ウクライナは、歴史上ほとんどの期間、大国に支配されていた

9世紀から、モンゴル来襲(13世紀)までは独立していた
9世紀ごろから、東スラブ民族が、現在のロシア、ベラルーシ、ウクライナという広大な地域に複数の集団に分かれて居住した。


その独立した東スラブ民族の居住する地域は、「
ルーシ」と呼ばれた。

その中心都市がキエフだった。

 
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約500年間安定したルーシの歴史は、1230年以降の、モンゴルの来襲で終わった。

モンゴルはルーシ全地域を一網打尽にし、ルーシはモンゴルの支配下に入った。

当時のモスクワは「木の杭で囲まれた砦」のような「少し大きな村」状態だった。

モンゴル軍はさらに進軍し、ポーランドまで侵攻した。


参考1:タタールのくびき
参考2:NHK番組:ロシアとモンゴル 


その後、ウクライナは1991年まで長期間の独立を維持することは無かった 

モンゴルが欧州から去った後、リトアニアが強大な国家に発展し、1392年以降ウクライナはリトアニアの支配下に入った。

 

15世紀、モンゴル軍は欧州からは撤退したが、チンギス・ハーンの末裔がクリミア半島に建国したクリミア・ハン国(1441年〜1783年)が強大化し、ウクライナはクリミア・ハン国の支配下に入った。

クリミア・ハン国は、1475年以降隆盛を極めるオスマン帝国の属国となった。

 

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16世紀になると、ポーランド・リトアニアの連合王国が、ウクライナ東部地域まで勢力を伸ばした。

クリミア・ハン国の影響力はウクライナ東部とクリミア半島に縮小した。

 
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その後、1613年のロマノフ王朝成立で勢力を伸張させたロシアが複数回のロシア・トルコ戦争を通じて、ウクライナ東部とクリミア半島に支配を拡大させた。

1890年頃以降のウクライナは、東部はロシアの支配下西部はポーランドの支配下という分裂支配状態に陥った。

 

クリミア・ハン国は、1783年にロシアに併合され、以後クリミア半島は1954年までロシアが支配する。

歴史的に見れば、そもそもクリミアとウクライナの一体性、(クリミアはウクライナ領)、は無いと言えよう。

 

< 20世紀以降のウクライナ >

帝政ロシアの支配下で、それなりの安定をしていたウクライナは、1917年のロシア革命以降、激動の波に飲み込まれる

 

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ロシア革命から第一次世界大戦、この時期のウクライナの歴史は悲哀の歴史だ。

2つの大国、ドイツとロシア(ソ連)の奪い合いの対象地と化した。

 

 

191710月ロシア革命によって共産党のソビエト政権が誕生

117日に、一旦はウクライナは帝政ロシアから独立し、キエフを首都とするウクライナ人民共和国の樹立を宣言

 

ウクライナ・ソビエト戦争が勃発

1918年年28日にロシア赤軍はキエフを占領

 

29日にウクライナ・ドイツ・オーストリアの同盟が成立

同盟国の軍事力を借りてウクライナを解放し、3月に首都を奪還

保守階級によるクーデターでスコロパードシキー大将の政権が成立し、国号はウクライナ国

 

1918年末、第一次世界大戦でドイツが連合国へ降伏

19181219日にスコロパードシキー政権が倒され、新たな執政内閣の政権が成立、国号は再びウクライナ人民共和国となった。

 

ドイツ軍の撤退によりウクライナ・ソビエト戦争が再開

191916日にソビエトは傀儡政権として首都をハルキウとするウクライナ社会主義ソビエト共和国を樹立

25日にソビエト軍はキエフを占領し、ウクライナ人民共和国の政府を追放

 

1919年から1920年にかけてウクライナの支配を巡って、ウクライナ人民共和国軍、ソビエトの赤軍、ロシア帝政派の白軍、白軍を支援するフランス軍・イギリス軍・ポーランド軍、ネストル・マフノ率いる無政府主義者の黒軍、ウクライナのゲリラを中心とする緑軍などが争った。

 

1920年冬に、ソビエトの赤軍の勝利で戦争終結、ウクライナ社会主義ソビエト共和国はソ連の属国へ

 

これ以降、米ソ間の冷戦の時代へと向かう。

冷戦が終わるのは、1989年だ。

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