緩衝地帯、ポーランドとウクライナは苦難の歴史


1:欧州史におけるロシアとドイツの勃興

< ドイツ >

ドイツが欧州近代史で影響力を持ち始めるのは、1815年のナポレオンの没落以降だ。

 

それまでのドイツは、300以上の領邦(日本で言えば地方大名)がバラバラに割拠する状態で、国家としてのまとまりの無い弱小国だった。
西の隣国フランスは、人口が多い軍事大国で、ブルボン王朝、ナポレオンと連なる強力な中央集権統一国家だった。

 

ナポレオンの出現と没落が歴史の流れを変えた。ロシア遠征(1812年)で37万人の戦死者を出すなどの敗戦の結果、フランスの人口はドイツを初めて下回った

 

他方ドイツは、ドイツ統一戦争(1862年〜1870年)の最後を飾る普仏戦争に勝利し、ヴェルサイユ宮殿でヴィルヘルム1世が皇帝戴冠式を行いドイツ帝国が成立した。
ここから
ドイツ優位の時代が始まり、今日に至っている


< ロシア >

ロシアは、ここに記載したように、9世紀に成立したキエフを中心とするスラブ民族国家として始まったが、13世紀のモンゴルの来襲以降は長期間その支配下に置かれた。その間モスクワ大公国がモンゴルの徴税請負人として地位を強化し、今日のロシアの基礎を形成した。

 

イヴァン3世の時(1480年)に、モンゴルの支配を脱し、イヴァン4世(1533年〜1584年)の時に当方シベリアに支配を広げた。

 

1812年にナポレオンの侵攻を受けるが、焦土作戦を実施し兵站を失ったナポレオンを駆逐した。

 

ロシアがフランスを疲弊させ、欧州史を転換させる役割を果たしたが、それは隣国ドイツをバラバラな弱小国から統一国家へと導き、ロシアの強力なライバルを出現させることにもなった

 


2:直接対決の始まり


ナポレオン没落後、欧州の主役は(1)大陸中央のドイツ、(2)東のロシア、(3)西海上の島国イギリスとなった。

 

イギリスは名誉ある孤立政策を採用したので、大陸欧州の構図は2大軍事強国のドイツとロシア、その中間地帯の小国達という構図になった


ウクライナ_ポーランド

この構図は現代の欧州の構図そのままであり、欧州の国際政治地図は19世紀(ナポレオン戦争終結時のパリ条約1815年)に形成された状態が、現在まで維持されているのだ。


なお、現在は、
1:
EU(ドイツが実上のリーダー)、

2:英国(大陸欧州とは距離を置き、USとの連携を模索する)
3:
ロシア(エネルギーを保有し、アジアとの連携も模索する)

4:ロシアとドイツの間に存在する小国達


ロシアとドイツの間に存在する小国達は、どちらの陣営に入るかで、翻弄される宿命が今日まで続いている。ウクライナ紛争が、まさにソレである。


3:ウクライナ、ポーランドの苦難の歴史

2大軍事大国の直接対決以前から、両国に挟まれた地域は、苦難の歴史だった。


< ポーランド >
1772年、1773年、1795年の3回にわたってロシアとドイツが主導してオーストリアも巻き込み3国で、ポーランドを分割吸収した。

ポーランドという国が地図上から消えた

ポーランドの再登場は第一次世界大戦でドイツが降伏した翌年1919年だ。

 

下図が、ポーランド分割の様子だ。



1


< ウクライナ >
そもそもスラブ国家発祥の地キエフを持つウクライナだが、ウクライナ問題:歴史(1)ウクライナ問題:歴史(2)に記載したウクライナの歴史で明らかなように、13世紀のモンゴルの来襲以降は安定独立を得られず、完全な独立はソ連崩壊後の1991年まで待たねばならなかった。

 

特に、1917年のロシア革命から第一次世界大戦のウクライナは悲哀の歴史だ。

まさに、ドイツとロシアがウクライナを巡って陣取り合戦を繰り広げた。

 

191710月ロシア革命によって共産党のソビエト政権が誕生、帝政ロシアが崩壊した際、ウクライナはウクライナ人民共和国の樹立を宣言した。

その直後、ウクライナを支配下に置こうとするソビエトとの間で戦争が勃発し、1918年年28日にロシア赤軍はキエフを占領する。

反発するウクライナは、29日にウクライナ・ドイツ・オーストリアの同盟を成立させ、同盟国の軍事力を借りて首都キエフを奪還した。

 

しかし、1918年末、第一次世界大戦でドイツが降伏しウクライナから去ると、ソ連は再度ウクライナを支配しようと戦争を再開、1919年にウクライナはソ連の属国になった。

その後第二次世界大戦を経て冷戦の時代へと向かう。冷戦が終わるのは、1989年だ。

 


4:2014年のロシアとドイツとウクライナ

下は、ドイツの国会議員宿舎に飾られている写真だ。ソ連がベルリンに侵攻し、ナチス・ドイツを打ち破り、ヒトラーが自殺した日の写真だ。

ソ連兵士がベルリンの建物の上で、ソ連の国旗を掲げている。


ソ連によるベルリンの解放

この写真は、2つの意味を持つ。

1:ヒトラーからドイツを解放してくれたのは、ソ連だった。
2:ソ連は、ヒトラーに代わる新たな圧制者として、その後半世紀にわたって東ドイツの開放を封印した。


つまり、Russia was not only the oppressor 圧制者、迫害者but also the liberator解放者)を意味している。

上の写真は、 "We rescued you. Don't forget where power lies."という国際政治の真実を語っているのだ。

 

現代においては、ウクライナを開放する」と正義感ぶっているUSの心の中を、ドイツ人は見透かしているという事でもある。

 


5:ロシアとドイツは、呉越同舟


現在の独ロ関係は、米中関係に似ていると思う。政治的には相いれない部分が多いが、経済的には相互依存関係が深まり切れない関係になっている。

米中関係も、独ロ関係も、呉越同舟なのだ。喧嘩して船を壊せば、二人とも”おしまい”。
不満は多いが、船を壊さないように、最低限の協調関係を維持するしかない。

独ロの経済の緊密化に関しては、

1:元首相シュレーダーは、ロシアとドイツを直結するガス・パイプラインの会社、ロシア国営天然ガス会社(ガスプロムの子会社)の役員に就任している。(2006年)
2:シーメンス、アディダス、ティッセン・クルップなどロシアに大規模投資してビジネスを展開しているドイツ企業が多い。

Friendly
な経済関係、 政治は緊張関係という事実は、独ロ関係、米中関係、今後も長期間継続するだろう。

米中は海を隔てた緊張関係だが、独ロは陸続きの緊張関係だ。
人間の交流を含め、抜き差しならない歴史の積み重ねが存在している。

経済的な面から言えば、米中はいざとなれば鎖国でもOKと言える関係であるのと比べて、
独ロは鎖国は共倒れを意味する
つまり、
独ロ関係は米中関係よりも、より協調を強いられる関係である

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