メディア

Big Data Marketingが引き起こす「Short Tail化」

今朝、子供のアッシー君をやりながら、JWAVEを聴いていたら
1:メディア産業は、Big Dataの活用で様変わりする
2:コンテンツで勝負する時代から、Big Dataマーケティング時代へ変わる
3:ネットも、もっと集客できるように「外見90%、内容10%」という戦略を採用すべきだ
、などなど(発言そのままではなく、意を汲んで文章化しました)を、東洋経済オンラインの編集長が解説していた。

Big Dataを使って集客、SEOで検索上位に表示、など現在のトレンドを考えると
1:幅広く数を集める競争、集客数で評価
2:その結果到達するのは、どれも似たり寄ったりのTVのバラエティ番組のようなメディア
というゴールが見えてくる。

ネットとTVは似ていると東洋経済オンラインの編集長が指摘していた。
先にバラエティ化したTVをネットが追いかける、という事だろう。

これまでネットはLong Tail化を促進する、と言われてきた。
しかし、ネットへの参加者が下図のように裾野を拡大した結果、受動的なネット利用者が過半数を占めるようになり、それがネットのShort Tail化を促進するようになったのだと思う。

Big Date Marketing

発見の喜びに誘引されて、自らドンドン検索をする、、それは今ではネット利用者の中では少数派なのだろう。
ならば、それに最適化したネット・メディアであるべきだ。
東洋経済オンラインの編集長の主張は、そういう冷徹な現実判断なのだと思った

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広告とコンテンツの呉越同舟の終焉 その5

過去4回に書かなかった、メモの断片で、このシリーズの最終回のつもりです。
下記は過去4回の過去記事
1:その1
2:その2
3:その3
4:その4


(1)バラエティ番組=集客が命、内容は不問=最大公約数に対する広告が最適だ。
内容不問なのだから、特定企業の商品やサービスをそのまんま番組にしてしまう方がCMとしては効果的だし、時間当たりのCM料金としては広告主には安価、という帰結は「目からうろこ、コロンブスの卵」ではないが、当然の結果だろう。

しかも一種の情報番組(へーっ、こうなっているのだ!)として、タレントの無価値な会話を垂れ流しする純粋バラエティ番組よりも視聴率を得られる。

これは、暇つぶし本にとっては、強敵だ。
TV番組は、音声+動画なので、暇つぶし本(紙であれ電子本であれ)よりも、パワフルだ。


(2)少し前に、情報収集やメディアに関してディスカッションした事だが・・・・・
 
1:メディアの数が増えすぎた。
TV、ラジオ、新聞、本、雑誌、ネット、電子本、音楽、観劇、映画、
一人の消費者はい一日24時間しかないのだが、メディアは圧出されずに垂れ流される。せいぜいタイム・シフトでCM飛ばししかできない。CM飛ばしは、メディアとしては本末転倒だ。
メディアの淘汰が進むしかない。
もしくは、メディアの作り手、届け方が変わるしかない。
 
2:目立たなければ生き残れない
録画されVTRで見る番組の場合、CM飛ばしが常識なので、その場でCMも一緒に見てもらう必要がある。
それゆえ、目立つこと=刺激的であること、が最優先になっている。
内容の5倍も10倍も過大に見せる事に努力が注がれている。
嫌悪する視聴者も増えるだろう。

3:読者が低レベル化し、ヘッドラインやタイトルしか読まなくなり、写真や絵しか見なくなった。(3分以上の議論をできなくなった)
その結果、刺激的なヘッドライン、表紙で、PVやクリックを集めてCM獲得する戦略が突出して有効という極端なまでのコンセンサスが出来上がっている。
 
4:無料が常識化したので、CM収入しかないという意識が極大化している。 
新聞、本、雑誌、電子本、音楽、観劇、映画は、以前として有料でコンテンツ勝負でビジネスしている。
それと比較して、TVのコンテンツ放棄の度合いは突出しているように思う。

5:良い情報は有料化、もしくは非デジタル化して、ますます一般人が得られなくなってきた。特に日本語では顕著な傾向だ。これは残念な事だ。

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紙の記事は、本質以外の制約で劣化している

ネットの記事であっても、
1:必要にして十分な情報内容、
2:読者目線での適正で効果的な分量

という条件をクリアーしなければならない。

しかし、紙の記事は、その後にもう一段のハードルが待ち受けている。
雑誌や新聞の全体の面積(文字数)が決まっているので、「アンタは、見開き2枚=4ページ」と決まっていて、そのに4ページを統括する責任者が2個〜4個の記事を割り振っていく。

多くの紙の記事は、記者が書いた記事の何十パーセントかは廃棄される

ネット記事と紙の記事は別だと考えているメディアは良いが、すべて紙を優先しているメディアは、本末転倒だと思う

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iBookで本を読む

KDPの本(この本です)を献本いただいたので、さっそく読もうと思った。
この本です→FOLIO(フォリオ) vol.2 (FOLIO:人生を「バランスシート思考」するメディア

Kindleタブレットを持っていないので、PCで読もうとしたが、日本のアマゾンは「kindle for PC, amazon cloud reader」を使えない。タブレットを売るためだろう。

手持ちのiPodtouchで読むために、iTunesとiPodtouchを接続して、Kindle for iPhoneを入れて読もうとしたけど、なぜがファイルを認識しなかった。
iTunes経由でiBookを入れたら、読めた。

画面は下のような感じだ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
まずは、本の表紙、、これはシンプルで良い。
紙の本のようにゴチャゴチャと書いても読めないし、読まないだろうと思った。

iBook_1

2ページ目に、目次があった。

縦長だと全体がわかる。
しかし、目次の2段目の小さな文字は読めない

iBook_2

横にすれば、何とか判読できるが、老眼鏡世代には2段目の小さなフォントは無理だろう。

iBook_3

本文
まあ読める。

一画面で表示できる範囲が小さい、つまり一覧性が無いので、じっくり考えるような複雑な文章だと、2〜3ページ戻って書かれた内容を再読する必要があり、これが面倒くさい。

じっくり読む、、そんな本には適さないと思った。

iBook_4

縦方向の画面だと、、、文章内容を把握するのが、横方向より困難だ。
人間の眼球は、目を横方向に動かして物を見るのは得意だが、縦方向に動かすのは適さない構造になっている。

映画やテレビ、PCのスクリーンが、横長であるのは、一度に把握する視野は横長になっている、という事だろうと思う。

iBook_5


とりあえずの感想は、iPodtouchでは、
3〜5分で読み終わる、
お気軽もの、
基本読み捨て・再読しない

そういうカテゴリーのプチ読書になるのだろう。

普通の読書するなら、タブレットが必要だ!
文庫本の見開きが一覧できてほしいと、私は思う。

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なお、人間の目は、50文字程度を同時に見ながら読書しているのだと思う。

同時に見える文字数が少なくなれば、何が書いてあるかの理解が、「遅く、浅く」なる

同時に把握できる文字数を変化させると以下のようになる。
少なくなると、何が書いてあるかが、ドンドンわからなくなる。

大きな画面にある程度多くの文字数が表示されている、そういう画面である方が、人間は認識理解が早く深くなるのだろう。
iPodtouch_6

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広告が、Broadcasting → Interactiveに移行する時

facebookの新型広告は、アマゾンや価格コムのユーザー評価が企業の広告と並列表示されるようなモノだ。

この新型広告の効果は、レバレッジの拡大という劇的な効果を生む。
良い製品に対する良い評価は、既存の「Broadcasting CM=一方通行」を何十倍も上回る販売増加をもたらすだろう。

FB ad


反面、平凡な商品の良い部分だけを強調して悪い部分を隠すような広告は、ユーザーの辛辣なコメントにさらされて「炎上」的な状況が生ずるリスクが高い。

広告が、Broadcasting → Interactiveに移行する時、企業の製品サービスとそのCMは「ユーザー・テスト」にさらされるのだ。

ユーザー・テストは、基本的には消費者には良いことだ。
平凡な製品を買わされる無駄遣いを防止できる。

企業には辛い時代が来る。
似たような平凡な製品サービスで生きている企業が多いからだ。

3分芸術の被害者

3分芸術の続きです。

ネット書籍と3分芸(術は外した方が良さそうだ)の被害者は、週刊誌、月刊誌、タブロイド誌、新書、という「これまで暇つぶしエンターテイメントの世界で生きてきたモノ」だろう。
これらは既に被害を被っており、足元では必死で生き残りを模索している状態だ。

週刊誌、月刊誌、タブロイド誌という被害者を通じて最もダメージを被るのは「編集長によるパッケージング」だと思う。
これまでの雑誌は、表表紙から裏表紙に至るまで何をどういう順序で配置するか、何をカラー刷り(コストをかける)にして、何は白黒にするか、人気作家、新人作家、売り出し中作家、広告、等をどこに配置するかなどに関して綿密な計算・作戦をたててパッケージングしていた。

しかしネットになれば、読者は一番読みたいものを真っ先に見る。3分経過したら他は読まずにポイする人もいるだろう。
そして、バラ売りや定額読み放題が増えてくれば、人気の上位作品だけが突出して読まれ、不人気作家やこれから売り出したい作家の作品は読まれることが少なくなる。
つまり下図のような変化が起こる。

3分芸


このような「Winner Takes All」的な変化は、製造業の世界では1990年代に始まり、現在では当然のビジネス条件になっている。
非製造業の世界が例外であるという希望は消えるだろう。

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3分芸術

ネット書籍が増える時、一番増えるのは「楽しい、面白い、暇つぶし」目的のエンターテイメント分野だろう。
ちょこっと開いた時間を過ごすためのモノだから、PCではなくスマホや小型で軽量のタブレットを使うだろう。

3分間程度で完結する「お手軽さ」が必要だと思う。
長編物を単純に分割するだけでは不十分だ。変な場所で分割すると、面白くない、続きを読もうと思わない、意味不明、という事態になるだろう。
漫画で4コマ漫画という分野があるように、3分小説、3分ブログ、3分*+*・・・いろいろ出てきそうで楽しみだ。

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Google & SNSs : 検索は格差を是正し、SNSは助長する

Googleなどの行う検索(Search)は一般的な検索可能なサイトに対する「検索の処理」を実行する。
検索バーに入れる言葉が同じであれば、A氏、B嬢、大人、子供、同じ回答が得られる。
Googleの目指す、「世界に蓄積された知識の有効活用によって世界を素晴らしく変えたい」という志は有名だ。

蓄積された知識がネット上に公開されているから、検索の対象になる。
老若男女にかかわらず、貧富の差に無関係に、同じ検索結果を提供する。
得られる情報が同じなので、向上心さえあれば努力によって知的格差、経済的格差を乗り越えるチャンスが広がっている。

SNS_1

SNSの世界は異なる。
SNSはお互いが仲間と認めた者同士が集まるクラブ組織のような「閉じた世界」だ。
そこに掲載させる内容はGoogleでは検索できない

おそらくSNSの世界は下図にような構成になっているだろう。
1:数多く存在する少人数のSNS、専門的な人で構成されるSNS、熱心なファンだけがつどうSNS
2:一般的な人々が多く集まるSNS、

2は、facebookやミクシー、LINEなど少数のプレイヤーが巨大なユーザー数を独占する形態に到達するだろう。
1は、存続可能な収入させあればOKという考え方で、無数に存在することになるだろうが、検索できないので存在すら知られぬままという状態になるだろう。

SNS_2

検索とSNSの関係だが、SNSのメンバーが見つけた情報をSNS内に持ちより、その情報を相互に評価するプロセスが進行する。

評価結果やプロセスは、インプットされた情報の取捨選択と解釈という付加価値であるが、それはSNS外には公開されない。
その付加価値が高いか低いか、有効か無駄かという議論はあるが、付加価値が蓄積された知識であったとしても、それが検索結果として、広く世界で共有されることはない

どのSNSに所属しているかで、得られる情報が異なるので、向上心や努力では乗り越えられない知的格差、経済的格差が存在することになる。

SNS_3

ネット上に存在する画面は、企業が広告を掲載する場所(広告スペース)だ。
広告業界、メディア業界は、「広告主のCMのターゲッティング配信」の向上に邁進してきた。

一般的な誰でも閲覧する画面よりも、SNSのように似た者同士が濃いつながりを構成している画面に広告を掲載するほうが、広告のインパクトは大きいだろう。
そしてSNS構成員の属性情報は基本的には変化しないので、それを有効活用できるような形で、ビジネスに結び付ける技術が向上すれば、SNSの広告スペースとしての価値は上昇する。

SNS_4

現在は、その属性情報活用の初期段階に過ぎないと、私は判断している。
プライバシーの問題はあるが、属性情報を一定のルールで提供することで得られる外部情報の価値も大きい。
各自が所属するSNSの定める属性情報の提供ルールを見て、それが嫌なら退会すれば良いのだ。
そういうことも含めて、大げさに言えば、どのSNSに所属するか、SNS内のどんな仲間と情報を共有できるか、これはまさにリアル世界の人付き合いと同じく重要な人生の決定になるかもしれない。

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MEDIA MAKERS : 田端信太郎 (後編) 

前篇からの続きです。

きちんと読まれる
読み手の心を動かす
世の中に対する影響力がある

この3点が継続する、、、
これはメディア・コンテンツが、ビジネスとして成立するための条件だ。

一定多数の読み手に届かなければ、読み手の心に届かなければ、、、作品ではあるが、メディア作品ではない。
誰にも読まれない小説、見せない日記、レス無しブログ、フォロワーの無いtwitter、これらは個人的な満足は満たすが、社会的には無価値だ。

ビジネスが成立するメディアは、金銭的な対価を堂々と請求する。
スポンサーは古き良き時代とは異なり、貴族、旦那衆など富裕なパトロンが主役の座を降り、大衆マネー、少額課金、チャリンチャリン・マネーが跋扈するようになっている。

富裕パトロンの個人的な目利き力によって選ばれた創作者は時代遅れになり、その他大勢の「いいね!」がワッショイするカリスマやアルファーの時代になった。

大衆芸能、庶民感情重視、軽薄短小、お気軽使い捨て、何と言われようが「顧客が殺傷与奪の権利を持つというルール」は、古き良き時代から変わっていない。

顧客向けて出荷するには、顧客の属性に合わせて、創作物はお化粧を施される。お化粧のノウハウやルールは、前篇に書いた通りだ。大衆向けのお化粧方法がわかっているから、「メディア企業が主導する”企画物”」が幅を利かせる。
古き良き時代は、富裕パトロンは個人的な物であり、「その旦那」に合わせる個別特注品だった。

出来合上がる作品が、古き良き時代は「多種多様、少々多品種」であったのに対し、現代は「統一規格の着せ替え人形」になっているのも、時代背景からして当然の結果である。
前者は庶民が見たり手にしたりする機会が非常に限定的であるが、後者はいつでも、どこでも、だれでも、視聴できる。

何が面白いか、楽しいか、受けそうか、、、この判断基準も顧客次第で変わる。
現代は、楽しい、充実した時間を過ごせる、といった消費文化とベクトルを同じくするものでなければ、メディア的な価値が無い。
今ココで金を払う(ボタンを押す、クリックする)ように背中を押されるコンテンツであるためのルールだ。
メディア企業は、そのルールを創作者に教育する役割を担っている。

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ここまで書いたようなルールからすれば、私のブログは「メディア的な傾向に背を向けたモノ」の範疇に分類される。
1:対価を受けない。
2:大衆ではなく、一部のグループだけを対象にする。
3:受けを狙った化粧をせず、「アンタが勉強して、これを理解できるようになれ!」と要求する
という「一種の顧客軽視」を貫いているからだ。

MEDIA MAKERSを読んで、自己認識した事は、「私のブログはストック型コンテンツだ」という再確認だ。
これまでも、過去のエントリーを改良、修正したり、新しいエントリーとの間にリンクを貼ったりして、ブログ全体が「一種のデータ・ベース」を構築するように、コツコツやっている。
MEDIA MAKERSに書かれているように、必要な時だけ利用する辞書のような位置づけなのだ。

特に、facebookと並立して書くようになってからは、鮮度重視のものはfacebookに書き、後から読み返しても価値があるものはブログに書く、という風に使い分けを自然とするようになった。

フロー型コンテンツが読まれる理由は、文化、趣味、生活、「joy」という分野で輝いているからだと思う。
ストック型コンテンツ、非鮮度重視のコンテンツであれば、ビジネス、欲望、経済、政治、出世、というドロドロとした世界で存在感を示すべきだろう。

MEDIA MAKERS : 田端信太郎 (前編) 

MEDIA MAKERS
11月10日、田端氏から献本を頂戴した。2回読んだら、感想文を書こうと決めた。
11月12日の前中に1回目を読み終えた。読み物としても面白いし、勉強本としても秀逸だと思った。

私は本を読むに際して、
1:線を引く、 2:付箋を貼る、 3:メモ出しする(単なる付箋以上に大事だと思うから)、 
4:自分に置き換えて、ポイント出しする(自分の人生に活用すべきだと思うから)
、、という行為をしている。
これらの行為は、おそらくはブログを書き始めた頃に自然と身についたと思う。

田端氏の処女作品を読むに当たり、2,3,4を計測した。
2:付箋 : 31枚  3:メモ出し: 14か所  4:ポイント出し:5項目
という結果になった。

一回目読了後に感じた事は・・・
私がブログを書き始め、その後本を3冊ほど書きながら、苦労をして回り道の時間を費やして、やっと体で感じた事が、「さらり」としかも「テンコ盛り」で書かれている。
この事自体が、メディア業界の一流人”田端信太郎”という証明だと思う。
読み物としても面白いし、勉強本としても秀逸だ。
本の構成という面でも、さまざまな伏線、各章の「つかみと結論」までの流れ、、、これから本を書こうと志すメディア人候補生にも参考になる。
・・・であった。 
Media Makers_1

11月14日、2回目を読み終えた
間髪を置かずに読んだので、2回目は1回目の1/4程度の時間で読了。付箋の総枚数は偶然にも変わらなかったが、5枚ほどが剥がされて別の場所に貼られた。4点ほどポイント出しが増えた。

さて、読むだけは終わった。これから、感想文+書評+自分の考え方、という文章を創造する作業を始めるのだが、これには時間がかかる。
重要文章のコピペ+軽妙な感想、これだけなら〜6時間の作業だろう。しかし、「ポイント出し」した項目を熟慮し、色々調べて自分の考え方に組み替えて図や文章化する創造作業には数日を要するのだ。

Media Makers_2

勝手サマリー + 感想みたいなもの

 メディア経由で流通する情報や記事に、あなたがどのような解釈を加え、どのように反応するか、あなたの人生に大きな影響を与える。玉石入り乱れた情報の洪水の中、情報をうまく取り扱えれば良い人生を過ごせる。そのためにも、この本を読んでメディアをつくり情報を発信する側のことを理解することは有用だ。

 メディアはタレントを発掘して大衆のアッテンションを動員することができる。それが更なるタレント候補のモチベーションを高める。メディア人は目利き力を持っていると自負しているゆえに、上から目線的な言動をするが、職業としてメディア・ビジネスをする限り上から目線態度は必要だ。

 どんなに素晴らしい内容でも、メディアを通じて世に知らしめられなければ、この世に存在しなと同義語だ。メディア度が高いとは、いかに大衆に読まれる・見られるかということだ。

 メディアの役割は、様々な情報を観察して、それに正しい評価を付与して大衆に知らしめることだ。正しい評価をバブリッシュすること(=メディアの評価機能)はメディアに与えられた社会的組織的な責務である。

 同様に、メディアはここに注目しましょうという「提案機能」を持っている。メディア希望者が憧れるブーム・メーカーというメディアが持つ魔力であるが、エセ目利き、独りよがりと隣り合わせだ。

 カリスマ・メディアは、予言や提言したことが、大衆を動員する魔力を通じて、自分の予言と提案を実現することができる。予言の自己実現は、消費者分野において特に力を発揮する。なぜなら90%の大衆は、カリスマ・メディアの言動を素直に受け入れるからだ。

 ビジネスとしてのメディアは、消費者に対して、今ここで、「金を払って読む、見る、聞く」べきだと思わせる事で成立している。(プライオリティの強制力
 鮮度が勝負ではない「ストック型コンテンツ」であっても、「今ここファクター=プライオリティの強制力」を付与して消費者のアテンションを高めることが重要だ。

 ネットの隆盛が、高品質のリニア型メディア(例:長編小説)の許容度を低め、「サビだけつまみ食い」的な刹那刺激型メディアを氾濫させた。
 背景は現在のIT環境、生活環境がもたらした現代人の生活環境の変化なので、プロのメディア人は文句を言わず対応するしかない。

 メディア・コンテンツは、それが「どんな人=視聴者属性」をターゲットにするかを明確にイメージしなければならない。広告をゲットするには、広告主のターゲットとコンテンツのターゲットが一致する必要があるからだ。

 メディア・ビジネスの収入増加には、
1:「刹那刺激型、フロー型」と、
2:検索から流入する「資産型、ストック型」
のバランスが重要だ。
 稼げるメディアになれば、「編集の自由、編集権の独立」も容易に達成できる。

 メディアがブランド性を持たなければ、その他大勢のメディアと十把一からげで「安売り競争」に巻き込まれて、「自由と独立」が得られない。
 ブランド化のためには顧客ターゲットを明確にして、コンテンツ製作者へのリスペクトを醸成しなければならない。このリスペクト
は説明不能な定性的なものであり、一定の上から目線と表裏一体だ。
 現代日本では、メディア製作者に対するの「畏怖の念、尊敬の念」を備えたメディアが欠如している。
 「畏怖の念、尊敬の念」を得るには、メディア編集者が「俺はこう思う」と熱き思いを発信し続け、読者の共感を得続けなければならない。

 メディアの中立性が犯され、特定企業のヨイショ記事を掲載する地位に陥ることは避けたい。
 
 企業が自分の情報発信サイトを持つことは当たり前になった。それは「Owned Media」であり、中立性とは別世界のヨイショ・ワールドだ。
 それゆえ「本来のメディア、Pure Media」では編集の高潔さを持ち、読者からの信頼性を保持しなければならない。それは関わる人間の気構えや自負、プライドによって維持される壊れやすいものである。

 ネットの検索に引っかかって読んでもらうためには、内容と多少違っていても、検索対応(SEO:Serch Engine Optimization)をしなければ、読んでもらえず埋もれるコンテンツになる。
 情緒がなくなり、文章の質が低下し嘆かわしいと文句を言わずに、SEO対応するのがプロのメディア人だ。

 ネットの隆盛が個人型メディアを飛躍させている。しかし、メディア的な成功のためには、認知されるレベル・アップが必須だ。
 高いレベルの認知度は、コンテンツ製作者個人に対する信頼、そして彼、彼女の影響力に対する評価に比例する。

=== 後編へ続く ===
後編は、少し考えたことを私なりの言葉で書いてみます。

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