戦後の26年7月キングから出た「上海帰りのリル・津村 謙」が、爆発的に流行したことは、中年以上の方ならよくご存知だと思う。

 

例のビロードの声といわれたソフトな声で「・・・・誰かリルを知らないか」と唄ったあの歌である。

このヒットに気をよくした津村謙は、翌27年には「リルを探してくれないか」を出した。                                 

 

更に28年に彼は「心のリルよなぜ遠い」を出して、見つからないリルに思慕を募らせたのだが、それに対してアンサーソングが他社から出てきて、更に話題を呼んだものだ。

 

それが「私がリルよ・三条美紀」コロムビア 276月発売          

三条美紀のデビュー作であるこの歌は、歌詞のなかで「・・・・私が悲しいリルなのよ」と津村 謙に訴えている。

 

更に28年にはテイチクから「私がリルの妹よ・三鳩ひとみ」まで出る始末で、戦後の歌謡界に大きな話題を残した歌のうちの一つと云えると思う。

 

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この戦後に「リルブーム」を巻き起こした戦後の26~27年から15年以上前に、既に「上海リル」という流行歌が国内で唄われていた。

 

話は昭和9年にまで遡ることになる。この元祖の「上海リル」が戦後のヒット曲「上海帰りのリル」と同一人物だという裏付けはまったくないが、当時洋画の主題歌として結構人気が高かった曲でもあった。

  

 

上海リル・唄川幸子」(服部竜太郎詩Hワーレン曲)ニットー     94

     歌いだし「街と云う街から 丘という丘から あちらをも又こちらも 探すは上海リル・・・」             


この曲は★「洋画 フットライトパレード」(昭和8年アメリカ製作 ミュージカル映画)の主題歌になっていた。

 

映画のほうは喜劇俳優のジェームス・ギャグニーが、劇中でこの主題歌の原曲を、タップダンスを踊りながら歌っている。

 

Hワーレン作曲のこの軽快なメロデーは、日本人の心に受けるものがあったのか、昭和14年までの5年間に、なんと10曲も「上海リル」の曲名を付けたレコードが出ていた。

 

そのなかで主なものを拾うと、次の3曲がある。

上海リル・川畑文子」(三根徳一 詩・Hワーレン 曲)テイチク   S10/3

♪「明るいシャンデリア 輝く杯 うるわしきジャズの音に・・・・・」

 

上海リル・デックミネ」 (津田出之 詩・Hワーレン 曲)テイチク S11/1

♪「頬寄せて囁きし愛の言葉 タノイムキ今も又胸にあり 想い出を追いつつ・・・・・・」

 

実はデックミネの「上海リル」と言えば、服部竜太郎詩の「街と云う街から 丘という丘から・・・・」の方が有名だが、このような歌詞の異なる「上海リル」も唄っていた。

 

上海リル・江戸川蘭子」(名古屋 宏 詩・Hワーレン 曲)コロムビア S11/4

♪「陽は海に落ちて街に夜が来れば 赤い唇あだな姿 唄うは上海リル・・・・・・」

江戸川蘭子の曲は、「松竹少女歌劇・上海リル」の主題歌にもなっている。

 

他に戦前で「上海リル」を唄った歌手を挙げてみる                   

 

「ジミー宮下」エトワールレコード S11年  「クリスタルファイブスターズ」クリスタル  S10

「宗近 明」ポリドール   S11年  「岡 進二」ニットー      S11

「デッド木村」リーガル   S11年  「筑波秀郎」コロムビア     S14

 

これだけ戦前に流れた「リル」という名が、戦争という空白期間をはさんだ戦後になって、作詞家「東条寿三郎」の脳裏の記憶に蘇り、「津村 謙」のヒット曲になった「上海帰りのリル」が生まれたのではないか・・・・私はそんな気がしているが真相はわからない。

 

     (この項はブログ「昭和初期の映画主題歌あれこれ」「昭和9年(その5)」の中から抜き出して、加筆、再編集した姉妹篇ブログです)