2008年01月18日

昭和23年(その1)

1.昭和23年1〜4月のコロムビア主題歌(上)

戦災で焼かれた都市の映画館も、3年目の23年ごろになると、だいぶ復興してきた。
「田中純一郎;日本映画発達史掘廚砲茲襪函配給系統別の映画館の数は、次のようになっている。
        松竹系列館   東宝系列館   大映系列館
昭和21年    583館    863館    780館
昭和22年    831館   1119館    897館
昭和23年    924館   1000館    914館

23年東宝の1千館丁度はちょっと怪しい数字だか、多分大東宝争議の後遺症で、分かれた新東宝も東宝系列の配給ルートを使っていたし、やや系統が混乱気味だったのかもしれない。

争議で痛手を受けた東宝を除いて、松竹、大映、新東宝の製作本数は次第に増加している他に、東映の前身である東横映画(配給は大映系列)も新たに加わった。      
そうなれば当然映画主題歌の曲数も、ますます増えて来ることになる。

まず、コロムビアの1〜4月期に出た主題歌から取り上げてみることにした。       
どういう訳かわからないが、23年に入ってのコロムビアの映画主題歌は、1〜3月まではお休みで、4月にまとめて11曲も出ている。
今回はそのうち7曲だけ取り上げ、残りは次回に回したい。

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☆「☆新東宝 あの夢この歌」(監督;渡辺邦男) 23/3月封切  現代音楽劇 白黒版

主題歌「あの夢この歌・霧島 昇、二葉あき子」(西条八十・古賀政男)コロムビア23/3月
○歌いだし「幼い日悲しい日 聞いた唄やさしメロデー・・・・・」

主題歌「紅雀の歌・霧島 昇」       (詩曲とも同上)     同上
○歌いだし「なく音かなし紅雀 誰かお前にけがさせた・・・・・」

映画は西條八十の「歌の自序傳」を原作としている。
随って主人公は西条八十自身であり、彫りの深い詩人の容貌に似ている斎藤達雄が西条八十を演じている。

現代音楽劇とあるだけに、戦前大ヒットした西条八十作詞の曲が次々と登場するし、歌手の霧島 昇、松原 操、高倉 敏、栗本尊子が、映画の中で懐かしいヒット曲をうシーンが出てくる。
俳優では、岸井 明、清川虹子、黒川弥太郎、江川宇禮雄らが出演していた。

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昭和の流行歌の世界に偉大な足跡を残した西条八十は、昭和28年に発行された「丘 十四夫;歌暦五十年」の序文に、こんな言葉を贈っている。

「(前略)現今の大衆の歌謡は、多くその時代からの忘却や逸脱のために歌われるのであって、生きている時代が苦しければ苦しいほど、流行歌は安易で甘美なものになる。
大衆は大部分その歌詞と音楽によって、慰籍の夢を求めているのである(後略)」

その西条八十の弟子である作詞家・丘 十四夫(のちの丘 灯至夫)も、流行歌の歌詞について次のように述べている。
「流行歌は、涙と、月と、鴎と、女と、酒を適当に組み合せれば出来る・・・・・・などと簡単にいうけれど、さてそれではそれらの道具を寄せ集めて、大衆の心をうつ歌が生まれるかというと、そうはトンヤがおろさない」        

と手きびしい言葉に置き、更に続けて                          
「今に残る歌の数々をながめると、寿命長く歌われ続けた歌は、おなじ酒、月、女・・・・を組み合わせたものにしても、作り方が違う。
その詩にただようニュアンスや、リリシズム、時代感覚、と言ったいろいろなものが融けあって、人々の胸をうつので、流行歌ひとつ作るにしても、それ相応な努力と天分が必要なのである」と結んでいる。(歌暦五十年の「あとがき」から抜粋)

映画の原作になった、西条八十の「歌の自序傳」はまだ読んだことがないが、「森 一也;セブンエイト千夜一夜譚」によると、晩年の詩人についてこう述べている

「昭和35年に貞淑な夫人を喪なうと、毎月八柱霊園へ墓参りを欠かされなかった。
ある朝筆者がお供すると、自動車が浅草を過ぎようとした時、詩人は感慨深そうに「僕の子供の頃、この辺は春になると、れんげやタンポポり一杯咲く野原でね、よく友達と花摘みに来たことがある。“誰か故郷を想わざる”の1番は、この辺を懐かしんで作ったよ」と仰言ったのであった」
「歌の自序傳」は古い本のようだが、一度読んでみたいものである。、

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☆「東横映 花嫁選手」(監督;小杉 勇) 23/3月封切  現代劇 

主題歌「若い季節・高峰三枝子」(サトウハチロー詩・仁木多喜雄曲)コロムビア  23/4月
○歌いだし「香りも甘い柿の花 むせてくよな栗の花・・・・・」

主題歌「なんにも言わずに・池 真理子」(詩曲とも同上)       同上
○歌いだし「何にも云わずにそれっきり 横を向いたの泣いてたの・・・・」

A面にあるサトウハチローの歌詞の出だしを見て、フッと思った。         
むっと鼻にくる青くさい栗の花の匂いはお馴染だが、柿の花の甘い香りってが本当だろうか?と。 
我が家にも柿の木があり、毎年白い花を咲かせているが、甘い匂いがあることは知らなかった。

さて映画は、中野 実の連載小説を映画化している。中野 実といえば、戦前から戦後にかけて、ユーモア小説の大家であり人気も高かった。

映画の主役は高峰三枝子で、中西志保という銀座の街頭写真師役であると、キネマ旬報の梗概に載っていた。

戦後初期の頃といえば、個人にカメラが普及する前のことになるが、街頭写真師が都会の賑やかな道筋に出没して、無許可で通行人を撮影しては、住所氏名を聞いた上写真の後送を条件に代金を請求していた。
まだインスタントカメラの無かった時代なので、果たして現像焼付してから送ってくれるのか不安を感じた人も多かっただろうと思う。                     

一方で無断で写真を撮られたことを、プライバシーの侵害だと憤慨抗議すると言った雰囲気は、殆ど無かったような時代だった。

高峰三枝子が演じた街頭写真師は、こうした商売だったのか、或いはフリーのカメラマンだったのか、映画を観ていないので私には判らない。
他に、木暮実千代、風見章子、プロ野球から大下 弘選手も出演していた。

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☆「松竹 駒鳥夫人」(監督;野村浩将) 23/7月封切  現代劇  白黒版

主題歌「涙の駒鳥・霧島 昇、二葉あき子」(西条八十詩・万城目 正曲)コロムビア 23/4月
○歌いだし「逢うは別れのはじめとは 誰が悲しく云いそめた・・・・・」

主題歌「旅空夜空・渡辺はま子」(詩曲とも同上)           同上
○歌いだし「はるばると帰れば 宿は荒れ果てて・・・・・・」

映画は原作は菊田一夫で、戦時中と戦後をまたいだ物語になっている。

「遠い戦地に征つた後宮信太郎(佐分利 信)の還りを待つ、及川美也子(水戸光子)のもとに、信太郎戦死の公報がもたらされた。
美也子に同情した信太郎の友人・藤本春樹(宇佐美 淳)は、戦後の混乱期にいろいろと生活の面倒を見てやる。
ところが戦死したはずの信太郎が、内地に帰還したため話がこじれてきた・・・・」
他に高杉妙子、村田知栄子、飯田蝶子らが共演している。

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☆「松竹:シミキンの結婚選手」(監督;野村浩将) 23/3月封切 現代喜劇 白黒版

主題歌「恋のいろ・近江俊郎」(藤浦 洸詩・服部良一曲)コロムビア 23/4月
○歌いだし「赤い赤色うれしい色よ 丘にはリンゴや畑にトマト・・・・」

映画はこんな内容になっている。
「社長(柳家金語楼)宅に書生として住み込んだ秋山金太(清水金一)は、社長の娘幸子(朝霧鏡子)に一目ぼれ、なんとか関心を惹こうと躍起になるが、幸子のほうは一向に気にもかけてくれない。
それにそそっかしい金太は、失敗ばかりを繰り返す始末。
そこで彼は、社長の息子の失敗事を引き受けるという、捨て身の戦法に出た・・・・」

他に、堺 俊二、坂本 武、岡村文子らが共演していた。

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2.映画題名「○○の・・・・」で判る人気のバロメーター

上記☆「松竹 シミキンの結婚選手」の前に☆「松竹 シミキンの拳闘選手」が出ているが、更に同年に☆「松竹 シミキンの探偵王」も封切られている。                 

更に昭和24年には☆「松竹 シミキンのスボーツ王」 ☆「松竹 シミキンの忍術凸凹道中」がある。
同25年には☆「東宝 シミキンの無敵競輪王」と、わずか3年の間に「シミキン」が題名の頭に付けられた映画が6本も出ている。

清水金一は、戦前に浅草で軽演劇をやっていたというが、私はその頃のこの喜劇役者についてはまったく知らなかった。

しかし調べてみると、昭和15年に5本もの映画の主役をやっている。
いずれも☆東宝作品で、「豪傑人形」「だんだら絵巻」「電撃息子」「さつまいも太平記」「鳶」という題名になっており、戦前には題名の頭に「シミキン」は付いていない。

それが戦後になり突然のように人気急上昇して、6本の映画に「シミキンの・・・・」がつくようになった。                               
当時の浅草で「シミキン」の舞台を見たことの無い私には、人気沸騰の理由はよく判らない。

喜劇役者の名が頭につく映画題名としては、戦前なら「エノケン」と「ロッパ」それに「金語楼」を思い出す年輩者が多いことだろう。

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戦前で「エノケン」が頭につく題名は、昭和9年の☆「PCL エノケンの青春酔虎伝」をはじめとして、昭和16年の☆「東宝 エノケンの爆弾児」まで25本を数える。
まさに「エノケンの」を題名の頭につけさえすれば、映画館の集客力がアップする・・・・そんな感じの時代だったのだ。

更に戦後にも、昭和23年の☆「大映 エノケンのびっくりしゃっくり時代」という長い題名にはじまって、昭和29年の☆「新東宝 エノケンの天国と地獄」まで11本もあり、戦前戦後を合わせると36本となる。              
さすが大喜劇王の名に恥じない「エノケン」の面目躍如たるものがあると言えるだろう。

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一方ロッパのほうを見ると、昭和13年の☆「東宝 ロッパのがらまさどん」から始まり、昭和20年の☆「東宝 ロッパの突貫駅長」までに9本出している。

戦後には「ロッパ」だけを冠した題名はないが、「エノケン」と「ロッパ」を一緒にした映画が1本だけ出ている。
☆「松竹 エノケン・ロッパの弥次喜多ブギウギ道中」(監督;大曽根辰夫)25/7月封切

なんとも長い題名だが、これも二大喜劇王を頭に冠することで、集客力アップを狙ったものだろう。

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戦前では昭和14年の☆「東宝 金語楼の大番頭」から、同15年の☆「東宝 金語楼の噫無情」までに4本ある。

戦後は31年の☆「新東宝 金語楼の兵隊さん」に始まって、同35年の☆「日活 金語楼の俺は殺し屋だ」までに8本も出ている。

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まず一番多いのが「美空ひばり」の主演映画の「ひばりの○○」題名だろう。
昭和26年に☆「大映 ひばりの子守唄」からはじまり、同37年の☆「東映 ひばりの花笠道中」までに10本ある。
更に☆「東映 ひばり・チエミの○○」を加えれば12本になる。

他にもある。
☆「デン助の○○」(大宮敏光) 6本  (昭和31年〜34年)   

☆「アチャコの○○」(花菱アチャコ)3本  (昭和31年)       
                         
☆「森繁の○○」(森繁久弥)  5本  (昭和30〜32年)     
   
☆「伴淳の○○」(伴 淳三郎) 3本  (昭和32〜36年)
(別に「伴淳・森繁の○○」も2本ある)


こうしてみると「美空ひばり」以外は、すべて喜劇俳優ばかりが並んでいる。
大正末から昭和初期にかけて「チャップリンの○○」「キートンの○○」「ロイドの○○」といった喜劇洋画の邦訳題名が数多く出ていた。         

日本の喜劇役者も、あの偉大な喜劇王「チャップリン」にあやかりたい、そんな願望がにじみ出ているような「映画題名」と感じるのは、私だけだろうか。

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3.まとめ

毎日厳しい寒さの中に、我が家の庭では蝋梅の黄色い花が、真っ盛りになってきた。
しかし隣に植えてある白梅の蕾は固くて、春はまだ遠し・・・・の感である。

今回のブログでは昭和23年春の頃の、コロムビアの映画主題歌の一部7曲を取り上げてみた。

同じ年春頃の、残りのコロムビア主題歌4曲にキング主題歌2曲を加えた6曲を、次回の「昭和23年 その2」に回すことにした。
更にその後は、ビクターそしてテイチクと懐かしい主題歌の戦後の軌跡を、たどって行きたいと思っている。
                       (つづき)


oke1609 at 10:36│Comments(0)TrackBack(0)音楽 | 映画主題歌

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