隠岐の島の730日

島根県、隠岐の島町 短期移住者(2016.4~2018.3)のブログ。 とりあえず完結!

平成30年4月吉日

最終回

さよなら隠岐の島町、黄金の海

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最後の最後に、「的の前」に連れて行ってもらいました。
的の前(まとのまえ)とは・・・
旧加茂村、賀茂那備神社の前に紹介看板があります。
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そういえば、この伝説案内板めぐりを計画してたが、実現できなかったのは心残り

さて、京都から神様が射た矢がここ隠岐の島に突き刺さった。そこが的の前と呼ばれる伝説の地となっているという。ここが賀茂那備神社(上の看板には加茂那備神社とあるが)というのはこの伝説に由来する。だが、どこにあるのかよくわからない・・・と書いてあるサイトがあるが、それもそのはず、海上からしか見られないのである。チラチラっとネット情報を元に隠岐に来て「隠岐を満喫しました」とか言ってる旅行系ブロガーはネット上に隠岐の情報はない!ということを覚えておいたほうがよいですぞ。 
ということで地元の方の協力で漁船をだしてもらい拝見に向いました。
現時点で的の前を紹介しているサイトは無い!世界初公開である。わーはっはっは。
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加茂の漁港から出港。向こうの橋は加茂のレインボーブリッジと呼ばれている。
晴れていたが風が強く船がポンポン跳ねた。船もモノによるが、軽自動車くらいの値段で買えるようである。

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ここ!この円内が的の前らしいが手前に松が生えて見えなくなっている。
松がないころは、キレイな的の形の◎がみえたらしい。ほんの少しばかり前のことのようであるが。
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近くによってもらうが、ちょっとわからないようである。
的の前を復活させるなら、松を切ってしまわなければならないが、こういう誰も来ないところを整備するかっていうと、なかなかねえ。

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まばゆい春の陽射しが謎めいた縞模様の地形を照らしている。
火山の噴火による溶岩などが流れたり積もったり、それらが固まっては噴火を繰り返してできたものである。黒い地層は、鉄分が含んでいたところで、地層に埋もれていたため酸化せずに固まり、その後地層が削られて露出したものだ。隠岐ジオパークの講演会で聞いた話である。
的の前、それは幾千年の間の果てしない火山活動によるこのような地層がなんらかの力で、いずれにせよ現在では科学的に説明できる力により丸く見えるようになったものを、昔の人が、これを神のなせる業と思い、京都と隠岐の密なる関係とを重ねあわせたことで現れた伝説なのかもしれなかった。その不思議は、人目に触れることもなく静かに消え去ろうとしていた。

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最後の晩餐はイカ、サザエ、お刺身と隠岐らしく海産物をたらふくいただきました。

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出発の日は隠岐ブルーに晴れ渡り、風もなく最高の天気でした。
見慣れたメインストリート
坂がある 坂道の町だ 覚えているよ

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西郷港の3階は休憩所になってます。
私は使ったことないが、欠航とかで行き場がないひとは使うこともあるのだろうか。

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ダーツバーもある! 行ったこと無いけど



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なんと例のお別れテープで見送っていただきました。


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お見送りの方々はともかく(笑)、奥の誰か知らない親子連れにも手を振っていただきました。


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「ありがとう! 最高だ!!」

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このブログの第一日目で紹介した「お世話になりました」(井上順)という曲があって、小学生でも読める平易な歌詞だけど、730日かかって、「腑に落ちた」ことがある。

新しい生活に旅立つときに、別れゆく人たち言えることはたった一言だけ。
お世話になった人、思いがけなく味方になってくれた人、懲らしめてやりたかった人、好きだった人・・・
あなた方のことは忘れません。どうか、元気でいてください。心からお祈り申し上げます。

隠岐の島の730日は、本土とは違うこと、離島で生活するということが、どれほど孤独で、つらいことか、僕に教えてくれました。
また、生きていくうえで大切なことが何であるか、それも教えてくれました。
そして、そんな中でも、ちょっと勇気を出して、自分の個性を発揮しようと努力しさえすれば、たくさんの仲間が、たくさんの経験ができるということを、確信させてくれました。
本当に皆さん、
「お世話になりました!」

EC2「エルドラド」(聖飢魔II)


ボーナストラック「隠岐の島からの引っ越し」

100日前(12月21日)
この辺から、なんとなくそわそわして落ち着かない。
ちなみに730日が1095日になる可能性もなくはなかったのだが、かっこ悪いので本ブログは730日をもって完結させるつもりではいたのである。
キャンセル上等で、3月末から4月初めの出発予定日までのホテルを予約しておく。
引っ越し予定日も、4月1日が望ましいが、島に何件も業者がないので、駄目ですって言われたら「詰み」である。ある程度前後してもいいように準備しておきたい。おカネも時間や、精神的な余裕もケチらないのがよい。

90日前(1月1日)
出発予定日を組んでカーフェリーの予約をする。直前で慌てて予約しても「駄目です」って言われたら「詰み」だからである。
暖かい日にでも少しずつ荷造りするか、とも思うが、ちっとも暖かい日など来ない!
やはり平日は疲れているので、なかなか引っ越し仕事もはかどらない。土日、特に祝日をいれた連休が勝負時である。とはいえ荷造りいうても、まだ生活はあるし・・・とにかく捨てるべきものを分別する作業をする。

80日前(1月11日)
本の梱包には、一番小さいサイズのダンボールが欲しいが、雪が降って買い物に出られなかった。
ゴミ券の買い置きもなくなってしまって、ゴミすら捨てられない。
久しぶりに晴れたので、ホームセンタージュンテンドーに買いにいくと、狙っていたSサイズのダンボールが売り切れ!(しまった!出遅れた!?)
この4月に引っ越す人たちはどれくらいいるのか。職業人も、学生もいるだろう。1000人として、一人10箱ダンボールを使ったら10000箱いるのである。島で一件しかないホームセンターでいったいダンボールの在庫はいくら確保してくれてるのだろうか。
さあやるぞ!ってときにダンボールがなかったら、即「詰み」である。
割合早い時期に気がついて良かった。こまめに顔を出して、確保していこうと思う。
にしてもここに来るときにダンボールを何箱使ったか、記録しておくべきだった。これも失敗である。
私のように短期といえば短期なら、ダンボールのまま保管するのもあるかもね。
私は前にダンボールのまま畳の上におきっぱなしにしていたら畳が腐ったことがあったので(笑)ダンボール保管には慎重である。

70日前(1月21日)
先日こんな記事があった。
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引っ越し大手が春の繁忙期にトラック運転手の人手不足対策で値上げする。日本通運とヤマトホールディングス(HD)は単身者向け引っ越しで3月末前後に5千円(税別)の割増料金を設定する。アートコーポレーション(大阪市)は法人契約で最大1割の値上げを求める。宅配便から始まった値上げが引っ越しに波及し、生活への影響が広がってきた。
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だからシーズンを外してお安くしませんか、などというのだが、それができたらやっとるわい!
引っ越し金額の目安ってのもないが、いろいろ聞いてみると隠岐←→本土(島根)でも一家がひきあげるとなるとやはり50万は掛かるようだ。島根以外のどこかなら、さらに倍、かどうかしらんが、そのくらい金額に余裕がないといかんだろう。ちなみにいわゆる単身パックならひと棹2万というところである。隠岐にきて暇だからってやたらモノを買い込むと大変なことになる。このへんは諦めるしかない。

60日前(1月31日)
隠岐島からの引っ越し者が殺到すると、業者はさばけるのかと不安になる。毎年のことなのだとは思うけど。今年は3月末日と4月1日が土日である。当然ながら、この二日間に殺到する予感がする。平成29年3月26日(日)の記事「隠岐の別れ」のときは、学校の先生もいたようだが、教職員は春休みというものがあるので、4月を待たずに去っていくこともあるのだろうか。
※教職員は春休み(3月中)に去って行くようです。

50日前(2月10日)
今週の寒波は、地元の人でも10年ぶりとか言うことだ。
もう2月になった。あと二ヶ月後にはここにいないというのに、なんだか実感はない。寒いし。とか思っているうちに貴重な土日をごろごろして過ごしてしまった!
まあとにかく、要らないモノを捨てるところから始めようじゃないか。残りのゴミの日(不燃物、古紙、粗大ごみ、リサイクル)をチェックして、捨てるべき日を決める。最後の最後に、一気に片付けるしかない。処分場への直接持ち込みもできるけど、日にちが決まっているのであまり便利でない。

40日前(2月20日)
730日での任務終了も確定し、次の館も決まった。いよいよ本格始動である。
アマゾンでプレミア値がついてる引っ越しガイドブックの中古本があって、10年以上前に私も買っていて以来愛用してるのだけど、いい加減内容は古く値段ほどの価値は現在においてない。ネットで無料でいくらでも引き出せる情報だし、時代が違うので不十分な点も出てくるだろう。ではあるが、これに従ってやってみようか。
まずは、ここらからだが・・・

引っ越しが決まってからすぐやること
◯貸主(旧居)への連絡
◯新居の下見とレイアウト検討
◯粗大ごみを捨てる
◯引越し業者の手配
◯子どもの転校手続
◯貸主(新居)への連絡

新居探しも泊りがけである。勤務先からある程度は引越し費用は出るが、別に新居探しとか敷金礼金まで出るわけではないので完全なる赤字である。
不動産屋は「次いらしてもないですよ」の連呼である。
事故物件じゃないのかとかいろいろ聞きたいことはあるけど、聞けるわけないじゃん!
いちおう大島てるで確認はするけどね!
懸案だった引越し業者も押さえられたので良かった。
今の管理人に契約終了の旨を電話したら「おめでとうございます」って言われてしもうた。
まあ、そんなイメージなんだろうねえ。

30日前(3月2日)
断捨離という言葉は、昔「捨てる技術」という本があって、そこから定着したと認識している。基本は、「一年袖を通さなかった衣類、読まなかった本などとにかく捨てる。見ず捨てる」ということだそうである。荷物を整理してたら、前のどころか前の前くらいの勤務地でのクリーニング屋のタグがついたシャツが出てきた。離島で、二年間袖を通さなかったこのような衣類だの、読まなかった本だのは多分一生使用しないから捨てても構わんのだろうな、とは思う。ただ、名残惜しむのが人情なのである。

20日前(3月12日)
2週間前にやること
◯梱包資材の手配
◯新しく購入するものリスト作成
◯家具のレイアウト
◯荷造り開始
◯電話の移転
◯転居通知の手配

荷造りは早目にやったので、まあ余裕はある。
心を鬼にして断捨離作業を進め、なんだか一応整った気がする。
あまり荷物を増やさないように心がけていたのがよかったのかもしれない。
かえってやることがなくなってしまい、なんだか手持ち無沙汰である。

10日前(3月22日)
1週間前にやること
◯転出届
◯国民健康保険の資格喪失届
◯印鑑登録の廃止
◯児童手当の受給事由消滅届
◯電気、ガス、水道、郵便局、NHK、新聞への移転通知
◯クリーニング、図書館への引取、返還
◯バイクの登録変更
◯銀行・保険の住所変更
◯その他住所変更(ネット、携帯、JAF、カード、ファンクラブ・・・)

役場に転出届を提出してきた。「おつかれさまでした」みたいなことを言われた。あと、次の住所を提出しなければならないのだが、控えてくるのを忘れてたので焦る。そういえば前にもこんなことがあったなと思いだした。
これで一応隠岐島民ではなくなったわけである。各種割引も受けられなくなるので、焦らず考えたほうがよい。まあ、主としてフェリーや飛行機の島民割引なのだが。
金融機関で、住所移転の書類をもらってくる。
ちょっと前は、なにかにつけ「ああこれで最後か」などといちいち感傷的になったが、ここまでくるとただせわしなく、うまく行くことを祈るのみである。
問題は天気だけなんだよね。
天気JPというサイトに10日間天気というのがあるけど、AI時代に突入したとはいえ、10日先とか当たらないわけ。ほぼほぼ正確なのは、せいぜい3、4日前までだね。
まあとにかくね、フェリーが出てくれりゃなんでもいいの。頼むよホント。
引越し業者から了解はえたつもりだったが、何も連絡がないので不安になって確認の電話をすると、前日に訪問時間の連絡をするとのことである。


3月31日(土)
前日にやること
◯掃除
◯ご近所に挨拶
◯冷蔵庫、洗濯機の水抜き
◯石油ストーブ、ファンヒーターの灯油処理
◯現金の準備

水抜き、灯油抜きという項目は、知らないとやらないよね。
10年くらい前は本当に捨てられない性分で、引っ越しも一ヶ月くらい余計に借りて、自力でなん往復もして片付けたことがある。下手に不動産を持っていたらゴミ屋敷になってたかもしれない。ああいう物を捨てられない人の気持ちも、分からんではないのである。だが、機械などはいつか壊れるし、着物もそのうち着れなくなる。体型も変わるが、デザインとか結局は似合わなくなるものだ。
趣味のもの、思い出の品は非常に捨て難いが、年に一回くらいしか眺めないものは実際の所捨てても問題ない。いつか読むかもしれない、いつか役に立つかもしれない。そういういつかは、来ないものである。来たらきたでなんとかなるものである。

4月1日(日)
当日にやること
◯搬出
◯電気(当日、電気会社の係員が来てメーター確認)
◯ガス(当日、ガス会社の係員が・・・)
◯水道(当日、水道・・・)
◯旧居の掃除
◯掃除道具と忘れ物を箱に詰める
朝起きてカーテンを外し、布団を片付ける。自分で持っていく荷物と業者に頼むのを取り分けて、業者を待つ。ガスの清算とかで現金がいるので、準備しておく。
ここ数日は暖かくこれは本当にありがたかった。
荷物出し自体は、あっという間である。私はというと何をするでもなく作業の様子を眺めていた。
ただの引っ越しではない。これから海を渡り、新居で荷物入れを完了してこそであるが、計画通り、上手くいったという満足感がある。
雑巾とか若干の掃除道具を残して最後の清掃を行なう。何もない部屋で、いちおう良さげになったが、それでももう一丁とひと拭きするのは、別に大家から難癖をつけられるのを警戒したわけではない。

・・・
カーテンのない明るくガランとした室内。来たとき、案外キレイだなと思ったのを思い出す。次の人もそう思うとよいのだが。
すべての納戸などの扉を開けて、何もないことを確認する。
最後の手荷物をクルマに積んで、さあ出発だ。
自分も本土の家族もそれなりに健康だったのでそっち方面での心配がなかったのは、何に対してというか、ただ感謝である。

午後5時、耳をすませば遠くからいつものメロディが聞こえる。
私がいなくなっても、この曲は、この島で、この時間に、いつまでも流れ続けるのだろう。
一日の終わりにこの曲が流れる、穏やかで、豊かで、美しい島なのだろう。

EC1「隠岐の風」(歌:よしだなおこ 曲:ひろえまさひと)



平成30年3月31日(土)
730日目
「隠岐はいつもそこにある」


島から出ることがなかなかないためか、ニコニコ動画とかで徒歩やら自転車やらで日本一周する動画とかをよくみているのだが、彼らが島根鳥取にたどり着いても、せいぜい出雲大社と砂丘に立ち寄るくらいで「なんにもないね」でさっと通りすぎるのが常である。隠岐なんか当然こない。日本一周が忙しくて、そんな余裕はねえ!というわけである。あちこち見て回るのが目的ではなかったらしい。
そして結局は、オリエンテーリングのようにガイドブックをつぶしながらウィキペディアをコピペ読み上げしてるような作業になりがちである。砂糖は甘い、塩は辛いと言っているようなもので、日本一周とか、全都道府県制覇とかそれぞれに目標はあったりするが、作業日報で感動はしない。どころか基本的にこのような連中は頭から田舎を小馬鹿にした態度をとり、冷やかし、ウィキコピペならまだいいが、いいかげんな知識やレベルの低い個人の感想を貼り付けている場合も多く、不愉快になる。この人たちは何も知らないんだな、もったいないなと思うわけである。
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本ブログが、手慰み、暇つぶしで始めたことは間違いないが、だんだんと欲が出てきてと言いますか、もう少し隠岐に赴任する人、隠岐に観光に来る人、そうした人たちのために役立つようにもう少し真面目に取り組もうか、と柄にもなく社会的に意味のあることをしたいと考えた。のではあるが、あれこれ具体的に店を紹介しても結構あっさりなくなるから、それはそれで迷惑かなとも思ったし、上記の動画サイトなんかを見ていて、観光地の人間ウィキペディアみたいなことをしても仕方ないなと思うようになった。きれいな景色を指さしてここは景色がきれいなとこです、ご飯を食べてはどこそこでご飯を食べました、なんてね、誰にでもできる。自分にしかできないこと、それは・・・と考えていたが「時刻表二万キロ」(宮脇俊三)角川文庫版掲載の山崎正和の書評にズバリ書いてあったのである。
「氏は鉄道が象徴する一つの文化、いわば日本の近代文化のうちに立て籠もって、ややくたびれのみえたこの文化が、なおも生き物のように動いている姿を、いとしげになでさすっているように見えます。それは発見の旅にたいして再発見の旅であり、地方に鉄道を敷き、それに夢を託した人々の心を追体験する旅だ、ともいえるでしょう」

これや!ワイのやりたかったことはこれなんや!さすが山崎正和はんやで!
宮脇俊三氏の行った鉄道旅行は地方の特異性をみようというような観光旅行とは正反対のものであるが、本ブログでは他の隠岐在住者、隠岐出身者のブログでは、なかなか書けない、地方の特異性をあげつらい、くたびれの見えた文化をなでたりさすったりし、夢を託した人々のこころを追体験することを試みてみようと思ったのである。
また、隠岐の人がなかなか「渾身」なんてよくこんなつまんない映画作れるなとかいいづらいでしょ? まあそういう批判的な視点も遠慮なく記録する。自分で文献にあたって、理解できたことだけ書くことにしたのである。たまにウィキペディアみたいな記事もあるが、それはあまり興味が持てなかったものである(笑)。
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現在、ブログをやる意味は、どういう大義名分をつけても結局は広告収入目的か宣伝である。
※本ブログはライブドアブログの無料サービスで展開されており、筆者である私に広告収入が入るわけではない。
本ブログのような、一市民による無料(かつ無意味)の暇つぶし日記はツイッターとかに取って代わられた。「今日読んだ本」とか書き始めても、いずれネタも尽きる。誰も見なくていいから日記代わりにつけとこう、と思ってはじめてみても、本当にアクセス数がなければ心が折れるのである。そんなもんである。
本ブログは、二年限定だし、どうあれ最後まで完走する気ではいたが、幸いにしてめちゃ多いわけではないが毎日一定数のUU(ユニークユーザー、訪問者数である)を獲得したことはまったく嬉しい限りである。

続けられたのは、隠岐の雰囲気が筆者と非常にマッチしたからである。筆者も田舎育ちだが、そんな私でさえ見るもの聞くもの、全てが新鮮で、懐かしくて、すばらしかった(いいすぎか)。ちょっとしたお祭りや、風景、時の波に消えていきつつある暮らしに強く心惹かれた。これは残しておかねばならないという気持ちにもなった。
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極めて少数ながら、本土でもブログを続けろとか、もう少し隠岐にいてくれという意見をちょうだいすることがあって、それはとてもうれしいのであるが、ブログについては、好きで書いてるにせよやっぱり時間は食うし、飽きると言えば飽きる。また隠岐に対して抱いたような興味は別にないし、類似のブログはすでにある。個人的な言いたいことも、だいたい吐き出したので、これにて終了である。細かくは当初の構想どおりとは行かない部分もあったが、割とキレイに着地できたのは幸せに思う。
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これから隠岐に来る人について。正直、合う合わないはあると思う。だが「ホント何にもねぇな」で何年間か過ごすより、よさそうなところを見つけて認めていったほうがよくないかね。これからは隠岐の時代、地方の時代が来ますよ、などと調子のいいことは言えないが、我々がかつてあこがれた東京ラブストーリー的な世界観(大都会で、そこそこの会社に勤めて、よい暮らしをして、恋も仕事もバリバリこなすみたいな・・・そんな話だったっけ?)は過去のものとなったことに気づくときがきたのだ。何もないところじゃなくて、こんなところはどこにもない、心からそう思うのである。
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「へんだわね、ビル、こうして今、行けるとなったら、わたしは、なんだか行きたくなくなってきたわ。
ときどきは刑務所にいるような気持がしたけど・・・
今になると、ここを出ていくことが、なんだか裏切りのような気がするのよ。
そうでしょ、わたし、いろんなことはあったけど、
わたしのまえの一生でここでほど幸福だったことはなかったわ」

―――“THE DAY OF THE TRIFFIDS”(John Wyndham)


ラストソング!「トリフィドの日が来ても二人だけは生き抜く」(筋肉少女帯)

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