職員&おとと 奥井灯夜の日々

ロケンロールおじさんが、大らかでおっちょこちょいな妻、活発過ぎて暴れん坊の娘、優しくお調子者の息子との毎日を書き記すブログです。

2012年04月

短夜

3月の最終日曜日から英国はサマータイムに入ったので日本との時差は1時間縮まり8時間になった。つまり日本時間−8時間で、日本の朝8時が英国の0時だ。

ところで英国では今の時期太陽が出ている時間が長い。朝5時頃から夜9時頃まで明るい。この写真は午後8時40分頃、うちの庭から西の空を撮った写真だ。
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ということはこの前まではこの時間は9時40分ってことだ。そんな時間まで明るいなんて改めて北緯の違いを感じたのである。

うん? ということは秋から冬にかけては逆に太陽が出ている時間が短いってことだよな。
去年の11月にロンドンに出張した妻に聞いてみた。
「午後3時にはもう暗くなっていたよ。朝は9時に出勤したときはまだ暗かった」
「ていうことは日が射すのは5、6時間ってこと? まあ、富山だと冬は一日中どんよりと曇っているから慣れているけど、太平洋側育ちには耐え切れないかもな」
「そうねえ、漱石さんはそれでダメだったのかしら」


日中の天気は曇りかと思ったら晴れ、晴れたと思ったら雨、雨だと思ったら曇り、そしてまた晴れ、一日中めまぐるしく変わる。富山でもいきなりの雨には慣れているが、情緒不安定ともいえる英国の空にはいささかうんざりしている。何より洗濯物を入れたり出したりするのがめんどくさい。

それでも外国人だらけの街を歩いたり、庭にリスがやって来るのを見たり、ソファーでスコッチを飲んでいると、なんだか夢の中にいるようだ。だから短夜や情緒不安定な天気も夢の続きで、うんざりしながら、ぼんやりしていて、そんなに心地悪くはない。

69アベニュー

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朝、庭で娘と洗濯物を干していると、隣家の奥さんが「グッドモーニング」と出てきた。
「グッドモーニング、ハウドゥユードゥ……」
やべえ、英語がわからないのにどうしたらいいんだ?
顔で笑いながら腹の中で大焦りの俺。しかし奥さん(ビッキー)はすぐ娘に「ハロー」と笑顔を向けた。
ラッキー!
俺は娘を見ながら、「こんにちは、じゃないや、ハローは?」と問いかける。娘は大柄なビッキーに話しかけられてびびったのか、もじもじしながら俺の背中に回り込んだ。
「ソーリー……」
娘を媒介しなかったら間が持たない。またもや笑顔のまま焦り始めた俺。
自己紹介するべきだとは頭でわかっている。しかし、いきなり「マイネームイズ」はないだろう(今考えたら別に不自然でもないが、そのときはそう思った)。そう言う前に「昨日引っ越してきました」とか「挨拶が遅れました」と言うべきではなかろうか。そのためにはどう言えばいいんだ。アイ ムーブ イエスタディーか? あれ、ムーブで動詞だよな、この使い方でいいのかか? ちょっと待てよ、引越しするじゃないくて、引っ越してきたというのは過去完了だよな。どういうことは文法が違う。それに引っ越してきたっていうのはひょっとして受動態?……
3秒くらいの間に逡巡や、ほとんど英語にふれなかった四半世紀への後悔が体中を駆け巡る。

ビッキーはそれでも身振り手振りで何かを話しかけてくる。勝手に想像力を働かせて日本語に訳してみるに「うちの子は大きくなったのでトランポリンや滑り台を使っていいわ」と言っているようだ。家探しのときから隣の庭に見えた滑り台やトランポリンを「貸してもらえたらいいね」と娘と話していたので、「サンキュー、サンキュー。マイードーター、ライクス、ジャンプ、ジャンプ&スライド」と笑いながら答えた。
するとビッキーは「ニューハウス▽×■〜 ̄#$ヾ!☆プレゼント」と滑り台を持ち上げるではないか。
なぬっ、くれるってこと!? 
俺は板塀越しに滑り台を受け取り、うちに庭に置いた。
「万里子、サンキューは」
娘はもじもじしながらまた俺の後ろに隠れたが、視線はずっと滑り台を向いている。
そのまま「バイバイ」と手を振りビッキーは家の中に入っていった。
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そのまま娘と滑り台で遊び、俺は呆然や興奮や安堵の入り混じった複雑な気持ちを落ち着かせたのだった。


※妻が帰ってきたあと、日本の食器、千代紙などちょっとしたものを持って隣へ挨拶に行った。娘さんも紹介してもらったが中学生くらいで、やっぱり滑り台やトランポリンに夢中になるという年齢ではなかった。
そのときも言ったがあらためて、BICKY THANK YOU! あなたが隣人でよかったぜ。

英国の地下鉄

英国ロンドンの地下鉄(TUBE)は縦横無尽に11路線走っている。日本と違って路線ごとに車体の色が違うということはなく、どれもみんな同じかまぼこ型で天井が低くて小さい。乗ったことがあるのはピカデリーとノーザン、サークルラインだが、社内の手すりポールの色が違う(でも一貫性があるのかよくわからない)くらいで、乗換駅で本当にこのTUBEでいいのか迷う。同じホームに違う路線が来たり、壁に次の駅名が書いてないので余計ややこしい。ホームにある電光掲示盤とやってきた車体に書かれている○○LINEだけが頼りである。
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やってきたからと慌てて飛び乗っても経由地が違ったりして目的の駅に着かないこともある。今度は電車内の電光掲示板と路線図を何度もをチェックする。英語表記にまだ慣れてないので○○CIRCUSとか、△△TOWNとか、××TONとか、■■SQAREとか、●●GATEとか、▽▽PARKとか、▲▲ROADとか、よくある駅名は何度も見ないと安心できないのだ。

TUBEは「この先は工事中で行きません」と勝手に止まることがある。サイトか新聞、テレビニュースなどで工事予定を伝えているようだが、毎日チェックしているわけではないので本当に唐突に止まる。ロンドンオリンピックを控えて、より工事が多くなっているのかもしれない。
止まった駅近くのバス亭からは代替バスがでるが、その乗り場、どこで降りればいいかなども慣れているか、英語が聞き取れないと難しい。妻が一緒だったので事なきを得たが、俺と娘だけだといきなり止まっても何がなんだかわからなかったと思う。
※毎日乗っている妻によると同じ経由地ばかりが続けて来たり、車両故障でいきなり行き先が変更になったりすることもあるという。

それじゃ、TUBEというのはとんでもない乗り物かというとそんなことはない。一番いいところは日本ほど混まないところ。朝9時過ぎにピカデリーラインに乗って都心に向かったら、駅に着くたびほどよく新陳代謝(乗り降り)があり、最高でも乗車率80パーセントくらい(計算式はわからないが感覚として)だった。娘の乳母車を置いても全然問題ないし、乗客も快適な顔とは言わないが、苦痛に顔をゆがめたり、いらいらや厭世気分が漂ったりするということはない。身動きがとれないほど混む日本の地下鉄がいかに尋常じゃないか、TUBEに乗るとよくわかる。
※現在妻はノーザンラインで都心に通っているが、WOODSIDEPARK駅が始発から3駅目ということもあるが乗車率は60パーセントくらいで余裕で座れるという。さすがに通勤時間帯なので都心が近づくにつれて80、100、120、150パーセントと混んでくるというが、それでも日本ほど、予想外の時間帯にまで混んでいるということは少ないらしい。(急の行先変更や車両故障でみんなが次のTUBEに殺到するときはもちろん激混みだが)

時刻表は見当たらないがたいがい1〜3分、経由地が違って見送っても5分くらいで来るTUBE。総合的に見るとストレスも少なく、何かと便利な乗り物だ。乗るときには日本のSUICAのようなOYSTERカードを使えばお得になるが、その話はまたいつか。

☆追記
TUBEではサンドイッチやお菓子を食べたり、コーヒー飲んだりする人をしばしば見かける(もちろん大人)。それに盲導犬とかではない普通の犬を連れたまま乗る人も。そういう景色を目の当たりにすると、文化の違いもあるだろうが、やぱり居心地のいい空間だと思えてくる。

さぬなのに

 船便で送った荷物の中にあんぱんまんカルタというものがあった。妻が娘用に買っておいたのだという。 

あ あさひきらきらあんぱんマン
こ こらこーらかんすてるなとあきかんマン
わ わたしはわがままドキンちゃん
ほ ほらほらでてきたホラーマン
ら らんぼうやめろしかくおに 

などと読み絵札をとっていくカルタだ。

娘はこれがめっきり早い。読んで5秒以内にほとんどの札をとってしまう。ひょっとして天才じゃないかと親バカ両親は思ったのだが、よく見るとひらがなよりもキャラクターの絵でとっている節がある。その証拠に絵札だけを見せて「これなんていう字」と聞くと「かつどんまんだから……とくいまんめんかつどんまん。だからとっ!」「もぐりんは……つちのなかからとびだすもぐりん。さいしょのじはつっ!」などと読み札とキャラクターを暗記しているらしい。 
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それはそれですごいことかもしれないが、結局最後までわからなかったのが5文字あった。 

さ さらばとてをふるおむすびまん
ぬ ぬいものめいじんいとまきおばさん
な なんでもばけるよそっくりおばけ
の のんきにあくびカバおくん
に にまめがとくいのまめおじさん
 
キャラクターとして影が薄いのか、覚えにくい言葉なのか。今のところ娘はこの5文字を苦手としている。

英国の風呂とトイレ

家探しをしていていろんな部屋を見たが、英国では風呂とトイレが必ずセットになっている。日本のワンルームマンションのユニットバスほどせまくはないが、洗い場がなくてどうやって洗うの? 風呂に入っているときに他の人がおしっこしたくなったらどうするの? など、不満と不安の種はつきない。
実際、ホテル住まいしているとき、俺がシャワーを浴びながら体を洗っていると、娘が「おしっこしたい」と妻と一緒に入ってきた。とっさにどうすることもできず、間抜けな姿をさらけ出して恥ずかしかった。そういう体験があったので1階と2階それぞれにトイレがあるというのも、今回の新居決定の決め手の一つになった。

 しかし洗い場なしはここでも同じだ。バスタブにお湯をため、つかりながらそのお湯で頭を洗い、次に体を洗い、最後にシャワーで完璧に洗い流すというやり方しかないのだろうが、あとで入る妻や娘のためにお湯を抜いておかなければならない。そのうえ英国はボイラーで沸かしたお湯をタンクの中の貯めておく方式なので、次にタンクにお湯がいっぱいになるまで30分ほどかかる。つまり「電気やガスがもったいないから、次から次へ入ってよ」ということができないのだ。

 誰かんちの風呂をのぞくこともできないし、公衆浴場もないので、英国人はどういう段取りで風呂に入るのか、どうやって体を洗っているのか、未だに知ることはできない。何かいい知恵や工夫があるのだろうか。

英国の印象 4

《スーパーの各売場》
野菜売場には形や品種は多少違えど、日本で手に入るほぼすべての野菜が入手できる。少ないのはブナシメジやなめこ、えのきなどの日本でおなじみのキノコ類くらいか(マッシュルームはある)。
肉売場では鶏肉、牛肉、豚肉が揃うが、日本のような薄切り、細切れにカットしたものが少なく、大きなステーキ用に肉かぶつ切り、細かいのはひき肉のみ。部位も少なく、選択の余地もあまりない。
魚売場は氷の上に鮭の切り身や鯵、ヒラメのようなものが置いてあるが、刺身コーナーはもちろん、切り身コーナーもない。しかし鮭だけは切り身、スモーク、味付け切り身など豊富で、食べると確かにうまい。その代わりパン売場、乳製品売場、冷凍食品売場は充実している。
英国では日本なみに低かった食料自給率を60%以上に引き上げたと認識しているが、その原動力になっているのはスーパーによる積極的な自国産品の取り扱いかもしれない。庶民向けのスーパー「テスコ」にしろ、「セインズベリー」にせよ、「COOP」にせよ、ちょっと高級な「ウェイトローズ」にしろ、ユニオンジャックの袋に入った英国産のものを売場の前面に押し出し、かなりアピールしている。

《ジャガイモ》
英国のジャガイモはうまい。煮崩れしやすい(たまたま買っているのがそういう品種なのかもしれない)が、(崩れてなければ)ほくほくするし、甘くてうまい。日本食材スーパーで買ってきたルーですでにカレーを3度も作ったが、荷崩れして溶けてしまったものも舌触りがさらりとしていて味もまろやか。ジャガイモについては日本産といい勝負ができると思う。
ちなみにCOOPでは生産者の顔写真入りの袋で売られ、半額(HARF PRICE)特売だったが、2kg1£(130〜140円ほど)で売られていた。うまい上かなり安いので、英国に来てジャガイモを食べる量は確実に増えた。

《ニンジン》
ニンジンはみずみずしくておいしいが、日本ではB品、C品に分けられるような小ぶりのニンジンが多い。煮物ををするにしても、カレーにするにしても本数をかなり使わなくてはならない。一人暮らしだとか、ちょっとだけ使いたいという場合にはいいかもしれないけど。これは生産者顔写真入り袋で12本750g入り、£0・64(86円ほど)だった。

《タマネギ》
タマネギも小ぶり。味は普通にうまいだけど皮が剥きにくいか? 生産者顔入り袋に小中あわせて10個750g入り、£0・75(100円ほど)。

《ほうれん草》
日本のように一把単位で売っているのではなく、葉のみをCUTして袋にギューギューに入っている。調理する側としてはこちらのほうが使いやすい。生産者の顔写真入り袋で225g入り、£1・5(200円ほど)。

《イチゴ》
日本でもイチゴは野菜だが、果物と言ってもいいくらい甘くておいしい。しかし英国のイチゴは完全に野菜。外見は一緒だが全然甘くはない。日本はそのまま食べることが多いが、英国ではたぶんジャムにしたり、ケーキーに載せたり、パイにしたりするから、食べ方の違いだと思うのだけれど。ちなみにたまたまウェイトローズに行ったときタイムサービスで安売り(REDUCED)していたが、値段はなんと1パック£0・39(53円ほど)! 横に書いてあった普段の値段すら1・33(180円ほど)だった。

英国の野菜は安くておいしく、思った以上に豊富な品目がそろっている。いわゆる「英国の食事」と呼ばれるものは、少なくとも素材からは言えない気がする。

コリンズハウス

英国に来て2週間ほど滞在していたのはサウスイーリング駅とイーリングブロードウェイ駅の中間にあるコリンズ&アン夫妻が経営しているホテルだった。ホテルといっても2階に住むコリンズ夫妻が空いている1階を貸してくれる形態で、居間、寝室、ダイニングキッチン、トイレ、風呂を一泊£100で家族3人自由に使っていた。
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もちろんキッチンには冷蔵庫、マイクロウェーブ(電子レンジ)、パン焼き機、鍋、フライパン、食器、グラス、調理道具すべてが揃っているのでほぼ自炊をして過ごした。(洗濯機も食洗機もある)途中リサイクルショップで炊飯器を手に入れたので、日本食が買えるウェストアクトン駅近くの『あたりや』で米やふりかけ、味噌、納豆などを入手し、英国にいながら和食中心の食生活を送ることができた。

 コリンズは最初の説明と週に一度のシーツ交換のとき以外は放っておいてくれたので、あんまり構われたくない俺(構われても英語がわからないので向こうも困るだろうが)なかなか快適だった。午前中は娘を連れて公園や買出しに行き、昼食(おもに麺かパン)を家でとり、昼寝をし、二人で夕食の準備をして食べるというリズムがばっちり出来上がった。
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コリンズハウスには人懐っこい黒猫が出没して、娘はキッチン横の勝手口から出て行って「あんちゃ〜ん」(最初にア〜ンと泣いたのでそう名付けた)と猫を触ったり、追いかけたりして、楽しんでいた。 

最後にサイン帳(宿帳)に富山の住所と「娘はたくさんの公園や黒猫をとっても楽しんでいました。お世話になりました。ありがとう」と妻が英語で感想を書き、土曜日にウッドサイドパークの新居へ引っ越した。英国生活のスタートが順調に行ったのはCOLLINS HOUSEのおかげだ。Thank you COLLINS&ANN! 

※追記
引越しのタクシードライバーは目つきが鋭く、体が大きく、髭の濃い、無口な男性。無事にたどり着けるのか、ぼられたりしないか、多少身構えていたが、30分ほどで順調に到着。チップを弾むと急にニコやかに饒舌になった。その人はアフガニスタン人で普段はカーペットのクリーニングを商売にしているのだとか。人生で初めてアフガニスタン人と話をした。
さすが英国は多国籍国家、何かをするたびいろんな文化を持つ人と交流ができておもしろい。

英国のスーパー

ホテルの近くにはセインズベリー、COOP、大きなところではテスコというスーパーがある。英国はカード社会なのでカードで支払うことが多いらしいのだが、俺の持っているクレジットカード2種は暗証番号(荷物のどこかにあるメモを見ればわかる)が定かではなく、紙幣で支払っている。
本当は£4.38とかの小数点以下(ペンス)は小銭で支払うべきなのだが、日本と違って小銭が8種類と多いうえ、大きいからといって高額ではなく、全く把握しきれてない。だから毎日小銭が貯まりすぎるほど貯まってしまう。
※カード社会なので一番の高額紙幣£50(約7000円)を支払う文化がないらしい。それを知らない俺は£50紙幣で支払い、店員に偽札じゃないかと透かしたりもんだりされ、「俺がそんなことをするように見えるか、ぼけっ」と思わずむっとしたものだ。それなら£50紙幣など流通させなけりゃいいじゃないか! 今でも思い出すたび、腹が立ってくるぜ。

スーパーのレジにはインド系英国人が多い。彼らは笑顔がいっぱい、応対は丁寧(な気がする)で、相手がそうだとほっとする。インド人は二桁の掛け算を使いこなすほど優秀なので、笑顔を見せたり丁寧な対応をする余裕があるのだろう。
※英国滞在暦の長い人によると、日本で普通にやる825円だから1025円だしてお釣を200円もらうというやり方は嫌がられることがあるという。

大きなスーパーでは籠から商品を取り出してベルトコンベアに乗せる。どこでもピッを通した商品からその場で自分で袋に入れる(セルフレジも多い)。それらが日本との違いだが、よく観察して真似をすれば何とかなった。
レジのとき袋を使うか、会員カードはあるか、支払いはどうするか(ジェスチャーでわかる)と聞かれるが、そのたびYes、NO、OK、Please、Thankyouという単語と、曖昧な笑顔と困った顔だけで何とかクリアできている。でもそれだけだと寂しいのでやっぱり英会話の勉強をしようと思っている。

※追加
ほとんどのスーパーではアルコール度数の低いビールやワインは普通に買えるが、スコッチやバーボン、ジン、ウオッカなどはレジの後ろに置いてあり、買うのに敷居が高くなっている。だから英国に来てからビールとワインしか飲んでいない。
というわけで店員に「クッヂュー テイク ザット プリーズ」とニヤリと笑い、「サンキュー」とウイスキーを買うことが次の目標だ。

外食

厨房設備や鍋、フライパン、皿、調理器具などが付いている滞在型ホテルなので基本的に自炊していたのだが、初期の頃は炊飯器も米もなく、やたらと日本食が食べたくなった。英国でも最近の健康食、日本食ブーム(?)を反映してスーパーに寿司などが置いてあるのでそれを食べてお茶を濁していたが、たまには外食しようかとイーリングブロードウェイ駅近くにある和食レストランに入った。

頼んだのは妻が親子丼と思しきチキンFライス、娘が天麩羅うどんセット、俺がキリン一番しぼり1パイントと焼き鳥、枝豆。
出てきたのは親子丼とは似ても似つかないご飯の上に焼いたチキンを乗せたもの、あとはイメージ通り。英国だという思い込みで味に厳しくなっているのか、枝豆は温かいが塩味がほとんどなく今いち、焼き鳥は日本のコンビニで買うほうが種類が多くていいというレベル。うどんも冷凍うどんを使って家で作ったものとあまり変わらず、天麩羅とビールだけに満足した。

それでも久しぶりの日本食はそれだけでうまい。完食した俺たちは支払いの段になって悩み始めた。
「チップがいると思うんだけど、どれくらいあげればいいのかしら」
「チップ? 店員の態度は悪くないけどチップを上げたくなるほどサービスしてもらってないぜ」
「まあ、でもそれが文化だから」
文化と言われると気に食わないことでも尊重してしまいたくなる俺はあっさりと納得した。
「相場は?」
「だいたい一割かな、サービス料として請求されてれば必要ないんだけど」
「まあ、請求書を持ってきてもらうしかないだろ。すいません、おあいそ!」
日本料理店と言えども店員は英国人なので通用するわけはないのだが、雰囲気で察したのか、妻が「チェック! プリーズ」と言い直したからか、すぐに請求書を持ってきてくれた。
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「よかった、ちゃんとサービス料が入っている」
俺は財布から金を出し、レジに行こうと立ちあがった。
「イギリスではレジは奥にあるから、席に座ったまま支払いをするのよ」
「なぬっ!?」
再び腰を下ろし、近くを通った店員に「ムッシュ!」と手を上げた。そして支払い皿の上に£30乗せ、「ごちそうさま、サンキュー」と言いながら店員に渡した。

子どもと同じで、経験することでいろんなことがわかってくるのだ。

ロンドン観光

北ロンドンで家探しをした帰り、どうせ中心部を通るのだからとチャリングクロス駅で降り、ロンドン中心部の観光をすることにした。
初めてのロンドン中心部、地下鉄から地上に出るとイースターホリディーということもあってたくさんの人がいた。
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まずトラファルガー広場へ行き、ネルソン提督の像と三越デパート入口にあるもののモデルになった巨大ライオン像を見た。世界各国から旅行者が集まってきてスリのかっこうの餌食になるのだそうで、俺は財布の入った肩掛け鞄に神経をやりつつ、テンションが上がった娘の写真を撮った。
ライオンや像の台座にたくさんの人が登っているし、ガイドブックにもそうすることが風物詩的なことが書いてあったが、日本人の俺とすればそんな記念碑を冒涜するような行為をしていいのかと違和感があった。

馬に乗った兵隊たちの巡視を横目に見つつ、ウェストミンスター寺院を見ながら歩く(写真はUP済み)。道のあちら側までかなり歩くのが必要そうだったので遠めに見るだけでテムズ川に向かって左折した。事前に予習しておけば是非見てやろうと思ったのだろうが、謂れや由来や出来事を知らないのでテンションが上がらなかったのだ。それに子ども連れだし、人も多そうだったし。
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これがビッグベンか……。
英国をあらわすのはこれだとわかるくらい世界中の人々に認知度が高い国会議事堂が見えてきた。
仏国では凱旋門、米国ではホワイトハウス、韓国では青瓦台、中国では天安門広場、さて日本ではどこだろう? 皇居、東京タワー、国会議事堂、それとも今ではスカイツリーか、などと思いながら、記念写真を撮るたくさんの旅行者に混じってカシャ。しかし逆光であまりうまく取れない。

黒々としたテムズ川沿いを歩き、世界2位の高さと25名乗りのカプセルを持つ観覧車「ロンドンアイ」をバックに写真を撮り(UP済み)、日本人の若者集団とすれ違い、地下鉄(TUBE)の駅にもぐった。

ざっとしたロンドン観光だが雰囲気だけは感じることができた。それにしてもずっとクールに歩いていたのは予習不足のせい? それとも移動の疲れが残っているせい? よもや年をとって感動する力が薄れてきたせいではないだろうな。

だって

英国へ来た時期がたまたまそうなのか、娘の饒舌ぶり、論理的思考力が目覚しい進歩を遂げつつある。だがまだ言葉を知らないため、答えはいつも同じになる。
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「こらっ、椅子から椅子へ渡るな。落ちて痛いってなくのはお前だぞ」
「ご飯を食べるならそれに集中しろ。よそみするなっつーの。またグラスを落として割っちゃうよ」
「おしっこしたらちゃんとパンツを履け。お尻を出して走り回るな。お前はしんのすけか」
「寝たら寒くなるから服は脱ぐな。なんで裸べっちょになるかねえ」
「これから寝るのにはしゃぐな、ベッドで飛び跳ねるな。また落ちて泣くぞ」
「なんでちんちん触る」
「さっき1個だけって言ったのになぜ3個になる、じゃあ、2個って。どういう論理だ」
今は日中ずっと一緒にいるので、俺はしょうちゅう叱っている。

すると彼女はにやりと笑い、待ってましたとばかりに答えるのだ。
「だって、おもしろいんだも〜ん!」

英国の印象 3

《公園》
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ホテルの近所にはウォルポールパークやランマスパーク、ガナーズベリーパークなどかなり広い公園がたくさんある。それらは日本の城址公園や元大名屋敷のように庭園や堀や建築物などが作りこんであるのではなく、ただっ広い『緑の広場 芝政』(福井県)のような公園だ。
特に南へ歩いて10分ほどのガナーズベリーパークは広く、サッカーグランドやラグビーグランドにするなら(実際ゴールやゴールポストもいくつか置いてある)軽く20面くらいとれそうだ。具体的な面積はよくわからないが、以前北海道十勝地方を回った記憶を元にすると100ヘクタールは軽く越えるのではないだろうか。元々農地だったのか、それとも完全に破却された城のあとなのか定かではないが、英国人が必要としているからこれだけあちこちにあるのだろう。滞在暦の長い人から聞くと、弁当を持って公園に遊びに行くというのが週末の過ごし方として定着しているそうだ。
周縁部にある木では小鳥がさえずり、リスがちょこまか走りまわる。空港に近いこともあり日中は5分おきに大きなジェット機が上空を飛びかう。
おまけのように遊具エリアがあるのでそこで娘を遊ばせるのだが、雨さえ降っていなければかなりの数の英国人が同じように子どもを遊ばせている。英国人は奥ゆかしく、米国人(のイメージ)のようにやたらと元気よく自信満々で、積極的に話かけてくることはないので、曖昧な微笑みや静かな「サンキュー」「ソーリー」を交わしながら、落ち着いて遊ばせることができる。
このあたり(西ロンドン)は日本人が多いのでかなり日本語が飛び交っているが、話しかけられないかぎり積極的に交信することはない。ママニティーや日本コミュニティーに取り込まれてしまうのを好ましく思ってないからだ。それでも遠からずのところにいるのはDNAやアイデンティティのせいだ。
公園に遊びに行くとき注意しなければならないのは日本と違って公共トイレが少ないこと。家を出発するときさせていくのだが、それでも「おしっこしたい」「うんちしたい」と言い出すことがある。トイレが見つからず娘を抱えて家まで走ったり、わざわざ飲食店に入ってそこのトイレに連れていったりとなかなか苦労する。街中や駅、スーパーなどでも公共トイレがほとんどないので、事前にさせておくことと、あらかじめトイレの場所を確認していくことが英国生活において重要なことだと思われる。
それでも緑一色の公園は歩いているだけでも気持ちいいので、今日も娘と公園へ行くのである。

《庭》
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イングリッシュガーデンという言葉があるくらい、英国人の庭に対する情熱は相当なものだ。芝生をきれいに刈ったり、花を植えたり、いろいろと手をかけている。
俺も庭(というより土や地面)が嫌いなほうではないので、家探しのときは庭があるという条件も優先順位の上位に入れておいた。それは特別贅沢なことではなく、共同住宅の中に共同の庭があったり、長屋のような小さな家でも専用の庭が普通にあった。おかげで新しく住む家にも10坪ほどの庭がついている。そこを何に使おうか今から少しわくわくしている。

万里子桜

母から写真付きメールが届いた。我が家の庭にある万里子桜が満開だという。
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高岡を旅立つ日は隣の梅が咲いていたが、英国に慣れるために手探りで過ごしているうち、あっさりと節気が一つ進んでしまった。しかし稚内より北(樺太北部あたり)に位置する英国より高岡のほうが桜が遅いなんて、相変わらず不思議な感じがする。

自宅の前で花見をしようと植えた万里子桜。それまで三年ほど咲かず、高岡を離れた一年前に初めて咲いたのでまだ野望は実現していない。再来年には帰るから、花を咲かせ続けてくれ。

そのとき万里子は5歳。もっと大きく、饒舌に、生意気になっているのだろうなと思いながら、俺は去年よりたくさんの花をつけた桜の写真を見直した。

家探し

英国には日本人のための不動産屋があり、彼らの力を借りて家探しをしている。スタッフは日本人で日本語で意思疎通でき、日本人の好みもわかっているので、さほど変な物件に案内されることはないが、中には「なんじゃ、これ」と苦笑いするものがあった。

「最初にテラス(マンション型)を御案内します」と連れていってもらったのは、日本語に直訳すると大使テラス。エレベーターで5階に上り、まず照明やベッド、ソファーなどの豪華な調度品に目を奪われた。
taisimansyonn

しかしもっとすごいのは部屋の周りをほぼ1周するベランダ。高台にあるので町並みを一望できる。そして一番広いスペースにはテーブルと、なんとこんこんと水が湧き出る泉があるではないか。まさしく大使や貴族が住むにふさわしいテラス、一庶民の我々は楽しみだけ楽しんで潔く辞退させてもらった。

普通だったら中に入れないような身分違いというか分不相応な物件まで見られるし、英国の家族の暮らしが垣間見えるので、家探しはなかなか楽しい。

※10軒ほど見た結果、自然環境、教育環境、通勤環境、買物環境、観光環境、家の作り、家賃などを総合的に判断し、ロンドン中心部から30分ほど北へ行った「Wood side park」(ウッドサイドパーク)に居を構えることを決めた。来客用のベッドルームもあるので、日本からの受け入れ態勢もばっちり。皆様、どうぞロンドンいらしてください。

英国の印象 2

《道路》
車道は片側一車線で車道のところどころにわざと作ったような凸道がある。スピードを出しすぎないように配慮しているのだろう。横断歩道が少なく道路を渡りづらいが、その分そこに立つと車は必ず止まってくれる。
歩道も乳母車を押して人とすれ違うのがやっとというくらい狭い。そのうえ石畳が多く凸凹している。英国の乳母車はタイヤがゴムの三輪車が多いが、確かにそちらのほうが移動しやすい。
道も古いものを大事にしようという伝統が生きているのか、狭いので大幅な修理は必要ないのか、日本のようにあっちこっちで道路工事をしているという風景は見受けられない。

《車》
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道がそうだから大きな車は少ない。そしてそれが文化なのか2ドアクーペ型が非常に多い。体が大きいから4ドアセダン型だと後ろのドアが小さすぎるのかもしれないと思ったが、助手席を倒して乗り降りするほうがもっと大変だな。車の発祥が2ドアで、そこでもその伝統を重んじているのだろうか?
年間1万円くらい払って路上駐車できる権利を買う制度(パーミット?)があるので、写真のように住宅街の道路は車だらけ。少なくとも縦列駐車がうまくできなければ英国で運転するのは難しそうだ。おかげで道路は車の展示場でどんな車を買おうかとじっくり見ることができる。
その中には傷だらけの車や新しいのに鳥の糞まみれ、花びらまみれの車もあり、日本と違って車に自己表現やステータスを求めず、運搬手段の機械と割り切る合理性があるのかもしれない。

《カフェ》
街のあちこちにやたらとカフェがある(大きな駅近くはチェーン店だが街中のは独立系)。そして朝や昼、それぞれの店にそこそこ人が入っている。気温は上がっても15℃くらいなのに外に置いたテーブルで飲み物を飲み、パンを食べる。
その分、街中では飲み物の自販機はない(あるとすればショッピングセンターや駅)。コンビニもないのでちょっと飲み物が欲しくてもすぐ買うということはできないが、慣れればなんということはない。むしろそれがきれいな町並みを作っている。日本は自販機にしても、コンビニにしてもファストフードにしてもありすぎ。

《パブ》
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子ども連れでは行きにくいし、一人で飲みに行くのも悪いので残念ながらまだ行ってないが、近所によさそうなパブが何軒もあり、午前11時くらいからやっている。時間帯、庶民性、出没頻度で言えば東京のそば屋のような感覚か。基本立ち飲みなので子どもが我慢できれば連れてっても問題ないらしいが、万里子にはまだ無理だな。

ベッド生活

英国の滞在型ホテルではセミダブルを2つくっ付けたベッドで寝ているのだが、これが高級ベッドなのか高さが俺の腿くらい(60センチほど?)ある。下りるのもすんなりいかず、気合いが一つ必要なくらいだ。

普段は布団で寝ている我が家だから予想通りのことが起きる。娘はすでに二度ベッドから落ち、夜中に大泣きした。しかし睡魔に勝てなかったのか泣きながら眠ってしまったけど。
昼間だって油断できない。黄色い花柄に交換されたカバーが嬉しくてベッドの上を飛跳ねる娘。勢いがつきすぎて頭から床に落ちてしまった。「あほ、これだけ注意したのに」と言いながら泣き止むまで抱っこするしかなかった。
beddoraifu

大人だって油断できない。俺は「焼きシャルケ」というチームとサッカーをしていた。フォワードは柳沢と俺との2トップ。コーナーキックからいい感じの高さにボールが来た。
「よっしゃ!」
飛び上がって身を乗り出し、ボールを捕らえようとした。が、ボールはなぜか俺の体を通りすぎていく。
その瞬間、ゴンという鈍い音が聞こえ、頭に衝撃が走った。あれ、ボールには当たらなかったはずなのに……

はっと我に帰り、目覚めた。
「まりちゃん、大丈夫」
妻のあたふたする声が60センチ上から聞こえた。
「俺だ……」
「あっ、俺様なの。なら、よかった」
反論する間もなく妻は眠ってしまった。

ベッド生活に慣れるまでしばらく時間がかかりそうだ。

英国の印象 1

渡英して10日余り、ほぼホテルのある西ロンドンのearing地区しか知らないが、何回かに分けて英国の印象について書いていく。自分がおもしろいと思ったことを書きなぐった勝手な独断と考察なのであしからず。

《町並み》
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古き伝統を大事にする英国らしくどこへ行っても昔ながら整然とした家並みが続く。景観条例のようなものがあるのか高い建物、奇抜な建物はなく、家並みの間にSt Mary’s教会のような重要文化財級の建物がうまく溶け込んでいる。地震がないので昔ながらの建物を大事に修復して使っていくらしいが、そのあたりに英国のエコ思想が垣間見える。道も狭く、結果として車も小さく、もう大きな経済発展は選択しないという英国の総意なのかもしれない。
娘は公園の行き帰りSt Mary’s教会を見るたび、「まりちゃんのきょうかいだ、うふ」と独占欲を満足させたような不気味な笑いを見せている。

《天気》
この時期だけなのか天気予報は毎日のように「晴れ一時雨」。実際晴れていたと思ったらいきなり曇り、曇っているなと思ったらいきなり晴れ、安心していたらいきなり雨という10代の女心のようにめまぐるしく天気は変わる。イメージでは「霧のろんど〜ん 靴音た〜か〜く」だが、霧より雨がよく降る。日本海側の県では「弁当忘れても傘忘れるな」という格言があちこちにあるが、ロンドンでも同じ。
現在の最高気温は10〜15℃、最低気温は5℃ほど。富山県とさほど変わらないが、北緯が高い(樺太北部と同じ)せいか富山では時々あった20℃以上に気温が上がる日がない(今のところ)。6〜9月は日本の初夏のような気候らしいので、暑さ嫌いの俺とすれば楽しみだ。

《台所》
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キッチンは一見きれいにまとまっているように見えて機能性が悪い。今の滞在型ホテルだけではなく、家探しでいろんなうちの台所を見たがみんな悪い。まず調理台の位置と冷蔵庫が離れすぎていて、あれを使おうと思ったときにさっと取り出せない。鍋を火にかけているとき独創的なアイデアが浮かんでも、それを実行に移すのを躊躇しそうなくらい距離がある。
火力の違うコンロが四角に4つ付いているのはいいが、手前が大と小で、奥が中2つ、一番使うのは中だから手前に持ってきてほしい、というより3つでいいからもう少し距離をとり、横に並べてほしい。
なぜキッチンに洗濯機がついているのか、それがよくわからない。調理しながら洗濯をするという発想なのだろうが、火の下あたりに水を近くに置くという発想に違和感がある。別々のほうが接触する危険性も少なくていいのではないか。
キッチンは日本でいうダイニングキッチンのようなスペースがなく、小さなテーブルが置いてあるのみ。作ったものをそのままそこで食べるというのではなく、広々とした居間に運んで食べるという発想なのか。でも運ぶのはめんどくさそうだ。ひょっとしてご飯はそそくさと済ませて、紅茶やワインを飲みながら居間で一家団欒するのかもしれない。そうだとしたら食事に対するこだわりのありなしが、日本と英国のかなりの違いかもしれない。

タクシー乗り場 (後)

インフォメーションセンターには女性がいたが、電話で話しているので待った。ようやく終わり事情を話すと、タクシー会社の電話番号を書いた紙をくれた。
「手配してくれるんじゃないんだな」
「自分でしろって。ちょっと電話してみるね」
電話は自動応答で、こちらの連絡先番号の登録を求めてきた。
「まだ決まってないわよ。どうしよう〜、タクシー乗り場戻って、大きなのが来るまで待つ?」
「あそこに戻るのは癪にさわるが、早く寝床へ行って落ち着くのが最優先だからな。しょうがない」
がらがらとカートを押してタクシー乗り場へ戻った。

「またか」という顔をして案内係がこっちを見たが、そんなことは構っちゃられない。(荷物が全部入る)大きな車が来るまで待つと意思表示をすると、「その車でも荷物が入るかどうか保障できない。二台に分乗していくことをお勧めする」などと言うではないか。
てめえ、それを何とかしようと努力するのがお前の仕事だろう。今まで運転手任せで何もしなかったのはどこのどいつだ。この給料泥棒め! 日英同盟は解消だ!
腸が煮えくり返ったが、妻のほうが「どういうこと!?」と珍しく怒りをあらわにしている。バランス感覚が働いて、俺はなだめる側に回ることにした。
「まあしょうがない。万里子も寝かせなくちゃいけないし、早くホテルにたどり着くことを最優先しようではないか」
「しょうがないわね」
そう言って1台目の初老のおじさん運転手、2台目の刺青兄ちゃん運転手に荷物を乗せるのを依頼した。

おじさん運転手がああでもないこうでもないと、荷物を何とかうまく積みこもうと努力してくれている。そうだよ、そういう姿勢が見たかったんだよ、俺は。
その動きをほほえましく眺めていたら、後ろの席に段ボールを3箱積み上げ、スーツケースを2箱横に重ねて置いてくれた。刺青運転手は自分の助手席に積んでいた乳母車をおじさん運転手の助手席に運びいれる。
おっ、これは……
「オーライ、出発だ!」
おじさん運転手が力強く合図を出した。刺青が手を振って見送ってくれる。
一台に収まった俺たちと荷物は、ようやくタクシー乗り場を出発した。

どこに行っても気持ちのいい奴、ダメな奴、いろんな人間がいる。集団や組織、国家ではなく個々人を見る。
入国1時間にして改めて気付かされた。

タクシー乗り場 (前)

さて、スーツケース2つ、段ボール3箱、リュック、その他荷物を持ったオレたちはヒースロー空港の到着口に出た。妻の会社の先輩のお出迎えを受け、いくつかの打ち合わせをしたあと、カートを2つ押してタクシー乗場に向かう。

そこには蛍光色の縁取りのある上着の30代くらいの男性が2名いた。乗車客をタクシーの差配する係らしい。荷物が多いので二台目の少し大きめのタクシーに案内してくれるものだと思っていたら、1台目の普通のタクシーにそのまま乗せようとする。運転手が出てきて大きな荷物を積み込もうとするが、助手席に2つのスーツケースが入らなかっただけでお手上げ。人はよさそうだが諦めの早い人らしい。

それなら係が後ろのタクシーに誘導してくれると思っていたら、荷物が少ない2人の男性を乗せてしまった。
妻が「この大きさのタクシーでは無理そうだから、箱型の大きなものに案内して」と交渉すると、「そっちで勝手にやってくれ」という。
「そういうのを差配するのがお前らの役割じゃないのか。何のためにいるんだ」
日本語で怒ってみたがもちろん通じるはずもなく、係は多少気まずそうにその場から離れてしまった。

※英国の普通のタクシーは日本車で言えば日産キューブのような形で、荷物を置けるように助手席がない。運転手がいる前部分と客が乗る後ろ部分はガラス窓で完全に分けられ、客は折りたたみシートを倒せば対面で5人ほど座れる構造になっている。たまにもう少し大きなタクシーがあるが、大型車、中型車、小型車のレーンは分かれてないので、来たものに乗るしかない。

5台ほど後ろの大きなタクシーに交渉に言った妻が「順番を乱すわけにはいかないから、係の人にOKをもらってくれって。だから係の人に言われて来たって言っても聞く耳持たないの。係に直接言ってもらうしかないみたい」とうんざりとした顔で帰ってきた。それを話して係をそのタクシーに向かわせたが、何かもめているようだ。帰ってきた係は「あいつは頭がおかしい。空港のインフォメーションセンターにタクシー係がいるから、そっちで呼んでもらってくれ」とこっちもうんざりとした顔で立ち去った。

「もう、どうしろっていうのよ」
「ここまで順調だったけどな。しょうがないけど空港に戻るしかないだろ」
重いカートを2つ押し、俺たちは空港の中に戻った。
「どこ、いくの。また、ひこうきのるの」
日本で言えば真夜中だと言うのに、娘だけはやたらと元気だ。

上野の桜

英国に旅立つ前日、娘と見送りの母と3人で上野までやってきた。

ホテルにスーツケースとリュックを預け、上野公園を散策した。広小路口のしだれ桜は満開だったが、中の桜はまだ2分先程度。それらを遠くに見ながら縁石に座って3人でひとつの焼きそばを食べた。

日帰りの母の新幹線まではまだ数時間ある。動物園はパンダ人気で混雑が予想されるので、あらかじめ調べておいた隣接する小さな遊園地で遊ぶことにした。500円で6枚つづりの券を買い、娘サイズのメリーゴーラウンドや飛行船に次々と乗った。娘は時には母と、時には一人キャッキャッと笑いながら嬉しそうに乗っている。一通り全部乗ったがまだ時間はある。目の前の動物園を見ると窓口に次々と客は現れるが、並んでいるほどではない。
「万里ちゃん、動物園行きたい?」
「まりちゃん、いく」
「じゃ、行こうか」
大人600円、65歳以上300円、合計900円を支払い中に入った。

入口近くのパンダ館は平日ともあってすいていて、ガラス間際まで行くのは時間がかかるが、多少離れたところからパンダが見える。ただ柱の影であったり、こちらに背を向けていたりして、「あんまり見ないでくれ、一人になりたいのだ」という気持ちがひしひしと伝わってきた。
それからも象や虎、ライオン、ホッキョクグマを見て、ベンチで持ってきたおにぎりを食べ、別エリアのシマウマやカバ、サイ、キリンを見た。娘はそれまで下馬評に一度として上がったことのないサイが気に入ったようで、「こんなつのがあるんだよ」「さいがすき、さいこう」などを目を輝かして語っている。

かなり歩き回って疲れたのでホテルへチェックインし、母と娘がベッドの上でごろりと横になった。母は本気で寝たが、娘は興奮しているのかベッドを飛び移って全然寝ようとはしない。「こら静かにしろ」と注意しても聞かないので高岡駅でもらった『こあらまーち』で懐柔し、ようやく静かにさせた。

母を起こし、上野駅まで娘と歩いた。10代の頃は東京へ帰るたび泣かれて辟易したが、多少なりとも親心がわかるようになった今、どういう言動をとれば適切なのか考えながら入場券を買った。
「あれっ、新幹線も別に入場券がいるのか」
「なら、いいよ。ここで、それじゃ気をつけて」
「ああ、そっちこそ。ほれ、万里子、おばあちゃんにバイバイって」
結局娘をだしに使うことしか思いつかなかった。
「よしこおばあちゃん ばいばい」
「バイバイ、万里ちゃんも元気でね」
「それじゃ」
新幹線改札を越えて小さくなる母に、娘と一緒に手を振り続けた。
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娘をおんぶして上野駅を出た。今年初めてで最後の桜が月明かりに照らされている。
なぜか滲んできた桜を見ながら、俺は娘を背負い直した。

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