか VS どちらが好きか

2014年5月25日:平凡の価値の低下
2013年8月15日:21世紀はcommunityがclosed化する世紀
2012年6月13日:SNSの多様化 : 「匿名派 VS 実名派」その1
2011年9月10日:Social Gameが流行るのは「道徳心が捨てられる」から
2011年9月7日:Personal Identityを大切にします
2011年7月14日:(11)Public & Private, Personal :facebookを使い始めて強く意識したこと(前篇)
2011年7月2日:(10)CM依存の悪影響
2011年6月23日: (9)栄枯盛衰の歴史(後編)
2011年6月1日:(8)栄枯盛衰の歴史(前篇)
2011年5月26日:(7)facebookを使い始めて3か月経過しました
2011年5月24日:(6)調べること & 意見を述べること
2011年5月18日:(5)ネットの井戸端会議(発信者=受信者=考える人)
2011年4月12日:(4)悪党の排除
2011年4月10日:(3)Personal Identity
2010年12月12日:(2)推薦したい記事、ダウンロードも推奨 ビデオURLなど追加
2010年12月6日:(1)誇張的に比較対比、誇張することで何か重要な本質が見える

カエサル〜ナポレオン〜ヒトラー

ウクライナ紛争に関係して、ドイツとロシアの関係を調べている。

両国の歴史を調べる作業は、フランスも含めた欧州歴史を見ざるを得ない。
当初3日で終える予定の基礎作業が3週間になっている。

今回の作業を通じて思ったことは、
カエサル、ナポレオン、ヒトラー
良い、悪いの評価は別として、この3人が欧州に与えた影響は本当に大きい、ということだ。

3人とも統一された帝国を目指した。

カエサルが最も広大な地域を支配し、ローマ帝国を繁栄に導いた。
今で言えば、地方自治を重視した連邦制を採用した。

ナポレオンとヒトラーは、画一的、統一的な中央集権を押し付けようとした。
ゆえに反発も大きく、志半ばで挫折した。

facebookコメントヘ 

変質が必要なイスラム教

イスラム教の現代における欠点は、戒律が男尊女卑になってしまっていることだ。

戦いに明け暮れた教祖ムハンマドの時代は、社会とは戦場、異教徒を改宗させる戦いが大きな割合を占めていた
女性は戦場に行かない時代
女性は「そういう社会」の主役では無かったし、女性もそこ(殺戮の場)に参画したいとは思わなかっただろう。

しかし、平和の時代では、社会の意味が変わる
戦場や戦いが社会では無くなる。
 
平和の時代の社会では、女性が社会に参加する。
それを戒律で禁止するイスラム教は、現代においては変わらなければならない。

facebookコメントヘ 

サマリー : ウクライナ問題:紛争の現状と背景


ヤヌコビッチ大統領選出〜ロシアによるクリミア併合

< ガス代が払えない >
ウクライナが、ロシア依存からEU依存へ資金提供者を鞍替えすると、
(1)ロシアからの輸入するガス価格の大幅ディスカント契約
(2)黒海艦隊基地(セバストーポリ)の使用料を、ガス代金と相殺する契約
双方を失う。(5月8日現在、失っている)

 

これまでのウクライナは、自国消費量をはるかに上回るガスをディスカウント価格(95ドル)で輸入(一部は勝手に抜き取り)して、それを正規価格(230ドル)で輸出することで「巨額の転売利益」を不労所得として得てきた。

 

そもそも自国で消費するガスの輸入代金(正規料金での)を払い続けられるキャッシュ・フローをウクライナは持っていない。上記(1)、(2)を所与とする生活を何十年もしてきたからだ。

 

< 強国に翻弄されるウクライナ >

ゴルバチョフの登場(1985年)、その後の冷戦終結(1989年)を経て、1991のソ連崩壊でようやく、ウクライナは独立した。

 

独立したとは言え、1:統一された国家の経験がほとんどなく、2:部族間対立が日常茶飯事の遊牧民族気質という精神構造は変わらず、また3:国の東西をロシアとドイツという2大軍事強国に挟まれるという地政学的宿命もあり、苦労してでも自主独立を維持するよりも「誰かの援助に依存」する安易な国家経営から脱皮できないまま今日に至っている。

 

2010年に選出された親ロシアのヤヌコヴィッチ大統領でさえも、「EU&USの金銭的援助か?」、もしくは「ロシアの低価格ガスか?」という“親分選択を二股に賭ける”コウモリ的な政治行動に終始した。

 

2013年11月にEUとの連合協定を締結直前で反故にしたのも、EUが示した援助の条件が厳しすぎる(返済が必要なローンでは無く、返済不要な贈与をウクライナは期待していた)ので、急遽ロシアのガス・ディスカウント(返済不要の贈与として機能する)へ秋波を送った。

 

しかし、「親EU路線から、親ロシア路線への変更」が「2004年〜2010年のオレンジ革命を支えた親EUグループ」によるクーデタの引き金となり、今日のウクライナ紛争に発展した。

 

< 民主主義選挙で成立した政権をクーデタで倒した>

ウクライナ紛争は、客観的に見れば、「民主的な選挙によって成立した政権(多数派)」を「デモとメディア操作」によって、少数派がクーデタで打倒した、という評価になる。

日本は、「いわゆる西側陣営」に属している。敗戦後は「国際政治ではアメリカの言いなり」という状態であり、何事もアメリカの主義主張、政策、制度が正しいと判断しがちだ。

資本主義>社会主義、キリスト教>イスラム教、個人の自由>社会全体の秩序、などを含め、旧ソ連や中国、ムスリム諸国などの考え方は間違っていると判定する傾向が強い。

 

その結果、現在のウクライナ暫定政権は、「デモとメディア操作によるクーデタで生まれた。」と言われると違和感を持ってしまうが、国際政治の専門家レベルではそれが定見である。

 

< 東西冷戦は続いている >

20142月、USのウクライナ大使パイアット氏とヌーランド国務長官補の通話内容がYouTubeを通じて世界中に公開された。その内容は・・・

 

1:親ロシアのヤヌコヴィッチ政権を倒して親EUのヤツェニュク政権を発足させる。

2:国連によるウクライナへの介入(=ヤヌコヴィッチ政権打倒)をUSは画策しているが、それに反対するEUを「fuck EUEUなんか、くそくらえ)」と侮蔑

 

米国務省は、この会話内容が本物であることを認め、ヌーランドはEU側に謝罪した。なお、現在の暫定政権の首相はヌーランド氏の希望したヤツェニュクが就任している。

 

また、US議会の公聴会等を通じて、

1:ヌーランド国務次官補とパイアット大使は、クーデタを後押しした。

2:ウクライナ暫定政権側は、クーデタの実行に際して、メディアを利用して、デモを扇動し、ヤヌコヴィッチ政権を崩壊させたが、そのメディア対策費用を支えたのは、US政府とソロス財団からの資金援助だった。

という事実認識が専門家の間では一般的になっている。

 

 

< 民主主義は輸出するが、経済は自助努力を要求 >

いわゆる西側陣営は、民主主義は意欲的に輸出するが、経済援助は限定的な規模に留まる。USもEUもかつてのような財政的な余裕がなくなったので、気前の良い金銭的な無償援助ができないのだ。

 

ロシアの状況も、資源エネルギー価格の高騰が終わった現在では、US&EUに似てきた。

親ロシアのヤヌコヴィッチ大統領でさえも、ロシアが提示するガス価格の値引き率が以前よりも小さくなった事態に直面し、「EU&USの金銭的援助か?」、もしくは「ロシアの低価格ガスか?」という二股戦略を採用せざるをえなかった。

 

なお、アメリカが反ロシア派を支援した背景には、ロシア帝国時代やソ連時代にロシアから弾圧を受けた多くのウクライナ人がアメリカに亡命した歴史が関係している。

ソ連崩壊以前に西側自由世界、特にUSに逃げ出した人々は、「ロシア憎し」の気持ちが強く、「強硬な反共主義」に凝り固まっている。
彼、彼女らは、
民主主義的な選挙で選出された政権であっても、それが親ロシア政権であれば、非合法手段を使ってでも政権を打倒するようにUS政府に働きかけるらしい。

 

今回のウクライナに関しても、USからの資金援助がヤヌコヴィッチ政権転覆を目論むグループに渡された事が明らかになっている。

 

 

< ウクライナの要求は、民主主義よりも無償資金援助 >

 

EU陣営に加担すれば巨額援助が来るとの夢を見て、デモとメディア操作でクーデタを起こし、民主選挙で選出されたヤヌコヴィッチ政権を倒した。しかし、暫定政権はEUに対して不満をもらしている。

EUなど西側世界からの資金援助は返済が必要なローンだ。しかも、最近決まったIMFのローンの金額(当座の$3.2bn、全体で$17bn)は、ウクライナが要求した$35bnの半分に過ぎない。

無償援助じゃないのか? ロシアは市場価格以下のガス価格を使った事実上の無償援助なのにと、ロシアからEUに乗り換えた報酬を、ウクライナは西側世界に要求している。

西側陣営は、資金援助は民主主義を広げることが目的だと主張する。
そもそもお金で民主主義を購入したり、移植することはできない

民主主義は国民が育むものだ。様々な試行錯誤、多くの失敗を経て民主主義に到達するもので、それには時間がかかる。

 

西側欧米諸国が民主主義を輸出しようと、性急な資金援助をしても、その資金は現行政府の転覆には効果的だが、その後の民主主義の育成には使われず、新政権内部の権力闘争や汚職構造を生み出す要因になってしまうことが多い。

 

現在のウクライナには民主主義が成立する民度やモラル(自己利益を犠牲にして相互に妥協するのが民主主義のエッセンス)が非常に低い。

ウクライナ政治の汚職度は、世界の中で最悪レベルと判定されている。援助資金は政治家のポケットに消えていくだろう。

 

 

< クリミア、戦争の勝敗によらない国境変更 >

 

ロシアによるクリミア併合は国境変更だ。しかも、戦争の勝敗によらない国境変更だ。良し悪しは別判断だが、21世紀に起こった画期的な事件である。

 

2013年秋ごろから、ウクライナの政情が不穏になり、年明け2014年に一気に事態が加速した。しかし、多数の死者を出すようなテロや内戦は起こらなかった。

平和裏に「クリミア」がウクライナから離脱して、ロシアに併合された

 

クリミア自治共和国議会で、ウクライナからの独立とロシアへの帰属の議決が行われ、3月16日に住民投票が実施された。投票率82%、賛成96%、という圧倒的に多数の賛成が得られた。

間髪を入れず、3月18日に、ロシアのプーチン大統領は、クリミアをロシアに編入した。

 

クリミアは、歴史的(前回前々回記載)にも、また直前でもウクライナ内の自治共和国という状態であり、ウクライナとの一体感が希薄な地域であったとは言え、ウクライナ暫定政府が、武力に訴えてでもロシアの行為を阻止しなかった背景は・・・

1:ロシアとの圧倒的な軍事力格差ゆえ、ウクライナが手を出せなかった。

2:EUやUSも、ウクライナに軍事的な支援を実施しなかった。(5月7日現在でも軍事不介入方針が維持されている)

・・・という事である。

 

 

< 世界中に存在する帰属問題 >

 

20世紀に起こった戦争や植民地の独立を通じて、多くの国家が生まれた。

発端はUS大統領ウィルソンが第一次世界大戦中に提唱した民族自決の原則だ。

 

しかし、現実に生まれた新国家は、民族の境界線とは無関係に植民地の宗主国からバラバラに独立した。
また時には民族を分断する事を通じて民族が団結して強力な勢力にならないように、国境が決められた。植民地宗主国の国際戦略だった。

 

その結果、現在の多くの国で「少数民族問題」が噴出している。

クルド民族は、トルコ(1140万人)、イラク北部(600万人)、イラン北西部(660万人)、シリア北東部(280万人)など、中東の各国に広くまたがって住んでいる。クルド人の居住地域が一体となって独立することは、民族自決の原則に合致するが、トルコ、イラン、イラク、シリアは猛烈に反対している。


中国の新疆ウイグル自治区などムスリム居住地域や、チベットも、同様だ。

 

クリミアの分離独立とロシアへの併合が提起した問題は、

1:分離独立が、民主的な住民投票で圧倒的な多数を得た時、これまでのように軍事警察という「手段で圧殺するのか、

2:地域住民の支持を失った政府や国家は、どう対応するのか

3:国家の支配とは、非民主的、暴力的手段が、これまでどおり許されるのか

・・・という民主主義と国家の基本概念を問うている。

facebookコメントヘ 

目次へ 

サマリー : ウクライナ問題:歴史(2)

ロシアとウクライナの歴史的な関係上から、オレンジ革命まで


< クリミアが突然ウクライナ譲渡された理由 >
(1)ロシア・ウクライナ関係の象徴となったのは、ペラヤースラウ会議 ・条約(1654年)

これはウクライナのポーランド隷属からモスクワ隷属への移行を意味した。


(2)この条約の300周年記念として、1954年にクリミア半島がウクライナに譲渡された。

当時はソ連時代、単なる象徴(譲渡とはいえ、何の意味のない)と解釈されていた。


上記の歴史的背景は、・・・・

1:ポーランド・リトアニア連合王国の支配に反旗を翻したフメリニツキー(ウクライナ・コサックの最高指導者)は、クリミア・ハン国と組んで独立戦争を起こすが、裏切られる。

2:その後、オスマン帝国と組むが、頓挫


3:最終的に、同じ正教徒のロシア帝国(イヴァン4世)の保護下に入ったが、それを決めたウクライナ側のセレモニーが、ペラヤースラウ会議(1654年)

 

その後、ロシア帝国は、徐々に支配力を強化した。フメリニツキーの死後、ウクライナ・コサックは部族間抗争に陥り、衰退の時代となり、完全にロシア帝国の一部となった。
 

 
11

 

1917年のロシア革命を機に独立を試みるが、前回書いたように、国際政治のはざまで夢と消えた。ソ連時代、特にスターリン時代は弾圧された。

 

< 独立後、オレンジ革命まで >

ゴルバチョフの登場(1985年)、その後の冷戦終結(1989年)を経て、1991のソ連崩壊でようやく、ウクライナは独立した。

独立したとは言え、
1:統一された国家の経験がほとんどない、
2:部族間対立が日常茶飯事の遊牧民族のDNA、
3:ソ連崩壊から独立初期の時期に、国家財産を収奪して財を成した財閥(ティモシェンコを含む富裕層)と、その恩恵に浴さなかった大勢(無産階級労働者)の格差社会構造、

4:目を覆うばかりに劣悪な汚職の蔓延、
、などで
国民の国家帰属意識、国民としての意識は低レベルに終始し、国家は混乱

そんな中、2004年に起こったオレンジ革命がウクライナを激動させた。

第一回目の選挙結果に対して抗議運動を行った野党支持者がオレンジをシンボルカラーとしたことからオレンジ革命と呼ばれるが、基本構造は親西側政権を樹立したいグループによるデモとメディアを使った革命であった。

その推移は、・・・・・

独立後のウクライナは、鉱工業が盛んでロシアとの関係の深い東部と、特段の産業が無いためにEUやNATOに加盟してEU経済の恩恵と補助金に浴したい西部で、意見が分かれていた。

 

2004年の大統領選挙では、親ロシアのヤヌコーヴィチと、ヨーロッパへの帰属を望むユシチェンコの一騎打ちとなった。

1121日の開票の結果、大統領選挙におけるヤヌコーヴィチの当選が発表されると、その直後からユシチェンコ支持層の基盤であった西部勢力が、ヤヌコーヴィチに不正があったと主張し、不正の解明と再選挙を求めて、首都キエフを中心に、ゼネラル・ストライキ、座り込み、政治集会を行った。

 

抗議運動はマスメディアを通じて世界各国に報道され、大きな関心を呼んだ。特にヨーロッパやアメリカではユシチェンコに対して、ロシアではヤヌコーヴィチに対して肩入れする報道がなされた。

報道合戦では、大統領選挙が民主的ではないというスタンスを取った欧米側の報道に世界世論がなびいた

下図は、2004年の大統領選挙の様子だが、東西で、綺麗に分かれている。

橙色:ユシチェンコ支持青色:ヤヌコーヴィチ支持


22


オレンジ革命。。。それは、結局、
デモとメディア攻勢が、ヤヌコビッチを退けた。
という現代、世界各地に蔓延する、民主主義の暴力的側面であった。

 

 

< オレンジ革命後のユシチェンコ大統領時代 >

ユシチェンコ大統領は成ったが、政治は混乱を続けた。

 

2006年の議会選挙では、大統領選挙に敗れたヤヌコビッチ派が勝利し、首相に就任


2007
年の議会選挙では、ソ連時代の国家財産を我が物にして富豪になったティモチェンコ(ユシチェンコ支持)が首相に就任した。

しかし、ティモチェンコ首相は、ガスの利権汚職にまみれ、政治は混乱した。

 

ユシチェンコ大統領時代の政治の混乱と、汚職不正の激化に怒った民衆は、2010年の大統領選挙ではヤヌコビッチを大統領に選んだ

33


facebookコメントヘ

 

目次へ

サマリー : ウクライナ問題:歴史(1) 

ウクライナは、歴史上ほとんどの期間、大国に支配されていた

9世紀から、モンゴル来襲(13世紀)までは独立していた
9世紀ごろから、東スラブ民族が、現在のロシア、ベラルーシ、ウクライナという広大な地域に複数の集団に分かれて居住した。


その独立した東スラブ民族の居住する地域は、「
ルーシ」と呼ばれた。

その中心都市がキエフだった。

 
1

 

約500年間安定したルーシの歴史は、1230年以降の、モンゴルの来襲で終わった。

モンゴルはルーシ全地域を一網打尽にし、ルーシはモンゴルの支配下に入った。

当時のモスクワは「木の杭で囲まれた砦」のような「少し大きな村」状態だった。

モンゴル軍はさらに進軍し、ポーランドまで侵攻した。


参考1:タタールのくびき
参考2:NHK番組:ロシアとモンゴル 


その後、ウクライナは1991年まで長期間の独立を維持することは無かった 

モンゴルが欧州から去った後、リトアニアが強大な国家に発展し、1392年以降ウクライナはリトアニアの支配下に入った。

 

15世紀、モンゴル軍は欧州からは撤退したが、チンギス・ハーンの末裔がクリミア半島に建国したクリミア・ハン国(1441年〜1783年)が強大化し、ウクライナはクリミア・ハン国の支配下に入った。

クリミア・ハン国は、1475年以降隆盛を極めるオスマン帝国の属国となった。

 

2

 

16世紀になると、ポーランド・リトアニアの連合王国が、ウクライナ東部地域まで勢力を伸ばした。

クリミア・ハン国の影響力はウクライナ東部とクリミア半島に縮小した。

 
3
 

その後、1613年のロマノフ王朝成立で勢力を伸張させたロシアが複数回のロシア・トルコ戦争を通じて、ウクライナ東部とクリミア半島に支配を拡大させた。

1890年頃以降のウクライナは、東部はロシアの支配下西部はポーランドの支配下という分裂支配状態に陥った。

 

クリミア・ハン国は、1783年にロシアに併合され、以後クリミア半島は1954年までロシアが支配する。

歴史的に見れば、そもそもクリミアとウクライナの一体性、(クリミアはウクライナ領)、は無いと言えよう。

 

< 20世紀以降のウクライナ >

帝政ロシアの支配下で、それなりの安定をしていたウクライナは、1917年のロシア革命以降、激動の波に飲み込まれる

 

4

 

ロシア革命から第一次世界大戦、この時期のウクライナの歴史は悲哀の歴史だ。

2つの大国、ドイツとロシア(ソ連)の奪い合いの対象地と化した。

 

 

191710月ロシア革命によって共産党のソビエト政権が誕生

117日に、一旦はウクライナは帝政ロシアから独立し、キエフを首都とするウクライナ人民共和国の樹立を宣言

 

ウクライナ・ソビエト戦争が勃発

1918年年28日にロシア赤軍はキエフを占領

 

29日にウクライナ・ドイツ・オーストリアの同盟が成立

同盟国の軍事力を借りてウクライナを解放し、3月に首都を奪還

保守階級によるクーデターでスコロパードシキー大将の政権が成立し、国号はウクライナ国

 

1918年末、第一次世界大戦でドイツが連合国へ降伏

19181219日にスコロパードシキー政権が倒され、新たな執政内閣の政権が成立、国号は再びウクライナ人民共和国となった。

 

ドイツ軍の撤退によりウクライナ・ソビエト戦争が再開

191916日にソビエトは傀儡政権として首都をハルキウとするウクライナ社会主義ソビエト共和国を樹立

25日にソビエト軍はキエフを占領し、ウクライナ人民共和国の政府を追放

 

1919年から1920年にかけてウクライナの支配を巡って、ウクライナ人民共和国軍、ソビエトの赤軍、ロシア帝政派の白軍、白軍を支援するフランス軍・イギリス軍・ポーランド軍、ネストル・マフノ率いる無政府主義者の黒軍、ウクライナのゲリラを中心とする緑軍などが争った。

 

1920年冬に、ソビエトの赤軍の勝利で戦争終結、ウクライナ社会主義ソビエト共和国はソ連の属国へ

 

これ以降、米ソ間の冷戦の時代へと向かう。

冷戦が終わるのは、1989年だ。

facebookコメントヘ 

目次へ 

Android_Gmail 特定メールだけ「受信音&バイブ」する

七転八倒の末、ようやく設定できた。

Androidのヘルプ(下記URL参照)を見ても、分かりにくし、初心者が操作方法を完全に実行できるようなレベルの説明になっていない。
色々と苦労して、私の理解した事をメモしておきたい。
( これで完璧か? 分からないけど、一応機能している )

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

受信トレイのメインが、通知サウンド&バイブをONになっていると、メインに来たメールが全て鳴る。
 
ラベルで分類している場合でも、メインに来たものを、後から手動で各ラベルに移動させている場合は、メインに来た段階で鳴る。

通知(Android):https://support.google.com/mail/answer/3038600?hl=ja
no title

それを避けて、特定メール(例:特定送信者)のみを鳴らすには
PCのGmailの設定画面で、フィルター下記のように設定すれば、良い。
PCで設定すれば、アンドロイドのGmailにも即反映する。

11


1:フィルターを設定する。
2:設定内容に関して、メールが来た段階で、受信トレイをスキップして、直接分類されたラベルに入るようにしなければならない。(下図参照)
 
4

フィルターの設定が完了すれば、下のように表示される。
下記は、2個の送信者のアドレスから来たメールを、直接ラベル「001_F1」に放り込むフィルターの例

1

上記を設定した後に
アンドロイドのGmailのラベル管理をする

3


下記はラベル「001_F1」に入ったメールだけを、通知サウンド&バイブする事例

2

やっと、実験が終わった。
これから、本番の設定をしなければ、やれやれ
こんなことに、ほぼ半日を費やしてしまった。

追記、FBで教えてもらいました。
複数の送信者に対する同じフィルタの適用

複数送信者

facebookコメントヘ 
記事検索
最新記事
月別アーカイブ
QRコード
QRコード
*****
  • ライブドアブログ