2007年11月

2007年11月30日

昭和22年(その2)

1.やっとビクターの主題歌も復活する。(22年3〜4月篇)

今回は昭和22年の3月と4月に出た、各社の映画主題歌を取り上げてみる。

戦後はコロムビア、テイチク、キングの順に復活していった映画主題歌だが、戦災のダメージが大きくて戦列から遅れていたビクターが、この年の4月になってやっと灰田勝彦で復活主題歌第一号を出した。
これでまだ主題歌の復活を果たしていないのは、ポリドールとタイヘイだけになった。。

発売曲数では相変わらずコロムビアの優勢が続いているが、その中で高峰三枝子の戦後初の映画主題歌になっのが次の曲だった。

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☆「大映 今宵妻となりぬ」(監督;田中重雄)  22/3月封切 現代劇  白黒版

主題歌「今宵妻となりぬ・高峰三枝子」(サトウハチロー詩・古賀政男)コロムビア 22/3月
○歌いだし「青い小鳩に聞いたらば 乙女心はふしぎなものよ・・・・・」

主題歌「四つの青春・藤山一郎」(詩曲とも同上)     同上   歌詞不詳

高峰三枝子はこの曲以後昭和29年までの間に、19曲の主題歌を唄っている。
しかし30年以降になると、主題歌はまったく出ていない。

彼女は、昭和21年に実業家と結婚して1子をもうけたが、同29年には離婚している。 
その際の様々な心労から声が出なくなり、暫く歌手活動から遠ざかってしまっていたからだ。
昭和40年台のはじめに声が戻って、再び何枚か歌謡曲のレコードは出したが、その頃は映画そのものが衰退してしいたため、ついに主題歌復活までには至らなかった。

映画「今宵妻となりぬ」では、勿論高峰三枝子が主演している
「津村由美子(高峰三枝子)は、高原のホテルて知り合った森川(宇佐美 淳)という医者に心を惹かれていた。
しかし胸の病で静養中の兄嫁幸枝(入江たか子)が、診察する森川と親しくしているのを見て疑心暗鬼にかられる。やがてそれが誤解だとわかり、由美子は今宵妻となる日を迎えることになった」
共演者には、岡村文子、美奈川麗子、千明明子らがいた。

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☆「松竹 結婚」(監督;木下恵介)  22/3月封切  現代劇  白黒版

主題歌「ひとりの君・栗本尊子」(西条八十詩・木下忠司曲)  コロムビア  22/3月
○歌いだし「花は散っても春くりゃ開く 雲は流れてもう・・・・」

主題歌「男の真情・霧島 昇、高倉 敏、田中絹代」(西条八十詩・万城目正曲)同上
○歌いだし「誰も知らない真夜中の 空の銀河か夜明けの月か・・・・」

「栗本尊子」は本来メゾ・ソプラノの声楽家で、本格的なオペラでも盛んに歌っていた
したがって歌謡曲の世界では異色の存在だが、21〜24年にかけて歌謡曲も8曲ほどレコードを出しており、うち4曲は映画主題歌になっている。

なかでも21年7月に出た「あら本当かしら」(サトウハチロー詩・鈴木静一曲)は主題歌ではないが、菊池章子、池真理子とともに唄うお色気ソングとして大ヒットした。

○歌いだし「男なんて男なんて 本当におかしなものね アラソウカシラ・・・・」という、男性を揶揄した歌詞がつづくので、オペラ歌手がこんな歌までも唄うのか・・・・・といささか驚いたものだった。

さて映画では、久々に「上原 謙」と「田中絹代」の組み合わせになっている。
「この二人の男女は、さまざまな家庭の事情のために、なかなか結婚に踏み切れないという苦悩を、つぶさに描いている。
そして女はついに家族を養うために、結婚をあきらめようと決心した・・・・・」
しかし最後には幾多の苦難を乗り越えて、結婚にゴールインすることになっている。
共演者には東野英冶郎、東山千枝子、井川邦子らが出ていた。

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☆「松竹 浅草の坊ちゃん」(監督;佐々木 康)  22/4月封切 現代喜劇 白黒版

主題歌「浅草の唄・藤山一郎」(サトウハチロー詩・万城目 正曲)コロムビア  22/4月
○歌いだし「強いばかりが男じゃないと いつか教えてくれた人・・・・」

主題歌「若い日若い人若い空・清水金一、星光子他」(サトウハチロー詩・浅井挙曄曲)同上
○歌いだし「ふたり揃うて歩いていれば 後から呼んでも気がつかぬ・・・・・」

映画は浅草を舞台にして、義侠心に富んだ金ちゃん(清水金一)が、土地のやくざ者を相手にして、レビューガールの光子(星 光子)を助ける物語なっている

藤山一郎は昭和8年にも「浅草の唄」を、主題歌として唄っている。しかしこれは作詞・作曲とも違う別の曲であり、☆「新興 十二階下の少年達」の主題歌だった。
→当ブログ「昭和12年 その7」参照
戦前の曲も戦後の曲もかなりヒットしているので、そのメロディーを覚えている方は多いと思う。

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☆「松竹 のんきな父さん」(監督;マキノ正博) 21/12月封切 現代喜劇  白黒版

主題歌「あの日あの時・灰田勝彦」(上山雅輔詩・灰田晴彦曲)ビクター  22/4月
○歌いだし「あの日あの時あの人が じっと見つめていました・・・・・」

灰田勝彦は前月に「紫のタンゴ」を出して大ヒットさせたが、映画主題歌はこの「あの日あの時」が戦後始めてになる。このスローテンポの曲も、当時かなり唄われていたように記憶している。

映画の原作は、大正末から昭和初期に世の中を笑わせた、漫画の「麻生 豊」である。                                 
こんな昔の漫画がなぜ戦後に?と不思議に思うが、実は終戦直後から石田一松が、ラジオで世相風刺の「のんきな父さん」を盛んに唄っていた影響だろうと思われる。             
この「のんきな父さん」は、歌の最後に「ハハのんきだね」で結んでいる。

たとえは、大正時代に流行ったこんな曲もある。
「のんきな父さんと隣の大将 なにか落ちてないかと思案顔 しめたあったと喜んで よくみりゃなんだい馬の糞 ハハのんきだね」

その昔、羽織袴にバイオリンを抱えた石田一松は、演歌のなかでも「書生節」の流れを受け継ぐ芸人だった。                                
戦時中はなりをひそめていたが、戦後になって活発に政治や世相を皮肉る歌を唄い、26年には衆議院議員に当選している。

さて映画のほうだが、「のんきな父さん」役に小杉 勇がなっている。
内容をみると
「只野凡児に扮した灰田勝彦が、得意の野球のプレーで登場する。            
素人の野球狂だった只野凡児が、やがてプロ球団「ブルドック」軍の一員になって活躍するという筋になっている。そのため当時の「近畿グレートリンク」(後に南海ホークスと改名)の選手がロケに総出演していた。                            
なお、のんきな父さんは、只野凡児の隣に住む失業者という設定になっていた」
他に轟 夕起子、柳家金語楼、服部富子などが出でいた。

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☆「大映 轟先生」(監督;島 耕二)  22/3月封切  現代喜劇   白黒版

主題歌「ロッパの轟先生・古川ロッパ、久米夏子」(上山雅輔・上山雅輔)キング 22/4月
○歌いだし「娘百までわしや九十九まで しゃんとしゃしゃんと張り切って・・・・・・」

主題歌「夢みるダルマ・鈴村一郎」(詩曲とも同上)   同上 
○歌いだし「丸いダルマさんどこまで丸い 背中におなかに丸い花・・・・・」

(上記2曲の歌詞は、DJAJIさんから提供して戴きました)

映画は「秋好 馨」の人気漫画を映画化した喜劇になっている。

だるまのような顔に頭の天辺に毛が3本、肥満体の轟先生は当時の漫画では人気者だった。
古川ロッパが、中学校で教える轟先生とその息子雷太を、一人二役でこなしていた。

ところでB面を唄った「鈴村一郎」といえば、前年の春にいきなりヒットを飛ばしたこの曲を思い出してしまう。                              
ジープは走る・鈴村一郎」(吉川静夫詩・上原げんと)キング  21/4月 
○歌いだし「スマートな可愛いボデイ 胸のすくよなハンドルさぱき・・・・・」

戦時中には見た事のない変わった形の軍用車「ジープ」は、まさに進駐軍の象徴のような存在だった。

同じ頃、やはり「ジープ」が出てきて、大ヒットした歌謡曲がもう1曲あった。

ニュー東京ソング・岡 晴夫」(清水七郎詩・上原げんと曲)キング 21/3月
○歌いだし「向う通るはジープじゃないか 見ても軽そなハンドルさばき・・・・・」

この2曲を聴くと、終戦後進駐軍がやって来た頃を思い出すような、私と同世代の年輩者はかなり多いことだろうと思う。

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2.まとめ

今回は22年の春、3.4月頃の主題歌を集めてみた。
終戦後2度目のお花見の季節を迎えたのだが、国敗れてもなお爛漫と咲き誇る桜の花をよそに、国民は敗戦の痛手でのどん底の生活を強いられ、とても花見をする余裕すらなかった。                 
戦前なら「花見」とか「桜」のついた曲名のレコードがどっと出る季節なのだが、この年の春は「花見」のついた曲はなく、「桜」のついた曲名のレコードが1曲だけ出ていた。

桜ラプソティ・藤山一郎、池 真理子」(西条八十詩・古賀政男曲)コロムビア 22/3月
歌詞は判らない。

この曲はB面であって、A面は「花おどり・霧島 昇、小唄勝太郎」になっている。

おや?と思う珍しい歌手の組み合わせだか、「小唄勝太郎」は戦後ビクターには戻らず、コロムビアで「伊豆の七島」というややヒットした曲を含む12曲ほどのレコードを出した後、23年末にはテイチクに移っている。                              
随って「霧島・勝太郎」は戦前通の方々だと、何か「夢の饗宴」みたいな不思議な組み合わせのように感じるだろうと思う。

なお「花見」が曲名にでてくるのは、更に3年後の春ビクターから出たこの曲になる。

お花見チョンキナ・波岡惣一郎、市丸、喜久丸」(小野金次郎詩・中山晋平曲)25/3月
○歌いだし「陽気にくり出せチョンチョンキナキナ チョンが花びらヨイトマカセ・・・」

戦前の昭和11年に「東京チョンキナ」という一寸流行った流行歌が同じビクターから出ており、作曲も同じ中山晋平だった。(作詞は伊藤松雄)
戦前曲は古川ロッパと小唄勝太郎が唄っているが、「チョンキナチョンキナ チョンチョンキナキナ チョンがチョンと来たエッサッサノサ・・・」のチョンキナがどんな意味なのかは今もって判らない。

この「お花見チョンキナ」の出現は、終戦後5年もの歳月が流れてやっと一部の国民に「お花見」の気分が芽生えてきたのかな・・・などと私は思ったが、当時を生きた人それぞれにより感じ方はさまざまかも知れない。

さて次回「昭和22年(その3)」では、引き続き同年の5月6月頃の映画主題歌を取り上げてみたい。

                        (つづく)

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「追伸」
チョンキナについて、その後「みんみん」さんから次のようなコメントが届きました。

「チョンキナ」には特に意味はなくて、昔の拳唄の歌詞からとっているのだと思います。
その歌詞を参考までに…

チョンキナ チョンキナ チョンチョン チョンキナ
チョンが菜の葉で チョチョンガヨイヤサノ
チョンキナ チョンキナ 初段は鎌倉 兜改め顔世で
チョチョンガヨイヤサノ(以下略)」

こんな原句があるとは知りませんでした。有難うございます。
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oke1609 at 10:45|PermalinkComments(6)TrackBack(0) 音楽 | 映画主題歌

2007年11月23日

昭和22年(その1)

1.戦後初の2社競作は、全て大ヒットした

戦前は一つの映画に、2社乃至3社のレコード会社が主題歌を出して競作するのは、よくあることだった。
その主題歌競作の戦後第一号が、22年の早々にこの映画によって始まった。

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☆「松竹 地獄の顔」(監督;大曽根辰夫)  22/1月封切  現代活劇  白黒版

コロムビアの主題歌
夜更けの町・伊藤久男」(菊田一夫詩・古関裕而曲) 22年1月
○歌いだし「暗い酒場のダイスのかげに ひょいとのぞいた地獄の顔よ・・・・・」

雨のオランダ坂・渡辺はま子」(詩・曲とも同上)  同上
○歌いだし「こぬか雨降る港の町の 青いガス燈のオランダ坂で・・・・・」

テイチクの主題歌
夜霧のブルース・デックミネ」(島田磐也詩・大久保徳二郎曲)22年2月
○歌いだし「青い夜霧の灯影があかい どうせ俺らはひとり者・・・・」

長崎エレジー・デックミネ、藤原千多歌」(詩・曲とも同上)  同上
○歌いだし「波が歌うよ長崎の 港めぐれば石だたみ・・・・」

B面を含めて2社4曲の盤が、いずれも大ヒットしたという例は、恐らく戦前の競作盤にはなかったように思う。
まさに戦前に名声の地位を築いた歌手の実力と、作詞・作曲家のあふれる情熱の発露が、4曲に凝集した結果と言えるだろう。

これら主題歌だけでなく、映画「地獄の顔」も人気が高かった。
あらすじは
「マドロスくずれで上海帰りの順三(水島道太郎)は、怪我をした時栗原先生(月形竜之介)によって救われてから悪の道を捨て更生して、長崎の育児園で働くことになって。そこで彼は保母のみち子(月丘千秋)と知り合った。
しかし平穏な暮らしの順三に、以前の悪の仲間蘇州の鉄(デックミネ)が誘惑の手を伸ばしてきた・・・・」

歌に演技に大活躍したデックミネは、戦時中逼塞した三根耕一時代の堅苦しさを返上して、生き生きとして本来の彼の姿にもどった感じだった。

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「コラム;戦前の郷愁か・夢の四馬路」

デックミネの「夜霧のブルース」のなかには、「・・・・夢の四馬路(スマロ)か虹口(ホンキュウ)の街か・・・・」という、戦前の流行歌では度々登場する懐かしい上海の地名が出てくる。
(四馬路は黄浦江にある波止場(外灘)に近い歓楽街、虹口は共同租界の中の日本在留民が多く住んでいた街)

歌詞のなかに「夢の四馬路」を織り込んで曲が、戦前・戦後に度々登場している。

まず戦前では、いずれも大ヒットとしたこの流行歌だ。
昭和13年「上海ブルース・デックミネ」♪「涙ぐんでる上海の 夢の四馬路の街の灯・・・」

昭和13年「上海の街角・東海林太郎」♪「・・・紅の月さえ瞼ににじむ 夢の四馬路が懐かしや」

戦後になると前述の「夜霧のブルース」以外に、次の曲の歌詞の中にある。

昭和26年「上海帰りのリル・津村 謙」♪「・・・・夢の四馬路の霧降るなかで・・・」

昭和29年「思い出の上海・デックミネ」♪「忘れられよか上海の 夢の四馬路の街の灯を・・」

戦前に「夢の四馬路」がもてはやされた背景には、支那事変が起きてから大陸路線の流行歌それに映画が、数多く出ていたことが影響しているように思う。

例えば美ち奴が唄う「四馬路」の三部作が、大陸戦線が拡大している時期に出ていた。
霧の四馬路・昭和13年」「雨の四馬路・昭和14年」「月の四馬路・15年」テイチク盤
このうち最初に出た「霧の四馬路」はヒットしたので、今でもナツメロでよく唄われている。

一方「虹口」のほうを見ると、曲名では戦前・戦後とも見当たらないが、歌詞の中では結構登場している。一例として四馬路と虹口をセットにした歌詞を挙げてみよう。

上海マンボ・原田美恵子」♪「行こか四馬路へ 戻ろうか虹口・・・・」テイチク 29年

このような異国の地名が、歌詞のなかに度々登場するのは、辛い戦時下の経験を経たはずの日本人でも、心の奥底に抱く淡い郷愁が存在するからだと想像する。
かく云う私も、こんな異国の一地名に拘って取り上げていること自体が、遠い戦前期の郷愁に囚われているからだろうと思う。
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再び22年の映画主題歌に戻ろう

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☆「松竹 満月城の歌合戦」(監督;マキノ正博)  21/12月封切 歌謡劇  白黒版

主題歌「あこがれの歌・藤山一郎」(サトウハチロー詩・仁木多喜雄曲)コロムビア 22/2月
○歌いだし「あこがれはあこがれは 空を行く白雲に 声をかけたいこの心・・・」

主題歌「青空に描く・轟 夕起子、小夜福子」(島田磐也詩・仁木多喜雄曲)同上
○歌いだし「花は紅い柳はみどり 風はどこから吹いてくる・・・・・」

阿波(徳島県)といえば狸合戦の伝承で有名なお国だが、この映画も阿波のお城での若君と二人の姫、それにからむ若侍をミュージカル仕立てに描いている。
この映画は、戦時下の昭和17年に出た、評判のミュージカル映画☆「大映 歌う狸御殿」の影響を多分に受けていると思う。

出演者は若君・阿波の忍丸(小夜福子)紫姫(轟 夕紀子)尾花姫(月丘夢路)若侍・仙波太郎(藤山一郎)など豪華メンバーだが、更に歌手の服部富子、楠木繁夫、松平 晃、デックミネなども顔をならべている。

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☆「松竹 バラ屋敷の惨劇」(監督;芦原 正)  22/4月封切  現代推理劇 白黒版

主題歌「あきらめて・菊池章子」(島田磐也詩・大久保徳二郎曲)テイチク 22/2月
○歌いだし「熱い涙も枯れて出ぬのに 吐息が咲かせた薔薇の花びら・・・・・」

主題歌「追憶に生きる女・菊池章子」(詩曲とも同上)     同上
○歌いだし「湖畔に咲いた勿忘草の 花にも似たる初恋悲し・・・・・」

映画の題名の「バラ屋敷」だと、つい庭にバラが咲き誇る豪邸を想像してしまうが、実はキャバレーの名前である。このキャバレーのマダム園田恵子(轟 夕紀子)がある日殺された。
その犯人を追ってゆくうち、戦時中の旧悪が次第にあばかれてゆく。
恵子の恋人役の(水島道太郎)、同じく弟役の(伊沢一郎)女優陣では(月丘夢路)も出ていた。

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☆「松竹 猿飛佐助・忍術千一夜」(監督;沢田正平)  22/2月封切 時代劇 白黒版

主題歌「狭霧の港・田端義夫」(佐々木英之助詩・大久保徳二郎曲)テイチク 22/2月
○歌いだし「霧が流れる港の街に 更けて侘びしい新内流し・・・・・」

主題歌「燃ゆる恋・菊池章子」(詩・曲とも同上)         同上
○歌いだし「花よ蝶よの童べ唄 見果てぬ夢の色あせて・・・・」

田端義夫といえば昭和14年にポリドールでデビュー以来、「大利根月夜」で人気歌手の地位を固めたのだが、同18年までに唄った65曲は全て流行歌や戦時歌謡ばかりで、どう云うわけか映画主題歌がまったくなかった。

戦後テイチクに移ってからはこの「狭霧の港」を皮切りに、昭和40年までに53曲も主題歌を出している。                                
なぜ戦時下のポリドール時代に1曲も主題歌が出なかったのか?あらためて不思議な思いにかられている。

一方の菊池章子だが、田端義夫と同じく昭和14年にデビユーしてから、終戦までに13曲の映画主題歌を出していた。
戦後の22年にコロムビアからテイチクに移ったが、コロムビアの2曲を含めて戦後は45曲の主題歌を出している。

さて映画のほうだが、高田浩吉、月丘夢路、柳家金語楼、田端義夫が出演している他、内容については判らない。

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2.まとめ

映画主題歌も、今回から昭和22年に入った。
終戦後初めての辛い冬を迎えて、悲惨なニュースが正月早々から伝えられていた。

「丘 十四夫;歌ごよみ50年史」では、その頃をこんな風に述べている。
「やがて乏しいなかに昭和22年の新春を迎えた。
この正月、裏口営業で料亭などが繁昌する一方で、上野駅の地下道では凍死者が11名も出る始末、着のみ着のままの浮浪者がベンチや街路で、途方に暮れてその日ぐらしをつづけていた・・・・」

一方で焼け残った映画館は、どこも超満員の盛況だった。
前年はGHQの顔色をうかがいながらの映画制作だったので本数が不足して、戦前の映画を再上映して埋め合わせた映画館も多かった。

レコード会社も、前年は戦前のヒット曲の再プレス盤が新譜の2割3割を占めていたが、新しい年に替わって次第に新吹込み盤が増えてきた。

そんな明るいきざしも見えてきた昭和22年だが、次回「昭和22年 その2」では3〜4月頃出た映画主題歌を纏めてみたい。
                      (つづく)



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2007年11月16日

昭和21年(その3)

1.21年9〜12月に出た映画主題歌

この期間に巷で大ヒットした流行歌には、
コロムビア→「旅役者の唄・霧島 昇」「別れても・二葉あき子」「ふるさとの馬車・藤山一郎」「銀座セレナーデ・藤山一郎」
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キング→「青春のパラダイス・岡 晴夫」
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テイチク→「かえり船・田端義夫」「片割れ月・菅原都々子」
などがあり、よく唄われた。

一方同じ期間内での映画主題歌になると、上記流行歌ほどの大ヒット曲は出ていない。
むしろ今ではすっかり忘れさられてしまったような曲が多いようだ。
そのなかで次に取り上げた「東京ルムバ」はヒットしたほうの曲だった。

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☆「松竹 お光の縁談」(監督;池田忠雄)  21/10月封切  現代劇  白黒版

主題歌「東京ルムバ・藤山一郎、並木路子」(西条八十詩・万城目正曲)コロムビア 21/10月
○歌いだし「青い灯赤い灯まねく 銀座の夜はうれし・・・・」

主題歌「豊楽おどり・霧島 昇、松原 操、高倉 敏他」(詩曲・同上)  同上
○歌いだし「世界明るい平和の鐘に みのる稲穂の色のよさ・・・・・」

「東京ルムバ」は軽やかなリズムで、1〜4番までの歌詞の最後はすべて「・・・・ああ あこがれの東京若い東京」で結んでいる青春歌謡である。

この「東京ルムバ」は、昭和25年に「淡谷のり子」も出しているので、ちょっとまぎらわしい気がしてしまう。                            
淡谷のり子が唄った曲も☆「大泉映画 東京ルムバ」の主題歌になっている。

東京ルムバ・淡谷のり子」(野川香文詩・服部良一曲)テイチク  25/6月
○歌いだし「東京ルムバ 今宵も歌で更ける 東京ルムバ・・・・・」 になってる。

最近は「ルンバ」のほうが馴染みやすいが、戦前から戦後直後のころまでの曲は殆ど「ルムバ」になっていた。

さて映画「お光の縁談」は、こんな内容になっていた。
「小さな食堂をやっている三吉(河村黎吉)には、三人の娘が居た。長女と三女は嫁に行き次女のお光(水戸光子)が、店の切り盛りをしている。板前の友吉(佐野周二)は密かに光子に恋心を抱いていた・・。
一方嫁いだ姉と妹から、それぞれ金の無心をうけた光子は、なんとか工面しようと悩む・・・・」
他に久慈行子、清水一郎、高倉 彰、坂本 武らが出演していた。

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☆「松竹 許された一夜」(監督;佐々木啓祐)  21/12月封切 現代劇 白黒版

主題歌「可愛い希望・二葉あき子」(サトウハチロー詩・万城目 正曲)コロムビア 21/10月
○歌いだし「ちさい花ささやかな小風 たそがれのつめたい霧よ・・・・・」

主題歌「湖畔の一夜・宇都美 清、菊池章子、柴田つる子」(詩曲同上)同上
○歌いだし「湖にみどりしたたり さざなみに若さただよう・・・・・」

新人「宇都美 清」は21年5月に、銀座復興まつりの歌と言われる「銀座歩けば」(サトウハチロー・竹岡信幸)でデビユーしており、主題歌はこの「湖畔の一夜」がはじめてである。

昭和19年にコロムビアの専属になった「柴田つる子」は、21年5月に「港に灯りの点る頃」(藤浦 洸・平川英夫)で大ヒットを飛ばしたが、映画主題歌ではこの「湖畔の一夜」がはじめてになる。

映画の内容は
「一児を残して良人は戦死してしまい、戦後は貧乏のどん底の生活にあえぐ芙美(木暮実千代)が、ふっとしたことから、戸田(安倍 徹)という青年と知り合いになった。 
戸田は老いた母と二人暮しをしており、やがて彼は芙美に求婚する。その戸田母子にも辛い過去があった・・・・」
共演者には、清水一郎、英 百合子、槙 芙佐子がいる。

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☆「東宝 婿入り豪華船」(監督;斉藤寅次郎)  22/1月封切 現代喜劇  白黒版

主題歌「ぼくらの世界・藤山一郎」(サトウハチロー詩・鈴木静一曲)コロムビア 21/10月
○歌いだし「明るく晴れた晴れた 風が吹くそよ風が・・・・・」

主題歌「ほんのり花嫁・渡辺はま子」(古川幾郎詩・平野好夫曲) 同上 歌詞不詳

この映画では、都会と農村の食糧事情の落差を題材にしていた。
「農村で募集した花婿候補に、5人の腹ペコ青年が応募した。ひどい食糧難の東京を後にした彼らは、希望に燃えて船で農村に向かった。
しかし募集した村に着いて見ると、5人それそれに思惑はずれの婿入りさわぎが起きる」

当時の深刻な食糧難を背景に、農村優位を喜劇仕立てに描いている。
その5人の青年には、並木一路、内海突破、坊屋三郎、益田喜頓、岸井 明と人気の漫才師やコメデアンが出演している。

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ここでちょっと、わき道に入ってみることにする。

「この頃のサトウハチローの詩を思う」

主題歌に限らず終戦後の歌謡曲の世界でも、作詞で大活躍したのが詩人サトウハチローだった。
21年だけみても、「リンゴの唄」にはじまり主題歌を含めれば、30曲あまりも世に出している。                                   
どの曲の詩も、明るくやさしい気持ちに満ちており、戦後の荒廃した社会に希望の灯をともしてくれたと思う

21年11月に出た「涙は何処へ捨てましょか・池 真理子」では、こんな歌詞をハチローは書いている。(作曲;服部良一)
○歌いだし「涙は何処へ捨てましょか 昨夜も星に聞いたけど 星はやっぱり泣いていた・・・・」

またこの頃「ラジオ歌謡」でよく唄われた「黒いパイブ」もハチローの詞になる。(作曲;服部良一)
○歌いだし「君にもらったこのパイプ 昼の休みに窓辺に寄れば・・・・・」

そう言えばこの頃は「ラジオ歌謡」には、懐かしく思い出す曲が多く出ていた。

「昭和21年のラジオ歌謡から」

戦前の「国民歌謡」そして戦時下の「国民合唱」の代わりとして、戦後は「ラジオ歌謡」が登場した。

21年に放送された「ラジオ歌謡」のなかから4曲だけ挙げてみよう。
風はそよ風」(東 辰三・明本京静)♪「お早うさんとも云わないで そっと我が家の軒先に・・・・」

朝は何処から」(森まさる・橋本国彦)♪「朝はどこから来るかしら あの空越えて雲越えて 光の国から来るかしら・・・・・」

赤ちゃんのお耳」(都築益世・佐々木すぐる)♪「赤ちゃんのお耳は可愛いお耳 ふっくら可愛いかたつむり・・・・・」(童謡かと思っていたが、ラジオ歌謡だったとは意外だった)

楽しい夢」(野村俊夫・明本京静)♪「ああしてこうして それから後は こんな事などしてみたい・・・・」

さて再び映画主題歌の話に戻ろう
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☆「大映 修道院の花嫁」(監督;田口 哲)  21/9月封切 現代劇  白黒版

主題歌「若き旅愁・奈良光枝」(西条八十詩・古関裕而曲)コロムビア  21/10月
○歌いだし「あしたになびく花すすき 夕にひらく星の花・・・・・」

主題歌「牧場は晴れて・藤山一郎、奈良光枝」(詩・曲同上)  同上
○歌いだし「吹け吹け朝風よ 散れ散れ朝風よ・・・・」

この映画は、山本周五郎の原作になる現代もの作品である。

あらすじを見ると
「終戦により外地から復員した雄吉(宇佐美 淳)は、ふるさとの牧場に帰ってきた。
彼には由利子(奈良光枝)という将来を誓い合った恋人がいた。
ところが由利子は、雄吉が配属されていた部隊が外地で全滅したと聞いて前途を悲観し、修道院に入ってしまった。雄吉は修道院まで行って、神のしもべとして仕える由利子と会った・・・・」

他に加原武門、浦辺粂子北 竜二、小林桂樹、鈴木美智子、若原雅夫らが出演している。

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☆「大映 二死満塁」(監督;田口 哲)  21/12月封切  現代劇  白黒版

主題歌「チャンスチャンスだ・藤山一郎、柴田つる子」(サトウハチロー詩・佐野 鋤曲)コロムビア
○歌いだし「チャンスチャンス良いチャンス 二度とないよいチャンス・・・・」 21/12月

主題歌「恋の小鳥・渡辺はま子」(サトウハチロー詩・仁木多喜雄曲)     同上  
○歌いだし「合歓の葉陰にまどろむは 恋の小鳥か我が心・・・・・」
*(恋の小鳥の歌詞は、DJ AJIさんから提供していただきました)

映画は題名どおり、プロ野球の世界を描いている。
「主人公は六大学リーグで名バッテリーで鳴らした投手山田(夏川大二郎)と捕手原(宇佐美 淳)。二人はそろってプロの「アサヒ」に入団する。怪腕山田は新たに出来たプロ球団「弥生」から移籍の話を持ちかけられた。山田は移籍を決意して原とは別れる。     
だが新聞は「金に目がくらんだ」と山田をたたいた。心に迷いを持ったまま対アサヒ戦のマウンドに立った山田は、打者の原に入院を要するデットボールを与えてしまった・・・・・」

他に伊東光一、及川千代、小林桂樹、藍 三千子らが出演していた。

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2.まとめ                                     

3回に分けた映画主題歌の「昭和21年」篇は、今回をもって終わりとしたい。

振り返ってみると、同じ平和の時代でも、戦前の昭和10年前後の曲と比べて、妙に明るい健康的な曲が多かったような印象が残った。

21年という年代そのものは、衣食住で暗くて辛いどん底生活だったが、せめて明るい歌で心のバランスをとっていたのか・・・・・そんな思いに浸っている。

次回「昭和22年(その1)」では、年頭から同年4月ごろまでに出た映画主題歌を、取り上げて見る予定にしている。
                       (つづく)


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2007年11月09日

昭和21年(その2)

前回に続き、昭和21年6月から8月までに出た映画主題歌から始めたい。

前回の1〜5月期は全てコロムビアの主題歌ばかりだったが、今回からキングとテイチクの主題歌も登場する。
ビクターの主題歌が登場するのは、更に遅れて翌年(同22年)になるし、ポリドールは同24年、タイヘイは同26年と、戦後の映画主題歌は各社によって大きくスタートがずれこんでいる。

早速戦後になっても数々のヒット主題歌を独占している、コロムビア盤から始めることとしょう。

1.期待はずれだった接吻映画

☆「大映:或る夜の接吻」(監督;千葉泰樹)  21/5月封切 現代恋愛劇  白黒版

主題歌「乙女舟・霧島 昇、奈良光枝」(西条八十詩・古賀政男曲)コロムビア 21/6月
○歌いだし「すみれ色の帆を上げて 歌の旅ゆくおとめ船・・・・」

主題歌「悲しき竹笛・近江俊郎、奈良光枝」(西条八十詩・古賀政男曲) 同上
○歌いだし「ひとり都のたそがれに 想いかなしく笛を吹く・・・・・」

「悲しき竹笛」が大ヒットしたことは周知の通りだが、映画のほうも話題になった。
それは映画の題名に「接吻」の文字が入ったのは、邦画としては戦前を含めて始めてだったからである。

しかし戦後の映画で、接吻らしきシーンが登場するのは、この「或る夜の接吻」と当ブログの前回に出た☆「松竹 はたちの青春」がもっとも早かったようである。

この「或る夜の接吻」という題名を見て、映画館は若い男女で超満員になったということだが、私は観た覚えがない。
ところがいざ肝心の場面になると、雨の中に若原雅夫と奈良光枝の唇が近寄った瞬間、傘がかしいで顔を隠してしまい、観客は期待はずれでガッガリしたようだ。

映画の内容では、「詩人の貝殻一郎(若原雅夫)、建築技師の雁金走平(伊沢一郎)、発明家の紙 軽介(丸山 修)の三人は、かつて生死をともにした戦友同志だった。    
三人は戦線で散った戦友の丸山からの遺言により、復員してから丸山の二人の妹、綾子(奈良光枝)直子(町田博子)の消息を探す・・・・・」その後3人が織りなす恋愛模様のなかに、一郎と綾子の接吻シーンが登場することなる。

2.戦前の映画・レコード界で「接吻」はどう扱ったか

まず映画を調べてみると、戦前に国内で上映された「邦画」には、題名に「接吻」が入った題名はみつからなかった。                          
これは当局の厳しい検閲のせいか、或いは業界が自主的におさえたのかは判らない。

一方「洋画」の邦訳題名には、「接吻」を含む名の作品が幾つか存在しているようだ。
たとえば、昭和9年に日本で公開された洋画で「風の接吻」(監督;ノーマン・マクロード)という作品がある。

この洋画には、邦訳詩の主題歌レコードまでもが出ていた。                
風の接吻・松平 晃」(松村又一詩・外来曲)コロムビア 9/12月   歌詞不詳

このレコードがあるくらいだから、他にも「接吻」を含む題名の流行歌が戦前にあるのかな
と思って検索してみると、2曲だけ出て来た。

別れの接吻・川畑文子」(森 岩雄詩・外来曲)コロムビア  8/5月
○歌いだし「またたく星よ別れの唄よ 涙ながらにほほえむ顔よ・・・・・」
                          (大阪時事 8/4/30日掲載)
接吻の後で・金森愛子」(三木露風詩・須藤五郎曲) 8年ごろ  
○歌いだし「眠り給うや否という 皐月花咲く日なかごろ・・・・」
                          (大阪時事 8/8/24日掲載)
金森愛子の歌はラジオ放送だけで、レコードは出ていないように思う。

戦前に学校教育を受けた私には、接吻はあくまで「ひめごと」であって、公の場には出すものではない、即ちタブーのように思ってきたが、どうやら戦前でも曲名に「接吻」をつけるだけでは、かならず却下するというほどでもないことも判って来た。

それでは、欧米文化が解放された戦後の20年間(21〜40年)に、「接吻」を含む流行歌の曲名は、どれくらい出たのだろうか?と調べてみると、思ったより少なくて11曲しかなかった。

よくよく考えてみると、戦後は見た目に堅苦しい「接吻」という漢字よりも、カナ文字の「キッス」や「キス」にした曲名のほうが、欧米文化の洪水のなかに自然と受け入れられていったように思われる。                        
事実「キッス」や「キス」含む歌謡曲の曲名なら、同じ期間中で55曲もあったことからもみても裏付けされているようだ。

さて接吻談義はこれくらいにして、21年後半の主題歌に話を戻すことにしょう。

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3.21年6〜8月に出た主題歌

☆「大映 飛ぶ唄」(監督; 菅 英雄)  21/6月封切  時代劇   白黒版

主題歌「いとしき唄・霧島 昇、栗本尊子」(サトウハチロー詩・古関裕而曲)コロムビア 21/6月
○歌いだし「空のひばりはいとしいものよ おなかがすくとは知りながら・・・・」

主題歌「寓話節・霧島 昇、栗本尊子」(サトウハチロー詩・西 悟郎曲)同上   歌詞不詳

映画は、サイレント時代の昭和5年に出た☆「右太衛門プロ 飛ぶ唄」(監督;白井戦太郎)のリメイク版である。戦前の「右太衛門」の役が、戦後では「嵐 寛寿郎」に替わっている。

映画の内容は
「徳川時代は初期の頃、遠山十四郎(嵐 寛寿郎)は徳川の封建制度に不満を持ち、巷にあふれる庶民の不平不満の声を唄に託して街々に流布したため、幕府に追われることになった」

題名の「飛ぶ唄」とは、民衆の間にひそかに唄われて広がる「アングラソング」のような意味にとれた。

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次に珍しく舞台ショウの映画主題歌があった。
☆「日映 歌のアルバム」(監督;不詳) 封切日不詳  実写

主題歌「愛の小鳥・並木路子」(西条八十詩・竹岡信幸曲)コロムビア  21/6月
○歌いだし「赤い小鳥は貴方の胸に 白い小鳥はあたしの胸に・・・・」

戦時中ニュース映画でお馴染になった日映(社団法人・日本映画社)は、終戦後は解散して新たに株式会社として再発足した。
新日映は、21年度に教育・文化映画を中心として8本の映画を製作したが、その中の1本がこの音楽娯楽短編のこの映画だった。
しかしどんな内容の作品だったかまでは、資料がないので判らない。

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☆「松竹 鸚鵡は何を覗いたか」(監督;大曽根辰夫)  21/8月封切 現代劇 白黒版

主題歌「鸚鵡の唄・近江俊郎、池 真理子」(サトウハチロー詩・万城目 正曲)コロムビア 21/8月
○歌いだし「あなたと私の何もかも 可愛い鸚鵡はよくご存知よ・・・・」

主題歌「乙女の純情・霧島 昇、池 真理子」(サトウハチロー詩・万城目 正曲) 同上
○歌いだし「雨にかすむはみどりの丘か 遠い思い出面影よ・・・・」

「鸚鵡の唄」このリズムの軽やかなスウィング曲は、当時大変流行ったことを覚えている。

映画の副題が「新婚第一夜」とあるだけに、鸚鵡が目撃した内容が気になるところだか、この映画の原作は、売れっ子作家の「織田作之助」になっている。

そして内容では
「戦時中、内地で同じ部隊にいた二人の兵士(佐分利信と森川 信)が、復員後辿ったさまざまな苦労の末に、それぞれ恋人(池 真理子と大原英子)と結ばれるまで物語」になっている。

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☆「大映 雷雨」(監督;田中重雄)  21/8月封切  現代劇  白黒版

主題歌「涙の夜曲・井口小夜子」(高橋掬太郎詩・鈴木哲夫曲)キング  21/8月
○歌いだし「一度心に書き留めた 君が頭字なぜ消えぬ・・・・」

主題歌「愛の雷雨・島村恒治、都 能子」(高橋掬太郎詩・鈴木哲夫曲) 同上
○歌いだし「街の雷雨に身を投げて 何を嘆くか夜更けの柳・・・・」

「都 能子」は、後の「織井茂子」と改名する。
この2曲は、キングレコートとして終戦後初の主題歌になっている。

映画では美人女優の折原啓子が主演しており、人気を集めていた。
「終戦後満洲から引き上げてきた技術者の山上(若原雅夫)は、内地に残していったかつての恋人光子(折原啓子)が、他人の妻になっていることを知り懊悩する。
一方光子も山上の帰国を伝え聞いて、悔悟の情にもんもんと悩むのだった。そして良人(小柴幹治)とともに山上に会う日がやってきた・・・・・」

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☆「松竹:粋な風来坊」(監督;マキノ正博)  21/2月封切 時代人情劇 白黒版

主題歌「粋な風来坊・美ち奴」(萩原四朗詩・鈴木哲夫曲)テイチク 21/8月
○歌いだし「へに長の字を染め抜いた 紺ののれんに腰高障子・・・・・」

主題歌「裾野の唄・小野 巡」(萩原四朗詩・細田義勝曲)  同上
○歌いだし「街道自慢の馬子唄も 何故かはずんだばか調子・・・・」

この曲は戦時下の18年8月にレコード吹き込みしたが塩漬けされて、戦後になってやっと陽の目をみている。

映画の内容は
「徳川幕府が崩壊し明治維新になった頃、次郎長一家も時代の波に勝てず、家計は火の車だった。そんな折り、長らく勘当を受けていた次郎長(笠 智衆)の息子・清太郎(山内 明)が訪れて、やくざを清算せよと父親を説いた。そしてもう一人小池文之進(佐野周二)も、痛烈に封建的なやくざ社会を批判した・・・」                        
明治8年には富士の裾野で、自ら鍬を握って開墾したとたという次郎長の、意識改革をめぐる物語になってる。

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4.まとめ

戦後の混乱期の最中にある、昭和21年の6月から8月までに出た映画主題歌を取り上げてみた。

この頃は闇市では、金さえ出せばなんでも手にすることが出来たが、一般の国民は新円封鎖をうけて、ますます生活は困窮化していた。

私自身、この年の春にどうにか或る工場に就職が決まったが、通勤は下駄ばきだった。
靴が欲しくて闇市をめぐってみたか、あまりにも高値で手が出なかったことを思い出す・・・・そんな頃だった。

次回の「昭和21年(その3)」では、9月から年末にかけて出た主題歌を取り上げてみることにしたい。
                        (つづく)


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2007年11月02日

昭和21年(その1)

1.戦後復興期と映画主題歌の復活

敗戦の痛手さめやらぬ昭和21年に出た映画主題歌は、僅か30曲程度しか出ていない。
なにしろ中・大都市の映画館が戦災で焼かれたため、製作された映画そのものの数自体も少なかったからだ。

「田中純一郎;日本映画発達史3」によると、
「戦前二千四百余館に達していた全国の映画常設館は、戦時中の強制疎開、フイルム資材の不足、空襲による焼失などで次第に減少し、終戦当時は僅か八百四十五館に過ぎなかった」とあるから、映画館数が最盛期の約三分の一に減ってしまったことになる。

地方で焼け残った映画館も、GHQに差しさわりの無い戦前作品を再上映してみたり、レコード会社もとりあえず戦前のヒット曲を再プレスて、急場をしのいだりした時代だった。

また映画館の入場料は、邦画封切館の場合
21年5月→4円50銭  22年3月→10円  22年9月→20円
と激しいインフレで高騰したという。「田中純一郎;日本映画発達史3」より   

さて、戦後復興期といわれる昭和21〜25年までの5年間に出た、邦画劇映画数と映画主題歌数を表にしてみた。            (*一部に映画挿入歌も含んでいる)

         邦画劇映画本数   主題歌曲数     
昭和21年     81本       30曲
昭和22年    103本       70曲
昭和23年    124本       75曲
昭和24年    166本      145曲 
昭和25年    229本      160曲

上記の数値は公式に発表されたものでなく、手許の資料からとったもので若干の誤差はあるかもしれない。しかし戦後復興期に、年々増加してゆく傾向だけは把握出来ると思う。
特に24年の主題歌の伸びは、倍増に近い数字を示している。
まだまだ食料事情も住宅事情も苦しかった頃なのに、娯楽の伸びは思いの他の速さで進んでいたように思われる。

2.戦後復興期の新聞ラジオ番組欄事情

当ブログは、昭和初期の新聞に掲載されたラジオ番組欄と映画欄に載った歌詞を、拾って紹介する趣旨になっているが、戦後直後の数年間はまったく不可能だった。

それは戦時下の昭和15〜16年から終戦後の同24〜25年頃までは、新聞用紙不足のため、極端な減ページを強いられていたからである。
そのためラジオ番組だけが紙面の片隅に載る程度であって、ラジオ番組の解説欄はないし、映画紹介欄も勿論なかったから、歌詞を拾うことは不可能だったのだ。

戦後の24年ごろからやや用紙が緩和され増ページされ出したが、昭和10年前後のように放送されて歌謡番組内の曲を、歌詞付で派手に紙面に載せような復活は、ほんの一部の新聞に限られてしまった。

たとえば朝日、毎日のような大手紙は、戦後ラジオ解説欄に放送した歌謡曲の歌詞を載せることを廃止している。
讀賣新聞や讀賣から分離した報知新聞は、昭和25年頃からポツポツと放送された曲の歌詞を載せるようになったが、戦前なみの復活には至らなかつた。

一方地方紙では、用紙の緩和につれて歌詞を載せる社も一部にあったが、それも一時的現象で時代の推移とともに、歌詞掲載は新聞からまったく消えるしまうことになる。

戦後の新聞から歌詞掲載が消えていった原因としては
1.昭和26年ごろからNHKラジオ独占が破られて民放ラジオが各地に出来た。
所謂多局化時代の幕明けである。
そのため新聞はラジオ番組欄だけでも大幅に紙面を占めたため、ラジオ番組解説欄を圧迫してしまい、放送された曲の歌詞を載せる余裕がなくなってきた。

2.更に28年からテレビ放送がはじまると、更なる多局化の波にのまれてテレビとラジオの番組欄が紙面を殆ど占めてしまい、番組解説欄は縮小または廃止の運命を辿ってしまって現在に至っている。                       
随って放送された歌謡曲の歌詞を紹介するという戦前の一部の新聞の慣習も、昭和35年ごろまでには全ての新聞から消えてしまった。

3.一方映画芸能欄のほうを見ると、新聞用紙緩和にされて昭和25年以降になっても、戦前のような紙面を大きく取ったりする大手紙は殆どなかった。
戦後は一般新聞よりも、現在の夕刊スポーツ、芸能紙のような専門紙の方向に移行していったが、そうした専門紙でも、映画欄に主題歌歌詞を速報するようなことはなくなってしまった。
  
専門紙としては、私は初期の「アサヒ芸能新聞」から、映画主題歌や歌謡曲の歌詞をかなりの数集めている。期間は昭和26〜30年ごろだったと記憶している。

そんな訳でこれから載せる戦後篇も、昭和21〜25年頃までの映画主題歌の歌詞は、新聞以外の資料に頼っていることをお断りしておきたい。

3.昭和21年の前半、青空闇市に流れた歌

戦後初の映画主題歌といえば、多くの人々によく知られている、この曲から始まった。
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☆「松竹 そよかぜ」(監督;佐々木 康)20/10月封切  現代劇  白黒版

主題歌「そよかぜ・霧島、昇、並木路子」(サトウハチロー詩・仁木多喜雄曲)コロムビア 21/1月
○歌いだし「森の木の葉がうなづいた あれはそよ風たずねたしるし・・・・」

主題歌「リンゴの唄・霧島、昇、並木路子」(サトウハチロー詩・万城目 正曲) 同上
○歌いだし「赤いリンゴにくちびる寄せて だまって見ている青い空・・・・・」


映画「そよかぜ」の音楽監督が作曲者の「万城目 正」なので、「リンゴの唄」は劇中歌として並木路子が唄っていた。その後ラジオから流れて人気を呼び、レコードも出たことになっている。

並木路子については、戦後彗星のような現れたフレッシュな新人歌手のような印象があるが、実は戦時中にレコードを2曲出していた。

「世界隣組・並木路子」(サトウハチロー詩・仁木多喜雄曲)コロムビア  昭和17年1月
「御代の春・霧島 昇、並木路子」(山口国敏詩・万城目 正曲)コロムビア昭和18年5月

並木路子が「リンゴの唄」で霧島 昇とデュエットするのは、2度目ということになる。
「御代の春」は松竹少女歌劇「東京踊り」の主題歌になっていた。

さて映画「そよかぜ」の内容は、歌好きなレビューの照明係の少女みち(並木路子)が、楽団員たちに励まされ、やがて歌手としてデビューするが、最後は一座を捨てて恋する男と結ばれる物語になっている。

他に他に出演者としては、佐野周二、上原 謙、斉藤達雄、高倉 彰、奈良真養、三浦光子、二葉あき子、霧島 昇らが出ていた。

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21年1月に「そよかぜ」の主題歌が出た後は、4月まで映画主題歌のレコードは出ていない
5月に入ってコロムビアから、次の5曲が出ている。

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☆「東宝 麗人」(監督;渡辺邦男) 21/5月封切  現代劇  白黒版

主題歌「麗人の歌・霧島 昇」(西条八十詩・古賀政男曲)コロムビア  21/5月
○歌いだし「紅い帯しめ花嫁人形 明日は売られてどこへゆく・・・・」

主題歌「緋房の篭・高倉 敏、二葉あき子」(中村 積詩・古賀政男曲)同上
○歌いだし「鳴けよ唄えとあやされる あわれ緋房の篭の鳥・・・・」

霧島 昇の「麗人の歌」はかなりヒットしたから、知っている方も多いと思う。

映画の内容は
「没落華族の娘・圭子(原 節子)は、石炭王の資本家と政略結婚を強いられる。しかし夫の非道な経営に反発して婚家を飛び出した圭子は、労働運動家と結ばれることになる」
この映画と似たようなストーリーで、しかも題名も同じな作品が戦前にもあった。

それは昭和5年封切の☆「松竹 麗人」(監督;島津保次郎)という映画があり、主題歌「麗人の唄・河原喜久恵」が大ヒットしたが、霧島の唄った曲とは別である。
戦前の曲の○歌いだしは「ぬれた瞳とささやきに ついだまされた恋ごころ・・・・」になっている。(サトウハチロー詩・堀内敬三曲)コロムビア 5/4月

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☆「松竹 はたちの青春」(監督;佐々木 康) 21/5月  現代劇   白黒版

主題歌「可愛いスイトピー・並木路子」(サトウハチロー詩・万城目 正曲)コロムビア 21/5月
○歌いだし「可愛い小さなスイートピー スイートピー なにを願うか祈るのか・・・・」

この主題歌も当時ラジオでも盛んに流したので、大変ヒットした曲だった。

映画は、主演の幾野道子と大阪志郎による、日本映画初の接吻画面が登場したことで知られている。映画のあらすじは次のようになっている。
「銀行員の桑原(河村黎吉)には、一人娘の章子(幾野道子)がいた。章子はひそかに三好啓吉(大阪志郎)を思慕していたが、ある日桑原は章子と一緒にいた啓吉を見つけて喧嘩となった。
そのため恋人と父親との板ばさみになつた章子は、家出をしてしまう・・・・・」

接吻の場面が登場するといっても、顔と顔が重なる程度しか写っておらず、最近の映画のようにそのものスバリではなかつたようだ。
この話になるとよく引き合いに出される☆「大映:或る夜の接吻」については、次回で述べたい。


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☆「東宝;幸福の仲間」(監督;佐伯 清) 21/4月封切   現代劇  白黒版

主題歌「幸福の仲間・榎本健一、池 真理子」(サトウハチロー詩・服部良一曲)コロムビア 21/5月
○歌いだし「あのねあのね ホラのどかなのどかな朝だ・・・・」

主題歌「乙女の胸に・池 真理子」(サトウハチロー詩・服部良一曲)     同上
○歌いだし「乙女の胸に秘めた言葉 夜の風にせめて伝えん・・・・・」

映画では、榎本健一、山根寿子、清水金一、鳥羽陽之助、高勢実乗、池 真理子が出演しているが、。
映画のあらすじは
「東京下町に住む二人の失業者・啓一(エノケン)と勘太(シミキン)は仲の良い友達である。ある日街で空腹で倒れていた、美しい娘幸子(池 真理子)を介抱した。
そして二人はともに幸子に恋心を抱いたため、きまずい恋敵同士になってしまう・・・・」

出演者を見るとドタバタ喜劇のように思えるが、実はほのぼのとした下町の人情劇になっていた。

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4.まとめ

本日からはじまる「映画主題歌・戦後篇」の幕明けは、昭和21年1月からになっている。

終戦後の20年後半は、新しい映画や流行歌のレコードも幾らかは出ているが、映画主題歌はなかったからだ。

今回の「その1」では、昭和21年の1〜5月期に出た映画主題歌を、全て取り上げてみた。

この年、私も21歳になっていた。荒廃した社会、飢餓に苦しむ日々の生活、今思い返しても郷愁を覚えるような雰囲気ではなかった。
よく生き延びたというのが、実感として迫ってくる。

私のような歳で郷愁を覚える時代は、戦前の昭和10年前後の頃と云えるだろう。

さて次回は「その2」として、同年6月以降の主題歌に移ってゆきたい。
                    (つづく)


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