年金世代の健康保険問題が「介護」だ。
人間の肉体の各パーツには耐用年数がある。介護は老後にやってくる肉体や脳機能が過度に劣化した高齢者の「生活サポート」の問題だ。健康な高齢者であれば、生活資金をサポートすれば通常の生活が維持できる。
しかし、肉体や脳機能が極端に劣化した高齢者はそもそも「現代社会が前提としている自律的な生活」が不可能だ。

健康保険制度の支払い税源になっているファンドは、多くの人の生活余剰資金の一部を健康保険税として集めたものだ。
歴史的な観点からは、以前書いたように、人間は道具や言語を使い初めて以降う、外敵に対抗できる武器を得て、他の動物が獲得できない数量や種類の食料を入手・保存することで、生活物資の余剰を発生させた。
そして、リーダーがコミュニティ全体の幸福を考えて、余剰を弱者保護に使うようになった。これが福祉の始まりだ。健康保険制度、年金制度などのDNAはここにある。

介護に話を戻すと。。。。
本来は子供世代が田舎に帰って親の面倒をみるべきところだ。しかし、現代社会、特に都市労働者が組み込まれた現代社会の仕組みは、帰郷を許さない。帰郷は失業に直結するからだ。
だから子供世代は金を払って第三者に代行してもらう。第三者に委託するのだから少々割高な金を払ってしかるべきだ。本来子供世代が責任を持つべき親世代の面倒を、民間よりも非効率な国が代行している。子供世代は、サービスの質と料金に文句を言えない。

そもそもコミュニティに対する義務・負担は、資金提供だけにとどまらなず、経済効率性を無視した奉仕活動(使役=時間と労力の拠出)であった。
一方、経済効率性とは、現代社会が暗黙のうちに要求するもので、冷たい言い方をすれば、福祉の概念とは本源的な部分で立脚する世界観が異なっている。

現代社会やコミュニティという概念を、世界という枠まで広げた時に、日本の都市労働者が世界平均よりも経済効率性に縛られている。( 今や人口比では都市労働者は多数派になっているので、社会通念が支配されていると還元できるだろう。 )
そう考えれば、1990年の湾岸戦争でお金だけ出して使役を拒否した日本が受けた非難が理解できるだろう。金を払ったんだから世界から文句を言われる筋合いはない、、、この考え違いが、現代日本社会の縮図だろう。

借金に頼った福祉の弊害は、社会全体が多重債務者になることだ(その4)動物は理性的、霊長類は感情的で書いたことだが・・・・長年にわたって冷徹に判断して行動パターンがDNAに刻まれるまでに深化した野生動物は、死にかけた家族の一員(子供など)を放置して群れと共に立ち去るこのルールを無視して死にかけた者を思って共にとどまれば、グループを離れた少数弱者になり敵の餌食になって死亡する。

一方、人間は個人的な感情を前面に出して、群れに迷惑をかける欲望や行動を見せる。自分の親のを3カ月長生きさせるために非常に高額の医療費を湯水のごとく使って、健康保険ファンドの資金を浪費することも、気持ちはわかるが、感情を前面に出して、群れに迷惑をかけている行動だと思う。

一定限度を超えた個人的感情を満足させるための「健康保険ファンド」への負担は、助け合い、相互扶助の領域・限度を超えてしまい、最終的には他人の財産権を侵害する行為に達している。何故なら、自分および自分の身内のために使った金は、(1)返済しない、返済の意思が無い、(2)その金はもらったもの、もらう権利が当然ある、(3)他人が自分および自分の身内に援助資金を与える社会的義務がある、と認識されているからだ。

この考え方を伸ばした先には・・・・(4)黒字国(強者)は赤字国(弱者)を永遠に救済援助する義務・責務がる、という同じベクトルの考え方が広がっている。

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目次 : 年金&福祉、医療

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