岡山健二のBlog

岡山健二のブログ

2019年04月

僕はドラマーだと思われてるけど、
あまり叩かない日もあるし、
ドラムのことを考えたりしない日もよくある。

しかし、今日はよく考えた、
ほうだと思う。

ドラムを叩くと頭が悪くなるという話を聞いたことがある。

あまり信じたくない話だ。

そんな僕は、つい先日使ってないドラムや、その他の楽器をたくさん売った。

思い出もあるにはあるが、でも、昔ほど過去にはとらわれてないんですよ、僕は。

たぶん。


本棚も整理してたら、「あぁ、こんなの書いたな」というメモ書きが出てきたから、載せておきます。

今の心境とは違うけど、この時は本当にそう思ってたんだな、とか、直したい場所もたくさんあるけど、どれか1つでも直すと、その時の自分を否定する気がして、直さないの、と言っていた女流作家のことを思い出したりしながら。

2つ載せるけど、1つ目は、以前もこのblogに書いた気もする。最近よく覚えてない。




「祭りの途中で」


祭りの途中で降ってきた雨
みんなは近くのガストの
駐車場に集まって雨やどり
そこで交わされる
様々な会話や動作を眺めてるうちに僕は
とても落ち着いた心持ちになっていた

僕の田舎は遠く離れた
場所にあるのだけど
「あぁ、ここにもあったんだ」
と思った

距離なんてものは
大した問題ではなくって
あの歌のように 過去と今をつなぐ
何か大きな もしくは 小さな
力があるように思う

まだたいこの音は鳴り続けている

何処にいても 何才になっても
僕の感じている
そがい感や違和感は
なくならないものなんだなぁ




「いつでも反対」


CDをよく買う。
2011年頃から2018年の春夏くらいまではレコードばかりだったが、
最近は、ネコもシャクシもレコード、レコードで、自分が買い出した2011年頃とは状況が全然違う。

当時は、今よりもずっとマイノリティ(少数派)のものだったと思うし、実際お店に行って、レコードをぶっしょくするのは、何か、すごく孤独な作業だったように思う。

まあ、今にして思えば、当時はジシンの直後で、みんなの関心が音楽にそんなに向けられてなかったような気もする。

いや、向けられていたかもしれないけど、それはレコードやCDとかの物ではなく、歌そのものだったのかも。

こんなエラそうなこと言っても、僕もレコードをずっと集めてる人たちに比べたら、ほんのペーペーみたいなもんで、知識だって、それほどない。
しかし、けっこう熱中した。(もちろん今もだが)

今年の夏(2018年)に、服やレコードや本を大量に売ったのだけど、もう聞かないというか、所有してなくてもいいなと思ったレコードをダンボールにつめたら、割と大きめのに7.8個。

すっかり玄関がふさがってしまった。





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・ある日


朝の空気
いつも大事なことは
意外とすぐそばにあって
気が付かないだけだと
昨日テレビで言ってた
僕は少し冷めたコーヒーを
飲みながら
いろんな人に連絡を返して
CDコンポでは
ゴンチチが音楽を奏でている
今日は昨日より
ていねいに生きてみよう



・ある日


マイケル・フランクスが流れる
駅前のドトールで
今宵のナイロンギターの集い
のことを考えていた
最近はこの寒さのせいか
気付いたらシセイの悪くなっている
自分を見つけては
あぁ たしかに こんなに傾いた
角度でいると日々考えることも
クッセツしていくよな
とか思ったり
でも 本当は別に自分は
全然変わってなんかいなくて
世のふうちょうとか そういった
もののせいでアーティストたちは
肩身のせまい思いをしてるんじゃ
ないだろうか? とか考えたりした
店内では80年代AORが
入れ替わりたちかわり流れ続けている

ところで最近の僕の
しんじょうは
数字は信じない
電子画面は信じない
広い空間と 自分の耳と
アートを信じる
といったところです
それでは よろしくお願い
いたします



・ある日


夜になると
過ぎた日のことを
想う
僕はとても寒い
田舎町から
東京に出た
僕の過去の大半は
その田舎町のものだし
東京に出てからの
思い出と
田舎町での思い出では
やはり
物事の質
というものが
違うのである



・ある日


想いは言葉にしたとたん
変わってしまう
少なくとも時差0.5秒くらいは
あるだろう
それでも 何か言ってみよう
と思う









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