生まれてからずーっと嫌やったの。大阪弁しか喋れへんことが。だって下品やろ? なんか柄悪いやん。

うちが生まれたのは大阪の北天下茶屋いうところで、街全体がもっちゃりしてんのよ。せやからいっぱい勉強してな、東京の大学に入って「東京弁しか喋れないじゃん」って、そういう可憐な女の子になりたかったんやけどね。あかんてね、おとんとおかんが言うの。東京なんか家賃もなんもかんも高くてあかーんって。大阪も高いっちゅーねん。まあ、うちん家はお金持ちやないし、東京はあきらめて大阪の大学に入ったのよ。勉強は頑張ったしね。国立の偏差値の高いとこ。それで新入生の説明会やら行って、サークルの勧誘いっぱい受けまくって、そん中のひとつの歓迎会みたいなコンパに、今来てるわけなんよね。

梅田にある居酒屋なんけど、50人くらいかな、結構ぎょうさん人が集まってて賑やかでな、大学生って感じなのよ。こういうの楽しくて好きなんよね。でな、すごいんやで。東京の子もおるの。うちと同じ新入生らしいんやけど、もう、ほんっまかわいい! ピンクのワンピース着ててな、なんかよう分からんけど水色の飲み物飲んどるの。隣のテーブルにおるねんけど、男の子もむっちゃ注目やで。うちも別に太ってはいーへんけど、この子はもう骨格からしてエレガントガールなのよね。どうしよ。話しかけてもええんかな? ええか? ええよね?

「あ、あの、はじめまして…」

「あ、こんばんは! はじめまして、先輩!」

「いやいや、うち先輩ちゃうよ」

すると、そのピンクのワンピースの子はこっち見て、驚いた顔のまま固まってる。うちってそんな老けて見えるんやろか? なんかショックやなあ。

「つ…」

その子が、少し顔をこっちに近づけて言うの。

「つ?」

「つっこみ…今のつっこみですよね?」

「え?」

今度は完全に前のめりになってる。

「うち先輩ちゃうって、それつっこみですよね? つまり私はつっこみをかまされたと判断して間違いないんですよね!」

あ…あかん。あかん子に声かけてもた…。酔っ払ってるんかな? 見た目がむっちゃかわいいし、オシャレな感じやったし、なんちゅうてもあこがれの東京の人やし、思い切って声かけてみたのに、中身は完全にあかんやつですよ。こりゃ早いとこ退散したほうがよさそうやね。後は男性陣に任せて、って思ったらもう周りに誰もいーへんの。さっきこの子と話してた男の子たちは、ちやほやしてたんやなくて、絡まれて逃げられへんかったってことなん?

「ねえ先輩」

「せやからね、うちは先輩ちゃうよ」

「師匠」

「誰がやねん!」

「はっしゅ! 本物のつっこみです!!」

その子は急にうちの左手を両手で握って、手の甲をさわさわ触り始めた。もう、なんやのほんま。はっしゅって何?

「師匠のつっこみは、喋り専門なんですね」

「は?」

「分かりますよ。ないですもん、手の甲に」

「なにが?」

「つっこみダコ」

「あるか! ていうか何? つっこみダコって?」

その子の話によると、大阪人のつっこみは「喋りつっこみ」と「はたきつっこみ」に分かれるらしい。はたくっていうのは叩くことなんやけど、はたきつっこみの人は、毎日柱や木に手の甲でつっこむ練習してるからタコが出来てるんやって。うちの手にはタコがないから喋りつっこみの人やと。世の中には知らんことがぎょうさんあるもんやね。

「ねえ師匠」

「あ、いや、あのさ、師匠はよしてよさすがに。同じ新入生やし。うちは早川あいっていう名前やから、みんなあいって呼んどるし、そう呼んで」

「わかりました師匠」

もう、ええけどね。なんとなくそうくるやろうって思ったし。

「私は桜井すぎこです」

「うん、すぎこちゃん、よろしくね」

あんまよろしくしたくないんやけど、まあしゃーないか。

「そういえばすぎこちゃんさ、さっき言うてたはっしゅって何?」

「はっしゅは、ウップスみたいなものですね」

「ああ、そうなんやあ…」

ウップスって、何?

すぎこちゃんが、ベッドですやすや寝ています。ちょっとおかしな子やけど、こうやって寝顔を覗き込んでみると、ほんまかわいい顔しとるのよね。つけまやないのに、むっちゃまつ毛長いし。目を閉じてるのに、時々ちょっとまつ毛が動くのね。色が白くて薄っすらとほっぺが紅いの。唇がぷっくりしてるの。はあ…触ってみたいなあ。この唇、柔らかいんやろうなあ。指で? ううん、指でもええんやけど、うちの唇で触ったらどうなるんやろ。起きてまうやろか。起きたら嫌われてまうやろか。でも、もう…

はああ!?

なに考えとるんやうちは! あかんあかん。あかんよ。キマシタワー!は、漫画の中だけにしとかんと。すぎこちゃん、むっちゃかわいいから変な気持ち起きそうになるわ。うん、でね、なんで今うちの目の前ですぎこちゃんが寝てるのかっていう話よね。

歓迎会のコンパで、あの後ずーっとすぎこちゃんに大阪がどうとか漫才がどうとか、そんな話をされて、それで店を出たの。




のぞみ27号博多行きは、予定通り京都駅を発車した。左手の車窓に、絵はがきでよく見る東寺の五重塔がゆっくりと通過していく。もう後には引き返せなかった。切符は次の駅までしか買っていない。だから、あと10分ほどで降り立つしかない。その国の名は大阪。そこは虎の穴。黄色と黒のシマシマのはっぴを着た修羅たちが支配する国。しかもそれを言うと、「甲子園は西宮やから大阪ちゃう」と言われる、恐怖の大地。かつて、甲子園を大阪と思った者は、ラッキーゾーンという、よく分からない甲子園球場のホームランエリアに投げ捨てられた。ラッキーゾーンで育った子どもたちは、やがて反逆を企てる。だが大阪は、ラッキーゾーンそのものを廃止し、葬り去った。夜の甲子園には、ラッキーチルドレンの鳴き声が響き渡るという。

「ご乗車ありがとうございます。のぞみ27号博多行きは予定通り、新大阪駅に到着いたします。お降りのお客様はお忘れ物のございませんよう、お気をつけください。大阪車掌区、斉藤がご案内いたしました」

大阪車掌区斉藤は、油断を誘っているのだろうか。大阪車掌区の人間が標準語のイントネーションで案内をするなど、悪魔のささやき以外の何ものでもない。私はかばんを持つと、新幹線のドアの前に立った。音もなく、列車は新大阪駅21番乗り場へ停車した。扉が開く。そこは紛れもない、本当の大阪であった。

そもそも駅が油臭いっておかしいと思いません?
揚げ物の油の匂いってあるじゃないですか。

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