東北関東大震災

芋虫、毛虫は、どこへ行ったの?

クチナシが満開です。。。というか最盛期を終えつつあります。

今年の庭には不思議なことが起こっています。
例年悩まされる芋虫、毛虫がめっきり姿を見せないのです。

もしかして、まさか、まさか、例年の5倍〜10倍の放射線が降り注いでいる関東地方です。
人間には「にわかには問題は無い」としても、体重が数千分の一〜数万分の一の毛虫や芋虫には、致死量を超えているのでしょうか????

毛虫や芋虫の声が聞こえないので、私にはわかりません。
何となく、口にするモノには今年一杯は可能な限り注意しよう、避けられるなら避けようと感じています。
芋虫、毛虫の知らせ = 虫の知らせ ・・・ かもしれないので

クチナシ_20110702

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記録 : メディアのトーンは変わった

メディアの論調は風見鶏のように変わる。
情報が錯綜して、何が真実かが不明確な時は、ある程度は仕方が無い

( 下は、5月25日の日経新聞 )
福島第一_20110525

1

あの時は? (5) 政治状況 1995年〜

前回は、1990年年代前半は、日本政治の1955年体制が終焉を迎えた「政治の屈折点」であったと同時に、経済成長トレンドが大幅に劣化した「経済の屈折点」でもあったと述べた。

名目GDP_20110521

細川、羽田の非自民政権のあとに成立した村山内閣前期村山内閣:1994年6月30日〜1995年8月8日)は、自民党が与党の座に返り咲いた連立政権だ。
村山首相(社会党)の誕生は、純粋な非自民政治家の首相就任と言う意味で、エポック・メイキングではあったが、連立与党の中心は自民党であり、95年7月の総選挙で社会党が議席を減らして以降は、短期間の村山改造内閣(後期村山内閣:1995年8月8日〜1996年1月11日)を経て、与党の中心であった自民党政権(橋本内閣)へのバトンタッチへと進んでいった。
なお、前期村山政権の時に、阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が起こった。

経済の混迷は、政党の集散離合の時代を生んだ。
野党は小党が乱立し、自問党は派閥が瓦解へ向かい、新党へ参加するグループが事態が増加した。この傾向は今日まで続いている

下図に記載したように、中曽根、宮沢、橋本、小泉を除いては、1990年以降の首相は短期間でコロコロ変わる時代になった。(小渕氏は病気がなければ長期政権の可能性があった)

表中で、自民党の介在しない政権は、細川、羽田、鳩山、菅の4政権である

GDP_政治

バブル崩壊以後、国民は変化を求めたが、それは弱い変化を求めていただけだった。
日本の地位はまだ高く、「アジアの中心として雁行発展の先頭を牽引する」と言う証券のレポートが多くみられた。
しかし、先頭となってリーダーシップを発揮すべく行動するというよりは、日本の特殊性を強調して、「世界標準を採用するべきではない、日本には日本のやり方がある、アジアに妥協すべきではない」という「変わりたくない日本」が前面に出ていた。

その間に、アジアの経済的なキャッチアップはスピードを増し、日本から脱出する工場の増加と言う恩恵に浴した。特に、中国では1992年のトウ小平の南巡講話以降に、改革開放路線が加速し、経済特区の優遇税制を活用した「外資企業の工場誘致」が急増した。輸出だけでなく、13億人の内需を目当てにできるために、直接投資で多額の資本を持ち込む外資系企業が増加していった。
1億人の日本から、13億人の中国へと世界の目が変わった節目だったと言えよう。

日本国内の小売店では、1995年を境に、中国製品のシェアが急拡大を始めた。
それは、デフレ経済の定着を促進する効果(心理面+実態経済面)となった。

1990年〜1995年の間に「変身できなかった日本」は、「ゆっくりと縮小する日本」になっっていった。経済劣化のスピードがユックリであり、変化(=リスク・テイク)によって失うモノも多かったので変化する必要性を感じる度合いが小さかった。( いわゆるユデガエル状態 )

現在振り返って思考して思うことは・・・・・阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件の起こった1995年は、「経済的な二流国家へ向かうか、リスク・テイクで復活するかの分水嶺」に位置していた年であった。・・・・ということだ。

「二つの事件が無ければ、リスク・テイク&復活していた。しかし、不幸にも二つの事件が・・・」という不幸なめぐりあわせの日本だと言う人もいるが、そんなタラレバは何の慰めにもならない


( 下記表は、ウィキペディアより )
菅内閣_20110517

〜〜〜 続く 〜〜〜

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あの時は? (4)政治状況の振り返り 1988年〜1994年

「バブル期〜その後」の日本の政治状況を振り返ってみる

リクルート事件に揺れ、消費税を導入(1988年)した竹下内閣(〜1989年6月3日)
これを最後に、強力な自民党政権は終わった

この後は宇野海部宮沢とバブル崩壊に対応できない混迷政権が続いた。

1955年体制の最後の自民党政権となった宮沢政権は内閣不信任案を可決され、衆議院解散に打って出たが、1993年7月の総選挙で過半数割れを喫した。

そして、非自民細川政権が誕生した。細川政権は非自民8党連立であり、首班指名において小沢一郎が「中央政権で実力を持っていない細川」を決めたと言われている。
細川政権は、消費税を増税(3%=>7%)して国民福祉税と改名して、全額を年金医療に充当するという構想(小沢氏の画策と噂されていた)を唐突に表明したが、根回し不足で、それを機に政権は弱体化し、羽田内閣へと変わった。

羽田政権は、成立直後に「社会党 VS その他与党」の争いが顕在化し、社会党が連立から離脱したために少数与党政権となり、64日間幕を閉じた。( 社会党=現社民党、、よく離脱する党かもしれない )

( 下記表は、ウィキペディアより )
村山内閣_20110517

非自民
政権(93年8月9日〜94年6月30日:2政権合計で1年未満)は、一旦ここで終わった。
野党の冷や飯を否と決意した自民党は連立方針で政権に復帰した。これが、1994年6月に成立した村山内閣だった。

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阪神淡路大震災
を迎えるまでのバブル崩壊初期(1990年〜1994年)の5年間は、株価と経済と政治が混迷を始めた5年間だった。。。と、私は評価している。

下図を見れば、
(1)1992年頃から名目GDPの伸びが鈍化を始めた。
(2)その後、伸び率が低下するだけにとどまらず、伸びが消え

。。。という、経済の急停止が起こったことが分かる。

名目GDP_TOPIX_20110517_2

〜〜〜 続く 〜〜〜

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あの時は? (3)谷深ければ、山高くなるか?

地震 + 事件・事故 ・・・ この組み合わせは社会を何かに向かって突き動かす触媒としては強力だ

1995年の「阪神淡路大震災+地下鉄サリン事件」
2011年の「東日本大震災+福島原発事故」
(1)地震は、直接的に経済的な損失を即座に発生させる。ジワジワと間接被害も広がる
(2)事件や事故は、人心を沈ませると同時に、人々に考えを巡らせる時間を与える。考えを巡らせると普通の人は慎重になる


そして、(1)+(2)の影響力は2011年の方が大きい
悪影響が先に顕在化して、その後に改善復活の希望が来る
株も、まずは下がって、その後に反発する

2011年は1995年よりもダメージが大きいのだが、、、、
谷深ければ、山高し、、、になるか?
そんなに単純じゃない

地震発生日以降の日経平均 (上段:1995年、下段:2011年)

1995年は、首都圏で停電が発生しなかったし、代替不能な製造拠点が今回のように多くなかった。
しかし、株価は地震発生の前営業日1月13日(19331.17円)からボトム7月3日(14485.41円)まで、約半年もかかって、▼4845.76円▼25%の暴落を記録した。

今回は、終値ベースでは、3月10日:10434.38円〜3月15日:8605.15円
ほんの3営業日で、▼1829.23円 ▼17.5%でリバウンドに入っている

株_20110519

地震発生日以降の為替 ( 上段:1995年、下段:2011年 )
1995年は、第一期クリントン政権が、1996年の大統領選挙での再選を目指して、国内製造業の指示を得ようとルービン財務長官と組んで強力なドル安政策を遂行していた。
終値ベースで、1月16日:98.42円〜4月18日:80.63円と、日本経済は、▼17.79円、▼18%の円高を被った。

今回は、リスク回避=円高というパブロフの犬的反応で70円台に突入したが、協調介入があり、一旦の反発をしているが、どうこう言うような評価ができない状態だと思う
( 参考:3月17日リスク回避 = ポジション縮小 = ドル経由レバレッジの縮小 = ドル安 )

為替_20110519

株も為替も、1995年とは随分異なっている。
ファンダメンタルの潮流を見極めることが、重大イベントの場合は肝要だ。。。。と思い知らされる

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阪神淡路大震災で受けた経済的側面だが、港湾被害は代替港(大阪、名古屋など)が使えた。
今回の北関東〜東北に分布する製造拠点工場の場合は代替性が非常に低く、当該工場の再開までに生じる経済的空白は想像を越えた。

3月20日に発生した地下鉄サリン事件によって生じた「社会不安」は、5月16日に麻原彰晃が逮捕されると縮小した。
震災と同時に発生した東京電力福島第一原発事故は、麻原逮捕というような「終末点」が短期かつ明確に起こる確率が小さい。社会不安は1995年より長期化する。

為替のダメージは、1995年よりも小さくて済みそうな期待がある。
業績に対する影響は、今回の方が大きい、、、が、心機一転&効率化して復活の期待はある
需給は、PKOの有無なども含めて、今回は悪い
工場再開のニュースで期待が高まるのは理解できるが、
ここからすんなりと上昇するとは思えない
ジグザグ相場が長期化するように思う。


単なるチャートだが、震災後の日経平均の動きを見ていて、どこかで見た形だと感じた
これに似ている
Black Monday_20110519_1

上は、その後こんな推移だった
Black Monday_20110519_2

NYダウのチャートです
Black Monday_20110519_3

1987年10月19日のBlack Monday後のNYダウです。
元に戻るのに、2年弱が必要でした

〜〜〜 続く 〜〜〜

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あの時は? (2)カンフルで復活した1995年後半、、、2011年も!?

1995年の相場は夏を境に大いに盛り返した。
震災をバネに日本は大復活すると意気込まれた。

当時の様子は、チャートを含めて
3月13日:阪神大震災の後のことを思い出して・・・・ +東京電力
3月29日:オイテケボリ : 阪神淡路大震災の時は?

に書いていますにでご覧ください。


夏を境に、金融緩和+円安という組み合わせが生まれたことに反応し、96年6月まで上昇商場が続いた。
安値:95年7月3日:14485.41
高値:96年6月26日:22666.80
上昇率:+56.48%

当時は、これで90年初からの長期弱気相場は終わった、新ブル相場が始まった、という証券のレポートが舞い上がった、、、そんな雰囲気だった。
90年以降、構造論で弱気をぶっていた論者はメタメタになった。

1.割高なPER、
2.構造的な企業の水ぶくれ体質、
3.政府規制が無ければ競争力がない
4.新規参入企業を生かさない、認めない、業界談合、官公庁の根拠なき規制

などは、問題にならない、日本は特殊な存在であり、世界標準など採用する必要はないと主張する「旧主派」は勝利宣言した感があった。

私の記憶では、
旧主派は、循環要因 > 構造要因 と判断し、
弱気論者は、構造要因 > 循環要因 と判断していた

nky_20110518

しかし、問題は解決しておらず、96年夏以降は山一証券自主廃業をハイライトとする金融危機に向かってジリ安へと向かった。


2011年だが、6月以降に金融緩和+円安という組み合わせが生まれるだろうか?
これが最大の相場の上下を決める要因であることは、当時も今も変わらないと思う。

為替予想は、まさに百家争鳴状態だ。
1ドル=1000円もという円安派
1ドル=50円という円高派

為替は予測困難なのであまり決めつけない柔軟&手の平をいつでも返せる態度で過ごそうと思

なお、1995年にあって、2011年に無いもの
PKO(Price Keeping Operationと揶揄された )
いわゆる当局の意向を酌んだ(公的年金と言われる)株の買い出動
これが株価を急落させずにジワジワと長期間にわたって下げるトレンドを作った可能性がある。

当時買った株は現在では含み損だ。
年金資金が買ってくれたので、売り抜けられた人も多いハズ

〜〜〜 続く 〜〜〜

コメントは、5月21日から、こちらに集約されます。

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あの時は? (1)歴史の再現性は皮肉なもの?

5月14日に、ひとつの感覚が頭をよぎった。
「あれっ? この相場に漂うダレダレ感は、どこかで経験したぞ。。。。あっ、そうだ、この感覚は、1995年から1997年にかけて継続した"日本株独歩安相場"」で感じた焦りと怒りと空虚感だ、、、と自覚した。
( この瞬間は、1995年に今年2011年同様に大震災があったことは、頭から吹っ飛んでいた )

我に返って、、そりゃ似ていて当然だ、どっちも地震+事件があったのだから・・・と思った。
そこで、当時の事を思い出したり、調べたりしようと決めた。

過去記事を見返すと、
3月13日:
阪神大震災の後のことを思い出して・・・・ +東京電力
3月29日:オイテケボリ : 阪神淡路大震災の時は?
と、2回も1995年のことを書いている。

今回は、95年だけでなく、その前後も含めて回顧して、現在〜2013年頃までの予測に役立ててみたい

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1995年1月の阪神淡路大震災
3月の地下鉄サリン事件の組み合わせは、触媒だったと思う。
重要な変化はそれ以前から始まっていたが、1994年までは遅々として進まずというスロー・ペースだった。
しかし震災と事件をきっかけに、人々が心の内に押し込めていた焦りと怒りと空虚感が堪忍袋の緒が切れたかのように噴出して、変化のスピードを加速させたと思う。
日本社会の中心に不動の地位を確立していた多種多様な既存秩序がジンワリと外堀から変化を始めた感覚を覚えたのが当時だった。
そして、この二つの事件の前に生まれて事件発生後に消えたのが、村山内閣だった。政治も動いていたのだ。

2011年の東日本大震災と福島原発事故の組み合わせも、社会変化を引き起こす触媒として機能すると思う。歴史の再現性を考えると、地震と原発事故が現在の民主党政権を崩壊させるかもしれない。そして既存秩序の変化の第二フェーズになるのだと感じている。

〜〜〜 続く 〜〜〜

コメントはfacebookへも書けます
5月21日からのコメント記入は、facebookに統一されます

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記録:福島第一原発 初日にメルトダウン

代表として朝日新聞の記事を記録しておこうと思う。
先日の東電救済法案のリーク記事を見ていて、もしかしたら優先的に情報を入手できる立場にあるかもしれないと感じる( オリジナル記事は、こちらです)

原子炉は、配管モンスターであり、配管接続部は高熱と振動に対して完璧ではない。
( 参考過去記事:福島第一原発事故から学んだこと : 原子炉は穴だらけ )
ここが破断したことを推定できるにもかかわらず、2ヶ月間も否定し続けていたが、ようやく認めた感がある
メルト・ダウン_20110517


なお、1号機に関しては、作業員の勘違い&ミスが事故を起こした「
スリーマイル島原発事故を想起させる。数か月後に何か追加情報が出てくるかもしれない。
( 下記は、NHK報道、オリジナルはこちら )

メルト・ダウン_20110517_2

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福島第一原発事故の賠償スキームが5月3日にリークされた後

5月3日に東京電力の原発事故の損害賠償に関する朝日新聞のスクープ記事が出ました。
朝日新聞が5月2日にスクープ(下記コピペ参照)したものです。

他メディアを出し抜いてスクープしたので、他のメディアは焦ったと思います。
日経新聞は、5月4日、5月7日にフォロー記事を掲載しています。

このようなリーク記事は一般的には、「重要事項の正式決定の前に、世間の反応をチェックしたい」時になされます。
チェック=国民の不満の事前ガス抜き、でもあります
誰にリークするかも事前に検討して、コントロールされたリークになります。

原発保障_朝日新聞_20110503_2


原発保障_朝日新聞_20110503

今回の原発事故の被害総額は莫大です。
しかも現在進行形で、被害額が増え続けています。
事故の終息の予測が困難な状況なので、被害額がどこまで増えるかも予測できません

したがって、スキームの決定にあたっては、
1.被害の賠償が最後まで実行可能であること
2.企業の社会的な責任がまっとうされること
3.国も責任を認めているので、損害賠償スキームに国がシッカリ関与すること
4.東電以外の将来事故に関しても損害賠償の前例となるよう国民が納得するスキームであること
などの事前チェックが欠かせません。

今も正式決定に向けて、試行錯誤がなされているのだと思います

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なお、8日に海江田万里経済産業相は、東電管内の電気料金が値上がりするが、原発停止に伴って火力発電に切り替えることによるコスト増が原因だと述べ、朝日のリーク記事に沿った方針を公表した

フォローアップ : 敷地の高さ(海抜:何m?)が命運を分けた

敷地の高さ(海抜:何m?)が命運を分けたのフォローアップ情報

5月5日の中日新聞記事(オリジナルはこちら
25mも土地を低くする工事をした。
大規模工事だから費用も大きかっただろう。

決定には様々な要因が考慮されただろう。
優先順位が付けられただろう。
津波の優先順位は低かっただろう。

福島第一津波軽視_中日新聞_20110505

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