エジプト(3)
Q1:欧米との歴史的な関係は?
A1:スエズ運河の権益、およびイスラエルの安全保障が欧米の関心事だった
1:ナセルの時代
軍事経済的な観点から、スエズ運河の権益確保が欧米、特に英仏の関心事だった。
スエズ運河は、1858年にレセップスがスエズ運河会社を設立し建設(1869年完成)運営した。当初は、フランスの民間投資者が過半の出資を行っており、エジプト側もかなりの出資をした。
1875年に財政危機に見舞われたエジプトは持ち分をイギリス政府へ売却、イギリスは最大株主になった。
< スエズ戦争へ >
1952年に軍事クーデタで政権を掌握したナセル率いる自由将校団は、米ソ二大国のどちらにも関わらない非同盟主義に立ち、またアラブ世界の糾合を目指し、欧米と対立した。
アメリカがイスラエルに配慮してエジプトへの武器供与に消極的だったことから、チェコスロヴァキアから新式兵器を購入すると、西側との関係が悪化しアメリカなどからアスワン・ハイ・ダム建設資金の融資を拒否された。
1956年7月、ナセルは、アスワン・ハイ・ダム建設資金を賄うためにスエズ運河の国有化を宣言
スエズ運河の利権を手放したくない英仏と、第一次中東戦争でエジプトと敵対したイスラエルは利害が一致し、10月末の戦争実行(スエズ戦争)を決定した。
開戦後は英・仏・イスラエルの勝利かと思われたが、冷戦で対立していた米ソが手を組み、停戦と英仏イスラエル軍の即時全面撤退を通告した。侵攻3カ国にとって大きな誤算であった。
< スエズ戦争の結末 >
エジプトは国有化を確定できた上に、イスラエルと英仏に対して正面から戦ったことでアラブから喝采を浴び、中東での発言力を増した。
英仏はスエズ運河を失った。イギリスは戦費支出5億ポンドに対し何も得られず、ポンドが大幅に値下がりした。
アメリカの圧力で英仏軍を撤退させ、アメリカが欧州に対して圧倒的優位であることを世界に誇示した。
2:サダトの時代
ナセルの「非イスラム化(=世俗化)、社会主義化、欧米と距離を置く外交政策」を修正し、(1)社会主義路線を弱め対米接近し、イスラエルとの和平を通じて第三次中東戦争で占領されたシナイ半島の奪還を目指した。(2)国内的には、イスラム化へと方向転換した。
欧米は歓迎し、カーター政権下の1978年のキャンプ・デービッド合意を経て、1979年にエジプト・イスラエル和平条約が締結され、シナイ半島のエジプト返還となった。
イスラエルとの和平に反対するムスリム同胞団内部の過激派(原理主義派)は、ジハード団として分離独立し過激度合いを強め、サダト大統領を1981年に暗殺した。
3:ムバラクの時代
ムバラク政権下では、非イスラム化政策(=世俗化)に再び戻るとともに、秘密警察、密告制度による人権抑圧政治が強化された。
しかし、1991年の湾岸戦争以降、アメリカの各政権は中東・北アフリカ地域に対する民主化要求を強化した。
疲弊する経済から脱するために、米国の援助(資金援助+累積債務の減免)が必要だったムバラクは、米国に同調し米軍のイラク派兵に協力し、米国の要求するイスラム過激派テロ組織の取り締まりを強化し、イスラエルとも強力関係を築いた。
欧米から投資資金が大量に流入し、新興国ブームと相まって、経済と株式市場は活況を呈した。
下図はエジプト株式市場1993年3月〜2013年9月(2004年〜2007年は投資ブーム)
4:エジプト革命後
2010年末のチュニジアのジャスミン革命に呼応する形で、エジプトでも2011年1月以降は民主化要求デモが大規模化し、2月11日にはついに、30年に渡る軍事独裁政権を率いたムバラク大統領は辞任した。
2012年5月〜6月の民主的な大統領選挙でムスリム同胞団のムルシー氏が当選したが、イスラム宗教政治を実現するために憲法改正を強行しようとしたことから、2013年7月3日に事実上の軍事クーデタで失脚し、再び軍事独裁政権に逆戻りした。
<苦渋の決断をするオバマ大統領>
このような状況に対して、オバマ大統領は、エジプトの政治的安定性が第一だと判断した。
民主的に選ばれたムルシー大統領だったが、イランのように宗教政治を目指すのは御免こうむりたい。軍事独裁政権でも、多少の人権抑圧があっても、世俗化を志向し、エジプトが安定してくれるなら構わない。
エジプトが安定し、エジプト・イスラエルの友好関係が維持されないと、イスラエルの安全保障が危うくなる。
エジプトの安定を第一に考えると、軍事クーデタ政権だが目をつむって資金援助を継続しようと決断した。
政治年表
1928年:ムスリム同胞団結成
1952年:王政打倒、その後ナセルが権力を保持(52年〜56年は、形式的にナギーブ大統領)
1956年7月:ナセルによるスエズ運河国有化宣言
1956年10月:スエズ戦争、エジプトの実質勝利
1967年:第三次中東戦争(6日間戦争)で、シナイ半島をイスラエルに占領される
1970年:ナセルの急死、副大統領のサダトが大統領に
1978年、USカーター大統領の仲裁によるエジプト・イスラエルのキャンプ・デービット合意
1979年:エジプト・イスラエル和平条約を締結
1981年:イスラエルへの妥協に反発するジハード団によりサダト暗殺される。副大統領のムバラクが大統領に就任
1991年:湾岸戦争に対米協力、引き換えに資金援助、債務減免
2011年:エジプト革命でムバラク辞任
2012年:ムスリム同胞団のムルシーが大統領に就任