岡津幼稚園 おやじの会 活動報告

岡津幼稚園の「おやじの会」の活動報告です。 オヤジたちが、自分のため、子どものため、ちょっとだけ幼稚園のために奮闘中

皆さんへ


1人のおやじとして

卒園式で園児より、先生より、どの保護者より、幼稚園を去る事に1番寂しい想いをしていたのは私です。


「もっと幼稚園にいたいなぁ」

「もっとおやじと遊びたかった」

「こんな事もやりたかった」


おやじの会のリーダーをやっていると、周りからは子煩悩で教育熱心なおやじだと見られることもありますが、私は良い父親でも夫でもありません。

土日は必ず仕事で、仕事が休みの日は趣味の釣りや畑に出かけます。子どもと遊ぶ時間は皆さんの半分も無いかもしれません。

理想のおやじ像をドラマや本で見たりするけど、どこか別世界のはなし。

そんなダメおやじが、妻からの強制でおやじの会に入会し、他のおやじの家族への接し方や子どもとの遊び方を見聞きして違う世界を肌で感じ、少し考え方が変化しました。


ほんの少しだけ。


これじゃいけないという気持ちが芽生えました。

私の価値観や考え方に風穴を空けてくれた全てのメンバー、こうじ先生に感謝します。


◆おやじの会リーダーとして

リーダーとしての責務は果たせただろうか。

みんな楽しかっただろうか。

おやじのみんなどうだった?


◆次期おやじの会へ

「今まで何をやってきたか」では無く、「これから何をやりたいか」という考えで自分たちの道を歩んでください。

どの様なかたちであれ、そこにいるメンバーが楽しければ良いのです。


がんばるより、たのしもう。


2021317日 永瀧史朗

3566856A-E036-414A-91FA-EF956E87B44B
 

「となりのトトロ」


おやじの会と絵本たんけん隊の世界観で溢れています。

それに気づき、なんとも言えないほんわかした気持ちになり、2泊3日で4回視聴しました。


B1438422-19C2-4734-8675-70E2E322EE1C
E9E9650A-BBBD-4E29-8A13-B499C1E5D31E
92748B32-34B8-4406-B320-2980B2C970E7
77B20547-7B4F-4323-A7B2-09B96E7BB9AB
09DE1520-BA27-4EAD-A0A8-58FE6DC135E2
5A351503-C5D9-4A8B-81E4-2781A54350B3
9995AE7D-C956-4A70-90BE-B530CA1DDD00
E74D2B4B-8FFF-492A-AEAD-9C4298E1DE22
EB5AB96A-2C43-4F26-B0F4-5781D707FDBD
628828C5-96A2-41B0-A874-53BEB1C32076
DA4930C9-540F-472A-AB0F-71364C167A0B
E39CE034-0BF9-456C-921A-D1E888CC06BE
501E5F5E-98AC-44E3-8D3F-D1DF5BD14ED8
78D80CE1-1E3A-4E79-85D5-39680B8557B0
90BF5CE0-574F-414E-9A51-9A0655B9610D



京都オルタナティブスクールミーティング2020での意見交換。その内容が、『となりのトトロ』の世界観そのものだと思いました。


◆心理的安全性

・冒険できる、失敗できる、自分の中にあるものを出してもいい、無様でもいい。そんな、「安全安心な場」。


◆おもしろがる

・何かがあるからでなく、今の状況をおもしろがれるか。


◆既にある

・元々あるものに反応できる力。

・既にある。世界にはいろんなものがある。出会えてない、気づいていないだけ。自分で気づき、自分で選ぶ。

・自分のフィットする場を探す。探せる世の中。


◆手放す

・大人は学びの過程で枠を身につけていきがち。自由になっていく学びとは、どちらかというと身につけるというより手放していくという感覚。


◆補助線

・境界線に補助線を引く。

・不登校というレッテル(境界線)は、文脈を変えると、"自分の学びを自分でつくっている探究者"とも言える。

・境界線を引くのではなく、補助線を引く。


◆協働

・違いがあるから協働できる。


◆在り方、捉え方、生き方

・システム構成の前に、在り方、捉え方。

・システムの前に個がいる。

・システムをどうみて、どう生きるか。



加古里子さんの著書にも似た表現がある。


『未来のだるまちゃんへ』

加古里子

文藝春秋(2014)


『万里の長城は、異なるものを隔てる「境界線」に見えていたが、実は異なるものが交わる「市場」の役割も持っていた。』


『生きていくというのは、本当はとても、うんと面白いこと、楽しいことです。

(中略)

だから僕は、子どもたちには生きることをうんと喜んでいて欲しい。

この世界に対して目を見開いて、それをきちんと理解して面白がってほしい。

そうして、自分たちの生きていく場所がよりよいものになるように、うんと力をつけて、それをまた次の子どもたちに、よりよいかたちで手渡してほしい。

どうか、どうか、同じ間違いを繰り返すことがないように。

心から、そう願っています。』




さあ、大人の鎧を脱ぎ捨てて、

見つけよう、森へのパスポート。


魔法の扉を開いて、素敵な冒険始めよう。


大人のあなたにも訪れるはず。

不思議な出会い。

おやじたちの想い』を振り返り、キーワードをグルーピングすると、共通点が見えてきます。


<キーワード>

ワクワク

楽しい

熱中

夢中

やりたい

人との関わり

人との時間

人が集まる器

祭り

成長

変わる


<グルーピング>

パッション(情熱)

遊び

環境

祭り

変化



B826531B-763F-424E-B381-3CA266CE0E34


やりたいから始めるのが『遊び』であって、

やりたいから始める世界は『生きる』ことに繋がっている。

よって、遊ぶことは生きることそのものである。


やりたいから始める世界で人は『変化』、『成長』する。

よって、学ぶことは変わることである。


ゆえに、遊びは人間活動の本質である。


やりたいという意思には『主体性』がある。

主体性の第一歩は『考える力』

キーワードは『パッション(情熱)』である。

私が過ごしたおやじの会は、そんなおやじの会だと思います。




<おやじの想い>

「3年間しかないから、子どもと一緒に親父も楽しみましょうよ。

おやじの会は、憩いの場。」


「やりたいからやっている。

おやじの会は、お父さんとして少し成長できたかなっていう場。子どもは成長する。お父さんも成長しないと。それを気づかせてくれる場。」


「やりたいもの、やれるものはやる。

おやじの会は、自分がやりたいことを一生懸命やる場。」


「質とか中身ではなく時間。

そこにいる人達って、もっと時間を一緒に過ごしたいなって思う父たちなんですよ。

おやじの会は、みんなが集まる器。」


「おやじの会で子どもたちと接するようになって、幼稚園に行くときに誰かの子どもがいるんじゃないかとワクワクする自分がいる。

おやじの会は、利害関係なく一つの目標に熱中したり、共同作業して努力したりできる場。タイムマシン。」


「楽しいことだけやる。

過去を真似しなくていい。

おやじの会は、自分の価値観を変えてくれる場。友達を作る場。」


「おやじの会は、夢中になれる遊び場。山みたいな存在。」


「結果としては私が色々な経験をして、成長する場になっていた。

おやじの会は、親父が新しい事を体験し、成長する場。」


「本当に自分を成長させて頂いた。

おやじの会は、最高の経験をつめる場。」


「おやじの会は、他では味わえないような親子の時間が持てる会。」


「おやじの会は、おやじの会員として参加する幼稚園行事が楽しい。そんな会。」


「いつしか、自分の中で親父会が、大切なもの、持っている知識と能力を総動員して取り組むものになっていた。

祭り(おやじの会)は見るより、やる方が10倍楽しい。」

35C6911E-B28D-4AB3-BA8C-194DFFDF683D

 

おやじの会のおやじは、
『みんなのおやじ』になれます。


メリット

1. 子どもの成長

2. わが子を多面的に見ることができる

3. わが子との距離が縮まる



1. 子どもの成長

子どもは、親子1:1の関係だけでなく、周囲の人間関係で大きく成長します。未就園児のお子さんは目を離してはいけませんが、在園児のお子さんは親子1:1の檻に閉じ込める(閉じ籠る)のはもったいないです。おやじの会やまのぼりで実感しました。おやじの会と交流するたび、親子共に親子1:1では成し得ない成長があります。


特別体験があなたを待っている



2. わが子を多面的に見ることができる

周りと触れ合う我が子を多面的にみることは、親子1:1の関係性を考えるきっかけにもなります。子どもにも、おやじを多面的に見て欲しいと思っています。おやじの会にいるときは、私は背中で、二の腕で、お尻で、自分の子に語りたいと思っています。(当の本人たちは、我がおやじのことは都合の良いとき以外は眼中にないのですが。たまにおやじを見てくれたらそれでいいのです。)


特別体験があなたを待っている



3. わが子との距離が縮まる

子どもの友達と遊んだり、笑われることは、子どものテリトリーへの入場を許可されたということであり、自宅に帰ったときに、おやじと子どもの距離間が近くなるのを実感できると思いますよ。


特別体験があなたを待っている

Q.なんでわざわざキツい思いして山にいくの?

A.行きたいから。


Q.なんで行きたいの?

A.気持ちいいから。

山の空気は美味しいし、目に映る景色は目の保養になる。聴こえる音も心地よい。身体の疲労感は頂上での美味しいご飯に繋がるし、下山後の温泉は至福の時。人との繋がりもある。山では気持ちの良い挨拶が交わされるし、立ち止まって話し込むこともある。老若男女の触れ合いがある。下山してアスファルトの上を歩き始めたとたんに、すれ違う人がお互い挨拶しなくなるから面白い。これ、ほんとうなので山に行って確かめてみてください。


Q.山の良さってなんですか?

A.山に行くと自分自身のバランスが整う。

山は五感を使って登りますが、その五感のバランスがとても良く、日常生活で偏った心身のバランスが整います。

それから、山に行くと普段の悩みなどがちっぽけに思えて気持ちが楽になります。なんだか人の器も大きくなるような気がします。


こんなエピソードがあります。


初金時山登山に行く時、別の金時神社をナビにセットしてしまいました。気づいたときには1時間遅れの到着が確定。焦って電話する私に対して、案内人のこうじ先生が言った一言。


「山は逃げない。待ってるので気をつけてきてください。」


似た台詞が別の機会にもありました。


私は一度おやじの会を退会しております。約10ヶ月後におやじの会への再加入を申し出た私に対して、リーダーのたっきーが言った一言。


「しんちゃん、帰ってくると信じてみんな待ってたよ。」


『おやじの会』は『山』のようです。

 CF9CC787-5666-4B71-8C11-E0BF96CAD6BF26705292-6192-4D8C-B1EC-365937A98A31
A40F83F8-45B2-4F8B-B51C-3ED6A11AA5C4
D0AC9AE2-96AD-4B17-8FAE-3F25097F22A7
4AB155A2-3455-4B22-87CC-8CE5D077422C

子連れ登山泊に漠然と憧れつつ、ハードルの高さに腰が重く、探すのはできない理由ばかり。そんなおやじが、おやじの会山行で山登りにデビューしました。


山登りは全くの素人。右も左も分かりません。このままではやらないままずるずる時間だけが過ぎてしまい、子どもに捨てられる時期を迎えてしまう。

腰が重い時は、「えいやっ」と決めてしまうと、意外と動けます。

「始めるために道具を揃える。」

そう決めて動き始めました。こうじ先生に道具選びのアドバイスをもらい、親子で山道具一式を揃えました。安い買い物ではありません。子どもが嫌になったらどうしよう。また、妻には、急にスイッチが入って困ると小言を言われる。そんな不安を抱えながらの山行デビューです。


登山靴を足に慣らすため、出勤で履き慣らしました。

一番の不安は3歳の息子。すぐにぐずる甘えん坊でした。そんな息子がヤル気を見せ始めます。エレベーターをやめて、自ら階段で登る、荷物も持つ、など、自発的な行動が見られるようになりました。


当日、甘えん坊の3歳の息子が自立して力強く歩く姿に驚きました。

更に、初めて会ったばかりのお友達を励ます姿まで見られ、これまでの過干渉を反省すると共に、他者との関わりあいが子どもを成長させてくれることに気づかされました。


「子育て」ではなく「子育ち・親育ち」

「教育」ではなく「共育」


そんなことを実感した山行デビューでした。

 97A2D6E1-CBFE-4DE7-8415-AFBB61D701E6F9CE5892-0282-4E3E-85BA-9F2D10498574
DC755E7D-ED53-4EB3-B8B9-220289A0E88F
E102485F-470F-406E-85F2-811F8089CE91

おやじの会キャンプ2018の打ち上げの議事録をプレイバック。

・カートンドックはチーズを先に入れるべし

・たいさは言い出しっぺの本気度をみている

・ヒロくんは末っ子の法則

・まっきーは我が子を突き放す

・のぶさんは奥さんとラブラブ💓

・アリ君は尖ってる

・しんちゃんは面倒くさくて押し付けがましい
 (きっかけ作りにはなってるよ)

・こうじ先生は好きでやってる

・理事長は器が広い

・小池さんはカーリングの床になりたい

・岡津幼稚園に入って良かった

・円海山登るべし

・親父飲み会を適当に開催しよう

・タッキー、1人で背負わないで。仲間はたくさんいるよ

・これからもおやじの会を楽しもう

幼稚園の第2の園庭、大池公園でおやじの会キャンプを開催したときの話です。


ナイトウォークのサプライズとして、ヒョウタンランプの木を企画しました。


まず簡単にこの企画の概要を説明します。このキャンプイベントにはいくつかの課題を用意し、ドラゴンクエストのように課題をクリアしていくスタイルにしました。

その中の課題として、昼間に魔法の水を指定された木に振りかけさせました。その木は夜のナイトウォークの終着点にあり、ひょうたんランプの木として暗闇に現れるというサプライズです。

02DCB45D-CAE6-402A-8C7B-425B7E31AB91
448B15BD-73A0-46FA-8BAA-CC3EEED696C6
E517601D-D898-40E6-8C0D-82E2E74D907B

3688761D-B946-4907-978B-F49575D5D8E2
BB64BE66-C7F2-4B65-A758-4C09716A3374


ここからが本題です。このひょうたんランプの木から、子どもたちが好きなひょうたんランプを1人1個選んで収穫してもらいます。ひょうたんランプは事前に子どもには内緒でそれぞれのおやじが手作りし、子どもの数より多く用意しています。

もうおわかりだと思いますが、これは親父にとって残酷なイベントなのです。自分が作ったひょうたんランプが売れ残る可能性があるのです。


私は、この企画の発案者として、絶対に負けられない闘いに挑みました。娘に確実に選んでもらうため、じっくり考えた結果、直近のやまのぼりで娘に渡した招待状に描いた絵をひょうたんランプのデザインに決めました。


意気揚々と当日を迎えました。結果は、グループリーグ全敗。娘に選ばれないだけでなく、私が作った4つのひょうたんランプはひとつも収穫されず木に残るという結果に。


この企画から、自分は子どものことをわかっていないことがよく分かりました。同時に、自分の感性と子どもたちの感性は全く別物であることから、子どものニーズを知ることの重要性が身にしみました。


ここまでは失敗に学んだことですが、成功に学んだこともあります。


後日開催した打ち上げで、ある親父から言われたことがあります。


「しんちゃんの企画はめんどくさいなぁと思ったけど、やってみると自分も楽しかったし、やって良かった。」


この企画は、私がごり押しした企画で、私がひょうたんやライトを用意し、参加者が実行するだけにするという条件で了承していただき実現しました。この後日談から、価値を感じていただくためには、実行してもらうことが必要。そのためにハードルを下げることは有意義なことだと学びました。スタートラインに高いハードルを感じる方も、走り出したら楽しめる。そんなことも多いのだと知りました。これは、子ども、母、父、全ての人に言えることだと思います。


0D415066-292A-4B71-8FF4-60A80040B308
4B04CD9B-A73E-40F4-BE01-176DEF4D62D1
98029411-7427-47BC-A8FC-03ABB7361C9F
7C7DFB8E-943E-4BC2-B834-B7F957D9EB8E
BD68963F-0A34-47E4-963E-902D0F71BBB7
E977AC5A-4C3A-49AF-BEA8-FC9B0109FA8F
2C015D5A-9BA0-4407-81AB-D7EB409DDED0

絵本は、ドキドキ、ワクワク、ゲラゲラ、ポカポカ、ヒヤリハット、ホロリもあって、まるで探検なのです。(絵本たんけん隊『出発』


私が出会った絵本の中から、数回に渡り自由気ままに紹介してきた絵本たち。

今回が最終会です。



おやじの景色"や"絵本たんけん隊『特等席』で出てきた『裏側からの景色』。

今回紹介する絵本を裏側からみてみましょう。


BE742E0D-C176-4FE9-B1F7-6F07DF1DF008
このおじさんが、作者の
Shel SilverSteinさんです。


6918C574-5859-4C68-BB73-23EC476BED52
The Giving Tree

(日本語タイトル:大きな木)

Shel SilverStein●

本田 錦一郎 ●訳 篠崎書林(1976年)

村上 春樹訳 あすなろ(2010年)


3冊あるのは、原作、本田錦一郎さん翻訳、村上春樹さん翻訳です。すみだ水族館で村上春樹さん翻訳を読んで衝撃を受け、Book House Cafeで英語の原作を見つけ、それから、絶版となっている本田錦一郎さん翻訳を探して譲り受けました。


村上春樹さん翻訳のあとがきに、

「物語は人の心を映す自然の鏡のようなものなのです。」

とあります。その言葉の通り、その時々、その人によって感じ方が変わります。全くと言っていいほど異なる感じ方をします。


まさに、

本当は、ひとりひとり違う

本当は、その時々でも違う



私の直感としては、最終ページ手前まではBlueの「The Gift」。

最終ページはQueenのボーカル、Freddie Mercury晩年の曲「Mother Love」。

そんなイメージです。


木は少年に何か「もの」を与えることで「幸せになってほしい」、「また来てほしい」と願います。これはまさに、The Giftの歌詞に登場する、「僕が欲しかったもの」だと思います。最終ページはMother Loveの「母胎回帰」を思わせます。



近年、「問題提起するデザイン」という意味のスペキュラティブデザインという言葉が聞こえてくるようになりました。『The Giving Tree』もスペキュラティブデザインだと思います。


ストーリーの途中、木からリンゴや枝を貰います。ついには木の幹まで貰う少年を、ひどいやつだと思えてくる場面もあるかもしれません。しかし、この場面は、人間の活動そのものです。あらゆる環境を搾取しながら生きている。それが人間だと思います。作者の意図は分かりませんが、この部分は問題提起するデザインの一つだと思います。



一方、この絵本は定点カメラで木を撮影しているような作品でもありますが、フレームアウトした少年の様子は描かれていません。

きっと、木と会うたびに少年は成長し、その時々にあった幸せを感じ、時が流れ、疲れたとき、行き詰まったときに木のもとに原点回帰する。そんなイメージを私は持ちます。だから、その時々で求めるもの、与えるものは違うのですが、その場面場面では木も少年も幸せを感じているのだと思います。これも人生という旅の途中なのだと思います。



最終ページ手前までは過去。

最後は『今』だという見方をしました。


is


英語版の原作で、一箇所だけ出てくる斜体の『is』がそれを示唆しているように感じます。


最後の最後、色々なものが削ぎ落とされナンニモナイ状態になった木と少年が寄り添う。これが『今』の2者の価値観なのだと思えてホロリ。



私がこの絵本で最も好きなのは、与えている木も、受け取っている少年も、『こうしたい』という意思があることです。意思があって、モノを与え、与えられる関係がある。与える側はモノではない何かを得ている。与えるモノがなくなっても、自分にできることをやる。それが愛する誰かの喜びになる。

そんな関係を無償の愛というのかもしれません。


私にとっての『無償の愛』の定義が変わった瞬間でした。

 
おやじの会も、自分がやりたいことをできる範囲でやる。

そうなんだ
きっとここから愛なんだ
はじめることが愛なんだ 

はじめるのに、早い遅いはない

いつだって
きっと『いま』から愛なんだ

はじめることが愛なんだ


最後は、子どものつぶやきをご紹介。


青空公園にて


「この木は登るのにちょうどいいね。」

「今度ナイフ持ってきて、文字を書こう。」

「おばあちゃんになってもあったらいいな。」

「チョコンって座れたらいいね。」


300F8543-C935-4813-A9CD-150244FEFBE5





 

絵本は、ドキドキ、ワクワク、ゲラゲラ、ポカポカ、ヒヤリハット、ホロリもあって、まるで探検なのです。(絵本たんけん隊『出発』


私が出会った絵本の中から、数回に渡り自由気ままに絵本を紹介したいと思います。



0A765B3C-34FA-4962-BD31-487F034F3221
『きょうは
 みんなで クマがりだ』

Michael Rosen●再話

Helwn Oxenbury● / 山口 文生

評論社(1990年)


遊び歌からできた絵本です。各シーンを歌いながら読み進めます。


きょうは みんなで クマがりだ

つまかえるのは でかいやつ

そらは すっかりはれてるし

こわくなんか あるもんか


クマがりと言いながら、デニムに短パンにワンピースという軽装。赤ちゃんと犬もいます。まるで近所を散歩するかのようです。言ってることとやってることがあべこべで、いい加減な家族です。でも、このゆる〜い感じがとてもいいです。


一緒にでかけているんだけど、登場人物(犬とクマも含め)の動きは個性的なんです。それに気づいたのは息子でした。そんな個性的な動きを見ながらあーだこーだ話したり、親子で歌いながら読み進めたり。

絵本ガレージバーでは、物語の背景をあーだこーだ語り合ったり、フリーアナウンサーであり絵本専門士の近藤麻智子さんの声に合わせてみんなで歌ったり。


一言で表すと、『遊べる本』です。



話は絵本から飛躍しますが、このゆる〜いクマがりの冒険から思い出すのは、大池公園キャンプでのナイトウォーク朝の散歩アニマルキングダムキャンプでナイトサファリと朝の散歩。それから、我が家で四日間のショートホームステイをした友人の子と一緒に、夕暮れ時に近所を歩いて回った大冒険。この大冒険では、きょうはみんなでクマかりだ・・・を歌いながら歩く場面もありました。


大池公園キャンプもアニマルキングダムキャンプもホームステイも、共通するのは『人との関わり』。家庭の中、親子関係ではできない『ヨコナナメの関係』が発生します。


フューチャーセッションズ未来勉強会」のかっこいい、お父さん。のあり方を語り合うセッションで出会った中北朋宏さんのアイディアがおもしろい。このアイディアでも、キーワードはヨコナナメの関係だと思います。


実際にホームステイのホストになってみて、期間にしてみると、たったの四日間だったかもしれませんが、私にとっては濃い四日間でした。ホームステイした子が帰宅後も、買い物中に夫婦で「これ、◯◯ちゃんに買ってあげたら喜びそうだね。」なんて会話が生まれていました。少しはナナメの関係が築けたかなと思いました。

この経験は、その後、親元を一人飛び出し私たち夫婦と山登りに行くという本人の決断に繋がったと思います。


さぞかし深い絆で結ばれたことだろうと都合よく解釈するクマおじさん。久しぶりに出会ったその子にハグタイムを試みるも、全力で回避動作するその子。


絵本最終ページのクマは私です。
8BF03F60-8859-46AF-A282-8FCC92F7A812

 

 

このページのトップヘ