投資家は決着を求める
多くの投資家はA=50、B=80というような「答え、決着」を求める。
どっちに転ぶかわからない、イザコザのプロセスの継続を嫌う。
一方、大多数の政治家は決着を避ける。
決着とは白黒、勝ち負け、損得を確定させることになる。その決着の時に「損側に属するグループ」に復讐心を植え付けてしまい、かつては仕返しの戦争の端緒にもなった。
現代では戦争にはならないまでも、損確定の決断をした政治家は政治生命を失う。
投資家は、ポジションを持つ持たないの判断をさっさと実行できる、気楽な商売だ。損しそうだ、不利だと思えば、サッサと逃げ出す事も簡単だ。
政治家は、常にポジションを持ち続けなければならない。逃げることもできないし、別の有利なポジション(他国の政治家)に乗り換えることもできない。
決断は強者の特権だ。
特に、欧州の国際政治経済関係に関しては、国境を変更する戦争が消えてしまったがゆえに、弱者が強者にとって代わることがほぼ不可能になっている。それゆえ、弱者が強者が押し付けてくる「正論のようなモノ」に屈する事は、強者が強権発動を実施する場合を除いては、有りえない。
なお、欧州問題は共通通貨ユーロが無ければ起こっていないという論者もいるが、違うと思う。
歴史を振り返れば、交易経済の決済に使用される貨幣は「多数が信頼する金貨、銀貨」あるいは「それらに簡単に交換が可能なモノ」であった期間が圧倒的に長い。
欧州の多くの国が独自通貨を発行し、それらが全て国債決済に使われる状況が維持された期間は、100年にも満たない。
つまり欧州の歴史的視点からは、「多数が信頼する金貨、銀貨、あるいは、それらに簡単に交換が可能なモノ」が「ユーロ紙幣」に置き換わっただけである。この両者に共通するのは、各国が勝手に増やせないという点である。
そして、このことは「欧州の多くの国が独自通貨を発行し、それらが全て国債決済に使われた」状況とは根本的に異なる。