2004年10月19日

中立の大事さ

今日、時間があったので、久々にテレビを見ました。

コメンテーターの方が、ハムスターにかまれてアレルギーにより命を
落としてしまったことに関連して、アレルギーというものを怖がるのではなく
それを知ることによってペットとはこういう付き合いはできるのだということを
知識として得て、そういうものと共存していくことを考えていくことが大事と
おっしゃっていました。人は、恐怖やいいもの、悪いものに対して敏感に
反応してしまいますが、本当にコメンテーターの方は公平な意見を言って
くれていたなーと思いました。

最近戦争関連の記事を見て思うことなのですが、戦争は、お互いが、
自分は正しいとする考えにより起きているなーということを痛感しています。

正しいものが正しいものとしてあるために、正しいものであるはずのものが
そうではなくなってしまうことが多く起きています。「正当性」というものです。
やっていることは正しいことであっても、その「正当性」というものに取りつか
れてしまうと公平な見方を失い、これはいったい何のためにしていることなのか
という大義が失われてしまいます。

本当の意味で正しいものって何なのでしょう。それはやはり、どのような人、
どのような考え方、どのような価値観に対しても公平であるということが
大切なのだと思います。そうならないものに関してもどれだけその公平な
考えに近づけるかを考えていくことが必要だと思います。

その意味では、いい、悪い、中立には意味があるということをしっかりと
考えなくてはならないと思います。そして、そこに、これらがどのようにしたら
「共存」できるのかを考えていく視点がもっとも大切だと思います。

まとまらなくても、そのことをやめてしまったらいいものも悪いものも
何のために存在しているかの意味を失ってしまうのです。

夫婦、自分、他の人となど、どんな立場や価値観のものとも共存していく
考え方、それが、人の和を考えていくにはいろんな意味で大切だなーと
痛感しています。自分自身の中にあるものが、自分の今のあり方や考えと
状況と「共存」ができなくなったときに行動や思考が止まってしまう気がします。

争いは、悪しきものを断つことから始まります。そこには正しいものが存在
しています。それは価値観というものです。正しいとされるものが負けた段階で、
自分の正義が崩れたときそれは怒りにかわります。悪くないものを悪いものへと
かえてしまうのです。このことはどんな正義を持っていても理由になりません。
相手ではなく、自分に負けたのです。悪しきものを悪しきものと決めず、
悪しきもので終わらせないために、たくさんの知識や経験を積む必要があるなー
思います。良いを得てその先にいい悪いの中間が生まれて、公平にものを
見ることができるようになるのだと思います。

これからも、悪しきもの、いいものでなく、そのものの本当の姿を見つづけて
いこうと思います。

それは違いと言い換えることも出来ます。人それぞれが持つ違いを大切に
できなければ、そこには排他的な考えが生じることになります。それが自由
というものではないでしょうか。真剣に相手との違いを知ることで、同じ人間
であるということを理解できそうです。そして、共存ができるのだと思います。
見方が偏らないように気をつけていこうと思います。

それから余談ですが、スポーツジャーナリストの二宮清純さんという方のコメントは
とてもためになりました。初めてこの方を知ったので、ちょっとこれから調べてみようと
思います。この方に、今ちょっと注目です。



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