オクスタ製文の「へろ絵」記録

へろへろした絵(へろ絵)や、何でもない日常の出来事を官能小説風にいかがわしく表現した文章(日々の官能)などを投稿しています。
★悩みがあるときは外国語で日記を書くと思考も端的にまとまりやすいと聞いたことがあります。大半のへろ絵はそのような効果を求めて描かれたものです。
★いかがわしい文章は単に楽しくて書いています。  

戯曲の発表会

劇作講座のリーディング発表会に行ってきました。
生徒が書いた脚本を本業の俳優さんや本業ではない役者さんたちが読みます。
登場人物が3人なら、その3人それぞれの配役とト書き担当者の計4人が読むのです。
朗読劇として見ても楽しく、また、舞台化するとどうなるのか想像を膨らませながら聞くのも面白く、五感を刺激される発表会でした。
ゼロから物語を創り上げることの難しさとすばらしさを承知のうえで、一観客として好き勝手な批評を頭の中で繰り広げます。しかしアンケートには良いことだけ書くので、各作品の優れた点に目を向けるようにします。生来のものの見方が意地悪なので、こういう努力が必要です。(それでも後から他の方々の感想を聞くと、やっぱりわたしには優しい視点が足りないのです。)

現実に即した物語、現実の中に突然不条理が入り込む物語、現実とは乖離した世界で終始展開する物語。
戯曲として読んで面白い脚本、聴覚を刺激する脚本、視覚的なイメージを大切にした脚本。
アプローチは人それぞれ。
一日でいろいろ見られるとても豊かな体験でした。
脚本を書く作業は孤独ですが、アドバイスをくれる指導者がいて、血肉を与えてくれる演じ手がいて。皆で何かを創り上げる世界はわたしの目に眩しく映りました。

褒めておだてて甘やかさず

気を付けているのに痩せない、はわかる。
気を付けているのにどんどん体重が増えていく、は解せない。増えた、ではなく、どんどん増えていくのだ。

しかも、慣れ親しんだ体重を減らそうというのではなく、たった1年の間に増えた体重を元に戻そうというだけなのに、なぜまったく効果が出ないのか。効果の兆しも見えないものに努力を続けられるような気概はない。体重計に乗るたびに心が砕ける。減らなくてもいい。なぜ増えるのだ?
ああ、なんて非効率的なことをしているのだ。体形維持のために運動したかったよ。せめて、なかなか落ちない「あと2キロ」と格闘したかったよ。いや確か、1年前にジムに入会したときは、基準値のせいぜい3キロ増くらいだったはずなのだが。
起こってしまったことはしかたない。この現実を変えていくしかないのだ。

ジムの鏡にだらしない体を映し、褒めるところがないか懸命に探す。
褒めるときは、努力と絡めて褒める。
「毎日四股を踏んでいるからお尻の位置がちょっと上がってきたよね」
「昨日腹筋頑張ったから縦の筋がうっすら見えるよね」
「少し歩くだけで体がぽかぽかしてくるのは、ジムで運動しているおかげで代謝が良くなったからに違いないね」
しかし、痩せるほどの熱い視線で眺めてもどこにも褒めるところがみつからないことのほうが多い。
「なんだ、この体の厚みは」
「なんだ、この腹の肉は」
「なんて醜い腿だ」
つい思ってしまったときはこう付け加える。
「この体が春にはスッキリしちゃうっていうんだからすごいよね!」
そして信じるのである。その春の到来を。

リアリティチェック

毎日客観的に現実と向き合うこと。それを怠るから必要以上に物事を恐れることになるし、仕事も体重ものっぴきならない状態になる。

ギャラリー
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