明治維新以降を振り返ってみれば、万年金欠病の日本政府という姿が浮かび上がる。
明治から平成を6個に区分して時代背景などを説明する。

 〔声0歐掘粗清戦争
明治維新は成ったが、新政府には金が無かった。
近代化、富国強兵を目指して大量の近代的な製造業を発展させるべく、輸入が必要だった。
明治10年の西南戦争で、国家予算に匹敵する金を使ってしまった。
経常収支は、ずーっと赤字で、支払いの為に、金(世界平均より、金が銀より割安に設定されていた)が大量に流出した。

下関条約(日清戦争後)〜1932年金解禁停止(金本位制離脱)
日清戦争後に清国から得た賠償金、賠償金2億テール(当時の日本の国家予算の4倍強)を得て、財政が安定し、金本位制を実施し、為替は安定期へ
その後の日露戦争で賠償金が取れなかった(ポーツマス条約)ので、15億円の借金を抱えて日本経済は破綻寸前に陥った。
その後の第一次世界大戦では、大きな棚ボタ特需を得た。15億の借金国が、20億円の債権国になった。まさに、ラッキーで地獄から天国に変わった。
この時代は、$=約2.03で安定していた。

しかし、この時代の終盤は、次のの不幸な時代の原因を作っていたフェイズでもあった。
それは、・・・・第一次世界停戦後の反動不況1920年(戦後恐慌)、原敬(1921年暗殺)、加藤高明(1926年病死)らの有力政治家の死去、関東大震災1923年という不幸、昭和金融恐慌1927年(鈴木商店倒産、台湾銀行休業)、米国株式暴落(暗黒の木曜日)の影響による世界不況の始まりと同時になされた金解禁(異常事態が発生したので撤回すべき政策だった)、その後の昭和恐慌1930年、・・・・という不幸な流れだ。 

  1932年金解禁停止(金本位制離脱) 〜 終戦(1945年8月)
金解禁停止1931年後に顕著になった軍部の暴走の時代だった。
満州事変1931年、第一次上海事変1932年、515事件1932年、国際連盟脱退1933年、二二六事件1936年、盧溝橋事件1937年、第二次上海事変1937年、日独伊三国軍事同盟1940年、日米開戦1941年という推移であった。

戦争の費用は、最終的には、国債の日銀引き受けになっていった。

円の歴史_10

ぁ\鏝紊離魯ぅ僉次Εぅ鵐侫豐 
戦後、日本本土では、
1:喪失した海外領土からの帰国者(引揚者
2:海外に進出した日本兵の帰還(復員兵)約350万人
3:破壊された生産設備
という状態で、物の生産が乏しい中、それを必要とする人間だけが激増した。

加えるに、兵役終了者への退職金支払、戦時債券(軍事物資の生産者への支払)の未払い金を一気にお札を印刷して支払ったために、市中はお札でジャブジャブになった。
その資金が、乏しい物資(=値上がりが目に見えている物資)の買い占めに流れ込んで、ハイパー・インフレを引き起こした。ハイパー・インフレ=通貨の暴落である。 

1947年にUSの対日政策が、非軍事化&民主化から、日本経済の復興&自立を支援する方向転換をした事を契機に、貿易の民間への開放 (貿易決済は政府が一括管理の政府間貿易の形式になっていた) と円の交換性の回復が計画された。
ドッジ経済顧問による緊縮政策1949年3月(ドッジ・ライン)によるインフレ退治と同時に、商品別複数為替レートから$=360円という一本固定レートに移行(1949年4月)した。

この期間は、$=約10円が、$=360円に円が暴落した時代だった。
なお、新円に切り替え後にほとんどの暴落が発生している。
その辺の事情は、後篇で書きたい。

ァ 陝瓧械僑葦濟代
朝鮮戦争1950年〜1953年、を経て、米ソ冷戦時代になり、 アメリカの軍事力とドルの力(=パクス・アメリカーナ)の下で、西側の一員として日本が固定為替レートをエンジョイした時代だった。 

Α.縫ソンショック〜現在
冷戦、ベトナム戦争など、覇権維持のコストに耐えられなくなったアメリカが、金1オンス=$35の金とドルの交換性を放棄(ニクソン・ショック、1971年)してから、現代にいたる時代である。
プラザ合意1985年、ルーブル合意1987年を経て、USドルが「日本のインフレ率<USのインフレ率」を反映して持続的に下落する時代である。


== 後篇に続く ===

関連する過去記事
73年間で、物価が「4000倍」になった日本 (1)前篇
旧円 → 新円 → B円 → 新円
温故知新 : ドルと円の歴史(2011年9月加筆版)(1)

facebookコメントヘ